気づけばいつも探してた

土曜日だし、時間もまだ早いこともあってか店はそれほど混んでいない。

小さなカウンターとテーブルが三つほど並んぶこじんまりとした店内には、一人で飲みに来ているお客ばかりで安心する。

とりあえず店員さんに案内されるがまま空いていたカウンター席に腰をかけた。

正面の壁にはおすすめメニューが所狭しと貼りだされ、その中にあった『日替わり刺身』が目につく。

カウンター越しに立っていた人の好さそうな丸顔のおかみさんに日替わり刺身の内容を聞いてみると、私の大好きなサーモンがメインだというのでここぞとばかりに生中と日替わり刺身を注文。

すると、おかみさんがくるくるとかわいらしく笑いながら「それだけで足りる?今日は肉じゃがもおすすめだよ」と教えてくれた。

このおかみさんが作る肉じゃがはおいしいような気がしてそれも頼む。

すぐに運ばれてきた生中をのど元に流し込むと、今日の疲れがビールの泡と一緒に一気に消えていくようだ。

グラスをカウンターの上に置くと、すうーっと静かに息を吐いた。

スマホで撮影した松本城の画像を眺めながら、今日はなんだか落ち着かない一日だったけどまぁそんな日もあるわと気を取り直してみる。

それなのに、ふとあのsho-の不敵な笑みを思い出し、慌ててまたビールを流し込んだ。
あー、やだ。

せっかくの松本城だったのに、会うべきはずではない人に会ってしまった。

SNSやってることは、親友にも両親にも秘密だったのに。

やっぱりね。

城好きって恥ずかしいことじゃないけれど、皆に触れられない自分をSNSではさらけ出してるから誰にも見られたくないもの。

ましてや、そんな自分を知っているSNSで出会った人とは絶対出会いたくない。

見えてる自分と隠してる自分。

隠してる自分を知ってるわけだから。

弱みを握られてるも同然。

でも、まぁ、あの一瞬だったからお互い本名も素性もわからないままだし、もう会うことはないわね。

自分自身に言い聞かせながらグラスを持ち上げ、再び口元に付けようとしたその時、隣で声がした。

「隣いいですか?」

せっかく至福の時を今まさに味わおうとしてるっていうのにタイミング悪いったら。

私は渋々グラスから口を外すと、正面を向いたままあいまいな微笑みを作り「どうぞ」と答えた。

「お楽しみのところ申し訳ありません」

椅子を引く音と一緒にその男性は私に頭を下げた。

「いえ、大丈夫です」

表情に出ちゃってたかな。

私はそう言いながら、かなり恐縮しているように感じた彼の方に顔を向け苦笑した。

「また会っちゃいましたね、meeさん」

へ??

思わず持っていたグラスを落としそうになる。

顔を上げた彼は、まさしく松本城で出会ってはいけないのに出会ってしまったsho-だったから。
目を見開いて彼の顔にくぎ付けになる。

「ど、どうして?」

「どうしてって、ただの偶然」

彼は涼やかに笑うと、カウンター越しのおかみさんに生中を頼んだ。

もう二度と会うことはないと思っていた彼の横顔が、松本城の時よりも至近距離にあるなんて。

私は奥歯をくっと噛みしめて前を向いた。

日替わり刺身と肉じゃがはあきらめて店を出ようかしら。

「はい、お刺身と肉じゃがお待たせ!」

おかみさんはそんな私の気も知らず、満面の笑顔で二つのおいしそうな皿を目の前に置いた。

ぐるるる……。

自分の体が正直すぎて嫌になる。

思い切り隣にも聞こえるような大きな音でお腹が鳴った。

気づいているはずだろうsho-は前を向いたままわずかに目を細めると、敢えてそこには触れずにビールを口に含む。

恥ずかしい上にこれを彼の横で一人で食べることに気が引けた。

思いのほか刺身も肉じゃがも量が多いし。

「食べきれないからよかったらどうぞ」

私は意を決して、二人の間に皿を寄せながら言った。

「ん?」

彼のアーモンド型の目が少し見開かれて皿に視線を落とす。

「いいの?」

「ええ」

「こうやって偶然隣り合わせちゃったけど、meeさんにとっては無関係でいた方がいいんじゃないかと思ってたんだけど」

彼の方に視線だけ向けると、彼は頬杖をついたままた私をじっと見つめていた。

その目があまりにもまっすぐで思わずドキンと心臓が跳ねる。

た、確かにそうよね。

例え偶然にもまた会っちゃったけど、他人の振りすれば他人のままいられる。

いられる?

「くっ……」

sho-はうつ向いて小さく笑うとすぐに顔を上げた。

「冗談。せっかくまた会ったんだしこれも何かの縁だよね。きっと会うのはこれが最後だし、今夜くらい楽しく過ごさない?」

妙に納得するようなことを言われて、これ以上拒否するのもどうかと思い始める。

「それじゃ、今夜だけ」

お酒が進むにつれ、嫌でも饒舌になっていく。頭でセーブしなくちゃとわかってるのに、お酒の力というものは恐ろしいもので。

あれほど自分のことも相手のこともお互い知らないままでいようと思ってたのに。

ハンドルネームのsho-の本名は翔だと言っていた。

苗字はお互い言わなかったけれど、聞いといて自分の名前を教えないのはずるいと翔に乗せられ、私の名前が美南だってことも教えてしまった。

二人とも東京出身でどこで働いてるかはお互い内緒。

翔は私より二つ年上だということもわかった。

彼は物事をよく知っていて、語彙が豊富で話していたらあまりのおもしろさにぐっと引き込まれる。

着てる服も明らかに仕立てがよく、ちょっとした仕草も品があるのはきっとそれなりの家柄じゃないかと感じた。

私の周りにはなかなかいないタイプの人種だったから。

「美南が城を好きになったきっかけは?」

「祖母のおかげかな。私が小さい頃いつも近所の城跡の公園に連れていってくれてていてね。その城跡がとても面白い場所で、むき出しになった石垣だけしか残っていないんだけど、一つ一つ丁寧に計算されて積み上げられた石にロマンを感じたってうか」

「へー、石垣にロマンか。まずはそこが起源だったんだ。興味深いね」

「そう?祖母はそれから色んな城があることを教えてくれてね、まだ元気なうちは一緒に城巡りしていたの」

「おばあさまは今は?」

私はふぅと息を吐き手元に視線を落とした。

「今、入院してるの。最近体調崩してて」

「そうか……早く元気になるといいね」

「そうね。一緒に姫路城行こうって約束していたの。ちょっと遠いから今の状態では難しいかもしれないけど」

翔は何も言わず優しく口元を緩めると静かに頷いた。
「美南のSNSの視点がとてもユニークで目をひいたんだけど、石垣の話を聞いて合点がいったよ」

「どういうことかしら?」

私は頬を膨らませて軽く翔をにらんだ。

「例えば大阪城でもさ、君が興味惹かれたのはかつては漆塗りで大量の金が使用されて豪華絢爛な城だったのに思いを馳せていただろう?一見目に見えるその向こうを見ようとするのは美南独特だから面白いと思う」

「それもおばあちゃん譲りかもしれないわ」

もうすぐ退院する祖母と今度こそは姫路城に行けるだろうか。

今年で83歳になる祖母は、最近一気に足腰が弱くなり、骨折したり肺炎を起こして入院することが増えた。

年だからしょうがないけれど、やっぱり寂しい。

元気な祖母が当たり前だったから。

翔は腕時計に目をやると、私に向き直り言った。

「俺、明日の朝早いんだ。これから最終で帰るよ」

「そうなの?」

なんだろう。なんだか胸がキュッと締め付けられる。

手帳を取り出した翔が何やらサラサラ記入すると、そのページを破って私に手渡した。

「これ俺の連絡先。まぁ今夜限りって言ってたから処分してくれてもいいけどね」

彼は少し照れ臭そうにうつ向くと、椅子の背にかけていた上着を羽織り立ち上がる。

「また会えてよかった。元気で」

「あ、はい。あなたも元気で」

翔は大きなリュックを背負うと右手を挙げ軽やかに店を出ていった。

彼のいなくなった席はぽっかりと寂し気に口を空けてるように見える。

翔とは今日初めて出会ったはずなのに、昔から知ってるみたいに色んな話をして、正直楽しかった。

こんなに初対面で打ち解ける人ってこれまでいなかったよな。

ある意味貴重な出会いだったのかもしれない。

彼の連絡先が書かれたメモをそっと握りしめた。

私も最後のビールを飲み干し店を出ることにする。

「お勘定お願いします」

厨房で洗い物をしていたおかみさんに声をかけると、おかみさんが首を傾げてこちらにやってきた。

「さっき帰ったお連れさんが、あなたが席を立ってる間に全部払ってくれましたよ」

「え??」

まじですか?!

またかっこいいことしてくれちゃって。

ご馳走なんかしてもらったら、お礼しなくちゃいけないじゃない。

結局、なんだかんだでたくさん飲んで食べちゃったもの。

当分、あのメモは捨てれそうにない。

翔……か。

どこの誰かもわからない。

だけど、そんな悪い人ではないよね。

私はもらったメモを自分の手帳に丁寧に挟むと、椅子から立ち上がり「ごちそうさま!」と厨房に声をかけ店を出た。


それが、翔との出会い。
3.美由紀

美由紀が久しぶりにうちに遊びに来た。

スレンダーでスタイルのいい美由紀はどんな服装でも似合う。

軽くウェーブがかった薄茶色の髪を後ろに束ね、白い襟のついたシンプルなシャツに足の長さが引き立つグレーのパンツを合わせていた。

そして、黒いトレンチコートを羽織り、耳元には大ぶりのゴールドのアクセサリー。

顔立ちがはっきりとした二重美人なので少し地味な恰好でもくすんで見えることもない。

背も低く、ぽっちゃり体型、肩までのストレートセミロングの私には考えられないことだった。

肌が白いと七難隠すというけれど、それは私には全く当てはまらないと思っている。

それは母も同感のようだ。

「美由紀ちゃん、いらっしゃい。久しぶりだけど、その美貌は健在ねぇ。少しでもその美貌、美南に分けてくれないかしら」

母が玄関前で会釈をする美由紀に朗らかに声をかけた。

もう!いつも一言多いんだから!

私は美由紀に苦笑しながら、母の腕を小突いた。

「おばさんもお元気そうで何よりです。今日はお邪魔してしまってすみません」

「いいのよ。私も久しぶりに美由紀ちゃんに会えるの楽しみにしてたんだから。さ、入って!」

母は美由紀の肩をポンポンと叩き、早く入るよう促す。

どうして、母が私の職場同期の美由紀とそんなに親しげなのかというと、母が1年前から習い始めた韓国語教室に美由紀も来ていたから。

まさか、私の同期だとは知らず親しくなっていて、たまたま平日美由紀とランチしていたところに通りがかった母と遭遇しその事実を知った。

「まさかねぇ。美由紀ちゃんがうちの美南と会社の同期だなんて思いもしなかったわ」

キッチンから紅茶の入ったティーカップをトレーに乗せてやってきた母は私たちの前にカップを置いた。

「ほんとご縁ですよね。あの、これお口に合えばいいんですが」

そう言いながら、美由紀はどこかの洋菓子店で買ってきただろうケーキの箱を母の前に差し出す。

「あら、そんな気を使わなくたっていいのに。でもうれしいわ、皆で頂きましょうか。美由紀ちゃん、ありがとう」

母は、見ていた私が恐縮してしまうくらいうれしそうな顔をしてその箱を受け取った。

「ごめんね、美由紀」

小声で自分の鼻の頭に手を縦にして当てた。

「いいのいいの。地元で有名なケーキ屋さんのケーキでとてもおいしいの。一緒に食べたくて買ってきただけだから」

美由紀はきれいな二重の大きな目を細めて笑った。

品のいい口紅の色。思わず微笑む彼女の口元に見とれる。

そりゃモテるよね。

それにいつも女性らしい気遣いができる人。

私には到底まねできない。

早速切り分けたおいしそうなロールケーキを持って母が登場する。

別に母も一緒に食べなくてもいいのに。こういうところ、全く気が利かない。

私が気が利かないのも母譲りなのかもしれないな。

目の前に置かれたロールケーキのケーキはこんがりきつね色。

ふわふわの生クリームがあふれんばかりに入っている。

「おいしそう!早速頂きます!」

おいしいものには目がない私は手を合わせると遠慮なくいただくことにした。
甘くてふわふわのロールケーキを頬張りながら母が美由紀に顔を向ける。

「美由紀ちゃん、確か韓国語教室で皆と飲みに行った時彼氏がいるっていってたけど、まだ結婚はしないの?」

「お母さん!」

こんな場で唐突にそんなデリカシーのない話題を振った母を軽くにらむ。

正直私もずっと気になってたことだから母をにらみながらも美由紀の次の言葉を待っていたりもしたんだけど。

「ええ、最近まではいましたけど今は一人です」

「そうなの?」

母と私の声がシンクロして、慌てて自分の口を押さえる。

美由紀がそんな私と母を交互に見るとプッと吹き出した。

「ごめんなさい!」

そう言った声も母子シンクロ。

これには思わず母と美由紀と三人顔を見合わせて笑ってしまう。

「素敵な親子」

美由紀がお腹を抱えながら私たちに言った。

少し空気が和んだ中、美由紀は深呼吸をする。

「そうなのよ、美南。まだ言ってなかったけど、以前付き合ってた彼とはお別れしたの」

「確かもう2年くらい付き合ってた彼だったよね。とても優しくて、頭よくて尊敬できる彼だって言ってたじゃない?」

母の存在が気になりながらも尋ねると、ようやくこの場にいるべき人間ではないと察したのか、母は「ちょっと夕飯の買い物してくるわね。美由紀ちゃんごゆっくり」と言って席を外した。

「おばさん、気を使われたのね。別に一緒に聞いてくれててよかったのに」

美由紀は首をすくめると紅茶をゆっくり口に含んだ。