基準値きみのキングダム




「それでも、恭介くんは美沙をふったの。それで、杏奈を選んだんだよっ?」




詰め寄るように言われて、何も言えなくなる。




「名前だってそう……。美沙は自分から呼んでってお願いしてはじめて呼んでもらえてるのに、杏奈はそうじゃないじゃん。恭介くんの方から……」




上林さんが目を伏せる。

長い睫毛が影を落とした。




「私がどれだけ杏奈のこと羨ましいか、悔しくてたまらないか、わかるっ?」




羨ましい……?

それは、私の台詞のはずだった。



上林さんが、私を羨ましく思うことなんて、何も。


けれど上林さんはかわいい顔を歪めて、本当に悔しさをにじませている。




「なのに、なんで杏奈はそんな中途半端なの? 正直言って、むかつく。恭介くんの気持ちが要らないなら、ちゃんとふってよ。私にちょうだいよ。……そうじゃないなら」




すう、と呼吸の音がはっきり聞こえた。







「なんで受け取らないの? なんで、杏奈が考えてることを正直に話さないの? せっかく、好きになった人が自分のこと好きって言ってくれるなんて奇跡が起きてるのに」




あのね、想像もつかないかもしれないけど、と上林さんが続ける。




「告白するって、すごい勇気が要るの。ほんとうの気持ち伝えるのって怖いの。その怖さを乗り越えてきた人に向き合わないなんて、最低だから」




ハッとした。


そうだ、ほんとうの気持ちを伝える怖さを、私はよく知っている。

素直に心を晒す難しさをいやというほど知っている。



その高いハードルを、深見くんは何度も飛び越えて来てくれた。

『好き』ってまっすぐ、ぶつけに来てくれた。




なのに、私は、それを突っぱねるばかりで。

どうしよう、たしかに私は最低だ。




今さらな後悔がどっと押し寄せてきて黙りこむと、上林さんは深く息をついて、それから私を鋭く意志のこもった瞳で見つめた。








「ファッションショーでグランプリ獲ったら、私、もっかい恭介くんに告白する」




それは、宣戦布告だった。



深見くんも、上林さんも、なんてまっすぐなんだろう。


上林さん自身が言っていたとおり、怖くないわけがない。

告白するのが怖いのは誰しも同じで、それでも勇気をしぼって伝えているんだ。




「揺らいでくれるかもしれないし、諦めないから、譲らないから。……恭介くん、超いい男なんだからね」




うかうかしてたら持っていかれるんだから、と呟いて、上林さんはくるりと背を向ける。

制服のスカートがひらり舞う。

その姿はかわいくて、それ以上に、格好よくて。




いつまでも言い訳ばかりして、殻をやぶれない私が、ばかばかしくなってきた。





『なあ、杏奈の本音を聞かせてよ』





ふと反芻した深見くんの声が、意固地になっていた私の心をこじ開ける。


体育館の戸を押し開けると、秋めいた涼やかな風が私の背中を押すように吹き抜けた。







𓐍
𓈒



文化祭が幕を開けた。


色とりどりに飾りつけられた校舎、クラTや衣装をまとった生徒たち、グラウンドの仮設ステージでは有志の人たちによる音楽が鳴り響いている。


そういえば近衛くんたちのバンドもビラを配り歩いていたような。




そんな風に学校全体が浮かれる中、私はもどかしい気持ちでいっぱいだった。


……まだ、深見くんと、話せていない。




前日までクラスの準備でバタバタしていて、そしたら文化祭が始まって、幸か不幸か私たちのクラスの “コスプレ写真館” は大盛況。


慌ただしく1日が過ぎ去って、今日はもう2日目だ。




ファッションショーのリハーサルの日、上林さんと話したことがきっかけで、やっと心を決めた。


コンプレックスを盾にして、逃げるのはもうやめる。

怖くても今度こそ、本当の気持ちを言葉にしたい。




だから、深見くんともう1度話す機会がほしい────……のに、ここ数日はすれ違ってばかりだ。


いざ話そうと思うと、そのタイミングが掴めない。








午前中はファッションショーの男子の部があって、深見くんは教室にいなかった。




ほんとうは私も体育館に見に行きたかったんだけど、あいにくクラスの当番で離れられなくて────ものすごい歓声と得票数でグランプリを獲得したって、はしゃぐ女の子たちの話し声がちらほら聞こえてきて、やっぱり見に行きたかった、惜しいことをしたなって思った。





そんなこんなで、今はもう午後。



だけど、せめて今日中、文化祭が終わるまでには、深見くんを捕まえたい。

今日は、私が捕まえるんだ。



いつも深見くんの方から近づいてきてくれたから、いざ自分が、って思うと、タイミングもきっかけも、これがなかなか難しいとわかった。





「……今、どこにいるのかな」





呟いて、何気なく廊下の時計を見上げて、ハッとする。



午後は女子の部のファッションショー、気づけば集合時間が迫っている。

急がなきゃ。

まずは、きちんと与えられた役割を果たして、話はそれからだ。




小走りに、体育館の更衣室へと向かった。








𓐍
𓈒




「あ、森下さん、こっちこっち! 座ってー!」




更衣室に入るなり、内海さんが手招きして、私を座るように促す。

この場でメイクとヘアアレンジもしてくれるんだそう。

ヘアメイクも合わせて、プロデュースなんだって。




ほとんどコスメを触ったことのない人生を送ってきたから、その工程にはびっくりした。




ベース?リキッド?ファンデーション? 幾重にも塗り重ねられて、仕上げにじゅわっとしたピンクのチークとリップ、それからラメのアイシャドウを乗せられる。



まるで、顔が絵画のキャンバスになったみたいだった。



されるがまま、頭のなかにハテナをいくつも浮かべている間に、髪も完成する。

サイドが編みこみになった、ハーフアップ。

髪全体にコテでゆるくウェーブがかけられている。







ものの数分で完成して、その手際のよさにいちばん感動した。

すごい。

私にもその技を教えてほしい。



そしたら京香の髪ももうちょっとかわいくしてあげられそう、なんて考えていると「よしっ、着替えるよ!」と急かされる。


思っていたよりずっと、慌ただしい。



周りを見回すと、みんな大慌てで動いていた。

唯一、服飾部の人たちだけが、冷静に指示している。




「かわいい……」




ドレスに腕を通すのは、試着のとき以来、2度目。


改めて見ても、やっぱりとびきりかわいいデザインで、胸が高鳴る。




かわいいものが好き。

そこにはキラキラの憧れが詰まっているから。

昔から “かわいい” は、私に程遠くて、ずっと、ずーっと、憧れの世界。




背中のホックを留めてくれた内海さんが、私の頭に手を伸ばす。





「仕上げに、これ。あ、靴も!」









頭のてっぺんに飾られたティアラ、ぴったりサイズのパンプス。


試着のときにはなかったそれらを身につけると、いよいよ準備完了。


更衣室のすみっこに立てかけられている姿鏡をそっと覗き込む。





「……うん、私、だな」





まるで私じゃないみたい────なんてことはなく。



だって現実には、魔法使いはいないし、魔法もない。



かわいいドレスを着て、ヘアメイクを施しても、私はもちろん、私のままだった。

内海さんのおかげで、いつもよりは背伸びできているけれど。



鏡に映る私は、やっぱり私の理想の女の子ではないし、私の思う “かわいい” とはかけ離れている。




どうしたって、私は私なんだ。



願ったって他の女の子にはなれないけれど……、だからこそ、他力本願じゃなくて、自分の気持ちは自分で見つめてあげないとだめなのかもしれない。




私のほんとうを理解して、言葉にできるのは、私しかいない。

その言葉を待ってくれる人がいるのなら、私が届けにいかなきゃいけない。





見慣れた顔────より、ちょっとだけおめかしした顔を鏡ごしに見つめていると、胸の奥にしまいこんだ本音が、どんどん喉の方までせり上がってくるような気がした。








𓐍
𓈒



ついに本番、スポットライトの眩しさに思わず目を細める。


スピーカーから流れる大音量のポップミュージックに包まれながら、ランウェイもどき────生徒たちの間に作られた花道を歩くだけなんだけど、緊張でおかしくなりそうだった。




右手右足が危うく同時に出るところだったし、踵の高い靴に慣れず、何度もつまずきかけた。



もともと人前で注目を集めることが得意じゃないのもあるけれど、なにより、周りの熱気がすごくて。



一般にも公開している1日目とは違って、今日はここの生徒しかいないはずなのに、どこから集まってきたんだろうと思うほどの、すごい人だかり。




上林さんが登場したときなんか、歓声とどよめきで、体育館の天井が落ちてくるんじゃないかと心配になるほどだった。





「……っ、ふう」




心臓をバクバクさせながら、花道をなんとか最後まで歩き終えて、階段を登る。