家までの道をひたすら走る。
頭に浮かんでくるのは、陽毬の泣き顔。
俺を待ってると言った時の、無理やり作った下手くそな笑顔。
どうしてあの時、引き留めなかった。
陽毬が泣いたのは分かってたじゃねぇか。
初めて会った時以来、涙を見せなかった陽毬が泣いていた理由を、俺は引き留めてでも聞かなきゃいけなかった。
『陽毬ちゃん大丈夫か?』
『陽毬ちゃんの心が折れてしまう前に、必ずよ』
なんで。
なんで俺は気づかねぇんだ。
周りに言われて初めて、陽毬が傷ついていることを知る。
だせぇ。
情けない。
どうしようもない、大バカ野郎だ。
それでも、お前に伝えたいことがある。
陽毬。
俺は、お前のことが……。
「陽毬っ!!」
家に着き、靴を乱暴に脱ぎ捨てる。
リビングへ続くドアを開けると、陽毬が驚いた顔でこちらを振り向く。
陽毬の瞳からは涙が溢れ、頬を伝っていた。
必死に涙を隠そうと拭う陽毬のその姿に、どうしようもなく胸が締め付けられる。
「ハ、ル……早かった、ね。あの、私っ……」
無理して気丈に振る舞う陽毬は痛々しくて、何故か俺が泣きそうになった。
もういい。
もういいんだ、陽毬。
陽毬の気持ちが痛いほど伝わってきて、泣きそうになる。
無理に笑おうとするな。
強がらなくていい。
陽毬の腕を掴み引き寄せ、そのまま震える小さな体を抱きしめる。
「……好きだ」
自然とその言葉がこぼれた。
好きが溢れると、頭で考えるよりも先に体が動くのだと初めて知った。
「っ、ハル…?」
「ずっと待たせてごめんな」
強く抱きしめて、もう一度好きだと伝える。
たくさん傷付けた。
ずっと待たせてしまった。
陽毬……。
「好きだ」
だから、もう
「ふぇ……っ……」
我慢しないで、泣いてほしい。
「うぇー…んっ……ひっ……うぁああ……っ」
糸が切れたように泣きじゃくる陽毬を強く抱きしめて頭を撫でる。
『もっと早く好きだって言ってやれば……』
先輩の言う通りだった。
俺がもっと早く好きだって言ってやれていたら、陽毬が今日ここまで傷付くことはなかったかもしれない。
こんなにも辛そうに泣かせる事もなかったかもしれない。
俺はずっと、好きだって言ったら、陽毬は満面な笑顔を向けてくれると思ってたんだ。
ごめん。
ごめんな、陽毬。
それからしばらく陽毬を抱きしめて宥める。
ようやく陽毬の様子が落ち着いてきた頃、陽毬が俺の胸から顔を上げて、未だに涙で溢れる瞳を俺に向けた。
「ハル…」
「ん?」
「好きっ……」
ふわっと花が咲くように笑う陽毬に、また胸がひとつ音を立てた。
引き寄せられるように、陽毬の小さな唇に自分のそれを重ね合わせる。
顔を真っ赤にして驚く陽毬の額にキスを落とすと
「や、やめて…っ、心臓止まっちゃうっ……」
なんていう可愛い抗議の声が聞こえてきた。
本当はもっとキスしてやりたいけど、仕方ない。
「分かった。じゃあまた後でな」
「うぅ……」
覚悟しとけよ?
これまでの分も、思い切り溺愛してやるから。
そう心の中で呟いて、俺はまたひとつキスを落とすのだった。
side 陽毬
「落ち着いたか?」
「うん、ありがとう」
ハルがソファに座る私にアイスティーが入ったコップを差し出す。
それを受け取って1口飲むと、涙で水分不足だった体に染み渡る。
向き合わなければと思っていても、真実を聞くのが怖くて涙が止まらなかった。
まさかあそこでハルが帰ってくるなんて思ってなくて、慌てて涙を隠そうとしたけれど、それも出来なくて。
どうしようと混乱しているうちに、ハルが「好きだ」って言ってくれた。
最初は驚いて、信じられなくて。
だって、ハルが私を好きになってくれたなんて夢のようだったから。
でも、そんな私にハルはもう一度好きだって言ってくれた。
本当に好きになってくれたんだ、って。
夢じゃないんだって分かった瞬間、もう涙が止まらなかった。
色んな感情が溢れ出て、止めることなんて出来なくて。
ハルはずっと私を優しく抱きしめてくれてた。
初めてハルの温もりに包まれて、安心して。
ハルが好き。
大好き。
そんな思いが自然と言葉となって溢れた。
あんなにも好きだと伝えることを怖がって躊躇してたのに。
そんな不安はもうどこかに飛んでいってた。
でも、私にはまだ向き合わなくちゃいけないことがある。
「ハル、私ね……ハルと沙織ちゃんの噂を聞いたの」
好きだと言ってくれたハルの言葉を疑ってるわけじゃない。
でも、ここでちゃんと向き合わなければ、私はまた臆病になって、弱い自分になってしまう気がするから。
私の隣に座ったハルが、私の目を真っ直ぐ見つめてくる。
「沙織とはただの幼なじみだ。それ以上は何も無い」
幼なじみ…。
「ハルはそうでも、沙織ちゃんは違う、よね……」
私に向けられたあの視線は『嫉妬』、『牽制』、『敵視』……そんな意味の篭もった視線だった。
「陽毬が聞いた俺と沙織が付き合ってるって噂は、沙織が自分で広めたものらしい」
そしてハルは、俊太くんから沙織ちゃんのハルへの気持ちと真相を聞いて、初めてその噂の存在と沙織ちゃんの気持ちを知ったのだと言った。
「俺が周りをよく見てなかったせいで、噂が広まってることにも気づかなかった。沙織にも、これからちゃんと向き合って話をするつもりだ」
そっか。
よかった……。
「陽毬、他に聞きたいことがあるなら何でも言ってほしい」
「もう大丈夫だよ。ありがとう」
大丈夫。
不安なことはもうない。
ちゃんとハルが話してくれたから。
「陽毬、ちょっと相談なんだけど」
「え?なに?」
「陽毬と婚約してること、俺も学校の奴らに話そうと思って」
え……。
でも、それじゃ…。
「分かってる。沙織が心配なんだろ?」
…うん。
沙織ちゃんはきっと、嘘をついていることに罪悪感を感じてるはず。
だって、ハルのことがなければ、沙織ちゃんは本当に優しくて良い子なんだ。
良くないことをしてるってきっと分かってる。
その事から目を逸らして、嫉妬や妬みという強い想いを自分でコントロールできないでいる。
自分で自分を傷つけてるはずなんだ。
ハルが好き。
その想いが、私には痛いほど理解できるから。
ハルは「大丈夫だ」と私の頭をポンと撫でる。
「悪いようにはしない」
沙織ちゃんの事を幼なじみとして大切に思ってるハルがそう言うのだから、きっと大丈夫。
「ハル」
「ん?」
「大好き」
好き。
大好き。
1度溢れてしまった想いは、もう止めることは出来ない。
制御不可。
何度好きって言っても足りない。
どんどん「好き」が溢れていくから、その分私の心は寂しさで埋まっていく。
だから
「お前、急にそういうこと言うの反則」
ハルが満たしてね。
制御不能になった私は厄介だから、覚悟してね。
「んっ……」
ハルが優しく口付けを落とす。
それだけで、心が満たされていく。
ハル
大好き。
ーーーーー………✧*
数日後
「ほら、陽毬」
「うっ……」
土曜の昼下がり。
私はハルと向かいあわせでソファに座っていた。
ハルは軽く両手を広げて私を呼ぶ。
なぜこんなことになっているのかというと…。
ーーー昨日の夜
『陽毬、俺に甘える練習しようか』
『あ、甘える?』
『そう。初めて会った時、陽毬は自分から俺に抱きついて来たろ』
うぅ……。
やめてっ
それは掘り返さないでっ……!!
『俺が拒絶したせいで、あれ以来陽毬は自分から俺に触ろうとしなくなった。
その原因を作った俺が言えることじゃねぇけど、これからは遠慮しないで甘えて欲しいと思ってる』
え……。
『いきなり無意識に甘えろなんてのは無理だろうから、まずは俺に触れる事からはじめようか』
そう言ってハルは意地悪そうな笑みを私に向けたんだ。
ーーー……。
そして、今に至る。
「陽毬、早く」
「ま、待って…」
確かに私は、今まで自分からハルに触れることはなかった。
ハルに嫌われたくない。
拒絶されたくない。
そんな想いが、私の心の奥にいつの間にか根付いてしまっていて。
ハルはそれを俺のせいだって言った。
でも、そんな臆病で遠慮していた私がいなければ、ハルは私と距離を縮めようとすることもなかったから、必要な事だったんだよって言ってくれた。
『だから、今度は俺が陽毬に甘える事を教える番』
そう言ってハルは笑ったの。
今はまだ、心の奥で甘える事を怖がってる自分がいる。
でも、このままじゃいけないことも分かっているから。
恐る恐るハルに手を伸ばす。
ハルの顔を見ると、優しい顔を向けてくれる。
「ゆっくりでいいよ」、そう言ってくれてる気がした。
いや、あの……怖いって言うのもあるけど、これ普通にドキドキしすぎてどうしよう!?
ハルの胸元の服を少し握って、ジリジリとゆっくり近づく。
うっ……!!
うわぁあああっ、これどうしたらいいの!?
抱きつくというより、ピトッて感じでハルの胸に身体を寄せる。
え、これでいいのかな?
ドキドキしすぎて心臓壊れちゃいそうだよっ……!
「…………」
「…………」
「………はぁ」
ビクッ
え、それは何のため息ですか!?
やっぱりダメだったの!?
急いで離れようとしたら、思い切り抱きしめられてびっくり。
え。
ちょ、ハル…!?
「お前は猫か。それとも何、俺を殺す気?」
猫…?
こ、殺す?
ハルは「これはこれで有りだな」とか言ってる。
えーと…よく分からないけど、これで大丈夫だったってこと?
「陽毬、俺の背中に手ぇ回して」
「は、はいっ」
ガシッとしがみつくように腕を回すと、ハルが「そんなに力入れなくてもいいよ」と笑う。
わ、笑われた…。
「抱きしめてる時は背中に腕回して。これ今すぐ覚えて」
「わ、分かった」
ハルの腕の中は温かい。
ドキドキするけど、安心する。
不思議。
「ふふ…」
「何笑ってんの」
「んーん、なんでもないよ」
私今、幸せだ。