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智樹の爪はすべて剥がされていた。
手の指も足の指も腫れ上がり、真っ赤に染まっている。
「爪を剥がされたの?」
どうにかクローゼットから出て来た智樹にそう聞いた。
「あぁ……。『千恵美のことが好きだ』そう言うまで何枚も剥がされた」
智樹は憔悴しきった様子で答える。
「そのくらい、言ってあげればよかったのに」
「最後の方はすぐに返事をするようにした」
「食事やトイレは?」
「千恵美が持ってきてくれたものを食べてたよ。返事が早ければ早いほど真面な食事だった。でも返事が遅いと持って来られるのはネズミとか、ゴキブリの死骸だった」
智樹は大きく息を吐きだして答える。
「トイレは大人用のオムツをつけられてるんだ。でも、変えてくれるのは1日1回だけだった」
どうやら智樹はあたしよりももっとひどい目に遭っていたみたいだ。
千恵美は飴と鞭を使いこなして、智樹のことも奴隷にするつもりだったのかもしれない。
「武が千恵美と一緒にいるの」
そう言うと、智樹は一瞬視線を泳がせた。
智樹からすれば武は邪魔者だ。
武がどうなろうと知った事ではないだろう。
「千恵美は武を犬みたいに扱ってる。あたしは絶対に許せない」
あたしは拳を握りしめて言った。
「その手は……?」
手の怪我に気が付いて智樹が言う。
「千恵美にやられた」
「嘘だろ……」
憔悴していた智樹の表情に、火がともるのを感じた。
やっぱり智樹はあたしのためならいくらでも動いてくれるみたいだ。
「今度はあたしたちが千恵美に反撃する番だよ」
あたしはそう言い、智樹の手を取って立たせたのだった。
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家に戻ると両親が駆け寄って来た。
今まで何をしていたのか。
どうして怪我をしているのか。
無事でいたのか。
様々なことを質問責めされたけれど、あたしは何の返事もできずに自室へと向かった。
部屋の中にはあたしの学生鞄が置かれている。
千恵美がご丁寧にも返しに来てくれていたみたいだ。
それを見てあたしは笑みをこぼした。
自分で監禁しておきながら『これ、ノドカの鞄です。机に置きっぱなしにされていました。早く見つかるといいですね……』なぁんて嘘をついている様子がありありと浮かんできた。
あたしは鞄を壁に投げつけて、ベッドに思いっきりダイブした。
千恵美はあたしが想像している以上に度胸が据わっているみたいだ。
その上、性格がひん曲がっている。
「今に見てろよ……」
部屋から智樹がいなくなったことに気が付けば、千恵美は大慌てだろう。
あたしが智樹を解放したと、すぐに気が付くかもしれない。
でも、そうなる前にあたしは手を打ってあった。
千恵美がしたことを他言しない。
その代わり、智樹が1人で逃げ出したことにしてほしいと、千恵美の母親に言ったのだ。
千恵美がいない間に千恵美の部屋から1人の男が逃げ出した。
ただ、それだけで千恵美にとっては理解できる説明のはずだった。
「千恵美、今日は学校に来てないな」
智樹に言われてあたしは頷いた。
智樹を探すために登校して来るかと思ったが、千恵美の姿はなかった。
といっても、あたしたちも授業を受ける気はなかった。
武も登校してきていないのを確認すると、すぐに学校を出た。
「家は大丈夫なのか?」
学校から離れたファミレスに到着すると、智樹がそう聞いて来た。
「大丈夫だよ。抜け出してきたから」
あたしと智樹は当然のように捜索願いが出されていて、事情がわかるまで外出禁止だと言われた。
智樹も同じだったようだけれど、そんなの守るワケがなかった。
「そっか。これからどうするつもりだ?」
「決まってるでしょ。千恵美を同じ目に遭わせてやるの」
あたしは親指の爪を強く噛んで答えた。
「でも、武が邪魔をしてくるだろうな」
「そうなんだよね……」
今日は2人とも休んでいるから、2人で行動している可能性は高かった。
「最初に武をどこかへ呼び出して、拘束しておく必要があるけど、来てくれるかどうか……」
あたしはそう呟いて自分のスマホを見つめた。
画面には武の連絡先が表示されている。
「警戒してるだろうな。だけど千恵美はきっと俺のことを探してる。俺が千恵美に会いたがっていると言えば、必ず約束場所に来ると思う」
智樹の言葉にあたしは何度も頷いた。
千恵美はもう、智樹が家にいないことに気が付いただろうか?
なんの連絡もよこして来ないということは、家に戻っていないかもしれない。
あたしはお冷をひと口飲んで武をおびき出す方法を考えた。
「先生の名前を使って呼び出すのはどうかな?」
ふと思いついて、あたしは言った。
「先生の名前?」
「そう。サッカー部の顧問の先生だよ」
武にとってサッカーは勉強よりも大切なものだ。
その顧問から電話が来たら約束場所に来てくれるんじゃないだろうか?
「顧問の先生って確か牧先生だよな?」
「うん。智樹、声真似できる?」
「声真似か……」
突然の難題に智樹は眉を寄せるが、一生懸命低い声を出そうとしている。
「電話越しなら誤魔化せるかもしれないな」
しばらく低い声を練習した智樹が言った。
「そうだよね」
あたしは頷いた。
特殊詐欺なんかでも、親族を装って電話をかけたりしている。
人間の耳は意外と信用できないものだ。
「どこに呼び出す?」
智樹に聞かれてあたしは腕組みをした。
もう山小屋に呼ぶことはできない。
だけど、できればその場で拘束できる場所のほうがいい。
武を無理矢理連れて移動するのは、リスクが高すぎる。
しばらく考えた後、あたしは「総合体育館はどう?」と、言った。
総合体育館はあたしの家の近くにあり様々な年齢層が理想するため、学生のあたしたちが出入りしていても不振がられない。
なおかつ、体育館ということで武も不信感が少なくて済む場所なのだ。
「いいね。でも、問題はどこに拘束しておくかだけど」
「それなら……あたしの家はどう?」
あたしはゴクリと唾を飲み込んで行った。
智樹の表情が一瞬変化する。
傷ついているような、そんな顔に見えた。
「ノドカの家……?」
智樹の声は震えている。
しかし、あたしは構わず頷いた。
「そうだよ。武が逃げ出さないように見張りやすいしさ」
返事をしながら、鼻血が流れて来るのを感じた。
武があたしの家に来る。
想像するだけでしばらく鼻血が止まらなくなった。
「俺の家は?」
「は?」
「俺の家に拘束しておいても、同じことだろう?」
智樹の言葉にあたしは大きなため息を吐きだした。
「なに言ってんの? あたしの家だからこそ意味があるんだよ」
「どんな意味があるんだよ」
智樹は食い下がって聞いてくる。
わかってるくせに。
「武を思い通りにしていいのはあたし1人だけ。智樹には沢山手伝ってもらってるけど、そこは絶対に譲れない」
真っ直ぐに智樹の顔を見て言うと、智樹は諦めたようにため息を吐きだした。
「わかったよ。ノドカの言う通りにする」
そうじゃなきゃ、この計画は始まらない。
「よかった。じゃあさっそく武に連絡を取ってみよう」
あたしはそう言い、席を立ったのだった。