天使にまつわるエトセトラ 〜40歳で母になりました〜

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
(2020年1月)

思い返せば、去年のお正月は主人の実家にも私の実家にも帰省せず(共に遠方)、結婚して初めて、主人と2人、自宅で新年を迎えました。いやー、自宅で観る紅白歌合戦の、新鮮なこと新鮮なこと。
というのも、去年の今頃は絶賛つわりの真っ最中。
加えてインフルエンザの大流行で、人混みを歩くのも憚られたからです。旅行なんて、とんでもない。

なんや色んな制限からフリーになった途端に妊娠したもんだから、またもや制限だらけの生活に戻ってしまったじゃないかちくしょう!!、、、と、思ったとか思わなかったとか(いやめっちゃ思った)。嬉しい悲鳴なんですけどね。

多くの妊婦が経験するこのツワリにも、色んなタイプがあるらしい。代表的なものは、胃が空になると気持ち悪くなる「食べづわり」と、胃にものが入ると気持ち悪くなる「吐きづわり」。
わたしは、この両方が絶妙にブレンドされた感じの「食べても空腹でもどっちも気持ち悪い」タイプでした。どうしよう逃げ場がない(笑)。空腹時と満腹時の、気持ち悪さの質が違うんですよね。違うんですけど、気持ち悪いことに変わりはないので、なんかもう、日がな一日横になってました。幸い、実際に吐くところまでは行かなかったんですが、オエッと嘔吐く(えずく=吐き気を催す)事が多かったかな。
もうね、全然食欲が湧かないんです。でもお腹は空く。
仕方ないので、食べられるものだけ、食べてました。果物と、白いご飯と、ヨーグルトで生き延びた感じです。基本的に、揚げ物、炒め物、肉、魚、パンはダメでしたねー。

でもこれ、段々分かってきたんですが、日によって体調に差があって、調子の良い日は香辛料の効いたエスニック料理も食べられるのに、ダメな日はただの水も気持ち悪いんです。(何故だ!)
で、それは当日になるまで、もっと言えば、その日その時間、その料理を前にするまで、行けるのか行けないのか全く分からない。予想が出来ない。対策も立てられない。ああ、たちが悪い。
不思議ですよね、人間の体って。

さて、妊娠と同時に自分がそんな状態になるなんて予想もしていなかった私は、表紙に書いた通り、この時期にコンサートの予定を入れまくっていました。(…詰んだと思った)

迫りくる吐き気!
迫りくるステージ!
迫りくる終電!(笑)。

そんな模様は、次回に。
娘が起きたので今日はこの辺りで。

皆さま、お正月の疲れが出る頃かと思います。
ごゆるりとお過ごしくださいませ。
受精卵の着床、妊娠の陽性反応と共に、早くも「悪阻=つわり」が始まってしまった2018年の11月。
それは私にとって血湧き肉躍る音楽イベントの、繁忙期でした。

妊娠の判定日が11月6日。
その3日後には、とあるピアノコンペティションの第一次予選の開幕が控えていました。

「浜松国際ピアノコンクール」です。

読書好き、という方は。
あるいは私の過去エッセイを読んで下さっていた方はご存知かもしれません。
直木賞と本屋大賞をダブル受賞し、昨年には映画化もされ話題になった恩田陸さんの著作『蜜蜂と遠雷』のモデルとなった舞台です。

そうです。
要するに、聖地巡礼です。
巡礼…それはオタクが最もテンションの上がる行事。
あの栄伝亜夜が、マサルが、高島明石が、風間塵が、己の才能と努力を10本の指に込め至高の音楽を目指して繰り広げた闘いの舞台が、すぐそこにっ!!(すみません、暑苦しい。)

しかも、このコンクール、開催は3年に一度。
今回を逃したら次は2021年。
そんなの、行かない訳には、いかないじゃないですか、ねぇ。←知らんがな

あの分厚い『蜜蜂と遠雷』を、通しで3回読んでしまったくらい原作ファンであった私は、この浜松国際ピアノコンクールのチケットが発売された夏、1次予選のうち2日間、2次予選のうち2日間、3次予選は全2日間、本戦(ファイナル)全2日間と合計8日分のチケットを、既に押さえてしまっていました。鼻息も荒く、行く気マンマンだった訳です。

ところがどっこい。
つわり、開幕3日前に、まさかの襲来。

ヤベぇ、詰んだ。と思いました。

このコンクール、3週間ほどの期間をかけて、毎日毎日、朝から晩まで、世界からやってきた若手ピアニスト達の演奏が繰り広げられます。
ピアノ好きには堪りません。
しかも、普通の演奏会ではなく、コンペティション。技術や表現力を駆使して、若手の精鋭達が競う訳です。お客さんもパンフレット片手に審査員の真似事なんかしたりして。またそれが面白いんですよねー。

話が逸れましたが、要は
①開催期間が長い
そして
②コンテスタント(出場者)が演奏している間は会場から出られない
というのが、ツワラーの私にとってかなり辛いポイントでした。

一次予選はまだ良かったんです。
演奏者の持ち時間が各20分ずつなので、気持ち悪くなっても少しだけ我慢すれば外に出られる。
問題はその次。
2次は40分、3次は70分、、、。
その間、横になることも出来ず、ひたすらコンサートホールの狭い椅子に座っていなきゃいけない。しかも、折からの蜜蜂と遠雷ブームで連日満員御礼。ギッシリ詰まった客席は熱気ムンムン。そしてハイソなマダムから漂うキツイ香水の匂い、、、つ、つらい。逃げ場がない。
しかも自由席だから一旦出たらまた空席を探すところからやり直し。演奏が終わってはトイレへ行き、まだイケそうなら戻って席を探す。ダメそうなら後ろ髪引かれつつ帰宅する、という(笑)なかなかタフな現場でした。
日によって体調に差があったので、ホントにホントにダメな日は、お目当てのコンテスタントだけを聴いて、終わったらすぐ帰る。という対応にしていました。←でも行く←どんだけ

ああ、そうだ。あと、気持ち悪くなるといっても、私の場合は実際に嘔吐するところまでは行かなかったので(吐き気がするだけ。)何とか本選の最終日までコンクールを見届けることができました。
(牛田智大くんと韓国のイ・ヒョクくんの演奏が見事で、この若手ピアニスト2人の戦いを最後まで見られて幸せでした。二位、三位フィニッシュ。なんてことだ!)

勿体無いけど、全部キャンセルするという選択肢もあったんですよ。
でも、何とかギリギリ、悪阻の様子を見ながら、これは騙し騙しなら行けるんじゃないか、と。←なんのチキンレースだ
その後の仕事や帰宅後の家事はほぼ屍の状態でしたが、精神の充足という点においてはフル充電完了!でした。魂に栄養、必要。YO!←どうした

だってやりたいこと我慢するの嫌いなんだもーん。
と、妊婦になった途端いろいろ全開にし始める私なのでした。

つづく。
2018年の11月。
その月は、前節で書いた「浜松国際ピアノコンクール」の他に、もう一つ、絶対に休めない(休みたくない)音楽イベントがあったのでした。
それが「KIRINJI 結成20周年記念ツアー(幻の兄弟デュオ復活ステージ付き)」という、KIRINJI(キリンジ)ファン垂涎のライブです。

KIRINJIについて、詳しくは割愛しますが、このライブは例えるなら「一夜限りの、6人全員が揃ったSMAP復活ライブ」みたいなもんです。例えばよ、例えば(笑)。

2013年に、メインボーカルだった弟の堀込泰行さんがキリンジを脱退した後、初めて兄弟が揃って(当時の名曲の数々を!)ふたり一緒に演奏するという、またとない機会でした。
当然、プラチナチケット。
ファンクラブ会員だったからこそ、何とかもぎ取れた一枚のチケット。もはやこのチケットを取るために会費を払い続けていたと言っても過言ではない。(笑)
行くでしょ、そりゃ。
たとえ、つわりでも。
たとえ、そのライブの開催地が、遠く離れた東京であっても(泣)。
這ってでも行きますよ。ピアノコンクールで培った数々のつわりサバイバル術。いま使わずにいつ使うのだ!(クシャナ殿下)

そんで、これがまた、予定終了時刻が22時だったんですよね、ライブ。
妊娠が確定する前は、最後まで観て、夜行バスで帰ってくるつもりでした。翌日早朝から、休めない仕事だったので。
しかし、土壇場の陽性反応(+つわり)。
泣く泣く、新幹線の終電で帰りました。
かろうじて兄弟ふたりの復活ステージは最後まで聴けたので、不幸中の幸いとしよう。(2人が歌い終わった時点で21:00だった、、、地方民のこと考えてくれようぐすん)

以下余談↓
名曲「エイリアンズ」を泰行さんが歌い始めた瞬間、ああもうダメじゃーーっ!と号泣してしまいました。そして「drifter」も。やっぱりこの声で聴きたかった。泣くタイミングが隣の女性と全く同じで、一言も会話は交わさなかったけれどすごーく連帯感がありました。、、、だよね、泣くよねコレは!って。ひとしきり泣いた事により吐き気も吹き飛んで(笑)帰りの道のりは割と元気だった気がします。え、病は気から?なの?つわりも?←気のせい

余談終わり↑

そういう訳で、つわり初期のわたしはかなり意固地になって(笑)全ての音楽鑑賞をスキップせずに強行したのでした。
でも、行って良かったです。行かなかったら絶対後悔していたから。まあ、それもこれも、娘が無事に生まれてくれたから、言える事なのですが。何だったのかな、あの異様なまでの気迫は。思えば変なテンションだったなぁ。。

これまた余談ですが
同じく、このKIRINJIの、現バンド編成での最後のライブツアーが(脱退したり解散したり忙しいバンドだな苦笑)今月行われる予定でした。(2020年3月現在)

、、、でした。

、、、ふふふ、つわりには勝てても、新型コロナウィルス感染拡大による世の自粛ムードには勝てなかったという話です。(涙)全ての公演が延期に。(涙)
きっとまたいつの日か同じメンバーでさよなら公演をしてくれる事を期待しつつ。

皆さまも、どうぞお気をつけてお過ごし下さいませ。

つわりの巻、おわり。

子どもの頃、フラ・アンジェリコが描いた「受胎告知」というタイトルの絵が好きで、よく画集を眺めたり、模写したりしていました。処女マリヤに、天使が、キリストの受胎を告げる場面です。パンパカパーン!「おめでとう、恵まれた方」と。いや、ちょ待て。ビックリするだろうよ。そんな、男を知りもしないのに、突然天から使いが降ってきて「あなた、神の子を身籠ってますよ、おめでとう」ってさ。おめでとうじゃねぇ、状況を説明しろ、いますぐに、もっとくわしく!と、私なら天使の首根っこを捕まえてユサユサします。

ってなツッコミは置いておいて(笑)

告知の巻、です。

本当は、安定期に入るまで周知したくなかったんですよね。なんたって40歳だし、途中なにがあるか分からないから。
しかし、着床し、心拍も確認でき、妊娠週数10週を越えたところで、これまでお世話になってきた不妊専門クリニックを「卒業」しなければならなくなったのです。
クリニックからは「次の診察で最後なので、次回までに産む病院を決めてきてください。紹介状を書きますので。」と言われてしまいました。おおふ。
出産までお世話になりたいのは山々なのですが、ここはあくまで「妊娠に至るまで」を支援してくれるところ。「分娩」は取り扱っていないので、自分で産院を探さなければなりません。
さて、ここで一つ問題が。

「里帰り出産、する?しない?」問題です。

実家までは、車で1時間半ほどかかります。
そんなに遠くないとはいえ他県だし、分娩までちょくちょく健診に通えるような距離でもありません。ましてや、産気づいてすぐ行ける距離でもない(笑)。

と、なると、私に与えられたのは

①自宅近くの病院で産み、産前産後は実家の母に手伝いに来てもらう

②里帰り出産し、産後しばらく実家のお世話になる(夫には週末ごとに通ってもらう)

この2択です。

選択するには、実母に相談せねばなりません。
ありゃー。もうちょっと育ってから報告するつもりだったのになー。

そういうわけで、かなり早い段階で、母にだけは話しておくことに。案の定「、、、えっ!?」と驚きすぎて固まっていましたが、開口一番「おめでとう!」とお祝いしてくれました。
(そして祝福されたことに戸惑う娘。いやー、お母さんもおめでとう〜と他人事に言ったら「何言ってんのあんた」と冷静に突っ込まれました)

結局、①自宅近くの総合病院、で産むことにしました。母がしばらくこちらに来てくれる、と言ってくれたので。そんな話で内々にまとまったのが11月も末の初冬の段階。

母は、はやく父に話したくてしょうがなかったようですが、しばらく口止め。
ちょうど年末の帰省で家族みんなが揃うので、皆にはその場で、すき焼きでも囲みながら、それこそパンパカパーン!と受胎告知をするつもりでした。だって電話で言うよりその方が良いでしょう、近く集まる予定があるのなら。せっかくだし、皆でお祝いしようよ!そう勿体ぶった私は、悪くない。

だって、誰も予想できないじゃないですか。

年の瀬に、両親そろって、インフルエンザに罹るなんて(爆)。

それは12月30日の午前11時のことでした。
あと5分で実家近くのインターチェンジを降りる、という段で、母からの着信。ん?着信?なに?途中のスーパーでネギ買ってきてくれ?いいよ?ハイハイもしもし?、、、えっ、、、インフル、、ええええええええええええ!?

よりによってインフルエンザ。
その年、大流行してたんですよね。
われ、妊婦。
実家の扉も開けられない(笑)。

幸い、休日診療している病院が近所にあったので父母ともに大事には至らず。
私たち夫婦はポカリやらレトルト粥やらを詰め込んだ救援物資を実家の玄関に置き配し、熱でふらふらの父に「こんな時になんなんだが、わてら、赤ちゃんできましてん。だから頑張って元気になってね。」と訳の分からない報告の仕方をし(笑)。新幹線に乗って帰ってくる直前だった弟には、LINEで報告をしました。
(皆、突然のインフルエンザ罹患+当日帰省キャンセルというドタバタの中、更に投下される爆弾・受胎告知に頭の処理が追いつかない)

皆そろってあたふた、あたふたしていました。
どんな報告の仕方なんだ、まったく。いや、仕方ないんだけれども。なんとなく、年を跨ぎたくなかったし(というか、夫の両親は年末の時点ではもう知っていたので、両家の足並みを揃えておきたかった)。

まあ、コロナ禍の今となっては、インフルエンザで済んで良かったねーという話なのですが。

そんなこんなで、改めて、年が明けて、両親のインフルが完治してから、すき焼きではなく、胃に優しいとろろ粥を囲んで(笑)お祝いをしたのでした。
【悪阻沼から這い上がったら脱皮地獄が待っていた】

年が明けて、2019年。
それは本当に唐突に終わりました。
イエス、悪阻です。

ある朝、目覚めたら、まるで霧が晴れたように、世界が清浄な空気に包まれていたんですよね。「なに!?なんなの、この明るさは、、なんて爽やかな朝、、、!!」ってな感じで。いつものリビングが、めっちゃキラキラした空間に感じられて。
一瞬で分かりました。あ、悪阻、終わったなって。不思議ですねー。
でも本当、「世界が変わった」としか表現のしようがないあの爽やかさ。そのくらい、悪阻の間ってドロドロモヤモヤした空気に始終包まれてる感じなんですよね。

嬉しくて、しばらく好きなもの食べまくりました。主に甘いものですが(笑)。いやー、食べられるって幸せなことだ!

と、喜んだのも束の間。

妊娠中は様々なマイナートラブルに見舞われると見聞きしてはいましたが、続いて私を襲ったのは、誰からも聞いたことのない変な症状でした。

それは、脱皮。
身体中の皮が剥け始めたのです。
え、、おい、脱皮ってちょっと。
いつの間に、私は昆虫類に片足を突っ込んでしまったのでしょうか。
皮膚のトラブルとしては、湿疹とか、妊娠線とか。そういうものは本で読んだりしていたので、アレルギー体質の私は、割と気をつけて保湿していました。がっ!保湿しているのにも関わらず、背中から腕から足から全身、毎日のようにポロポロ皮が剥けてくるんですよ。それはもう「肌の乾燥」なんてレベルではなく。脱衣所の床を、毎日掃除機かけなきゃいけないくらい。日焼けの後みたいな感じですかね。でもね、痒くないんです、まったく。ただただ、皮が剥けてくるだけなんですけど。あれ、何だったんだろう一体。新陳代謝?身体が生まれ変わろうとしていた?(一体何に)

脱皮は1ヶ月くらい続いたかなぁ。
これも気付いたら終わってました。

保湿剤を毎日塗りたくったお陰で、妊娠線はどこにも全く出なかったのが、怪我の巧名でしょうか。

脱皮が落ち着いたら、今度は花粉症デビューしてしまったり(本当これ酷かった。薬飲めないから、毎日箱ティッシュかかえて出勤してた)、これまた初めての便秘になったり、後期はむくみが酷くて靴が履けなくなったり、貧血やら腰痛やらまーーーーーーーーありとあらゆるマイナートラブルを経験し、出産の日を迎えるのでした。

妊娠期間ってすごい。
身体中の機能がブーストかけて作り変えられる感じ。
お腹の中で人間ひとり新たに育ててるんだから、そりゃー通常運転ではなかろうが、面白かったなー。

とにかく薬が飲めないので、当時は辛かったけど(笑)。
今となれば、いい思い出です。

あ、そうだ!
体質が変わって、良かったこともひとつだけあったんだった!!それは

ム ダ 毛 が
まったく生えてこない(笑)。

女性ホルモンが大量に分泌されていたせいだと思いますが、普段は剃ったりしていた腕や足の細かい毛が、全く生えてこなくなったんですよ。これは助かりました。これだけは、もうずっと妊娠中でも良いと思ったくらい。←

残念ながら当然ながら、出産後は元に戻りました(笑)(笑)。ああ残念!
さて。
母体はさまざまなマイナートラブルに見舞われましたが、妊娠の経過(胎児の成長)は驚くほど順調でした。
月に一度、妊婦健診で母体と胎児の様子を診てもらうのですが、毎回「問題ありませんねー」の連続で。初めの頃は「心拍止まってるんじゃないか」とハラハラしながら通っていましたが、妊娠後期には毎回の太鼓判にすっかり安心しきって、やれ東北旅行だ、横浜中華街だ、有馬温泉だ、音楽フェスだと遊び回っていたわたくし。
義理のお母さんからは「葵さん、元気ねぇ、、、」となかば呆れたような声もいただきました。ははははは。

しかし。妊娠8ヶ月を迎えた頃、エコーでお腹をチェックしていた先生が「あら〜?」と疑問形で声を発しました。
ん?どうした?

「これは、逆子ちゃんですねぇ、、、(と、何往復かお腹をグリグリ)」

逆子?

逆子ってなに?
(いや分かるけど)

曰く、普通は妊娠後期になると、分娩に備えて、外に出やすいように、赤ちゃんの頭は下に行くそうな。足が母体のおへその位置に来るのが正常なわけね。
しかしうちの子は頭がおへそに、足が下腹部にあると。ほほう。

「でもまだ赤ちゃんが動く可能性もあるので、ギリギリまで様子を見ます。30週の時点で逆子のままだったら、普通分娩は出来ないので、帝王切開の手術予約を取りましょう。」と先生。

降って湧いた「帝王切開」というワードに頭が固まる葵。
お?つまり腹を切るって話???

うーーん。
そうか、手術かーーー。(ぐるぐる)

正直、合理的なことを最優先したい性格の私は、この時「お、ラッキー」と思ってしまったのでした。ちょこっとね。だって痛いのやだし。(帝王切開は帝王切開で術後の痛みが壮絶だったのだが)他力本願で出してもらえるなら、それはそれで良いんじゃないかと。

個人的に、出産という行為自体に一欠片も夢なんて持っちゃいなかったので、こだわりも無かったんですよね。母子ともに生き残れれば、それが一番。大事なのはそれだけ!と思って。
(だから病院で「バースプラン」(こういうお産がしたい、という希望表)ってのを書かされた時、ほんと困った。こだわりが皆無であったので)

一応、逆子は「骨盤位」と言って「正常ではない」状態に当たるので、「逆子ちゃんなんですよ〜。元に戻ってくれると良いんですけどねぇ〜」と周囲には困り顔で話していましたが、本当の本当のところは「このまま逆子ちゃんで良いわよ」などと思っていたのでした。

そんな母の心が通じたのでしょうか。
ついに娘は30週を過ぎても逆子のまま、母は無事に(?)手術予約へと漕ぎ着けたのでした。予定帝王切開ってすごいね。親が子供の誕生日を決められるんだから。(ある程度期間は限定されるけど)「じゃあ東雲さん、手術いつにします?」って、まるでランチの約束するみたいに気軽に聞いてくれた若い女医先生(笑)。こちらも軽いノリで「あ、じゃあ7月1日で!」とサッサカ決めてしまいました。自分の誕生日が7/31だから、何となく1日と31日でキリが良いかなーと。なんなんだこの明るいテンションは。いいのか、こんなんで。

でも身体にメスを入れるのも初めてだし、入院も手術も初めてだぜい。それはそれで緊張するなー。なんて、入院の準備をしながらのほほんと暮らしていた6月下旬。

事態は急展開を迎えるのです(笑)。

やっぱりね。
そうは問屋が卸さんよね。
2019年6月21日の、それは明け方のことでした。4時頃だったかな。トイレに、起きたんですよね。とにかく寝苦しくて。(臨月になると膨らんだ子宮が他の臓器を圧迫するので横になっていても苦しい。)
で、寝室に戻って少しウトウトしていたら5時半頃、「パチン!シャーーーーーー」という異様な体内音で目が覚めました。そして覚醒と同時に悟りました。「あ、ダメだ、これ破水だわ」と。
直前にトイレに行ってたし、感覚がやっぱり違うんですよ。だから確信を持って叫びました。「夫くん!大変!起きて!破水してる!!」と。(そしてお腹に力が入ると加速する破水。みんな、叫んじゃダメよ、こういう場合は)

友人からの助言で、地元タクシー会社の「陣痛タクシー」というサービスに登録しておいて良かった。予めうちの住所と電話番号、病院の登録をしてあったので、電話一本ですぐ来てくれて、病院まで連れて行ってくれました。後部座席には防水の為のビニールが敷いてあった。さすが!

ちょうどこの前日に、入院セットを準備したばかりだったんですよね。ほら、予定帝王切開で7/1に産む予定だったから、6/20でもまだ10日以上前。しかも、本来の予定日は7/10だったんです。予定日から換算すると3週間も早い破水、出産でした。全然予想しておらず。びっくりしたー。一応、いつ産まれても良いとされる「正期産」の第一日目、ギリギリの日でした。

その準備したばかりの入院セットを持って、お股にバスタオルを挟んで(ボタボタ落ちてくるのよ、羊水がっ)、実母と共にタクシーに乗り込みました。突然のハプニングに、手が震えてました。しかし震える手でスマホを取り出して、私がしたのはとりあえずまず、翌日にランチを約束していた友達へのキャンセル連絡(笑)でした。だって。本当に7/1に産む気マンマンだったから。6/22にランチの予定を入れていたんですよ(笑)(笑)。友達も早朝5時にLINEされてびっくりですよね。「破水していま病院へいくタクシーの中だから明日のランチは多分行けないと思う。キャンセルさせて!ごめんねー!」って。多分て言うか絶対行けないヤツだよ、それ。

病院への連絡は破水した時点ですぐにしていたので、着いてすぐに車椅子に乗せてもらい、そのまま産科病棟へ。
ここでようやく、お腹の赤ちゃんの心音を聴くための装置をつけてもらいました。「赤ちゃん、まだ大丈夫そうですね」と看護師さんに言ってもらうまで、気が気じゃ無かったです。赤ちゃん苦しいんじゃないか、と。羊水が出ちゃっても、しばらくは大丈夫なんですねー。
その時点で、既に私の前に4人の妊婦さんが運ばれて来ていて。で、緊急度合いの高い方から手術に入るので、しばらくお待ちください、とのこと。おおふ。すぐに出してもらえる訳ではないのか…!!!
これが6時半くらいのことで、そのあと手術室に案内されたのが7時半くらいでしょうか。1時間ほど待ちました。赤ちゃん、大丈夫か。(バイタルで逐一チェックされてるので大丈夫です)


「東雲さーん、大丈夫ですか〜?」
手術室に入った瞬間ほんわか声を掛けてくれたのは、後半ずっと妊婦健診でお世話になった女医先生でした。(美人で飄々としててすごく良い。好き。)たまたま当直の日だったのか、私の破水情報が入って早めに出勤してくれたのかは分かりません。けど、結果ものすごく助かりました。やっぱりいつも診てくれてた先生だと、安心感がある。産科医を10人以上抱える総合病院なので、私が破水した日の、しかも早朝にその先生が居てくれたのが偶然だとしたら、奇跡です。

「◯◯先生…いてくれて良かったです〜(涙)手術も先生が?」
「あ、はい、私が担当しますよ〜」
との事で、この時点でもう私は五体投地、、いやいや、大船に乗りまくった気持ちでした。だってこの先生、わたし絶対失敗しないんですオーラと手先も器用なんですオーラが凄いんだもの。

まさに今から(腹を)切ります!という直前、さすがに緊張する私に、ブルーシート越しにぴょこんと顔を出して

「東雲さ〜ん、縦でしたっけ?あれ?横でしたよね?」

と、のほほんと聞いてきた場面が忘れられません。
何が?って思うでしょ?
切り方よ。
腹の、切り方(笑)
縦に切るか、横に切るか、事前に選べるんです。

それ、いま聞く?(笑)って
へなへなーと力が抜けて
「どっちでも良いですけど、出来るなら横で、、」とお願いしました。麻酔してるんで、なんか寒くて寒くて、息も絶え絶えでしたけど。

そんなこんなで、6月21日の午前8時12分。
娘が無事に取り出されました!

産声?は、弱々しかったです。てか、声を上げて泣いていたかも記憶が定かではない…
帝王切開だから?でしょうか?
後から母子手帳を見たら、酸素投与、みたいな事が書いてあったので、取り出してすぐ私の胸の上に乗せてくれたあと(カンガルーケアとか言うらしい)、呼吸がちゃんと出来るように処置してくれてたんだと思います。

お腹の中で10ヶ月育んできた赤ちゃんなので、ようやく顔が見られたという喜びも確かにあるのですが、それよりも早く先生に全身チェックしてもらって、早く安全なところに移して!と思っていました。カンガルーケアの時間、多分1〜2分間だったのだと思いますが、生まれたてのこの弱々しい生き物をこんな丸裸で母の胸の上に置いておいて良いんか!?という不安の方が大きかったです。

絶賛お産楽しめないタイプ(笑)
そうそう、取り出された赤ちゃんとは、その後しばらくの時間会えませんでした。当然のことながら私、お腹切ってるんで(笑)。縫合してそのあと、しばらく寝ちゃった?んじゃないかと、、で、術後大部屋に移されて、お昼くらいにようやく、白い産着でコットに乗せられた赤ちゃんが私の横にやって来ました。ようやくちゃんと対面!わたしの赤ちゃん!!ちゃんと息してる!
既に毛がふさふさだぞ!
私には似てないぞ!
ってか、100%夫だぞ!

まだ麻酔が効いていたので、痛みは全くなく、今のうちに、と無事出産報告を各所にしまくりました。

大事なことです。
振り返ると、産んだその日が、一番楽でした。

何故ならこの後すぐに、起き上がる事すら困難な激痛地獄&授乳夜泣きの不眠地獄が待ち構えているからです。。。マジ、入院期間の後半が一番辛かった。。