恋の駆け引き~イケメンDr.は新人秘書を手放せない~

トントン。

「おはようございます」
ノックの返事も待たず、武広が顔を出した。

理由はわかっている。
きっと昨日の欠勤に文句を言いたいんだ。

「並木さん少し外してくれる?」
彼女に席を外すように言い、俺の前に立った。

そして、ジーッと睨んでいる。

「言いたい事があるんだろう、言えよ」
自分に非があるのは分っていて、それでも強い言葉が口を出た。
「お前はないのか?」
すでに敬語でなくなっているのは怒っている証拠。

「昨日は考えをまとめたいことがあって休んだ。すまなかった」
どんなに強がっても、武広には通じない。
意地を張るだけ無駄だ。

「リストラか?」
心配そうな顔。
「ああ」

最近の病院は電子化が進んでいる。
カルテも検査もすべてコンピュータ管理。
それに伴って、すべての業務がパソコンで行われる。
必然的に、年配者より若者の方が得意だ。
その上、不景気は病院経営も同じで、経営の健全化のためには人員はできるだけ押さえなくてはいけない。
そうなると長く勤めたスタッフから若者へのシフトチェンジの問題が出てくるわけで・・・
俺は今その難題を突きつけられている。

はあー。
また溜息が出てしまった。
「そのことはいい。お前が大変なのも分っている」
「じゃあ何だ」
「俺が言いたいのは並木くんのことだ」
ああ、そっちかぁ。

「なぜ彼女も連れて行った。彼女はまだ新人で、ただでさえ年上の秘書達から標的にされがちなんだ。昨日みたいなことをすれば必ずイジメられるぞ」
説教じみた口調にカチンときた。

「お前が止めろ。それが上司の仕事だろう」

大体、武広が黙っているから並木がイジメられるんだ。
この間のミーティングの件だって、俺はまだ納得していない。

「もちろん、彼女に非がなければいくらでも叱ってやるよ。でも、勝手に休んだのは彼女だ。それもボスと一緒に」
「ボス?」
「彼女がお前のことをそう呼んでる」

へえ。
俺の知らないところで、何を言ってるんだ。

「今回のこと、俺は何も言わないからな。自分で始末しろ」
普段は冷静な武広が、珍しくキレた。
「なあ、お前は彼女のことが好きなのか?」
「・・・わからない」

俺は、彼女が気になっている。
今まで周りにいなかった女性で、その意外性にやられている。

「本気なら、しっかり守ってやれ。俺の部下が色恋沙汰でやめますなんて言ってきたら、1発殴りにくるぞ」
「俺をか?」
「ああ、悪いのははお前だ」

確かに。
まるで10代のガキみたいだ。
自分自身、どうしていいかもわからなくなっている。

「とにかく、しっかりしてくれ。いいな」
と、武広は部屋を出て行った。
ゴホゴホ。
滅多に風邪なんかひかない、元気だけが取り柄の私が風邪を引いた。

はあぁー。
朝方から、ちょっと熱っぽい。

熱を計ってみようかなと思ってみたけれど・・・やめた。
ただでさえ仕事が遅れているのに、休むわけにはいかない。
そう思うと、怖くて計れなかった。


「どうした、食欲ないのか?」
一向に箸の進まない私を、ボスが見ている。
「大丈夫です」
「本当に?」
近づいてきたボスの手が私の額に当る寸前、

「平気ですから」
避けてしまった。

体調不良がボスにバレれば、きっと休まされてしまう。
それは避けたい。

「眠たいだけですから」
「ならいいけれど」と、身支度をするボス。

ボスのマンションに居候して2ヶ月。
変わらない日常の中で、少しずつ距離が縮まっている。
鈍感な私だって、気づいている。
でも、今だけだから。
いつかは終わってしまう関係だから。
この気持ちは、そっとしまっておこう。
ゴホゴホ。
病院に着いても、体調不良は変わらない。
「本当に大丈夫か?」
眉間に皺を寄せながら、見下ろすボス。


今朝。
普段歩いて通勤する私は、
「じゃあ、先に行きますね」
いつものように玄関を出ようとした。

しかし、
「待って」
と、腕を取られてしまった。

??

「送って行く」
「え、いいですよ」
もし先輩達に見られたら、それこそ大騒ぎ。
これ以上立場を悪くしたくない。

それでも、
「いくぞ」と、手をひかれる。
「やめてください。噂になったら困ります」
精一杯抗議したのに
「イヤなら、休むか?」
はあ?

「もう、いいです」
文句を言うのもあきらめた。
いくら言っても無駄だから。
「絶対に無理するなよ」
「分ってます。辛くなったら受診します」

本当は受診なんてする気はない。
でも、そうでも言わないと、ボスは納得してくれそうもない。

「何かあったらすぐに連絡しろ。俺が診る」
「結構です」
私にだって羞恥心はある。
ボスに裸を診られるなんて・・・・無理無理。


「いいか、俺は外来に行くけれど、休んでるんだぞ」
「はい」
「仕事はいいから、ゆっくりしていろ」
「はいはい。いいから、外来へ」
ゴホッ。
「早く外来へ行ってください」
患者さん達だって待っている。

それに、こんなところでもめてたらまた先輩達にイジメられてしまう。
ボスが外来に行ってしまってから、緊張の途切れた私は机に突っ伏した。

あーぁ。
辛い。
体が痛い。
ボスにはああ言ったけれど、起きていることが辛い。

でも、仕事は待ってくれないから。
カバンに隠し持ってきた冷却シートをおでこに貼った。
そして、パソコンに向かう。

手持ちの仕事だけこなせば午後が楽になると思うから。
このまま熱が上がれば、また仕事が遅れてしまう。

休み・・・また休み。

いつもの倍以上の時間をかけて、やっと仕事の切りがついたのは午後1時過ぎ。
結局昼食を食べそこねた。
どうせ食欲もないんだから、いいけれど。

それにしても、辛いなあ。
この体と頭の痛みだけ消えれば、もう少し楽になるのに。
・・・そうだ。良いことを考えた。
20分後。

トントン。
「橘です」
聞き覚えのある声。
「はーい」
私は急いでドアを開けた。

「えっ」
おでこの冷却シートに驚いているのは、研修医の橘先生。

実は彼、高校の2コ先輩。
部活も一緒で、かわいがってもらっていた。
それがこの春、病院の新人研修で再会してびっくりした。

「先輩、すみません」
いきなりPHSを鳴らし、「頭痛がするので鎮痛剤を買ってきてください」なんて、図々しい奴だと思う。

「買ってくるより処方した方が早かったから、院内処方で出してきた」
手に握られた薬の袋。
「うわー、ありがとうございます」

先輩が救いの神に見える。
「大丈夫?」
普段は入り慣れない副院長室に、キョロキョロしている橘先生。

「迷惑かけてごめんなさい」
突然のお願いにイヤな顔もせずに付き合ってくれて、心から感謝しています。

「・・・はい、薬」
「助かりました」
早速袋を空けて、一回分を口に含んだ。

「風邪?」
「たぶん」
「いつから?」
「昨日からおかしくて」
寒気もしていたし、咳も出ていた。

「ちゃんと受診した方がいいよ」
「う、うん」

それは分ってる。
けれど・・・そんなことすれば仕事ができない。

「心配してくれて、ありがとう」
「ああ。それはいいけれど・・・ちょっとごめんね」
そう言うと、私に近づく橘先生。


「ちょっと口開けてみて」
と、いきなり診察をしだした。

「あー、やっぱり喉が赤いよ。リンパも腫れてるし」
耳から顎にかけてを触診し、服の上から聴診器をあてて胸の音を聞いている。

先輩、お医者さんなんだねえ。
私には高校時代のイメージしかないんだけれど。

そんなことを思いながら、ボーッとしているとき、

「オイ、何してる?」
それは、とっても冷たい声だった。