「う……ん」

 もぞりと寝返りをうつと、瞼の裏が光った。

「眩しい」

 目を瞬かせながら、もう一度寝返りをうって、はっとした。勢いよく起き上がると、頭がぐらっと揺れた。
 目の前がぐるぐると回る。

「うっ……気持ち悪い」

 思わず顔を押さえると、聞きなれた声が飛んできた。

「大丈夫か?」

 焦ったような声に顔を上げようとするけど、すぐに眩暈が襲ってくる。

「アニキ?」

 見当はついていたけど、確認のために呼ぶと、声の主は、「そうだ」と、強く言った。

「もう暫く横になってろ」
「はい……私、どうしちゃったんですか?」

 アニキに促されて、私はゆっくりと横になった。すると、アニキの呆れ果てたような声が飛んできた。

「酒飲んだんだよ。まったく、ガキが蒸留酒なんて飲むんじゃねぇよ」
「ガキじゃありません!」
(だって私、爛じゃ大人だし!)
 途端にぐらっと頭の中が揺れた。
「うっ!」
「ほら、だから大人しくしてろって!」

 焦ったようにアニキが言って、私のおでこにひやっとした物が置かれた。視界がぐらつかない程度に薄く目を開けると、それはアニキの手のひらだった。
 アニキは心配そうに私を見ていた。
 なんだか、嬉しい。

「ごめんな」
「え?」

 不意の謝罪に驚いて、思わず目を見開きそうになったけど、視界が歪んだので慌てて閉じた。

「嬢ちゃんのこと、ほっぽといて悪かった」
「ホントですよ!」

 わざとむくれて言うと、アニキは小さく「すまねえ」と呟いた。
 アニキがそう言ってくれるだけで、私はなんだか満たされたんだけど、それは言わない。もうちょっと、反省してもらわなきゃ。
(女の子をあんな場所でぼっちにするなんて、ありえないんだから!)

 それからどれくらい経ったのか分からないけど、私はまた意識を取り戻した。目を開けると、頭がすっきりしていた。

「もう大丈夫なんすか? さっき目覚めてからそんなに経ってないっすけど」

 目覚めたことに気づいて、翼さんが声をかけてくれた。私はゆっくりと起き上がる。
(うん、眩暈もない。良かった)

「大丈夫みたいです。どれくらい経ったんですか?」
「十分くらいっすね」
「そうなんですか。アルコールって結構早く抜けるものなんですね。なんか意外です」
「いやいや、普通そんなに早く抜けないっすよ。ゆりちゃんが飲んでから二時間くらい経ってますけど。それでもありえないっすよ」
「え? じゃあ、まだ深夜ですか?」
「そうっすよ」

 そこではじめて辺りを見回す。
(ここって、洞窟じゃん!)
 しかも何故か、洞窟の壁は白熱灯のように明るく輝いている。
(なんで壁が光ってるんだろう?)
 視線を横に振ると、遠くに洞窟の入り口があった。入り口のその先は、闇を切り取ったように暗い。

「あの、ここってどこですか?」
「ここは、どこでしょうねぇ? 岐附であることは確かですが、俺は岐附に詳しくないので」
「そうですか……岐附!?」
「はい。岐附っすよ」
「国境越えたんですか!?」
「はい。越えました」
「……ああ、そうですか」

 翼さんはあっさりと頷いた。
(なんだ……。スパイ映画みたいでわくわくしてたのに……)
 私はがっくりと肩を落とす。

「あれ? アニキは?」

 ぽつりと呟いた独り言に、翼さんが答えてくれた。

「連絡取りに出ましたよ。さっき出て行ったばっかっす」
「連絡?」
「近場の村まで走って行かれました。近場って言っても、三十キロくらい離れてるみたいっすけど」
「えっ!? それを走って?」

 びっくりしちゃったけど、すぐに思い出した。
 アニキは身体強化能力があるから。

「白矢がいるのに、体動かしたいから走ってくるわって言ってましたよ。信じらんないすよ」

 翼さんは呆れながら言って、奥に繋がれていた二匹のドラゴンを一瞥した。そして思いついたかのように、「あの人、絶対、喰鳥竜(じきちょう)いらないっすよね」と、呟いた。
 若干顔が引きつっている気がする。

「喰鳥竜?」
「ああ。ドラゴンの名前っすよ。足が速く夜目が効くのが特徴なんす。軍事用で使われる事もあるし、山間に強いので山賊とかも使いますね」
「へえ」
「喰鳥竜に負けない速さで走ってましたからねぇ……」

 思い出すように言って、外を見る。
 たしかに、アニキは速い。
 走るアニキにおんぶされたことがある私が言うんだから、間違いない。

(と、すると、もしかして毛利さんも身体系の能力があったりするのかも?)

 不意にそんなことを思った。
 アニキにおんぶされた時、アニキについて走っていたのは、毛利さんだけだったのを思いだしたからだ。
 それから私は、私が眠っている間のことを翼さんから聞いた。

 どうやら、私が気を失ってすぐにアニキは検問を突破したらしい。ちょうど見張りの隙をついて壁を越えたらしく、見つかることなく岐附へ渡ったとか。
 岐附側は荒野が広がっていたらしいけど、アニキが猛スピードで走って離れたところにある森へ逃げ込み、この洞窟を発見したらしい。
 どうして壁が光ってるのかは、翼さんにはわからないらしかった。

 それから他愛もない話をしていると、アニキが帰ってきた。アニキは息が切れた様子もなく、汗も掻いてない。
 とても片道三十キロの道のりを往復したようには見えない。

「連絡はつきました?」

 翼さんが話しかけに行くと、アニキは軽く頷いた。

「とりあえず、伝書は送った。夜が明けたら村から迎えが来るから、返事がくるまでは村で待機だな」
「そっすか」

 翼さんが頷いて、アニキは視線を私の方にずらした。私は軽く会釈を送る。

「よう。嬢ちゃん、もう大丈夫なのか」
「はい。すっかり」

 私が笑むと、アニキもにかっと笑って、「良かったな」と、明るく返してくれた。
 それから数時間、洞窟の中で過ごして辺りが白んできた頃に、洞窟の入り口から硬い声が飛んできた。

「花野井将軍、こちらですか?」
「ああ、ここだ」

 アニキが返事を返しながら入り口の方へ向って歩き出す。私と翼さんもそれに続いた。洞窟の入り口には、若い兵士が立っていた。その奥に跪いている幾人かの兵士が見える。
 それぞれ手綱を持っていて、その先には変な生き物がいる。
 ダチョウのような身体に、爬虫類の顔がついていた。羽が極端に短いので、多分飛べないと思う。

(なんだろう、あの生き物、ドラゴンかな?)
「あれが喰鳥竜っすよ」

 後ろから翼さんが耳打ちした。

「ああ。あれが」

 振り返って頷くと、翼さんの後ろの壁が光を失っていた。どこにでもある岩壁と変わらない。

「アニキ。この壁、さっきまで光ってましたけど、どうしてもう光ってないんですか?」
「ん?」

 アニキが振り返った。それと同時に、入り口の兵士が何故か怪訝な顔をするのが見えた。アニキは岩壁を見て、

「ああ。それはな、この鉱石はこの地方でよく見かけられるものなんだが、暗くなると光を放つ性質があるが、明るいところでは光を失うんだ」
「へえ。ランプ代わりに便利そうですよね」

 手のひらだいに切り取れば、ランプよりも遥かに持ち運びしやすそう。

「いや。それはねえな」
「え?」
「この天照石(てんしょうせき)は、切り出すと効力を失うんだ。何故なのかは分からねえが、そのままそこに在る状態じゃなければ効力を発揮しねえんだ」
「へえ、そうなんだ」

 私はまじまじと天照石を見つめる。
(なんだか、もったいないなぁ……)

 ぼんやりと眺めていた私に、兵士が声をかけた。

「では、こちらへ」

 喰鳥竜に乗るように促される。
(え~……怖いなぁ)
 私は、恐る恐るダチョウドラゴンに乗る。乗り心地は思ったより悪くない。鞍の皮のおかげかも知れないけど、なんとなく安定感がある。

「よいしょ」

 軽く掛け声がして、私の背後に入り口に立っていた兵士が乗ってきた。

「私が案内させていただきます」
「あ、よろしくお願いします」

 兵士はにこりと笑うと正面を見据える。
(他の人も乗ったかな?)
 辺りを見回すと、アニキは喰鳥竜に跨っていた。シンディと白矢は兵士が牽いて歩いてくるみたい。シンディはすでに手綱を牽いている兵士を鋭い目で睨みつけて威嚇していた。
(これは大変そう……お気の毒に)

 アニキは単騎だったけど、翼さんは私と同じで兵士と一緒に乗車ならぬ乗竜している。

「じゃあ、行くぜ!」
『はい!』

 アニキが指揮をとると、みんなが声を張り上げ、一斉にドラゴンが駆け出した。
 私の体は一瞬前へ傾き、次の瞬間後ろへ引っ張られた。後ろの兵士の胸に寄りかかるようにぶつかる。
 体を起こそうとすると、重力と風が負担になって、体が重い。
 
「そのままで大丈夫ですよ。寄りかかっていて下さい」

 背中から頼もしい声がして、私は素直に甘えることにした。

「すみません。ありがとうございます」
「いえ。虫がぶつかって来る事があるので、よろしかったらこれをお使いになって下さい」

 そう言って差し出してくれたのは、手ぬぐいだった。薄緑色で、刺繍はなにもされていない。

「ありがとうございます」

 私はお礼を言って、鼻と口を覆うように顔に巻いた。
(眼鏡はないから、なるべく薄目にしておこうかな)
 でも、薄目にしてみると、以外に目が疲れる。
(これなら完全に閉じてしまった方が良いかも)
 そう思って目を閉じた時、

「それにしても、花野井将軍にはもう一人妹君がおられたんですね」
「え?」
 私はびっくりして目を開けた。
(妹?)
「アニキと呼んでらしたので……違いましたか?」
「あ、はい。違います。私はそう呼ばせていただいていて」
「そうなのですか」

 納得するように兵士は頷いて、前を見据えた。
(アニキって妹いたんだ。他にも兄弟がいたりするのかな?)
 私はそう思いながらアニキの背中を見つめた。
 私って、やっぱりアニキのこと、なんにも知らないんだなぁ……。