月鵬を残して、鉄次と亮は地下室から出た。
 月鵬は密書の整理のために残り、それを片そうとテーブルの上の巻物に手を伸ばしかけた。
 そこに、弱気な声音が届いた。

「なあ、月鵬」

 なんです? ――と、返事を返す気にならなかった。
 テーブルに座った花野井をカンテラの乏しい明かりが照らし、その瞳が潤んだように見えたからだ。

「嬢ちゃんがさ」
「……はい」

「口きいてくんねぇんだけど、なんでだと思う?」
「知りません」

 きっぱりと答えた月鵬に、花野井は「なんでだよ!」と突っ込んだ。

「女同士だろ、それとなく聞いてくれよ」
「ご自分でお聞きになったらいかがです? いつものように聞くだけでしょ」

「……まあな。他の女ならな」
 ぽつりと呟いた。珍しく弱気な花野井に、月鵬は少し同情心が湧く。

「まあ、聞いても良いですけどぉ」
「マジか? よろしくな!」
「っていうか、心当たりないんですか?」

 月鵬の指摘に、花野井はぐっと押し黙った。

「はっは~ん。あるんですね。何したんです?」
「いやぁ……」

 言葉を濁す花野井に、月鵬は詰め寄った。

「何したんです? 白状してごらんなさい!」

 面白がっている月鵬に、花野井は苦笑していた表情を更に苦笑させた。そして、ぽつりと零した。

「キスしたっぽい」
「……はあ!?」

 月鵬は驚きと呆れから、目を見開いた。
 そして、大げさにため息をついて、

「いつ? どこで?」

 ぶっきらぼうな物言いに、花野井は苦い顔で頭を掻いた。

「ほら、お前が密書持って花街にきた日」
「あんなに前のこと!? それ、本当に原因ですか?」
「それ以外分かんねぇよ」

 不貞腐れたように呟いて、テーブルの上から降りた花野井に、月鵬は質問を投げかけた。

「そもそも何でそんな事したんですか?」
「寝ぼけてたんだよ」
「……」

 月鵬は天井を仰ぎ見て、チッと強く舌打ちをする。花野井を睨み付けた。

「まったく、何考えてんだか!」

 月鵬の強い物言いに、花野井はつい苛立って、声を荒げた。

「しかたねえだろ。夢だと思ったんだよ!」
「しかたないわけないでしょ! この際だから言わせて貰いますけど、女を何だと思ってんですか! あの子はまだ子供ですよ! 傷つけたりしたら私が承知――」

 月鵬は言いかけて固まった。

 言い過ぎた、というよりは、彼の本音が垣間見えてしまって固まったのだ。
 花野井は、自分の行いを反省しているように見えた。

 思えば、来る者拒まず去る者追わず。花野井のモットーはそれに尽きる。
 どんな女でも言い寄られれば相手をするし、慰謝料だなんだと言われても、愛想をつかして離れて行っても、追う事はしなかった。
 ましてや、避けられて傷ついたり、自分に理由を尋ねるように頼む事は、一度もなかった。

「まさか――本気?」

 月鵬は思わず呟いていた。
 そして、改めて聞きなおす。

「ゆりちゃんのこと、本気で好きなんですか?」