基準値きみのキングダム




にや、と意地悪く口角をあげる深見くん。
そんな表情すら王子さまで、勝ち目ないって思った。


これ以上、抵抗したって、きっとムダなのだ。




「きょーか、王子さまとおててつなぐ!」

「ちょ、京香それは────」




迷惑だから、と止めようとしたけれど深見くん本人によって遮られる。




「いーよ。その代わり、俺の名前覚えてくれる?」

「王子さまじゃないの?」

「はは。俺はほんものの王子さまじゃないからなー」


「にせもの? お名前は?」

「深見恭介。恭介って呼んでよ」

「きょーすけくん!」




こわいもの知らずの京香は、あっという間に深見くんとの距離を縮めている。

手をつないでにこにこおしゃべりしているふたりの様子を傍観しながら、考える。




どうして、深見くんはここまで優しくしてくれるの?




図書室でアンケートの集計を手伝ってくれたときも、そして今もこうして送ってくれようとしていて……。お人好しだとしても、これは、ちょっとお節介レベル。

どんな優しいひとでも、たぶん、ここまではしない。




仲いい子ならまだしも、深見くんとはほんとうに、クラスメイトということ以外に接点がない。交わることも、きっと、ないと思ってたのに。



男の子がかわいい子を助ける理由はわかるよ。
そうやって、優しくして、オチないかなって下心あるんだって、傍から見てればわかる。




……けれど、あの深見くんが、私を。

こんな私をそういう対象に見ているはずがなくて────。




助けてくれる理由がわからない。

優しくされる理由がない。








うーん、と考えて、あ、と思いあたる。
もしかして、女の子なら誰でもいい、とか。


深見くん、本命をつくらないのは、そーとー遊んでるから……ってうわさもあるし。



優しく送るふりして、家に上がりこんであわよくば────ってひとのことを “送りオオカミ” って言うんだと、この前、誰かが言ってた。深見くんも、送りオオカミなのかも……。



疑いの目を深見くんに向けると。

なぜかそのタイミングでぱちり、目が合ってしまう。




「森下?」

「え、あ……」



不自然にどもってしまって、深見くんが眉をひそめる。

それで、焦った私は疑問をそのままぶつけてしまった。




「なんで……、こういうこと、するの」

「こういうこと?」

「荷物、持ってくれたり……家まで送ってくれたり」


「え。それ、理由いる?」

「……だって、深見くんにメリットとか、ない……」

「メリット? そういうの考えたことなかった」



飄々とした顔で答える深見くん。



「じゃあ……、同じように困ってたら、誰にでも同じこと、するってこと?」




問い返すと、深見くんは「んー」と少し考える素振りを見せる。

それから。





「や、俺、そんなできた人間じゃねえわ。ふつうに、もうちょっと打算的」

「ださんてき……?」

「森下だったから、手貸したくなったんじゃねーのって話」








「え」

「よく考えれば、メリットあったかも」

「な、なに?」

「森下と話せるじゃん。距離も多少は縮まるじゃん?」

「……っ、な」

「せっかくクラスメイトなんだし、親睦深めとかないと、的な」



……。

や、ほんとに、なんなの、このひと。
親睦深めとかないと……じゃなくて!




「深見くんって」

「うん?」

「発言がチャラくてチャラくてチャラい」




うわあ、またかわいくない発言をしてしまった。
内心落ちこみつつ、でも、これは本音でもある。


『どきっとした』と言えたなら、可愛げのひとつやふたつ、あったかもしれないけれど。




「あー、そうかも、たしかに」

「自覚あるんだ……」

「でも、別に誰にでも言うわけじゃない」

「……え」

「勘違いされたら困るしな」




うげ、と深見くんが眉間にシワを寄せる。

勘違いによるイザコザに悩まされてきたんだろうな、今まで、たくさん。深見くんを好きになる女の子、いつまでも絶えないもんね。



というか、勘違いされたら────ってことは、私のことは。



……勘違いしないとでも思われてるんだろうな。

そうだよね、恋なんて甘い夢を見なさそう、それが “森下杏奈” に定着したイメージだもん。




「……あ、ここ、私の家」

「何階?」

「2階だよ」



そうこうしているうちに、私の家まで到着。

もともとあのスーパーからそんなに距離があるわけではないけれど、なんとなく体感時間がいつもより短かった気が……。



「きょーすけくん、部屋は206!」



京香が深見くんの腕をぐいと引く。

家賃の低さが唯一の魅力のおんぼろアパート、206号室。

それが森下家の質素な住まい。




「森下ってきょうだい、妹ひとり?」

「ううん、もうひとり────」




鍵穴に鍵をさしこんで、ガチャガチャ、と回す。

私が扉を開けるより先、見計らったように内側から扉がひらいた。




「姉ちゃん、京香、おかえり────っと」




ひょこ、と顔を覗かせた学ランの男の子。

中学2年生の弟、奈央が、私のうしろに立つ深見くんを見つけて、目を丸くする。





「……姉ちゃんの、彼氏っすか?」

「奈央! ばか!! ちがうからっ!!!」







𓐍
𓈒


あろうことか、深見くんの目の前で。

トンデモ発言をした奈央の口を慌ててふさぐ。



「だって姉ちゃんが男連れてくるとか────もがもごっ」

「もう〜〜〜っ! お願いだから、奈央は黙って!」

「わあ! 杏ちゃん耳まっかっか!」




悪気のない京香の指摘に、さらにいたたまれなくなる。

思わず耳を両手で隠してその場にへなへなへたりこんだ。



それもこれも、奈央がおかしなことを言うからだよ。


彼氏、なんて。
……そんなはず、あるわけないのに。




私に口封じされた奈央をのぞきこんで、「なーくん、だいじょうぶ?」と京香が心配そうに首を傾げていて、奈央はこくこく、と頷いた。

まったく仲良し兄妹に育ったものだ。



ほんとうなら微笑ましい光景なのだけど、今はそれどころじゃない。

深見くんが呆気にとられているのに気づいて、慌てて立ち上がる。


仕切り直しさせてほしい。
ごほ、と咳払いをして。



「ええと、こちらは弟の奈央。今、中学2年生なんだ」




奈央がぺこりと頭を下げる。


そういう礼儀正しい態度をとれるなら、最初からちゃんとそうしてくれればよかったのに……!

と、心のなかで毒づいてしまうけれど、奈央は素知らぬ顔だ。




「そして、こっちは深見くん。クラスメイトです」

「はじめましてー」




深見くんはゆるく口角をあげて、奈央に会釈する。

奈央はどういうわけか、値踏みするみたく深見くんの頭のてっぺんからつま先までジロジロと失礼なくらい見わたしたあと。



「ふーん、なんだ、彼氏じゃねーのか」

「……っ!」




もうもうもう!!!

なんですぐそういうこと言うの。
最近食べる量がびっくりするくらい増えて、体もおっきくなったな、とは思っていたけれど口もこんなに達者になっていたなんて。



深見くんからは絶妙に見えない位置で、ぽかり、と奈央の脇腹に軽くパンチをお見舞いしておく。




「ほんとにっ、ふつうのクラスメイトだから……! 勘違いしないでよ、深見くんに迷惑だし!」



ちゃんと、きっぱり否定しておかなきゃ。


厳しめの口調で奈央に言いつけたうしろで、深見くんがちょっと眉をひそめていたなんて、私はもちろん知る由もなく。





「深見くんは、助けてくれただけなの。さっきそこのスーパーで会って……、私の荷物がすごかったから持ってくれて」


「うっわ、マジじゃん、すげー荷物。こんなことなら、俺のこと呼べばよかったのに」


「う、それは……」


「姉ちゃんは遠慮しすぎなんだよ」




呆れた目をした奈央が、深見くんからずっしりとした買い物袋を受け取った。




「ありがとうございました、姉ちゃん、油断するとすぐこーなるんで。助かりました」

「いや、俺は別に」


「ありがとうございました」



深々と頭を下げる奈央。


────ああ、なんだ。

礼儀がどうとか、思ったりしたけれど、奈央もちゃんとしっかりしてる。
結局「ありがとう」のひとことがいつまでも出てこないのは私だけなのだ。



「じゃ、俺はそろそろ」



深見くんがくるりと踵を返す。
帰ってしまう、引き止める理由もない。


明日学校でまた会うけれど、話しかける理由もない。


ここで別れてしまえばきっと、もうなにもなかったことになって、今日の「ありがとう」も伝えそびれて……。



喉元までせりあがっているのに、肝心の声が出ない。

きゅっと唇を結んだとき。




────ぎゅるるるる……。



「へ」



盛大なお腹の音。
空腹をしめす、その音の出どころは。


そろり、視線を動かした先には、深見くん。


ちょっと気まずそうに照れ笑いした深見くんに、考えるより先に口が動いていた。




「ごはん、食べていかない?」




そう、それはとっさに。







「は」

「えっ、あっ」



固まる深見くんに焦って、さらに口がすべってく。



「あのねっ、これから夕ごはんつくるところだったから、よかったらうちで食べていかないかなーって、ほら、荷物運んでもらったし……えと」



ぺらぺらとまくし立てているうちに、冷静になってくる。

そして、冷静になると。

何言っちゃってるの、私……!!


マトモに話したこともないクラスメイトを家に上げて、手料理を食べさせるなんて、厚かましいよね。ふつうに困るに決まってる。それに。



「ご、ごめん。変なこと言った……。深見くんも家でごはん作ってくれてるだろうし」




家に帰ればきっと、親の作った夕ごはんが待っている。

料理の大変さがそれなりにわかっているからこそ、こうして突然ごはんに誘うのは気が引ける。



「じゃあ、ええと、また明日学校で────」




ひとり色々先走ったり、撤回したり、恥ずかしい。

ひらひらと手を振って、深見くんを見送ろうとすると。



「いいの?」



ぎゅ、と手首をつかまれた。

強くない、痛くない、けれどそれ以上の衝撃で体がカチコチに固まってしまう。




「正直、めちゃくちゃ腹減ってるんだよなー」

「……え」

「森下がいいって言うんなら、食ってっていい?」

「え、あ」




動揺して、口をはくはくさせる。
そんな私が答えるより先に。




「いーっすよ、上がってってください」

「ちょ、奈央、待っ」

「うち狭いっすけど」




なんで、奈央が話を進めるの……!!


深見くんをあっさり招き入れようとする奈央をぐいーっと押しのける。すると、不満気なジト目が追いかけてきた。



「なんだよ。姉ちゃんが最初に言い出したんじゃん」

「っ、だって! 深見くんだってお家でごはん食べるでしょっ」



ねっ、と思わず深見くんに同意をとってしまう。



「……いや、今食べても、家で夕飯ふつーに食える」

「えっ、うそ」

「男子高校生の胃袋ってそーいうもん」







そういうもん、なの……?




「じゃ……、食べてく?」

「や、森下次第だけど、ふつうに悪いし」


「わ、私は」

「どうぞ。姉ちゃんに委ねると永遠に玄関止まりっすよ」




言葉に迷っているうちに、奈央がうながしてしまう。

なんで奈央はそう、いつもいつも先回りして……!



ちがう。

優柔不断な私と即決即答の奈央とでは、思考のスピードがそもそもぜんぜん違うだけなのだ。




「おじゃましまーす」




深見くんを家に入れたくないわけじゃない。

むしろ何らかのカタチでお礼ができた方が……。



でも、いざ、うちの敷居をまたぐ深見くんを見ていると、モーレツな違和感におそわれる。



深見くんが私の家にいる?
あの、深見くんが?

これって、どんな状況……?




「森下って3人きょうだいなんだな」

「っ、そう」



玄関先に飾っている写真をじっと見つめる深見くん。

私がまだ中学生のころに、パパと奈央と京香と4人で撮ったもの。京香の七五三のときのだ。




「……深見くんは?」

「俺? きょうだいってこと?」




こくり、頷く。




「どう見える?」

「……年下のきょうだいが、いそう」




なんとなく、だけど。

掴みどころがなくてするりと抜けていく感じ、それでいて人づきあいのうまいあの感じ。空気を読むのがうまいんだと思う。



それが、なんとなく、きょうだいのなかでも年上っぽいというか、年長者っぽいふるまいのような────。




「残念、俺はひとりっ子」

「そう、なんだ」

「ま、でも、年下のイトコがいるからなー、ほぼきょうだいみたいなもんか」




深見くんはまだじっと写真を見つめている。

そんなに気になるものでもうつって────ああ、そうか。



うつって、ないからか。


たぶん尋ねにくいことだから、聞かずにいてくれているんだろうけど、べつに隠すことでもないし……。




「母は、もういないの。京香のときがすごく難産で、それで────……」

「そっか」




深見くんがこちらを振り向く。


わ、わ。
近い、そっか、近いんだ。


深見くんの色素のうすい瞳が私をまっすぐに見下ろしている。ドギマギするのもおこがましいくらい綺麗で────でも、やっぱりドギマギしてしまう。



というか、深見くんって、こんな、身長高かったんだ。

近距離で並んでみるとよくわかる。




「森下、頑張ってんだな」






「へ」




なにげなく、深見くんの唇が紡いだ言葉。

たぶん深く考えてない、自然な流れで、ぽん、と肩にふれた大きな手のひら。



……なんで。




「……っ」




なんで、私のことをなんにも知らないはずの、深見くんが、くれるの。私がずっと、欲しかった言葉。



“大変そう” とか “かわいそう” とか同情なんて聞き飽きた。そう言うひとほど、困っているときには結局見ているだけで手のひとつも貸してくれないんだから。


誰も手を貸してくれなくても、がむしゃらに上を向いて歩くから、それをただ、認めてくれさえすれば。

杏奈は頑張ってるよ、ってせめて、それだけでも言ってくれたなら。

そう、思ってた、から。




『頑張ってんだな』




びっくり、してしまった。


深見くんがさらりとその言葉をくれたことも、それがあまりにすとんと私のなかに落っこちてきたことにも。



……どうしよう。


まったくもってそんな流れでもないのに、目頭がふいに熱くなってくる。

なんで、泣いてしまいそうなの、なんで、なんで、こんなとつぜん。




「きょーすけくん! なにしてるのー! こっちこっちー!」




居間の方から、京香の声。
深見くんは呼ばれた方へと向かっていく。


た、助かった……。

こぼれそうになった涙を慌ててごまかして、深見くんの背中を追う。




「きょーすけくん! 杏ちゃんがおりょーりしてる間は、きょーかと遊ぼっ!」

「や、森下、俺もそっち手伝うけど」







遊んでもらう気満々で、折り紙を床いっぱいに広げはじめる京香。深見くんは首を横に振る。



手伝う、って……私、を?
一緒に料理する、ってこと?

あの狭いキッチンで……。



いやいや、無理無理無理!




「いいっ、深見くんはじっとしててっ! ひとりの方が料理しやすいから……っ!」




あわわわわ、また悪癖が出てしまった。



深見くんと料理なんて緊張でどうにかなりそうだし、そもそもお客さまの深見くんに包丁をにぎらせるわけにはいかない、そう言いたかっただけなのに。



ひねくれた言い方しかできない私にも、深見くんは嫌な顔ひとつせず。




「そう、ほんとに?」

「ほんとだからっ」


「じゃ、任せようかなー」

「ふふーっ、杏ちゃんお料理上手だからだいじょうぶだよー!」




にこにこ笑顔の京香が勝手にハードルを上げていく。




「へえ、上手なんだ」

「うんっ、杏ちゃんのごはんが世界一だもん!」


「それは楽しみだなー」

「それでっ、それでねっ、杏ちゃんってすごいんだよ! この前もね────」




ううう……。

私のことをべた褒めする京香と、それに相槌をうつ深見くんの会話を聞いていられなくて、キッチンに逃げる。



うう、胃が痛い。

頼むから、そんなに期待値を上げないでほしい。




京香が存分に私を慕ってくれているのは、わかるし、うれしいけど……!



京香が思っているほど、私はかんぺきな女の子じゃない。むしろ、足りないところだらけ、それも女の子にいちばん必要ななにかが私にはきっと欠けている。



それに比べて深見くんは、素敵な女の子たちに囲まれて日々を生きているんだから。

私なんかじゃ、どう考えたって不十分。





「はあ……」