灰と王国のグリザイユ

 2113年 10月某日
 王には、新しい侍女がついた。彼女はずっと、彼に好意をよせていたらしい。お役目をうれしそうに話す。これでよかったのだ。
 だが、この苛立ちは何だろう。わたしは彼のような天才ではないが、この気持ちがどこから来るのかを確かめたい。

 
 アニスが工場にこもったまま、数日が過ぎた。なかなか新商品が思いつかず、うろうろと徘徊するアニスを、他の作業員たちも心配そうに遠巻きに窺っている。
 松葉杖なしで歩けるようになったツバキは、アニスを街へ連れ出した。
 追っ手や刺客は気になるものの、ゴーグルとマスクは着用しているし、過敏に行動すれば逆に目立つ。
(それにまさか、王女が辺境の灰都にいるとは相手も思うまい)
 それでもいちおう、尾行に気づけなかった失敗をくり返さないために、ツバキは車道側を選んで歩いた。
 そんなツバキの横を、アニスは不安げにとぼとぼと歩く。
「こんなぶらぶらしてるだけで、新商品を開発できるんでしょうか。聞き込みとかしたほうがいいんじゃ……」
「そんなの、みんなやってる。他と同じアプローチじゃだめだ」
 とりあえずふたりは、症状の気になっていたアオイを見舞うため、ケーキを持って医療院を訪れた。アオイは頬のガーゼが痛々しかったが、喜んでふたりを迎えてくれた。
 ツバキが、深々と頭を下げる。
「——すまなかった、チビ」
「リクドウさん、チビじゃなくてアオイですよ」
 失笑を抑えつつ耳打ちするアニスだったが、アオイはふたりのやり取りを楽しそうに観察している。アニスがケーキを皿に取り分けている間、ツバキは躊躇いながら尋ねた。
「その……痕は残るのか」
「ううん、ちゃんとぼく、お嫁にいけるって」
「嫁!?」
 アオイの性別を知らなかったツバキは頓狂な声をあげ、皿のフォークを取り落とした。青くなってまじまじと目の前の『少女』を見る。
「お、おれ、とんでもねェことを……!」
「いいんだ、リクドウ。でもその代わり、工場を助けてよ。ぼく、あそこがなくなったら行くところがないんだ」
 困ったようにアオイが笑う。買収されれば、アオイのような子どもはまっ先に切られるだろう。
 ツバキは意を決したようにごくりとつばを呑み込むと、親指を立て自信に満ちた笑顔で応えた。
「任せろ、絶対に工場は乗っ取らせねェ」

「……あんな大見得を切っちゃって、どうするんですか。無責任ですよ、リクドウさん」
 ふたりはドーナツショップのカウンターに腰かけ、大きなガラス窓から道行くひとを眺めている。
 今のところ、新しい石けんについて何の策もない。紙コップの薄いコーヒーをすすりながら、アニスは不機嫌にツバキを見た。
 何の根拠もないこと、不確かなことを堂々と口にするのは、アニスにとって嘘の論文を発表するのと同じだ。
 小さなころから、不思議なことを解明するのが好きで、実験したり研究を重ねたりしているうちに、いつの間にか『博士』と呼ばれる立場になっていた。
 だがアニスにとって、もの作りはただの趣味で、こんなふうに責任やリミットに迫られるものではなかったのだ。
「まず需要をリサーチして、データ化しなきゃ。パッチテストだって……」
「パッチンテスト?」
「パッチテスト、皮膚アレルギーの試験です!」
 当然、マイナスからの現状に焦りを感じ、ピリピリしてしまう。
「怖いか」
 おだやかに尋ねるツバキが馬鹿にしているように思え、アニスはむっとしてコーヒーをカウンターに置いた。
「怖いんじゃありません! できるかどうかもわからないことを断言するのは、間違いだって言ってるんです」
「責任は取る。だからアニス博士は、あんたにしかできないことをしてくれ」
「そんなこと言われたって——!」
 めずらしく尖った口調のアニスに、ツバキは呆れたように肩をすくめる。
「あんたさ、頭でっかちなんだよ。アイディアなんて水ものだ。理づめで考えてばっかじゃ、いい案も浮かばねェよ。既存の商品作るんじゃない、できるかどうかわからねェもん作るのが『博士』なんだろ?」
 ツバキからまさかのまともな言葉が出て来たせいか、アニスは反論することも忘れ、唖然と口を半開きに開けた。
「そうだなあ、例えばよ。あんた、花は好きか?」
 唐突に何の脈絡もないことを尋ねられ、さらに困惑する。
「何を思って花を見る? 花弁の数や種類をいちいち考えながら見るのか?」
 アニスの頭に、寄宿舎の庭に咲いていた月下美人が浮かんだ。
 一晩しか咲かない花。開花に出会えただけで、幸せになれる花。
「ううん、きれいだって、いい香りだって……」
「だろ? 自分の感覚をを信じろ。それでいいんだよ」
 ドヤ顔で口角を上げるツバキに、アニスも冷静に質問をかぶせる。
「で、花が何なんですか?」
「——あれ? おれ、何が言いたいんだっけ」
 自論に混乱し焦るツバキがおかしくて、アニスはぷっとふき出した。
「——わかりました。まずは何が売れるかとかより、わたしがいいと思うもの、作りたいものを好きに作ればいいんですよね?」
「そうそう、そーいうこと」
「でもデータ化、数値化もわたしの『好きな』やり方なので、そこは譲りませんよ」
 挑戦的に微笑むアニスに、ツバキもほっとしたようだ。
「やっとエンジンがかかったな。で、どんな石けんを作るんだ?」
「そうですね……」
 アニスは紙コップの中を見つめて考えた。
 何かを作ることは、ずっと好きだった。けれど、それが誰かの役に立つことが、こんなにも自分の喜びになるとは思わなかった。
「まずは、幸福度の反比例を考えたいと思います」
「幸福度の反比例? 何だそりゃ」
 ツバキは片眉を上げ、顔をしかめた。
「わたし、スクラップに実際来て、経済の豊かさとそこに住むひとの満足感が、釣りあってないように思えたんです。灰都のひとたちのほうが、コミューンや桜城の住人より、何だか毎日笑ってるなあって」
 確かに、アカザを筆頭とする工場の作業員たちは、人生を楽しんでいる気がする。
「石けん作るのに、それが何か関係あんのか?」
 未だ理解できないツバキに、アニスは堂々とプレゼンを始めた。
「わたしが作りたいのは、製作側も消費者も幸せになる石けん。まずは国民総幸福量(GNH)の増加を目指します。そこで、最下層のさらに先、緋ノ島に取材に行きたいんです」
「あ、緋ノ島!? オレンジ畑しかねェぞ、あんなとこ」
 さすがのツバキも、声がひっくり返って驚く。だがアニスは、確信を持って湾の向こうの火山を見すえた。
「だからこそ、何か幸せのヒントが隠されてる気がするんです」

 港へ行くと、ちょうど船を出すところだった中年の漁師が、島まで乗せて行ってくれることになった。
 船はフェリーやまっ白なボートなどではなく、コミューンでは見たこともない、煙突付きの古いタイプの漁船である。
 十五分ほどで対岸の島に着くとはいえ、スリリングな乗船だ。ディーゼル臭のする黒煙に、ふたりは早々にマスクをつける。
「……レトロですね、リクドウさん。いつの時代の乗り物でしょう」
「素直にボロいって言えよ。島に着く前に海上で爆発するんじゃねーか、コレ」
 ひそひそと移動手段を訝しむ声を知ってか知らずか、漁師は慣れた手つきでエンジンを始動する。
「兄ちゃん方、あげな灰だらけんとこ行きたいたあ、変わっとるねえ」
 やはり、島にわたるのは、観測所の研究員か農家の人間くらいしかいないそうだ。
「何しに行くの? 若い子が興味を持つようなもん、何もないよ」
 よほどめずらしいのか、運転しながらも興味深々に、操舵室から漁師はぐいぐいと訊いてくる。
「でえとね?」
「違ェーよ」
 つまらなさそうに即答するツバキに、アニスの胸はなぜかちくりと痛んだ。
(……そうよね、わたしといっしょにいるのは、リクドウさんにとって仕事なんだもの。こんなところまでつきあってもらうのも、ほんとは迷惑なんだろうな)
 もうひと月も行動をともにしていたので、目的を忘れそうになっていた。アニスのDNA鑑定がすめば、どういう結果が出ようとそこでお別れなのだ。
「リクドウさんは、わたしが王女だったらいいと思いますか?」
「そりゃ、本物の王女を捜すのがおれの仕事だし……」
 歯切れの悪いツバキに、アニスは黙ってうつむく。
 やっぱり、仕事の一環なのかなと、アニスはツバキの様子を窺いながら訊いてみた。
「わたし、やっぱりお城に行かなきゃいけないんでしょうか」
「——全部、すんだらな」
 操舵室のほうを向いたまま、ツバキはふり返りもせず答える。
「でも、わたしがもしも王女だったとしても……王さまはもういないんですよね?」
「王はいなくても、国という領地が手に入るだろ」
「わたし、領地なんていりません」
「馬鹿やろう! 権力なんて、そうそう簡単に手に入るもんじゃないんだぞ」
 こぶしをにぎり思わず力説するツバキを、アニスは呆気に取られ見つめる。漁師も何事かと顔をのぞかせた。
「……あ、いや、すまん。何か、せっかくのチャンスをもったいねェなって」
 我に返ったツバキは一瞬間を置くとため息をつき、一息に吐露した。
「……おれんとこの実家、執行能力のない馬鹿親父のせいで領地手放しちまったからよ」
 何だか聞き覚えのある話だ。アニスはシスター・シキミから聞いた言葉を、思わず口走っていた。
「あ、没落貴族?」
「——うっ」
 ツバキは、やや胸にダメージを負ったようだ。アニスはあわてて、ぶんぶんと手のひらをふり謝る。
「す、すみません! 以前ちょっと聞きかじっただけで」
「い、いや、結構なニュースになったからな……」
『アケイシア伯リクドウ卿』。それがツバキの父だ。
 伯爵の爵位を持ちながら、資金不足のため管理できなくなった城も土地も売り払い(ツバキ曰く、方々の女性に注ぎ込んだせいだという)、今では領地だったエリアの一角で、小さなオーベルジュを営んでいるらしい。
 だがアケイシア地区は市民街からすれば郊外ではあるが、広々とした高原の別荘地だ。コミューンの中でも比較的降灰量が少なく、避暑地としても人気が高い。
「——すごい、お家柄だったんですね」
 驚くアニスに、ツバキは操舵室に聞こえないよう船尾に移った。
「……すごかねーよ。おれなんて実際、どの女の子どもかもわかんねェらしいし、所詮ウチは没落貴族だし……」
「あの、ほんとすみません……」
 どうやら地雷を踏んでしまったらしい。アニスは躊躇いながら訊いてみた。
「リクドウさんは、それで近衛連隊に入ったんですか?」
「ああ、軍人なら食いっぱぐれることねェしな。でもおれは親父とは違う。ここで功績を上げて、いつかリクドウ家を興し直すのが夢なんだ」
 そう語るツバキのまなざしは、降灰の中でも輝いていた。
(——夢。リクドウさんもアオイも持っている)
 自分にはまだない。だがこの仕事を達成したら、灰で曇った未来が少しだけ開けそうな気がする。
 アニスは、ゴーグルをはめると下船を待った。

 初めて緋ノ島にわたったふたりは、船着き場で眼前の火山を見上げたまま、立ち止まった。いつも湾越しに見えていた、けぶったシルエットとは違う雄大な姿に言葉を失くす。
 漁師は夜にまた来ると言い、たも網を持って湾に出て行った。
 かすかな硫黄臭と灰の匂いに、違う世界に来たような畏怖を感じる。コミューンやスクラップで見て来たざらざらとした砂粒ではない、ここに降る灰は雪のように幻想的だ。
 土石流や溶岩流の跡を恐る恐る歩きながら、アニスは岩の間から顔を出す小花に目を見はった。灰のせいで、草一つ生えない土壌だと思っていたのに。
(でもよく考えたら、ミニオレンジは育つんだ)
 山頂へ続く道に、ビニールハウスの畑が段々と見える。ふたりはまず農家を訪ねてみることにした。
 オレンジ農家の老人はふたりを見ると驚いたものの、快く家に招いてくれた。老婦人がお茶と干物のお茶請けを出してくれる。
「幸せかどうかねえ。考えたこともないねえ」
 唐突な質問に、ふたりとも戸惑っているようだ。
「ミニオレンジを、本土で作ろうとは思わなかったのですか?」
「ウチは先祖代々ここで畑を作ってるよ。ほかの地ではあまみが出ないのさ。この水はけのいい、軽石をふくんだ大地の緋ノ島でないとね」
 灰の土壌に適した栽培があったこと、この辺境でなければならない理由があったことが、アニスにとっては衝撃だった。だが、暮らすとなるとまた話は別だ。
「降灰が生活に不便ではないですか? 大噴火の恐れもあるし」
 実際、昔は島のハザードマップも公表されたこともあるという。
「災害が起きたときゃあ、そんときはそんとき。逃げるだけだよ」
 笑って話す老人に、老婦人も微笑んでお茶を注ぎ足す。
「それに緋ノ島は災害だけじゃない、ちゃんと恵みもくれる神さまがいるのよ」
 神の加護のないと言われてきた灰桜国のはずだが、老婦人はなおも続ける。
「不便は楽しむしかないわね。どのみち、灰は毎日放出されるんだし。ほら、このお湯呑み、灰でできてるの。この小魚も灰干しで作ったのよ」
 アニスたちはびっくりして、湯呑みをしげしげと見返した。どっしりとした大地の色の素朴な器。小魚も臭みがなく、ほくほくとおいしい。
 驚くふたりの反応がおかしかったのか、老婦人は自分の手ぬぐいとエプロンを自慢げに広げた。銀色の模様が、かわいらしく並ぶおそろいのデザインだ。
「これも、火山灰。灰の染料で刷ったのよ」
「——つ、作り方を教えて下さい! 全部!」
 取材を忘れてのめり込むアニスが想定内だったツバキは、あきらめて待つことにした。手持ち無沙汰なツバキに、老人が話しかけて来る。
「あんたたち、遊びに来たんじゃないんかね?」
「いやー、石けん作るために取材に来たんスよ」
 ツバキが、肩をすくめてお茶をすする。意味がわからんと言われるかと思ったが、老人はよいしょと一度奥へ引っ込むと、何やら手にかかえるほどの壺を持って来た。
 中を確認したツバキが、不思議そうに目を細める。
「これは、灰? いや違う……」
 降灰よりも白く、さらさらと粒子は細かい。老人は中身を手に取ってツバキに見せた。
「これは、白砂だよ」
『シラス』とは、火山灰の堆積物であり、コミューンでも地層として諸所に見られる。
「わしらはこんなふうに使うのさ」
 意図がつかめずにいるツバキを、老人は台所へ連れて行った。

「——アニス博士!」「リクドウさん!」
 ふたりが同時に別室から飛び出して来る。紅潮した顔を興奮気味に見あわせ、お互い大きくうなずく。
「灰都へもどろう!」
「はい!」
 ふたりは農家の老夫婦に深く礼を言うと、迎えのオンボロ船に飛び乗った。漁師が朗らかにツバキをからかう。
「兄ちゃん、来たときとは違って晴れ晴れした顔しとるねえ。でえとがうまく行ったとね」
「ああ、意義ある『でえと』だったぜ。感謝する!」
 ツバキは額の包帯をシュッとはずし、風に流した。

 その頃、コミューンの市民街では、ハッカとシュウカイドウがツバキの足取りを捜索していた。城からそのまま出て来たシュウカイドウに、ハッカが心配そうにささやく。
「王子、変装とかしたほうがよかったのでは……」
「メディアへの露出が多い父上ならともかく、引きこもりのぼくの容貌など、誰も知らんだろう」
 シュウカイドウが自嘲気味に笑う。
 確かにゴーグルとマスクで人相などわからないが、下町の繁華街を由緒あるロイヤルファミリーのシュウカイドウを引っぱりまわしていいものかと、さすがにハッカは迷う。
 だが当の本人は、ものめずらしげにきょろきょろと辺りを見回し、
「ヨシノ、あれは何だ。何かの罰なのか」
 と、鼻ピアスの青年をふり返らせ、
「ああっ、ヨシノ、あの者たちはどうしたことだ。頭に模様が!」
 ヘアタトゥーの愚連隊に揃って睨まれる始末。ハッカがあわててシュウカイドウの口をふさぐが、ちょっと目を離すと呼び込みの店員に捕まり、煌々しい看板の店に連れ込まれようとしている。
 夕暮れにはぐったりと疲れたハッカであったが、ひとしきり興奮し空腹になったのか、シュウカイドウがひとつの露店を指さした。
「ヨシノ、あれを食してみたいな」
「回転焼き……ですか?」
 伝統的な菓子であり、グレーターのデパートなどでも売っているはずだ。シュウカイドウは口にする機会がなかったのだろうか、とハッカは首をかしげた。
「母上が不衛生だと言って、実演で売られているものは、買わせてもらえなかったのだ」
「ユウカゲさまは、王子のことが大切でいらっしゃるんですね」
 ハッカは微笑ましく言葉をかけたが、シュウカイドウは何か言いたげに微苦笑した。
 ふたりで、シュウカイドウ曰く「禁じられている」食べ歩きをする。
「……う、うまいぞ、ヨシノ! 回転焼きとは餡がつまっているものと聞いていたが、これは餅も入っている!」
「ここのは栗も入っていますよ。お気に召して頂きよかったです」
 ようやく落ち着いたのか、回転焼きをほおばりながらシュウカイドウがつぶやく。
「……もう夜だというのに、みな働いているのだな」
「そうですね。夜から開く店もありますし。そういえば確か、この辺りでリクドウのGPSが消えたという報告が……」
 そこは細い路地がいくつも交差する雑多なエリアで、ひとひとり見つけるのは困難な迷路だった。
「リクドウは、何しにわざわざこんなところまで来たのだ? 車を盗んだと聞いたが、逃げるなら、もっと人目のつかない遠い場所がいいだろうに」
 不思議そうに首を捻るシュウカイドウに、ハッカが顔を上げる。
「もしかしたら、コミューンのヌシに会いに来たのかもしれません。あの子のことを聞いたと言っていましたし」
「あの子?」
「王子もお会いになられているのでは。図書館にいた少女ですよ」
「ああ、リクドウが痴漢を働いたという……」
「そ、それはさておき、その少女です」
「あの白衣の少女は何者なのだ? リクドウは、なぜ彼女を連れて逃げた?」
 シュウカイドウにじっと見つめられ、ハッカは返答につまった。
 ツバキは彼女が王女だと目星をつけているが、そんな不確定な情報を王家所縁の者にもらしていいものか。
 頭をかかえるハッカを察してか、シュウカイドウは残った回転焼きを口に放り込むと、先に歩き出した。
「よし、とにかく、そのヌシとやらに会ってみよう」
 早速、サンドバイクを路側帯に停めているドレッドヘアの男を捕まえ尋ねる。
 よりにもよってそんながらの悪そうな男に……とハッカは身がまえたが、男は存外親切に案内してくれた。
「ただのババァじゃねえからな」
 という、忠告も添えて。

 教えられた先は怪しげな雑貨店で、ヌシとやらも人間離れした風体の人物だった。手始めに駄菓子を箱ごと買わされたハッカは、ぶつぶつと文句を言いながら財布をしまう。
「桜城近衛連隊の、リクドウ二等兵がここへ来たと聞く。彼の行方と、同行していた少女の素性を知りたい」
 猜疑心満々のハッカとは対照的に、ストレートに尋ねるシュウカイドウを、店主はじっと見つめた。
「その情報は、子どものおやつなんかじゃ足りないねえ」
「下手に出ていれば……この方を誰だと——!」
 カウンターに乗り出すハッカをシュウカイドウが制し、
「これで足りるか」
 と胸のポケットから、王家の紋の入った金の万年筆をわたす。
「ああっ、あんな高価なもの……!」
 後ろで指をかむハッカだったが、店主は満足げに万年筆を空に翳し、ニヤリと笑って言った。
「リクドウ二等兵は、近衛連隊少佐レイチョウの城へ向かった」
「レイチョウ少佐って……ぼくの上官の?」
 ハッカが眉根をよせ、シュウカイドウを見る。
「ハオウジュ将軍はレイチョウと連絡がつかないと、最近苛立っていた。父上も、レイチョウの有給の取り過ぎには困ったものだと」
「レイチョウ少佐の城って、どこにあるんですか?」
「確かコミューンのはずれだ」
 ハッカとシュウカイドウは、互いに顔を見あわせた。
「シュウカイドウさま、ぼくはまだ、レイチョウ少佐にお会いしたことがないんです。凄腕の軍師と聞きますが、どのような方なんですか?」
「レイチョウはいかなるときも取り乱すことのない、冷静な男だ。宴の席でも酒も嗜まず騒がず、品がいい。極めてストイックで硬派で軍人らしい人物だ」
 シュウカイドウの分析に店主がぶはっとふき出すが、訝しげな視線のふたりに取り直したように言葉を加える。
「まあ、リクドウたちが城に無事着いたかは不明だがね。少女のほうは、名をアニス・リィという。聖マツリカ女学院の生徒で、博士の称号を持つ天才少女だ」
「アニス……」
 シュウカイドウは趣深くつぶやく。だが店主はいつもの調子で、嘲笑するようにひゃっひゃっと肩をゆらした。
「恋慕を抱くには早いよ、ぼっちゃん。あの少女はおたくの一族かもしれないからねえ」
「あっ、ババァ! 何バラして——!」
 つかみかからんばかりの勢いのハッカを抑え、シュウカイドウは店頭を見すえる。
「かまわん、話せ」

 店の奥に上がり込み、おおよそのいきさつを聞いたシュウカイドウは、しばらく無言でうつむいていた。
「……あの、王子、DNA鑑定がすむまではまだ決まったわけではありませんから」
 ハッカは気落ちしているように見えるシュウカイドウを気遣って言ったのだが、ふり返った彼は、
「何を言う、ヨシノ! ぼくは今、希望にあふれている! 彼女が近しい存在ならば、こんなにうれしいことはない。ぼくはずっと、あの城でひとりだった……ぼくにはわかる、彼女は同士だ!」
 と、涙を流し喜びを訴えた。
 シュウカイドウのあまりの感嘆の昂りに、失礼ながら少々引いてしまったハッカだったが、わずかながら王家の背景が見えて来た。
 政治にしか関心のない父、息子に執着する母。桜城には、何かが過剰で何かが足りないのだ。
 そんな偏った環境の中で育って来たシュウカイドウが、さみしさの行き場を書物に求めるのもわかるような気がした。
「真実を話してくれて礼を言う、『老爺』」
「老……ええっ!?」
 ハッカが店主を二度見する。ニヤニヤと顎をさする『ババァ』に対し、たらりと焦燥の汗が流れるが、反転感心したように息をつく。
「……すごいな、王子は本質を見抜く力がおありです」
「いや、今日は自分が無知だと知った、記念すべき日だ。本だけでは知り得ぬ世界があるのだな……そなたにも感謝する、ヨシノ。さあ、ぼくらもレイチョウの城へ向かおう!」
「はい、王子!」
「盛り上がってるとこ悪いけど、アンタ呼び出しが鳴ってるよ」
 店主の言葉にハッカがあわてて、後ろポケットの携帯を取り出す。画面を確認すると、青くなって携帯を取り落とした。
「緊急連絡です、王子……桜城でクーデターが!」

 2113年 12月某日
 彼女が城を去った。スカートめくりなど、子供じみたアプローチしかできなかった自分の本当の気持ちに、今頃気づいても遅い。
 誰でもないということは、彼女だったからだ。
 やけになって酔ったわたしを介抱してくれたスイレンが、朝目覚めたら隣に寝ていた。
 まさかわたしはスイレンとxxx(以下略)

 
 桜城では、王族を近衛連隊が取り囲み、今にも発砲せんとばかりにかまえていた。ハオウジュ将軍の大音声が、大広間に響きわたる。
「ただ今を以って桜城いや灰桜国は、近衛連隊最高司令官ハオウジュの指揮下に入る!」
 執務室から無理やり引きずって来られたウツギは、わなわなとこぶしをにぎった。
「——貴様! 初めから仕組んでいたのだな。あの王女もやはり偽物か!」
 かたわらでは、蒼白になったユウカゲが今にも倒れそうに身をふるわせている。
「ウツギ議員、貴殿が玉座を疎ましく思っていたようなので、わたしが名乗りを上げたまで。むしろ、感謝してほしいくらいだな。傀儡の王女を奉ろうとしたのは、そっちも同じだろう」
「お前が国を指揮するだと? 笑わせるな、元老院が黙っておらんぞ!」
「元老院など、やっかいな老害だと日頃からもらしていたではないか。望むなら消してさしあげるが、永遠に」
 その元老院は危険を察知して逃げたのか、王宮には誰ひとり見当たらなかった。思い当たったように、ウツギが顔色を変える。
「もしや、お前が前王を殺……!」
「勝手に食中毒を起こした王のことなど知らぬわ。此度とタイミングが重なっただけのこと」
 ハオウジュ将軍は、心外とばかりにふんと鼻を鳴らす。言及に答えるのも面倒になってきたのか、ウツギに銃口を向けた。
「わたしの配下に降るなら、これまで通り政と外交は任せよう」
「ならん! せめて二院制だ。王族でもないお前に統括権をわたせば、国や隣国にどのような波及が出るかわかったものではない」
「ウツギよ、わたしは貴殿と政治講義をするつもりもないし、これは要求ではない、命令だ。わたしに抗うと言うなら、血族諸共処刑台行きだぞ」
 将軍はちらと背後のユウカゲたちに目線を移す。ウツギに選択肢はなかったが、決断する勇気もなかった。

 アニスとツバキが桜城のクーデターを知ったのは、工場にもどってからのことだった。
「そんな……」
 作業員のミニタブレットに流れるニュースに、ツバキは軽くよろめいた。当然だが、自分は何も聞かされてはいない。
(ハッカはどうしてる?)
 将軍率いる近衛連隊側に命の危険はないとは思うが、問題はシュウカイドウたちだ。王族や王党派は、いつどうなってもおかしくはない。
(そして、王女捜索の件はもう——)
 クーデターが起きてしまった以上、王女の存在など誰もありがたがりはしないだろう。むしろ世に出て来ないほうが、本人にとっては安全である。
 完全に気落ちするツバキに、アニスはおずおずと声をかけた。
「あの、お城が心配ですよね」
「……ああ」
「でも、リクドウさんの上官が起こした叛乱なら、きっとお友だちは無事ですよ」
「そうだな。だが、何もかも水の泡だなって……」
 工場のすみにどさりとすわり込み、ツバキは言いにくそうに口を開いた。
「……王女を見つけた者にはよ、城から莫大な賞与が出るはずだったんだ。リクドウ家の領地を買いもどすには、金が必要だ」
 ツバキの言葉に、アニスは胸がきゅっとつまるのを感じた。
 あのとき船上で歯切れが悪かったのは、捜す理由をストレートに言いたくなかったのだろう。
(功績を上げて、いつかリクドウ家を興し直すのが——)
 強い目で語ってくれた、ツバキが思い出される。
 しかし、その夢は叶わない。
 それはアニスにとっても辛いことであったが、それ以上に、やはり自分の存在はツバキにとって、ただの任務でしかないという事実が悲しかった。
 黙り込むアニスに、ツバキがあわてて取り繕う。
「だっ大丈夫だ。城はあんなことになっちまったが、アニス博士の身柄は頃合いを見計らって、おれが責任持って学院に送り届けるからよ!」
 何も言葉が出てこず、アニスはその場を走り去る。
「あー怒らせた」「女の子怒らせたー」
 軽蔑の半眼でハモってくる作業員たちを蹴散らし、訳がわからずツバキはその場に立ち尽くした。

 ラジオのゲリラ放送や街中の巨大モニターでは、ハオウジュ将軍の声明文が流れっぱなしになっていたが、今のところ、処刑は告知されていなかった。
(とりあえず、王子たちは無事なんだな)
 彼らがふたりでツバキのことを捜すため城を出たことを知らない本人は、報道に胸をなで下ろす。
 だが自分も将軍から目をつけられているうえ、プリンセス殺しの指名手配も出ているので、簡単に桜城へはもどれない。
(まず先決は、アニス博士をどうするかだ)
 しかし加えて痴漢の嫌疑もかけられているので、マツリカ女学院へも行きづらい。ついでに金も底を尽き、アオイの治療費どころか、アニスを安全にコミューンへもどす手はずさえ整わなくなってしまった。
 こうなると、自分の今後のビジョンも当然見えない。ツバキはわかりやすく、頭をかかえ落ち込んだ。
 一方アニスは、これまで以上に商品の開発に打ち込んだ。
 緋ノ島で取材し、教えてもらったレシピを早く試したかったこともあるが、何かに没頭しているほうが、余計なことを考えずにすんだのだ。
 それでも、
(道が閉ざされ、リクドウさんは悩んでる)
 憔悴しきったツバキを見ると心が痛む。そしてそのツバキは、
「二、三日でもどる。ここで待っててくれ」
 とアニスに言い残し、工場を出て行った。
「——あいつ、もう帰って来ないかもな」
 ぼやく作業員の頭を、別の男があわてて叩く。ツバキを見送って立ち尽くすアニスが、隣りにいたからだ。
 誰に言われなくとも、アニス自身そう感じていた。
 今の自分は彼にとって、何の役にも立たないお荷物なのだから。
(……ねえ、アニスは好きなひと、いる?)
 アオイの声が頭で問う。
「うん、いるよ、アオイ」
 つぶやくアニスを、ふたりの作業員が訝しげに、そして少し離れたところからアカザが厳しい表情で見つめていた。

 スクラップからコミューンへ出たツバキは、列車でアケイシア地区へ向かっていた。
『アケイシア伯リクドウ卿』、父親の営むオーベルジュが行く先だ。父親とは折りあいが悪く、ここ数年顔も見ていない。できれば会いたくはないが、用件が用件だ、仕方がない。
 だが灰の舞うせせこましい街並みを抜け、山をいくつも越え、車窓からの景色が雄大な大地に変わってくると、不思議と荒んだ心もやわらいでくるのを感じた。
 第三セクター鉄道が未だ残る数少ない土地。数年ぶりの郷里はさすがに懐かしい。
 久しぶりに訪れたオーベルジュは意外にもにぎわっており、戸惑いながら入って行くと見知った顔のメイド長、セリが驚いてやって来た。
 母親不在のリクドウ家でツバキの面倒も見ていた、彼にとっては乳母のような存在でもある。とっくに還暦を超えているはずだが、どすどすとした足音は相変わらずかしましい。
「まあ、バ……ぼっちゃま! 無事でいらしたんですか」
「ああ、まあいちおうな……おい今、馬鹿ぼっちゃまて言おうとしただろ」
「いえいえ、ただ数日前まで、警察軍がぼっちゃまの行方を捜してアケイシアまでやって来ましてねえ。いえ、わたしどもはぼっちゃまの無実を信じてございますよ? それで、てんやわんやだったもんですから」
 他の使用人もくすくすと笑っている。
「……そりゃ、めーわくかけたな。親父は?」
「厨房で、シェフと新メニューの打ちあわせ中でございます。書斎でお待ちになっては」
 ツバキの指名手配のニュースが流れたのだからある程度予測はしていたが、やはり警察軍はここまで来たのだ。そのうえで、職員たちのあの対応。
 ある意味、信用してくれてはいるのだろう。
「そうだ、些細な蔑称なんか取るに足らねェ……くそっ。ぜってーアレ、親父の入れ知恵だ」
 書斎で待つこと十分、リクドウ卿が靴音高くもどって来た。髪にはところどころ白いものが混じってはいるが、恰幅がよくアカザと同じくらいの体躯はある。
 リクドウ卿はどかりとソファにすわると、櫛で髪を後ろになでつけながら足を組んだ。
「何だ、ツバキ、めずらしいな。何の用だ?」
「——金貸してくれよ」
 勝手にキャビネットの高級酒をグラスに注ぎながら即答する息子に、リクドウ卿は片眉を上げる。
「久々に顔を見せたと思ったら金の無心か。相変わらずの馬鹿息子だな。指名手配なんぞされおって。おかげでこっちの宿にも大打撃だわ」
「客、入ってんじゃねーか」
「これでも減ったんだよ。王党派のキャンセルが相次いでな」
「そりゃ……悪かったな。全部片づいたら、おれアケイシアにもどって、ここ手伝ってもいいぜ」
 どのみちもう、近衛連隊はクビだろう。無実が証明されても、一度指名手配された人物を雇ってくれるところなど、そうそうあるわけがない。
 故郷の懐かしさに、ふとツバキはそんな気持ちになった。
 神妙な態度のツバキをリクドウ卿は黙って見やると、ふっと小馬鹿にした笑みを浮かべる。
「お前、任務で何かヘマしたな? 勝手に家飛び出しといて、仕事につまずいたら実家を頼るたァ情けねェ。あまったれんじゃねェぞ。お前の居場所なんざここにはねェからな」
「た、頼ってなんかねェ! おれはいつか城を買いもどし、爵位に恥じないリクドウ家に建て直すんだ!」
 カッとなって、グラスを置いて立ち上がる。
「建て直してどうする? こんな時代だ、またいつクーデターが起きるやもしれんぞ。そうなったら、爵位なんぞ何の役にも立たん」
「だからって、親父はこのままでいいのかよ!」
 ツバキは書斎の机を威嚇のように強く叩いた。だがリクドウ卿はぴくりとも動じず、朗々と答える。
「このままじゃない。おれも城を買いもどし、今度はそこでオーベルジュを開く。給金を払えなくなっても、城からついて来てくれたやつらのためにな」
 セリを初め、ツバキが小さな頃から城に勤めていた見覚えのある顔が、確かに何人か館内にいた。
「——何だよ、地位より人脈とかあまっちょろいこと言ってっから、女にも逃げられ、土地を手放すはめになったんじゃねェのかよ」
 父親の方針を認めたくない気持ちが、舌打ちに出てしまう。リクドウ卿はそんなツバキのささやかな反抗など、歯牙にもかけないふうに鼻で笑った。
「ツバキ、お前がいずれ後を継ぎたいなら、そのときはそのやり方でいけばいい。だが今はおれの代だ、お前のターンじゃない。それにお前はまだ世間を知らん。軍人でも何でもヘマを重ねてもどって来い」
 そして腕時計を見ると、時間とばかりにさっと立ち上がり出て行った。

 ——世間知らず。
 アカザにも言われた。安全だと思っていた旧市街が、危険区域だった。コミューンの海岸線では、本物の尾行に気づかなかった。
 ツバキは自分の手のひらを見つめた。父やアカザの手に比べ、一回り小さくうすっぺらだ。ぎゅっと白くなるほどこぶしをにぎり、うつむく。
(こんなんじゃ、何もつかめねェよな……アカザの言う通り、本当に非力だ)
 ポーチのベンチで佇むツバキに、セリが声をかけて来る。
「馬鹿ぼっちゃま、お茶でもいかがですかね」
(そうだよ、もうはっきり馬鹿と言ってくれたほうが……)
「いいわけあるか!」
 弱った心身のせいで危うく認めてしまいそうになったツバキが、額に縦線を醸し我に返る。
「ほっほ、調子がもどったようでございますね。旦那さまから、これをお預かりしております」
 セリが札束の包みをツバキにわたす。その重みに驚いたツバキは、包みと彼女を交互に見やった。
「こ、こんな大金……!」
 とたんに、さっと札束をセリがまた取り上げる。
「わたくしが、旦那さまに交渉して参りました。旦那さま曰く、試合で自分を負かしたら貸してやる、だそうです」
「親父と試合? ——剣戟か?」
 リクドウ卿はアケイシアでは第一の剣の達人だ。だがすでに現役は引退しているうえ、ここ十年は宿泊業に専念していたため、剣など書斎の壁の飾りである。
 一方ツバキは入隊したばかりとはいえ、近衛連隊の中では上位を争うかなりの剣の使い手だった。
 ただし模範試合で、ハオウジュ将軍の『髪の毛』をうっかり剣先がかっさらってしまうというハプニングのせいで、彼からは目の敵にされており、以来一切試合に出させてもらっていない。
 そんな挿話はともかく、承諾しない理由はなかった。
「いいぜ、やってやるよ!」

 試合は中庭の広場で行われることになった。幸い今日は風向きもよく、灰も舞っていないので、裸眼で臨むことができる。
 どこで聞きつけたのか、オーナーとその息子の交戦が見られるということで、ギャラリーはにぎわいを見せていた。
 リクドウ卿は敢えて着替えもせず、蝶タイにタキシードのままだ。その余裕ぶりが、またツバキの癇に触った。
「ルールは簡単だ。互いの胸につけたこの胸章が、先に割れたほうを負けとする」
 リクドウ卿にわたされた、家紋のバッジを胸につける。触るそばからざらざらする、安っぽいちゃちな玩具だ。
 芝生にはやはり剣が二本、用意されていた。公平を期すためか、リクドウ卿が先に取れと促す。ツバキは取った剣先をまじまじと確認し、躊躇うように父を見た。
「……おい、刃が潰れてねーぞ。コレ真剣じゃねェか」
「男同士の勝負にイミテーションを使ってどうする。それとも、怖気づいたか?」
 挑発するようなふくみ笑いに、ツバキは一気呵成に攻め込んだ。
「るせェ! ガタの来た中年親父に長期戦はキツいだろ、一気にカタをつけてやるぜ!」
 踏み出したツバキの胸に、リクドウ卿が軽く一閃を切る。
 ——ぽすっ。
 剣先が触れたか触れないかの風圧で、ツバキのバッジはほろりと割れて地面に落ちた。
「おーっと、早くも試合終了かー?」
 レフェリーよろしく、箒をマイクにアナウンスするメイド長に、観客がどっと沸く。
「ちょ、ちょっと待て! 当たってないのに割れたぞ、今!」
「ルールはルールだ。残念だったな、ツバキ。男は引き際も肝心だ」
 剣を鞘に収め、さっさと退場しようとするリクドウ卿の肩を、ツバキがぐいと引きもどす。
「——待て親父。そっちのバッジも見せろ」
「え」
 動揺が窺えるリクドウ卿のバッジをツバキがさっともぎ取ると、明らかに自分のものとは違う硬い材質。割れたツバキのバッジは、よく見ると砂糖菓子でできている。
 ツバキはわなわなとバッジをにぎり潰した。
「……イカサマか、てめェ!」
「リクドウ卿、レストランのオリジナルシュガーで小細工です! 自分はオーベルジュのノベルティで対戦、これにはギャラリーも黙っておりません!」
 セリがふたつのバッジを掲げると、外野は大ブーイングを起こした。
「ふざけやがって、くそ親父!」
「待て待て、今度はわたしが、そちらの潰れやすい砂糖菓子のバッジをつけよう。それでいいだろ?」
 へらへらと嘲笑するリクドウ卿からは、微塵も反省の念が感じられない。
「いいぜ、菓子といっしょに潰してやるよ!」
 ツバキは剣先をシュッと閃かせるとかまえ直し、機先を制そうと攻めかかった。
 まずは正面から。左——と見せかけて右に反転。だがリクドウ卿は、簡単にその切っ先を払い退ける。ツバキが多方向から鋭い突きをくり出すものの、ことごとく剣で躱されるのだ。鋼のぶつかりあう金属音が鼓膜に響き、ツバキは顔をしかめた。
 鍔競りあいで対峙しては旋回、攻撃のくり返し。ツバキは、リクドウ卿のニヤつく表情を払いたい一心で剣をふった。 
「どうした、ツバキ。もう体力の限界か?」
 息が上がっている自分に対して、父は汗ひとつかいていない。抑えた動きで、こちらの剣戟を的確に読んでいるのだ。とてもブランクがあるとは思えない剣さばきだった。
「……くそっ!」
 次第にツバキは焦り始めた。確かに脚や肋骨はまだ完治していない。だがそんな理由は今は通らない。もう外野の野次も聞こえなかった。
 攻めも守りもひたすら激しく、セリもアナウンスを忘れ、戦いの行方を見守っている。
「……やれやれ、ガタの来た中年親父は持久力がないからな。ここらで締めとするか」
 長丁場にうんざりしてきたのか、リクドウ卿がようやく攻撃に転じた。ツバキの隙をつき、足払いをかけ薙ぎ倒す。ツバキは剣を取り落とすが、即座に背面で跳ね起き、リクドウ卿の剣は空を切った。
 ツバキはすばやく剣を足で蹴り上げ、にぎる。が——
「あまいわ!」
 背を向けたツバキの首筋に、切っ先がヒュッと突きつけられた。襟足の髪がぱらぱらと舞い落ち、ギャラリーは水を打ったように静まり返る。
「剣を捨てろ、ツバキ」
 言う通りにするしかない。ツバキの手からするりと剣が落ち、地面に突き刺さる。リクドウ卿は満足げに勝ち誇った笑みを浮かべた。
「こっちを向け、ツバキ。己の非力を思い知ったか。お前などわたしから見れば、まだまだ殻つきのヒナのようなものだ。だが成長とはそれを受け入れることから始まり——」
 ——ピシュッ。
 突然、後ろ姿のままのツバキの脇から何かが噴射された。
「——な!?」
 リクドウ卿の砂糖菓子のバッジが、砕けて地面に落ちる。ニヤリと笑いふり返ったツバキの手には、アニスの水鉄砲がにぎられていた。
「——話が長いのも、中年親父の悪い癖だぜ?」
 とたんに、中庭に歓声が上がった。リクドウ卿がツバキに食ってかかる。
「ル、ルール違反だ! バッジは剣で割ると……!」
「言ってねェし。それにルールについて、てめェが言うか?」
「——ジャッジ! バンカー(勝者)、ツバキ・リクドウ!」
 有無を言わせないセリのコールに、外野は大音声でさらに湧いた。

「これは、約束通りぼっちゃまにおわたししますよ」
 オーベルジュのロビー。セリからツバキの手に札束がわたるのを、リクドウ卿が恨めしげな目で見ている。
「旦那さま、子どもの前で往生際が悪いですよ。わたしから見れば、どっちも子どもですよ、まったく……」
 ぶつぶつとセリが厨房へもどって行く。ふたり残されると特に話すこともなく、気まずい沈黙がロビーの一角を覆った。
 リクドウ卿が煙草をくわえながら、話を切り出す。
「……あー何だ、何のために金がいるんだ。女か」
「は、親父といっしょに——」
 いや、確かにふたりの『女』のためだが、そこはニュアンスが違う。言い淀んでいると、リクドウ卿がさらに訊いてきた。
「恋人でもできたか」
「そんなんいねーよ」
「だろうな馬鹿め」
 呆れたようにふーっと煙草をふかす。ケンカ売ってんのかと睨み返すと、父親は生あたたかいまなざしで息子を見つめ、
「——ま、どんな馬鹿になるかはお前次第だな」
 と片手を上げ、もどって行った。

 アケイシアへ来て翌日、ツバキは帰りの列車をホームで待っていた。
(とにかく、これでアオイの治療費が出せる)
 改めて札束を確認すると、安堵で胸がほっとする。が、
(アニス博士も、今度こそ学院へ送り届ける)
 そう考えると、今度は鉛のように重くなった。
 そうだあれは仔猫だ、預かっていた仔猫にちょっと情が湧いて、返したくないのと同じだ、と自分に言い聞かせていると、
「猫が何ですって?」
 セリが駅舎から出て来た。
「いや、この駅も猫駅長がいればいいなと」
 ごにょごにょとしたツバキの言い分など聞いていないように、セリはリネンのクロスで包んだバスケットをどんとわたす。
「はい、馬鹿ぼっちゃまの好きなクラブハウスサンドイッチですよ。揚げたポテトもたくさん入れておきましたから。列車の中でお食べになって下さいね」
「はいはい、もういいよ、馬鹿で」
 あきらめたようにツバキが肩をすくめると、セリは失礼します、と隣りにすわった。
「馬鹿は一生変わりませんです。旦那さまも、ぼっちゃまに負けず劣らず馬鹿な方ですから。正攻法では、あなたたち親子は生きられないんでございましょう」
「……そうか、一生変わんねェのか。じゃあしょーがねェな、ははっ」
 アケイシアの広い空を見上げ、気が抜けたようにツバキは笑った。
「旦那さまから伝言でございます」
「金は返せ、だろ」
「さすがです、馬鹿ぼっちゃま」
 真面目な顔のセリの肩越しに、白い列車がうねって来るのが見えた。ホームに軽く手を上げ乗車する。見送るセリが小さくなって、列車は空気の澄んだ高原地から、またごみごみとした灰の街へツバキを運ぶ。
 当面は、そこがツバキの生きる場所だった。


 2114年 10月某日
 わたしは今、ある施設に身をよせている。どうしていつも逃げてばかりだったのか、しきりにあのときのことが思い出される。
 だが自分の気持ちを知ってしまった以上、城にはいられなかった。身分の違う自分が彼と結ばれるはずもない。
 それでも、今も期待してしまう。あのドアを開けて、彼が迎えに来てくれることを。
 おや、ノックの音が……


 澄みわたる天気だったアケイシアとは一転、スクラップは灰混じりの雨模様だった。
「ふう、ただいまー」
 呑気なかけ声で工場の入り口をくぐった瞬間、ツバキは強烈なパンチに見舞われた。頭に上げたゴーグルも、ベルトがはずれふっ飛ぶ。
「……てめっ、何すんだ、いきなり!」
 切れた口の端をぬぐい体勢を立て直すと、アカザが仁王立ちになって、パキポキと指を組み鳴らしながらツバキを見下ろしている。
「そこへ直れ……」
「とんだ出迎えじゃねェか。何のつもりだ!」
 息巻くツバキに、ヒノキが黙って一枚の手紙をわたした。
「お前宛ての書き置きだ。アニスは今朝早く、我々も気づかんうちに出て行ってな」
「な!?」
「新しい石けんを置いて行ったよ」
 ヒノキが小さなガラス瓶を棚から取り出す。
 薄い木のスプーンが添えられたまっ白なそれは、今までの固形石けんとは違う洗料だった。手に取るとアイスクリームのようになめらかで、思わずなめてみたくなる。
「あんたと取材に行った緋ノ島の白砂で作ったと、我々への手紙には書いておった」
 そう、緋ノ島のオレンジ農家の老人は、きめの細かい白砂を洗料に使っていたのだ。それをヒントに、アニスは商品を開発した。
「これで工場は安泰だ。おまけにあの子は、灰干しや灰を使った染色法まで残していきおった。やっかいな火山灰が役に立つ日が来るなど誰が考えた? わしも夢にも思わなかったわい」
 ヒノキが鼻をすすり、うれしさに涙ぐむ作業員の姿もある。巨漢のカシすら無表情のまま、だらだらと涙を流していた。
 ツバキも、思わず感嘆の声をもらす。
「新商品、できたのか……よかったな、アニス博士」
(わたしが作りたいのは、製作側も消費者も幸せになる石けん——)
 アニスが目を輝かせて語ったあのプレゼンは、今現実のものになろうとしている。
 ツバキは我に返り、アカザに向かって敢然と反駁した。
「おい、おれたちは工場に貢献したじゃねェか。何で殴られなきゃいけねェんだよ!」
「その手紙を読んでみろ、この脳筋が」
 にぎってぐしゃぐしゃになった紙面に気づき、あわててそっと開く。
 そこには、数行ほどの文面が、きれいな文字でしたためられていた。
 ツバキはざっと目を通すと、手紙をつかみ急いで工場から飛び出した。文字が、アニスの声で甦る。

 ——リクドウさんへ
 短い間でしたが、お世話になりました。
 わたしは桜城へ行き、DNA鑑定を受けてみようと思います。
 国王のいない国で、神の加護のない国で、わたしができることなんて本当にちっぽけ。もしもわたしが王女だったとしても、何も変わらないかもしれません。リクドウさんに、賞与をわたせるかもわかりません。
 それでも、塾考欠乏体質のリクドウさんを見ていたら、わたしも無謀なことに挑戦してみたくなりました(笑)
 リクドウさんの夢が叶うことを願って——アニス

 行く手を遮るように灰雨が叩きつける。通常の豪雨より灰が混じっているぶん重く濁っており、それは泥が降るような状態だ。
 ゴーグルなしでは数歩も進むことができず、瞬く間に泥だらけになりツバキはつまずいて転んだ。転倒したまま、ぐしゃりと手紙をにぎりしめる。
「何だよ(笑)って。笑えねーよ。塾考が欠乏してて悪かったな。さりげなくけなしてんじゃねーよ。おれだっていちおう考えたんだよ。でも、何で自分はいつも勝手に行っちまうんだ。そんなのずりィじゃねーか」
 雨といっしょに灰の粒が目に入り、痛さに泣けてきた。いつかのトウガラシスプレーより激しい痛みに、後から後から涙が出た。
 うずくまるツバキの前で、黒のアーミーブーツが砂利を踏む。
「悪いが手紙は読ませてもらった。おれが殴ったのは、お前の姿勢が気に入らねえからだ。ツバキ・リクドウ二等兵、お前は自分の昇格の手段にアニスを使おうとした。本当にどうしようもない男だな」
 アカザが、ツバキの胸ぐらをつかんで起き上がらせる。されるがままになりながら、ツバキはぼんやりと思った。
(……こいつ、初めからおれの名前知ってた。指名手配されてたから? でも、じゃあ何で工場に招き入れた。いったい、いつから素性を知ってた?)
 だが、今はそんなことはどうでもいい。
 蔑する目つきで、アカザが力の抜けたツバキに顔を近づける。
「ふん、もう少し骨があるかと思ったが、所詮この程度の——」
 ——カチ。
「動くな」
 脇腹に当てられた銃口の感覚に、アカザがぴくりと片眉を上げた。抑揚のない声でツバキが告げる。
「サンドバイクのキィをよこせ」
「……これ以上罪を重ねると、近衛連隊から除名されるぞ」
「わたさねェと撃つ」
 銃口をおし当てたままアカザを睨むツバキのまなざしは、磨いた水晶のように硬質で精悍な光を宿していた。
 脅されているというのに、アカザはニヤリと口角を上げる。
 キィを受け取るとツバキはバイクにまたがり、札束の半分をアカザに投げた。
「——チビのことは悪かったな、オッサン」
 バイクは爆音を立て工場の敷地を出て行き、作業員たちがわらわらと出て来る。
「オッサン……」
 こめかみを引きつらせるアカザの隣りに、ヒノキもやって来た。
「リクドウのやつ、行ったんですか」
「ああ、ようやくな。馬鹿め、おれが水鉄砲と銃の区別もつかねえと思ってやがる」
 アカザは忌々しげに、だが楽しげに、遠ざかるバイクを見やった。

 叛乱の起きた城へ単身で向かい、「わたしが王女かもしれません」と自己申告するなど、正気の沙汰ではない。
(朝一番に出たとしたらもうコミューンへ到着する時間だ。間にあってくれ)
 ツバキはアクセルを全開にし、フルフェイスのヘルメットの中で少女の無事を祈った。
 ところが当のアニスはというと、未だスクラップを出ていなかった。
 アニスに交通費の持ちあわせがあるはずもなく、スクラップへ来たときと同様、灰を積んだトラックの荷台にこっそり忍び込んで来たのだ。
「あれ。ここ、どこ……?」
 荷台から降り立ったアニスは、灰混じりの風にくしゃみをした。ゴーグルは持って来たが、マスクの準備を忘れていた。
 きょろきょろとを巡らせば、見わたす限りの灰の山。砂漠と違うのは、砂丘が海に面していることくらいだ。
 アニスが乗って来たトラックは、灰の埋立地行きだったのだ。ぽつぽつと遠くにガソリンスタンドや社屋は見えるものの、現在地はさっぱりわからない。
(考えてみれば、降灰収集のトラックが『丘』へ行くわけがないんだ)
 どんなに学力が高くても、肝心な部分の思考が抜けている自分の浅はかさに情けなくなる。
 それを笑う声も説教をする者も、今はいない。十六年の間で、まったくのひとりになったのは初めてだった。
 ずっと護られて生きてきた。寄宿舎ではシスターたちに、学院を出てからはツバキに。
 護られるのは悪いことではない。ただ、隣りに誰もいない心細さにドキドキするだけだ。博士号など、ここでは何の役にも立たない。
 背のびをしてもう一度見わたせば、遠くに線路が見える。
(迷子になったら、その街の駅を目指すこと)
 それは、ツバキとの約束事。
(あれを伝って行こう)
 不安を払拭するように頭をふると、ざくざくとした灰の小山をアニスは歩き出した。

「あっ、また……」
 立ち止まっては、スニーカーを脱ぎひっくり返す。すぐに灰が入ってくるのだ。ブーツや軍靴でないので進むたび靴が埋まり、とかく砂地は歩きにくい。
 朝から飲まず食わずでかれこれ二時間以上は歩いているので、そろそろ息も荒くなってくる。
「人間の平均時速はおよそ五キロだから、十キロは歩いたかも……」
 計算で気を紛らわせようとするが、きついものはきつい。
 ようやく線路の道床に入るも、方向がまったく定まらなかった。磁石を持って来るべきだったと思いつつ、風向きで決める。風上が『丘』方面だろう。
 海沿いの線路はレールも錆び、枕木もほぼ朽ち果てていた。いったいどこへ向かう路線なのか。
 標べのないルートを行くのは、数式であっても実際の歩みであっても、アニスにとって意味を成さない行為であった。
(でも、わたしが王女だって証明されれば、リクドウさんの役に立つかもしれないんだ)
 その思いだけが、アニスを先に進ませる。
 ツバキにほめてほしい、喜んでほしい、笑ってほしい。
 アニスは、彼が心から楽しそうに笑った顔を見たことがない。いつもつまらなそうに、それか照れたように、下を向いて控えめに笑う。
 それは粗野で言動も荒いツバキのイメージとはかけ離れていて、思い出すとアニスは少し切なくなる。
 そんな彼の笑顔を拠りどころに歩いていたが、唐突に線路は終わりを迎えた。小さな駅舎の先に、列車が走る道はなかった。
 ただでさえ経営の苦しいスクラップでは、第三セクター鉄道の事業を廃止せざるを得なかったのだろう。線路は地底に続くかのように、その先が灰に埋もれている。
 これでは、どこにも辿り着けない。
「そんな……」
 自分の望みも断たれた気がして、アニスはやりきれなかった。途方に暮れて、海岸線から海を見下ろす。
 海面へと続く長い階段を、ひとりの男が降りて行くのが見えた。だが今は満ち潮、眼下の砂浜には下りられないはずだ。
 不思議に思い、自分も階段を伝って行くと、なんと壁に横穴が空いている。
「こんなところに通路があったなんて……」
 横穴からはちょろちょろと水が滴っており、初めは地下水路かと思ったが、どうも下水道のようだ。
 ここを辿って行けばグレーターへ着くのではという期待は萎えたものの、何があるのかどうしても奥が気になる。
「どのみち、他にひとはいないんだもの。あのひとに『丘』への行き方を聞けばいいわ」
 アニスは男の後をこっそりついて行った。横穴のトンネルは天井が低く、アニスの身長でぎりぎり通れる高さである。男はかがんだ姿勢で、そろそろと注意深く歩いてゆく。
(どこまで行くんだろう)
 いくつか角を曲がり、もとの場所にひとりでもどれるだろうかと、アニスは心配になった。
 ふと顔を上げると、追いかけていた男が見当たらない。こうなった場合を想定しておらず、アニスはどっと不安に襲われた。
 トンネルの中は、あちこちに電気の配線が通りまったくの闇ではないが、下方は見えない。足もとをすり抜けるドブネズミに驚いて、アニスはしりもちをついた。
「痛った……」
 突然、ライトで顔を照らされ、まぶしさに思わず目をつぶった。
 気がつくと、気の荒そうな数人の男たちがアニスを囲み、怪訝に見下ろしている。目が慣れてくると、老若男女いろんな層の人間が十数人、遠巻きにアニスを見ているのがわかった。
 みな、汚れた顔に古びた服を纏い、武装している者もいる。希望通り奥に入れたとはいえ、どう見ても無事に帰れそうにはない。刺客や偽ウサギたちのような殺意や悪意は感じないものの、わかりやすい敵意は感じる。
 話が通じる連中とも思えず、アニスはカタカタとふるえ出した。
「……お前、どっから来た。西のもんか?」
 浅黒い顔のリーダーらしき男が、配管を肩に掲げながらアニスを睨んだ。二十代ほどの大男で、素肌にモッズコートを羽織り、桜柄のネッカチーフを首に巻いている。
「に、西? い、いえ違います。わたし、中がどうなっているのか気になって……」
「下水が気になってわざわざ入った? 何を企んでいる、貴様。そんなやついるか!」
 脅すように配管をこちらに向けられ、アニスがひっと肩を上げたとたん、集団の中から涼やかな声がした。
「いたよ、『そんなやつ』」
 ひとりの少年が、バスタオルをショールのようにかけ、歩み出る。
 色白で華奢で、アオイと同じくらいの男の子だ。威嚇気味のリーダーの声質がくるりと変わった。
「その通りだな、クコ」
 クコと呼ばれた少年はぺたぺたと裸足でアニスに近づくと、自分もちょこんとすわり、アニスの顔をじっと見て笑った。
「——やっぱり、あのときのお姉さん。助けてくれてありがとう」
 
 通路の奥は広がりがあり、ソファやテーブルが置かれたそこは、用途で言えばラウンジだった。テレビや冷蔵庫、今ではお目にかかることのない旧型のラジカセもある。
 彼らは、地下にはり巡らされた下水道、通称マンホールタウンで暮らす、まつろわぬ民と呼ばれるコミュニティだった。
 それは孤児だったり、組織や社会に適合できずドロップアウトした者だったりと、さまざまである。
 アオイも、工場のみんなが面倒を見てくれなかったら、ここに行き着いていたのかもしれない。
「要は、不要とされた者の集まりってことだ」
「違法ってのもわかってるッス。でも働き口も住むところもなくて、しょうがないんスよ」
 前歯の抜けた男が投げやりな口調で、ブリキのコップをアニスにさし出す。
 ただのお湯で溶いただけのインスタントコーヒーだが、アニスはようやくほっとして口をつけた。
 あの砂嵐の日、防具を盗られ行き倒れ寸前だった少年は、自分を助けてくれたアニスの顔を、おぼろげながら憶えていたのだ。
 仲間の恩人をみな歓迎して受け入れてくれ、リーダーも清廉と頭を下げた。
「クコは大切な弟だ。助けてくれて礼を言う」
 親子ほどの年齢差があるうえ、遺伝子の欠片も共有していないような二者に、アニスは笑顔が固まるが、リーダーは申し訳なさそうに続ける。
「さっきはすまん、西のやつと間違えたのだ」
「西?」
「スクラップの地下住民は東と西に分かれててな、抗争が耐えない」
 聞けば、昔は住処が違うだけで、食料も分けあったりしていたという。ここまで関係が悪化したのは、最近のことらしい。
「互いのテリトリーに足を踏み入れれば、どちらもただじゃすまさねえッス」
 歯抜け男が悪い笑みを作るが、アニスはノラ猫の縄ばり争いみたいだな、と胸中思った。
「でも、どうして仲が悪くなったんですか?」
「初めに仕掛けてきたのは、西のやつらッス。ウチのバッテリー壊しやがった。それから度々、食材をめちゃくちゃにしたりとケンカ売ってきやス。こないだなんか飲み水全部、下水に流しやがったんスよ」
「どれもおれらにとっては、なくなりゃ死活問題だ。絶対に許せない」
 怒りの代弁のように、リーダーが配管を床に打ちつける。だがアニスは、不思議な顔で周りに尋ねた。
「あの、西のひとが壊すのを、誰か見たんですか?」
 みな顔を見あわせるが、挙手もなく、どこからも声があがらない。アニスはラウンジを見回す。
「わたし、海沿いの入り口から入る人物を見て追って来たんですけど、そのひと、ここには見当たらないんです」
「そいつがきっと西のもんだ」
 リーダーが忌々しげに顔をしかめる。アニスはさらに質問を投げかけた。
「西のグループっていうのは、物資には恵まれているんですか?」
「そんなわけはない。同じ環境、こっちと似たようなものだ。何が言いたい?」
 アニスの問いの意図がわからず、リーダーはイライラとひざをゆすった。
「いえ、ここ東のグループにとっても大切な物資なら、西にとってもそれ、必要なものですよね。どうしてわざわざ壊して行ったのかなって。食材や飲料水だって、使いものにならなくするくらいなら持って行けばいいのに」
「そりゃ、あいつらのいやがらせで……」
「死活問題ですよ。そんないやがらせする余裕あるでしょうか」
「どういうことだ?」
「つまりですね。それ本当に、西のグループの仕業なのかなって」
 アニスの出した結論に、コミュニティ全員が考え込んだ。沈黙する集団の中、リーダーが配管をかかえ、やおら立ち上がる。
「よし、わかった。西エリアへ行こう」
 アニスは、話しあいを促したつもりだった——のだが、
「ちょ、ちょっと待って下さい! 西のグループがやったとはまだ……」
「だからその男のことを訊きに行くんだ」
 リーダーを初め、男たちは続々と武器を装備している。
「訊きに行く格好じゃないじゃないですか!」
 アニスの話を訊き、考えるのがまどろっこしくなったのだろう。完全武装で身を固め、抗争する気満々だ。
 しかし、こちらには子どもや老人もいる。最前線の男性陣に何かあったら、クコだって今度こそ無事ではいられない。
 そもそも、『丘』を目ざしていたにもかかわらず、自分が興味本位で下水道に足を突っ込んだせいでこんな展開になった——ような気がする。
 少なからず責任を感じたアニスは、半ばやけくそ気味に声をあげた。
「わかりました、わたしが訊きに行きます!」
「あんたが? 無理に決まっている。こちらにもどるどころか、二度と地上に出られないぞ」
 リーダーがアニスを鼻で笑う。だがそんなふたりの間に、クコがするりとすべり込んだ。
「じゃあ、ぼくがいっしょに行く。西エリアに案内するよ」
「な……だめだだめだ、クコ! お前にそんなことはさせられん! また、こないだみたいに何かあったらどうするんだ!」
 顔色を変えて反対する兄を、クコはきらきらとした上目遣いで見上げた。
「兄さん、お願い。ぼくもみんなの役に立ちたいんだ」
「む……では『土雲』を連れて行け」
 
(……どうして、こうなったんだろう。いや、わたしが言ったんだけど)
 曇った鏡に映る灰色の自分の姿を見て、アニスは深くため息をついた。
 地下住民になりきるにはと、アニスは変装を強いられた。顔は薄墨で塗られ、髪や服もあえて灰でまぶされ、まるで薄汚れた捨て猫のようである。シスターたちが見たら、卒倒しそうな装いだ。
 リーダーはアニスに、小型の機器をわたした。電波の届かない地下ではGPSではなく、このビーコンが活躍する。
 さらにリーダーは、出発までクコにくどくどと言い聞かせていた。
「いいな、クコ。お前が行くのは、西エリアの入り口までだ。その先は、危険だからアニスに任せるんだぞ」
(えぇ……)
 弟がかわいいのはわかるが、こちらも少しは心配してほしい。あからさまな差別に意欲の萎えたアニスであったが、自分から言い出した手前、やめるわけにもいかない。
「じゃあ、しっかりぼくについて来てね」
 クコに促され、配線の通っていないまっ暗なトンネルを進み出した。
「灯りのない通路を行けるのは、地下住民だけなんだ」
 クコは何の躊躇もなく何度も角を曲がり、鉄梯子を上ったり下ったりと、道筋を完全に把握している足取りである。
 だがアニスから見れば、マンホールタウンは迷路だった。いったん迷子になったら、リーダーの言う通り二度と出られないだろう。クコがついて来てくれてよかったと、アニスは思った。
「でも、お兄さんには心配かけちゃうわね」
「最近ますます煩わしいんだ。かわいくお願いすれば、だいたい言うこと聞いてくれるけどね」
 なかなかしたたかである。
「でもほんとのこと言うとね、ほんとの兄弟じゃないんだ。びっくりした?」
 言いづらそうに告白するクコに、アニスは真顔で答えた。
「ううん、それほどは」
 クコは先代のリーダーの息子で、親は警察軍と抗争の際亡くなったという。そのため現リーダーが面倒を見ているそうだが、彼が過剰にクコにかまうことを除けば、アオイとアカザの関係性に似ているとアニスは思った。
 ハイト油脂にしても東のコミュニティにしても、そこで暮らす者たちには絆がある。
(うらやましいな。もしもわたしが王さまの娘だったとしても、もう家族はいないんだもの)
 しかし今は、そんな泣き言を言っているひまはない。
 先を行くクコがぴたりと止まったかと思うと、アニスをそっとふり返った。下方を見ると、少ホールほどの広がりに、固まる物々しい集団がある。西エリアだ。
 アニスは、忍び入るチャンスをじっと待った。外から来たふりをして、西のグループに入れてもらおうという作戦だ。
 高みから様子を窺い見る。だが彼らは話あいの最中のようで、なかなか散らなかった。
『……が、また壊された』
『飲み水も下水に……』
『東のやつらが……』
 既視感のある会話に、アニスは首を捻った。
「ねえ、これって、西も同じ——」
 そうクコにささやいた瞬間、アニスの持っていたビーコンが、少ホール目がけて落ちていった。
「しまっ……!」
 コーンコーン……
 集団の目が、いっせいに上方へ向けられる。
「ひ……東のやつらだあ!」

 あっという間にアニスとクコは捕まり、少ホールの中央にまとめて縛られた。東のグループに負けず劣らず物騒な連中が、険悪な目で睨んでいる。
「あ、あの、違うんです。わたしたち、外から来て……」
「嘘をつけエ! お前らが配線の通っていないルートから来たのが、何よりの証拠じゃ! 外の人間は灯りなしでは地下を歩けんからな!」
 西のリーダーは着流しに日本刀を携え、今にも抜刀しそうな勢いだ。縄目の痛さにクコはもぞもぞと首を傾け、うるんだまなざしでリーダーを見上げた。
「これ、解いてほしいな」
「何、馬鹿なこと言っとるんじゃ!?」
「……だめだアニス、このひとお願いが効かない」
「当たり前でしょ!」
 場違いな応酬に一触即発の西の集団の中、部下がリーダーに耳打ちする。
「頭目、今まで物資をめちゃくちゃにしたのはこいつらじゃ……」
「違うよ! ぼくたち犯人を見つけに、東から来たんだ!」
「さっきと言うとること違うやろ!」
 クコの発言にもう作戦が破綻したと感じたアニスは、すばやく西のグループを見わたした。やはり、海沿いの入り口で見た男は見当たらない。
(やっぱりこれは……)
 そうこう考えている間に、ふたりはずるずると奥へ引きずられてゆく。
「頭目、こいつらどうしましょう」
「死ぬまでここでこき使え」
「そ、そんな! わたし『丘』へ行かなきゃならないんです!」
 そのとき、ざわざわと壁を這う不穏なざわめきが聞こえたかと思うと、小ホールのほうから悲鳴があがった。
「ぎゃああぁ! 何だこいつら!」「助けてくれ!」
 なんと西の集団を、ドブネズミほどもある『蜘蛛』が襲っている。見たこともないグロテスクな物体に、アニスは驚愕して固まった。
「な、何あれ……!」
「土雲だ! ぼくたちの護衛について来た蜘蛛型のドローンだよ!」
 ガシャガシャと人体を襲う小型の機械に、西のグループはパニックに陥った。リーダーも半狂乱になって刀を抜刀する。
「止めさせろ! 止めないとお前らを斬るぞ!」
 だがふり上げられた日本刀は、鈍い音とともに配管で遮られた。
「き〜さ〜ま〜! 弟に刃を向けたな〜!」
 東のリーダーが、鬼のような形相で立っている。後からやって来た歯抜け男が、ふたりの縄を解いてくれた。
しかし場はすでに、両グループ入り乱れての大乱闘だ。
「ちょっと、みなさん止め……」
 誰も、アニスの言うことなど聞く耳を持たない。
「——クコ、灯りの配線を切って!」
「いいけど、どうして?」
「暗くなればわかるわ!」
 ぶつん、と地下は闇に覆われ、驚いた集団の戦いの手がはっと停まった。
そのほんの一瞬を突いて、アニスが叫ぶ。
「——物資を壊したのは東西どちらでもないわ! ここから逃げようとする者が犯人です!」
 アニスの指南に、東のリーダーはドローンの指揮を変えた。すぐに、土雲に追われ、暗闇であわてふためき縺れる足音がした。
 西のリーダーの言う通り、外の人間は灯りなしでは地下を歩けない。ぼちゃんと下水に落ちた人物を捕えたとき、ふたつのグループはすべてを理解した。
 この騒ぎを、ずっと嗤って見ていた別の者がいたことに。
 
 捕まった人物は、スクラップの住民だった。
 地下のマンホールタウンは、基本違法である。なかなか沈静化できないまつろわぬ民を一掃するため、両グループを戦わせ壊滅させる作戦だったという。
 これまで息巻いていた両リーダーは停戦するとともに、自分たちの将来を真剣に考え始めた。
「……まあ、いつまでもこのままってわけにもいかねえよ」
「クコたちのためにも、ちゃんとした仕事を探さないとな」
「そういえばあのおじさん、仕事があるって言ってたのにね」
 クコが思い出したように、兄を見上げる。
「それは、わたしと同じように、ここが気になって入って来たひと?」
「うん、一月くらい前かな。海に宝物を探しに来たっていう、変なおじさんがいたんだ」
「宝物?」
 とたんにわくわくと聞き入るアニスを、呆れたように男たちが笑う。
「何でも、ここの海底の泥には宝が眠ってるんだと。このポイントを拠点に調査をしたいから仕事に協力してほしいと頼まれたが、それきりだよ」
 なぜその男はすんなり地下へ入れてもらえたのか、アニスが不思議に考えていると、クコが巻いていたバスタオルを広げて見せた。
「そのひと、これ、くれたんだ。あれも」
 兄の首の、シルクのネッカチーフを指さす。古びたコーディネートの中で、確かに首回りだけ後づけ感があった。
 手下がニヤニヤ笑っているところを見ると、さしずめ「それをよこせば通してやる」とでも言ったのだろう。リーダーは知らん顔だが、クコ曰く、顔を隠すようにバスタオルを被った『変なおじさん』だったそうだ。
(何者だろう、どこかの大学教授かしら)
 だが、海底の泥に眠る『宝』に、アニスはおおよその予測がついていた。
 ここスクラップは、緋ノ島を眼前に臨む地区である。その湾には、気象庁が活火山に指定したカルデラの主要火口があり、約200度の熱水噴出孔(チムニー)が発見されている。
 つまり、海底火山が生まれた海で、火山ガスが溶け込む酸性水塊の泥は、ある鉱物をふくむ鉱床の可能性が高いのだ。 
 アニスはすぐにでも調べたくなったが、今優先すべきことは別にある。
 
 ふたりのリーダーは、両グループ総出でアニスを快く見送ってくれた。
「あんたには、クコともども世話になったな」
「今度来たら、手ぶらでも入れてやるぜ」
 クコはいっしょに地上へ出て、アニスを途中まで案内してくれた。
「ここから北上すれば『丘』が見えてくるよ。近道——は海沿いの線路だけど、今はもう埋立地だから、気をつけてね」
「ありがとう」
「また会えるといいな、アニス!」
 クコに手をふり、再び防具をつけると身が引きしまる。一度は刺客に狙われた身なので、できれば最短ルートで行きたい。
 アニスはもと来た道からまた歩き始めた。ほどなくして、切れたと思っていた線路が再び現れた。先を見わたせば、レールはところどころ灰に埋もれ、見えなくなっていただけだとわかった。
「よかった、線路はまだ残っていたんだわ。枕木やレールは再利用できるものね。これを辿っていけばいいわ」
 アニスは安心して足を足を踏み出した。しかしその一歩は——
 ずっ、と灰に足を捕られ、アニスは蟻地獄のような窪みにはまった。
(——流砂!)
 さらさらとゆっくり、灰はアニスを呑み込んでゆく。その緩慢なうねりが、なおさら恐怖を呼び起こした。
「誰か、助けて!」
 線路の先が消えていた訳を、なぜ予測しなかったのか。流砂で陥没したのだ。
(流砂に落ちたら、焦ってもがいてはだめ。まず砂に面する体積を広げ、上体を横に——)
 言い聞かせたが、知識の通り行動できるとは限らない。特に、精神の鍛錬ができていないアニスには無理だった。
「誰か、誰かあーっ!」
 必死になってレールの先をつかむ。だが灰の中から見えない力に引っぱられるようで、腕だけで支えるには躰が重すぎた。
 ずるずると漏斗のすぼまりに引き込まれ、ついに口にも灰が入ってくる。
(アンタはどっちの魚だい?)
 ふいに、コミューンの老爺の声が聞こえてくる。
 自由になった魚は外の世界で生きてゆけず、灰の海で溺れて死ぬのだろうか。
(助けて、リクドウさ……)
 耐えきれず、手がレールを離れた。遠くから、轟音とともに砂塵が近づいて来るのが、かすむ視界にぼんやりと見える。
(砂嵐……?)
 途切れそうな意識の中、突然砂塵の中からサンドバイクが現れ、強い腕が埋まりかけたアニスを引き上げた。
「——アニス博士!」
 アニスを抱いた人物は、そのまま平地へバウンドして転がる。咳き込みながらも、アニスは目をまるくして顔を上げた。
「リ、リクドウさん、どうし——」
(あっ、夢かもしれない。人間は臨終の際、エンドルフィンが発生して幻を見るという報告もあるし、これが俗に言う走馬灯——)
 大脳生理学が巡るアニスの頬についた灰を、夢のはずのツバキが手荒くぬぐう。
「あんたが金持ってねェの思い出して、近場の駅から線路伝いにシラミ潰しに当たった。迷子になったら駅を目指せって言ったの、覚えててくれて助かったよ。それにしても——すげェ格好だな」
 アニスの変装にふき出すツバキの笑い声に、ようやく夢ではないと理解し、アニスも高揚気味に話し出した。
「あ、あの、リクドウさんの真似をして、灰を積んだトラックに乗ったんです」
「マンホールタウンに入って、地下住民の方たちにも会ったんですよ」
「でも、線路を歩いてたら流砂にはまっちゃって」
 間断なくささやかな冒険譚を語っていると、ツバキが低い声でささやいた。
「大丈夫、もう平気だ。落ち着け」
 それでもまだ動悸が止まらない。ドキドキする胸をおさえると冷や汗がふき出した。貧血になりそうで大きく深呼吸する。
 突然強く抱きしめられ、アニスの息が一瞬止まった。
 堅い胸、ビートを刻む鼓動。ツバキのぬくもりがアニスの躰にも伝わり、確かな脈を打っている。
 ツバキは、辛そうに眉をよせていた。抱きしめられたまま、アニスは呆然とつぶやく。
「……こ、これは痴漢行為、じゃないですよね?」
「……どっちでもいい。いやならスプレーで撃退しろ」
 きまり悪そうにツバキが顔をしかめる。
(……そうね、どっちでもいい)
 アニスがもう一度顔をうずめると、広い胸からは懐かしい灰都の匂いがした。


 2114年 10月某日
 あの朝、目を覚ましたスイレンはしきりに謝っていた。むしろ、謝罪するのはわたしのほうだというのに。
 彼女は、もしかしたらわたしの思いを知っていたのかもしれない。
 スイレンも、何も言わずわたしの前から姿を消した。

 
 コミューンへもどる途中、ふたりとも終始無言だった。
 サンドバイクの前後ではろくに会話ができないにしても、アニスは何を話せばいいかわからなかった。
 男性にとって抱擁——抱きしめる行為はどんな意図があるのか。
 心理学は専攻外だったのでわからない。
 あれこれ考えているうちに、見知った街並みが見えて来た。コミューンの市民街である。
 城ではクーデターが起きたというのに、街はいつもと変わらぬ雑踏だった。トップが誰に変わろうと、ここでは誰も気にしていないようである。
 ツバキは例の雑貨屋を訪ねた。
「よう、バ……じゃねーや、ジーさん」
 老爺は相変わらずの派手な風貌で、軒先で競馬新聞を読んでいた。さほど驚きもせず、ふたりを見上げる。
「おやアンタ、生きてたのかい。今日は何用だ」
 ツバキは、札束をぽんとショーケースの上に投げた。アニスが驚いて目を見開く。
「桜城の見取り図がほしい。今すぐ」
「そんなもん手に入れてどうする」
 サングラスの向こうから、窺うようにじろりと睨まれる。
「クーデターを止める」
「ええっ!?」
 アニスは頓狂な声でツバキを見た。だが彼は、険しい表情で老爺を見すえたままだ。
「城はどうなってる?」
「ウツギ議員と細君、王党派の貴族数名が牢塔に幽閉されている。処刑はまだ未定——だが叛乱を止めることで、お前に何かメリットはあるのかい」
「ねーよ。だが、ハオウジュ将軍が国を支配する以上、王家の血を引く者に安全は保障されない」
 ツバキはアニスをふり返った。
「……ほう、その子のために国をひっくり返すと?」
「任務の意味を考えろって言ったのは、あんただろ」
 老爺は札束を懐に収めるとニヤリと笑い、奥へ引っ込みカチャカチャと操作を始めた。プリンターから見取り図が印刷された紙を引き抜き、ショーケースに何かを添えて置く。
「釣り銭だ」
 王家の紋が彫られている金の万年筆を受け取り、ツバキは訝しげに老爺を睨んだ。
「……ジーさん、こんなんどこで手にいれたんだよ」
「ここは王国のど真ん中だ。いろんなモノが流れて来るのさ」
「ふん、おれが偉くなったら、いつか化けの皮剥いでやるからな」
 ツバキは挑戦的な笑みを浮かべ、戸惑うアニスを連れ人ごみを去って行く。そんな後ろ姿から競馬新聞に目を移し、彼はおもしろそうにつぶやいた。
「ま、コースを出たほうが馬はいい走りをするもんだ」

「ちょっとリクドウさん、待って下さい!」
 すたすたと市民街の通りを行くツバキを、アニスはあわてて追いかけた。
「待ちなさいって言ってるでしょ!」
 ツバキは停車したサンドバイクへまたがり、出発する準備をしている。
「アニス博士、女子高生にあるまじき顔してんぞ」
「ふざけないで下さい」
 アニスは怒りを込めた声で訴えた。
「わたしを置いて、自分はひとりでお城へ行くんですね? そうなんですね?」
「だとしたら?」
 平然と答えるツバキに、アニスは手のひらをぎゅっとにぎりしめた。
「かっこつけて勇者ですか? そんなの、ちっともリクドウさんらしくない!」
 だがツバキはぼりぼりと頭をかき、ヘルメットをアニスにわたすと、少し困ったように笑った。
「かっこいいのがおれらしくねェって、地味に傷つくなァ。でもまあ、ほんとに勇者じゃねェからよ、魔王倒すのに賢い姫の協力が必要なんだよな……知恵、貸してくんねーか」
 一瞬唖然としたアニスはごとりとヘルメットを落とし、笑いながら涙をぬぐった。
 
「マイドオオキニ」
 ツバキはまず、最初に行った古着屋で着ていたトラックジャケットを売り、自分の軍服を買いもどした。
 バイクは再びUターンして、スクラップへ向かう。ふたりがハイト油脂の工場へ入ると驚きの声があがり、みんながつめよって来た。
「アニス!」
 人だかりの中から、子鹿のようにアオイが飛び出して来る。
「黙っていなくなっちゃうなんてひどいよ!」
「ごめんね、アオイ。でも退院できたのね、よかった」
 まだ頬のガーゼは取れていないが、仕事は復帰したようだ。ヒノキが恭しく、小箱に入ったガラス瓶を持ってくる。
「あんたのおかげでヒット商品になったよ」
 見ると、パッケージにデザインされた銀のロゴタイプと同じものが、社員の作業服にもプリントされている。
「アニスが教えてくれた灰の染料で、ぼくが作ったんだよ」
 アオイが得意げに躰を反らす。食堂にも、灰干しのメニューが増えたらしい。
 ツバキが気づいたように首を巡らせた。アカザとカシの姿が見えない。
「大将とデカいのどうした」
「アカザさまたちは——仕事で出かけている。で、突然ふたりともどうしたんだ?」
 若干、話を逸らされた気がしてツバキが怪訝に首をかしげる。だがアニスは大きく息をすうと、かしこまって全員に告げた。
「——実は、みなさんにお願いがあって参りました」

 夕刻、工場を出たふたりは、ランタンの灯りが妖しく灯り出す灰都の歓楽街へサンドバイクを走らせた。牌坊門をくぐり、通りのとある中古のビルの地下へ下りる。
 中からかすかに聞こえるのは、男たちの談笑と俗っぽい笑い声だ。
 違法の賭場部屋の前まで来たアニスは、不安げに祈った。
(うまく、乗ってくれますように)
 そんなアニスとは対照的に、ツバキは制帽を深めにかぶり、宅配業者よろしく元気にドアを開ける。
「お届け物でーす」
 雀卓を囲む数人がふいとこちらをふり向き、顎をしゃくられた若者が応対に出た。
 ツバキはナチュラルに小さめの段ボール箱を見せ、「あ、こちらでサインを」と筆記用具をわたす。
 王家の紋の入った金の万年筆を若者が訝しげに眺めていると、
「待て」
 奥の卓のひとりが、ツバキの軍服を見咎め立ち上がった。
「……何で、軍人が荷物なんか持って来るんだ? おいお前、帽子を取れ」
「……」
 うつむいたままニヤリと笑みを浮かべたツバキに、長袍の男——イチイは一瞬たじろいだ。
「お前、あのときの——貴様、桜城の近衛兵だったのか!」
「カチコミかあ!」
 イチイの背後で、鉈や棍棒など物騒なアイテムを手にした男たちが、一斉に立ち上がった。ここは、『ハイイロウサギ』を騙り、アニスたちを襲った徒党の溜まり場だ。
 ツバキは制帽を上げると、
「よォ、先日は世話んなったなァ! こいつは——土産だ!」
 と荷物を思い切り投げた。箱から、燃え出した導火線のついたテニスボールがぽろりとこぼれ落ち、ツバキが廊下へ飛び退るとアニスがドアを外から施錠する。
 ツバキは急いで階段を駆け上がり、小気味いい破裂音に小躍りした。
 すぐに小窓から、涙目の男たちが煙といっしょにわらわらと這い出て来る。段上から見下ろすツバキに気づくと、イチイは目と鼻をまっ赤にさせ怒鳴った。
「貴様……っ! こんなことをして、ただですむと——へーっくしょい!」
「火薬とスパイスをブレンドした、アニス博士特製ボムだ。こんな穴蔵で油売ってるヒマなお前らにはいい刺激だろ」
 ツバキは踊り場に這いつくばるイチイを尻目に、颯爽とバイクに飛び乗る。
「偽ウサギさんよォ! この勝負、桜城が買うぜ!」
 爆煙をもうもうと巻き上げ、ふたりを乗せたサンドバイクは再び牌坊門を後にした。

「さすがに入れそうにないな」
 コミューンのビルの屋上から、シュウカイドウが双眼鏡でドームの様子を臨む。
 普段も指紋認証、声紋認証等がないと入れないグレーターだが、今日はさらに警備が厚い。
 ハッカも肩をすくめて、ため息をついた。
「当たり前です、王子。クーデターの最中、のこのこ『丘』に上がろうなんて馬鹿はいませんよ」
「……いるみたいだぞ、馬鹿」
「え」
 ハッカがあわてて代わり覗いたレンズの先には、ここ数日捜していたふたりが映っていた。コミューンから巨大な石橋をわたった先が『丘』の麓につながっているのだが、彼らはその橋のたもとにさしかかろうとしている。
 速攻で彼らのもとへ向かったハッカは、後をついて来たシュウカイドウがひっくり返るような大声で友人の名を呼んだ。
 ツバキがゴーグルをはずし、驚いた顔でふたりをふり向く。
「——ハッカ! 無事だったのか!」
「こっちのセリフだよ! いったい何やってんだ、こんなところで。レイチョウ少佐の城へ行ったんじゃなかったのか?」
「いや、話せば長くなるし、今は時間がない」
「じゃあ、かいつまんで話せよ! 散々心配したんだぞ」
 続く連れ同士の論戦に、アニスとシュウカイドウの視線があう。ぎこちなく微笑みあいながら、おずおずとシュウカイドウが口を開いた。
「ひ、久しい……というのも変だな——従姉妹殿」
「お、王子さまだったんですね。す、すみません。でもわたし、まだ王女かどうかは——」
「いや、どっちでもいいのだ。ぼくはまたアニスに会えて——」
「ちょっとそこ! この非常時にさらっと口説かない!」
 ツバキがくわっとふり返る。
「口説っ……いや違う、ぼくは彼女に親愛の意味を込めてだな」
「いいからとりあえず、みんないったんこっちへ!」
 ハッカの誘導で橋から離れた四人は、コミューンの街角までもどって来た。
 ツバキたちの目的と作戦を聞き、全力で阻止すると思われたハッカだったが、ため息をつくと意外にも了承してくれた。
「ツバキが言い出したら聞かないのはわかってるからさ、もうあきらめてるよ。その代わり、お前が無茶しないようおれも同行するから」
「ではぼくも行こう」
 次いで清々しく答えるシュウカイドウを、ハッカがあわてて止める。
「いけません、王子! 王家の方を危険に晒すわけには……!」
「アニスが行くのに、ぼくだけ隠れるわけにはいくまい。それにきみたち、馬鹿正直に正面から行くつもりか?」
 だが『丘』へ登る道は一本しかなく、そこはさっき双眼鏡で確認したように近衛兵が警備している。
「まさか……」
「王族しか知らないルートがある」
 シュウカイドウはついて来いとばかりに回れ右をした。

 小山に建っているドームへ、正規の道以外で行く方法となると、当然山を登るしかない。ツバキを先頭、ハッカをしんがりに、四人は補正されていない夜の山道を黙々と登り続けた。
 行く手に生い茂る枝を薙ぎ払っていたツバキが、唐突にふり返る。
「——王子、ここですか?」
 そこは、山の中腹にぽっかりと口を開けた洞窟だった。
「間違いない。もしもの襲撃に備えて、先祖が城から古い防空壕へ秘密の抜け道を作ったと聞く」
 四人はペンライトの灯りを頼りに、暗闇へ足を踏み入れる。確かに、見取り図にも載っていない隠された通路だった——
(ツバキ)「……ぷはっ、クモの巣が!」
(シュウカイドウ)「何かちくっとしたものが手に!」
(ツバキ)「それ、おれの頭ッス!」
(ハッカ)「ひぃ、コウモリだァ!」
(アニス)「近年、誰も通ってない証拠です。安心ですよ」
 すたすたと冷静に先を行くアニスを、呆気に取られ見つめる男性陣。いつの間にか土壁は岩壁へと変わり、行く手に小さな引き戸が見えた。
 ツバキがそっと扉を引く。辺りを確認し屈むようにしてくぐると、そこは備えつけのキャビネットにつながっており、薄暗い部屋らしき空間に出た。
 グリーンの蔓草模様のクラシックな壁には、王の肖像画と王家の紋の入った剣が飾られている。
「ここは……亡くなった王の部屋だ」
 シュウカイドウがつぶやき、アニスもぐるりと首を巡らせた。
(このひとが、わたしの父かもしれないひと……)
 初めてまともに対面する王の貌。それは肖像画にしてはあまり威厳がなかったが、愛嬌のある天然な笑顔で、アニスは不思議と親しみが湧いた。
 が、ふと、どこかで見たアイテムに、視点が結ばれる。
「これ、この首の……!」
「ああ、叔父上がよく使っていたスカーフだな」
 それは、地下住民の東のリーダーがつけていた、シルクのネッカチーフと同じデザインだった。
「王室御用達の特別なもので、王の桜柄はこれ一枚だけだ。これが、どうかしたのか?」
(じゃあ、クコの言っていた『変なおじさん』って——)
 王自らが、海底の泥に眠る鉱床を調べていたのだ。アニスは会ったこともない王に近しい感覚を覚え、胸があたたかくなった。
 マンホールタウンでの顛末を話すと、シュウカイドウが思い出をなぞるように、絵とアニスを見比べ微笑んだ。
「……王は変人で敬遠されていたが、ぼくはおもしろくて好きだった。きみはやはり(目が)叔父上に似ているな」
(それは、わたしも変人という……)
 ほめられているのか何なのか、よくわからず複雑である。
「王が調べてたのって——これか?」
 ふたりの背後で何やらごそごそとあさっているツバキだったが、王の書斎机から、元素記号や方程式が書き連ねられた分厚いレポートをぽいと投げる。
「ちょっと、そんな乱暴に——」
 しかし、次いで飛んで来た鉱物のサンプルを見たとたん、アニスは勢いづいて目を見開いた。
「——輝安鉱!」
「何アンコウ?」
 聞いたことのない奇妙な名称に、ツバキが妙な顔でのぞき込む。
「『きあんこう』。別名アンチモン、レアメタルです。やっぱり王は、スクラップの湾で輝安鉱の調査をするつもりだったんだわ!」
 シュウカイドウもサンプルを見返し、興奮している。
「OA機器などに使われる希少な素材だ。貴重な資料だな、これは!」
「発見できれば、国の新しい資源となります。これ持って行きましょう!」
「こんな石ころに価値があるのか?」
 サンプルとレポートについて真剣に議論するふたりを尻目に、あまり興味のないツバキは、壁の王剣に手をかけている。
「あっ、ツバキ、お前何してんだ!」
 ハッカが頓狂な声をあげ、シュウカイドウも静かに諌める。
「リクドウ、故人の部屋だぞ」
「そうです、お行儀悪いですよ、リクドウさん」
「アニス博士も、アンコウ持ち帰るんだろ」
「そ、それは……」
「まあまあ、こんな機会ないからよ。何かお宝探そうぜ」
 さらにツバキは、興味深げに机の天板をがこんと上げた。隠すように二重になった引き出しの下に現れた日記に、今度は全員の目がいっせいにすいよせられた。
「……いやいや、それはマズいよ、ツバキ」
「そ、そうだ。プライバシーの問題だ」
「勝手に見るのはよくないですよね」
 正論を出しあいながらも気になって、三人ともそわそわと目配せをする。
 ふとツバキが取った日記の間から、一枚の写真がするりと落ちた。何度も見返したと思われる古いすり切れたL版には、堅い表情の女性が写っている。
「誰だ? スイレンじゃねーな」
「あっこら、ツバキ、見るんじゃない!」
 ハッカがあわてて止めたが、その色褪せた被写体にアニスは見覚えがあった。
「待って、そのひと——」
 そのとき、外から足音が聞こえ、
「隠れろ!」
 ツバキの先導に四人はソファの後ろへ飛び込んだ。同時に、ふたりの近衛兵がぶつぶつと文句を言いながら入って来る。
「——ハオウジュ将軍、もう天下を取ったつもりだ。人使いが荒いんだからよ」
「ところで、王の剣はどこだ?」
 気まずそうに剣をかかえたツバキを、三人がじろりと睨む。
「ここにはないな、武器庫じゃないか」
「しかし今時、処刑に銃でなく剣なんか使うかね」
「王族の誇りにせめてもの酌量とか言ってたぜ」
(!)
 ソファの裏で四人は顔を見あわせた。近衛兵の遠ざかる足音を確認し素早く部屋を出ると、険しい声でツバキが喚起した。
「——行こう、牢塔のウツギ議員たちを救出するぞ」
 ハッカが大きくうなずく。
「アニス博士はすべてが終わるまで、王子とワイン蔵に隠れていてくれ」
 えっ、とアニスは絶望的な表情になった。だがそんなアニスをからかうように、ツバキはすぐに肩をすくめて撤回する。
「——と思ったけど、どうせあんた、止めても勝手に行動するだろうから、集中制御室のほう頼む」
「何言ってんだ、ツバキ。あんなところまで、護衛もなしに行かせられるわけないだろう」
 ハッカが顔色を変え反対するが、アニスはうれしかった。
 ツバキは、自分を信じて役目を託してくれている。
 処刑が決定した今、二手に分かれなければ計画は間にあわない。加えて、離れにあり守備も固い牢塔への救出はひとりでは無理だ。全員が行動をともにする余裕はない。
 シュウカイドウが強く前に出た。
「心配ない、ぼくがアニスに同行する。王女を最前線に立たせたとあっては、国を取りもどしても王家は世の笑い者だ」
 躊躇いながら目をあわせるツバキとハッカに、なおも強くシュウカイドウは推した。
「ぼくはきみたちより、城の内部に長けているぞ。アニスを迷わず、集中制御室へ連れて行くことができる」
「だ、だが王子——」
「リクドウ、ぼくだってぼくの城を自分で護りたいのだ」
 おだやかな口調の中に固い意志を感じたツバキは、引きこもりと冷笑されていた王子を真面目な顔で見すえた。
「王子、コミューンで何か変なもんでも食ったんスか」
 あわててハッカが相棒の頭を叩く。だがシュウカイドウは、朗らかに笑って言った。
「知らないのか、リクドウ。回転焼きを食べると勇気が出るんだ」

 アニスとシュウカイドウは、集中制御室のある地下への廊下を走っていた。
「シュウカイドウさま、計画は先ほどお話ししましたが、本当にいいんですか? これを実行すれば……」
「ああ、城を初め、グレーターの住人たちからは苦情が殺到するだろう。だが、ハオウジュ将軍に国を奪われるよりはいい。きみが図書館のなぞなぞを解いたときから、何かが変わる予感がした」
 初めて会ったときはすっぽりと顔を覆っていた前髪が今は少し開かれ、意外と端正な顔がのぞいている。
 心強い気持ちが湧いてきたアニスは、大きくストライドを踏んだ。
「三つめの答え、絶対解きましょう!」
 九十九折りの廊下を駆け抜け、集中制御室への最後の通路にさしかかったとき、突然行く手に衛兵が現れた。
 相手もシュウカイドウの姿に不意を突かれ、一瞬驚くがすぐに命令を思い出し銃をかまえる。
「お、王子! ご、ご同行願います!」
「——シュウカイドウさま、ゴーグルとマスクを!」
 アニスの声を合図に、スパイス爆弾が爆ぜた。連発する衛兵たちのくしゃみを後に、もうもうと舞い上がる煙をふたりは抜ける。
 だが狭い通路に響く騒ぎに、他の衛兵が気づかないわけがない。アニスたちは、たちまち数人の追っ手に囲まれ銃口を向けられた。
「王族は残らず捕らえろとのこと、来てもらいます!」
 シュウカイドウの痩身が衛兵たちに確保される。
「そっちの女は誰だ?」
「きゃっ!」
「手荒な真似をするな、その子は——!」
 つかまれたアニスの腕が乱暴に引っぱられた瞬間、衛兵たちが次々に手刀を打たれ、がくんと膝をつき倒れた。
 背後に、のそりと見知った巨体が現れる。アニスは驚いて声をあげた。
「——カシさん!」
「合図が遅いので様子を見に来た」
 相変わらず口数の少ない灰都のカシが、気絶した衛兵たちをぐるぐると縛り上げる。
「アカザさんもここへ?」
「ああ、だがお前は仕事があるだろう、行け」
 半ば、ふたりはおし込まれるように集中制御室へ入れられた。
 ここで、これから大事な作業が待っている。失敗すれば、すべての作戦は不発に終わってしまうのだ。
「まずは管制システムに接続しなければならない」
 そう助長するシュウカイドウすら、入ったことのない集中制御室。アニスも、研究室でも見たことのない、並立つ大型コンピューターに圧倒される。
 だがコンソールを目の前にすると、アニスはスッとスイッチが入れ替わったように表情が変わった。
 モニターの青い光に瞳が反射する。カチャカチャとキーボードを打ち込めば、無機質な機械音声が返ってくる。
『コードを確認・システム・管理者モードに移行します』
「——入れました!」
『三分以内にパスワードを入力下さい』
「パスワード……!」
「王が指定したものだ!」
 そんなもの、わかるわけがない。アニスはくっと爪をかんだ。シュウカイドウも、焦ってコンソールに乗り出してくる。
「と、とりあえず、何か思い当たるものを打ち込んでみよう」
「王さまの好きなものとか?」
「『回転焼き』じゃないか」
 ——〝ERROR〟
「それ、シュウカイドウさまが好きなものじゃないんですか!」
 アニスに突っ込まれ、シュウカイドウは気まずそうに顔を逸らす。入力は三回まで、それ以降はコードから強制変更されてしまう。
「『スイレン』はどうだ? 好きだったはずだ」
 やはり〝ERROR〟
「王さまの誕生日は?」
「そ、それはパスワードとしては一番NGだろう」
 時間はリミット寸前、チャンスもあと一回だ。ふたりとも焦燥がぬぐえない。
(王さまの好きなもの、好きなひと——)
 アニスの脳裏に、ふと日記に挿まっていたあの写真の女性が過った。
(……大切じゃなかったら、きっとあんなふうにぼろぼろになるまで取ってたりしない)
 指が自然に『彼女』の名前を打ち込み、エンターキーを叩く。
 シュウカイドウが驚いて声をあげるが——
『パスワードを認証・コマンドを実行します』
 管理プログラムはヴンと作動し、立ち並ぶコンピューターが一斉に点滅した。ふたりはへなへなと、その場にすわり込む。
 やがて地鳴りのような轟音が城に響き、グレーターの天が割れ始めた。
「ドームが開くわ!」

 離れの牢塔への螺旋階段を駆け上っていたツバキとハッカは、足もとに伝わる振動に、アニスたちがタスクを完遂したことを知った。
 はるか下方の廊下から、初めてのドームの作動に騒然とする声が聞こえる。風上であるゆえ、降灰はまださほど実感できない。
 だがふたりは笑みを交わし、自分たちも先を急いだ。
 牢塔とはいえ実際使われていたのは数百年前までで、現在は古い建材が山積みになっているただの物置だ。
 塔のてっぺんも今は向かいの本城にワイヤーロープがわたされ、祝い事のガーランドなどを吊るす用途に使われている。
 だが、急にハッカの足が止まる。
「……なあ、おかしくないか? いや、衛兵の数だよ。ここまで登って誰もいないなんてさ」
 確かに、大事な人質を幽閉しているというのに見はりがゆる過ぎる。
「ああ、とにかく行ってみよう」
 不審に思いながらも最上階の牢まで登ると、扉は開いており、中には毛布をかぶった人物がひとり倒れていた。ツバキは急いで駆けよる。
「おい、大丈——」「ツバキ!」
 ハッカのひと声が遅かったら、身に届き致命傷となっていただろう。ふり向きざま抜かれたハオウジュ将軍の剣は、ツバキの軍服の胸をばっさりと切り裂いた。
「!」
「窃盗、誘拐、殺人と悪行三昧の貴様ごときチンピラに、わたしが直々手を下すのも馬鹿らしいと思っていたが、どうしてどうして。やってくれるじゃないか」
 ゆっくりと起き上がると、開き始めたドームの口から灰色の空をちらりと見上げ、ハオウジュ将軍は口許をゆるめた。
「おもしろいことをやりおる。王亡き後、ドームを操作できる者はいなかったはずだが」
 こんな状況で何が愉快なのか、喜悦をあらわにする上官を、ツバキとハッカは警戒しながら後退る。
「わたしの国で勝手をしてもらっては困るが、手応えのある玩具は歓迎だ。革命軍の噂があったが、やはりお前たちのことだったか」
「何がわたしの国、だ。革命を起こしてるのはそっちだろうが」
 妙なことを言うと思ったが、まずは捕虜の安否の確認が先だ。
「王族の方たちはどうした」
「知る必要もなかろう。どうせすぐ、やつらもお前と同じ場所へ逝くのだからな!」
 ハオウジュ将軍が先行して斬りかかる。
「ハッカ! ウツギ議員たちを頼む!」
 ツバキはハッカを階段へ追いやると、王剣を手に応戦した。相棒の切迫した声が下方からこだまする。
「ツバキ、死ぬなよぉ!」
「フラグやめて!」
 狭い牢塔にふたつの刃がひるがえり、金属音が高く響いた。剣と剣がかみあうたび、火花が散る。
 先の模範試合でツバキが一本取ったとはいえ、あれは単なるアクシデント(髪)のおかげだ。アカザや父リクドウ卿より大柄なハオウジュは、当然パワーもツバキを上回る。
(ハオウジュ将軍の剣、何て重いんだ)
 ツバキの剣の軌跡は容易く弾かれ、幾度攻撃をくり返してもハオウジュを捉えることができない。リクドウ卿のときのように動きを読まれているのではない、単純に歯が立たないのだ。
 相手のその獰猛な剣戟に、ツバキはハオウジュが伊達に将軍(ジェネラル)の称号を冠しているわけではないことを思い知った。
 弧を描くように足を運び慎重に相手を探るが、こちらから仕掛けようにも、一見荒い剣さばきには隙が見えず陽動も通じない。
 ツバキは何とか弱点をつかもうと、敵の利き手を確認した。
(右利き、ということは——)
 左から攻勢をかける。しかしハオウジュは早業で持ち手を入れ替えると、ツバキの剣を正確に受けた。
「馬鹿め、わたしは両利きだ」
 みなぎった力を誇示するようなかまえで嘲笑する。カッとなったツバキは、その反り返った体勢を速攻で圧倒しようとした。
 だが逆に突きや薙ぎで間合いをつめられ、回避するしかない。ツバキがいた場所に、激しい斬撃がふりかぶる。
「逃げ足だけは一人前だな」
 まともに受ければ、もう加重は跳ね返せない。鋼と鋼がからんではぶつかり、耳障りな音を立てた。
(考えろ、考えるんだ。アニス博士みたいに) 
 防御に徹しながら、ツバキは瞬時にまわりに視線を走らせた。
 はっと何かに弾かれ急駛する。
「この狭い牢の中、どこへ逃げる? どうせここがお前の死に場になる」
 追いつめたハオウジュが力を溜めるように剣を引いた瞬間、ツバキはすばやく反転して床に転がった。叩きつけるようにふり下ろされた剣は、置き去りの木材に深々と突き刺さる。
 ハオウジュが剣を抜くのと、ツバキが斬り込んで行くのと同時だった。
 だがリーチの差かツバキの剣は届かず、今度は打撃を食らいふっ飛ばされ、したたかに壁に打ちつけられた。
 ふり返った反動から、ハオウジュの柄で思い切り殴られたらしい。のどから金臭い唾が込み上げてくる。
「小物感まる出しな浅はかな策だったな。この国に神はおらんが、最期に祈る時間くらいは与えてやろう」
 ハオウジュが憐れみと嘲りが混じった笑みでツバキを見下ろし、剣を向ける。肺がひりつくように痛んだが、ツバキは柄をにぎりよろよろと立ち上がった。
「知らねェの? 神はいるんだぜ——緋ノ神がな!」
 ツバキが天を指したとたん、ドン! と破裂音が響き、牢塔の窓が明るく照らされた。
「なっ……?」
 弾けた花火は、まっ白な城に灰を降らせてゆく。普段はドームに覆われているため、みなゴーグルもマスクも常備していない。
 突然の降灰に見舞われ、外にいた者たちはあわてて城内におしかけ、たちまち城はパニックに陥った。
 完璧な要塞であるはずの桜城が、こうも簡単に陥落するとは。
 ハオウジュは、目尻をぴくぴくとふるわせツバキを睨んだ。
「リクドウ……何をした」
「なーに、スクラップで灰入り三尺玉を注文しただけさ。ドームの解放を合図に、打ち上げてもらう約束でね」
 アニスが、ハイト油脂の工場に頼んだ『お願い』である。ハオウジュが、ぎりりと歯軋りをする。
「貴様、灰にしてここから撒いてやる!」
「その前に、国の指導者にお客さんみたいですよ、将軍」
 ツバキが、ちらと窓の外を見下ろした。見覚えのある顔ぶれが、城の敷地で無数のサンドバイクを噴かしている。
「な、何だ? あのがらの悪い連中は」
 偽ウサギのイチイが、窓からのぞくツバキに気づき叫んだ。
「塔の上にいるぞ、撃て!」
 その瞬間、ズン……と足に大きなゆれが走り、ツバキたちの躰はぐらりと傾いた。
「なっ……これも貴様の算段か!」
「——あ、あいつら何をしたんだ?」
 確かに、イチイたちにわざと王家の紋章の入った万年筆を見せ、城へ誘き出したのは、ここを混乱に陥れるための作戦である。
 実際下では、サンドバイクと近衛兵が入り乱れての乱闘となっているが、今の襲撃は予定外だった。
「リクドウ、花火をやつらがそこに仕掛けた! 塔が崩れるぞ、早く逃げろ!」
 向かいの棟のバルコニーから、ハイト油脂の見知った社員が声を投げた。彼らが用意した花火のひとつを、イチイたちに奪われたらしい。
 ツバキはさっと踵を返した。
「待て、リクドウ! 生きてはここから出さんぞ!」
「しょ、将軍、まずは互いの身の安全を確保して……」
 苦笑いとともにじりじり後退るツバキに、ハオウジュの剣が襲いかかる。だがそのよどみない攻撃をからくも避けた拍子にバランスを崩し、ツバキの剣は空を薙いだ。
 その切っ先には、将軍の『髪の毛』がまたもや引っかかって——
「あっ、やべっ」
 思わず髪を掲げるように剣を立てるツバキに、毛のない頭に手をやりハオウジュはわなわなと刃をふるわせる。
「——ええい、忌々しい! 何もかもお前のせいだ!」
 ツバキが身をかまえ直す間もなく一筋の光芒が走り、ハオウジュの剣はツバキの軍服の腹部を突いた。
「……っ!」
 腹をおさえツバキがよりかかった壁はひび割れ、梁が軋み出す。ハオウジュは鬼の首を獲ったように高笑いした。
「はーっはっは! 好い気味だ!」
 突然、牢塔の窓がぶち破られ、ハーネスを装着した軍服が床に着地した。既視感のあるシチュエーションに、ツバキは呆然と男を見上げる。
「レイチョウ! 貴様、今までどこに……!」
 ハオウジュに胸ぐらをつかまれ、男はくわえていた棒つきキャンディをプッと吐き出すと、
「あっ、キャラと小物、間違えちまったわ」
 と、ハオウジュの腕を捻り、背負い投げをかけた。
「ツバキ、しっかりしろ」
 レイチョウに腕をつかまれ、ツバキは戸惑いながら『アカザ』を見た。彼の軍服の胸には、少佐の位を示す銀の桜の階級章が光っている。
「あ、あんた何で……いや、アカザがレイチョウ少佐? どーいうことだよ!?」
 ツバキは仰天して、多角度からぐるぐるとアカザを見回った。
 いつもの無造作なヘアスタイルと違い、栗色の髪はきちんと撫でつけてはいるが、紛れもなくアカザ本人である。
 はっと、思い出したようにつめよる。
「だから初めから、おれのこと知ってたのか!」
「……お前、元気だな。腹、平気なのか」
 ふと我に返れば確かに痛みを感じない。刺された箇所に手をやると何やら固い感触がして、ぽろりと本がこぼれ落ちた。
「あっ、日記……!」
「呆れたな、そんなもん腹に仕込んでたのか。つくづく運がいいな、お前」
 レイチョウはクハっと破顔するとすぐに真顔にもどり、飛んできた上官の剣を早手に切り返した。ハオウジュがまっ赤になって逆上している。
「レイチョウ、貴様、裏切ったな!」
「裏切ってなど。ハオウジュ将軍こそ、王家を護る近衛兵の務めをお忘れのようでしたので、わたしと下士官が閣下たちを安全なところにお連れしましたよ」
「おのれ……貴様がもしや革命軍か!」
「あなたが国権を掌握したいように、わたしも軍を手に入れたいんですよ、将軍」
 レイチョウはニヤリと邪悪な笑みを浮かべた。
(うわ、腹黒……)
 やはりアカザと変わらぬ中味にげんなりしつつも、王族が無事と聞きツバキはほっと息をついた。そっと軍服の裂けた腹部に手をやる。
(……王が、護ってくれたのかもしれないな)
 安堵したのも束の間、床には亀裂が開き床が落ち始めた。天井から砂埃と石片が容赦なく降りそそぎ、ハオウジュの頭にこぶし大が落下する。
「ぐわっ!」
「脱出するぞ、ツバキ!」
 言うやいなや、レイチョウは窓から塔のてっぺんに登る。だが後に続いたツバキの足をがっしとハオウジュがつかんだ。すでに足場はない。
「……生きてはここから出さんと言っただろう!」
 底の抜けかけた塔の空洞から血だらけの形相をのぞかせるさまは、あたかも地獄に引きずり落とさんとする亡者のようで、道連れにするまで手を離さない執着を感じる。
 その気迫に慄くツバキに、ハオウジュが剣をふり翳した。
 しかし、新人であるツバキのおろしたての軍服は躰にそぐわず、軍靴も然り。
 ハオウジュはすっぽと抜けてしまったツバキのブーツをつかみ、
「わぁぁぁぁ……!」
 ……塔の奈落へと落ちて行った。
「つかまってろ、ツバキ!」
 声が合図のように壁が砕けた。ツバキがレイチョウの腰に飛びつく。レイチョウは剣を収めた鞘をワイヤーロープに引っかけると、そこを支索に城へ向かって滑走した。
 とたんに塔が崩れ落ちる。片方の軸を失くし、ぴんとはっていたワイヤーロープがゆるみ、
(壁に激突する——!)
 ツバキがぎゅっと目を閉じた瞬間、レイチョウの手が鞘を離れ、ふたりはそのまま堀に突っ込んだ。
 2114年 10月某日
 訪ねて来たのは、スイレンだった。彼女は乳児をかかえ、城の刺客に追われて来たと言った。
 わたしには誰の子かすぐにわかった。あのひとに似た好奇心旺盛な金色の瞳。
 赤ん坊をわたしに託し、彼女は亡くなった。最期まで謝りながら……

 
 レイチョウの下士官たちの働きで、蜂起した近衛兵は捕まり、城は明け方には平穏を取りもどした。
「閣下、城内の暴動は鎮圧を確認、スクラップの徒党らも引きわたしました」
 ウツギに敬礼をするレイチョウに、イチイが罵声を浴びせながら警察軍に連れられてゆく。
「野郎、すましてんじゃねえ、コラァ!」
「それとやつら、こちらも隠し持っておりましたので、奪還いたしました」
 レイチョウが、金の万年筆をさし出す。
「む。これはシュウカイドウのものではないか。いつの間に盗んだのだ」
 不思議そうに首をかしげるウツギの背後から、なおもイチイの雑言が追いかける。
「このハイイロウサギ! すっとぼけてんじゃねえぞ!」
「? やつはさっきから何を言っているのだ? レイチョウ」
「わかりかねます。違法の服薬等で酩酊しているのでは」
 ツバキとふたりして堀に落ちたためびしょぬれではあったが、顔色ひとつ変えずに答えるさまはさすがだ。
(……やっぱ腹黒いわ、こいつ)
 呆れた半目で彼らを遠巻きに見るツバキの横では、アニスもぽかんと半口を開けたまま立っている。
「……まさか、アカザさんがレイチョウ少佐だったなんて」
「カシはあいつの城の従者なんだとよ」
「ツバキ、上官をあいつ呼ばわりするんじゃない」
 ハッカが眉をしかめる。
「だってよォ、アカザ——少佐のやつ、おれたちのこと騙してたんだぜ?」
「いいじゃないか。スクラップを活気づけたいと、レイチョウの家系が自警団も兼ねて代々続けている副業なんだそうだ。わざわざ有給を使ってな」
 感心したように腕を組むシュウカイドウに、ツバキがひねた口調で冷笑した。
「『ハイイロウサギ』が、ですかァ?」
「——ほう? 何か文句でもあるのか?」
 突然後方から湧いた低音に、ツバキが思わず飛び上がる。
「不正規連隊と謳っておいたほうが、犯罪の多い灰都では動きやすいんだよ。お前も危険な目に遭ったからわかるだろう」
 落ちてくる髪をかき上げる仕草はやはりアカザだが、ツバキは何とも居心地が悪い。そんなツバキをくすりと笑うアニスに、桜城の大臣が声をかけて来た。
「では、参りましょうか」
 アニスはDNA鑑定のためのサンプルを提出するため、城へ泊まることになったのだ。
「——行って来ます」
「がんばれよ」
 何度も後ろをふり返り、大臣につき添われて行くアニスの後ろ姿を、ツバキはじっと見守った。そんな相方に呆れながら、ハッカが腕をのばし息をつく。
「鑑定くらいで心配して大げさだなあ。でもやっと、一段落ついたってとこかな」
「いや、まだ終わりじゃないんだ、ヨシノ」
 シュウカイドウはハッカに目線を送り、ツバキと互いにうなずいた。
 
 鑑定のためのサンプルを提出し、アニスは案内された客室でひとを待っていた。城から、ウェルカムドリンクがあるという。
 ほどなくしてノックの音がし、王室御用達のワインを持って入って来た人物を、アニスは部屋に招き入れた。
「まあ、上等なお酒ですね。ありがたいんですけど、わたしまだ未成年なんです。え? 薄めてシロップをまぜるとおいしい? そうですか、では少しだけ」
 小型のソムリエナイフで、キャップシールを開ける女性。
 ふたりが向かいあってすわったサイドテーブルで、白く美しい指が摘んだステムがアニスにわたされる。
 ゆらりと柘榴色の液体がゆれ、芳醇な香りが立ち昇った。
「桃のようにあまい香り。でも……」
 アニスはくんと鼻を鳴らすと、困ったようにグラスをテーブルに置いた。
「すみません、毒入りのワインは飲めません」
 思わずはっと肩が上がったドレスの背後から、カーテンの陰に隠れていたシュウカイドウが現れる。
「——母上」
「シュ、シュウカイドウ、なぜ……」
 ユウカゲはよろめくように後退った。同じく窓際に身を潜めていたハッカが素早くワインとグラスを回収し、ツバキが鼻によせる。
「この匂い、おれも知ってるぜ。これは灰都の工場でかいだ——」
「ニトロベンゼン」
 アニスは憂えるように答えた。ハイト油脂の石けん、Sー2タイプの香りだ。
「有毒ですが、ニトロベンゼンの桃に似た香りは香料としても使われるんです。水には溶けにくいけれど、アルコール——そう、ワインなら……」
「母上、叔父上を毒キノコで殺害したのも、母上なんですね。どうして……」
 青ざめるユウカゲを、息子は悲しみと憤りのまなざしで見つめた。理由は聞かなくてもわかっていた。亡くなった者も狙われた者も、玉座に関係する人物だからだ。
 そもそもクーデターを企んでいたハオウジュ将軍に、わざわざ王を殺す理由はない。それに元医師である彼女なら、毒物にも詳しく薬品の入手も可能だ。
 ユウカゲはうなだれ、虚空を見つめつぶやいた。
「……王が亡くなれば、ウツギがこの国を継ぐものだと思っていたわ。それなのにあのひとは継承をいやがるばかりか、あなたに任せる気もない。そうこうしているうちに、ハオウジュ将軍が王女だという少女を連れて来て……」
「——殺したんですね」
 ハッカがやりきれない顔でユウカゲを見下ろす。
「あなたたちの話で、リクドウが王女を見つけたと聞いたわ。刺客を放ったけれど、リクドウたちにはグレーターから逃げられて、それならと、彼を偽の王女の殺人犯に仕立てることにしたの」
「だが、まさかハオウジュ将軍が、クーデターを起こすとは思わなかったんだろ」
 不快に言葉を継ぐツバキにはうわの空で、ユウカゲはぽつりとつぶやく。
「ええ、本当に。こんなことなら、あの男を一番に消しておけばよかった」
「母上、何て馬鹿なことを……!」
 シュウカイドウは片手で顔を覆って嘆いた。
「あなたのためよ、シュウカイドウ」
 なだめるようにすがるユウカゲを、シュウカイドウの手が強く払った。
「違う、ぼくのためなんかじゃない。母上はいつも自分しか見ていない! ぼくは叔父上が好きだった、この子のことだって——!」
 それは、シュウカイドウが初めて感情をあらわにする対象への嫉妬だったのかもしれない。ユウカゲの表情に絶望が走り、それは憎しみとなってアニスを襲った。
「母上!」
 ——カラン、とソムリエナイフが床に落ちる。
 腹部を抑え膝を折ったのは、アニスをかばった息子のほうだった。
「シュウカイドウさま!」
 アニスがシュウカイドウを支え、ツバキとハッカがユウカゲを拘束する。待機していたレイチョウが踏み入り、ユウカゲは呆然としたまま警察軍に連れて行かれた。

「——王子、たいした傷じゃないってさ」
「そう、よかったです……」
 翌日、グレーターの病院でシュウカイドウの容態を聞いたツバキたちは、ようやく胸をなで下ろした。だがアニスの表情は、こわばったまま晴れない。
「自分のせいだって思ってんのか?」
 いたたまれなくなったツバキがアニスに声をかけると、
「いや、きみのせいではない。わたしのせいだ」
 病室のドアが開き、ウツギが出て来た。
「あァ? そーだよ、奥方の暴走を止められなかったあんたのせいだろ! ウツギ議員!」
 カッとなったツバキが、ウツギの胸ぐらをつかむ。
「やめろよ、ツバキ」
 ハッカが止めるのも聞かず、ツバキは食ってかかる。
「うるせー! ここが『丘』じゃなきゃ、このモヤシ野郎ってつけ加えるとこだ!」
 血が昇ったツバキを下がらせ、頭をかかえながらもハッカは自分が前に出た。
「申し訳ありません。でも……ぼくも意見できる立場ではありませんが、もっとシュウカイドウさまのこと、理解してあげてほしいです」
「ああ……そうだな。その通りだ。自分のことで精一杯で、これまで家内のことにも息子のことにも、あまりに無関心だった」
 ウツギは何年分かに相当するような長いため息をつき、アニスを見た。
「……だが、シュウカイドウはどうやら我が姪を護ったらしい」
「え、それって——」
「DNA鑑定の結果、故灰桜国王はアニス・リィの——『生物学上の父親である』と証明された」
 ウツギは驚く三人に、遺伝子鑑定センターからの通知を見せた。

 アニスの身柄は桜城に移されることになり、翌日アニスは聖マツリカ女学院へあいさつへ行った。
 正式な発表はされていないものの、アニスが護衛をともなってもどって来たので学院は大騒ぎになった。大臣が学長に報告している間、アニスは馴染みの舎監室へ向かう。
 シスター・シキミはおおよその話は聞いているらしく、お茶を出して迎えてくれた。
「よかった、というところかしら。あなたはもっと広い世界へ出て行くべきだわ」
 アニスはカップを置いて、小さな頃から一番近くにいた舎監をじっと見つめた。
「シスター・シキミ。亡くなった王が愛したひとは、あなただったんですね」
 シスターは、カップを口につけたまま身じろぎもしない。
「何の話をしているのかしら?」
「これ、王の遺品にありました」
 アニスは、色褪せて破れかけた写真をわたした。シスター・シキミは写真を手にとって一瞥したが、興味がないようにすぐにテーブルにもどす。
「……確かに、わたしが昔桜城に勤めていたことは事実ですが、これが何だというの?」
 色眼鏡の奥からは何の感情も見られない。
「シスター、あなたも王を愛していましたか? わたしの父を」
「そんなことを聞いてどうするのかしら。もう、王はいないというのに」
 シスター・シキミはめずらしく少し苛立ったように、眼鏡のブリッジをおさえる。
「王も亡くなって、今はわたしの母だったスイレンもいません。誰を好きだったとしても、もう誰にも迷惑をかけないわ、教えて下さい」
 アニスはポケットから、ひとつのペンダントをさし出した。シスター・シキミの目尻がわずかに動く。明らかに、見覚えのある表情だった。
「王の部屋で見つけたんです。日記といっしょにありました。王の日記は、名前は書かれていなかったけれど、あるひとのことばかりでした。多分あれはあなたのことです。ドーム開閉のパスワードもシスター、あなたの名前だった。これ、シスターが持っていて下さい」
 アニスは、灰色の月長石のペンダントをことりとテーブルに置いた。それは遠い昔、一度は彼女に贈られたプレゼント。
「石言葉は——『あなたを思う』です」
 ペンダントを取ったふるえる手に、ぽたりと一滴涙が落ちた。
「長いこと、あなたに王の面影を見ていた……」
 シスター・シキミは静かに涙を伝わせながら、ようやくアニスの目を見つめた。記憶の王と同じ、金色の目を。
「わたしは……王に似てるんですか?」
「ええ、そっくりよ。わたしを困らせるところが」
 泣きながら笑い、アニスに伝える。
「いつも逃げてばかりでわたしは愚かだった。でも、今なら愛を理解できる。アニス、あなたも好きなひとができたのね。わかるわ、とても素敵になった——」
 我が子のように抱きしめられ、アニスの目にも涙があふれた。
 小さな頃からそばで馴染んでいた、ツンとしたハーブの匂い。家族はなかったけれど、自分は生まれたときから愛に包まれていたのだと、アニスにはわかった。
 シスター・シキミは、もう一度アニスの顔をのぞくと、涙目で笑いながらささやいた。
「次に会うときは、少しはレディになっているといいのだけれど」

 シュウカイドウの退院の日、久しぶりにアニスはツバキと顔をあわせた。シュウカイドウがアニスとツバキ、ハッカを食事に誘ってくれたのだ。シュウカイドウが負傷した日から顔をあわせてなかったので、実に二週間ぶりとなる。
 アニスを連れコミューンの繁華街に行くというシュウカイドウに、ウツギは難色を示したが、帰りは迎えをよこすということで何とか了承を得た。
 にぎやかなアジアンレストランで、四人は再会を祝って乾杯をする。
「きみたちには世話になった」
「いえ、わたしこそ……もう大丈夫なんですか?」
「ああ、大事ない」
 心配そうにシュウカイドウを見るアニスは、今日はきちんとプレスされたワンピースを纏い、ほんのり化粧もしている。ツバキは正視しつつもコメントに困った。
「……何か、アニス博士、いつもと違うな」
(そこはきれいですね、だろ。ツバキ。口下手かよ!)
 小声で突っ込むハッカもひと苦労だ。アニスは照れながら慣れない装いに下を向いた。
「出かけるって言ったら、勝手にスタイリングされたんです」
「うむ、退院したらアニスがきれいになっていたのでぼくも驚いた」
「さすがセレブ、ほめ上手だ……」
 ハッカもつい感動して声に出してしまう。そんな和やかな雰囲気の中、シュウカイドウが改まってグラスを置いた。
「母上のことだが……ぼくにも責任がある。遺族には、一生かけて償うつもりだ——だからアニスも、ぼくにできることなら何でも言ってくれ」
 そう伝えられ、アニスは自分も遺族なのだと思い出した。
 学院を訪れた日、シスター・シキミは、スイレンは城の刺客に追われ亡くなったのだと言った。おそらく、彼女の出産に気づいたユウカゲが手を下したのだろう。
 ただ今は、誰を恨む気にもなれない。自分は護られながら成長し、かけがえのないひとたちとの出会いもあったからだ。
 シュウカイドウが会計をすませている間、ハッカがツバキに耳打ちをする。
「いいか、ツバキ。シュウカイドウさまのスマートな口説きを見習えよ」
 ツバキがふり返ると、ハッカはシュウカイドウをともなって店を出るところだった。
「シュウカイドウさま、この先に新しい回転焼きの店ができたんです。よろしかったらお土産に——あ、アニス王女はタコ焼きを、ツバキがいっしょに買って参ります」
 せわしく去って行くハッカたちから取り残されたふたりは、顔を見あわせとりあえず街を歩き出した。言われた通りタコ焼きは買ったもののどこへ行くあてもなく、雑踏を抜けた公園のベンチに腰を下ろす。
 何を話せばいいかわからず、ツバキはぽりぽりと顎をかきながらつぶやいた。
「……王子、アニスって名前で呼んでたな」
「わたし、アニスですから」
「そーいうことじゃなくてだな」
 大きな目で不思議そうにのぞかれ、ツバキはぐっと息を呑んだ。
「ア、アニ……アニサキスって何だ」
「魚介類につく寄生虫です。感染しちゃったんですか?」
「違う」
 ツバキの話はよくわからなかったが、以前も灰都でこんなことがあったなと、アニスはくすりと思い出し笑いをした。
 こんな他愛のない話をする機会は、これからはもうないだろう。
「リクドウさんは、わたしにとって勇者です」
「——何だ? いきなり」
 呆れたように片眉を上げるツバキを、アニスはまっすぐに見る。
「だって、二度もわたしを助けてくれたじゃないですか」
「あー……憶えてないのか。アニス博士も二度、おれのこと助けてるんだぜ。ほら、灰都のビルで一度目は机の山崩してさ。二度目は、偽ウサギから躰はっておれをかばってくれた。工場を救い、国を変え、ほんとの勇者ってのは、あんたみたいなやつをいうんだ」
 ツバキは笑い出しそうな口許で言った。照れたような、くすぐったいような、夏休みが始まる前の、子どものような笑顔。  
 アニスはとたんに切なくなり、ぎゅっと鳩尾をおさえた。
「あ、あの、リクドウさ——」
 言いかけたとき、通りの向こうに黒のロールスロイスが見えた。
「——お迎えだ」
 ツバキはすっと立ち上がると、
「じゃあ……いや、どうか元気で——」
 片膝をつき、アニスの前で深々と頭を垂れた。
 目の前にいる者に途方もない隔たりを感じ、アニスはこれほど悲しかったことはなかった。
 冒険は、終わったのだ。
 黒服が見守る中、アニスとシュウカイドウは静々と車へ乗り込む。ツバキは心の中で素直に祝った。
(よかったな、アニス博士)
 アニスがどんなに遠い存在になろうと、その気持ちに変わりはなかった。これからは、近衛兵として護衛していけばいいだけだ。
 
 クーデターの間はどこへ身を隠していたのか、いつの間にかもどって来た三人の元老院とウツギに囲まれた円卓で、アニスはもぞもぞと身をゆらしていた。アニスをふくめての初めての議会である。
 自分も議席のひとつにすわっているのだが、上座であるうえに恐ろしく背もたれの高い豪奢な椅子で居心地の悪さときたらない。
 おまけにサーブされた割れそうに薄いティーカップは、ハンドルがせま過ぎて指が通らず、さっきから飲むのに苦戦している。
 心の支えといったら、シュウカイドウが同じ円卓の対極にいることくらいだ。そのシュウカイドウは、さっきからまじまじと元老院を観察していた。
(あの三人、どこかで見たことが……)
 そんな若者ふたりとは対照的に、ウツギはうきうきと議長を務めていた。
「では、来月の戴冠式についてだが、アニス王女」
「へっ?」
 青くなって、アニスは思わずティーカップをがちゃんとソーサーに置く。
「あ、あの、戴冠って、わたしまだ未成年ですけど……」
「もちろん、王女が成人するまでは、議員と元老院でフォローする」
「わたし、王さまのお仕事なんてわかりません!」
「なあに、現場に出ればそのうち慣れるから」
 ウツギは軽い口調で国務をぽんと投げて来る。
(そんな、工場の業務と同じこと言われても!)
「ちょ、ちょっと待って下さい」
 キャッチボールのように続くふたりの応酬を見ながら、シュウカイドウが挙手した。
「父上、ほかの議員の意向も聞いてみては」
 ここ二ヶ月で見違えるように頼もしくなった息子にたじろぎながら、ウツギはコホンと咳払いをし、元老院のひとりに発言を委ねた。
「では戴冠はさておき、まずはアニス殿が国の長にふさわしいかどうかを見定める必要がある。王女自身が無断でお開けになったドームの処置について、ご本人の口からお考えを頂きたい」
 ウツギは余計なことを、という苦い顔で元老院を睨み、アニスも若干責められている雰囲気を感じとり、やや尻込んだ。
 どう、返せばいいだろう。ここで論破することに意味はない。かといって、言いくるめられるつもりもない。
(自分の感覚を信じろ)
 ツバキの声が胸に湧いた。
(そう、自分が信じたことを、まっすぐ伝えるんだ)
 アニスは立ち上がり深呼吸をすると、円卓を見回し丁寧に述べ始めた。
「ドームを——クーデターを止めるためとはいえ、グレーターの許可なく勝手に開けてしまったことは謝ります。でもわたしは、この国にドームは必要ないと思います」
 とたんに一同がどよめいた。さすがのシュウカイドウも動揺している。
「歴史ある桜城が、灰で汚れてもいいということですかな。聞き捨てなりませんな」
「まったく。ゆゆしき発言です」
「待って下さい。最後まで王女の話を聞いて下さい」
 ざわつき出した元老院を鎮めるように、シュウカイドウが助け舟を出す。ウツギはおろおろと事の成りゆきを見守るばかりだ。
「混乱させてしまい申し訳ありません。ただわたしが言いたいのは——ひとはおのずから自分で幸せになる力を持っている、ということです。みなさん、緋ノ島を訪ねられたことはありますか?」
 みな一様に首をふる中、ウツギが肩をすくめる。
「一度視察に行ったことはあるが、ひどい場所だ」
「でもわたし、緋ノ島やスクラップへ行ってわかったんです。なぜひとはこんな不便な場所を出て行かないのか。それは、この国が好きだからなんです」
 いきいきと語るアニスに、誰も口を挿む者はいなかった。
「緋ノ島は功罪の島です。住民は灰と共存して生きています。国が灰に埋もれても、そこから芽吹く木があるように、ひとは決して滅びません。施設によっては覆いも必要でしょう。でもそろそろ、わたしたちも本物の空の下で暮らしませんか」
 話を聞き終えると、三人の元老院は揃って席を立った。
「——長かったですな」
「いや、本当に」
 何かまずいことを言ってしまったかと、アニスは戸惑って引き止める。
「あ、あの、みなさん……!」
 去ってゆく三人の後をあわてて追うアニス。地下まで来たとき、ひとりがふり返ったかと思うと、
「ようやく我々もこれで引退できますよ」 
 と、一言を残し姿をかき消した。アニスたちは、ぽかんと三人を見失った辺りに立ち尽くす。シュウカイドウがはっと声をあげる。
「あっ、やっぱり……!」
 三人が消えた場所には、碑文が彫られた石碑が建っていた。三人の元老院によく似た、『三賢者』のレリーフとともに——
「ま、まさか……!」
 ウツギがあわあわと腰を抜かし、石碑を凝視する。
「ずっと、城を、我々を見守っていたのか……」
 千人目の世継ぎは王国を開く者——
 実は数えたウツギしか知らないことではあったが、千人目となる王家の子は、アニスではなくシュウカイドウだったのだ。息子に玉座を任せる気がなかったウツギは、あえて偽って報告していた。当然、三賢者たちは知っていた事実であろうが。
 シュウカイドウが、父親の腕を力強く取って立たせた。
「——父上、この碑に誓うよ。ぼくもこの国を作る礎になるって」
(……碑文は真実だったのだな)
 彼らの手の上で踊らされていたかと思うと少々悔しくはあるが、すっかりたくましくなったシュウカイドウを見上げ、ウツギは満足げに諦念の笑みを浮かべた。
「とりあえず、我々もマスクとゴーグルを常備せねばな」
 
 数日後、城の図書館では、残った謎解きに挑むシュウカイドウがいた。アニスも協力すると言ってきたのだが、これはひとりで解きたかったのだ。
『重くて軽い、長くて短い、苦くてあまい。それなんだ?』
(今ならわかる、これが答えだ)
 ブロックに書き込むと最後の階層が開き、図書館に膨大な書庫が現れた。シュウカイドウが喜びに天に向かって両手を仰ぐ。
 みんな知ってる、みんな持ってる、この気持ち。そう、答えは——

 
 2130年 5月某日
 図書館の答えが解かれたとき、この国は少し変わるだろう。
 そのときわたしがこの世にいなくても、国を愛する者がいればいい。
 この、灰で汚れた王国を——
(これが最後のページとなる)


「配転……か。ま、あんだけ騒ぎを起こしたんだし当然だよな。別にいいけどよ」
 王女を見つけ出した功績をさし引いても、指名手配されたり車を盗んだり塔牢を破壊したりと(そこは自分のせいではない気もするが)、ツバキの失態は始末書だけでは済まされなかった。
 無事賞与は出たものの、リクドウ卿への借金の返済と塔牢の修理でほぼ使ってしまった。結局ツバキはレイチョウの代打として、例の副業を担いながらのスクラップ勤務となった。
 見送りのプラットホームで、餞別のようにレイチョウが『アカザ』のバンダナをツバキに託す。
「若いうちの苦労は買ってでもしろと言うからな」
「……へいへい、お言葉痛み入ります。でも少佐が灰都に行かなくなれば、チビがさびしがりますよ」
「アオイは、コミューンの美術学校に入れることにした。休暇には、そっちに連れてもどる。お前は心配せずに業務に励め」
 相変わらず高圧的な笑みのレイチョウに今度はしっかり敬礼すると、ツバキはひとり列車に乗った。
 遠ざかってゆく『丘』を見ると今や蓋のように覆いかぶさっていたドームはなく、城は灰の中、まっすぐと新芽のように天にのびていた。
 ぼんやりと車窓の外を眺めていると、ふいに通路から声をかけられる。
「お隣り、いいですか?」
「ええ、いいっスよ——」
 ふり返ったツバキは、シートがひっくり返りそうになるほど仰天した。
 大きなトランクを下ろし、白衣のアニスが照れたように笑って通路に立っている。
「おまっ……アニ……いや王女!?」
「えへへ、わたしも来ちゃいました」
「来ちゃいました、じゃないだろ! 何やってんだ!」
 額にだらだらと汗を流すツバキにおかまいなしに、アニスは荷物を備えつけのラックに上げる。
「スクラップ地区に面する湾が、輝安鉱の採地だって明らかになりましたよね。わたし、王の後を継いで、レアメタル応用学の研究をするために来たんです。鉱床はX線の調査で——」
「いや、説明はいい、いい。どうせよくわかんないから」
「そうですか。とにかく、これで灰都も以前より経済が安定すると思います。マンホールタウンの住民のひとたちも、地上でお仕事できそうなんですよ」
「そうか、そりゃよかった……いや、それはともかく護衛はどうした!」
「あら、スクラップ駐在の気鋭の近衛兵がいるじゃないですか。ここに」
「いやいやいや……研究員だって他にもいるだろ? 何でわざわざあんたが、ここに来るんだよ!?」
 シートにじりじりと後退るツバキに、アニスは真面目な顔で答えた。
「……そばにいたかったから」
「へ?」
「リクドウさんの——そばにいたく、って……」
 アニスの顔がぐしゃりとゆがむ。堰き止められていたダムが崩壊するように、込み上げる嗚咽を抑えきれず、アニスは泣きじゃくった。
 わけがわからずツバキは硬直する。
「……お、王国は誰が?」
「ひっく……シュ、シュウカイドウさまが継ぎます。海外の大学に留学して、何年か後ですけど。わ、わたし、わたしは……」
 説明するそばから、また涙が出てくる。アニスはもうまわりも気にせず、ツバキの胸に飛び込んでわんわんと大泣きした。
「リクドウさんのそばにいたいんです。お仕事の邪魔はしません。だめですか? わたしがいっしょに行っちゃ、だめですか?」
「……いや、別にだめじゃない」
 ツバキは一度だけ、ぎゅっと力を込めてアニスを抱きしめた。
 だがそこは人目があるので、アニスの肩越しの乗客に気まずそうに苦笑いを送る。
 抱きつかれたまま一時間。いくつものトンネルを抜け、再び灰の街が近づいて来た。けぶった車窓越しに、アニスは最初で最後だと思っていた冒険が、また始まるのを感じる。
 相変わらずの曇り模様でも、ふたりは広がる空のまぶしさに、思わず笑って目をつぶった。

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