2113年 10月某日
 王には、新しい侍女がついた。彼女はずっと、彼に好意をよせていたらしい。お役目をうれしそうに話す。これでよかったのだ。
 だが、この苛立ちは何だろう。わたしは彼のような天才ではないが、この気持ちがどこから来るのかを確かめたい。

 
 アニスが工場にこもったまま、数日が過ぎた。なかなか新商品が思いつかず、うろうろと徘徊するアニスを、他の作業員たちも心配そうに遠巻きに窺っている。
 松葉杖なしで歩けるようになったツバキは、アニスを街へ連れ出した。
 追っ手や刺客は気になるものの、ゴーグルとマスクは着用しているし、過敏に行動すれば逆に目立つ。
(それにまさか、王女が辺境の灰都にいるとは相手も思うまい)
 それでもいちおう、尾行に気づけなかった失敗をくり返さないために、ツバキは車道側を選んで歩いた。
 そんなツバキの横を、アニスは不安げにとぼとぼと歩く。
「こんなぶらぶらしてるだけで、新商品を開発できるんでしょうか。聞き込みとかしたほうがいいんじゃ……」
「そんなの、みんなやってる。他と同じアプローチじゃだめだ」
 とりあえずふたりは、症状の気になっていたアオイを見舞うため、ケーキを持って医療院を訪れた。アオイは頬のガーゼが痛々しかったが、喜んでふたりを迎えてくれた。
 ツバキが、深々と頭を下げる。
「——すまなかった、チビ」
「リクドウさん、チビじゃなくてアオイですよ」
 失笑を抑えつつ耳打ちするアニスだったが、アオイはふたりのやり取りを楽しそうに観察している。アニスがケーキを皿に取り分けている間、ツバキは躊躇いながら尋ねた。
「その……痕は残るのか」
「ううん、ちゃんとぼく、お嫁にいけるって」
「嫁!?」
 アオイの性別を知らなかったツバキは頓狂な声をあげ、皿のフォークを取り落とした。青くなってまじまじと目の前の『少女』を見る。
「お、おれ、とんでもねェことを……!」
「いいんだ、リクドウ。でもその代わり、工場を助けてよ。ぼく、あそこがなくなったら行くところがないんだ」
 困ったようにアオイが笑う。買収されれば、アオイのような子どもはまっ先に切られるだろう。
 ツバキは意を決したようにごくりとつばを呑み込むと、親指を立て自信に満ちた笑顔で応えた。
「任せろ、絶対に工場は乗っ取らせねェ」

「……あんな大見得を切っちゃって、どうするんですか。無責任ですよ、リクドウさん」
 ふたりはドーナツショップのカウンターに腰かけ、大きなガラス窓から道行くひとを眺めている。
 今のところ、新しい石けんについて何の策もない。紙コップの薄いコーヒーをすすりながら、アニスは不機嫌にツバキを見た。
 何の根拠もないこと、不確かなことを堂々と口にするのは、アニスにとって嘘の論文を発表するのと同じだ。
 小さなころから、不思議なことを解明するのが好きで、実験したり研究を重ねたりしているうちに、いつの間にか『博士』と呼ばれる立場になっていた。
 だがアニスにとって、もの作りはただの趣味で、こんなふうに責任やリミットに迫られるものではなかったのだ。
「まず需要をリサーチして、データ化しなきゃ。パッチテストだって……」
「パッチンテスト?」
「パッチテスト、皮膚アレルギーの試験です!」
 当然、マイナスからの現状に焦りを感じ、ピリピリしてしまう。
「怖いか」
 おだやかに尋ねるツバキが馬鹿にしているように思え、アニスはむっとしてコーヒーをカウンターに置いた。
「怖いんじゃありません! できるかどうかもわからないことを断言するのは、間違いだって言ってるんです」
「責任は取る。だからアニス博士は、あんたにしかできないことをしてくれ」
「そんなこと言われたって——!」
 めずらしく尖った口調のアニスに、ツバキは呆れたように肩をすくめる。
「あんたさ、頭でっかちなんだよ。アイディアなんて水ものだ。理づめで考えてばっかじゃ、いい案も浮かばねェよ。既存の商品作るんじゃない、できるかどうかわからねェもん作るのが『博士』なんだろ?」
 ツバキからまさかのまともな言葉が出て来たせいか、アニスは反論することも忘れ、唖然と口を半開きに開けた。
「そうだなあ、例えばよ。あんた、花は好きか?」
 唐突に何の脈絡もないことを尋ねられ、さらに困惑する。
「何を思って花を見る? 花弁の数や種類をいちいち考えながら見るのか?」
 アニスの頭に、寄宿舎の庭に咲いていた月下美人が浮かんだ。
 一晩しか咲かない花。開花に出会えただけで、幸せになれる花。
「ううん、きれいだって、いい香りだって……」
「だろ? 自分の感覚をを信じろ。それでいいんだよ」
 ドヤ顔で口角を上げるツバキに、アニスも冷静に質問をかぶせる。
「で、花が何なんですか?」
「——あれ? おれ、何が言いたいんだっけ」
 自論に混乱し焦るツバキがおかしくて、アニスはぷっとふき出した。
「——わかりました。まずは何が売れるかとかより、わたしがいいと思うもの、作りたいものを好きに作ればいいんですよね?」
「そうそう、そーいうこと」
「でもデータ化、数値化もわたしの『好きな』やり方なので、そこは譲りませんよ」
 挑戦的に微笑むアニスに、ツバキもほっとしたようだ。
「やっとエンジンがかかったな。で、どんな石けんを作るんだ?」
「そうですね……」
 アニスは紙コップの中を見つめて考えた。
 何かを作ることは、ずっと好きだった。けれど、それが誰かの役に立つことが、こんなにも自分の喜びになるとは思わなかった。
「まずは、幸福度の反比例を考えたいと思います」
「幸福度の反比例? 何だそりゃ」
 ツバキは片眉を上げ、顔をしかめた。
「わたし、スクラップに実際来て、経済の豊かさとそこに住むひとの満足感が、釣りあってないように思えたんです。灰都のひとたちのほうが、コミューンや桜城の住人より、何だか毎日笑ってるなあって」
 確かに、アカザを筆頭とする工場の作業員たちは、人生を楽しんでいる気がする。
「石けん作るのに、それが何か関係あんのか?」
 未だ理解できないツバキに、アニスは堂々とプレゼンを始めた。
「わたしが作りたいのは、製作側も消費者も幸せになる石けん。まずは国民総幸福量(GNH)の増加を目指します。そこで、最下層のさらに先、緋ノ島に取材に行きたいんです」
「あ、緋ノ島!? オレンジ畑しかねェぞ、あんなとこ」
 さすがのツバキも、声がひっくり返って驚く。だがアニスは、確信を持って湾の向こうの火山を見すえた。
「だからこそ、何か幸せのヒントが隠されてる気がするんです」

 港へ行くと、ちょうど船を出すところだった中年の漁師が、島まで乗せて行ってくれることになった。
 船はフェリーやまっ白なボートなどではなく、コミューンでは見たこともない、煙突付きの古いタイプの漁船である。
 十五分ほどで対岸の島に着くとはいえ、スリリングな乗船だ。ディーゼル臭のする黒煙に、ふたりは早々にマスクをつける。
「……レトロですね、リクドウさん。いつの時代の乗り物でしょう」
「素直にボロいって言えよ。島に着く前に海上で爆発するんじゃねーか、コレ」
 ひそひそと移動手段を訝しむ声を知ってか知らずか、漁師は慣れた手つきでエンジンを始動する。
「兄ちゃん方、あげな灰だらけんとこ行きたいたあ、変わっとるねえ」
 やはり、島にわたるのは、観測所の研究員か農家の人間くらいしかいないそうだ。
「何しに行くの? 若い子が興味を持つようなもん、何もないよ」
 よほどめずらしいのか、運転しながらも興味深々に、操舵室から漁師はぐいぐいと訊いてくる。
「でえとね?」
「違ェーよ」
 つまらなさそうに即答するツバキに、アニスの胸はなぜかちくりと痛んだ。
(……そうよね、わたしといっしょにいるのは、リクドウさんにとって仕事なんだもの。こんなところまでつきあってもらうのも、ほんとは迷惑なんだろうな)
 もうひと月も行動をともにしていたので、目的を忘れそうになっていた。アニスのDNA鑑定がすめば、どういう結果が出ようとそこでお別れなのだ。
「リクドウさんは、わたしが王女だったらいいと思いますか?」
「そりゃ、本物の王女を捜すのがおれの仕事だし……」
 歯切れの悪いツバキに、アニスは黙ってうつむく。
 やっぱり、仕事の一環なのかなと、アニスはツバキの様子を窺いながら訊いてみた。
「わたし、やっぱりお城に行かなきゃいけないんでしょうか」
「——全部、すんだらな」
 操舵室のほうを向いたまま、ツバキはふり返りもせず答える。
「でも、わたしがもしも王女だったとしても……王さまはもういないんですよね?」
「王はいなくても、国という領地が手に入るだろ」
「わたし、領地なんていりません」
「馬鹿やろう! 権力なんて、そうそう簡単に手に入るもんじゃないんだぞ」
 こぶしをにぎり思わず力説するツバキを、アニスは呆気に取られ見つめる。漁師も何事かと顔をのぞかせた。
「……あ、いや、すまん。何か、せっかくのチャンスをもったいねェなって」
 我に返ったツバキは一瞬間を置くとため息をつき、一息に吐露した。
「……おれんとこの実家、執行能力のない馬鹿親父のせいで領地手放しちまったからよ」
 何だか聞き覚えのある話だ。アニスはシスター・シキミから聞いた言葉を、思わず口走っていた。
「あ、没落貴族?」
「——うっ」
 ツバキは、やや胸にダメージを負ったようだ。アニスはあわてて、ぶんぶんと手のひらをふり謝る。
「す、すみません! 以前ちょっと聞きかじっただけで」
「い、いや、結構なニュースになったからな……」
『アケイシア伯リクドウ卿』。それがツバキの父だ。
 伯爵の爵位を持ちながら、資金不足のため管理できなくなった城も土地も売り払い(ツバキ曰く、方々の女性に注ぎ込んだせいだという)、今では領地だったエリアの一角で、小さなオーベルジュを営んでいるらしい。
 だがアケイシア地区は市民街からすれば郊外ではあるが、広々とした高原の別荘地だ。コミューンの中でも比較的降灰量が少なく、避暑地としても人気が高い。
「——すごい、お家柄だったんですね」
 驚くアニスに、ツバキは操舵室に聞こえないよう船尾に移った。
「……すごかねーよ。おれなんて実際、どの女の子どもかもわかんねェらしいし、所詮ウチは没落貴族だし……」
「あの、ほんとすみません……」
 どうやら地雷を踏んでしまったらしい。アニスは躊躇いながら訊いてみた。
「リクドウさんは、それで近衛連隊に入ったんですか?」
「ああ、軍人なら食いっぱぐれることねェしな。でもおれは親父とは違う。ここで功績を上げて、いつかリクドウ家を興し直すのが夢なんだ」
 そう語るツバキのまなざしは、降灰の中でも輝いていた。
(——夢。リクドウさんもアオイも持っている)
 自分にはまだない。だがこの仕事を達成したら、灰で曇った未来が少しだけ開けそうな気がする。
 アニスは、ゴーグルをはめると下船を待った。

 初めて緋ノ島にわたったふたりは、船着き場で眼前の火山を見上げたまま、立ち止まった。いつも湾越しに見えていた、けぶったシルエットとは違う雄大な姿に言葉を失くす。
 漁師は夜にまた来ると言い、たも網を持って湾に出て行った。
 かすかな硫黄臭と灰の匂いに、違う世界に来たような畏怖を感じる。コミューンやスクラップで見て来たざらざらとした砂粒ではない、ここに降る灰は雪のように幻想的だ。
 土石流や溶岩流の跡を恐る恐る歩きながら、アニスは岩の間から顔を出す小花に目を見はった。灰のせいで、草一つ生えない土壌だと思っていたのに。
(でもよく考えたら、ミニオレンジは育つんだ)
 山頂へ続く道に、ビニールハウスの畑が段々と見える。ふたりはまず農家を訪ねてみることにした。
 オレンジ農家の老人はふたりを見ると驚いたものの、快く家に招いてくれた。老婦人がお茶と干物のお茶請けを出してくれる。
「幸せかどうかねえ。考えたこともないねえ」
 唐突な質問に、ふたりとも戸惑っているようだ。
「ミニオレンジを、本土で作ろうとは思わなかったのですか?」
「ウチは先祖代々ここで畑を作ってるよ。ほかの地ではあまみが出ないのさ。この水はけのいい、軽石をふくんだ大地の緋ノ島でないとね」
 灰の土壌に適した栽培があったこと、この辺境でなければならない理由があったことが、アニスにとっては衝撃だった。だが、暮らすとなるとまた話は別だ。
「降灰が生活に不便ではないですか? 大噴火の恐れもあるし」
 実際、昔は島のハザードマップも公表されたこともあるという。
「災害が起きたときゃあ、そんときはそんとき。逃げるだけだよ」
 笑って話す老人に、老婦人も微笑んでお茶を注ぎ足す。
「それに緋ノ島は災害だけじゃない、ちゃんと恵みもくれる神さまがいるのよ」
 神の加護のないと言われてきた灰桜国のはずだが、老婦人はなおも続ける。
「不便は楽しむしかないわね。どのみち、灰は毎日放出されるんだし。ほら、このお湯呑み、灰でできてるの。この小魚も灰干しで作ったのよ」
 アニスたちはびっくりして、湯呑みをしげしげと見返した。どっしりとした大地の色の素朴な器。小魚も臭みがなく、ほくほくとおいしい。
 驚くふたりの反応がおかしかったのか、老婦人は自分の手ぬぐいとエプロンを自慢げに広げた。銀色の模様が、かわいらしく並ぶおそろいのデザインだ。
「これも、火山灰。灰の染料で刷ったのよ」
「——つ、作り方を教えて下さい! 全部!」
 取材を忘れてのめり込むアニスが想定内だったツバキは、あきらめて待つことにした。手持ち無沙汰なツバキに、老人が話しかけて来る。
「あんたたち、遊びに来たんじゃないんかね?」
「いやー、石けん作るために取材に来たんスよ」
 ツバキが、肩をすくめてお茶をすする。意味がわからんと言われるかと思ったが、老人はよいしょと一度奥へ引っ込むと、何やら手にかかえるほどの壺を持って来た。
 中を確認したツバキが、不思議そうに目を細める。
「これは、灰? いや違う……」
 降灰よりも白く、さらさらと粒子は細かい。老人は中身を手に取ってツバキに見せた。
「これは、白砂だよ」
『シラス』とは、火山灰の堆積物であり、コミューンでも地層として諸所に見られる。
「わしらはこんなふうに使うのさ」
 意図がつかめずにいるツバキを、老人は台所へ連れて行った。

「——アニス博士!」「リクドウさん!」
 ふたりが同時に別室から飛び出して来る。紅潮した顔を興奮気味に見あわせ、お互い大きくうなずく。
「灰都へもどろう!」
「はい!」
 ふたりは農家の老夫婦に深く礼を言うと、迎えのオンボロ船に飛び乗った。漁師が朗らかにツバキをからかう。
「兄ちゃん、来たときとは違って晴れ晴れした顔しとるねえ。でえとがうまく行ったとね」
「ああ、意義ある『でえと』だったぜ。感謝する!」
 ツバキは額の包帯をシュッとはずし、風に流した。

 その頃、コミューンの市民街では、ハッカとシュウカイドウがツバキの足取りを捜索していた。城からそのまま出て来たシュウカイドウに、ハッカが心配そうにささやく。
「王子、変装とかしたほうがよかったのでは……」
「メディアへの露出が多い父上ならともかく、引きこもりのぼくの容貌など、誰も知らんだろう」
 シュウカイドウが自嘲気味に笑う。
 確かにゴーグルとマスクで人相などわからないが、下町の繁華街を由緒あるロイヤルファミリーのシュウカイドウを引っぱりまわしていいものかと、さすがにハッカは迷う。
 だが当の本人は、ものめずらしげにきょろきょろと辺りを見回し、
「ヨシノ、あれは何だ。何かの罰なのか」
 と、鼻ピアスの青年をふり返らせ、
「ああっ、ヨシノ、あの者たちはどうしたことだ。頭に模様が!」
 ヘアタトゥーの愚連隊に揃って睨まれる始末。ハッカがあわててシュウカイドウの口をふさぐが、ちょっと目を離すと呼び込みの店員に捕まり、煌々しい看板の店に連れ込まれようとしている。
 夕暮れにはぐったりと疲れたハッカであったが、ひとしきり興奮し空腹になったのか、シュウカイドウがひとつの露店を指さした。
「ヨシノ、あれを食してみたいな」
「回転焼き……ですか?」
 伝統的な菓子であり、グレーターのデパートなどでも売っているはずだ。シュウカイドウは口にする機会がなかったのだろうか、とハッカは首をかしげた。
「母上が不衛生だと言って、実演で売られているものは、買わせてもらえなかったのだ」
「ユウカゲさまは、王子のことが大切でいらっしゃるんですね」
 ハッカは微笑ましく言葉をかけたが、シュウカイドウは何か言いたげに微苦笑した。
 ふたりで、シュウカイドウ曰く「禁じられている」食べ歩きをする。
「……う、うまいぞ、ヨシノ! 回転焼きとは餡がつまっているものと聞いていたが、これは餅も入っている!」
「ここのは栗も入っていますよ。お気に召して頂きよかったです」
 ようやく落ち着いたのか、回転焼きをほおばりながらシュウカイドウがつぶやく。
「……もう夜だというのに、みな働いているのだな」
「そうですね。夜から開く店もありますし。そういえば確か、この辺りでリクドウのGPSが消えたという報告が……」
 そこは細い路地がいくつも交差する雑多なエリアで、ひとひとり見つけるのは困難な迷路だった。
「リクドウは、何しにわざわざこんなところまで来たのだ? 車を盗んだと聞いたが、逃げるなら、もっと人目のつかない遠い場所がいいだろうに」
 不思議そうに首を捻るシュウカイドウに、ハッカが顔を上げる。
「もしかしたら、コミューンのヌシに会いに来たのかもしれません。あの子のことを聞いたと言っていましたし」
「あの子?」
「王子もお会いになられているのでは。図書館にいた少女ですよ」
「ああ、リクドウが痴漢を働いたという……」
「そ、それはさておき、その少女です」
「あの白衣の少女は何者なのだ? リクドウは、なぜ彼女を連れて逃げた?」
 シュウカイドウにじっと見つめられ、ハッカは返答につまった。
 ツバキは彼女が王女だと目星をつけているが、そんな不確定な情報を王家所縁の者にもらしていいものか。
 頭をかかえるハッカを察してか、シュウカイドウは残った回転焼きを口に放り込むと、先に歩き出した。
「よし、とにかく、そのヌシとやらに会ってみよう」
 早速、サンドバイクを路側帯に停めているドレッドヘアの男を捕まえ尋ねる。
 よりにもよってそんながらの悪そうな男に……とハッカは身がまえたが、男は存外親切に案内してくれた。
「ただのババァじゃねえからな」
 という、忠告も添えて。

 教えられた先は怪しげな雑貨店で、ヌシとやらも人間離れした風体の人物だった。手始めに駄菓子を箱ごと買わされたハッカは、ぶつぶつと文句を言いながら財布をしまう。
「桜城近衛連隊の、リクドウ二等兵がここへ来たと聞く。彼の行方と、同行していた少女の素性を知りたい」
 猜疑心満々のハッカとは対照的に、ストレートに尋ねるシュウカイドウを、店主はじっと見つめた。
「その情報は、子どものおやつなんかじゃ足りないねえ」
「下手に出ていれば……この方を誰だと——!」
 カウンターに乗り出すハッカをシュウカイドウが制し、
「これで足りるか」
 と胸のポケットから、王家の紋の入った金の万年筆をわたす。
「ああっ、あんな高価なもの……!」
 後ろで指をかむハッカだったが、店主は満足げに万年筆を空に翳し、ニヤリと笑って言った。
「リクドウ二等兵は、近衛連隊少佐レイチョウの城へ向かった」
「レイチョウ少佐って……ぼくの上官の?」
 ハッカが眉根をよせ、シュウカイドウを見る。
「ハオウジュ将軍はレイチョウと連絡がつかないと、最近苛立っていた。父上も、レイチョウの有給の取り過ぎには困ったものだと」
「レイチョウ少佐の城って、どこにあるんですか?」
「確かコミューンのはずれだ」
 ハッカとシュウカイドウは、互いに顔を見あわせた。
「シュウカイドウさま、ぼくはまだ、レイチョウ少佐にお会いしたことがないんです。凄腕の軍師と聞きますが、どのような方なんですか?」
「レイチョウはいかなるときも取り乱すことのない、冷静な男だ。宴の席でも酒も嗜まず騒がず、品がいい。極めてストイックで硬派で軍人らしい人物だ」
 シュウカイドウの分析に店主がぶはっとふき出すが、訝しげな視線のふたりに取り直したように言葉を加える。
「まあ、リクドウたちが城に無事着いたかは不明だがね。少女のほうは、名をアニス・リィという。聖マツリカ女学院の生徒で、博士の称号を持つ天才少女だ」
「アニス……」
 シュウカイドウは趣深くつぶやく。だが店主はいつもの調子で、嘲笑するようにひゃっひゃっと肩をゆらした。
「恋慕を抱くには早いよ、ぼっちゃん。あの少女はおたくの一族かもしれないからねえ」
「あっ、ババァ! 何バラして——!」
 つかみかからんばかりの勢いのハッカを抑え、シュウカイドウは店頭を見すえる。
「かまわん、話せ」

 店の奥に上がり込み、おおよそのいきさつを聞いたシュウカイドウは、しばらく無言でうつむいていた。
「……あの、王子、DNA鑑定がすむまではまだ決まったわけではありませんから」
 ハッカは気落ちしているように見えるシュウカイドウを気遣って言ったのだが、ふり返った彼は、
「何を言う、ヨシノ! ぼくは今、希望にあふれている! 彼女が近しい存在ならば、こんなにうれしいことはない。ぼくはずっと、あの城でひとりだった……ぼくにはわかる、彼女は同士だ!」
 と、涙を流し喜びを訴えた。
 シュウカイドウのあまりの感嘆の昂りに、失礼ながら少々引いてしまったハッカだったが、わずかながら王家の背景が見えて来た。
 政治にしか関心のない父、息子に執着する母。桜城には、何かが過剰で何かが足りないのだ。
 そんな偏った環境の中で育って来たシュウカイドウが、さみしさの行き場を書物に求めるのもわかるような気がした。
「真実を話してくれて礼を言う、『老爺』」
「老……ええっ!?」
 ハッカが店主を二度見する。ニヤニヤと顎をさする『ババァ』に対し、たらりと焦燥の汗が流れるが、反転感心したように息をつく。
「……すごいな、王子は本質を見抜く力がおありです」
「いや、今日は自分が無知だと知った、記念すべき日だ。本だけでは知り得ぬ世界があるのだな……そなたにも感謝する、ヨシノ。さあ、ぼくらもレイチョウの城へ向かおう!」
「はい、王子!」
「盛り上がってるとこ悪いけど、アンタ呼び出しが鳴ってるよ」
 店主の言葉にハッカがあわてて、後ろポケットの携帯を取り出す。画面を確認すると、青くなって携帯を取り落とした。
「緊急連絡です、王子……桜城でクーデターが!」