一生に一度の「好き」を、全部きみに。


「これからどうするんだよ?」

咲は眉間にシワを寄せて不愉快極まりない態度だけど、そんなことを聞いてくるってことは、少しは私のことを気にしてくれているのかな。

「まぁ……なんとかなるような? あんまり考えてない……」

「なんで疑問系? 考えてないって……。つーか、なんで裏口なんかにいたんだよ?」

「さぁ……? 忘れちゃった」

「忘れたって、おまえ……」

小さくため息を吐いたあと、咲はダルそうにひとこと。

「めんどくせ」

「かくまってくれたことは感謝してる。ありがとう」

「べつに、俺は賛成したわけじゃないし。そんなんでいちいち礼とかいらねー」

「ううん、助かったから……ありがとう」

さすがに失礼かと思って帽子を取って咲に笑顔を向ける。

すると、咲の大きな目がこれでもかってほど見開かれて、動揺するように揺れた。

「だ、だから、べつに礼なんかいらねーんだよ!」

ぶっきらぼうにそう言うと、咲はプイと顔をそらして私に背を向ける。

なんでだろ、耳の縁が赤いような……。

お礼を言われることに慣れてないのかな?

「ボロボロの格好してるし、わけ、わかんねーよ。おまえ」

「またおまえって言った!」

「あー、はいはい。すみませんね」

「悪いと思ってないでしょ?」


さっきまで咲にビクビクしていたはずなのに、変なの。言いたいことがズバズバ言えてる。

態度は悪いけど、私の心配をしてくれたりして、悪い人じゃないってわかったからかな。

子どもみたいな咲に思わず笑みがこぼれる。

「なに笑ってんだよ」

ゆっくり振り返った咲が、じとっと私を見やる。

「私ね……死ぬの」

「…………」

ポカンとしたあどけない表情。咲はあからさまに目を瞬かせた。

「ぷっ、あはは! 冗談だよ! ちょっと嫌なことがあったんだけど、ライブで咲の歌声聴いたら、感動して全部吹き飛んじゃった」

「え? は? 冗談……感動って。変なこと言うなよ」

「ごめんごめん。咲の歌声がめちゃくちゃよかったって話。実は、感動して泣いちゃったんだよね……あはは」

今でも心に残ってる透き通るような声が。一生懸命で、まっすぐで、私の心に響いたんだ。

私だけじゃない、あそこにいた誰もが咲の声と音楽に魅了されていた。


「やっぱわけわかんねーわ」

「ふふっ、それでもいいよ」

未だに怪訝な表情を浮かべる咲は、やれやれといった様子。

「マジでめんどくせーし」

「ふふっ……あは」

「だから、なに笑ってんだよ」

「べつに、なにも」

「わけわかんねぇ」

お手上げだとでもいうように肩をすくめる咲。そして持て余すほどの長い足を組み換え、ため息を吐く。

中身は子どもっぽいけど見た目は大人っぽくて、この姿だけ見たらとても同い年には見えない。

その上、アイドル顔負けの完璧すぎるほど整った容姿。

ここまで顔のパーツが完璧に整った人を目にするのは初めてだ。

「あの、ホントにいろいろありがとう。私、咲の歌声だけは……なにがあっても絶対に忘れないから」

「は、大げさだな」

「ううん。勇気、もらえたから……!」

それだけでまたがんばってみようかなって、精いっぱい生きてみようかなって、ほんの少しだけそう思えたんだ。

「葵、か。変なヤツだな」

「名前、覚えてくれてありがと」

「単純な名前だからな」

「ふふ、そうだね。じゃあ、私、そろそろ行くね」

「……勝手にしろ」

「うん! ありがとう」

そう言って立ち上がると、私は咲に深く頭を下げて来たときと同じ裏口から外に出た。

しばらく細い路地を歩くと大通りに出て、そこにはたくさんの人が行き来している。

「まったくもう……探しましたよ」

そう聞こえたのと同時に肩に手を置かれ、私の身体はありえないほどビクッと揺れた。

ゆっくり振り返ると、そこにはたくさんのスーツ姿の大人の男性たち。

ああ、終わった……。

さっきまで高揚していた気持ちが一気に氷点下にまで落ちていった。


桜の季節がやってきた。

ひらひらと桜の花びらが舞う校門の前を颯爽と歩く。入学式を終えて三日目。

満開だった桜もこの数日でずいぶん散ってしまったけど、それでも今年の桜は長く咲いていたほうらしい。

生徒たちで賑わう校舎の中は、朝からこれでもかというくらい活気づいている。

一階の廊下の真ん中辺りにある教室のドアの前までくると、胸に手を当てて深く息を吸った。

大丈夫、私は大丈夫。

そう暗示をかけて、震える手でドアを開ける。

その瞬間、全員からの突き刺さるような視線を感じた。

また、だ。またこの目……。たくさんの好奇心や興味、嫉妬や羨望。受け止めきれないほどの感情がこもった視線。

「わぁ、神楽(かぐら)さんだぁ」

「今日も朝から後光が差してる」

「つーか、やべぇ。お嬢様オーラがハンパねぇ」

「さっすが、世界トップレベルの神楽財閥のお嬢様だよな」

私の席は教室の窓際の一番うしろ。そこへたどり着くまでの間、誰とも目を合わせることなく遠くを見つめながら歩いた。

「見た目もめちゃくちゃ清楚で儚げだし」

「尊すぎて、話しかけることすらためらわれるよな」


「もー、男子ってホントバカじゃない?」

「言えてる~!」

小さな頃からどこにいても常に注目されてきた。見られることに慣れているけど、近くで自分のことを聞くのは……。

すごく気まずい。

うちのクラスは男女含めて同じ中学出身の子たちが多いようで、まだ入学してから三日しか経っていないというのに和気あいあいとしている。

「中学までは桜花(おうか)女学院に通ってたんだろ? 超一流のお嬢様校から、なんでこんな普通の高校にきたんだ?」

「さぁ? 本人に直接聞いてみれば?」

「バカ、聞けるかよ……! お嬢様だぞ! 住む世界がちがいすぎるだろ」

椅子に座ってスカートの上で拳を握る。下を向きながら視線を一点に集中させていると、ヒソヒソと話す女子の声が聞こえた。

「神楽さんって、なんだかお高く止まってるよね」

「庶民のうちらとじゃ話も合わないだろうし、ひとりのほうがいいんじゃない?」

そんなことは、ないんだけどな……。

「あの神楽財閥だもんね。お嬢様って、どんな話をするんだろう」

「ねぇねぇ、それよりこれかわいくない?」

入学してから仲良しと呼べる友達はまだいない。その理由は私の家がちょっとだけ特殊だから、ということにある。


ちょっとだけ……いや、かなり?

桜花女学院もクラスメイトたちを遠ざけてしまう理由のひとつだと思う。

桜花女学院は国内でもお嬢様校であることで有名な学校で、幼稚部から大学までひと通り揃っていて、私は幼稚部からずっと桜花に通っていた。

それが一流のお嬢様であることのステータスであり、桜花に憧れる女子も少なくはなかった。

当然のように桜花に入って、なに不自由なく大学まで進んで、就職してって、将来のプランが約束された人生を送ってきた。

これまでずっと親に敷かれたレールの上を歩いてきた私だったけど、でもある時気づいてしまったの。このままでいいのかなって。

だって私は、ただの一度も自分の足で歩いたことがないから。

自分の好きな人生を送ってみたい。誰にも邪魔されたくない。思い立ったら行動派の私は、気づくと桜花をやめていた。

(おおとり)くん、今日も来ないのかな?」

「風邪だっけ? 一度も来てないよね」

「どうしちゃったんだろう」

「早く会いた~い」

きゃあきゃあと楽しそうな声がする。

鳳くんっていうのはどうやら私の前に座る男子のことらしく、入学式から毎日のように女子たちの間で噂になっている。

「鳳くんと同じクラスなんて嬉しすぎるっ!」

「だよね!」

「早く拝みたい~!」

入学式の時、目を潤ませながら感極まっている女子もいて、ビックリしてしまった。

どうやら鳳くんという人は相当な人気者らしい。


チャイムが鳴るまでにまだ時間があったので、教室を出てひと気のないほうへと進む。

その途中、前から歩いてきた派手なオレンジ色の髪の女の子にぶつかった。

「すみませんっ」

ペコッと頭を下げる。

「こっちこそごめん」

同じクラスの早瀬(はやせ)さんだ。彼女は飄々としたサバサバ系で、人と馴れ合ってる姿を見たことがない。

すごく大人しいけど、かなりの美人で目を引く容姿のせいか存在感が半端ない。

男女共学が初めての私にとって、日常の中に男子がいるなんてとても変な感じ。

特にこの学校は髪の毛を染めたりピアスをしたり、制服を着崩したりしている派手な人が多くて。

人との関わりって難しいな。

廊下からはポカポカと暖かい日差しがさしている。透き通るような水色の空を見ていたら、太陽の光をより近くで感じてみたくなった。


「わー、屋上だ~! 鍵開いてる」

ラッキー!

ダメ元でやってきた屋上だったけど、鍵が開いてたのでそのまま外に出た。

高くそびえ立つフェンスの前まで来ると、上からは校庭が見渡せるようになっている。

「桜の木もバッチリ見えるじゃん!」

そよそよと風に吹かれて揺れるたくさんの桜の木。目を閉じると、葉っぱのこすれる音がより近くに感じられた。

おまけに太陽の日差しが暖かいし、ポカポカして最高に気持ちいい。

誰もいなくて静かだし、いいとこ見つけちゃった。

フェンスに持たれて足を伸ばして座ると、再び目を閉じる。風が吹いて下ろした髪の毛が横になびいた。

五分くらいボーッとしていると、ふとどこかから誰かの声が聞こえてきた。

声というよりも……歌?

誰かが歌ってる。

それも、どこか聞き覚えのある癒し系の声。小さく口ずさむような感じだけど、透き通っていて胸にスーッと入ってくる。

まさか、ね。

ふと浮かんだ顔を頭を左右に振って打ち消す。

辺りをキョロキョロしてみるけれど誰の姿も見えない。それどころか、フェンスの向こうから聞こえているような……。

見下ろそうとしても、当然見れるはずもなく。

でも、だって、この下にあるのは教室だよね……?

屋上のすぐ下の四階には、たしか化学実験室や多目的ホール、音楽室があったはず。

完全に好奇心。恐る恐る屋上から四階にきた私は、ドキドキしながらその声の主を探す。

口ずさんでいる歌の曲名はわからないけど、ゆったりしたバラードのようで、感覚的になんとなく好きだと思った。

どこまでも果てしなく続く廊下の突き当たり。そこは音楽室で、近づいていくとだんだんとその声が大きくなってきて、次第にはっきり聞こえるようになった。

うしろのドアからそっと中をうかがうと、窓際にひとりの人が立っていた。

向こうを向いてるから顔はわからないけど、背が高くてスタイルがいい。ズボンを腰ではき、両手をポケットに突っ込んでいる姿は少しやんちゃっぽくも見える。

窓から入ってくる爽やかな風が、その人の黒髪を揺らした。