十月八日、土曜日。
 夕べの送別会で飲み過ぎて、今朝は頭痛で起き上がれなかった。
 十一時前にやっとごそごそ動き出したら、両隣でも物音がし始める。
 きっと二人とも寝てたんだね。
 本当なら、今朝一番の新幹線で帰りたかった。
 今日は、待ちに待った福岡への帰還。
 純平さんもきっとわたしの帰りを首を長くして待っていてくれてるはず。

 ごめんね。
 
 体は起きたものの、胃はまだ活動停止状態で、お水以外は受け付けなかった。
 サンドイッチでも買って、新幹線の中で食べよう。
 荷造りは出来ていた。
 かばん一つで来て、かばん一つで帰る。
 本社の人に、お土産でも買って帰えろうかな?
そう言えば、こっちに来てからまったく連絡取って無かったけど、奈々美元気にやってるかな?
 めぐみと電話で話した時も、彼女の事は話題に上がらなかった。
 部署が違うから、あまり接点は無いけれど、それでもお昼は一緒に食べて無かったのかな?
 まあいい。
 帰ったら電話してみよう。

 お昼を過ぎ、もう一度林田くんと鶴田さんがわたしの部屋にやって来た。
 やはり二人とも飲み過ぎた様子。
 二日酔いの辛さが抜け切れていない感じだった。

「本当に今日でお別れなのね」
「そうね。でも、電話では話そう。鶴田さん、またわからない事があったらいつでも聞いてね」
「ありがとう。月曜日から清美ちゃんがそばにいないのは不安だけど、わたし頑張るから」
「美咲ちゃん、こいつがいなくなっても俺がいるし。淋しい思いはさせないよ」
「わっ、何か今、鳥肌が立った」
「ちょっとな~」
「ごめんごめん。林田くん、頼りにしてますよ」
「何か、全然心がこもってないんですけど?」
「バレた?」
「ったく……」
「まあまあ、二人とも仲良くね。さてと、それじゃそろそろ行くね」

 一ヶ月お世話になった部屋に別れを告げ、鍵を返しに行く。

「それじゃ、元気で」
「いつか福岡に遊びに行くから」
「うん、待ってる」

 こうしてわたしは駅に向かった。
 新幹線の発車までまだ三十分ほど時間がある。
 純平さんに博多に着く時間を知らせた後、お土産を物色しに行く。
 自分の荷物はかばん一つだけど、お土産で両手がふさがってしまった。
 純平さんのお迎えがある事を前提に買いまくってしまった。
 これで自宅まで一人で帰らなければいけないのなら、絶対にキツイ。

 両親からのリクエストのさつま揚げも買ったし、よし準備万端。
 新幹線の所定の席に座り、隣の席とその足元に、荷物を全部置いた。

 さて、しばらく寝ますか。
 そして目が覚めた頃にはきっと気分も回復しているはず。

 ゆっくりと走り出す。
 滑り出すと言う表現がぴったりなスムーズな動きだった。

「あっ……」

 頭がガクンと揺れて目が覚めた。
 やっぱり眠ってしまっていた。
 気が付くと新幹線は熊本を過ぎ、もうすぐ福岡に入ろうとしている所だった。
 そんなに寝てたんだ、わたし。
 隣に目をやると、置いた時から変わらずじっとしているカバンと紙袋が見えた。
 反対側の座席には誰も座っていない。
 良かった。
 知らない人から寝顔を見られなくて。

『もうすぐ着くよ』

 とメッセージを送る。
 でも、返事が来なかった。
 どうしたのかな?
 そうか。
 運転中だね、きっと。
 ああ、早く会いたい。

 それから二十分ほどして、終点『博多』に到着。
 あー着いた。
 やっぱりここが落ち着く。
 さっきまで鹿児島にいたとは思えない。
 新幹線が開通してから、本当に福岡と鹿児島は近くなったと実感した。

 両手に荷物を抱え、改札を抜けた。
 あれっ?
 ここにいるんじゃなかったのかな?

 その場に荷物を置き、メッセージを確認。
 既読になっていなかった。
 
『着いたけど、どこ?』

 もう一度メッセージを送る。
 そのまま画面を見ていたけど、既読がつく事は無かった。
 不安が過ぎる。
 もしかして、迎えに来てくれてる途中で事故に遭ったんじゃ……

 今度は電話を掛けてみた。
 続く呼び出し音。
 純平さんは出ない。
 どうしちゃったの?
 そわそわしながら待つ事三十分。
 名前を呼ばれた方を振り向くと、手を振り走ってくる純平さんの姿があった。

「純平さん! も~どうしちゃったのよ。心配してたんだから」
「ごめんごめん。わっ、すごい荷物だね。それ、お土産?」
「うん」
「持つよ」
「ありがとう」

 純平さんは何事も無かったかのようにしている。
 どうして遅れたの?
 その理由も話してはくれなかった。
 そのまま純平さんのマンションに行く。
 今日はここに泊まって、明日自宅に戻る。
 そして月曜日からまた本社の倉庫での業務だ。

「疲れただろ?」
「うん。昨日飲み過ぎちゃったから、実は新幹線の中で寝てたの」
「また飲んだのか? 林田達も一緒?」
「うん。林田くんと鶴田さんが送別会開いてくれたの」
「また意識無くして林田におんぶされて帰ったとかないよな?」
「大丈夫よ。夕べはちゃんと歩いて帰れました」

 で、純平さんはどうして遅れたの?
 聞きたいけどなぜだかためらってしまう。

「今夜は俺が料理するよ。もうメニューは決めてるんだ」
「嬉しい」
「清美」
「うん?」
「会いたかった」
「わたしもよ」

 純平さんから抱きしめられる。
 彼の匂いだ。
 鹿児島に来てくれたのがずっと昔のような気がする。
 これからはずっと一緒にいられるんだね。

 夕方になり、キッチンに立って料理を始めた彼。
 手伝おうとしたけれど、ゆっくりしててと言われ、ソファーに座ってテレビを観ていた。

 と、しばらくしてテーブルの上にあった彼の携帯が鳴り出した。
 えっ……
 画面に表示されていた名前、それは春川奈々美だった。
 どういう事?
 どうして純平さんの携帯に掛かって来るの?

「誰?」
「……はい」

 それを持ってキッチンにいた純平さんに渡す。
 一瞬眉間に皺を寄せ、そのあとすぐにわたしの方を見た。
 そして、マズイというような顔を見せた後、なぜかベランダに出て電話に出た。
 わたしの思い過ごしよね?
 まさかわたしが鹿児島に行ってる間に、奈々美と何かあったりしてないよね?
 もしそうだったら、きっとめぐみが教えてくれたはず。
 そんな連絡は一度も無かった。
 一度も……
 もしかして、何かあって、めぐみはわざと奈々美の話題に触れなかった?

 キッチンでは鍋の蓋がガタガタと揺れている。
 湯気が換気扇に吸い込まれ、異次元空間に消えていくように思えた。

 電話を切った彼が戻って来る。

「奈々美、何の用事だったの?」
「わっ、温め過ぎた。ごめん後で話すよ」
「……」

 今話して。
 どうして奈々美から電話があるの?
 わたしがいない間に何があったの?

 怖くてそれが聞けない。
 食卓に、彼が作ってくれた料理が並ぶ。
 サラダにビーフシチュー、それから本格的なパエリアだった。

「豪華だね」
「いや、そんな事は無いよ。それじゃ食べようか」
「うん。頂きます」

 頭の全体を占めている奈々美の事。
 それでも今は目の前の料理を口に運ばなきゃと言い聞かせる。
 食欲はあまり無い。
 昔から、ちょっと心配事があるとすぐに食欲が失せてしまう。

「美味しい」

 頑張って笑顔を作る。
 心は泣きそうだった。

「初めて作ったけど、わりと美味しく出来たよ」

 そうだね。
 シチューもパエリアも美味しいよ。
 だけど、舌が本当の味を吸収してはくれない気がした。

「ごめん。奈々美ちゃんの事だよね?」
「えっ?」
「それが気になって、本当の笑顔になれないんだろ?」
「……」

 しばしの沈黙。
 そして彼が話し始めた。

「彼女とは、たまに休みの日に公園で会ってた。まどかちゃんを連れて遊びに来てたんだ」
「そう」
「でさ、今日も午前中散歩に行ったら二人がいた。それで、まどかちゃんと遊んでいたら、遊具に指を挟んじゃったんだ。俺が遊ばせてた時だったから責任感じてさ。彼女は大丈夫だって言ったんだけど、病院に連れて行った」
「そっか。だから遅れたんだね」
「ごめん。約束してたのに」
「それで、まどかちゃん大丈夫だったの?」
「うん。幸い小さい子は指の関節も柔らかくてさ、大人だったら骨折してたかもしれなかったんだけど、内出血だけで済んだよ」
「良かった」

 わたしってダメだな。
 心から良かったって思えない。
 わたしの迎えよりもそっちを優先したから怒っているの?
 そんな心の狭い人間だったなんて、自分が嫌になる。
 純平さんは子どもが好きなんだよね。
 奈々美の子どもじゃなくても、小さな子が怪我したりしたら放っておけない人なんだよね?
 誰にでも優しいんだよね?

 そうに決まっている。
 そう自分に言い聞かせないと、もっと嫌な自分になってしまう。

「さっきのはお礼の電話。彼女一人で不安だったらしい。まどかちゃんも、いつもと変わらずご飯を食べ出したってさ。ごめんな。余計な心配掛けて」
「ううん。大丈夫」

 大丈夫じゃないけど大丈夫。
 そう思わないといけない。
 食事が終わり、シャワーを浴びてベッドに入る。
 この日を待ちわびていたはずなのに、心のもやもやは晴れなかった。

「清美、愛してる……」

 彼の優しいキス。
 前と何も変わっていないはずなのに、距離を感じてしまうのはなぜ?
 奈々美との間に何かあるわけが無いじゃない。
 純平さんも今日の出来事を正直に話してくれたじゃない。
 そう自分に言い聞かせ、彼の唇を求めた。
 いつものようにわたしの中に入って来る彼。
 その部分は既に潤いに満たされている。
 大丈夫。
 純平さんはわたしを愛してくれている。

「純平さん。もっと激しくして」
「清美……」

 突き上げてくる快楽。
 彼はわたしだけのものよ。
 そして、わたしも彼だけのもの。

 目が覚めると、既に外は明るくなっていた。
 昨夜のモヤモヤもすっかり消え、彼より一足先にベッドを出てシャワーを浴びた。

「おはよう」
「おはよう。待っててね。もうすぐ朝ごはん出来るから」

 冷蔵庫から勝手に食材を拝借し、少ないレパートリーの中から何とか二品作りあげた。
 食パンが残っていたので、トースターでこんがりと焼き、バターをたっぷりと塗る。

「お待たせ」
「わっ、旨そう」

 簡単な朝食を済ませ、外でランチを摂った後、明日の仕事に備えて早めに自宅に戻った。
 一ヶ月振りの両親との再会。
 何だか不思議な気持ちだった。
 お土産のさつま揚げを渡すと、早速お父さんはそれをつまみに晩酌を始める。

「お父さん、わたしもビール飲みたい」
「そうか。清美、二十歳になったんだわね。それじゃお母さんも飲んじゃおう。三人で乾杯よ」

 二十歳になった途端、お酒を飲む機会が増えた。
 飲む度に強くなってる気がする。
 もしかしてお父さんの遺伝子を強く引き継いだかしら。

「鹿児島はどうだった?」
「楽しかった」
「仕事して来たのに楽しかったの?」
「そうよ。人に教えるって、最初は不安しかなかったけど、やってみるとすごく楽しかった」
「そうなの?」
「うん。わたし、行って良かったよ。これまで嫌な事から逃げようとしていたけど、やってみると案外出来ちゃうもんだね」
「清美、成長したな」

 しみじみとした口調でそう言うお父さん。
 だといいな。
 もっともっと成長出来るといいな。

「お父さん、もう一杯」
「おいおい、すっかり酒豪になったんじゃないのか?」
「まだまだお父さんの足元にも及びません」
「追いつかれちゃ困る。お前は女の子なんだからな」
「そうよ。お酒はほどほどにね」
「はーい」