* * *
本殿前の門の石柱は、どの石柱、どの門よりも立派だった。木枠と鉄のアーチ状の門。本殿を取り囲む鉄製の柵。
純白の柱には、梟の彫り物が施されている。
門前には番兵が二人、威厳をかもし出して立っていた。
「ドラゴンじゃなくて、梟なんですか? 王家のエンブレムって」
がっかりしながら指差すと、アニキが振り返り、鉄次さんが微苦笑した。けど、答えてくれたのはこのどちらでもない。
「ドラゴンのわけがないだろ。なんで王家のエンブレムが、ありふれたドラゴンであるんだ。ヨルムンガンドとかならまだしも」
非難するように、早口で捲くし立てたのはやっぱりこの人。亮さんだ。
「亮。もうちょっと言い方ってもんがあるだろ」
「そうよ! アンタはなんでそう喧嘩腰なの!」
「ふん!」
アニキが注意し、鉄次さんが亮さんを責めると、亮さんは不満そうに鼻を鳴らした。
「あの、どういう意味なんでしょうか?」
「は?」
私が亮さんに恐る恐る質問すると、亮さんはちょっと驚きながら聞き返した。私が話しかけるとは思ってなかったみたい。
「えっと、さっきの言い方だと、梟の方が偉いっていうか、珍しいっていうか、そんな感じがしたので……」
「伝説上の生き物だ。珍しいに決まってる」
「伝説なんですか? ……梟が?」
「そんな事も知らないのか」
目をぱちくりさせる私に、亮さんは呆れた視線を送った。
「だから、彼女は異世界からきたんだって説明しただろ?」
アニキが少しイラついたように亮さんを見る。
「それは聞きました。だけど、異世界からきたんならなんで言葉が分かるんです? おかしいじゃないですか」
「だから、それは魔王がいるからなんだって」
「そうよ。けんちゃんが言ってたでしょ。本当にこの子は、疑り深いんだから!」
説明する二人を横に、亮さんは、胡乱な瞳を私に向けた。
そんな目で見られたって、私だって魔王のことなんて説明できないし、異世界から来たって証明も、証拠もどこにもない。
スマホも鞄も全部焼かれちゃったんだから。
それに、どうせこういう人には、私が居た世界の話をしても、空想で片付けられてしまうんだ。
このまま無視して関わりたくない。でも、だけど、悔しい。ちょっとくらい抵抗したい。ぎゃふんと言わせてやりたいっ!
「私の世界では、梟は普通に居ましたよ」
「へえ、じゃあ、どんなだ?」
「えっと、ちゃ、茶色かったり、白かったりとか……」
「は~ん」
「うっ……! えっと、えっと、ミミズ食べたりとか!」
「伝説上の動物に詳しい奴ならそれくらい普通に知ってる」
「えっと……えっと」
「知らないなら黙ってろ。浅い知識をひけらかすほど、恥ずかしいことはないと思うけどな」
「うっ……!」
(完敗だああ……!)
だって、梟のことなんて、姿形くらいしか知らないもん!
だからって、だからって、そんな言い草はないじゃない! 悔しい! メッチャ悔しい! もう、亮さんなんて、大嫌いだっ!
「りょ~う。そんなにコイツに当たるなよ」
窘めるように、アニキが亮さんの肩に手を置くと、亮さんはその手を勢いよく払いのけた。
「俺は、貴方にも怒ってるんですよ」
眼鏡を軽く上げて、アニキを睨んだ。
気まずい雰囲気が流れて、アニキが苦笑して踵を返す。その後を鉄次さんが、亮さんを促しながら追った。
私はびっくりして、口が開いたままになってしまった。
(仲が良いと思っていたのに……)
いや、もしかしたら、仲が良いからこそなにかあるのかも知れないけど……。
さっきのアニキの苦笑は、どこか悲しげで、思い出したら、私までなんだか寂しくなった。
** *
本殿に入ると、すぐに広い廊下が広がっていた。
外観は日本のお城に似ているので、履物を脱いだりするのかと思ったけど、そこは、石壁に瓦屋根の屋敷と同じく、脱がないで良かった。
廊下が大理石のような、つるつるとした石で出来ているのに、内壁は木材で出来ていて、木の良い匂いが漂ってくる。
日本のお屋敷と、洋館を合わせたような感じで、なんだか馴染みがなくて、変な感じがする。
そこに、待ってましたと言わんばかりに、数人の男性が早足でやってきた。全員平安時代の貴族みたいな和服の上に、やっぱり派手目な着物を羽織っていた。
そして、全員烏帽子を被っている。と言っても、とんがっている烏帽子じゃなくて、コンパクトな感じ。
先が少し折れ曲がってるから、風折烏帽子というやつかも知れない。
その内の一人がとことこと近寄ってきて、アニキに向って会釈した。顎鬚を長細く生やした男で、全体的にほっそりとしていた。男は中年か、初老か、それくらいの年齢に見える。
「お待ちしておりました。花野井殿」
「伝書はちゃんと届いたみたいだな」
「もちろんでございます。それで、魔王はどちらに?」
「まあ、それは後でな」
「さようでございますか。やはり、謁見してからでございますな。いやはや、気が急いてしまいましてなぁ。魔王などとは、お伽話でしたが故」
お伽話……やっぱ、そんなレベルなんだ。
私の中に、そのお伽話が存在してるって、なんか複雑。
「さあさ、では謁見の間へ急ぎましょう」
男はそう言って、アニキ達を廊下の奥へと促した。
そこで初めて私に気がついたのか、私と目が合うとあからさまに、コイツ誰だ? と、訝る目をしていた。
場違いなのは、自分でもよく分かってる。
私は少し居た堪れない気持ちになりながら、アニキ達の後ろからついて行った。
* * *
謁見の間の扉は、驚くほど豪華だった。
黒色の石で出来た扉に、煌びやかな屏風を貼り付けたようで、とてもキレイだ。
「入れ」
中にいる誰かのくぐもった声と共に、扉は開かれた。石でてきているなて微塵も感じさせないくらいに、スムーズに開いて行く。
一気に緊張が走る。
(これから、王様に会うんだ)
元の世界では、一生会うことなんてなかった存在。そう思うと胸がドキドキする。緊張と同時に、少しだけわくわくしてしまう。
アニキ達が歩き出すのを見届けて、それに続いて扉の向こうに一歩踏み出した。
白く澄んだ廊下を十メートルほど歩く。
映画とかだと、謁見の間と言うと、大臣とかがたくさんいるから、たくさんの人が待っているものだと思っていたけど、見る限りじゃ誰もいない。
強いて言えば、私の後ろからついてくる先程の線の細い男の一派だけだ。
私の意識が後ろに向いている途中で、アニキ達が急に立ち止まった。思わずぶつかりそうになって、足に急ブレーキをかける。
前につんのめりそうになったけど、アニキにぶつかることなく止まれた。
(どうして止まったんだろ?)
アニキ達は背が高いので、私からは前に何があるのか見えない。彼らの隙間から、首を伸ばして先を見ようとした、次の瞬間、いきなり視界が開けた。
目の前には数段だけの短い階段。その上にある豪華な椅子の上に誰かが座ってる。瞳に曇りがなく、きりっとした眼差しが高潔な印象を与えた。
思わずその人に魅入ってしまう。だけど、私には到底、この人が王様だとは思えなかった。だって、その人は十歳かそこらの少年だったんだから。
「オホン!」
咳払いが聞こえて、私は我に帰った。慌てて振向くと線の細い男が跪きながら、咎める目つきで私を見ていた。
はっとして、辺りを見回すと、アニキ達は跪いていた。私も急いで跪く。
(こういうことは、教えておいて欲しいよ! どのタイミングで跪くとか知らないんだから!)
私は顔を真っ赤にしながら、密かに目の前のアニキ達を睨んだ。
「面を上げよ」
透き通るような声がして、顔を上げる。
「父上、碧王(へきおう)が、病に臥せっているため、代理ですまぬな」
なんだ。王様じゃないんだ。
「いえ、ありがたき所存です」
「それで、例のものは手に入ったのだろうか?」
「はい」
ギクリと、心臓が跳ねる。
例のものってやっぱり、魔王のことだよね。
アニキがこちらを振り返った。目線で私に立つように指示を出す。私は、恐る恐る立ち上がった。
「皇(コウ)様。この者が、魔王でございます」
「……この者が?」
皇王子は、私を見るなり怪訝に眉間を寄せた。
(そりゃあ、そうだよね。物だと思ってたものが、人物なんだもの。そりゃ、驚くよ)
私の背後からも息を呑む音が聞こえた。
「……花野井。確か、魔王はエネルギーの塊であるという話だったな?」
「はい」
「それを遺体に入れて、扱えるようにするという話であったが、では、遺体が生き返ったということか? あるいは、まったくの別物か?」
皇王子は、アニキに問うというよりは、自身に問うように言った。
アニキは私を振り返って、跪いたまま、半歩後退して私の横に移動した。そして私を紹介するように、手を広げる。
「この者は、生きたまま魔王を宿した聖女(アリア)なのです」
渋い声が頭の中で響いた。
『〝アリア〟 〝聖女〟』
ああ、アリアって聖女って意味か。
(……え!? せ、聖女? アニキなに言ってんの!?)
私は驚いて目を見開く。もう、目玉が飛び出るんじゃないかと思うくらい。
「生きたまま?」
「はい」
「では、生きた人間を使ったと申すか?」
「いいえ。この者は、私どもの願いを聴きいれ、天が異世界より使わせた聖女なのです」
アニキ、マジで言ってんの!?
私、ただの女子高生だし! 魔王はいるけど、ただの人間だし!
「異世界から来ただと?」
「はい。儀式を行った際、この者は天より降り立ちました。それは、儀式を行った者、皆が見ております」
「そうか……。にわかには信じがたいが、花野井が言うのならば信じよう」
「ハッ! ありがとうございます」
「詳しい話は後ほどにしよう。花野井、後で我が宮へ来てくれ」
「ハッ!」
皇王子が、すっと立ち上がると、アニキ達も立ち上がった。そして踵を返す。戸惑う私の腕を、アニキがそっと引っ張って退室を促した。
どうやら、線の細い男一派は退室をしないみたいで、私達はまだ跪いたままの彼らの横を通り抜けた。
「ちょっと、びっくりしましたよ! 聖女ってなんですか!?」
謁見の間を出てすぐに私はアニキに詰め寄った。
すると、鉄次さんが含むように訝る。
「そうよねぇ。けんちゃんにしては、饒舌だったじゃない?」
「ああ、あれな――」
アニキが言いかけて、鼻を鳴らす音に遮られた。
「どうせ、月鵬の入れ知恵でしょう。あの女が言いそうな言い回しじゃないですか」
中りをつけたように言って、亮さんが眼鏡をずり上げた。
「まあ、その通りだ」
アニキが苦笑して歩き出した。
私達も後を追う。
「月鵬がな、聖女って言った方が信憑性があるとか、異世界からきたっていうのも、そっちの方が信じてもらいやすいとか言ってな」
「確かにそうよねぇ。聡明な皇王子や、けんちゃんに絶大な信頼を置く碧王ならともかく、大臣達にゆりちゃんを見せても、亮みたく信じてもらえなそうだものねぇ」
「俺を引き合いに出すなよ」
「あの、大臣さんとかにも会わなきゃいけないんでしょうか?」
(そうだったら、何か面倒そうだなぁ……また胡乱な目で見られるのは、正直嫌だもん)
三人はきょとんとした顔で振り返った。
「大臣ならもう会ったろ?」
「え?」
「あの男よ」
「ひょろっとした、がりがりの男だよ。本殿に入って真っ先に将軍に話しかけたやつ!」
「え、ええ~!? あの人!?」
『そう』
私の驚きと共に、三人は同時に頷いた。
アニキ達の話によると、あの線の細い男は、左大臣、右大臣、二人いる中の、右大臣だそうだ。
どうやら、魔王復活の儀式にGOサインを出したのは、碧王という現在の岐附の王様だけど、それは内々に決められたことだったらしい。
まず、アニキの元に、風間さんから魔王復活のお誘いが来て、
アニキは壁王に相談した。そして、碧王が話に乗ったんだけど、それを聞かされたのは、皇王子と、本殿に入った時に出迎えてくれた数人と、右大臣。そして、アニキの側近である月鵬さんと、鉄次さんと、亮さんだけだった。
なんでそうなったかと言うと、いわゆる覇権争いというやつらしい。皇王子には、腹違いの二人の兄がいて、一人はそういったことにまったく興味を示さない人だけど、もう一人は、玉座を狙っているらしい。
そしてそれに手を貸しているのが、左大臣というわけだ。
だけど、すでに後継者は皇王子にと、碧王は決めているらしいんだけど、魔王の力を手にしたら、それが翻ってしまう可能性があるんだとか。
だから、内々にその力を手にしておこうと、そういうわけらしい。っていうか、がっつり政治に首突っ込んでんじゃん、アニキって。
てっきり、軍の人だから、そういうややこしいのには縁がないのかと思ってたのに。
それに、アニキってなんとなく、そういうの嫌いそうだったんだけどなぁ。
私はそう思いながら本殿を後にした。
王都・附都へ到着してから、一ヶ月が経った。
私はアニキの屋敷でお世話になっている。
アニキのお屋敷は、国境付近の村の村長さん家と同じ造りで、石壁に瓦屋根のお家だった。
なので、やはり内装は中国風だ。
壁に埋め込まれたようなベッドは、穴倉の中に入ったようで案外落ち着く。靴は脱がない代わりに、広い玄関で内用靴に履き替える。
スリッパのようなものだけど、履物事態は草履に近い物で、冬になると冬用の靴が用意されるらしい。なんでも、ドラゴンの皮で出来た物らしい。
さすがに一ヶ月も経つと、見慣れない家にも慣れるもので、結構快適に過ごさせてもらっていた。だけど、外には一人で出ちゃダメだと言われていて、中々城の敷地からは出られなかった。
岐附は治安回復が遅れているらしく、なんでも、王都においても人攫いが出るとか。
王の病気や、王子同士の政権争いで、他の国よりも復興作業が遅れているらしい。人攫いや強盗が出ると聞かされれば、怖いのでもちろん一人で出歩いたりはしない。
城下町に下りるさいには、アニキや鉄次さんが一緒に降りてくれた。
ただし、アニキは忙しいので、あまり一緒には出かけられなかった。
鉄次さんは、岐附での暮らしに慣れないんじゃないかと、私を気遣って、度々訪問してくれていたので、その時に一緒に買い物に出かけてもらった。
買い物といっても、何を買うわけでもないんだけどね。
アニキが何か買ってきて良いと、お小遣いをくれようとするんだけど、私はそれを丁重に断っている。
日用品と、服だけは買ってもらったけど、それ以上の物をねだる気にはなれない。だって、アニキだって離婚騒動で、財産なくなったって聞いたばかりだし。
なるべく自分で稼ぎたいと思っているけど、王都でも今は就職難なのだそうだ。
だから、城下町には気晴らしで出かける。
鉄次さんとの買い物は、女子同士のそれと同じで、見ているだけでも楽しいものだった。
でも、亮さんとはこの一ヶ月一度も会っていない。
(本当、ラッキー! むしろ会いたくないもん)
だけど、なんであんなに怒っていたのか、気になるっちゃ気になるんだけど。
「谷中様。お茶はいかがですか?」
部屋の中で巻物に日記をつけていたら、ドアの外から声が聞こえた。
(この声は――)
私がドアを開けると、キレイな金糸の髪が、ドアを引く空気につられてふわりと揺れた。
「月鵬さん。お茶飲みます! 今行きますね」
私は踵を返して、室内の椅子にかけておいた上着を手に取った。
月鵬さんは、昨日帰ってきたばかりだ。
どうやら、美章で目覚めたらしく、一か八か、クロちゃんが美章の王都、凛章にいることに賭けてクロちゃんを訊ねたらしい。
国境を越えるのには、入国証か、偉い人の署名がいるらしく、月鵬さんは、それをクロちゃんに頼んだらしい。
一度は偽造の判子でやり過ごされそうになったけど、翼さんが帰ってきて、アニキにお世話になったことを告げると、クロちゃんは正式な判子を押してくれたらしい。
クロちゃんって、案外律儀なんだよね。
翼さんも無事に美章に帰れてよかった。それに、クロちゃんの無事も確認できて、ほっとしている自分もいる。
だけど、ちょっと気になることもある。
その話をしてくれた後、月鵬さんとアニキは二人だけで個室に移動して、なにやら話しこんでいたみたいなんだよね。
何を話してたのか気になったけど、部屋から出てきたとき、二人が真剣な顔をしていたから訊けなかったんだ。
私は昨日の二人の表情を思い浮かべながら、部屋を出た。
部屋の前で待っていてくれた月鵬さんは、にこりと笑んだ。
「今日は天気がいいので、外でお茶にいたしませんか?」
「はい。ぜひ!」
この家には中庭があって、木製で出来たおしゃれなテーブルと椅子が置いてある。
アニキにしては洒落た趣味だと思ったけど、鉄次さんの話によると、どうやら元奥さんの六人のうちの一人が買った物らしい。
最初はなんだか複雑な気がしたけど、その物自体が素敵であることに変わりはない。今ではお気に入りの場所だったりする。
中庭に出て、椅子に座るとすぐに女性がやってきた。彼女は、鈴音(すずね)さんと言って、この家でメイドをしている。
軍で地位を持つと、メイドや執事を雇うのが一般的らしい。
遠征などで出かけると、家事をしてくれる人がおらず、帰ってくると家が埃だらけになったりするので、メイドさんに家事をしていてもらうのだそうだ。
アニキの屋敷は大きいので、当然、鈴音さん以外にもメイドが数人いる。でも、鈴音さんが一番若いかな。二十歳そこそこって感じ。
藍色の髪を纏めていて、一見地味に見えるけど、整った顔立ちをして、清楚な雰囲気がある人だ。
ちなみに男性のお手伝いさんもいる。庭師や、料理人がそうだ。
奥さんがいたんだから、奥さんはやらないのかと、素朴な疑問を鉄次さんに尋ねたら、地位のある人の奥さんが、そんなことをするはずがないじゃないの! と、呆れられてしまった。
そういうもんなのかなぁ。セレブのことは、よくわからん。
「お茶の種類は何に致しましょう?」
「そうね、谷中様は何が良いですか?」
鈴音さんに尋ねられた月鵬さんが、私に尋ね返してきたので、私は、「何でもいいです」と、答えた。だって、お茶の種類なんてわからないもん。
今までも鉄次さんが適当に決めてくれたのを飲んでいたので、実はお茶の名前すら知らない。
新しいお茶が出るたびに名前を聞いたけど、すぐに忘れちゃうんだよね。(興味ないことって、すぐ忘れちゃう)
月鵬さんが適当にお茶の名を告げて、鈴音さんはその場を去った。
私と月鵬さんは目が合って、お互いふふっと笑い合った。
「谷中様は、カシラ――花野井様と一緒に行動なさって、不自由はありませんでしたか? 爛で目覚めたとお聞きしましたが」
「あ、はい。全然」
「ですが、入国証もないのに国境を越えたとか……まったく、本当に無茶をする人だわ」
月鵬さんは、心底呆れたように言って、
「谷中様は、国境越えのとき、憲兵に顔を見えられたりはしませんでしたか?」
「私は、お酒飲んでぶっ倒れちゃってたので、どうやって越えたのか、全然知らないんですよ」
私が苦笑すると、月鵬さんは残念そうにため息をついた。
「そうですか。どうやったのか聞いても、ぶった押したとか、はった押したとか、全然的を得た回答が得られなくて」
(ぶった押した? 翼さんからは見つからずに国境を越えたって聞いたけど……? どういうこと?)
首を捻ってると、鈴音さんがお茶とお菓子を持ってやってきた。
月鵬さんが、「ありがとう。後は私がやるわ」と言って、鈴音さんからお膳を受け取ると、テーブルにお茶やお菓子を並べる。
「それで、谷中様はこの一ヶ月何がありました?」
「ああ、えっと。そうだなぁ……」
私はこの一ヶ月にあったことを話、月鵬さんも旅のことをあれこれと話してくれた。美章や岐附の町のことを聞いてると楽しくて、ぶった押した発言への疑問はどこかへ飛んでしまった。
「そういえば、私、今まで鉄次さんに城下町に一緒に降りてもらったりしてお世話になったんですけど」
「ああ。鉄次は面倒見良いですもんね」
「ですよね。本当に良い人で。でも、てんちゃんて言わないと怒りますよね」
「そうですね。私の場合は鉄次で通させてもらってますけど」
月鵬さんが苦笑して、お菓子に手を伸ばした。
「そうなんですか?」
「ええ。立場上、示しがつかないので」
「そういえば、気になってたんですけど、鉄次さん達って、どんな立場の人なんですか?アニキは将軍じゃないですか。その部下なのかなとは、思ってるんですけど」
月鵬さんは目を丸くして、固まった。お菓子を掴んだ手が止まってしまっている。
(どうしたんだろ? そんなに驚く質問したかな?)
私が首を捻ると同時に、月鵬さんが窺うように尋ねてきた。
「あの……谷中様。アニキとは、その、花野井様のことで?」
「ええ。はい。そうですけど」
「それは、花野井様はご存知ですか?」
「……はい」
(アニキから許可は貰ってるけど、やっぱなんか、まずいのかな?)
不安になりながら頷くと、月鵬さんが大きく息を吐いた。
「そうですか。それは、さぞかし亮がうるさかったでしょう?」
「え!? 分かりますか!?」
「分かりますよ。亮の事だから、ねちねちと苛めたんじゃありませんか?」
「言われましたよー! なんなんですかね、あの人!」
「それは、まあ、しょうがないと言えば、しょうがないのかなぁ……」
月鵬さんは独りごちるように言って、含むように苦笑する。私はますますわけが分からなくて、首を深く傾げた。
月鵬さんは、それ以上は何も言わなかった。
理由を聞きたい気もしたけど、亮さんに関わるのは面倒くさそうだから、これ以上は良いや。あっ、でも、
「亮さんで思い出したんですけど、アニキってがっつり政治に首突っ込んでる人なんですね。意外でした」
「ん?」
「王様、じゃないや。王様の代わりの王子様に会ったときに、政権争いに参加してるみたいだったし、王様に頼られてるみたいな話を聞いたから、なんか意外だなって。だって、アニキって、そういう話興味なさそうじゃないですか」
「興味はないでしょうね。好きか嫌いかだったら、確実に嫌いでしょ」
「そうなんですか? じゃあ、やっぱり、仕事上のなんかなんですかね?」
「ん~……恩があるのは確かですよ。て言っても、私からすれば、そこまでの恩ってわけじゃないと思っているんですけど」
「恩ですか?」
「ええ。碧王は、山賊から軍に入る時に色々世話してくれたんですよね。大戦中だったこともあったし、まあ、なんて言って良いのか、コネというか、前評判のようなものもあったので、いきなり将軍として迎えられまして」
「え!? いきなりですか!?」
(それはすごい!)
私が驚くと、月鵬さんはくすっと笑った。
「本当に、色々な要因があってそうなったんですけど」
言って、不意に表情を硬くした。
「私は、あのままでも良かったんですけどね」
月鵬さんは、どこか懐かしむような、それでいて険のあるような目つきで、庭先の木々を見つめた。
(あのまま、って、山賊のままでいたかったってこと?)
私は、浮かんだ疑問を口に出さずに、どことなく気まずい気分でお茶を啜る。話題、変えた方が良いかな。
「あの、月鵬さん」
「はい?」
「私の呼び方なんですけど、谷中様って、止めませんか? なんか、様付けって慣れなくて。敬語もちょっと慣れないかなって、思ってるんですけど」
遠慮がちに提案すると、月鵬さんは少し驚いたような表情をして、「良いんですか?」と、意外そうに言った。
「良いも何も、月鵬さんの方が年上ですし、一庶民の私なんかに、様をつける理由はないっていうか」
私が苦笑していると、月鵬さんはなんだか安心したように、「では、遠慮なく」と笑った。
* * *
それから、私達は世間話、というか、主に月鵬さんによる、アニキへの愚痴を語り合った。(と言っても、私は聞いてるだけだったけど)
「――でね、聞いてよ、ゆりちゃん」
「はいはい、聞いてますよ」
私はうんうんと頷きながら、お菓子に手を伸ばす。
月鵬さんは私のことをゆりちゃんと呼ぶようになって、話し方も砕けた。多分、今の感じが本当の月鵬さんなんだと思う。
「カシラったら、ホンット! 大事な事はなんにも言わないのよ! 側近の私の立場はなんなのよって話よ」
「うん」
「私ね、これでも参謀なのよ。山賊時代から、あれこれとサポートしてきたわけ。だけどね、情報がなきゃ参謀は何にも出来ないのよ。戦況を考えるにしても、政権争いにしても、情報こそが武器だってのに」
月鵬さんは憤慨したようすで、腕を組んで、椅子にもたれかかった。
「重要な事に関しては、自分で抱え込みがちなのよね。カシラって。それが、かっこいいって思ってるのよ」
「でも、できる上司って愚痴らないイメージですけど?」
「できないわよ!」
驚いたように言って、月鵬さんはムキになった。
「解読やら、雑事やらは、全部私に決めろって押し付けるような人よ? そういうどうでも良い事はベラベラ喋ったり、私に頼んだりするくせに、肝心な情報は漏らさないの。そういうところが気に入らないのよ!」
その姿を見て、私はしみじみ思った。
「……月鵬さんって、アニキのこと好きなんですねぇ」
「はあ!?」
唖然とした調子であんぐりと口を開く月鵬さんに、私は続けた。
「だって、自分に頼って欲しい。その人の色んな事を知りたいって、好きってことじゃないんですか?」
月鵬さんは不満そうに押し黙った。そして、深いため息をつく。
「そうね。そういうこともあるんでしょう。でも、私に限ってそれはないわ」
「どうしてですか?」
「私は自分の能力をきちんと認めてもらいたい、発揮したいだけなのよ。彼の事は、上官としては尊敬してるわ。洞察力や勘の鋭さ、身体能力は私は及びもつかないから。人間としても、優しい人だし、面倒見もすごく良いわ。でもね、恋愛対象として好きになる事は、絶対にないわ」
噛み締めるように言って、次の瞬間感情的に弾けた。
「だって、あの人、六人も奥さんいたのよ!? それどころか、6人もいて外に女作るような人よ!? いくら肝要な岐附だからってありえないわよ!」
「……そんなに酷かったんですか?」
「酷かった? 言っとくけど、過去形じゃないわよ。絶対にね。断言できるわ」
きっぱりと言い放って、人差し指を前に突き出した。
「ゆりちゃんだって、その内知るようになるわよ。あの人の女癖と酒癖の悪さ!」
月鵬さんの予言通り、私は後にアニキのとんでもない姿を目撃することになる。
なんだか、私の中で、アニキ像が崩れていってる気がする。
月鵬さんが帰ってから、私はひっそりとため息をついた。
結婚してたってだけでも驚きだったのに、離婚していて、しかも相手は六人いて、慰謝料で財産使い果たして、それどころか、浮気までしていただなんて。
奥さんが六人もいて、まだ足りないのかな。
私は呆れた気持ちで、部屋の窓から庭を眺めた。
「どこか行こうかな」
日はまだ高い。
私は気分を変えるために、出かけることにした。
* * *
町には一人では出てはいけないけれど、本殿以外のお城の中は歩き回ってもいいように言われているので、私はふらふらと散歩に出かけた。
城下町を見渡しながら、石垣沿いを歩いていると、本殿へと続く坂から、誰かが下りてくるのが見えた。
「誰だろ?」
その男の人は幾つもの風呂敷包みを抱えて、慌てて走ってきている。何気なくその人を見ていると、その人が私に気づいて、片手を挙げた。
手をブンブンと大きく振り、私が振り替えすと、コッチへ来いと手招きをした。私は訝しがりながら、その人へ近づく。
近くで見る彼は、端正な顔立ちをしていた。中世的な顔立ちで、二十代後半に見える。髪が長く、使用人が着るような服を着ていた。
使用人は大体が同じ服を着ている。打掛は源氏車の模様が裾の方にある以外は模様がなく、着物の生地の色は様々。大体が派手なのが多い。内側の着物は白で統一されていて、袴はカルサンのように太ももの部分を膨らませている。ちなみに女性の使用人は、これに袴ではなくフレアスカートで、打掛の色は黒か紺の二種類しか見たことがない。
(お城で働いてる人かな?)
でも、それにしちゃ、キレイな手をしている。
使用人の人達は、アニキのところでもそうだけど、水仕事をすることも多いので、手が荒れてる人が多い。
鈴音さんも、まだ若いのに、手は少し荒れている。
「娘さん、どこの貴族のお嬢さんか知らないが、少し匿ってくれないだろうか?」
「は?」
「そうじゃなかったら、城下町に下りる手伝いだけでも良いんだが」
「えっと……?」
「私を知らないわけじゃないだろう? 私の手伝いをしてくれるなら、それなりの礼はする。キミのお父さんの悪いようにもならないはずだ」
「えっと、父はおりませんが」
「え?」
「ちなみに、母も家族もおりません」
この世界には、だけど。
「キミ、令嬢じゃないのかい?」
「はい」
「では何故、ここにいるんだい? 確か、将軍も三関も、娘さんはいないはずだ。あっ、花野井の奥さんかい?」
「いえ、花野井さんにはお世話になってますけど。そういうのじゃないです」
思わず苦笑する。
「葎(リツ)様! 葎様、どこですか!?」
突然、坂の上から誰かを呼ぶ金切り声が聞こえた。その途端、男性はびくっと肩を竦めて、私の腕を掴んだ。
「きたまえ!」
「あの? ちょっと!」
男性は慌てながら、私を引っ張って、追われるようにアニキの屋敷へ向って走り出した。
玄関のドアを彼が乱暴に開けると、短い悲鳴が上がった。
鈴音さんがちょうど出ようとしたところで、彼女にぶつかりそうになったんだ。
「すまない!」
男性は駆ける足を止めずに、首だけで振り返って謝り、鈴音さんは目を丸くして、固まっていたけど、すぐに廊下を曲がり姿が見えなくなった。
中庭を突っ切って、廊下を渡り、適当な部屋の前でやっと止まった。
「あの、なんなんですか?」
息を切らせながら、私が投げつけるように言うと、男性は振り返って勢いよく頭を下げた。
「すまない! ちょっと追われてたんだ」
「何か盗んだりしたんですか?」
私は冗談交じりに言って、男性の大量の荷物に目線を移した。
「ハハハッ! 面白いことを言う娘さんだね」
愉快そうに声に笑って、男性は風呂敷包みの一つを解いた。その中から出てきたものは、大量の巻物の束だ。
「これは?」
「これはね、僕が書き溜めたドラゴンの生態を記した物なんだ。絵も自分で描いたんだよ。じかに見られるものは見に行ったし、資料があるものは写して、ないものは想像で描いたんだ」
「へえ、すごいですね! もしかして、他の風呂敷もそうなんですか?」
「ああ。筆や新しい紙や巻物も入っているけど、背に背負っている物以外はそうだよ。これは着替え」
そう言って男性は示すように肩を上げた。
彼の荷物は、背に括り付けてある風呂敷包みを含めて、全部で五つあった。彼は広げた包みを結びなおして、廊下に置いてあった荷物を全て手に持ち直した。
「娘さんは、花野井の知り合いだろう? 暫くこの家に匿ってくれないか?」
「そう言われても、私の家ではないので……」
「そうか」
男性は困ったように眉毛を八の字に曲げた。
そんな顔をされると、手を貸したい気になる。
名前やどこの人なのか分かれば、誰かに相談しようもあるかも知れない。
アニキは今仕事でいないから、使用人の誰かに言えば許可がもらえるかも。
それに、アニキのこと知ってるみたいだし。
「あの、ちなみに、どちら様なのでしょうか?」
「ああ! すまない。名乗っていなかったね。私は――」
彼は言いかけて押し黙る。何かを考えてから、にこりと笑った。
「青嵐(せいらん)というんだ。よろしくね」
愛想良く握手を求められて、私は反射的にその手を握り返した。
言いかけた間がちょっと気になるけど、まあ、いいか。
「私は谷中ゆりです」
「谷中さんだね。ということは、やはり貴族の令嬢なのではないか」
青嵐さんは、深く頷く。
私は反対に深く首を傾げた。
「いえ、ですから貴族ではないです」
「じゃあ、三関か将軍の娘さん……じゃないよな。どこも娘はいないはずだ」
独り言を言うように呟いて、青嵐さんは訝しがった。
「苗字があるってことは、それなりの地位の者ってことだろう? キミは、どこの誰だい?」
「え?」
ああ。そっか、この世界、もしくは岐附では苗字は地位のある人じゃないと名乗れないのか。
日本でも江戸時代はそうだったらしいし、ここでもそうなんだ。
だけど、どうしよう。私はここでは異世界からきたとか、魔王ですなんて言っちゃダメなんだよなぁ……。
「え~っと、今は貴族じゃない……みたいな?」
「と言うと?」
「えっと……没落した……みたいな?」
「ああ、なるほどね」
(納得してくれるんだ!)
私は乾いた笑いを浮かべながら、ほっと胸をなでおろした。
「家族がいないって言っていたけど、それで花野井の世話になっているのかい?」
「え……ああ。はい、そんなところです」
「そうか。大変だっただろうね」
青嵐さんは、なにやら勘違いをしたようで、同情する目で私を見据えた。家族がいないと言っても、この世界にいないだけで、きっと今でも元気にしてるはずだ。
一人娘がいなくなって、心配や心労をかけてはいるとは思うけど、一生会えないなんて、決まったわけじゃない。
城下町に一人ででも出られるようになったら、帰る方法を絶対に探してやるんだ。
どうせ、帰るための方法を調べたいと言っても、魔王を手放すはずがない。
皇王子の政権争いの有利を少しでも維持したいがために、碧王はアニキを使って魔王を手に入れようとしたんだもん。
帰したいわけがない。
だから、皇王子が正式に王の座に就くまでは、私は自由にはなれないだろう。だけど逆に、皇王子が王の座に就いたら、私はお役ごめんで自由の身になれるはずだもん。
私が密かに決意して、ふと目の前の青嵐さんを見たら、彼はなおも不憫そうな顔をしていた。
私はなんだかおかしくなって、噴出しそうになってしまったけど、堪える。
「あの、良かったら、中庭にでも行きますか?」
「ああ。ぜひ」
私の提案に、青嵐さんは快く頷いた。
中庭に出ると、ちょうどメイドさんが歩いていたので、彼女にお茶とお菓子を頼んで、席に着いた。
メイドさんに頼んでいる最中、何故か青嵐さんは俯いて、長い髪の毛で顔を隠すようにしていた。
「あの、本当に何も盗んでないんですよね?」
さっきのような冗談交じりではなく、真剣に訊ねる。だって、すごいあやしかったし。
「ハハハッ、キミは本当に面白いね!」
青嵐さんは、お腹を抱えて笑った。
(今回のは、冗談じゃないんだけどな……)
私が顔を引きつらせながら愛想笑いをすると、彼はテーブルに風呂敷包みを広げた。中から一つ、巻物を取り出すとそれを開いた。
「これを見てくれるかい?」
巻物には色んなドラゴンが描かれていて、その横や下に、びっしりと文章が書かれている。
青嵐さんはその中の、一つの絵を指差した。
「これが、ラングルだ」
「あっ、知ってます。軍に使われることが多いとか。たしか、穏やかで人懐っこいって」
「そうなんだよ。でもね、そんなラングルの中にも、稀に気性が荒いものが生まれる事があるんだ」
「へえ……あっ、クロちゃ――友達のラングルがそんな感じらしいですよ」
「本当かい? それはぜひ会ってみたいな!」
青嵐さんは目を輝かせた。