イケメン不良くんは、お嬢様を溺愛中。

「まだ、わかんねぇの?」


なんとなく、ただなんとなく……。

私たちは両想いなんじゃないかと思う。

それを察せないほど子どもじゃないけど、私はどうしても剣ちゃんの口から聞きたかった。


「教えて……剣ちゃんの気持ち、知りたい」

「知って後悔しねぇか?」

「しないよ。たぶん、私も……剣ちゃんと同じ気持ちだから」


そう言ったとたん、剣ちゃんの両腕が伸びてきて、私の後頭部と腰に回る。

そのまま強引に引き寄せられて、剣ちゃんの身体の上にのっかると、ぶつかるようにキスをした。


「んっ」


重なる唇の熱さと重なる鼓動の早さがお互いの気持ちが同じであることを伝えてくる。


好き、なんだ。
私と同じように剣ちゃんも。
ずっとこうしてたいな……。
離れたくない。
その願いを剣ちゃんも抱いていたのかもしれない。

息をする間もなく、唇は長い時間触れ合っていた。

やがて、名残惜しむようにお互い離れると、私は剣ちゃんの胸に頭をのせたままぐったりする。


「く、苦しい……」

「二度目のキスの感想がそれかよ。色気ねぇな」


二度目……。

あのときのキス、剣ちゃんはちゃんとキスだってわかっててしたんだ。

慰めるだけの行為で、特別な感情なんてない。

だから剣ちゃんのなかでは、なかったことになってるのかと思ってた。

その事実がうれしくて、私はニヤけてしまう。


「つか、してる最中に息止めんなよ。キスで窒息死……はっ、笑えねぇ」


笑ってるけど!

そう言う剣ちゃんは、慣れてるみたいでずるいなぁ。

私はムッとしながら、目の前にある剣ちゃんのシャツをぎゅっと握る。


「じゃあ、どうやるの?」

「それ、俺に教えてほしいってあおってんのか?」

「え、違――」


弁解も聞いてもらえなかった私は、剣ちゃんに顎をつかまれて、今度はついばむようなキスをされた。


「……っ、もう! お願いだから待ってっ」

「顔が赤いな、酸欠か?」


くくっと喉の奥で笑いを押し殺している剣ちゃんに、私は顔から火が出そうになる。


「ひ、ひどい……私、剣ちゃんの口から気持ちを教えてほしいって言ったのに」

「だから教えてやったろ」

「え?」

「行動で」


それはつまり、キスで教えてくれたってこと?

たしかにそうかもしれないけど、そういうことじゃないっていうか。

私がぐっと黙り込んでいると、剣ちゃんはニヤリと笑って腕を引っ張ってくる。


「きゃっ」


体勢が逆転して、今度は私が剣ちゃんにベッドに押し倒されていた。


「お前、不満ありありって顔してんな。俺の気持ち、まだ伝わってねぇか?」

「いえ、もうわかりました!」


だから、解放してください!
ドキドキで、心臓が止まる前に!

恥ずかしくて泣きそうになっていると、剣ちゃんはトドメとばかりに顔を近づけてきて……。


「でも、俺がまだ伝え足りてねぇから、朝までたっぷり付き合えよ」


剣ちゃんは私の耳もとで囁くと、そのまま耳たぶを甘噛みしてくる。


「ううっ、いきなりどうしちゃったの、剣ちゃんっ」


これまでのクールな剣ちゃんがどっかにいっちゃった。

その変化にとまどっている間に、剣ちゃんは私の唇をちろりとなめる。


「嫌か?」

「い、嫌じゃないけど、これ以上したら心臓が止まっちゃうと思うんだ」

「あんまし、かわいいこと言ってんじゃねぇぞ」


剣ちゃんは頬をほんのり赤く染めて、恨めしそうに私を見下ろすと、あろうことかくすぐってくる。


「きゃーっ、くすぐらないで!」

「お預けくらった憂さ晴らしに、責任もって付き合え」


剣ちゃんにひとしきりくすぐられたあと、私は「ぜー、はーっ」と息を切らしながらぐったりする。


「剣ちゃん、容赦ない……ひどい」

「なにかで気を紛らわしてねぇと、俺自身がやばかったんだから仕方ねぇだろ」


剣ちゃんは横にごろんと転がると私を背中から抱きしめて、頭に顎を乗せてくる。


「やばい?」


私はお腹に回った剣ちゃんの腕に触れながら、聞き返した。


「歯止めがきかなくなるって意味」

「なんの歯止め? キスのことなら、ちゃんと予告してくれれば長く息を止める自信あるよ!」


やる気をこめてぎゅっと拳を握りしめる私に、剣ちゃんはぶはっと吹きだす。


「なんだよ、それ。意気込む方向性おかしいだろ。つーか、その特技はどこで身につけたんだよ」

「昔、水泳を習ってたんだけど、まったく泳げなくて。でも、先生から長く潜る天才だって言われたの!」

「ぶっ、なるほど。けどな、その特技を使わなくていいように、してる最中も息はしろ……って、なにを言わせんだ、お前は」


剣ちゃんは私の両頬を片手でつまむと、ぶちゅっと軽く潰す。

唇がタコみたいにすぼまり、私は剣ちゃんの手を軽く叩いて顔を上げた。


「はなひへー」


剣ちゃんが勝手に言ったのに!
なんで私に逆襲するのーっ。

剣ちゃんは唇をとがらせる私の顔を愛おしそうに見つめて、ふっと微笑む。


「好きだ」


あ……。

胸に剣ちゃんの想いが染み込んで、じわじわと広がっていく。

私は身体を反転させて、剣ちゃんのほうを向いた。

私もちゃんと伝えよう。


「剣ちゃん……私も、私も剣ちゃんが好きだよ」


恥ずかしかったけど、言っちゃった。
剣ちゃん、どう思ったかな。

照れながらも剣ちゃんを見ると、目を見張ったまま言葉を失っている様子だった。


「……やべぇな」


口もとを手でおおってつぶやいたあと、剣ちゃんは私をぎゅっと抱きしめて幸せそうに笑う。


「もう、俺のもんだ。誰にもやらねぇ」


私の瞼に、頬に、鼻先にキスの雨を降らす剣ちゃん。

慈しむような触れ方で、さっきまで騒がしかった鼓動が落ち着いていく。

剣ちゃんが私にくれるものは、いつもどれも新鮮。

強引なキス、ついばむようなような軽いキス。

そっと触れるだけの優しいキスに、想いを注ぐような深いキス。

あんなに怖いことがあったのに、不思議だな。

いろんなキスと見たこともない剣ちゃんの表情の数々が私の心を満たしていって……。

いつの間にか、不安を塗り替えるほどの幸福感のなかで、ふたり寄り添うように眠りについた。

想いが通じ合って、私は晴れて剣ちゃんと付き合うことになった。

今日は恋人同士になって、初めて迎えた休日。

せっかくなので、剣ちゃんと駅前のショッピングモールに来ていた。


「お前、お嬢様だろ。こんなショッピングモールで買い物とかするんだな」


隣を歩いていた剣ちゃんは、意外そうに私を見る。


「前にも話したと思うけど、私のお母さんは一般家庭で育った人だから、話に聞いてて行きたくなっちゃって」


お父さんは歴史のある政治家一族の御曹司だったから、なんでも身の回りのことを自分でするお母さんに衝撃を受けたらしい。

自分で生き抜く力みたいなものをお母さんから感じて、そこに惹かれたんだって話してた。

だからお父さんは与えられるだけの人間にならないように、家事も徒歩での登校も許してくれてるんだろうな。

私にいろんな世界を見せてくれるお父さんとお母さんには、感謝しないと。


そんなことを考えていると、剣ちゃんがふっと笑う。


「お前、初めて会ったときから、お嬢様って感じじゃなかったもんな」

「え?」


どういう意味だろう。

それによっては、私に品がないってことに……。

問うように剣ちゃんを見れば、懐かしむように遠い目をして頬を緩めている。


「金持ちのお嬢様なら、守られるのが当然って顔するんだろうなって思ってたのによ。『ありがとう』って感動してくるし、予想が外れた」

私たちが初めて会った日、そんなこと考えてたんだ。

「お嬢様だって、感謝くらいするよ?」

「お前が特殊なんじゃねぇの? 正直、ときどきお前がお嬢様だってこと忘れる」

「えっと、それ……ほめられてるのかな?」

「おう。お世辞と損得勘定で塗り固めたような、上っ面な態度をとらねぇお前といると、居心地がいいんだよ」


少し気恥ずかしそうに耳の縁を赤くしている剣ちゃんの腕に、私はたまらず抱きつく。


「ふふっ」

「笑うんじゃねぇ」


剣ちゃんは照れ隠しなのか、私の頬を軽くつねって引っ張った。


「うー、む、むひへふ」

無理ですって言いたいのに、うまく言葉にならない。
笑わないように、顔に力を入れてみよう。


「むー、ふふふっ」


頑張って真顔になろうとするけれど、ダメだった。

なにをやっても、ニヤけちゃう。

それどころか、声を出して笑っていた。


「……ったく、浮かれすぎだろ」


どうしても顔がゆるんでしまう私に、剣ちゃんは脱力する。


「だって、剣ちゃんといるんだから、仕方ないよ」


抱きついていた腕に頬をすり寄せると、剣ちゃんの頬が瞬時に赤く染まる。


「お前はっ、かわいすぎんだよ」

「ええっ、あの剣ちゃんが――んんっ!」


かわいいなんて言うなんて!

そんな私の言葉は、剣ちゃんのかすめるようなキスによって、さえぎられた。


「ここっ、外だよ!?」


驚きで口をぱくぱくさせている私に、剣ちゃんはべーっと舌を出す。


「俺はしたくなったらする。覚えとけ」


なんて横暴な……!


「おら、行くぞ」


絶句している私の手を引いて、剣ちゃんが連れてきてくれたのは映画館だった。


「なにか観たい映画あるか?」


剣ちゃんはどれでもよさそうだったので、私は最新作のホラー映画にしようと提案した。

すると、剣ちゃんは視線を泳がせる。


「いいのかよ、これで」

「ん? うん、どうせなら最新作の映画が見たいなって。それにこれ、すごい怖いって話題になってるんだよ」

「あっそ」


さっきとは打って変わって口数が減る剣ちゃん。
心なしか、態度もそっけない。

不思議に思いつつも、私たちは上映スペースに入って席に着いた。

上映が開始して数秒、隣からぐっと息を詰まらせる音が聞こえてくる。


「剣ちゃん?」


小声で話しかけると、暗がりのせいか剣ちゃんの顔色が悪い。

まさか、ホラー苦手なのかな? 

いやでも、あの強い剣ちゃんが?

拳銃とかナイフとか持った男の人たちを前にしても、全然動じていなかったのに?

ま、まさかね。

肘かけに乗っていた剣ちゃんの肘に手を添えると、飛び上がる勢いでビクッと反応した。


「もしかして、こういう映画嫌いだった?」


そう問いかけても返事はない。
でも、確信する。


「怖いなら、怖いって言ってくれたらよかったのに」

「なんの話だか、さっぱりだな」


聞き取れないほどか細い声で答える剣ちゃん。

そんなに怯えてるのに、まるで説得力ない。


「ふふふっ」


ホラー映画を見ているのに、私はつい笑ってしまった。

剣ちゃんはギロリとにらんできたけれど、いつものような鋭さはなく、今は全然怖くない。


「剣ちゃんって、かわいいね」

「おまっ……あとで覚えてろよ」


剣ちゃんはガタガタと震えながら、幽霊が画面に現れるたびに押し殺したような悲鳴をあげている。

いつも強くて、かっこいいのに。

今日の剣ちゃんは、やっぱりかわいい。

好きな人の新たな一面を知った私は、映画になんて全然集中できなくて。

後半はずっと、剣ちゃんだけを眺めていた。



映画館を出たあと、私たちはファミリーレストランにやってきていた。


「……食欲が出ねぇ」


疲れ切った顔で額を押さえている剣ちゃんに、私は苦笑いする。


「剣ちゃんにも、怖いものってあったんだね」

「拳でなんとかならない相手は苦手なんだよ」


もはや隠しきれないと悟ったのか、諦めたように剣ちゃんは認める。

そんな剣ちゃんの手を握って、私は笑いかける。


「じゃあ、幽霊が出たときは私が守るからね」

「女に守られるとか、勘弁してくれ。情けなくて死にたくなんだろ」

「好きな人を助けるのに、男も女も関係ないよ」

「そんなこと、よく恥ずかしげもなく言えるな」

赤面した剣ちゃんは頬づえをついて、そっぽを向く。

「剣ちゃん、お腹が空かないなら半分こしよう?」


私は手を挙げて店員さんを呼ぶと、フライドポテトにハンバーグ、ドリアを頼んだ。

少しして料理が届いた。

私たちはスプーンで一緒にドリアをつつく。


「お行儀が悪いけど、ふたりで食べるとおいしいね」

「あぁ、お前んちの食事は毎日フレンチやらイタリアンやらのフルコースだからな。マナーはいいのかよ?」

「いいんだよ、外に出たときくらい」

「じゃあ、口についたソースはそのままでいいんだな」


剣ちゃんはニヤッと笑って、自分の口を指さす。
やだ、恥ずかしいっ。

私は慌てて、ペーパーナプキンでふいた。


「全然、とれてねぇじゃねぇか」

剣ちゃんは手を伸ばすと、指で私の口もとをぬぐう。

「子どもかよ」

「きょ、今日はたまたま!」

「はいはい、たまたまね」


剣ちゃんは興味なさげに、フォークでフライドポテトを食べた。


「もう、適当に流して……絶対に信じてないでしょ」

「見た目はお嬢様でも中身は抜けてっからな、お前」


くくっと笑っている剣ちゃんに、最初はムッとしていた私もつられて吹きだしてしまう。


「剣ちゃんといるとね、息抜きになる」


本当は苦手なパーティーでも、剣ちゃんがいるだけでがんばろうって思えるしね。


「そんなん、俺もだ。見てるだけで癒される存在とか、遭遇したのお前が初めてだな」


剣ちゃんは頬づえをついたまま、優しい眼差しで見つめてくる。

それがくすぐったかった私は、ゆるみっぱなしの顔を隠すようにうつむいた。


「遭遇って、人を未確認生物みたいに言って……」

「ある意味、そうだな」

「ひどい!」

ばっと顔をあげて、私は抗議する。

「ははっ」


照れ隠しに怒れば、剣ちゃんは豪快に笑った。

その顔を見て、なんでか恥ずかしさが鎮火していく。

この笑顔が見られるなら、未確認生物でもエイリアンでも、どんとこい……なんて。

そんなふうに思ってしまう私は、剣ちゃんに夢中だ。



「ご飯代、私が出すよ!」


レストランを出た私は、お財布を手に剣ちゃんに詰め寄っていた。

というのも、私が気づかないうちに今日のお会計のすべてを剣ちゃんがすませてしまったのだ。


「映画のチケットも買ってくれたし、おごられてばっかりで申し訳ないし……」

「俺、お前のボディーガードやる前は家出たくてバイトしてたし、貯金もあるからいいんだよ」

「でも……」

「くどい、もうこの話は終わりだ。ほら、次どこ行きたいのか言えよ」


当たり前のように私の手を握る剣ちゃんに、私の胸は高鳴る。


「ありがとう、剣ちゃん。うーん、そうだな。今度の校外学習に着ていく私服を買いたい!」

「りょーかい」


剣ちゃんは私の手を引いて、エレベーターで8階に上がると、ファッションフロアにやってきた。


「あ、あれかわいい!」


ガラスウィンドウのマネキンを見て、ほしい系統の服がありそうなショップに入る。

さっそく花柄のワンピースを手に取った私は、身体に当てながら剣ちゃんに見せた。


「ねぇねぇ、これとかどうかな」

「丈が短すぎる。却下」

「じゃあこれは?」

「胸もとが開きすぎだろ。却下」


彼氏の許可が下りない……。
なかなか厳しいなあ。

剣ちゃんは私の手から服を取り上げて、勝手にもとに戻すと、代わりに白い小花がプリントされた襟付きのワンピースを渡してくる。


「これとか、似合うんじゃね?」


なんだかんだ一緒に洋服を選んでくれる剣ちゃんに、うれしくて胸がいっぱいになった。


「うんっ、これにする!」

剣ちゃんに選んでもらった服を抱きしめる。


「いや、試着しなくていいのか?」

「でも、私これがいい」

「は? なんでだよ」

「剣ちゃんが選んでくれたワンピースだもん。サイズがちょっとくらい違ったって、これにするよ」


もう決めた、これにする。

私はさっさとレジに向かうと、剣ちゃんが横からすっとお金を払ってしまう。


「ええっ、いいよ! これは自分で……」

「お前が俺の選んだものでそんなに喜んでくれんなら、やっぱ、そこは俺がプレゼントしたいっつうーか」


しぼんでいく語尾と赤くなる頬。

剣ちゃんが照れると、私にも伝染するから困る。


「ほらよ」


剣ちゃんから差し出された洋服の袋を私は両手でそっと受け取った。


「でも、そんな安物でよかったのか?」


ショップの出口に向かって歩きながら、剣ちゃんが尋ねてくる。


「うん! 値段なんて関係ないよ。このワンピースを着た私は、豪華なドレスを着た私よりもずっとずっと素敵になれるって自信があるんだ」

「ん? どういう意味だ?」

「この服を着るたび、私は今感じてる幸せな気持ちを思い出すの。女の子は心から幸せなとき、すっごく輝くんだって、萌ちゃんが言ってたんだ。だから、このワンピースがいい」


そう言ってワンピースが入った袋を大切に抱えると、剣ちゃんは片手で口もとを隠して、顔をそむけた。

今気づいたんだけど、これって剣ちゃんが照れたときにする癖なのかも。

こうやって少しずつ、剣ちゃんのことを知っていくたびに、好きが大好きに、大好きが愛しいになる。

誰かの存在がこんなにも自分の心を満たしてくれるなんて、知らなかったよ。


「なあ、次はどこに……」


そう剣ちゃんが言いかけたとき、パアンッと銃声が響いてどこからか悲鳴があがる。


「なに!?」


びくっと肩が跳ねて、ただ事じゃない雰囲気にドクドクと動悸がした。


「今度はなんだよ? ちっ、ひとまず隠れんぞ」


剣ちゃんは私の手をつかんで走り、近くの更衣室に身を潜める。

しばらくお客さんの悲鳴がこだましていたが、やがて静かになって犯人たちと思わしき声が複数聞こえてきた。


「さっきまでこの店にいたって報告を受けたってのに、どこにもいねぇじゃねぇか」

「逃げたんじゃないのか? まったく、いきなり発砲するなよ」

「仕方ないだろ、人が多くて面倒だったんだから。このほうが森泉の娘を探しやすい」


狙いは私だったんだ。

大勢の人がいる場所で、なんでこんなことができるんだろう……。

自分のせいで大勢の人を巻き込んだという罪悪感に、私は剣ちゃんのシャツをぎゅっと握る。

そんな私の不安に気づいたのかもしれない。

剣ちゃんは狭い更衣室の中でグイッと私を抱き寄せた。


「そんな顔すんな。お前のせいじゃねぇ」

「でも……」

「でも、じゃねぇ」


剣ちゃんは私の頬を両手で包んで上向かせると、深く口づけてくる。

吐息ごと奪うようなキスに頭の奥がしびれて、なにも考えられなくなった。

切ない吐息とともに温もりが離れると、剣ちゃんは私の濡れた唇を親指でぬぐう。


「なんでもかんでも、ひとりでしょい込むな。なにもかも、あいつらが悪い。お前はむしろ被害者だろ」

「うん、ありがとう……剣ちゃん」

「よし、じゃあここから脱出すんぞ」


剣ちゃんは私の手をしっかり握って、更衣室のカーテンを少しだけ開く。


「あいつら、違う場所に移ったみてぇだな。ここから出て、非常階段まで行くぞ」


こんなときでも、剣ちゃんは冷静だった。

音を立てないように腰を低くして、ショップを出た私たちは非常階段の前までやってくる。

よかった、ここまで見つからないで来られた。

ほっとして気がゆるんだのがいけなかった。

先ほど開けた重い非常階段の扉を押さえるのを忘れて、背中越しにバタンッと大きな音が鳴ってしまう。


「向こうに誰かいるぞ!」


犯人に気づかれてしまった私たちは、勢いよく階段を駆け下りる。


「剣ちゃん、ごめんっ」

「いいから足を動かせ!」


でも、剣ちゃんの速さについていけず、スピードはどんどん落ちていく。

私たちがもともといたのは8階で、今は5階。

このままじゃ、追いつかれちゃうっ。

それは剣ちゃんにもわかっていたのだろう。


「愛菜、先に下に降りてろ」

「え……」

それって、まさか――。

「剣ちゃんだけ残って、足止めしようとしてる?」

「おう、建物から出られても安全とは言い切れねぇだろ。だったら、ここでまとめて叩いとく」

「だめだよっ、置いてけない!」

私は剣ちゃんの手を強く握る。

「私、剣ちゃんの手を握るたびにね、決めてることがあるの」

「こんなときに、なんの話して……」

「絶対にこの手を離さないって、ふたり一緒に生きるんだって、決めてるの!」


強く言い切れば、剣ちゃんは驚いた顔をする。

それから徐々に目を細めて、困ったように笑った。


「テコでも動かなそうだな、お前」

「動かない、剣ちゃんのそばにいる!」

「わかった、わかった。俺も腹くくるから、危なくないようにちゃんと下がってろ」


剣ちゃんが私の前に出たタイミングで、ナイフや銃を手にした犯人たちが襲いかかってくる。

剣ちゃんは階段を駆け上がると、男のナイフを手刀で落とすして背負い投げを決めた。