「許せるわけないんだよ、忘れられるわけないんだよ。だって、裏切っちゃったから、裏切られちゃったから。元になんて戻れるわけない。これからだって、私、あなたのこと、絶対に許せない。あなただって、きっとそう。事あるごとに、思い出して、苦しくなって、相手を疑って・・・多分それはもう、どうしようもないんだよ。」
「・・・。」
「あなたを信じられない、そして逆にあなたからの信頼も失ってしまった。だから私達は別れたんだよね。別れるしかなかった、もうどうしようもないんだから。そう納得したはずなのに・・・。」
「・・・。」
「この1ヶ月、改めてずっと考えてた。考えて、考えて・・・それでやっと気付いたの。自分の本当の気持ちに。」
そこで、私は隆司さんを真っすぐに見た。そして一つ大きく息をすると言った。
「それでも私はやっぱり、あなたと一緒にいたいんだって。」
「朱美・・・。」
その瞬間、息を呑んだように私を見つめる隆司さん。
「私はあなたを愛してる。私には、あなたが必要なの。一緒にいて、味わう苦しみより、あなたを失って味わう辛さの方が、どんなに大きいか、私はこの4ヶ月で思い知った。だから・・・私は決めたの。もう一度、あなたを信じようって。私はやっぱり、あなたと夫婦でいたい。こんな言葉で言うほど、簡単じゃないんだよ、きっと。それはわかってる。でも、あなたと乗り越えたいの、ううん、あなたとなら、きっと乗り越えられる。ずっと一緒にいたいの。だから・・・。」
「朱美。」
「えっ?」
「もう、いいよ。」
なぜかそう言って私の言葉を、遮る隆司さん。
「隆司さん・・・。」
一番肝心な言葉を遮られて、戸惑う私に
「ちょっといいか?」
「えっ?」
「一緒に、行きたい所がある。」
そう言って立ち上がった隆司さんは、あっけにとられる私の手を引いて、リビングを出た。
玄関を出て、私に助手席に乗るように促すと、そのまま車をスタ-トさせる隆司さん。
「ねぇ、どこに行くの?」
そう尋ねても、何も答えてくれない。不安な気持ちのまま、私は車上の人になった。
だけど・・・車を走らせること1時間余り。私の中で徐々に遠くて、でも忘れ得ない思い出が蘇ってくる。そして、その思い出に、私が心躍らせていると、車はやがて静かに止まった。
「ここは・・・。」
「覚えてる?」
と優しく微笑みながら、問い掛ける隆司さんに
「忘れるわけ、ないでしょ。」
と答えた私もやはり微笑んでいる。けどその瞳は、少し潤んでたかもしれない
「行こう。」
と言う隆司さんの声に、1つ頷いた私は車から降り立つ。そして迎えに来てくれた彼の左手に、右手を預けて歩き出す。秋の陽が落ちるのは、半月前に比べても、だいぶ早くなった。
でも、まだ明るさが残り、目に飛び込んで来る光景は、あの頃と変わらない。先に続くこの小径を10分ほど歩くと、きっとあの場所にたどり着く。あの時と同じように・・・。
そして・・・突然目の前が開ける。私達は吸い込まれるように、その先に進むと、そこには確かに26年前のあの時に、2人で一緒に見た光景があった。
そう、あの日。長かった隆司さんの就職活動が終わり、久しぶりのデートに、私の心は弾んでいた。
一緒に行きたい所があると誘われて、その美しい風景に見惚れていると、なんの前触れもなく、隆司さんがいきなり小さな包みを私に差し出した。
呆然と自分を見つめる私に、隆司さんは言った。
「朱美のことを、心から愛しています。大切にして、必ず幸せにします。だから・・・俺と結婚して下さい。」
今でも、一言一句はっきり覚えているこの言葉を私にくれた。予想もしていなかった、でもとても嬉しくて、幸せなプロポーズだった。そんな大切な場所に、隆司さんは今また、連れてきてくれた・・・。
夕陽がまさに沈もうとしている地平線を、私達は言葉もなく見つめる。まさにあの時と同じ。これは偶然なの?それとも計算してたの?隆司さん・・・。私の胸に、熱いものがこみ上げてくる。
「きれいだな。」
「うん。」
私達はしばし、その懐かしい光景を見つめる。
「あのさ。」
「えっ?」
「焦ったんだけど」
「何が?」
「言おうとしてたこと、全部先に言われて。どうしようかと思った。」
そう言って、横の私を見る隆司さん。
「隆司さん・・・。」
「このままじゃ、俺の言うことがなくなる。全部、君に言われちまうって。」
「・・・。」
「せめてどうしても最後の言葉だけは、自分で言いたかった。言わせて欲しかったんだ。そこから先は、男のターンだろって。」
「隆司さん・・・。」
「だから、無理矢理、ここまで引っ張って来てしまった。全部俺のエゴ、勘弁な。」
そう言うと、隆司さんは私の両肩を掴んで、私の身体を自分の方に向けさせた。
見つめ合う2人。隆司さんはじっと私を見つめ、私もそんな彼の目を真っ直ぐに見つめる。
そして・・・
「朱美のことを心から愛しています。今度こそ、絶対に朱美だけを見て、大切にして、必ず幸せにします。だから・・・俺ともう一度、結婚して下さい。」
私を見つめたまま、隆司さんはあの時・・・とは少し変わってたけど、でもほぼ同じ言葉を、私にくれた。あの時と同じように、真摯に、万感の思いを込めて。
「はい。」
その2度目のプロポーズの言葉に、私はそのひと言しか、返せなかった。だって、胸がいっぱいで、それ以上の言葉が出てこなかったから。やっぱり、あの時と同じように。
「隆司さん!」
そして、次の瞬間、私は隆司さんの胸に飛び込んでいた。
「愛してるよ、朱美。」
「私も愛してる。誰よりも隆司さんを愛してます。」
そう言い合った私達は、どちらともなく、瞳を閉じ、唇を重ね合う。それは、いつ以来かの、夫婦に戻った証の、深くて熱いキスだった・・・。
その後、沈み行く夕陽を、寄り添って見ていた私達は、太陽が完全に地平線にその姿を没するのを見届けると、お互いを見た。
「きれいだったね。」
「ああ。」
そう言って微笑み合う。
「さぁ、これからどうしようか?」
「うん・・・家に帰ろう。」
「えっ?」
これから、ディナ-にでも誘ってくれるつもりだったらしい隆司さんは、私の返答に驚く。
「明日、当たり前だけど、あなたはお仕事でしょ?帰って、いろいろ準備しないと。」
とすっかり主婦に戻った発言をした後
「それに、今は一刻も早く、うちに帰りたい。私とあなたの、私達家族のあのおうちに。」
ちょっとはにかみながら、そんなことを言った私。そんな私の顔を、少し見つめた隆司さんは
「可愛い。」
「えっ?」
「やっぱり最高に可愛いんですけど、俺の嫁さん。」
と満面の笑み。
「隆司さん・・・。」
そんなことを、面と向かって言われて、いよいよ照れ臭くなって、俯いた私に
「帰ろう。」
と言った隆司さんは、また優しく私の手を取って、歩き出した。いい齢して、何、恥ずかし気もなく・・・というご指摘は、甘んじて受けますから、今は自分達の世界に浸らせて下さい・・・。
帰り道、アパ-トに寄って、当面の身の回りの物を持ち出した私は、再び隆司さんの助手席に。そう、一人暮らしの今の部屋に戻る必要は、もうないんだ。
しばらく走ると、我が家の灯りが見えてくる。
「電気点いてるな。清司、帰って来てるのかな?」
「そうじゃない?デートとか言ってたけど、そんなわけないし。」
「それはアイツに失礼じゃないか?」
「休みの度に、母親の部屋に泊まりに来てた子に、彼女なんかいるわけないでしょ。」
「それも、そうか。」
隆司さんは、吹き出している。
「でも子供達にも、すっかり迷惑かけちゃったね・・・。」
「そうだな、本当にいろいろ心配してくれたし。感謝しないと。」
「うん・・・。」
私達は、一転神妙な表情になる。
私達が玄関に入ると、まるで子供の時のように、次男がリビングから飛び出して来た。
「ただいま。」
「お帰り・・・母さん、お帰りでいいんだよな?」
「うん。」
私が頷くと、それまで少し不安そうだった次男の顔が、パッと明るくなった。
「よし!」
そう言ってガッツポ-ズしている次男に
「清司、いろいろ心配かけてごめんね。でもお陰様で、お父さんから、戻って来ていいって、許可をいただいたんで。」
と言うと
「おい、人聞き悪いことを言うなよ。それじゃまるで俺がお母さんを追い出したみたいじゃないか。」
と隆司さんは慌てるけど
「まぁまぁ、もうそんなのどうでもいいじゃないか。さ、入って、入って。」
と、次男は本当に嬉しそうに、私をリビングに引っ張って行く。
そして、リビングに入って行くと
「あれ?早いお帰りで。てっきり久しぶりに、しっぽりお楽しみの後のお帰りかと思ってたのに。あ、これからここでってことか、こりゃ、お邪魔しちゃったかな。」
と昭和のオヤジかというような、下品な冷やかしを口にして、ニヤニヤ顔の長男が。
「あんた、何それ、どうしたの?」
そんな長男に、思わず突っ込んでしまったのは、正司の前には、大きな桶にびっしりと並んだ美味しそうなお寿司があったから。
「兄貴が自信満々にさ、『不肖の親達も、やっと元サヤに収まったから、今夜はお祝い。っていうか、頑張った俺にご褒美。』とか言って、勝手に出前頼んだんだよ。」
ちょっと不肖の親って、何よ・・・って言えないけどさ。でもこのお寿司、いくらするの?
「でも、俺の言った通りだろ?当然、父さんと母さんの奢りだからね。清司、お前も早く食えよ、やっぱりうまいな、ここの寿司は。」
とすっかりご満悦の長男を、あっけにとられて見ていたけど
「ねぇ、正司・・・。」
「お前、彩乃さんはどうしたんだ?」
「もちろん、ちゃんと送って来たよ。あっ、2人によろしくって、いい子だろ?」
と言いながら、長男の箸は止まらない。
「でも正司、本当は彩乃さんに、私達のこと話してたんでしょ?」
「えっ?」
私の言葉に、清司は驚くけど、正司はやっぱりバレてたか、って表情になる。
「彼女がウチに挨拶に、って話になって、さすがに本当の理由は言えなかったけど、ウチの親、ちょっといろいろあって今、別居してる。オフクロを家に呼び寄せるいい機会だから、協力してくれって頼んだ。」
「やっぱり・・・。」
「彼女も、どうなるんだろうって、不安一杯だったみたいだけど、いざ2人に会ってみると、とっても仲良さそうで、いい雰囲気で。無理して取り繕ってるようにも見えなくって、なんで別居してるんだろうって、不思議だったらしい。だから、思わず『今度遊びに来てもまた会えますよね?』って言っちゃったんだって。」
初対面の息子の彼女に、そんな気を遣わせてしまった私達は、やっぱり駄目だね・・・。
「確かに、今日お母さんが、この家に帰って来てくれたのは、本当にいいきっかけになった。背中を押してもらったよ。今日がなかったら、俺達はまだ会う勇気が出てなかったかもしれない。それは感謝だが、彩乃さんを巻き込んでしまったのは、やっぱり申し訳ないことをしたよな・・・。」
その思いを口にした隆司さんに
「俺も迷ったよ。でも、思ったより時間かかってたからさ。」
「えっ?」
「清司から話聞いた時は、あちゃ~、2人して何してくれちゃってんの?って思ったけど、まぁ、それでもせいぜい2ヶ月もあれば、収まると思ってたから。」
「・・・。」
「なんだかんだ言って、父さんと母さんが離れられるはずないからさ。」
「正司・・・。」
「それに元々離婚する気なんてないくせに、なにいつまでも意地張ってるのかとも、思ってたし。」
「えっ?」
「兄貴、それ、どういう意味だよ?」
驚く隆司さんと清司を見て
「えっ、母さん、まだ本当のこと、話してないの?」
と正司に視線を向けられ、私は思わず俯いた。
「母さん、離婚届、出してないよな?」
「はぁ?」
「正司、お前、何言ってる・・・。」
長男の爆弾発言に、次男は呆気にとられ、隆司さんは、長男を問い詰めかけて、一転私に視線を向ける。
「母さん、マジなのかよ?」
と聞いて来た次男に
「うん・・・。」
と俯いたまま、頷く私。
「なんだよ、それ・・・。」
「朱美、一体どういうことなんだよ?」
次男は呆れ、夫は訳がわからんとばかりの声を出す。
「ごめんなさい。」
とまずは謝罪した私は、その後言い訳タイム。
「誤解しないで欲しいのは、最初からお芝居するつもりだったわけじゃ、決してなかったからね。あの時は、本当に悩んで、苦しんで・・・考えて考え抜いて、私から離婚を切り出した。そうすることが正しいと決心して、お父さんにも同意してもらった。清司、見てたよね。私が出て行く前の日、どんな様子で、あの届を書いてたか。あれがお芝居だったら、私、女優になれる。」
「まぁ・・・な。」
「そして、お父さんは次の日、仕事が早かったから、私が届を預かって、この家を出た。その日は、引越しの後始末とかに追われて、結局出しに行けなくて。次の日からは、仕事が始まって、バタバタして、あっと言う間に数日が過ぎちゃって・・・。」
「・・・。」
「夜1人でご飯食べながら、しみじみ考えちゃった。お父さんと結婚して、あんた達が生まれてから、私、ひとりぼっちの日は1日たりともなかったなって。お父さんが出張しても、あんた達がいたし、あんた達が部活の合宿に行ったって、2人同時にってことはなかったから。お父さんと2人の子供の顔を誰1人見ることなく、過ごした日なんて、本当になかったなぁ、なんて改めて考えた。そしたら、急に寂しくなって、やっぱり無理!って・・・。」
「お母さん・・・。」
そう呼ぶ夫の声に、明らかな呆れが感じられるのが辛い。
「その次の日、清司が泊まりに来た。なんか嬉しくて、ホッとして、明日このまま一緒に家に帰っちゃおうかななんて思っちゃって。でも、こんなことじゃダメだと思って、次の日、清司にお父さんに渡してって、結婚指輪を託そうとした。もう1回、これで踏ん切り付けようと思って。」
「あれ、そういう意味だったの?」
ようやく腑に落ちたと言った声の次男。
「でも、当たり前だけど、そんなの直接返せって言われて・・・。だけど、あの時点でお父さんに会っちゃったら、それこそ、そのままズルズルとなし崩しになっちゃいそうで。そうこうしてるうちにひと月が過ぎちゃって、さすがにもうキチンとしようって決心したところに、お父さんから、復縁目指して、もう1度付き合おうって言ってもらったから、いよいよ出せなくなっちゃって・・・。」
「・・・。」
「そうならそうと、確かに早く言うべきだったよね。でも、なんか申し訳なくて、どうしても言えなくて・・・みんなをだます形になっちゃった。」
「・・・。」
「隆司さん、ごめんなさい。清司もごめんね。」
そう言って、私は頭を下げるけど、この微妙な空気は、やっぱり・・・。
「父さん、もういいじゃん。母さんが変な小細工する人じゃないって、一番わかってるのは、父さんだろ?」
この雰囲気を見かねて、宥めるように言う長男。
「わかってるよ、別に怒ってるわけじゃない。ただ、あまりに意外な顛末に驚いてるというか、戸惑ってるだけさ。」
夫はそう答えると
「そう言うお前は、なんで気が付いたんだ?離婚届、お母さんが出してないことに。」
と長男に聞き返す。
「2人が別居して、1ヶ月くらい経ったあと、俺こっちに来たよね。それで、母さんに会いに行って話した時、半分からかうつもりで、恋愛したらって言ったら、もうあんなこと、まぁ不倫のことだけど、2度としたくないって即答でさ。この人、独身なのに、なに言ってんだろうと思ってたら、思い出した。」
「何を?」
「その前の日にここに泊まった時、父さんが会社の手続きに必要だから、離婚証明書みたいものって市役所行けばもらえるのかって騒いでたの。それでハハーンと思った。」
と何やら得意そうに語る長男。
「離婚届って、婚姻届と違って、なかなか夫婦揃って出しに行く人いないから、提出してから2週間くらいで、離婚届を受理したっていう通知が当事者に届くんだよ。それが届かないってことは・・・さ。」
「知らなかった・・・。」
「私も・・・。」
「ついでに言うと、離婚届は24h受付、郵送提出も可。お二人とも、物を知らな過ぎ。」
「って言うか、兄貴こそ、なんでそんなに詳しいんだよ?」
と少々呆れ顔で聞く次男。
「そりゃ、気になって調べたからだよ。今どき、ネットで調べりゃすぐわかるよ。」
「・・・。」
なんか長男の独壇場になって来た・・・。
「それに気付いたから、お前はこんなメールを送って来たのか?」
そう言って、夫が差し出した携帯に目をやった私は
(えっ?)
思わず、顔が赤らむ。だってそこには、さんざんもめた挙句、長男に撮られた、何とも言えない表情をした会社の制服姿の私が・・・。
『おたくの嫁さん、ヤバいよ。この人を、野に放ったままでいいの?誰かに持ってかれても、知らないからね。 重症のマザコン息子より』
なんてメッセージ付き・・・もう。
「送られて来た写真見て、確かにと思っちゃったよ。もともと一回ケジメ付けて、改めて口説くつもりだったけど、さすがに3ヶ月くらいは間、置くつもりだった。でもこのメール見て、不安になって、慌てて次の日、お母さんのとこに行ったのは、事実。」
「そうだったの・・・?」
なんなんだろう、この父子は・・・。
「じゃ、やっぱり俺、いい仕事してたんじゃんか。」
と自慢げな長男だったけど
「ふざけんなよ!」
突然怒声が。見れば、次男が長男を睨んでる。