「なぁ亜崎、お前本当に作家になるのが目標なのかよ」
文芸部の同僚が何気なく僕に言った言葉。
その言葉はまるで僕には作家としての才能は皆無だ。と、宣告しているかの様に聞こえてきた。
前に僕が書き下ろした短編を手にひらひらとさせながら、あざ笑うかのようにそいつは言う。
1か月前、彼奴の書いたネット小説が、ラノベ公募の佳作に選ばれた。
書籍化の話も来ているような事を、彼奴は得意げに部員に自慢しているのを知っている。そんな奴から、僕の作品は駄目だと……。
そう聞こえてくるのは、この僕自身に自信がないからだろうか。
だが、実際の所僕も編集社主催のネット公募や、同人誌への参加など内弁慶でいたわけではない。
しかし、公募の結果は良くて一時選考止まり。同人誌での反応も今一つ。
何らかの結果を出した彼奴には敵わないと言うのが実際の所僕の弱みでもある。
正直、気分はいいわけではないが、反論も出来ないでいる自分が今物凄く悔しかった。
そして僕に残された時間もあとわずかであることに焦りも感じている。
もう大学の3年生だ。しかももうじき夏になるこの時期。
来年はすでに就職の内定を数社得ていて当たり前。もしその時点で内定ゼロ! なんていう状態緒だったら、考えただけでもぞっとしてしまう。
いや、それでも僕は作家としての道をどうにか切り開きたい。
卒業後アルバイトしながら作家活動を続け、いつの日か日の目を見ると言う。そんなあてのない日々を送る生活を周りは許してはくれないだろう。
僕がこの大学に進学する時の親父の言葉は今でも忘れない。
「今は大学に入って、その4年間で自分をもう一度見つめなおすんだ!」
一時の感情が僕の人生を決めさせたんじゃない。
あの時僕は……。僕は自分の生きる道を自ら決めたはずだ。例えそれが美野里への想いであったにせよ、決して中途半端な気持ちなんかじゃないことを、今もって振り返るように僕の脳裏を刺激する。
「一体何がいけないっていうんだ」
周りに聴こえないくらいの声で、思わず声が出てしまう。
純愛、恋愛、恋物語。美野里から「達哉は恋愛小説を書くべきよ」無理やり書かされ続けてきたこのジャンル。そもそも僕には恋愛というものの本質がわからない。
恋愛って言うのは、単に男女間が好きになるその想いを表現した物語だけなのか? いまさらそんな幼稚なことを考えていること自体、たいしたものが書けていないという事実を自分が認めているようでまた無性に腹が立つ。
正直な所、恋愛というものに関して僕は疎い。
初恋は、小学生のころ。
同じクラスにいた女の子。ただ可愛い、その気持ちだけでその子の傍にいるだけで、何となく気持ちがたかぶるような感じがずっとしていた。
声をかけることすらできないでいたこの僕は、自然とその子から離れて行ってしまった。もっとも接すること自体僕は行動していなかったから、ただの自分本位の片思いというものなんだろう。
そんな僕に恋や恋愛の事を、もっと詳しく描写すること自体無理なのかもしれない。
それなのになぜ、美野里は僕に恋愛をテーマに小説を書くように勧めたんだろうか。
いまだにそのことについては謎だ。僕に書けるテーマはこれしか書けないから美野里は勧めたのか? それとも、もっと何か意味があったの事なのか。
なぁ、美野里。
教えてくれよ。この俺にどうして人の心の中を、描写させる小説を書かせようとしたのかを……。
梅雨の晴れ間は救いの光を空から投げかけてくれるような、そんなまぶしさをこの心に差し込んでくる。
梅雨は暗いイメージしか持てない。いやそんなことはないと美野里はよく話してくれた。
雨に濡れるアスファルトの色。雨に濡れる木々の葉の色の変化。晴れている時よりも雨が降っている時の方が生き物たちも、街並みも物凄く輝いて見える。そう美野里は話してくれたことがある。
確かにそうだな、美野里。
仰ぎ見る陽の光は、本来ある色をかすめてしまうのかもしれない。
アパートの近くの公園、ここは唯一僕が安らぐことが出来る場所だ。なぜならここには、樹齢何年になるのかすら想像もつかないくらいの大木が公園の真ん中にある。その木の下にいると自然と心が和やかになるからだ。
風が吹けば、葉がこすれる音がして、木洩れ日の光が時折僕を包み込む。こんな都会にの中にポツンとある緑のオアシスのようなこの木の下が僕は好きだ。
パソコンの中にある以前書きおろした短編小説をいくつか、原稿用紙にレイアウトしてプリントしてみた。原稿用紙にレイアウトすると、内容はともかくなんだか小説を書いているというそんな実感が物凄く沸くのはなぜだろう。
もともと原稿というものは手書きが基本であるからだろうか? まぁ、今の時代手書きよりもパソコンのエディターへ書き込む方がはるかに作業はしやすい。
流石の僕も高校時代の様に、ノートやつづりの原稿用紙に鉛筆で書いてはいない。まして、文芸部のサイトに乗せるにしても、データの形式でなければアップすることすらできない。それでも原稿用紙にレイアウトして印刷してみると、雰囲気はがらりと変わる。そのがらりと変わった雰囲気が自分の足りないもの、探しているものを浮き出してくれるのではないか……と、安易な思惑だが、それも良しとしよう。
せっかくの梅雨の晴れ間。あの公園の木の下でこの原稿を見直してみることにした。今日は雨上がりの澄んだ空気が僕を外に連れだしたのかもしれない。
「しばらく雨が続いていたからな、少しは陽の光もあたりたいよな」
変な独り言を口にするようになったのは、相当行き詰っている証拠だ。
子供の声がする公園、何となく人の姿が生き生きとして見えるのは、この陽の光とさわやかな風が運んできてくれたものだろうか。
あの事故で僕の以前の自転車は犠牲になってしまった。今回はこちらにも過失があったが、相手の自動車の方は無傷だったから、何も請求はないということで示談は成立していた。ただ、治療費については自動車を運転している人の保険を適応してもらったおかげで無料だった。退院後、1回の通院で完治、異常なしという医者の診断と共にこの事故の件は決着した。
自転車は正直無いと非常に不便だ。アパートから駅に行くにしても、バイト先に行くにしても自転車がなければこの二本の足で移動しなければいけない。それは勘弁してほしい。かなりの出費になったが、また同じタイプの自転車を購入した。次のバイト代が入るまでは、かなりの節約生活を余儀なくされることは覚悟の上だ。
あの木の下で原稿をめくり自分の書いた小説を静かに読み返す。
何度も、何度も読み返したこの作品。もう文章すべてを暗記してしまうくらい読み返しているこの原稿。
「あーあ、何度読んでも何も浮かんで来ない」
ただ文字の羅列を目にしているだけにしか感じなくなった時、足元にゴムボールが転がってきた。
ふと見上げると、少し離れた所で遊んでいた子供たちのボールの様だ。じっとこのボールを見つめながらこっちを見ているその姿を見て、原稿を置きそっとボールを子供たちの方に転がしてやった。
その時、木の葉ががさがさと音をたてた。
ふわっと目の前を原稿が飛んでいく。
あ、と、風に流される原稿を追った。だが時にすでに遅し、原稿は公園の中に散らばった。急いで一枚一枚拾い上げると、細く白い手が一枚の原稿に重なった。
思わず手を止めそっと見上げると、白い麦わら帽子に淡いブルーのワンピースを着た女性が僕の目に映った。
「すみません、集めていただいて」
「いいえ、ちょうど通りかかったら、この紙が飛んでいたから……」
少し遠慮気味にうつむき、小さな声が返ってきた。
帽子で顔は見えない。
彼女はゆっくりと立ち上がり、白い麦わら帽子のつばからその顔をのぞかせた。
その顔を見た時思わず「あ!」と声を出してしまった。
小柄な躰に色白のその可愛らしい顔が僕の目に移り出される。その姿はあの時出逢った時とは違い少し大人びた感じがした。
そう、彼女は病院で僕の病室の隣にいた女の子だ。
あの時、初めて会った時はなぜだろう、幼く感じた様に思えた。でも今ここにいる彼女は、僕とそんなに年は離れていない様な、でも僕よりは年下であると言う印象は抜けきれない。それでも何だろう、病室で逢った時より。いいや急激に心臓の鼓動が早くなるのを感じている。どうしてだろう……あの時はこんなにはならなかったんだが。
彼女が集めた原稿を僕に手渡すと
「あの、これって原稿用紙ですよね。と言う事は何かの原稿ですか?」
「あ、いや、なんて言うかその……。ちょっと小説書いているんで」
「え、作家さんなんですか?」
「作家……だといいんですけどね。大学の文芸部で小説を書いているだけですよ」
少し照れながら、本音は作家さんと言われて少し浮き出し立っている所に
「あ!」と彼女が気が付いたように声に出す。
「あなた、この前私の病室の隣に入院していた人ですよね」
「ええ、まぁ。そうなんですけど……覚えてくれていたんですね」
「もちろんですよ。あのプリン物凄く美味しかったんですもの」
プリン? ああ、そっちで覚えていたんだ。
「あのプリンどこのお店のプリンなんですか?」
「え――と、実はあのプリン先輩のお見舞いでもらったプリンなんで、僕もお店までは分からないんですよ」
「そっかぁ……ちょっと残念。でも面白そうなの見つけたからいいか」
「面白そうなのって?」
彼女は僕の持つ原稿を指さし「それよ」と言った。
「私小説読むの好きなんです。うちの大学にも文芸部あるんです、そこで公開しているサイトでも部員さんたちの作品よく読んでいるんです」
うちの大学? え、高校生じゃなくて大学生だったのか。見た感じまだ1年生なんだろうな。どこの大学何だろう……文芸部のある大学でこの辺と言ったら、いや何も近くとは限らないだろう。それにしてもどんな小説を読んでいるんだ。やっぱりラノベ系? それも異世界系とか? 見た感じそっち方面が好きそうだな。
「僕もたまにのぞいてみてますよ、他の大学のサイト。やっぱり異世界系とかファンタジーものが人気ですね」
「そうねぇ、そう言うファンタジーものも嫌いじゃないけど、よく読むのは恋愛ものかなぁ。どっちかと言うと純文学よりかもしれないし、恋愛でも純愛ものが好きかなぁ」
「純文学で純愛もの……ですか?」
「なによ! あ―、私の事まだ高校生くらいだと思っていたんでしょ。どうせ私はまだ子供ぽいですよ。これでも教養学部の3年生なんですからね」
「え、うそ。僕と同級なの?」
「そうなの? あなたも3年なの。そうは見えないけど。浪人してた?」
「浪人? いいや、現役入学です」そこはきっぱりと言い返してやった。
「てっきり私より2歳くらい上かと思ってた。あ、ごめんなさい。老けて見えるとかそう言うんじゃなくて、物凄く落ち着いてるし何となく雰囲気がお兄さんに似ているから」
「お兄さんって、あの田嶋先生ですか」
「うん、本当は実の兄じゃなくて従兄なんです。幼いころからずっとお兄さんって呼んでいたからつい病院でもね」
あ、なるほど。そう言う事か、兄妹にしては雰囲気まるで違うし、この幼さの印象にあの冷静そうな田嶋先生の姿とはどう重ねても重ね合わない訳だ。
そんな事を思った僕の顔を彼女はそのくりっとした瞳で見つめ
「あ、また幼そう。なんてこと考えていたでしょ」
少しほほを膨らませた顔が可愛くて、顔が熱くなるのを感じた。
文芸部の同僚が何気なく僕に言った言葉。
その言葉はまるで僕には作家としての才能は皆無だ。と、宣告しているかの様に聞こえてきた。
前に僕が書き下ろした短編を手にひらひらとさせながら、あざ笑うかのようにそいつは言う。
1か月前、彼奴の書いたネット小説が、ラノベ公募の佳作に選ばれた。
書籍化の話も来ているような事を、彼奴は得意げに部員に自慢しているのを知っている。そんな奴から、僕の作品は駄目だと……。
そう聞こえてくるのは、この僕自身に自信がないからだろうか。
だが、実際の所僕も編集社主催のネット公募や、同人誌への参加など内弁慶でいたわけではない。
しかし、公募の結果は良くて一時選考止まり。同人誌での反応も今一つ。
何らかの結果を出した彼奴には敵わないと言うのが実際の所僕の弱みでもある。
正直、気分はいいわけではないが、反論も出来ないでいる自分が今物凄く悔しかった。
そして僕に残された時間もあとわずかであることに焦りも感じている。
もう大学の3年生だ。しかももうじき夏になるこの時期。
来年はすでに就職の内定を数社得ていて当たり前。もしその時点で内定ゼロ! なんていう状態緒だったら、考えただけでもぞっとしてしまう。
いや、それでも僕は作家としての道をどうにか切り開きたい。
卒業後アルバイトしながら作家活動を続け、いつの日か日の目を見ると言う。そんなあてのない日々を送る生活を周りは許してはくれないだろう。
僕がこの大学に進学する時の親父の言葉は今でも忘れない。
「今は大学に入って、その4年間で自分をもう一度見つめなおすんだ!」
一時の感情が僕の人生を決めさせたんじゃない。
あの時僕は……。僕は自分の生きる道を自ら決めたはずだ。例えそれが美野里への想いであったにせよ、決して中途半端な気持ちなんかじゃないことを、今もって振り返るように僕の脳裏を刺激する。
「一体何がいけないっていうんだ」
周りに聴こえないくらいの声で、思わず声が出てしまう。
純愛、恋愛、恋物語。美野里から「達哉は恋愛小説を書くべきよ」無理やり書かされ続けてきたこのジャンル。そもそも僕には恋愛というものの本質がわからない。
恋愛って言うのは、単に男女間が好きになるその想いを表現した物語だけなのか? いまさらそんな幼稚なことを考えていること自体、たいしたものが書けていないという事実を自分が認めているようでまた無性に腹が立つ。
正直な所、恋愛というものに関して僕は疎い。
初恋は、小学生のころ。
同じクラスにいた女の子。ただ可愛い、その気持ちだけでその子の傍にいるだけで、何となく気持ちがたかぶるような感じがずっとしていた。
声をかけることすらできないでいたこの僕は、自然とその子から離れて行ってしまった。もっとも接すること自体僕は行動していなかったから、ただの自分本位の片思いというものなんだろう。
そんな僕に恋や恋愛の事を、もっと詳しく描写すること自体無理なのかもしれない。
それなのになぜ、美野里は僕に恋愛をテーマに小説を書くように勧めたんだろうか。
いまだにそのことについては謎だ。僕に書けるテーマはこれしか書けないから美野里は勧めたのか? それとも、もっと何か意味があったの事なのか。
なぁ、美野里。
教えてくれよ。この俺にどうして人の心の中を、描写させる小説を書かせようとしたのかを……。
梅雨の晴れ間は救いの光を空から投げかけてくれるような、そんなまぶしさをこの心に差し込んでくる。
梅雨は暗いイメージしか持てない。いやそんなことはないと美野里はよく話してくれた。
雨に濡れるアスファルトの色。雨に濡れる木々の葉の色の変化。晴れている時よりも雨が降っている時の方が生き物たちも、街並みも物凄く輝いて見える。そう美野里は話してくれたことがある。
確かにそうだな、美野里。
仰ぎ見る陽の光は、本来ある色をかすめてしまうのかもしれない。
アパートの近くの公園、ここは唯一僕が安らぐことが出来る場所だ。なぜならここには、樹齢何年になるのかすら想像もつかないくらいの大木が公園の真ん中にある。その木の下にいると自然と心が和やかになるからだ。
風が吹けば、葉がこすれる音がして、木洩れ日の光が時折僕を包み込む。こんな都会にの中にポツンとある緑のオアシスのようなこの木の下が僕は好きだ。
パソコンの中にある以前書きおろした短編小説をいくつか、原稿用紙にレイアウトしてプリントしてみた。原稿用紙にレイアウトすると、内容はともかくなんだか小説を書いているというそんな実感が物凄く沸くのはなぜだろう。
もともと原稿というものは手書きが基本であるからだろうか? まぁ、今の時代手書きよりもパソコンのエディターへ書き込む方がはるかに作業はしやすい。
流石の僕も高校時代の様に、ノートやつづりの原稿用紙に鉛筆で書いてはいない。まして、文芸部のサイトに乗せるにしても、データの形式でなければアップすることすらできない。それでも原稿用紙にレイアウトして印刷してみると、雰囲気はがらりと変わる。そのがらりと変わった雰囲気が自分の足りないもの、探しているものを浮き出してくれるのではないか……と、安易な思惑だが、それも良しとしよう。
せっかくの梅雨の晴れ間。あの公園の木の下でこの原稿を見直してみることにした。今日は雨上がりの澄んだ空気が僕を外に連れだしたのかもしれない。
「しばらく雨が続いていたからな、少しは陽の光もあたりたいよな」
変な独り言を口にするようになったのは、相当行き詰っている証拠だ。
子供の声がする公園、何となく人の姿が生き生きとして見えるのは、この陽の光とさわやかな風が運んできてくれたものだろうか。
あの事故で僕の以前の自転車は犠牲になってしまった。今回はこちらにも過失があったが、相手の自動車の方は無傷だったから、何も請求はないということで示談は成立していた。ただ、治療費については自動車を運転している人の保険を適応してもらったおかげで無料だった。退院後、1回の通院で完治、異常なしという医者の診断と共にこの事故の件は決着した。
自転車は正直無いと非常に不便だ。アパートから駅に行くにしても、バイト先に行くにしても自転車がなければこの二本の足で移動しなければいけない。それは勘弁してほしい。かなりの出費になったが、また同じタイプの自転車を購入した。次のバイト代が入るまでは、かなりの節約生活を余儀なくされることは覚悟の上だ。
あの木の下で原稿をめくり自分の書いた小説を静かに読み返す。
何度も、何度も読み返したこの作品。もう文章すべてを暗記してしまうくらい読み返しているこの原稿。
「あーあ、何度読んでも何も浮かんで来ない」
ただ文字の羅列を目にしているだけにしか感じなくなった時、足元にゴムボールが転がってきた。
ふと見上げると、少し離れた所で遊んでいた子供たちのボールの様だ。じっとこのボールを見つめながらこっちを見ているその姿を見て、原稿を置きそっとボールを子供たちの方に転がしてやった。
その時、木の葉ががさがさと音をたてた。
ふわっと目の前を原稿が飛んでいく。
あ、と、風に流される原稿を追った。だが時にすでに遅し、原稿は公園の中に散らばった。急いで一枚一枚拾い上げると、細く白い手が一枚の原稿に重なった。
思わず手を止めそっと見上げると、白い麦わら帽子に淡いブルーのワンピースを着た女性が僕の目に映った。
「すみません、集めていただいて」
「いいえ、ちょうど通りかかったら、この紙が飛んでいたから……」
少し遠慮気味にうつむき、小さな声が返ってきた。
帽子で顔は見えない。
彼女はゆっくりと立ち上がり、白い麦わら帽子のつばからその顔をのぞかせた。
その顔を見た時思わず「あ!」と声を出してしまった。
小柄な躰に色白のその可愛らしい顔が僕の目に移り出される。その姿はあの時出逢った時とは違い少し大人びた感じがした。
そう、彼女は病院で僕の病室の隣にいた女の子だ。
あの時、初めて会った時はなぜだろう、幼く感じた様に思えた。でも今ここにいる彼女は、僕とそんなに年は離れていない様な、でも僕よりは年下であると言う印象は抜けきれない。それでも何だろう、病室で逢った時より。いいや急激に心臓の鼓動が早くなるのを感じている。どうしてだろう……あの時はこんなにはならなかったんだが。
彼女が集めた原稿を僕に手渡すと
「あの、これって原稿用紙ですよね。と言う事は何かの原稿ですか?」
「あ、いや、なんて言うかその……。ちょっと小説書いているんで」
「え、作家さんなんですか?」
「作家……だといいんですけどね。大学の文芸部で小説を書いているだけですよ」
少し照れながら、本音は作家さんと言われて少し浮き出し立っている所に
「あ!」と彼女が気が付いたように声に出す。
「あなた、この前私の病室の隣に入院していた人ですよね」
「ええ、まぁ。そうなんですけど……覚えてくれていたんですね」
「もちろんですよ。あのプリン物凄く美味しかったんですもの」
プリン? ああ、そっちで覚えていたんだ。
「あのプリンどこのお店のプリンなんですか?」
「え――と、実はあのプリン先輩のお見舞いでもらったプリンなんで、僕もお店までは分からないんですよ」
「そっかぁ……ちょっと残念。でも面白そうなの見つけたからいいか」
「面白そうなのって?」
彼女は僕の持つ原稿を指さし「それよ」と言った。
「私小説読むの好きなんです。うちの大学にも文芸部あるんです、そこで公開しているサイトでも部員さんたちの作品よく読んでいるんです」
うちの大学? え、高校生じゃなくて大学生だったのか。見た感じまだ1年生なんだろうな。どこの大学何だろう……文芸部のある大学でこの辺と言ったら、いや何も近くとは限らないだろう。それにしてもどんな小説を読んでいるんだ。やっぱりラノベ系? それも異世界系とか? 見た感じそっち方面が好きそうだな。
「僕もたまにのぞいてみてますよ、他の大学のサイト。やっぱり異世界系とかファンタジーものが人気ですね」
「そうねぇ、そう言うファンタジーものも嫌いじゃないけど、よく読むのは恋愛ものかなぁ。どっちかと言うと純文学よりかもしれないし、恋愛でも純愛ものが好きかなぁ」
「純文学で純愛もの……ですか?」
「なによ! あ―、私の事まだ高校生くらいだと思っていたんでしょ。どうせ私はまだ子供ぽいですよ。これでも教養学部の3年生なんですからね」
「え、うそ。僕と同級なの?」
「そうなの? あなたも3年なの。そうは見えないけど。浪人してた?」
「浪人? いいや、現役入学です」そこはきっぱりと言い返してやった。
「てっきり私より2歳くらい上かと思ってた。あ、ごめんなさい。老けて見えるとかそう言うんじゃなくて、物凄く落ち着いてるし何となく雰囲気がお兄さんに似ているから」
「お兄さんって、あの田嶋先生ですか」
「うん、本当は実の兄じゃなくて従兄なんです。幼いころからずっとお兄さんって呼んでいたからつい病院でもね」
あ、なるほど。そう言う事か、兄妹にしては雰囲気まるで違うし、この幼さの印象にあの冷静そうな田嶋先生の姿とはどう重ねても重ね合わない訳だ。
そんな事を思った僕の顔を彼女はそのくりっとした瞳で見つめ
「あ、また幼そう。なんてこと考えていたでしょ」
少しほほを膨らませた顔が可愛くて、顔が熱くなるのを感じた。