『麻結? どうした?』

 耳元で織の声がするだけで、なんだか緊張する。私は平静を装い、用件を口にした。

「あ、織。えーと、織ってまだホテルにいる……?」
『そろそろ出ようと思っていたところだけど』
「よかった! あのね。テーブルに私の腕時計なかった? 今朝、外したまま忘れちゃったみたいで」
『ああ。あのあとすぐ気づいたよ。必要なら、これから届けようか?』
「ううん! あったならそれでいいの! 織が持ってて。今度取りに行くから」

 腕時計があったという安堵よりも、織が会いに来るかもしれないという動揺のほうが上回る。

 毎日のように会っていた日々があったなんて嘘みたい。
 今なら、織が毎日隣にいたら、心臓が持たない気がする。

 私が断ると、織は特に変わった様子もなく『わかった』とひとこと答えたのを最後に、通話を切った。

「ふー」

 なにを織相手にこんなに緊張しているんだか。

 心の中でそうつぶやいても、実際にはまだドキドキしている自分がいる。
 デスクに着くまでに、昂る気持ちを落ち着けないと。

 深呼吸を繰り返して一歩踏み出そうとした瞬間、背後から声をかけられた。

「おはよう」

 肩を上げて振り返る。後ろには井野さんがいた。彼とは昨夜も話が半端で終わっているから、とても気まずい。

「お、おはようございます。うちのフロアに来るなんて珍しいですね」

 とりあえず挨拶を返し、向こうの出方を待つ。