「冗談だよね? 顔を溶かすなんて、そんなヒドイことしないよね?」
「ヒドイこと? どこが?」
「どこがって……」
千恵美は首を傾げている。
本当に自分がなにをしようとしているのか理解していないみたいだ。
「ノドカは智樹と共謀してあたしを襲う計画を立てたんだよね? それってヒドイことじゃないの?」
「それは……! 千恵美のことが邪魔だったから仕方なく!!」
「そうなんだ? 偶然だね? あたしもノドカのことが邪魔なんだよ。すご~くね……?」
次の瞬間、千恵美はあたしめがけて液体をぶちまけていた。
「キャアアア!!」
つんざくような悲鳴をあげて咄嗟に身をよける。
顔にはかからなかったが、焼けるような痛みが両手に走った。
同時にジュッと嫌な音がして皮膚が溶ける臭いが鼻腔を刺激する。
「あ~あ、避けちゃダメじゃん。武、ノドカを押さえつけて」
千恵美の言葉にタケシは頷き、あたしに近づいて来た。
「いや……やめて!」
そう叫ぶと同時にあたしは武の体を突き飛ばしていた。
ハッとして見てみると、さっき硫酸がかかったせいで手のロープが溶けていたのだ。
突き飛ばされた武も千恵美も目を丸くしている。
逃げるなら、今の内だ!
あたしは四つん這いになって出口へと急いだ。
「逃がすな!」
千恵美の怒号が聞こえて武が真後ろに接近する。
ダメだ、捕まる……!
そう思った瞬間、ドアに手をかけて大きく開いていた。
あたしはそのまま、ハイハイするように道へ出る。
しかし、普通に歩いている武を撒くことなんてできるわけがない。
「助けて!! 誰か!!」
自分の声が空しいほど山にこだまする。
「ちょっと大人しくしてくれよ。千恵美のためなんだからさ」
武があたしを追い抜き、目の前で立ちどまった。
あたしは青ざめて武を見上げる。
四つん這いになった膝からは血がにじみ出ていたし、溶けた皮膚はビリビリと痛む。
でも、それも気にならないくらい緊張状態が続けていた。
「さぁ、小屋に戻ろう」
武がそう言ってあたしに手を伸ばす。
「嫌……!」
体の向きを変えて逃げ出そうとしたとき、近くでチェンソーの音が聞こえて来た。
武は弾かれたように周囲を確認し始める。
その隙をついてあたしは道をそれ、木々が茂る山へと身を隠した。
木の陰に身をひそめながら、どうにか足のロープを外す事に成功した。
硫酸がかかった手を確認してみると、幸いそこまでひどいケガにはなっていないようだ。
「ちょっと、ノドカはどうしたの? まさか取り逃がしたの!?」
千恵美の怒号が聞こえてきたのでそっと確認してみると、千恵美が武の頭を叩くのが見えた。
一瞬、助けに出ようかと体が動きかけた。
しかしそれをグッと我慢し、その場に押し止まる。
「役立たずなんだから」
千恵美はブツブツと文句を言いながらも、小屋の中に戻って行った。
武もその後をついて歩く。
武の後ろ姿は、とても小さく見えたのだった。
チャンソーの音はまだ聞こえてきていた。
でも、近い場所じゃないみたいだと、音の大きさからわかった。
きっと、山のもっと奥にいるのだろう。
あたしはそっと立ち上がってみると少しよろけた。
足も手もジンジンとしびれていて、なかなか思うように動かない。
このまま道に出て山を下りても、途中で千恵美に捕まるかもしれない。
そう考えたあたしは、山の中をゆっくりと歩き始めた。
まだ日が高いから、道が見える範囲にいれば木々の間を歩いていても安心だった。
そのまま真っ直ぐ、父親を見た場所まで移動してきてみた。
あの時は夜だったから場所がハッキリしないけれど、たしかこの辺りを上へ向かっていたように思う。
足元を確認すると、草木が踏まれてちょうど足跡が残っているのがわかった。
やっぱり、ここだったんだ!
あたしは小屋の中にいる2人に気が付かれないよう、ゆっくりと山を登り始めたのだった。
☆☆☆
父親がかついでいたのは、間違いなく近所のお姉さんの遺体だった。
恐らく父親が殺したことで間違いないだろう。
その後、あの遺体をどうしたのか気になっていた。
山へ埋めたのだろうと思っていたけれど、父親がスコップなどの道具を持っているように見えなかったのだ。
予め準備しておいたのかもしれないけれど、それでも気になった。
小屋から随分と離れたところで、あたしは一度足を止めた。
ここには昔建物でもあったようで下がアスファルトになっているのだ。
つまり、父親の足跡もここで途絶えているのだ。
「ここからどこに向かったんだろう……?」
あたしは周囲を見回して確認した。
木々に埋もれるようにして建物の痕跡が残っている。
でもそれは壁の一部だけだったり、崩れ落ちた瓦だったりして遺体を隠せるようなスペースではない。
周囲を確認しながら歩いていると、建物の痕跡の後ろに洞窟があることがわかった。
これも草やツルに隠れてほとんど見えなくなってみる。
真っ暗な洞窟の中に足を踏み入れてみると、空気がヒヤリと冷たかった。
いくら太陽の光が届かないからと言って、ここまで外気と差が出るものだろうか?
寒気に身震いをしたとき、暗闇の中何かが足に触れた。
立ちどまって確認してみるが、ハッキリとした形が見えない。
あたしは自分のポケットを確認した。
スマホが残されていないかと思ったが、残念ながら持ち去られていた。
チッと舌打ちをしてしゃがみ込み、手探りで感覚を確かめる。
手に触れたソレはガサガサと音を立てた。
感触はビニールのようだ。
あたしはお姉さんの体がビニール袋に入れられていたことを思い出した。
徐々に目が慣れて来ると、真っ黒な物体を囲むように白い煙が出ていることに気が付いた。
手を伸ばしてみると、ヒヤリと冷たい空気に触れた。
「ドライアイス……?」
お姉さんの遺体が腐敗しないように、周囲にドライアイスを並べているようなのだ。
だから、洞窟の中がここまで冷えていたのだ。
でもこんな風に保管しておいてどうするつもりだろう?
そう考えたけれど、答えはすぐに見つかった。
あたしの愛情表現は父親によく似ている。
そう考えると一目瞭然だ。
父親はここへ足を運び、お姉さんの死体を愛でるつもりでいるのだろう。
例えば武が死んだとしても、あたしはきっと同じことをするだろう。
そうすることでようやく武を自由にできるのなら、それでもいいと感じられた。
「まずは智樹を解放してあげないとね」
あたしはそう呟いて、立ち上がったのだった。
山を下りたあたしは真っ先に千恵美の家へ向かった。
今のあたしの姿はボロボロだったけれど、そんなこと関係なかった。
「すみません、お邪魔します」
玄関が開いた瞬間あたしはそう言い、千恵美の母親の体を押しのけて家に侵入した。
「ちょっと、あなた誰なの!?」
「千恵美の友達ですよ」
淡泊に答えて、家の中のドアを全部開いて確認して行く。
家の場所は知っていたけれど、さすがに千恵美の部屋まではわからなかった。
そして1つだけ、鍵のかかった部屋を見つけたのだ。
「ここが千恵美の部屋ですか?」
そう聞くと、千恵美の母親は「千恵美は今いません。後にしてもらえますか」と強い口調で言って来た。
あたしは大きくため息を吐きだす。
どうやら千恵美の母親は相当な常識人間みたいだ。
千恵美の親とは思えない性格をしている。
そこであたしはただれてしまった自分の手を見せることにした。
「これ、千恵美のせいで怪我をしたんです」
そう言うと、千恵美の母親は目に見えて動揺した。
目を丸くしてあたしから離れる。
「そんな……。なにがあったのか知りませんが、ちゃんと本人から話を聞くまで待ってください」
「この部屋を開けてくれれば、大事にはしませんけど?」
「でも……」
「できないのなら、いますぐ千恵美を傷害罪で訴えます」
強い口調で言うと、千恵美の母親は押し黙ってしまった。
「そんなの、証拠もないのに……」
「証拠ならあります。最近千恵美宛てに荷物が届いたはずです」
「荷物……」
千恵美の母親の怪訝そうな表情が、徐々に青ざめて行くのを見た。