あたしは武からの返事を待ちながら、鼻歌を歌いつつスマホの写真を眺めた。
フォルダの中には沢山の武の写真が収められている。
どれもこれも、隠し撮りをしたものばかりだ。
他のファンの子が決して見られないような顔でも、あたしにかかれば簡単に写真に収める事ができた。
今日撮影した一枚、授業中居眠りをしているものだった。
武とあたしは同じA組のため、こういうレアな姿も撮影することができる。
あたしはスナホ画面を顔に近づけて、画面を下から上へと舐め上げた。
そして、ニタリと口角を上げて笑う。
いつか、武のすべてがあたしのものになりますように……。
そう考えていた時、武からメッセージの返事が来た。
《武:ありがとう》
短く、そっけない内容。
しかし、これはいつものことだった。
恥ずかしがり屋の武は、練習中にあたしが手を振っても反応したことがなかった。
メッセージのやりとりをするようになったのだって、あたしが何度も何度も何度も何度も、武に頼み込んだからだった。
でも仕方ない。
だって武は恥ずかしがり屋なんだから、その辺はあたしが合わせてあげないといけないと思う。
だからあたしが気になるのは、メッセージのそっけなさではなかった。
あたしは毎日学校から戻った6時30分きっかりにメッセージを送っている。
昨日武から返事が来たのは7時15分32秒だった。
でも、今日は……。
あたしは時計を確認して親指の爪をガリッと噛んだ。
7時15分33秒……。
「なんで? どうして昨日より1秒遅いの? 何をしてて遅くなったの? その1秒があれば他の女とキスくらいできるよね?」
ブツブツと呟きながら部屋の中を歩き回る。
嫌な予感が胸に渦巻き、嫌な汗が滲んでくる。
まさか、本当にあたし以外に女が……・
そんなの、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!
武は絶対にあたしのものだ!!
あたしはクッションを力いっぱい壁に投げつけて、肩で呼吸を繰り返した。
そして、ニッコリとほほ笑んでスマホを握り直す。
「やっぱり、照れ屋さんだからだよね? メッセージの返事をするのに、1秒間迷ってたんでしょう? そうだよね? そう決まってるよ……」
あたしはそう呟きながら武に返事をするためにスマホを操作したのだった。
翌日、あたしは7時45分頃家を出た。
学校までは10分ほどで到着するから少し早いのだけれど、あたしは毎日このくらいの時間に家を出る。
今日も空は青くて気持ちがいい風が吹いている。
これから夏本番を迎えるのだと思うと、自然と心が浮き足立ってくる。
去年の夏は武はお婆ちゃんの家に泊まっていたとかで一緒に遊ぶことができなかった。
でも、今年は絶対に一緒に遊ぶんだ。
海にも行きたいしキャンプもしたいし、花火だって……。
色々と考えていると、ツーッと鼻の中を伝ってくるものがあった。
慌てて指先で拭ってみると、鼻血が出ていた。
いけない。
色々と楽しいことを考えると、すぐに鼻血が出てしまうのがあたしの悪い癖だった。
直そうとしても、こればっかりはどうにもならなかった。
頭に血が上っていくのかもしれない。
ティッシュで鼻血を止めてから、あたしは手鏡で自分の顔を確認した。
血はついていないし、変なところもない。
よし、大丈夫そうだ。
そう思って更に10分ほど歩いたところで、あたしは立ち止まった。
灰色の塀に囲まれている一軒家へ視線を向ける。
オレンジ色の屋根、石の表札で書かれている久下という文字はもうすっかり見慣れてしまった。
あたしは毎日、学校へ行く前にここに寄るのだ。
だって武は恥ずかしがり屋だから、学校内ではあまり会話をしてくれないのだ。
こうして少し強引に2人きりにならないと、お互いの気持ちを確認し合うこともできなかった。
あたしは久下の表札を指先でなぞった。
いつかあたしの苗字は宇野から久下になるんだ。
「久下ノドカ」
そう呟いて、ニヤリと笑った。
うん、悪くないよね?
武が望むのなら、このオレンジ色の家で一緒に暮らすことだって平気だ。
武を産み、育ててくれた神様みたいな両親とならきっとうまくいくと思う。
鼻歌を口ずさみながら武が出て来るのを待っていたら、ドアの開閉音が聞こえてきて武が姿を見せた。
あたしは「おはよう!」と、声をかけて手を振る。
武はあたしを見た瞬間目を見開き、そしてすぐに視線を逸らせてしまった。
「昨日はいつもより早く家を出たんでしょう? 迎えに来たのに全然出てこないからビックリしたんだよ? 風邪でもひいて休むのかと思った」
あたしが話している隣を武は早足に歩きはじめる。
あたしはそれに合わせて小走りで付いて行った。
本当は隣を歩きたいけれど、武は本当に恥ずかしがり屋だから仕方ないんだ。
「それでさ、昨日は遅刻寸前まで待ってたんだよ? それでも出てこないからチャイムを鳴らしてさぁ」
そう言った瞬間、武が立ち止まった。
ようやくあたしを見てくれる。
「チャイムを鳴らしただと?」
武が口元をヘの字に歪めて聞いてくる。
「そうだよ? だって、いくら待っても出てこないから、心配するでしょ?」
「お前、俺の親と会ったのか?」
「もちろん。優しそうなお母さんだね」
あたしは昨日会った武のお母さんを思い出してほほ笑んだ。
小柄で色白で、花柄のエプロンがとても良く似合う人だった。
「目元が武に似てるよね。クリッとして大きくて」
「いい加減にしろよ!!」
あたしが話している途中で武が大声を張り上げた。
あたしは驚いて立ち止まり、唖然として武を見つめる。
武の顔は真っ赤になって、目は吊り上がっている。
なんだか本当に怒っているように見えて、たじろいてしまった。
「そうしたら武のお母さん、武はいつもより早い時間に家を出たって言うからあたしビックリしたんだよ?」
あたしは続けて言った。
「お前さ、自分がなにしてるか理解してんのかよ」
「なんのこと? あ、武のお母さんがね『もしかして武の彼女さん? あの子にこんな可愛い子がいたなんて』って、喜んでたよ? ねぇ、そろそろ両親に紹介してよ」
早口で話していると、武は目を吊り上げてまま大股で歩き始めた。
あたしは再び小走りで武の後を追いかける。
「俺とお前が、いつ付き合ったんだよ」
学校の校門が見えて来た所で武が言った。
「え?」
「付き合うなんて言った覚えはないぞ」
「でも、メッセージとかしてるし」
「お前が強引に聞きだしたんだろ! IDを教えないと屋上から飛び降りるって言って!」
その言葉にあたしは胸の奥がギューッと締め付けられて……嬉しくなった。
パッと笑顔を浮かべて武を見つめる。
武はそんなあたしにたじろいている様子だ。
でも……嬉しい!
だって武はあたしとのやりとりをこんなに鮮明に覚えていてくれたんだよ!?
こんなの、もう運命でしかないよね!?
また、鼻の奥からツーっと流れて来るものを感じた。
あたしは慌てて武に背を向けて、ティッシュで鼻を押さえた。
こんなところ、武に見られたくない。
「ごめん武、先に教室に行ってて」
あたしの言葉に、照れ屋の武は逃げるように校舎へと向かったのだった。