☆☆☆
父親がかついでいたのは、間違いなく近所のお姉さんの遺体だった。
恐らく父親が殺したことで間違いないだろう。
その後、あの遺体をどうしたのか気になっていた。
山へ埋めたのだろうと思っていたけれど、父親がスコップなどの道具を持っているように見えなかったのだ。
予め準備しておいたのかもしれないけれど、それでも気になった。
小屋から随分と離れたところで、あたしは一度足を止めた。
ここには昔建物でもあったようで下がアスファルトになっているのだ。
つまり、父親の足跡もここで途絶えているのだ。
「ここからどこに向かったんだろう……?」
あたしは周囲を見回して確認した。
木々に埋もれるようにして建物の痕跡が残っている。
でもそれは壁の一部だけだったり、崩れ落ちた瓦だったりして遺体を隠せるようなスペースではない。
周囲を確認しながら歩いていると、建物の痕跡の後ろに洞窟があることがわかった。
これも草やツルに隠れてほとんど見えなくなってみる。
真っ暗な洞窟の中に足を踏み入れてみると、空気がヒヤリと冷たかった。
いくら太陽の光が届かないからと言って、ここまで外気と差が出るものだろうか?
寒気に身震いをしたとき、暗闇の中何かが足に触れた。
立ちどまって確認してみるが、ハッキリとした形が見えない。
あたしは自分のポケットを確認した。
スマホが残されていないかと思ったが、残念ながら持ち去られていた。
チッと舌打ちをしてしゃがみ込み、手探りで感覚を確かめる。
手に触れたソレはガサガサと音を立てた。
感触はビニールのようだ。
あたしはお姉さんの体がビニール袋に入れられていたことを思い出した。
徐々に目が慣れて来ると、真っ黒な物体を囲むように白い煙が出ていることに気が付いた。
手を伸ばしてみると、ヒヤリと冷たい空気に触れた。
「ドライアイス……?」
お姉さんの遺体が腐敗しないように、周囲にドライアイスを並べているようなのだ。
だから、洞窟の中がここまで冷えていたのだ。
でもこんな風に保管しておいてどうするつもりだろう?
そう考えたけれど、答えはすぐに見つかった。
あたしの愛情表現は父親によく似ている。
そう考えると一目瞭然だ。
父親はここへ足を運び、お姉さんの死体を愛でるつもりでいるのだろう。
例えば武が死んだとしても、あたしはきっと同じことをするだろう。
そうすることでようやく武を自由にできるのなら、それでもいいと感じられた。
「まずは智樹を解放してあげないとね」
あたしはそう呟いて、立ち上がったのだった。
山を下りたあたしは真っ先に千恵美の家へ向かった。
今のあたしの姿はボロボロだったけれど、そんなこと関係なかった。
「すみません、お邪魔します」
玄関が開いた瞬間あたしはそう言い、千恵美の母親の体を押しのけて家に侵入した。
「ちょっと、あなた誰なの!?」
「千恵美の友達ですよ」
淡泊に答えて、家の中のドアを全部開いて確認して行く。
家の場所は知っていたけれど、さすがに千恵美の部屋まではわからなかった。
そして1つだけ、鍵のかかった部屋を見つけたのだ。
「ここが千恵美の部屋ですか?」
そう聞くと、千恵美の母親は「千恵美は今いません。後にしてもらえますか」と強い口調で言って来た。
あたしは大きくため息を吐きだす。
どうやら千恵美の母親は相当な常識人間みたいだ。
千恵美の親とは思えない性格をしている。
そこであたしはただれてしまった自分の手を見せることにした。
「これ、千恵美のせいで怪我をしたんです」
そう言うと、千恵美の母親は目に見えて動揺した。
目を丸くしてあたしから離れる。
「そんな……。なにがあったのか知りませんが、ちゃんと本人から話を聞くまで待ってください」
「この部屋を開けてくれれば、大事にはしませんけど?」
「でも……」
「できないのなら、いますぐ千恵美を傷害罪で訴えます」
強い口調で言うと、千恵美の母親は押し黙ってしまった。
「そんなの、証拠もないのに……」
「証拠ならあります。最近千恵美宛てに荷物が届いたはずです」
「荷物……」
千恵美の母親の怪訝そうな表情が、徐々に青ざめて行くのを見た。
「硫酸を購入していたんです。ネットショップの購入履歴を見ればすぐにわかりますよ」
「そんな……! 部屋を開けるだけでいいんですね?」
「もちろん、約束します」
大きく頷くと、千恵美の母親は一度リビングへと向かった。
妙な事をされないよう、あたしもその後を続いていく。
食器棚から銀色の小さな鍵を取り出すと、すぐに戻って来た。
「これでいいんですよね?」
何度もあたしに確認しながらドアの鍵を開けた。
その瞬間、あたしは千恵美の母親の体を突き飛ばして中に踏み入れていた。
普通の部屋よりもドアが分厚くて重たい。
部屋の中央にはグランドピアノが置かれていて、すぐに千恵美の部屋だとわかった。
あたしはクローゼットを見つけて大股に歩いて行き、そこで足を止めた。
クローゼットと言っても昔ながらの衣装棚だ。
冗談がクローゼットのように服をかけて収納できるタイプの棚だった。
あたしはノブに出をかけて一気に、引いた。
その瞬間、血の臭いがして後ずさりをする。
あたしの後を追い掛けて来ていた千恵美の母親が大きな悲鳴を上げた。
でも、どれだけ声をあげてもこの部屋の中にいれば、外に聞こえないのだろう。
あたしはしゃがみ込み、手足を縛られてガムテープで口を塞がれている智樹と視線を合わせた。
智樹はグッタリと座り込んでいて、あたしに気が付いていない。
「誰なのこれは、どうしてこんなところにいるの!?」
千恵美の母親は今にも発狂しそうな勢いで混乱している。
「千恵美がここに監禁していたんです。あたしは、智樹を助けに来ました」
「監禁!? 何を言ってるの、あの子が、そんなことするわけないじゃない!」
「心配しないでください。別に警察に話したりしませんから」
あたしは早口でそう言い、智樹の頬を軽く叩いた。
智樹の長いまつ毛が震えて、ゆっくりと目が開く。
良かった、死んでいないようだ。
ホッとしていると智樹があたしをみて一瞬怯えた表情になった。
千恵美にどんなことをされていたのか知らないが、クローゼットの中にはあちこち血がついている。
「助けに来たよ」
あたしはそう言って智樹の拘束を解いたのだった。
☆☆☆
智樹の爪はすべて剥がされていた。
手の指も足の指も腫れ上がり、真っ赤に染まっている。
「爪を剥がされたの?」
どうにかクローゼットから出て来た智樹にそう聞いた。
「あぁ……。『千恵美のことが好きだ』そう言うまで何枚も剥がされた」
智樹は憔悴しきった様子で答える。
「そのくらい、言ってあげればよかったのに」
「最後の方はすぐに返事をするようにした」
「食事やトイレは?」
「千恵美が持ってきてくれたものを食べてたよ。返事が早ければ早いほど真面な食事だった。でも返事が遅いと持って来られるのはネズミとか、ゴキブリの死骸だった」
智樹は大きく息を吐きだして答える。
「トイレは大人用のオムツをつけられてるんだ。でも、変えてくれるのは1日1回だけだった」
どうやら智樹はあたしよりももっとひどい目に遭っていたみたいだ。