「おい! 誰かいねぇのか!?」
私も剣斗くんの隣に立って、ドンドンッと扉を叩いてみたけれど、誰も気づいてくれた様子はない。
「ボディーガードは外で見張り、使用人は今頃夕飯の支度やらで忙しいのか……。仕方ねぇ」
呼びかけるのをやめた剣斗くんは、扉に寄りかかるようにして座る。
「時間が経てば、俺たちに気づくだろ」
不思議……。
閉じ込められたのに、全然怖くない。
剣斗くんが冷静だからか、私も平常心でいられた。
「おい、なんで子ども部屋にオートロックなんてつけてんだよ。しかも外側からしか開けられねぇって、まるで監禁部屋じゃねぇか」
私を見上げて尋ねてきた剣斗くんに苦笑いしながら、隣に腰を下ろす。
「私は覚えてないんだけど……。小学生1年生のときに誘拐されたことがあったらしいの」
急に重い過去を打ち明けられた剣斗くんは、困惑したように私を見つめる。
それに肩をすくめながら、私はこの部屋にオートロックがつけられたいきさつを話す。
「無事に助けられたみたいなんだけど、私はそのときのことをショックで忘れちゃって……」
「誘拐されたなら、ショックになるのも無理ねぇよな」
「うん……。それで、心配したお父さんが私とお母さんだけをこの別荘に住まわせて、療養させたんだって」
「なるほどな。だからお前、小学生のときにここに住んでたのか」
腑に落ちた様子の剣斗くんに、私は肯定の意味をこめて首を縦に振る。
「そう。それでね、子どもの頃ってなにかと突発的な行動をとるでしょ?」
「まあな」
「だから私が勝手に別荘を出て行って、ひとりでいるときに誘拐されたりしないようにロックがつけられたの」
きっと、たくさんお父さんとお母さんを不安にさせてしまったんだと思う。
この部屋を見てそれを思い出してしまった私は、胸が締めつけられて苦しくなる。
そんな私の横で話を聞いてくれていた剣斗くんは、片膝を立てるとそこに頬杖をついた。
「それなら、お前の親父さんが過保護にする理由もわからなくはねぇな」
「うん。でも、今はわりと自由にさせてもらえてるんだよ。真っ暗な道を通ったり、見るからに危険そうな場所には行かないようにしてるし」
それでも心配だったから、お父さんは私に剣斗くんをつけたんだと思う。
「剣斗くん、理由はなんであれね。私のボディーガードを引き受けてくれてありがとう」
「なんだよ、急に」
目を点にしている剣斗くんに向き直った私は、正座をして頭を下げる。
「私がまた誘拐されたりしないか、お父さんもお母さんも怖いの。その怖さを剣斗くんは軽くしてくれたから」
「お前……自分の安全が守られるからじゃなくて、親のために頭下げてんのか?」
信じられないといった様子で、剣斗くんは口を半開きにしたまま固まっている。
「うん。私の大事な人たちの不安を和らげてくれたことに、すごく感謝してるんだ」
「……お前、ほんとにお人好しすぎんだろ。でも、お前みたいなやつが大勢いたら、世界が平和になりそうだな」
言い方は相変わらずだけれど、剣斗くんのまとう空気が少しだけトゲを引っこめてくれたような気がした。
この調子で少しずつ、剣斗くんと近づけたらいいな。
そんなふうに考えていると……。
『お嬢様!? そこにいらっしゃいますか!?』
夕食の時間になっても現れない私たちを心配して、探しに来てくれたんだろう。
使用人の人に見つけてもらうことができた私たちは、立ち上がって部屋を出る。
「やっと解放されたか」
リビングに向かいながら剣斗くんは、伸びをしていた。
私はその背中を見つめながら、もう少しあのままでもよかったのにな……なんて思う。
そうすれば、もっと剣斗くんと話せたのに。
そう思うとたまには閉じこめられるのも、悪くないかもしれない。
そんなポジティブ思考の自分に、ひとりでくすっと笑っていると剣斗くんが振り返る。
「なにニヤニヤしてんだよ」
嫌なものでも見てしまったみたいに、剣斗くんは顔をしかめていた。
それがおかしくて、私は笑顔を返すと――。
「話しても怒らない?」
「いいから、さっさと吐け」
「実は、もう少し剣斗くんとふたりで話していたかったなーって」
「お気楽なやつ」
「ふふっ、自分でもそう思う」
ゆるんでしまう表情をどうしようもできないでいる私に、剣斗くんの顔がどんどん渋くなったのは言うまでもない。
「面倒くせぇ」
あいつの親父からボディーガードを頼まれた俺は、与えられた部屋のベッドに横になると愚痴をこぼす。
別荘来て早々、子ども部屋に閉じこめられたり、いろいろ俺をイラ立たせる事件は多々あった。
でも、その中でもいちばん俺の胸をモヤモヤさせているのは校門での出来事だ。
『剣斗くんは、なんのために戦ってるの?』
あの問いかけと、あいつの悲しそう顔が頭にこびりついて離れねぇ。
あいつの残像から逃れるように目を閉じれば、思い出したくもない過去の記憶が蘇る。
***
あれはたしか、俺が中学3年生のときだ。
学校から帰ってきた俺は、親父にものすごい剣幕でしかられた。
『剣斗! また学校で騒ぎを起こしたらしいな。お前は警視総監の息子なんだぞ。その素行の悪さ、いいかげんにどうにしかないか!』
『あ? あんたの息子だからって理由で、金せびられたから追い払っただけだっつーの』
どこで情報が流れたのか、俺の家が金を持ってると知った学校のやつらから、俺はよくかつあげに遭っていた。
『みっともなくて人前に出せないって心配してんなら、安心しろ。俺は親父と同じ警官になる予定はねぇからな』
『そういうことを言っているんじゃない。お前は力の使い方を間違っている。どんな悪人にだって、一方的にふるっていい暴力はない。本当に手を出さなければ、守れないときにだけ使うものだ』
『綺麗事ばっか並べやがって、説教なら聞き飽きたんだよ!』
どんっと壁を殴って家を出た俺は、いつものように駅前で不良仲間と集まった。
『剣斗、なんか機嫌悪くねぇ?』
『親父と口論になった。説教に腹立った。以上』
『ははっ、なんじゃそりゃ。まあ、警視総監の親父を持つお前も大変だよな』
こいつらといると、楽だ。
警視総監の息子という鎧を取っ払った素の自分を受け入れてくれる。
体裁とかを気にせずに、心のままに拳をふるうことをこいつらはおかしいとは言わない。
自由でいられる場所だった。
そんなことを改めて考えていると、別の不良グループに絡まれる。
『こっち、にらんでんじゃねぇよ』
『あ? 被害妄想だろ』
くだらねぇ理由で絡んできやがって。
この命知らずが。
『まあいい、ちょうどむしゃくしゃしてたしな。憂さ晴らしに付き合えよ』
俺は立ち上がると、ケンカを売ってきた不良をただ気を晴らすためだけに殴る。
全員を片付け終わると、俺は仲間たちに囲まれた。
『やっぱ強えな、剣斗!』
切れた口の端からにじむ血を拳で拭うと、俺は仲間たちとハイタッチを交わしながら改めて思う。
――ここが俺の居場所だ。
***
「……はぁ」
瞼を持ち上げると、俺は見慣れない天井に向かって手を伸ばす。
「俺は気に入らねぇやつをぶん殴るだけだ」
それなのに、どうしてあいつの言葉が引っかかる?
頭にリフレインするのは、『なんのために戦うの?』という愛菜の言葉。
親父に押しつけられた、面倒な女なのに……。
伸ばしていた手をぐっと握り締める。
なんでこんなにも、あいつのことが気になる?
俺が作ってきた人への壁も簡単に壊して、余裕で心に入ってこようとする女。
「でも、俺は変わらねぇ。あいつはただの警護対象で、それ以上にはならない」
まるで自分に言い聞かせるようにそう口にした俺は、握った拳を荒々しくシーツの上に落とした。
翌朝、食事の席に着いた私は剣斗くんの姿がないことに気づいた。
「あれ? 剣斗くんは?」
家の使用人に尋ねると、うやうやしくお辞儀をされる。
「まだお休みになっておられます。呼びに行ってまいりましょうか?」
「あ、ううん。私が起こしに行ってくるよ」
壁掛けの時計は午前7時半を指している。
そろそろ準備を始めないと、学校に遅刻してしまうので、私は2階にある剣斗くんの部屋に向かった。
「おーい、剣斗くん!」
扉をノックしても反応がない。
「失礼しまーす」
やむをえず部屋に入ると、剣斗くんはベッドにうつ伏せになって爆睡していた。
私はベッドに近づいて、思いっきり叫ぶ。
「剣斗くん、起きて! 朝ごはん食べそこねちゃうよ!」
私は剣斗くんの肩を揺り動かして、何度も声をかける。
すると、剣斗くんは顔をしかめた。
「ん、うるせぇ……」
気だるげにかすれた声をこぼして、剣斗くんは眉根を寄せると――。
「きゃあっ」
剣斗くんの腕が背中と腰に回って、そのままベッドに引きずりこまれる。
「わわわ!」
ぎゅううっと抱きしめられて、心臓が飛び跳ねた。
「け、剣斗くん……寝てるの?」
ドキドキしながら剣斗くんを見上げる。
じゅ、熟睡してる……。
そのことに、なぜかほっとする。
……って、私を抱きしめたのは剣斗くんなのに!
どうして私が、やましいことをしたみたいな気持ちにならなきゃいけないんだろう。
「ううっ、剣斗くん、起きてー!」
なんでも声をかけるけれど、剣斗くんはすやすやと寝息を立てている。
困り果てて、私は剣斗くんを見つめた。
あ、まつ毛長い。
間近にある剣斗くんの顔に、私はつい見入ってしまった。
髪も柔らかそう……触っちゃえ!
えいっと手を伸ばして、剣斗くんの髪をすいてみる。
わー、わー、さらさらだ!
感動しながら、寝ているのをいいことにあちこち触っていると、剣斗くんのまつ毛が震えた。
「んう、な……んだ」
剣斗くんは、ゆっくりと目を開ける。
しばし見つめあうと、剣斗くんはひと言。
「あれ、抱き枕じゃねぇ?」
まだ寝ぼけてるのか、ぼーっとしている剣斗くん。
いつも睨みをきかせてるのが嘘みたい。
無防備で可愛い、なんて……。
言ったら怒りそうだから、我慢がまん。
「うん、私は愛菜だよ」
にっこりと笑うと、剣斗くんの目はみるみるうちに見張かれていき……。
「どういう状況だよ、これは!」
発狂しながら飛び起きる剣斗くんに、私も身体を起こして説明する。
「朝食の時間なのに席にいないから、起こしに来たんだよ。そうしたら、剣斗くんが私と抱き枕を間違えたみたい」
「……あのなぁ、男の部屋に平然と入るな。ベッドにも近づくな」
念を押す剣斗くんに、私は首をかしげつつもうなずく。
「はーい」
「お前、その顔はぜってぇ納得してねぇだろ」
だって、ただ起こしに来ただけなのに。
なにがいけないんだか、わからないんだもん。
「わからねぇなら、教えてやる」
まるで私の心を読んだように、しびれを切らした剣斗くんが手首をつかんでくる。
「へっ……きゃっ」
そのまま、あれよあれよという間に、私はベッドに押し倒されていた。
「剣斗くん、これは……」
どういう状況?
困惑しながら剣斗くんを見上げていると、その整った顔が近づいてくる。