「久しぶりだね武。会いたかったよ」
顔は変わってしまったけれど、目の前にいる愛しい武に鼻血が流れ出した。
あたしは手の甲で鼻血を吹き、武の頬に触れる。
傷が痛んだのか、武は軽く顔をしかめた。
「ごめんね武、智樹のバカがこんなことして」
「お前が智樹に命令してやらせたんだろ」
武の声は震えていた。
恐怖心とか、怒りとか、いろいろな感情が混ざり合っているように感じられた。
「それは違うよ!」
あたしは武の胸に縋り付いて言った。
武は一瞬身をよじって逃げようとしたが、智樹にナイフを突きつけられているので大人しくなった。
「あれは俺が独断でやったことが」
智樹が答える。
「そうだよ。あたしが武を傷つけるわけないでしょ?」
こんなに好きなのに、どうして傷つけることができるだろう。
「そろそろ行こうか、武」
あたしはニッコリとほほ笑み、武の手を握りしめて歩き始めたのだった。
☆☆☆
武の後ろに智樹がピッタリとくっついて歩き、背中にナイフを押し当てていた。
少しでも変な動きをすると、ナイフの刃が武の背中に突き刺さる。
そのため、武は大人しくあたしの家までついて来てくれた。
幸いなことに母親は出かけているらしく、家には誰もいなかった。
「丁度いいタイミングだったみたいだね」
あたしは武の靴を持って自分の部屋に向かった。
人が隠れられる場所と言えば、クローゼットの中しかない。
上段と下段に別れていて、下段には透明ケースに入った季節外れの衣類が置かれている。
あたしは透明ケースをすべて引っ張り出すと、床に毛布を引いた。
「ちょっと窮屈だけど、ここで我慢しててね?」
振り返ると、智樹によって手足を縛られた武が転がっていた。
なにか言いたそうにあたしを睨み付けているけれど、その口にも猿轡がかまされている。
あたしと智樹は2人で武を抱えるようにしてクローゼットの中へ押し込めた。
立ち上がることはできないけれど、体を伸ばすことはできる。
棚の中で拘束されていた智樹より、少しはマシな状態だ。
これで今日から武はあたしだけのものになる。
そう考えると全身が歓喜に震えた。
どれだけこの時を待っていただろうか。
武が全くあたしを見てくれなくても、千恵美に暴行を加えられても、この気持ちだけは揺らぐことがなかった。
これは真実の愛だ。
だからこそ、ここまで来れたのだ。
「ありがとう智樹、今日はもういいよ」
あたしがそう言った時、玄関もチャイムが鳴り響いた。
一瞬母親が戻ってきただろうかと思ったが、母親なら家の鍵を持っているからチャイムは鳴らさない。
あたしは一瞬智樹へ視線を向けて、そして部屋を出たのだった。
ドアフォンで玄関先に立っている人物を確認して、あたしは目を丸くした。
いずれここへ来るだろうと思っていたけれど、まさかこんなに早く来るとは思っていなかった。
あたしは智樹を呼んで玄関ドアを開けた。
「智樹!!」
ドアを開けたと同時に、千恵美が智樹の姿を確認し抱きついてきた。
「おい、やめろよ」
あたしの前だからか、智樹は身をよじって離れようとしている。
しかし、千恵美はしっかりと抱きついて離れようとしない。
まるで引っ付き虫みたいだ。
「どうしてこの女のところにいるの? あたしのこと好きだって、何度も言ってくれたのに!」
「それは千恵美が智樹を拷問して言わせたんでしょう? 可哀想に、歩くのも辛そうだよ?」
あたしが言うと、千恵美がキッと睨み付けて来た。
「あんたが智樹を連れ出したんでしょ!」
「だったら何? あたしは監禁されている智樹を助けただけ」
「なんで余計なことするの!? あんたのせいでなにもかも親にバレて、帰る場所がなくなったんだからね!」
そんなのあたしの知った事じゃない。
あたしは思わず大きな欠伸をしてしまった。
「千恵美のお母さんって保守的な人だと思ったんだけど、勘当されたんだ? 意外だねぇ」
「黙れ!!」
唾を吐きかけられてあたしは顔をしかめた。
「そうだ智樹、千恵美は居場所がなくなったみたいだからかくまってあげたら?」
「え……?」
智樹が目を丸くしてあたしを見つめる。
でも、あたしは本気だった。
智樹と2人でいれば千恵美はきっと大人しいだろう。
その上居場所を提供してあげられることになるのだから、都合がいいことばかりだ。
「智樹の家って共働きだよね? それなら昼間は千恵美も自由に動けるし、悪くないと思うけど?」
あたしの言葉に千恵美は目を輝かし始めた。
「本当に? いいの?」
千恵美はすでに智樹の家に行く気満々だ。
「え、でも……」
「智樹、あたしからのお願いがきけないの?」
上目づかいにそう言うと、智樹がゴクリと唾を飲む音が聞こえて来た。
「……わかったよ」
智樹はついに頷いて、千恵美と2人で帰って行ったのだった。
あたしは2人が帰って行く後ろ姿を見送り、玄関にカギをかけた。
これで邪魔者はいなくなった。
そう思った瞬間、鼻血が流れてきて手の甲でぬぐう。
ついに、あたしと武はこの家で2人きりになったんだ。
どうしよう?
どんな話をしよう?
ワクワクしながら自室へ戻り、開け放たれたクローゼットの前に立つ。
しゃがみ込んで武と視線を合わせ、ほほ笑んだ。
武は緊張しているのか、心なしか顔色が悪い。
でも、それもすぐに馴れてくれるはずだ。
だって、ここにはあたしたち以外に誰もいないんだから。
普段の照れ屋な性格だって関係ないはずだ。
「ねぇ、武。質問があるの」
あたしは武の頬を撫でながら言った。
武の体は小刻みに震えている。
こうして、あたしと触れ合えることが嬉しいのかもしれない。
「あたしのこと、好き?」
小首を傾げて質問した。
武は目を見開き、呼吸を荒くしてあたしを見つめる。
「首を振って答えてくれる?」
本当はちゃんと返事が欲しかったけれど、今はまだそれができない。
でも、簡単な意思表示だけで十分だった。
今まで武はなんの意思表示もしてくれていなかったんだから。
だけど武は……首を横に振ったのだ。
その瞬間、あたしは動きを止めた。
ジッと武を見つめる。
「どうしたの武? そんなハズはないよね? あたしたち、ずっとずっと上手く行ってたじゃない?」
あたしはスマホを取り出し、武の写真を見せて行った。
全部で何百枚あるかわからないが、その内カメラ目線の物を選んでいた。
「ほら、これもこれもこれもこれも、武はあたしのためにカメラ目線をしてくれた」
それでも武は首を横に振った。
ブンブンと、力強く。
あたしはスマホを床に落とし武の瞳を見つめる。
「もしかして、千恵美に遠慮してるの?」
千恵美の名前を出した瞬間、武の両目が大きく見開かれた。
「それなら心配しなくていいよ? 千恵美は智樹と付き合ってるんだから。あっちはあっちでちゃんと幸せなんだよ?」
そうだよね?
千恵美と智樹。
あたしと武。
この組み合わせが一番いいに決まっているんだから。