「亜崎君、どうしたの?」
優子が黙り込んだ俺に、少し声を震わせながら問いかける。
「仕事を手伝ってほしい」優子が言った手伝うという事は、執筆をしろという事ではないという事くらいは感じ取っていた。
今まで『純愛』に関する新作の企画書は何度も出していたと言っていた。優子ほどの力があれば、さほど難しくはない題材だ。
だが、それを受け入れない編集長の狙いは、単なる恋愛小説を上げろということではない。
優子の本当の『愛』
つまりは、作家本人のすべてをさらけ出せという事だ。
一糸まとぬ、優子の心の中をさらけ出せという事なのだ。
無論ノンフィクションで書く必要はないだろう。だが、作中の感情移入の場面などは、即座に優子自身の想いが反映されなければ、意味がない。
俺が書く小説の土台はこの俺自身である部分が、全てとは言わないが大きく影響していることは確かだ。
俺の描く世界観が欲しい。
それは、俺のことを、優子は題材として選んだという事だろう。そうなれば、俺と優子の関係の部分だけでいいんだろうか?
だとしても、それはあまりにも酷なことではないだろうか。
「私と田中は、編集長のあの言葉を聞いてから企画を練り直したわ。ずっと一晩かけていろんなパターンを、今までにないパターンも出してきた。でもね、どうしても肝心なところが抜けているような気がするの。私の本当の『愛』という部分でね。今さらなんだけど……。私、」
立ちながらずっと床を見つめ、手に力を入れて握り。優子は言った。
「今でも私はあなたを、亜崎達哉が好きです。『愛』してます。例え未だに、今村沙織さんの想いであなたの心の中が埋め尽くされていても。それでも私はあなたを愛しています。私の一方通行でもいい。それが偽りの愛であっても私は、あなたから『愛』されたい」
偽りの愛?
「偽りの愛。それがどんなにもろく儚いことなのか、わかって言っているのか!」
思わず優子を怒鳴りつけてしまった。
一粒、一粒、彼女の涙が床に零れ落ちていた。
「ごめん。今日のことはなかったことにして……」
バックを掴み、優子は家を出ていった。
「ばか。亜崎先生のばか!」
田中はテーブルをずっと見据えて、握りこぶしをドンドンと台にたたきつけた。カップに注がれた珈琲がその振動で飛び散るようにこぼれおちていく。
「今日有田先生がどんな想いでここに来たかわかります? それにあなたに伝えた想い、どれだけのものなのか、あなたは何もわかっていない。それをただ横で聞いていた私の想いもあなたは何もわかっていない。亜崎先生は……バカです。ただのバカです」
田中は自分のバックから1冊の本を取り出した。
その本は、沙織が落とした。そう、すでに絶版になっている俺が大賞を取ったあの小説だった。
俺と沙織、二人で描いた物語。
「有田先生この本、物凄く大切になさっているのご存知ですよね。夜に二人で打ち合わせしているとき、有田先生この本見開いてずっと眺めていたんです。目に涙浮かべながら……。『どうしたらこんなにも愛し合えるんだろう』て、一言つぶやいたんです。先生は沙織さんに嫉妬なんかしていません。むしろ沙織さんを本当に愛した、あなたのことを尊敬しています。沙織さんのすべてを受け入れたあなたのその想いを、あの人は全部受け止めているんです。それをあなたは気が付いているはずです。知らなかったなんて私は言わせませんからね。亜崎先生、先生はどうして前に進もうとはしないんですか? 沙織さんのことが忘れられない気持ちは、私でも少しはわかっているつもりです。でも、もうそろそろいいんじゃないんですか。先生は今までずっと沙織さんのことを想い、そして先生の書く作品の中にあり得ない可能性を込めて想いを伝えてきたんじゃないですか。……奇跡は起こらなかった。物語には必ずエンディングがあります。先生、もうこの先生と沙織さんの物語は終焉しているんですよ」
俺と沙織の物語は終焉している。
田中に言われたその言葉が、自分の中にある何かに響いた。
「先生、私も今日は失礼します」
肩掛けのバックを持ち軽く頭を下げ、田中は何も言わず立ち去った。
残されたのは、テーブルに飛び散った珈琲と冷め切った。
フレンチトースト。
そのフレンチトーストを口にした。甘いはずのそのフレンチトーストは、なぜか塩辛く、そして苦かった。
椅子に座り、フレンチトーストを噛みしめながら……。俺はあふれる涙を止めることはできなかった。
優子が黙り込んだ俺に、少し声を震わせながら問いかける。
「仕事を手伝ってほしい」優子が言った手伝うという事は、執筆をしろという事ではないという事くらいは感じ取っていた。
今まで『純愛』に関する新作の企画書は何度も出していたと言っていた。優子ほどの力があれば、さほど難しくはない題材だ。
だが、それを受け入れない編集長の狙いは、単なる恋愛小説を上げろということではない。
優子の本当の『愛』
つまりは、作家本人のすべてをさらけ出せという事だ。
一糸まとぬ、優子の心の中をさらけ出せという事なのだ。
無論ノンフィクションで書く必要はないだろう。だが、作中の感情移入の場面などは、即座に優子自身の想いが反映されなければ、意味がない。
俺が書く小説の土台はこの俺自身である部分が、全てとは言わないが大きく影響していることは確かだ。
俺の描く世界観が欲しい。
それは、俺のことを、優子は題材として選んだという事だろう。そうなれば、俺と優子の関係の部分だけでいいんだろうか?
だとしても、それはあまりにも酷なことではないだろうか。
「私と田中は、編集長のあの言葉を聞いてから企画を練り直したわ。ずっと一晩かけていろんなパターンを、今までにないパターンも出してきた。でもね、どうしても肝心なところが抜けているような気がするの。私の本当の『愛』という部分でね。今さらなんだけど……。私、」
立ちながらずっと床を見つめ、手に力を入れて握り。優子は言った。
「今でも私はあなたを、亜崎達哉が好きです。『愛』してます。例え未だに、今村沙織さんの想いであなたの心の中が埋め尽くされていても。それでも私はあなたを愛しています。私の一方通行でもいい。それが偽りの愛であっても私は、あなたから『愛』されたい」
偽りの愛?
「偽りの愛。それがどんなにもろく儚いことなのか、わかって言っているのか!」
思わず優子を怒鳴りつけてしまった。
一粒、一粒、彼女の涙が床に零れ落ちていた。
「ごめん。今日のことはなかったことにして……」
バックを掴み、優子は家を出ていった。
「ばか。亜崎先生のばか!」
田中はテーブルをずっと見据えて、握りこぶしをドンドンと台にたたきつけた。カップに注がれた珈琲がその振動で飛び散るようにこぼれおちていく。
「今日有田先生がどんな想いでここに来たかわかります? それにあなたに伝えた想い、どれだけのものなのか、あなたは何もわかっていない。それをただ横で聞いていた私の想いもあなたは何もわかっていない。亜崎先生は……バカです。ただのバカです」
田中は自分のバックから1冊の本を取り出した。
その本は、沙織が落とした。そう、すでに絶版になっている俺が大賞を取ったあの小説だった。
俺と沙織、二人で描いた物語。
「有田先生この本、物凄く大切になさっているのご存知ですよね。夜に二人で打ち合わせしているとき、有田先生この本見開いてずっと眺めていたんです。目に涙浮かべながら……。『どうしたらこんなにも愛し合えるんだろう』て、一言つぶやいたんです。先生は沙織さんに嫉妬なんかしていません。むしろ沙織さんを本当に愛した、あなたのことを尊敬しています。沙織さんのすべてを受け入れたあなたのその想いを、あの人は全部受け止めているんです。それをあなたは気が付いているはずです。知らなかったなんて私は言わせませんからね。亜崎先生、先生はどうして前に進もうとはしないんですか? 沙織さんのことが忘れられない気持ちは、私でも少しはわかっているつもりです。でも、もうそろそろいいんじゃないんですか。先生は今までずっと沙織さんのことを想い、そして先生の書く作品の中にあり得ない可能性を込めて想いを伝えてきたんじゃないですか。……奇跡は起こらなかった。物語には必ずエンディングがあります。先生、もうこの先生と沙織さんの物語は終焉しているんですよ」
俺と沙織の物語は終焉している。
田中に言われたその言葉が、自分の中にある何かに響いた。
「先生、私も今日は失礼します」
肩掛けのバックを持ち軽く頭を下げ、田中は何も言わず立ち去った。
残されたのは、テーブルに飛び散った珈琲と冷め切った。
フレンチトースト。
そのフレンチトーストを口にした。甘いはずのそのフレンチトーストは、なぜか塩辛く、そして苦かった。
椅子に座り、フレンチトーストを噛みしめながら……。俺はあふれる涙を止めることはできなかった。