19歳になる頃には、すでに、悪いと言われることは、ほとんどやっていた。小学4年生で、万引き、親の金に手を付ける。15〜18で、シンナー、マリファナ、シャブ、援交、飲酒、タバコ…。
シンナーとマリファナはとにかく臭い!!シャブは気持ちよくもなく、タバコがまずくなり、禁断症状がひどすぎるからやめた。
援交は、別にお金が欲しかったんじゃなく、自分に金額を付けられるという感覚が面白かっただけだった。飲酒はそれに勢いをつけるのに欠かせなかっただけ…。だから、ヤる前は欠かさず飲んだ。
タバコだけは依存した。人間関係を築くこと自体に恐怖心が抜けず、タバコと精神科の薬だけが頼りだった。
その頃、メル友兼セフレのような人がいた。当時は2〜3歳年上のその人とだけヤッていた。定期的だった生理が来なくなり、わたしは不安になり、妊娠検査薬を試してみた。………結果は陽性。
わたしはとりあえずセフレにメールする。
『妊娠したみたいなんやけど…どーする?』
彼からの返事は、まぁ、想像通り…
『ホントにオレの子なん?』
『最近他の人としてないもん!この前中出ししたやん!』
『あれはお前がいいって言ったんやん!』
『…で、産むん?』
『堕ろすやろ』
『ウチだけで堕ろすん?お金は?』
『じゃあ2人で話そう。』
………わたしは不安になって返信をためらった……
母に言うと、
「…で、どうするの?」
「降ろさな産んでも育てられんやん」
と言うと、
「お父さんに話しなさい。」
と言われた。
幼い頃から泣くと怒られていたわたしは、極度の緊張状態になると、笑うクセがついた。そのクセが仇となった。
笑いながら
「あのね、ちょっと話があるんやけど…」
と言ったところで、父の怒声がとぶ。
「お前は人の命をなんだと思ってるんだ!笑いごとやないんぞ!」
母から話がいってるんだな。妙な納得。
「じゃあ、相手にもそう言えば?」
と言って携帯を出す。父は
「そんな男と話しても無駄だ!」
と言って、彼はお咎め無したった。
中絶手術も一人で行った。看護師さんもお医者さんも冷たかった。
……そりゃそうだ……わたしは人殺しなんだから……
中絶手術は死ぬほど痛くて、わたしは泣き叫んだ。
「もっと痛くて苦しいのは、赤ちゃんなのよ!」
……返す言葉がなかった…
最後は麻酔で眠らされた。
10-9-8………わたしは深い眠りに落ちた。
目が覚めると、病室にいた。わたしはひどい虚無感に襲われていた。
帰り際、エコー写真が欲しいと言ったが、看護師さんに断られた。
「この子はもういないんだから、産んであげる子を大事にしなさい。」
わたしは無言で頭を下げた。
家に帰り、自室にこもる。
父が帰ってきて、わたしの部屋に来た。
「気分はどうだ?」
「いいわけないやろ!」
「そうか…」
「父ちゃんが、泣くなって育てたんやん!それで泣かないように…って笑ったら怒るっち、なんなん?彼にも同じように怒ってよ!体も心も痛めたのウチなんね!」
「ごめんな。父さんも、お前にそんなことさせたヤツとは口も聞きたくないんよ。お前も辛いんよな。」
と言って出ていった。
わたしはその日からまたODを始めた。
母は、
「お母さんが電話して、半額出してもらったから…。」
と言ったが、信じられなかった。
次はアルコールにハマった。
Barによく行くようになり、昼間、出会い系サイトで知り合った男と関係を持ち、夜はBarで酔いつぶれるまで飲んで、そのままそこのお兄さんと関係を持つなど、自分を大事にする感覚が麻痺していた。
リスカもひどかった。アームカットに意向し、深さも深くなり、わたしの腕には常に包帯が巻いてあった。
全部楽しくなかった。こんなクソみたいな人生早く終わればいいと思ってた。
身体障害者の母を心底羨ましいと思った。精神障害者でも、見た目にはわからない。別にかわいそうとも言われない。心はいくら傷がついても、誰にも見えないから……。
シンナーとマリファナはとにかく臭い!!シャブは気持ちよくもなく、タバコがまずくなり、禁断症状がひどすぎるからやめた。
援交は、別にお金が欲しかったんじゃなく、自分に金額を付けられるという感覚が面白かっただけだった。飲酒はそれに勢いをつけるのに欠かせなかっただけ…。だから、ヤる前は欠かさず飲んだ。
タバコだけは依存した。人間関係を築くこと自体に恐怖心が抜けず、タバコと精神科の薬だけが頼りだった。
その頃、メル友兼セフレのような人がいた。当時は2〜3歳年上のその人とだけヤッていた。定期的だった生理が来なくなり、わたしは不安になり、妊娠検査薬を試してみた。………結果は陽性。
わたしはとりあえずセフレにメールする。
『妊娠したみたいなんやけど…どーする?』
彼からの返事は、まぁ、想像通り…
『ホントにオレの子なん?』
『最近他の人としてないもん!この前中出ししたやん!』
『あれはお前がいいって言ったんやん!』
『…で、産むん?』
『堕ろすやろ』
『ウチだけで堕ろすん?お金は?』
『じゃあ2人で話そう。』
………わたしは不安になって返信をためらった……
母に言うと、
「…で、どうするの?」
「降ろさな産んでも育てられんやん」
と言うと、
「お父さんに話しなさい。」
と言われた。
幼い頃から泣くと怒られていたわたしは、極度の緊張状態になると、笑うクセがついた。そのクセが仇となった。
笑いながら
「あのね、ちょっと話があるんやけど…」
と言ったところで、父の怒声がとぶ。
「お前は人の命をなんだと思ってるんだ!笑いごとやないんぞ!」
母から話がいってるんだな。妙な納得。
「じゃあ、相手にもそう言えば?」
と言って携帯を出す。父は
「そんな男と話しても無駄だ!」
と言って、彼はお咎め無したった。
中絶手術も一人で行った。看護師さんもお医者さんも冷たかった。
……そりゃそうだ……わたしは人殺しなんだから……
中絶手術は死ぬほど痛くて、わたしは泣き叫んだ。
「もっと痛くて苦しいのは、赤ちゃんなのよ!」
……返す言葉がなかった…
最後は麻酔で眠らされた。
10-9-8………わたしは深い眠りに落ちた。
目が覚めると、病室にいた。わたしはひどい虚無感に襲われていた。
帰り際、エコー写真が欲しいと言ったが、看護師さんに断られた。
「この子はもういないんだから、産んであげる子を大事にしなさい。」
わたしは無言で頭を下げた。
家に帰り、自室にこもる。
父が帰ってきて、わたしの部屋に来た。
「気分はどうだ?」
「いいわけないやろ!」
「そうか…」
「父ちゃんが、泣くなって育てたんやん!それで泣かないように…って笑ったら怒るっち、なんなん?彼にも同じように怒ってよ!体も心も痛めたのウチなんね!」
「ごめんな。父さんも、お前にそんなことさせたヤツとは口も聞きたくないんよ。お前も辛いんよな。」
と言って出ていった。
わたしはその日からまたODを始めた。
母は、
「お母さんが電話して、半額出してもらったから…。」
と言ったが、信じられなかった。
次はアルコールにハマった。
Barによく行くようになり、昼間、出会い系サイトで知り合った男と関係を持ち、夜はBarで酔いつぶれるまで飲んで、そのままそこのお兄さんと関係を持つなど、自分を大事にする感覚が麻痺していた。
リスカもひどかった。アームカットに意向し、深さも深くなり、わたしの腕には常に包帯が巻いてあった。
全部楽しくなかった。こんなクソみたいな人生早く終わればいいと思ってた。
身体障害者の母を心底羨ましいと思った。精神障害者でも、見た目にはわからない。別にかわいそうとも言われない。心はいくら傷がついても、誰にも見えないから……。