「死んだ」
とだけ連絡がきた。

 思えば天気からして変だったのだ。
今年の夏は例年に比べあまりにも雨が多かった。何度大雨警報や洪水警報が出たかわからない。
 それでも受験生である私たちは夏休みにもかかわらずほとんどを学校で過ごしていた。毎日毎日家と学校を往復し、夏期講習を受けては模試を受けを繰り返していた。
 そんな中、唯一の楽しみは水波との帰り道だった。
授業が終わると私はすぐに教室を飛び出し水波の教室まで迎えに行く。私が教室の外から声をかけると水波はそれを待っていたかのようにこちらに走ってくる。
 それから私たちは学校から家までの道のりをゆっくりゆっくり歩いていく。
時には公園で水遊びをしたり神社で日が暮れるまでお喋りしたこともあった。
毎日毎日勉強に明け暮れたり様々なことがあるなかでその時間だけは楽しかった。
 
 その日もいつもと同じように水波を迎えに行き一緒に帰っていた。今年の夏にしては珍しく晴れていてあまりの暑さに私たちはコンビニでアイスを買った。
水波はソーダ味の棒アイス、私はカップに入ったバニラ味のアイスを。
私たちはそれぞれお会計を済ませ少しコンビニで涼んでから、外でアイスを食べた。
「んー!おいしい──!」
アイスを一口食べ、二人揃って感想を口にしていた。
それが面白くて顔を見合わせて笑ってしまう。
「うちらアイス好き過ぎでしょ!」
「だっておいしいんだもんーーー」
「たしかに!!」
そんな会話をするとまたおかしくなり二人とも笑ってしまう。
「ねえ、川いこっか!」
私はまだ家に帰りたくなかったので水波に提案をした。
「えーー、かわぁ?」
水波はソーダ味のアイスを食べながらわざとらしく眉間にしわを寄せてみせる。
「なによー、嫌なの?」
私が不機嫌そうにきくと
「はいはい、わがままなお嬢さまの言うことを聞いてあげますよ」と茶化してくるので私は「もういいでーす」と拗ねたふりをした。
「うそうそ、本当は私も行きたいよ!いこ!」
そういうと水波は私の手を引き走っていく。
私はアイスを落とさないように片手でしっかりと持ちながら水波の手を握り返す。

コンビニから数分走ったところにある川に私たち二人はついた。
この暑い中走ったせいでさっきまでアイスで冷えていた体はもう熱くなり汗をかいていた。
私はカップの中の溶けて液体になったアイスをスプーンですくいながらちまちま食べる。
「渚はいつもカップのアイスだね」
いつのまにかアイスを食べ終え棒だけを咥えていた水波は私の横に座りながら言った。
「だって私棒アイス食べるの苦手だもん」とまだ残っているアイスを口へ運びながら答えた。
「なにそれー、変なの」
そう言いながら水波は川に石を投げる。二回バウンドして石は川の中へ沈んでいった。私はその様子を眺めながら
「水波はさ、将来のこととか考えてる?」と話題をつなげる。
「うーん、考えているような、いないような?」
水波にしては珍しく曖昧な答えが返ってきた。
「ふーん」とだけ返事をすると不満そうな顔で
「自分から聞いてきたくせになによ、その返事は」と言ってきたので私は慌てて言い訳をする。
「あ、いや、水波はちゃんと考えてると思ったから」
そう言った後にしまったと思った。「なによー!そう言う自分はどうなの!」と怒られるかと思い恐る恐る水波をみると少し寂しそうな顔でさっき石が落ちたところを見つめていた。
「うん、そうだよね、やっぱはっきりしなきゃ私らしくないよね!」と笑って見せるからさっき見た顔は見間違いだったかなと思ったんだ。
「渚は?」
「え?」
「だから、渚は将来のこと考えてるの?って聞いてんの!」
さっきの話題は終わったとばかり思っていたので私は少し反応が遅れる。
「あぁ、将来ね、」
何か適当なことでも言おうか悩んだが水波もまだ決まっていないこともあり私は正直に答えることにした。
「私もまだあんまり考えてないよ。大学に行ってから考えようかなーって」
「ふーん、そう。それじゃあ仲間だ!」とまるで群れを見つけたイルカみたいに私の方へ寄ってきて子供みたいに笑ってみせた。
「嫌な仲間だなあ」
私は冗談ぽく笑いながら言う。
「そーいうこと言わないの」と水波に肩を突かれながら私たちはまた笑っていた。
手元には食べ終わったアイス。
目の前には優しいオレンジ色をした夕日が川を照らしキラキラ光っていた。
ああ、幸せだ。とそう心から思ったんだ。

 八月に入り少しした頃、お盆も近くなってきた事もあり夏期講習も休みとなった。
せっかくの休みだし水波を遊びに誘おうと思った矢先天気予報は一週間ずっと雨マークだった。結局私は遊びに誘うことを諦め、家で勉強をしていた。
水波からの連絡は時々あり、変なスタンプを送りあったり電話をしたりしていた。そのおかげで水波と会っていないという感覚はあまりなかった。
しかしお盆に入り水波は父親の実家に帰るということもありあまり連絡がとれなくなった。
私は暇になり仕方なく勉強をしたりニュースをみたりした。しかしニュースは例年に比べ増え続ける降水量についてや不幸なニュースしか流れておらず結局つまらなくて消してしまう。
水波に会いたい。としか考えていなかった。
そこで暇を持て余した私は水波としたいことリストを作ることにした。
使いかけの方眼ノートを開き1つ1つ候補をかいていく。
・でっかいかき氷食べに行く!
・プールに行く!
・なんかオシャレなカフェに行く!
・山登り(水波嫌がりそう笑)
・水族館にペンギン見に行く!
・綺麗な景色みにいく!
・海外旅行!
    ………………
水波とやりたいことはたくさん思いついた。私は楽しくなり気付けばノートを二ページも使っていた。手も疲れたので今日はこの辺でやめておこうと思いペンを置いた。
水波が帰ってきたらこれを見せて二人で計画を立てよう。そうウキウキしながら私は水波の帰りを待った。

 八月十六日
水波が帰ってくる日だ。
私は水波に会うのを待ちきれず夜の約束だったが夕方頃にはもう家に向かっていた。
肩からかけたトートバッグにやりたいことリストが書かれたノートと筆箱、そしてスマホをいれ傘をさしながら歩いていた。
この日も雨がすごく暴雨注意報と洪水注意報が出ていたが私はそんなことは気にせず服を濡らしながら歩いていく。
水波元気かな。
お土産買ってきてくれたかなあ。
あ、抜け駆けして痩せたりしてたら怒ってやろ。
そんなことを考えながら歩く道は雨でも楽しかった。
 カバンの中でスマホが鳴った。
水波かと思い片手でカバンの中を漁る。固く四角いものに手が当たり取り出してメッセージアプリを開いた。
メッセージの差出人は水波ではなくクラスのグループだった。
三年五組とかかれたトークルームには
『水波が死んだ』と表示されていた。
私は理解が出来ず立ち止まってただそれを眺めることしかできなかった。
車のクラクションが鳴り私は横断歩道の真ん中にいる事に気づいて走って渡った。
渡りきった途端その言葉の意味を理解し傘を放り出して道の真ん中で声を出しながら泣いていた。通る人に迷惑そうにみられ、舌打ちされても私はその場から動けず泣くことしかできなかった。
携帯がうるさく鳴っていた。
後から見てわかったがそれはクラスのトークルームだった。
水波が死んだという連絡を受けクラスメイトは水波について有る事無い事話していた。
「虐待受けてたらしい」
「俺、援交してるって噂聞いたことあるぜ」
「かわいそうに」
そんな言葉が飛び交っていた。
吐き気がした。
クラスメイトの死をネタにし話しているあいつらが気持ち悪くて仕方なかった。ううん、あいつらと同じ人間である私も気持ち悪かった。
私は一通り泣きそれでもまだ溢れてくる涙を抑えながら近くにある公園に向かった。(まあ公園についてベンチに座る頃にはもう涙は溢れてしまっていたが)
涙で滲み見えにくい中で私は水波の連絡先を押した。
嘘だと信じたかったのだ。
水波は生きてる。電話に出てくれる。そう信じたかったのだ。
でも水波は出なかった。
何度かけても何度かけても出なかった。
ただ機械の音だけが流れてきた。
それに私はまた悲しくなり涙が溢れてきた。
とりあえず家に帰ろう。そう思い私は今来た道を引き返した。
傘はもう差さなかった。

家に帰ると母が玄関で待っていた。言いづらそうに口を閉じたり開いたりしながらとうとう決意を決めたかのように私を見つめて言った。
「水波ちゃんが、死んだって」
知っている、そんなこと知っている。
何も悪くない母に怒りをぶつけてしまいそうになる。そんな気持ちを抑えながら私は小さく「知ってる」とだけ答えた。
母は全てを察したかのように「そう」とつぶやいて私にタオルを渡してくれる。タオルを受け取り私は自分の部屋へ向かった。怒りに任せてドアを開閉しそのままベットに飛び込んだ。フワフワした布団に包まれ私は泣いた。体の中の水分が全て無くなってしまうんじゃないかってくらい泣き続けた。
気づけば寝てしまっていた。
カーテンの隙間から差し込む光で朝だと気づく。
晴れていた。雲ひとつない快晴だった。水波をプールに誘おうと思い携帯を開いたところでもう水波はいないんだと気付かされる。また涙が出てきた。しかし昨日泣いたせいで重たい瞼が邪魔をしてうまく流れてくれなかった。
部屋のドアがノックされる。
母が入ってきて水を渡してくれた。私は喉が渇いていたのかコップに入った水を一気に飲み干す。その様子を見ながら母は言った。
「今日、お葬式だって」
私は何も答えなかった。いや、答えられなかった。また込み上げてくる涙を必死に抑えていたのだ。
母はそんな様子を察したのか行けそうならリビングに降りてきてね。喪服渡すから。とだけ言い残し部屋を出て行った。
母が出ていき何かが外れてしまったかのように私は泣き出した。涙は止まることを覚えず流れ続けた。
 お葬式には行かなかった。
グループトークのようにクラスメイトや水波のことをよく知らない大人たちが好き勝手言っていたら私はきっと手が出てしまうと思いいくのをやめた。
水波の大事な式を台無しにするようなことはしたくなかった。(まあ好き勝手言ってる奴らのせいですでに台無しになってるかもだけど)
 それから一ヶ月
夏休みも終わりクラスメイトも世間もまるで初めからそうだったかのようにふつうに過ごしていた。私はそれが苛ついて仕方なかった。水波がもともと存在していなかったかのように扱われるたびに吐き気がした。
学校には一度行ったが哀れむような目しか向けられず耐えられなかった。酷いやつでは水波の噂をニタニタと笑いながら私に確認してくるやつまでいた。私はそこで初めて殺意を覚えた。
そんなことがあり私は学校に行かず家にこもっていた。
 しかしちょうど一か月した頃ぐらいに私は生前水波がつぶやいていたことを思い出した。
あの川に行った日だ。
あの日おしゃべりもひと段落つき、そろそろ帰ろうかと水波に言おうとした時だった。夕日に染まった川を見ながら小さな声でつぶやいたのだ。
「もし、もしね、私が死んだ時は机の引き出しをあけてほしい。」そう言っていたのだ。
私はその時また水波の冗談かと軽く流していたがあれは本気だったのかもしれない。
もし冗談だったとしてもいい、なんでもいいから水波が残してくれたものを手にしたかった。
 気づけば私は走り出していた。あの日と同じ道を今度こそ引き返さずに行こうと全力で走った。暑くて暑くて目眩や吐き気がした。
それでも私は走り続けた。水波の残したものを取りに行くために。
 水波の家に着いた頃には私はもう倒れる寸前だった。なんとかインターホンを鳴らし家主が出てくるのを待つ。家の中から歩いてくる音が聞こえドアが開く。出てきたのはひょろりと背の高い女だった。水波の母親だ。水波に似た顔が私を見ている。その事にまた泣きそうになるが私は堪えて用意してきた言葉を言う。
「突然お尋ねしてすみません。水波の友達の渚と言います。もしよろしければお線香をあげさせてもらえませんか。」
そう言うと背の高い女は一瞬怪訝そうな顔をしたがすぐに薄っぺらい笑顔をした。
「わざわざありがとう。どうぞ上がって」
そう言い私を招き入れてくれた。
ありがとうございますと軽く会釈をしながら玄関に入る。
こっちよ。と案内されるがままに歩いていく。狭い和室の部屋に水波の遺影とちいさな仏壇が置いてある。
それじゃあ、ゆっくりしていって。と言い残し背の高い女は出ていった。
私は遺影を少し見つめその後お線香をあげた。目をつぶりながら水波に沢山謝った。謝ってもどうにもならないことぐらい知っている。それでも私は謝る事しかできなかった。
 一通り終わり背の高い女を探す。リビングのソファーで雑誌を開いていた。
「すみません。お線香あげさせてもらいありがとうございました。」と言うと女はこちらを振り向きまたあの薄っぺら笑顔で「いいえ」とだけいった。
「それともう一つお願いがあります」そう言うと女は今度ははっきりとわかるぐらいに怪訝そうな顔をした。
「なにかしら」
先ほどより少し低めのトーンで答える。
「水波の部屋に入らせてください」
そう言うと女は
「ああ、それぐらい勝手に見ていいわよ」と言い雑誌に目を戻す。私は一礼しリビングを出て水波の部屋に向かう。部屋の場所は大体わかっていた。私の部屋二階だから夏は熱がこもって暑いんだ。と笑いながら言ったことがあったのだ。
私は階段を登り水波の部屋であろうドアを開ける。
私はその部屋を見て立ち尽くしてしまった。
部屋の真ん中に使い古された勉強机が一つポツンと置かれているだけだった。それ以外はなにもない。カーテンすら付いていなかった。私はあまりにも違和感があるその部屋に納得が行かず階段を駆け下り女がいるリビングへ向かった。勢いよくドアを開け女に詰め寄る。そして女の目の前で聞いた。
「なによ、あの部屋」
女はキョトンとしその後眉間にしわを寄せ不機嫌そうに
「知らないわよ。私はあの子の部屋なんて見てないもの」と言った。私は苛立ちを覚えたがどこか冷静でもありもし今この女に手を上げたら部屋を見せてもらえなくなると思いやめた。
「そうですか。すみません変なこと聞いて。もう少ししたら出ていきますので。」そう言うと女は軽く舌打ちをしまた雑誌を見始めた。
私も水波の部屋に戻る。
今度はきちんとドアを閉め机までゆっくりと歩いていく。机の上にはなにもなかった。机の右下に三段の引き出しがくっついている。私は大きく深呼吸をした。スー、ハーと机だけを置くには広すぎる部屋の空気を吸う。そして私は引き出しに手を伸ばした。一番上の段からゆっくりと開けていく。なにも入っていなかった。ガッカリしながらも二段目を開けていく。そこにもなにもなかった。やっぱり水波の冗談だったのかもしれないと思いつつ最後の望みをかけ三段目をあける。
あった。
白い封筒だ。
そこには水波の性格には似つかわしい細く綺麗な文字が並んでいた。
 渚へ
勝手にいなくなってごめんね。
でもね、私もうダメだ。
ここは私には少し息苦しかったよ。
でもね、渚と居る時だけは息ができたの。
渚はいつも私を地上に連れ出してくれた。
暖かくて息がしやすい地上に。
ありがとう。
渚は私にとっての酸素だった。

 いつのまにか手に力が入り、目から雫が落ちて紙はクシャクシャになっていた。
 水波は本当に死ななきゃならなかったのかな。私がもっとはやく水波が抱えてるものを知れていたら──
 考えても後悔しても今更どうにもならないのに私の頭の中はずっとその思考がぐるぐるしていた。

 それから半年
私はあの川にいた。
 手紙を受け取った後、私はクラスメイトに水波がどこで死んだのかと聞いて回っていた。
あるクラスメイトによると水波はあの川から飛び込んだらしい。さらに、一人のクラスメイトがたまたまその現場に居合わせており詳しい状況を知ることができた。その子によると水波はあまりにも綺麗で死んでいるなんて到底信じられなかったという。水で濡れていた水波は太陽が出ていないはずなのにキラキラして見えたのだと言っていた。
私はそれを聞いて涙が止まらなかった。
苦しかったよね。辛かったよね。一人で死なせてごめんね。など悲しい言葉しか出てこなかった。でも心の何処かで最期まで美しい水波はやっぱり流石だなんて思ってしまっていた。
 川を見ながらそんなことを思い出していた。あの夏の日水波と来た川は少し汚くなっている気がした。薄緑に濁りあの頃の輝きはなかった。
 ねぇ、水波。貴方は私を酸素だと言ったね。だったらね水波は私の窒素だよ。だからかな、水波がいなくなってから息がしづらいの。私達は離れちゃいけなかったんだよ。お互いにとって必要不可欠な存在だったの。なのに水波はいなくなっちゃうからさ。私会いに行くしかないじゃん。会えたらさ私がノートに書いたことを二人でやっていこうね。約束だよ。寂しがってると思うからはやく行ってあげるね。ありがとう水波。
私をこの世界から救ってくれて。

 ピロン
クラスのトークルームに一件のメメッセージが送られてくる。
そこには「死んだ」とだけ書かれていた。