人はいつか死ぬ。

それは明日かもしれないし、数十年後かもしれない。

誰にもわからないけれど運命ってやつには逆らえない。


だけど私の場合──。

人よりそれが少し早いってだけ。

それなら好きなことをして生きてみたい。

悔いのないように精いっぱい生きたい。


そしたらきっと、大丈夫なはずだから。




私の期限はあと五年。




フロアの中でズンズンズンと大きく響く重低音。暗い部屋の中でスポットライトを一心に浴びる彼らは、私の目にはキラキラと眩しい。

ここは現実だけど、この世ではない別の世界にきたような感覚。

震える指先には、ここへくるときに受け取ったチケットの半券が握られている。

それをくしゃりと握り締めながら、涙で滲む視界を腕で拭った。

「きゃああああ!」

目の前の対象が新しいグループに変わってからというもの、さっきまでとは比べものにならないほどの悲鳴にも似た歓声が曲間に紛れこむ。

「こっち向いて〜!!」

「超カッコいい〜!」

ぎゅうぎゅうに詰まったフロアの中、一番うしろの隅っこで目深に被った帽子を脱ぎもせず、彼らを眺めている私はまちがいなくこの場に不釣り合い。

だけど今は、今だけは、そんな私に注目する人は誰もいない。

握りしめた拳が震えて、気づくと一筋の涙が頬を伝っていた。

拭いても拭いてもそれはとめどなくあふれてきて、どうやっても止まることはない。

自分じゃどうにもできないなんて、こんなのは久しぶりの感覚だ。

これが生きるっていうことなのかな。

まちがいなく、私は生きている。

生きてちゃんとこの場に立っているんだ。


(さく)くーん! こっち向いて〜!」

「ヤバい、ホントカッコいいんだけどっ!」

「今日出てるとか、知らなかった〜!」

「見れて超ラッキー!」

近くにいた派手な女の子たちが、誰のことかわからないメンバーの名前を呼んできゃあきゃあ盛り上がっている。

四人組のバンドのグループは、他に比べて音の質自体が全然ちがう。

さっきまでは、派手でうるさいだけの耳が痛くなるような音楽ばかりだったけれど、最初のイントロから流れるように自然にスッと音が入ってきた。

ギターにキーボードにベースにドラム。それぞれの持つ楽器の音が、どれもきれいで洗練されている。

ちゃんとそれぞれの役割を自覚して、主張しすぎることなく、心地よいハーモニーを奏でて、それでいて歌もうまい。

聴いていて、ゾワリと鳥肌が立った。

クラクラするほどの熱気と、彼らによって命を吹き込まれた音楽が全身に痛いほどぶつかってくる。

心が震えて、ジーンとする。感動。この気持ちに名前をつけるのなら、きっとそれ以外にありえない。

「ギターボーカルカッコよすぎ〜!」

「歌声ヤバいわ。惚れる……!」

「咲くーん!」


どこまでものびやかで、ずっと聴いていたくなるような、不思議な魔力を持った声。

しっとりとしたバラードも、パワフルな曲も難なく歌って多くの観客を惹きつけて魅了する。

ギターの腕もすごく際立っていて、歌声に負けない実力が備わっていた。

目を閉じると浮かんでくる光景に胸が締めつけられて苦しい。心臓が痛くて思わず左胸に手を当てた。

よかった……。

ちゃんと、動いてる。

私は生まれつきお母さんから受け継いだ拡張型心筋症を患っていて、小さい頃から何度も手術を繰り返してきた。

『大丈夫だ、葵の病気は絶対に治る』

お父さんは小さい頃から私にそう言い、私もそれを疑うことなく信じていた。

それなのに、ドナーがいなきゃ二十歳まで生きられるかわからないって……。

そしたら私はどうなるの……?

お母さんと同じように死んじゃうの?

『絶対に治る』

この世に絶対なんて言葉はない。

やりようのない気持ちを押し込めて歯を食いしばった。

走ることも、遊ぶことも、ツラい手術も治療も。乗り越えてこれたのは、絶対に治るって信じていたから。

急に目の前が真っ暗になって、気づくと家を飛び出していた。

いつか止まってしまう私の心臓。ほんのちょっと、他の人より早いだけ。どうせいつかはみんな死ぬんだ。

頭ではわかってるけど受け入れられない。

涙がじわじわ浮かんで、私はそれをまた指で拭った。



「はぁ」

これから、どうしよう……。

ライブ終了後、夜の繁華街をあてもなく歩く。

スニーカーに薄手のグレーのパーカー、濃いめのジーンズを履いてツバのある帽子を目深に被った地味な私は、それだけでも目立つらしい。

すれ違う人たちからの好奇の視線が向けられていることに、気まずさを感じてしまう。

時刻は二十二時半。こんなに遅い時間に出歩くのは初めてで、それだけで悪いことをしているような気分。

道行く人はみんな楽しそうに笑っていて、とても楽しそうだ。あの人も、この人も、あっちの人も、みんな幸せそう。

いいなぁ、なんて感傷に浸ってみる。

なんだかもう、全部がどうでもよくなっちゃった。

がんばっても意味がないなら、もうなにもしたくない。

改めて周りを見回すと、遠くのほうに黒い人影が見えたような気がした。目を凝らしてみると、それは徐々にこっちに近づいてきている。

ヤバい。

に、逃げなきゃ……!


「はぁはぁ……!」

人混みをかき分けて、反対方向へととにかく全速力で駆け抜けた。

む、胸が、苦しい……。

ドクドクと鼓動が大きくなっていく。

走っちゃダメなのに、走っているせい。

細い路地裏は真っ暗で足元も悪く、何度も足がもつれて転びそうになった。腕を振って、足を前に踏み出して、うしろから聞こえてくる足音に耳を澄ませる。

「いたぞっ!」

「こっちだ!」

まずい。

挟み撃ちにされたら終わりだ。

うしろからたくさんの足音が聞こえるので、振り返らなくてもわかる。振り返ったら負けるということが。

逃げ切るには、とにかく前だけを見て走るしかない。

「はぁはぁ……! く、くるし……っ」

捕まったら終わり。

その一心で私はただひたすらに、どこまでも続く細い路地を走った。

うしろからの足音はまだ聞こえるけど、さっきまでほどたくさんのものじゃない。

数人、もしくはひとりかふたり。その程度。

これなら、()けるかもしれない。