「それじゃ、行ってきます」
「ああ。気をつけて」

 改札口で、まるで永遠の別れかというくらいにハグし合った。
 まだこの時間、通勤客の姿は少ない。
 博多発、六時十分の新幹線つばめ三〇七号で鹿児島中央駅を目指す。
 七時五十八分到着なのであっという間だ。
 以前父親の運転で宮崎に遊びに行った事があるけど、車だと宮崎まで四時間近くかかった覚えがある。
 やっぱり新幹線は速い。
 それから鹿児島支店まではバスで二十分ほどらしい。
 純平さんに行き方を教わり、シュミレーションもばっちりだ。
 
 それじゃ行って来ます。
 LINEや電話でこまめに連絡取ろうね。

 改札を抜け、通りに出ると夏の暑さにめまいがした。
 もう九月だというのに、まったくそう感じないこの暑さは何?
 南九州はまだまだ夏真っ盛りだった。

 調べたバスで会社に向かう。
 駅から三つ目の停留所。
 そう離れてはいない。
 市内はたくさんの車が行き交っていた。

 バスを降り、五分ほど歩いた所に会社はあった。
 今日から一ヶ月、会社の独身寮で暮らす。
 会社まで三分という立地にあってとても便利だ。
 荷物を抱えたまま会社の受付で挨拶をする。
 そこにいた女性の一人が寮に案内してくれた。

「暑かったでしょう?」
「はい。こちらはまだ夏って感じですね」
「あと半月もしたら、朝夕はだいぶん涼しくなるとは思うんだけどね」

 寮は、三階建ての横長い作りになっていた。
 一部屋ずつちゃんとしたベランダもついている。
 それから、エアコンの室外機も全部の部屋に設置されていた。

「はい、これが鍵。二階の三号室よ」
「ありがとうございます」
「それじゃ先に戻っているから、荷物の整理が終わったらまた受付に寄ってね。部長から、十時までに出社してもらえればいいって言われてるから、それまでゆっくりするといいわ」
「わかりました」

 ガチャリ

「わっ」

 わたしが来る事がわかっていたからか、カーテンが開けられ、掃除も済ませてあった。
 ありがたい。
 誰がやってくれたのかな?
 後でお礼を言わなくっちゃ。

 備え付けのクローゼットに持ってきた服を掛ける。
 洗面道具はお風呂場に、わずかな食器は流し台の横に置いた。
 必要最小限の物しか持って来なかったので、整理にかかった時間はわずか十分程度。
 時間、余っちゃったな。
 とりあえず窓を開けて空気の入れ替えをした後、クーラーをつけた。

 仕事中に悪いかなとは思ったけれど、純平さんに無事到着した事を報告した。
 するとすぐに返事。
 頑張れという励ましのメッセージも添えられていた。
 再び会社を訪れたのは十時少し前だった。
 さっきの受付の女性が、事務所に案内してくれた。

「花田部長、小田さんがお見えです」

 事務所の一番奥の席に座っていた人が立ち上がり、わたしの所までやって来ると、中で働いていた人達に紹介してくれた。
 見知らぬ人から一斉に視線を向けられ、最初は緊張してしまったけれどそれもつかの間。
 今度は倉庫の方に連れて行かれた。

「みんな、ちょっと作業の手を止めて集まってくれ」

 部長の呼びかけで、倉庫にいた人達が集まって来た。
 その中には、林田くんの姿もあった。
 目が合って、思わず口元が緩んだ。
 え?
 彼が目を伏せた。
 その後も、わたしの方は見てくれない。
 石原部長が言ってたみたいに、様子が変だ。
 一体何があったの?

「えー、今日から一ヶ月、新人教育と倉庫の改革をしてもらう小田清美さんだ。本社の倉庫から来てもらった。みんな、宜しく頼むよ」
「小田です。宜しくお願いします」

 こんな小娘が?
 という視線を浴びせられた。

「ほら、みんな態度が悪いぞ。若い子が知らない土地に来てくれたんだ。もっと優しくしてくれ」
「わたし、松原佳穂です。パートの中で一番ベテランのおばさんよ。宜しくね」
「宜しくお願いします」

 松原さんの挨拶を皮切りに、みんなが名前を言ってくれた。
 だけど、多すぎて覚えられないよ。
 とりあえず、松原さんだけはインプット。
 わからない事は彼女に聞こう。

「それじゃ小田さん、会議室まで来てくれ」
「はい」

 部長の後を追う。
 会議室に入ると、そこに一人の女性が座っていた。
 わたし達が姿を見せると、すくっと椅子から立ち上がる。

「紹介するよ。こちらが今日から働いてもらう鶴田美咲さんだ。小田さんと同じく社員としての雇用だ。将来的には、パートさんをまとめるリーダーになってもらいたいと思っている」
「鶴田美咲です。宜しくお願いします」
「小田清美です。本社から来ました。宜しくお願いします」
「小田さん、何歳だっけ?」
「もうすぐ二十歳です」
「そうか。それじゃ鶴田さんが学年で言ったら一つ上かな? だが、ほとんど同じ年って事で話しやすいだろ? 宜しく頼むよ」
「はい」
「えっと、もうすぐ昼だな。時間になったら一緒に食事に行こう。それまでここで雑談でもしててよ。仕事は昼からって事で」
「わかりました」

 部長が出て行き、会議室に取り残された。
 どうしたもんかな。
 わたし、初めての人って苦手。
 極度の人見知りで、何を話したらいいのかわからない。

「誕生日、いつですか?」
「えっ?」

 横に座っていた鶴田さんから急に質問され驚いた。
 見ると、にっこりと笑った彼女が、わたしの答えを待っているところだった。

「九月十日です」
「それじゃ、今週末じゃない」
「そうなんですよ。記念すべき二十歳の誕生日を一人で過ごさなきゃいけないなんて最悪です」
「恋人と過ごしたかったとか?」
「ええ、まあ」
「いるんだ、彼氏。いいな~」
「そういう鶴田さんは、彼氏いないんですか?」
「うん。今まで誰とも付き合った事がないの」
「えっ? それじゃ」

 バージン? 
 って聞きそうになって思わず口を押さえた。

「言いたい事わかるわよ。男性経験ゼロ。いつまで続くんだろ」

 綺麗な人なのに、彼氏がいないのが不思議だった。

「わたしも、つい数ヶ月前までそうでした。だから、恋人っていつどこで急に出来るかわからないものですよ」
「来るかな~わたしにも、そんな時が」
「来ますよ、絶対」
「ありがとう。そんなに力強く言ってもらうと、本当にそうなる気がするわ」
「大丈夫です」
「ねえ、タメ口でいいわよ。年齢も変わらないんだし、あなたの方が先輩だもの」

 そう言われ、部長に食事をご馳走になった席からすでに、わたし達は昔からの友達のようなノリになれた。
 こんなに早く打ち解けられたのは彼女が初めてだった。 
 それから、寮でも部屋が隣同士。
 この一ヶ月、楽しく過ごせそうだ。

 午後から倉庫に入る。
 ここでの仕事の流れをざっと観察し、もっと効率よく出来そうなところはメモに残した。
 そのうち、倉庫のパートさんに伝えよう。
 初日から口出しする勇気は無い。

「鶴田さん、それじゃ、ピッキングをやってくれる? 簡単な指示書を選んでこの箱に入れておくから、ここから取って集めて来て」
「はい」
 
 良かった。
 素直な人で。
 この人なら、すぐに仕事も覚えてくれそう。

 ところで、林田くん、どこにいるのかな?
 午後から全然姿を見ていない。
 鶴田さんが商品を集めて戻って来る間、倉庫の中を見て回りながら林田くんを探す。
 福岡にいた頃は、倉庫内を走り回っていた彼。
 五分以上姿を見ないなんて事は無かった。

 鹿児島の倉庫は、福岡の本社よりも広い。
 在庫の数も多いので、探すのは大変そうだ。
 だけど、その分従業員の数も多い。
 パートさん中心だけど、みんな慣れた人なので動きは良かった。

「松原さん」
「はい?」

 途中で松原さんを見つけ声を掛けた。

「林田くん、知りませんか?」
「ああ、あの人だったら、また屋上でサボってるんじゃないの?」
「えっ?」
「社員さんを悪く言うのはあれなんだけど、彼、働かなくてね、男手がいる時もあるのに、しょっちゅう消えるのよ」

 どういう事?
 あの林田くんがどうして?
 
 鶴田さんの仕事ぶりをチェックしながらも、帰って来ない林田くんの事が気になる。

「鶴田さん、この箱の中のを集めてしまったら、こっちにあるものも集めてみて。わたしちょっと席外すから」
「はい」

 いてもたってもいられず、わたしは屋上に続く階段を上がった。
 突き当たりに、鉄の扉があり、丸いドアノブを回すと、扉は簡単に開いた。

 ジリジリとした日差しが肌を刺す。
 本当にこんな所にいるの?

 辺りを見回すと、屋上の端っこに彼がいた。
 柵にもられてタバコを吸っている。

「林田くん」
「……」
「久しぶり。電話くらい掛けて来てくれてもいいじゃん。まったく音信不通なんて、淋しいな~」
 
 意識して明るくつとめた。
 そうしないと、何て言ったらいいのかわからない。

「元気そうだな。っていうか、変わったな、お前」
「えっ?」
「綺麗になったし、明るくなった」
「実は、彼氏が出来まして~」

 薬指のリングを見せる。

「そう」
「そうって、それだけ?」
「何て言ったらいいんだよ。相手は誰? とか聞いた方がいいの?」
「実はさ、総務部の椎名純平さんなの」
「えっ! あの、モテまくり男?」
「そう。その人が、わたしの恋人。信じられないでしょ?」
「良かったな」
「えっ?」
「えって何?」
「林田くん、調子狂うな~ 前だったらきっと、ありえね~ お前きっと遊ばれてるだけだってとか言う人だったよね」
「……」
「ちょっとちょっとどうしちゃったの?」
「別に」
「元気無いじゃん。あ、そうだ、めぐみと漫才やれなくなって淋しいんでしょ? だったら大丈夫。わたしが相方になってあげる」
「ばーか。お前に俺の相方が務まるかよ」
「あ、言ったわね」

 彼がほんの少し笑ってくれた。
 それだけでもちょっと進歩かな?

「お前初日からサボり過ぎ。ほら、仕事に戻るぞ」
「あなたに言われたくないわ。誰よ、わたしが来る前からずっと休憩してた人は」
「俺はいいんだ」
「はあ? よくないわよ。ほら、重たい物もあるんだから、さっさと戻ってちょうだい」

 彼の背中を押してドアの所まで移動。

「ほら」

 彼は仕方ないな~というような顔をして、扉を開けた。
 二人で倉庫に戻ると、パートさん達の顔が、何か嫌な物でも見たみたいになった。
 それと同時に、さっきまで笑顔を見せていた林田くんが急にしょんぼりしたように思えた。
 うつむきながら、倉庫の奥に消えた。

 林田くん、一体どうしちゃったのよ。

「鶴田さん、ピッキングはもう大丈夫そうね」
「小田さんがわかりやすいものを選んでくれたからよ」
「それでも、これだけ出来れば十分よ」
「ありがとう」
「それじゃ、次は検品の仕方を教えるわね」

 それから午後四時になると、パートさんは帰って行った。
 パートさんは、午前九時から四時まで。
 そこから先、社員だけが残る事になる。
 福岡では、仕事が片付かない時には四時半までのパートさんも一時間延長で残ってくれたりする。
 だけど、こっちにはそれが無いようで、時間になったら仕事が残っていようといまいとさっさと帰ってしまう。
 ピッキングの途中でも、後は宜しくと指示書を渡された。
 せめて、これを集め終わるまではやろうよ。
 そう言いたかったけど、わたしには言えない。

「パートさん、時間になったらまるでロボットのように帰って行くんだ~」

 鶴田さんもその様子を見送りながら驚いていた。

「あれはちょっとねぇ……」
「そうね、何か、やる気無くすっていうか、一緒に頑張ろうって気持ちを削がれちゃう」
「ま、仕方ないのかな? 割り切るしか」
「それじゃ小田さん、残り片付けましょう」
「そうね。えっと、林田くんまたどっか行っちゃったな」
「林田くんって、倉庫に唯一一人だけの男性社員の人?」
「うん。彼、福岡にいたの。そこで知り合ったんだけど、昔は明るくてよく働く人だったのよ」
「そんな風には見えないけど」
「そうよね。昔を知らないと、そう思っちゃうよね」
「何だか暗くて、近寄りたくないな」
「本当はいい人なのよ。だから、何があったのか、知りたいの」
「やっぱり、おばさんばかりの倉庫に一人っていうのと、わたし達が感じたように働く意欲を削がれたんじゃないかな?」

 そうかもしれない。
 きっと彼はここでも明るく頑張っていたはず。
 だけど、毎日毎日女性だけの職場で、しかもあんなに割り切った仕事の仕方をする人達と過ごしていたら、暗くなっていくのもわかる気がする。

「鶴田さん、わたしここにいる間に、林田くんを昔みたいに元気な人に戻すわ。だから、わたしが帰った後は、あなたにお願いしたいの」
「え~でもわたし、彼の事何も知らないし、今日だって一言も話さなかったのよ」
「だから、仕事が終わったら、三人で飲もう」
「えっ?」

 あっ、林田くんだ。
 倉庫の奥からぬっと顔を出した彼。
 パートさんがいないのを確認してわたし達の方にやって来た。

「ちょっと、林田くん、かくれんぼしてるわけじゃないんだから、消えないでよ」
「……」
「ほら、残りの仕事ちゃっちゃと片付けて、今日はうちで飲むわよ」
「えっ?」
「林田くん、何号室?」
「二〇二だけど」
「えっ、それじゃわたし達くっついてるんだ~」
「えっ?」
「わたしが三号室で、鶴田さんが四号室よ」
「そう」
「だったら飲み過ぎちゃってもいいわね。すぐ帰れるから」
「お前まだ未成年だろ?」
「そうよ。だからわたしはノンアルよ。でもそれもあと少し。土曜日が来たら飲めちゃうんだな~」
「土曜日、誕生日?」
「そう」
「可哀想に。彼氏と離れ離れの誕生日だなんてさ」
「でしょ~ だから代わりに林田くんが祝ってよ」
「俺?」
「そう」
「まっ、いいけど。どうせ用事無いし」
「わたしも行ったらお邪魔かしら?」
「鶴田さんもお祝いしてくれるの? 嬉しい。よし、それじゃ店の予約は林田くんに任せた。九月十日土曜日、七時に三人ね」
「オッケー」
「って、事で、今日は歓迎会って名目で飲みましょう」
「お前、二十歳になったら毎日何かしらの口実を作って飲みそうだな」

 仕事の切りがついたところで、わたしと鶴田さんは先に買出しに出掛けた。
 最後の戸締りは、林田くんがやってくれる。

「スーパー、この辺だよね?」
「うん」

 受付の人から書いてもらった地図を頼りに、会社から十五分くらい歩いて来た。
 鶴田さんも少し離れた町から来たので、この辺りの地理には詳しくない。
 
「あった」

 見つけたスーパーでつまみとお弁当、ビールとチューハイを買い込んだ。
 
「小田さんが言ってたように、林田くんって本当は明るい人なんでしょうね。さっきの二人のやり取り見ていてそう感じた」
「そうなのよ。本当は、本社にめぐみっていう同僚がいるんだけど、その子と林田くんが名コンビだったの。彼女がいたら、もっと林田くん元気になれるんだろうけどね」
「小田さんとも息ピッタリって感じよ」
「わたしね、本当はちょっと無理してる。あ、彼には言わないでよ。本当はわたし、こんなキャラじゃないのよ」
「そうなの?」
「めぐみの真似してる……のかな。めぐみだったらこう言うだろうなって想像しながら話してる。わたしは、彼女にくっついてたまに合いの手入れてる存在だったのよ」
「無理してるようには見えないよ。本当はあなたも明るい人じゃないの?」

 そうかもしれない。
 小学校までは本当に元気な子だった。
 親や親戚の人も笑わせてたし、学校でも笑いの中心にいた。
 長い事忘れてしまってたけど、昔のわたしに戻れてる気がする。

 部屋に戻り、わたしが用意したテーブルと、鶴田さんの部屋から持って来てもらったテーブルを合わせて、その上に買って来たものを並べた。

「良かった。テーブル貸してもらって」
「一つじゃ、乗らなかったね」
「だね」

 トントン

「はーい」

 扉を開けると、同じスーパーの袋を抱えた林田くんが立っていた。
 ここから一番近いスーパーはあそこだから、みんな利用しているようだ。

「入って」
「お邪魔します。はいこれ」
「ビール?」
「冷蔵庫に入れとけよ。来週から飲めるだろ?」
「ありがとう。でも、今日二人で飲んじゃうんじゃないの~~~」
「俺、あんまり飲めねーし」
「そうだった?」
「向こうじゃ一緒に飲みに行った事ないから知らねーだろ?」
「うん、知らない。でも、飲みそうな顔してる」
「どんな顔だよ、それ」

 プシュッ

「それじゃ、鶴田さんの入社と、わたしの出向を祝して、乾杯!」
 
 缶ビールと缶チューハイ、そして缶のノンアルがぶつかり合った。
 そして、それぞれの喉に流し込まれていく。

「うめぇー」
「本当!」
「あ~スカッとする~」

 つまみを食べながらの談笑。
 林田くんが笑ってる。
 しばらく笑って無かったんだろうな。
 今日は思いっきり楽しく過ごそうね。

「鶴田さんって、市内に住んでるんだろ? なのに寮?」
「実家から出たくて」
「そうなんだ」
「うち、母が再婚して、新しい父とぎくしゃくしちゃって」
「へぇ、いろいろあるんだね」
「だから、この会社に寮があるって知った時は、凄く嬉しかった。とにかく実家から出たかったから」
「でも、林田くん良かったね。おばさんばっかりの中に花が二輪も咲いて」
「お前らの事言ってるの?」
「そうよ」
「うん、まっそうかな」
「認めるんだ~」
「だって、ずっとおばさんの中にいたんだぜ。元気無くなるさ」
「本当、びっくりだよ。あんなに元気だった林田くんがふさぎ込んじゃってるんだもん」
「女ばっかりだとよ、いろいろあるんだよ。派閥って言うの? それに俺、暗い奴ってレッテル貼られて、まる無視さ。正直キツくてさ」
「それを相談する人もいなかったんだね」
「まあね」
「だったらわたしやめぐみに電話してくれたら良かったじゃん」
「男が愚痴るのもみっともないだろ」
「いいじゃん別に。わたし、聞くよ」
「ありがとう。お前、いい奴だな」
「今頃気づいたの?」
「だいたい、俺が本社にいた頃、お前いっつもめぐみの後ろにいたっちゅうーか、存在薄かったじゃん」
「まあね」
「驚いたよ。好きな人が出来ると、女ってこんなに変わっちまうもんなんだな」
「そりゃー愛のパワーは凄いですよ」
「しかし、椎名さんとお前がくっつくとはな」
「何か?」
「いや。まあ、幸せならいいさ」
 
 幸せですよ。
 世界で一番幸せですよ。
 だから、わたしは他の人にも幸せになってもらいたいの。
 昔、辛い経験をした人も、今まで幸せだったけど絶望の淵に立たされた人も。
 みんなにこれからまた幸せになって欲しいの。

 
「おっ、飲んでしまった」
「あんまり飲めないって言ってなかった?」
「あんまり、だろ? 一本だけしか飲めないとは言ってない。それに、久しぶりに旨い酒、飲めた」
「よ~し、それじゃ鶴田さん、一緒に林田くんをべろんべろんにしちゃおう」
「お~」

 お~って、鶴田さん、少し酔ってる?
 いや、けっこう酔ってるよね、その目。
 かなり座っちゃってるよ。

「清美ちゃ~ん、わたしももう一本!」

 名前で呼ばれちゃったよ。
 まっ、いいか。
 二人とも楽しいお酒を飲んじゃって。

 プルルル プルルル

 電話?
 画面を見ると、純平さんからだった。

「もしもし」
『清美? 仕事終わった』
「うん」
『何か、回りが騒がしいみたいだけど?』
「あー、今、新人の鶴田さんと林田くんが部屋に来てて」
『部屋に男、入れたのか?』
「男って、林田くんよ。それに二人っきりじゃないし」
「何? 彼氏? 俺がいるから心配してんの?」
「ちょっと黙ってて」

 まずい。
 林田くんが暴走してる。
 お酒、飲ませるんじゃなかった。

「ちょっと貸して」
「あっ、ちょっと!」

 林田くんに携帯を奪われた。

「返して」
「もしもーし、椎名さんですか? お久しぶりでーす」
『ああ、元気だったか?』
「元気無かったんですけど、ここにいる花二輪に元気にしてもらいました~」
『お前、酔い過ぎだろ。清美に手、出すなよ』
「わかりませ~ん」
『お前っ』
「嘘でーす」
『もう飲むな。さっさと帰って寝ろ』
「ちょっと椎名さん、まだ飯食ってないっす」
『だったらさっさと食べて帰れ。おい、清美と代わってくれ』
「清美~ 椎名さんが代われってさ」
『お前が呼び捨てするな!』

「もしもし」
『清美、いますぐそいつを放り出せ』
「え?」
『危ない。酔ったやつは何をするかわからん』

 電話の向こうで純平さんがマジで怒ってる。
 近かったらすぐに飛んでくる勢いだ。

「わかったよ」
『いいか、絶対だぞ』
「うん」

 電話を切る。
 純平さんがあんなに強い口調で話すの初めて聞いた。
 何だか怖かった。

「林田くん、悪いけど帰って。お弁当、持って帰っていいから」
「ごめん、やり過ぎたかな~。久しぶりにテンション上がっちゃって」
「楽しかったならいいわ。でも、お酒はほどほどにね」
「は~い。そんじゃ、また明日」
「うん。明日は元気に働いてね」
「わかった」
 
 彼を帰し、部屋には鶴田さんとわたしだけになった。

「彼氏さん、清美ちゃんの事が大好きなんだね」

 鶴田さんもぽわ~んとなっちゃってる。
 
「鶴田さんも酔ってるね」
「大丈夫。まだ意識あるから~」

 その程度かい。
 やっぱりお酒は怖いね。

「お弁当食べる?」
「お腹一杯になっちゃった~」
「だったら鶴田さんも持って帰って、冷蔵庫に入れといて」
「ありがとう。それじゃ、帰って寝ようかな」
「そうだね。また明日頑張ろう」
「うん。おやすみ~」
「おやすみ」

 彼女も帰り、部屋が静まり返った。
 林田くんが元気になってくれたのはいいけど、純平さん、あんなに怒らなくてもいいじゃん。
 何か嫌な気持ちになっちゃった。
 お風呂入って、寝よっ。