イケメン不良くんは、お嬢様を溺愛中。

「ぐはぁっ」

男は私の前の階段を転がり落ちていく。

「このガキ!」


犯人のひとりが剣ちゃんに殴りかかろうとした。

けれども剣ちゃんは、男の手首をつかんで勢いよく引っ張ると階段下に落とす。


「死にてぇのか!」


そのとき、男が剣ちゃんに銃口を向けた。

銃を持った男に完全に背を向けていた剣ちゃんが避けるのは不可能に近い。

私はとっさに履いていたパンプスを脱いで、男に投げつける。


「えいっ」

「いってぇ!」


するとラッキーなことに、とがったヒールの先が男の額に食い込んだ。

あれ、うまくいった?

目を瞬かせていると、剣ちゃんがひるんだ男を一撃で倒し、階段を駆け下りてきて私の手をつかむ。


「助かった。やるな、愛菜」

「今年の運を使い果たしちゃった気分だよ」

「安心しろ。愛菜がピンチのときは、俺の運を全部使って助けてやるよ」


おかしそうに笑った剣ちゃんと一緒に、出口を目指す。

ようやく建物の外にやってくると……。


「ケガはありませんか!」


私たちは警察に保護されて、無事に家に帰ることができたのだった。



「よくも飽きもせず、毎度まいど追いかけ回してきやがって……あいつら暇人だろ!」


ふたりでベッドに腰かけると、剣ちゃんはストレスを発散するように大きな声を出す。

私はなんとなく離れがたくて、剣ちゃんの部屋にお邪魔していた。


「剣ちゃん、疲れたよね? 今日も私を助けてくれてありがとう」

「彼女を守るのは当然だろ。いちいち礼なんかいらねぇ。つーかお前、逃げてる間もそれ離さなかったよな」

剣ちゃんの視線は私が抱えている袋に注がれていた。


「うんっ、死守しました!」


この中には剣ちゃんがプレゼントしてくれたワンピースが入ってるから、なんとしても守りたかったんだ。


「お前のそういう、人の気持ちを大事にするとこ、いいよな」

「へっ? 剣ちゃんが人をほめた……!」


頭をガツンッと殴られた気分だった。

剣ちゃんはというと仰天している私を見て、こめかみに青い筋を走らせる。


「おいこら、なんだその驚きは。俺に失礼だろうが」


剣ちゃんは私を後ろからはがいじめにして、顎で脳天をぐりぐりしてきた。


「わーっ、ごめんなさい! ごめんなさい~!」


頭が痛いっ、剣ちゃん手加減してよーっ。

涙目になりながら、私はギブアップとばかりに剣ちゃんの腕をパシパシと叩く。


「俺から簡単に逃げられると思うなよ」


そんなやりとりも楽しくて、私はついに吹きだしてしまった。


「なんか、こうして剣ちゃんと一緒に普通に恋人として過ごせることが幸せ」


私は抵抗をやめて、剣ちゃんの胸に寄りかかる。

体重をかけても剣ちゃんは力持ちだからきっと大丈夫……なはず。

すると剣ちゃんは私のお腹に両腕を回して、抱きしめ直した。


「俺もだ。ただ、お前が隣にいてくれれば、それ以上のことはなにも望まねぇ」


ここ最近、狙われてばかりだったからかもしれない。

些細な幸福にも気づけるようになった気がする。


「なあ、それ着て見せてくれよ。結局、俺が選んだものがいいって言って、試着もしなかっただろ」


剣ちゃんは私の膝の上にある洋服の袋を見て、期待に満ちた目をする。


「剣ちゃんのお願いなら、全力で叶えるよ!」


私は服を持って一旦隣の自室に戻ると、剣ちゃんのプレゼントしてくれたワンピースに身を包む。

幸いなことに、サイズもピッタリだ。

剣ちゃん、気に入ってくれるといいな。

私はドキドキしながら、剣ちゃんの部屋の扉を少し緊張気味にノックする。

――コンコンッ。


「入るね?」

「おう」


中から返事があると、私は中に入る。


「へへ、どうかな?」


改まって見てもらうのは照れくさい。

だけど、私は剣ちゃんの前でくるりと回る。

ふわりとスカートの裾が揺れると、剣ちゃんが食い入るように私を凝視していた。


「剣ちゃん?」


反応がないので、ベッドに座っている剣ちゃんに近づくと力強い腕が腰に回って引き寄せられる。


「似合ってる。すげぇかわいい。これ、校外学習に着てくのやめとけ」

「ええっ、なんで!」

「俺だけが知ってればいいっつーか。他の男に見られんの……嫌なんだよ」


うつむき加減に視線をそらす剣ちゃんの耳は、ほんのり赤い。

えっと、これって怒ってる?

知らず知らずのうちに、地雷を踏んでしまったのだろうか。


「じゃ、じゃあ……剣ちゃんとお出かけするときにだけ、この服は着るね?」


私は腰をかがめて剣ちゃんの首に抱き着くと、背中をぽんぽんと優しく叩く。

すると、剣ちゃんはなにかを怪しむような目で見上げてきた。


「んだよ、これは」

「えっと……ご機嫌を直してもらおうかと」

「あのな、別に俺は怒ってねぇぞ?」


え、そうだったんだ。

剣ちゃん、なんかムスッとした顔してたから勘違いしちゃった。


「俺はただ、お前を誰にも取られたくなくて、焦って……束縛してる自分にちょっと嫌気が差したっつうーか」


言いにくそうに説明してくれる剣ちゃんに、私はくすっと笑う。


「取られるもなにも、私は剣ちゃんのものなのに」

「なっ……」

「だからね、剣ちゃんも私のものってことにしても……いい?」


思い切って頼んでみると、剣ちゃんは目を白黒させる。

あれ、ダメだったかな?

私のものになって、なんて……生意気すぎた!?

心の中で不安になっていると、剣ちゃんは私の腕を引っ張って自分の膝の上に座らせる。


「とっくにお前のもんだろ」

「え?」

「俺の心も、この身体も全部……。俺は愛菜にあげてるつもりだって言ってんだよ」

熱っぽい剣ちゃんの視線に、全身が火照りだす。

「うれしい……すっごく、うれしい」


私は剣ちゃんの腕をぎゅっとつかんで、大好きがあふれて胸が焦がれるような、幸せな苦しさにじっと耐えた。


「愛菜」


恥ずかしさのあまり、唇を噛んでうつむいていると、剣ちゃんが下から顔を覗き込んでくる。


「真っ赤じゃねぇかよ」


ふっとうれしそうに笑った剣ちゃんに、いっそう頬が熱くなった。

剣ちゃんはすっと長い指で私の頬を撫でると、顎を掴んで強制的に上向かせる。


「好きだ」

「私も……私も好き」

「ん、知ってる」


剣ちゃんは満足げに口角を上げると、味わうようにゆっくりとキスをした。

唇は重ねたままベッドに押し倒されて、私は剣ちゃんの胸を軽く叩く。


「シ、シワになっちゃう。剣ちゃんの服、買ってもらったばっかりなのに」

「別にいいだろ。俺の前でしか着ねぇんだから」


剣ちゃんは私の心配をよそに、またちゅっと音を立ててキスをした。


「でも……」


長く大切に着たいし……。

なかなか引き下がらない私に、剣ちゃんはしびれを切らしたのかもしれない。

私のスカートの裾をまくり上げるようとしたので、慌ててその手を押さえる。


「剣ちゃん!?」

「シワになんのが嫌なら、俺が脱がせてやるけど」

「それはちょっと……」


いろいろ、恥ずかしすぎる。

硬直している私に、剣ちゃんは不敵に笑って――。


「ばーか、冗談だよ。じゃ、黙って俺を受け入れろ」


少し楽しそうに、困っている私に口づけた。

波乱のデートから数日後。

私はいつものメンバーで昼食をとったあとも、ランチルームに残って談笑していた。

学園の昼休みは間近に迫った美術館での校外学習の話で持ちきり。

それを耳にした剣ちゃんはだるそうに頬づえをつく。


「美術館なんて興味ねぇ。俺はパス」

「休んじゃダメだからね? ただでさえ剣ちゃん、テスト再試験だったんだし」

「英語、苦手なんだよ」

「だから、そのぶん出席日数は稼いでおかないと。それに私も行くんだし……その、一緒に回りたいなって」


こっちが本音だった私は、もじもじしながら伝える。

すると剣ちゃんは一瞬ぎょっとした顔をして、やがて前髪を握りしめると目をそむける。


「……はぁ、仕方ねぇな」

「やった!」


ついはしゃいでしまう私に、剣ちゃんは照れくさそうに飲んでいたカフェオレのストローを噛む。

それを観察していた学くんは意外という顔つきをして、腕を組んだ。


「俺はてっきり森泉のほうが矢神に面倒を見てもらっているのだと思っていたんだがな。逆だったのか」

「愛ぴょんの記念物級の天然さは、不良を更生する力があるんだね。いつか、ケンケンも閣下なみの優等生になるんじゃない?」

「最近は授業中も寝ていないようだしな」


感心したように萌ちゃんに賛同する学くんに、剣ちゃんは気まずそうに答える。


「俺が寝てたら、愛菜が危ないときにすぐ助けられねぇだろ。最近、白昼堂々襲ってくるしよ」

それを聞いた萌ちゃんが目をキラキラさせる。

「愛ですなあ。じゃあ、そんなケンケンに、いいものを見せてあげましょう」


萌ちゃんは「じゃじゃーん」と言って、ロリータファッションに身を包んだ私の写真を見せる。

それを目にした剣ちゃんは固まった。

どうしたんだろう?

気にはなりつつも、私はスマホを手に萌ちゃんにお願いする。


「萌ちゃん、ふたりで写ってる写真があったら、私に送ってほしいな」

「もちろんだよ! ケンケンも欲しい? 欲しいでしょう~?」


写真をちらつかせながら迫る萌ちゃんに、剣ちゃんは「ぐっ」とうめいて、必死に目をそらしている。


「うふふ」


萌ちゃんが不気味な笑みを浮かべると、学くんは眉根を寄せた。


「なにが『うふふ』だ。気色悪い」


「だってー、ケンケンの反応がかわいくって。そうだ! 愛ぴょん、帰ったらこれ着てみてね」


萌ちゃんが【ヴェラ】のロゴが入ったかわいい包みを私に手渡す。


「これはなに?」

「愛ぴょんへのプレゼント! うちの新作だから、着たら写真撮って送ってね」


ずっとなにか持ち歩いてるなとは思ってたけど、私へのプレゼントだったんだ。


「ありがとう、萌ちゃん」

「うむ! そんでもって、これを着て給仕をすること。きっとケンケンが喜ぶよ」

「うん?」


なんで剣ちゃんが喜ぶのかは、わからないけど……。

とにかく帰ったら、これに着替えて剣ちゃんに給仕をすればいいってことかな?


「おい、愛菜になにさせる気だよ」


話を聞いていた剣ちゃんが、萌ちゃんに疑いの眼差しを向けていた。

ちょっと、お手洗いに行ってこようかな。

話し込んでいたら昼休みも終わりに近づいていて、私はみんなにひと声かけると席を立つ。

教室を出て廊下を歩いていると、また雅くんに会った。


「この間はごめんね」


雅くんは私の前で足を止めると頭を下げてくる。


「ううん、でも……どうしてあんなことを?」


あんなこと。

それが指しているのは、雅くんに襲われかけたことだ。


「きみが好きだかから、かな」


雅くんは少しも迷わずにそう言う。

けれど、私は本気の好きを剣ちゃんからもらったからわかるんだ。


「雅くんは、私を好きじゃないよ」

「どうしてそう思うの?」

「そう聞かれちゃうと困るんだけど、好きで好きでたまらないって気持ちが伝わってこないの。なんだか……口だけが勝手に告白してるみたい」


そう、例えるなら――。


「人形みたいってこと?」


私が言おうとしたことを、まさかの本人が口にした。


「雅くんのこと……傷つけてたらごめんね。だけど、どうしても心から出た言葉には思えないんだ」

「はは、すごいね。きみは見かけによらず、鋭くて聡明だよ。さすが森泉先生の娘ってところかな」

「え?」


自嘲的な笑みを浮かべる雅くんは、廊下の窓に視線を移して、外の光にまぶしそうに目を細める。


「俺は父から『俺の敷いたレールの上を歩け』って言われて育ってね。それは楽だったけど、正直つまらなかったんだ。だってさ、刺激がないから」

「刺激?」

「そう、刺激。平和で順風満帆な日々って、なにも考えなくていいから、飽きがくるんだよ。俺はもっと、そういうなんの変哲もない日常をぶっ壊したいんだよね」

「えっ……」


雅くんの言葉に耳を疑う。

平然と、雅くんはなにを言ってるの? 

よく理解できない。

困惑して返事ができないでいると、雅くんはスッと私の髪をひと房すくう。


「なんて、きみに言っても理解できないか。きみもお父さんも、平和第一主義だもんね。でも、聡明なきみもひとつだけ勘違いしてるよ」


考えが追いつかない私に構わず、雅くんはひとりで語り続けた。


「ほかの女の子たちとは違って、きみが俺の特別であることはたしかだ。それがきみには伝わってないみたいだけど、この感情は今まで俺の中にはなかったものだよ」


あ……今のは嘘じゃない気がする。

初めて雅くんの本心に触れられた気がして、少しだけ緊張が和らぐ。


「きみは俺の退屈を終わらせてくれる気がするんだよね。ねえ、このままきみのこと……さらってもいい?」


雅くんの腕が私を引き寄せて、閉じ込めるように抱きしめてくる。

優しい仕草だったのに、その力は強くて身じろいでもびくともしない。


「わ、私は……っ、剣ちゃんが好きなの。だから、雅くんのものにはなれない」

「今、その名前を出さないでくれないかな」


雅くんの手が私の顎を乱暴につかんで持ち上げる。

そのまま唇をこじ開けるように親指を差し込んできた。


「あっ、うう……」


急に雅くんの空気が変わった!?

もしかして、剣ちゃんの名前を出したから?

恐怖で心臓がバクバクと脈打つ。

雅くんは引きつる私の顔をまじまじと見つめて、楽しそうに口角を吊り上げた。


「言い忘れてたけど、俺……きみのそういう困った顔とか、泣き出しそうな顔がいちばん好きだよ」


そんなの、全然うれしくないよ……。

逃げ出したいけど、身体が動かない。


「た……すけ、て……けん、ちゃ……」


助けて、助けて剣ちゃんっ。

口の中に雅くんの指が入っていて、ちゃんとしゃべれない。

でも、雅くんには私がなにを言いたかったのか、わかってしまったらしい。


「呼ぶなって、言ったよね?」


すっと表情を消した雅くんが廊下の真ん中だというのに、私に顔を近づけてくる。

まさか、キスするつもり!?
嫌だっ。

ぶんぶんと首を横に振っていると、遠巻きにこちらの様子を眺めている生徒たちの姿が見える。

みんな雅くんに逆らえないのか、見て見ぬふりをして立ち去ってしまった。

そんな……。

絶望的な状況にぎゅっと目を閉じると、頬に涙が伝う。

真っ暗な視界に浮かぶのは、剣ちゃんの顔だった。

抵抗もできず、雅くんの吐息が唇にかかったとき――。


「公衆の面前で、なにやってんだよ!」


剣ちゃんが雅くんの胸倉をつかんで、勢いよく私から引きはがす。


「剣ちゃん!」


その姿を見ただけで、心に光が差すみたいに不安が消えていった。

剣ちゃんは私の目の前に立つと、眉を釣り上げたまま振り返る。


「全然帰ってこねぇから、探しにきてみたらこれだ」


怒ったようにそう言って、剣ちゃんは視線を転じる。

後ろによろけた雅くんは胸もとのワイシャツを整えながら、私と剣ちゃんを見比べた。


「きみ、本当に毎回タイミングが悪いよね」

「タイミングがいいの間違いだろ」


バチバチとした一触即発の雰囲気に、廊下には誰もいなくなっていた。

雅くんの家の権力は強いから、できることなら誰も関わり合いになりたくないんだろう。


「いい機会だから言っておく。俺は愛菜が好きだ」


雅くんの前で言い切ってくれる剣ちゃんに、私の心臓が大きく音を立てる。


「俺の全部をかけてもいいって、そう思えるやつなんだよ。だから愛菜を泣かすなら、手加減なんてしてやらねぇ。本気で潰す」


剣ちゃんはまるで強張った私の心をほぐすように、想いを言葉にしてくれた。

それにうれし涙がぽろっとこぼれたとき、雅くんがイラ立たしそうに爪を噛む。


「あー、もう。こんなにむしゃくしゃするのは久々だよ。でもね、俺はきみと剣斗くんが両想いだろうと、どうでもいいんだ」

「お前が入る隙はねぇって言ってんだろうが」

「きみたちを見てたら、どんどん自覚するよ。俺の心をかき乱す愛菜さんが憎くて愛しいってね」


狂気的なまでの愛情に、手足が震える。

すぐに両腕で自分の身体を抱きしめるけれど治まらず、その場に崩れ落ちそうになった。


「ふざけるなよ。お前は屈折しすぎだ」


冷静に指摘する剣ちゃんの声が間近に聞こえて、すぐに力強い腕に抱きとめられる。


「お前に愛菜は渡さねぇって言ってんだよ」


その腕の強さに、剣ちゃんの言葉が本心から出たものだとわかる。

私は甘えるように、目の前の温かい胸に顔を埋めた。

こうしてると、落ち着く。

剣ちゃんの体温に、ようやく息をつけた気がした。


「それにな、気持ちを押しつけんのは愛情じゃねぇぞ。ただの独りよがりだ」


剣ちゃんは私をいっそう引き寄せ、鋭い眼光で雅くんを見すえる。


「これ以上、お前と話してても無意味だ。さっさと俺たちの前から消えろ」

「今は俺が引いてあげる。だけど……俺は諦めてないからね、愛菜さん」


最後にふっと笑って、雅くんは離れていく。

すると雅くんの周りには、教室から様子をうかがっていたファンの女の子たちが集まった。

私は雅くんの背中を見送りながら、胸に渦巻く不安に耐えきれずつぶやく。


「私は……どうしたらいいんだろう」


雅くんの行動を止められないと、またこうして襲われることになる。

思い悩んでいると、剣ちゃんが私の頭を自分の胸に引き寄せた。


「どうもこうもねぇよ。お前のことは俺が守る」

「剣ちゃん……」

「つーか俺、これからお前のトイレにもついていかないといけねぇのかよ。更衣室に続いて、ますます犯罪者に間違われるじゃねぇか」


げんなりしている剣ちゃんには申し訳ないけれど、悩んでいる理由がなんだかおかしくて、私はくすっと笑ってしまう。

すると、剣ちゃんが私の髪をわしゃわしゃとかき回す。


「まあ、なんだ。お前はそうやって笑ってろ」

「ふふっ、うん。ありがとう」


さっきまで怖くてたまらなかったのに、剣ちゃんに触れられだけで嫌な記憶が吹き飛ぶみたい。

不思議な安堵感に包まれて、私は自然と剣ちゃんに笑って見せた。



「えーと、着方あってるかな?」

学校が終わり、屋敷に戻ってきた私は萌ちゃんからもらったヴェラの新作に身を包んでいた。


「これは……メイド服?」


うちにいる使用人さんたちが着ているものより、フリルが多くて色もカラフルだけれど、デザインは似ている。


「丈は短いし、胸元も開きすぎかな? こんなハイソックス、履いたことないから不思議な感じかも」


私は鏡台の前に立って、約束の写真を撮ると萌ちゃんに送った。

それから、私がやらなきゃいけないことは……。

萌ちゃんから指示されたことを思い出す。

剣ちゃんの給仕だ!


「でも、なにをすればいいのかな」


考えを巡らせていると、萌ちゃんから返信がくる。

【愛ぴょん、かわいいいっ! それから、ケンケンへの給仕はできたかな?】

私はワラにもすがる思いで、即座に【実はなにをすればいいのか、思いつかなくて】と返した。

するとすぐに、スマホがピコンッと音を立てる。

画面を確認すると【困っているだろう親友のために、萌からアドバイスだよ】というメッセージとともに給仕の項目が送られてくる。

①料理を振る舞うべし。
②ケンケンの膝の上に座って、料理を食べさせてあげるべし。
③着替えを手伝うべし。
④ケンケンが眠るまで、頭を撫でてあげるべし。


「わあ、さすが萌ちゃん!」


私は【ありがとう】と返して、私は手料理を振る舞うために部屋を飛び出した。

そのまま大きな厨房に足を踏み入れる。

そこにいたシェフや使用人たちは、私の姿に目をむいて驚いていたけれど、私のわがままで今日だけ食事の支度を休んでもらった。


「さて、やるぞ!」


私は気合を入れてお母さんに習ったお味噌汁やブリの照り焼き、だし巻き卵に切り干し大根の煮物を作る。


「剣ちゃん、家では和食が多かったって言ってたし、喜んでもらえるといいんだけど……」


わくわくしながら料理を終えると、私は剣ちゃんが待っているリビングへ行った。


「失礼いたします!」


私は使用人の人たちにも手伝ってもらって、料理を中に運び込む。


「なっ、お前……」


剣ちゃんは私を見て、信じられないというように何度も目をこすったあと、驚愕の表情のままフリーズした。

すべての料理を並べ終わると使用人の人たちには下がってもらって、部屋にはふたりきりになる。


「剣ちゃん、これ私の手作りなんだ。お口に合うといいんだけど……」

「まず、その格好の説明を求める」


剣ちゃんは怖い顔をして言った。


「え? これ、萌ちゃんからのプレゼントだよ。ほら、今日の昼休みにもらってたでしょ?」


くるりとその場で回って見せると、剣ちゃんはすぐさま私から視線をそらす。


「こんの、バカ! スカート短けぇのに、あんまし動くんじゃねぇよっ」

「でも、かわいいよね」

「それはまあ……って、なに言わすんだよ!」

「ええっ、なんで怒ってるの!?」

「自分の胸に手を当てて考えろ」


言われた通り胸を押さえて心当たりを探す。

うーん、うーん……。


「ごめんなさい、わかりません」

「……あ?」


今まで史上、ドスがきいた「あ?」だった。

私は剣ちゃんの顔色をうかがいつつ、びくびくしながらも一応伝えておく。


「あ、あのね。私は今日剣ちゃんの給仕係なので、そこのところよろしくね」

「よろしくね、じゃねぇ。今すぐ着替えてこい。この屋敷にも男がわんさかいるってのに、危ねぇだろうが」


私よりも落ち着かない様子で人目を気にしている剣ちゃんに、私はにっこりと笑う。


「大丈夫! もう剣ちゃんにしか見せる予定ないから」

「なにが大丈夫なのか、わからねぇ」


どっと疲れたような顔をする剣ちゃんに、私は今のうちだとばかりに近づいた。


「ケンケンの膝の上に座って、料理を食べさせてあげるべし」

「――は?」


口を半開きにしたまま目を点にする剣ちゃんの膝の上に、私は強引に座る。


「では、どうぞ!」


私はまず、お箸でだし巻き卵を剣ちゃんの口に運んだ。


「いや待て、この状況で食えるわけねぇだろ。お前な、急になにを始めてんだよ」

「えっと、萌ちゃんの給仕リストを実行しようかと思いまして……」

「給仕リスト? なんだそれ」


顔をしかめる剣ちゃんに、①から④までの給仕リストを伝える。

すると、みるみるうちに剣ちゃんのまとう空気が張り詰めていくのがわかった。

怒ってる……これは怒ってる!


「あ、でも! これはいつも私を守ってくれる剣ちゃんへの日頃の感謝も込めて、恩返しっていうか、その……嫌かな?」

「嫌とか、そういう話じゃねぇんだよ」


剣ちゃんはもごもごとつぶやくと、私の腰をぐいっと引き寄せる。


「仕掛けてきたのは、そっちだからな。俺を挑発しておいて、ただですむと思うなよ」


熱っぽい瞳に捉われて、ぼーっとしてしまった私はうっかりだし巻き卵を落としそうになった。