私の中におっさん(魔王)がいる。~花野井の章~


 * * *


 わいわいと騒がしいお店の隅っこで、私は膝を抱えて丸まっていた。
 眼の前では、アニキがお酒の入った酒瓶を片手に中年男性と肩を組んで、体を横に揺らしながら笑い合っている。
 二人の前には「わっはっは」と豪快に笑いながら、取っ組み合いを始めたり、熱唱したりしている人が何人もいた。

 お酒を飲み始めたアニキは、すぐに他のお客さんと意気投合したから店に入ってから三十分も経たない内に私は騒がしい店内に一人っきりにされてしまったのだ。
 正直、好い気はしない。
 
 これがデートだったら、アニキは翌日には振られてるわ。
 アニキってもっと人に気を使える大人な人だと思ってたけど、お酒が絡むとそうはいかないみたい。

(お酒って、そんなに良いものなの?)
 私は若干むくれながら、テーブルに置いてある空の酒瓶を軽く持ち上げた。

「お嬢さんも飲んでみたら?」
「え?」

 突然飛んできた声に振向くと、私のすぐそばに男の人がいた。さっき熱唱していた人だ。彼は二本の酒瓶を手に持っていた。

「でも、未成年ですし」
「未成年ってなに?」
「え?」

 もしかして、この世界って未成年って言葉ないの?

「えっと、お酒っていつから飲んで良いんですか?」
「いくつもなにも、自分で判断できるようになったら飲んで良いんだよ」
「そうなんですか?」
「そうだよ」

 男性は驚いたように言って、「もしかして、キミ箱入り娘かなんか?」と、おかしそうに笑った。
 そっか。この世界では未成年って価値観はないのか。
 でも当然、子供と大人の境はあるよね?

「じゃあ、子供っていくつくらいまでですか?」
「キミ変な事訊くねぇ。そうだなぁ……十二,十三ってとこじゃないの?」
「え!?」
 じゃあ、私子供じゃないの?
「驚くような事?」
「じゃあ、成人っていくつくらいですか?」
「う~ん。そこは国によってまちまちだなぁ」

 男性は考えるように腕を組んだ。

「爛では十五になれば立派な大人だけど、隣国の岐附では十七,十八だって聞いたことがあるなぁ……。そういえば、美章も十五かそこらで成人だって誰かが言ってたな」

 じゃあ、この世界、少なくとも爛、美章じゃ、私も大人の仲間入りなんだ。ってことは、爛ではお酒を飲んでみても良いって、ことだよね。
 アニキをチラリと見ると、アニキは陽気に笑っていた。
(この後、国境を越えなくちゃいけないけど、一口くらいなら支障はないよね? よおし! 私も飲んでみよう!)

「お? 飲む気になった? じゃあ、これをあげよう」

 男性は私の気合を汲み取って、自分の持っていた酒瓶の一つをお猪口に注いだ。なんのお酒かは分からないけど、恐る恐るお猪口に口をつけた。

「ぐび」

 苦味が舌を痺れさせ、カァっと熱いものが食道を通った気がした。続いて、消毒薬の香りが洟を抜ける。

「――マッズい!」

 言葉を発した途端、眼の前が回った。
 ぐらっと店が回転し、むっとした気持ち悪さがこみ上げて、そして私の視界は黒く染まった。
 遠くの方で、アニキの慌てた声が聞こえた気がした。


 * * *


 花野井は酒に浮かれていた。
 わいわいと大勢で騒ぎながら飲む酒は、やはり楽しいものだ。嫌な事も全部忘れさせてくれる。
 しかし、胸の片隅で、埋められない小さな穴があった。そんな寂しさをどこかで感じながら、花野井がふいに視線を移動させると、ゆりがお猪口に口をつけるところだった。
 花野井の目線はゆりから隣の男へと瞬時に移った。
 男の持っていた酒瓶が目に入る。と、一瞬、固まり、次の瞬間慌てて駆け出した。

「嬢ちゃん!」

 上げた悲鳴と同時にゆりは昏倒して、床に倒れた。

「おい! テメェ!」

 花野井は、ゆりの近くに立っていた男の胸倉を掴んだ。驚く男に怒声を張り上げる。

「それ一番強い酒じゃねぇか!」
「え?」

 男はぽかんとし、次いで慌てて自分の酒瓶を見る。

「あっ! すまない! 間違えた!」

 男が持っていた酒瓶は二つ。一つは甘い混成酒。
 果酒(かしゅ)と言って、りんごに似た果実の甘さと香りが特徴で、アルコール度数はきわめて低い。
 一方で、もう一つの酒瓶は、火果酒(ひかしゅ)と言って、苦味が特徴の蒸留酒で、アルコール度数は極めて高かった。
 花野井は呆れ果てたようにため息をつき、男の胸倉から手を離す。

「すまない」

 男はなお、すまなそうに頭を下げた。
 わざとではなかった事が判り、花野井は「良いって」と小さく言って、ゆりを抱え上げた。

 花野井は小さくため息をつきながら、すっかりゆりの存在を忘れていた自分を反省した。
 ふと店内のウロガンドを見ると、深夜と呼べるには、少しばかり時間が足りないようだった。

「約束の時間まではちょっとばかしあるが……行くか」


 * * *


 時刻は十一時。約束の時間までは三時間あったが、花野井は要塞の壁沿いにいた。
 ゆりを抱えながら壁沿いに身を隠す。
 十一時と言っても、もはや辺りに明かりはなく、夜を照らす月明かりも厚い壁に遮られている。
 
 遠くの花街ではまだ明かりが煌々としていたが、その光が届く事はない。
 花野井は周囲を見回し、すやすやと眠るゆりを抱えて軽くジャンプした。常人がスキップをする程度の力で、十五メートル以上はある壁を僅かに越えて上部に着地した。
 それと同時に、驚きに満ちた悲鳴が上がった。

「うわっ!」

 花野井が目線を上げると、そこには四人の憲兵がいた。巡回中だった二組の憲兵と鉢合わせしたのだ。
 花野井は憲兵がなにかを発するよりも速く動いた。
 ゆりを肩に抱えたまま、憲兵の顔を掴み、鈍い音を立てて潰した。そしてすぐさま袖口の金属板から大剣を取り出した。
 憲兵からしてみれば、袖口からいきなり大剣が捻り出てきたように見えただろう。驚きながら後ずさる。が、次の瞬間三人は吹き飛び、悲鳴を上げる間もなく、岐附へと落下した。


 * * *


 国境を越えていた翼は、眠たそうにあくびをしながら、憲兵に見つからないように壁沿いに背中をくっつけていた。
 辺りは静寂に包まれ、月明かりが薄雲から弱々しく伸びる。
 月の位置からして、壁の向こうに月明かりが届く事はなさそうだった。

「ゆりちゃん達、もうきてるかなぁ?」

 翼は壁に寄りかかりながら、腕を組んだ。

「花野井さんも食っちまおうかな……」

 ぽつりと呟く声が冷たい。だが、それはすぐに明るい声音となって打ち消された。

「でもなぁ! 花野井さん良い奴なんだよなぁ!」

 花野井と翼は気が合った。
 元来自由奔放な者同士、通じるところがあったようだ。黒田のライバルでなければ、良き友人になれたのに、と翼は残念に思う。
 翼は内ポケットから小さなウロガンドを取り出した。約束の時間まではまだまだだった小さくため息をつこうとしたとき、風を切る音が、上空から僅かばかりに聞こえてきた。

 翼が見上げようとしたのと同時に、重苦しい音が地面に響いた。
 ぐしゃりと潰れた人間の顔。ありえない方向へ曲がった首。そんな死体が三体も地面に叩きつけられて横たわっている。

 翼は驚きながら、まじまじと死体を見た。鎧から、爛の憲兵だと察する。

「なんだってこんな……」

 訝しがっていると、目線の端で何かが縦に横切ったのを捕らえた。瞬時にそちらに顔を向けると、そこにいたのはゆりを抱えた花野井だった。
 花野井が翼に気づいて近寄ってきた。

「よう!」
「はっは~ん。これ、花野井さんの仕業っすね」
「まあな」
「入国証、盗るのは嫌がったくせに、こっちは良いんすか?」
「そっちは一般人だろ。こっちは兵士だ。全然意味が違う」
「そっすかねぇ……まあ、そっすね。全部で三人っすか」
「いや、もう一人上にいる。ここをさっさと離れた方が良いな」
「大丈夫っすよ」

 軽く言って微笑んだ翼に、花野井は訝しげな顔を向ける。翼は小さく指を鳴らした。その途端、壁に射していた翼の姿をかたどった薄い影が、ぐらりと揺らいだ。

 影はぬるりと形を変え、地面に転がった三人の遺体を覆うほどの大きさに広がる。ぽっかりと穴の開いたような影の中に、死体はずぶずぶと沈みこんでいった。
 そしてその影は、壁を這うように上へ向って移動した。
 
「証拠隠滅っす。これで貸しひとつっすね」
「……そうだな」

 花野井は驚きを隠してにやりと笑んだ。




「う……ん」

 もぞりと寝返りをうつと、瞼の裏が光った。

「眩しい」

 目を瞬かせながら、もう一度寝返りをうって、はっとした。勢いよく起き上がると、頭がぐらっと揺れた。
 目の前がぐるぐると回る。

「うっ……気持ち悪い」

 思わず顔を押さえると、聞きなれた声が飛んできた。

「大丈夫か?」

 焦ったような声に顔を上げようとするけど、すぐに眩暈が襲ってくる。

「アニキ?」

 見当はついていたけど、確認のために呼ぶと、声の主は、「そうだ」と、強く言った。

「もう暫く横になってろ」
「はい……私、どうしちゃったんですか?」

 アニキに促されて、私はゆっくりと横になった。すると、アニキの呆れ果てたような声が飛んできた。

「酒飲んだんだよ。まったく、ガキが蒸留酒なんて飲むんじゃねぇよ」
「ガキじゃありません!」
(だって私、爛じゃ大人だし!)
 途端にぐらっと頭の中が揺れた。
「うっ!」
「ほら、だから大人しくしてろって!」

 焦ったようにアニキが言って、私のおでこにひやっとした物が置かれた。視界がぐらつかない程度に薄く目を開けると、それはアニキの手のひらだった。
 アニキは心配そうに私を見ていた。
 なんだか、嬉しい。

「ごめんな」
「え?」

 不意の謝罪に驚いて、思わず目を見開きそうになったけど、視界が歪んだので慌てて閉じた。

「嬢ちゃんのこと、ほっぽといて悪かった」
「ホントですよ!」

 わざとむくれて言うと、アニキは小さく「すまねえ」と呟いた。
 アニキがそう言ってくれるだけで、私はなんだか満たされたんだけど、それは言わない。もうちょっと、反省してもらわなきゃ。
(女の子をあんな場所でぼっちにするなんて、ありえないんだから!)

 それからどれくらい経ったのか分からないけど、私はまた意識を取り戻した。目を開けると、頭がすっきりしていた。

「もう大丈夫なんすか? さっき目覚めてからそんなに経ってないっすけど」

 目覚めたことに気づいて、翼さんが声をかけてくれた。私はゆっくりと起き上がる。
(うん、眩暈もない。良かった)

「大丈夫みたいです。どれくらい経ったんですか?」
「十分くらいっすね」
「そうなんですか。アルコールって結構早く抜けるものなんですね。なんか意外です」
「いやいや、普通そんなに早く抜けないっすよ。ゆりちゃんが飲んでから二時間くらい経ってますけど。それでもありえないっすよ」
「え? じゃあ、まだ深夜ですか?」
「そうっすよ」

 そこではじめて辺りを見回す。
(ここって、洞窟じゃん!)
 しかも何故か、洞窟の壁は白熱灯のように明るく輝いている。
(なんで壁が光ってるんだろう?)
 視線を横に振ると、遠くに洞窟の入り口があった。入り口のその先は、闇を切り取ったように暗い。

「あの、ここってどこですか?」
「ここは、どこでしょうねぇ? 岐附であることは確かですが、俺は岐附に詳しくないので」
「そうですか……岐附!?」
「はい。岐附っすよ」
「国境越えたんですか!?」
「はい。越えました」
「……ああ、そうですか」

 翼さんはあっさりと頷いた。
(なんだ……。スパイ映画みたいでわくわくしてたのに……)
 私はがっくりと肩を落とす。

「あれ? アニキは?」

 ぽつりと呟いた独り言に、翼さんが答えてくれた。

「連絡取りに出ましたよ。さっき出て行ったばっかっす」
「連絡?」
「近場の村まで走って行かれました。近場って言っても、三十キロくらい離れてるみたいっすけど」
「えっ!? それを走って?」

 びっくりしちゃったけど、すぐに思い出した。
 アニキは身体強化能力があるから。

「白矢がいるのに、体動かしたいから走ってくるわって言ってましたよ。信じらんないすよ」

 翼さんは呆れながら言って、奥に繋がれていた二匹のドラゴンを一瞥した。そして思いついたかのように、「あの人、絶対、喰鳥竜(じきちょう)いらないっすよね」と、呟いた。
 若干顔が引きつっている気がする。

「喰鳥竜?」
「ああ。ドラゴンの名前っすよ。足が速く夜目が効くのが特徴なんす。軍事用で使われる事もあるし、山間に強いので山賊とかも使いますね」
「へえ」
「喰鳥竜に負けない速さで走ってましたからねぇ……」

 思い出すように言って、外を見る。
 たしかに、アニキは速い。
 走るアニキにおんぶされたことがある私が言うんだから、間違いない。

(と、すると、もしかして毛利さんも身体系の能力があったりするのかも?)

 不意にそんなことを思った。
 アニキにおんぶされた時、アニキについて走っていたのは、毛利さんだけだったのを思いだしたからだ。
 それから私は、私が眠っている間のことを翼さんから聞いた。

 どうやら、私が気を失ってすぐにアニキは検問を突破したらしい。ちょうど見張りの隙をついて壁を越えたらしく、見つかることなく岐附へ渡ったとか。
 岐附側は荒野が広がっていたらしいけど、アニキが猛スピードで走って離れたところにある森へ逃げ込み、この洞窟を発見したらしい。
 どうして壁が光ってるのかは、翼さんにはわからないらしかった。

 それから他愛もない話をしていると、アニキが帰ってきた。アニキは息が切れた様子もなく、汗も掻いてない。
 とても片道三十キロの道のりを往復したようには見えない。

「連絡はつきました?」

 翼さんが話しかけに行くと、アニキは軽く頷いた。

「とりあえず、伝書は送った。夜が明けたら村から迎えが来るから、返事がくるまでは村で待機だな」
「そっすか」

 翼さんが頷いて、アニキは視線を私の方にずらした。私は軽く会釈を送る。

「よう。嬢ちゃん、もう大丈夫なのか」
「はい。すっかり」

 私が笑むと、アニキもにかっと笑って、「良かったな」と、明るく返してくれた。
 それから数時間、洞窟の中で過ごして辺りが白んできた頃に、洞窟の入り口から硬い声が飛んできた。

「花野井将軍、こちらですか?」
「ああ、ここだ」

 アニキが返事を返しながら入り口の方へ向って歩き出す。私と翼さんもそれに続いた。洞窟の入り口には、若い兵士が立っていた。その奥に跪いている幾人かの兵士が見える。
 それぞれ手綱を持っていて、その先には変な生き物がいる。
 ダチョウのような身体に、爬虫類の顔がついていた。羽が極端に短いので、多分飛べないと思う。

(なんだろう、あの生き物、ドラゴンかな?)
「あれが喰鳥竜っすよ」

 後ろから翼さんが耳打ちした。

「ああ。あれが」

 振り返って頷くと、翼さんの後ろの壁が光を失っていた。どこにでもある岩壁と変わらない。

「アニキ。この壁、さっきまで光ってましたけど、どうしてもう光ってないんですか?」
「ん?」

 アニキが振り返った。それと同時に、入り口の兵士が何故か怪訝な顔をするのが見えた。アニキは岩壁を見て、

「ああ。それはな、この鉱石はこの地方でよく見かけられるものなんだが、暗くなると光を放つ性質があるが、明るいところでは光を失うんだ」
「へえ。ランプ代わりに便利そうですよね」

 手のひらだいに切り取れば、ランプよりも遥かに持ち運びしやすそう。

「いや。それはねえな」
「え?」
「この天照石(てんしょうせき)は、切り出すと効力を失うんだ。何故なのかは分からねえが、そのままそこに在る状態じゃなければ効力を発揮しねえんだ」
「へえ、そうなんだ」

 私はまじまじと天照石を見つめる。
(なんだか、もったいないなぁ……)

 ぼんやりと眺めていた私に、兵士が声をかけた。

「では、こちらへ」

 喰鳥竜に乗るように促される。
(え~……怖いなぁ)
 私は、恐る恐るダチョウドラゴンに乗る。乗り心地は思ったより悪くない。鞍の皮のおかげかも知れないけど、なんとなく安定感がある。

「よいしょ」

 軽く掛け声がして、私の背後に入り口に立っていた兵士が乗ってきた。

「私が案内させていただきます」
「あ、よろしくお願いします」

 兵士はにこりと笑うと正面を見据える。
(他の人も乗ったかな?)
 辺りを見回すと、アニキは喰鳥竜に跨っていた。シンディと白矢は兵士が牽いて歩いてくるみたい。シンディはすでに手綱を牽いている兵士を鋭い目で睨みつけて威嚇していた。
(これは大変そう……お気の毒に)

 アニキは単騎だったけど、翼さんは私と同じで兵士と一緒に乗車ならぬ乗竜している。

「じゃあ、行くぜ!」
『はい!』

 アニキが指揮をとると、みんなが声を張り上げ、一斉にドラゴンが駆け出した。
 私の体は一瞬前へ傾き、次の瞬間後ろへ引っ張られた。後ろの兵士の胸に寄りかかるようにぶつかる。
 体を起こそうとすると、重力と風が負担になって、体が重い。
 
「そのままで大丈夫ですよ。寄りかかっていて下さい」

 背中から頼もしい声がして、私は素直に甘えることにした。

「すみません。ありがとうございます」
「いえ。虫がぶつかって来る事があるので、よろしかったらこれをお使いになって下さい」

 そう言って差し出してくれたのは、手ぬぐいだった。薄緑色で、刺繍はなにもされていない。

「ありがとうございます」

 私はお礼を言って、鼻と口を覆うように顔に巻いた。
(眼鏡はないから、なるべく薄目にしておこうかな)
 でも、薄目にしてみると、以外に目が疲れる。
(これなら完全に閉じてしまった方が良いかも)
 そう思って目を閉じた時、

「それにしても、花野井将軍にはもう一人妹君がおられたんですね」
「え?」
 私はびっくりして目を開けた。
(妹?)
「アニキと呼んでらしたので……違いましたか?」
「あ、はい。違います。私はそう呼ばせていただいていて」
「そうなのですか」

 納得するように兵士は頷いて、前を見据えた。
(アニキって妹いたんだ。他にも兄弟がいたりするのかな?)
 私はそう思いながらアニキの背中を見つめた。
 私って、やっぱりアニキのこと、なんにも知らないんだなぁ……。


 * * *


 村には三十分程で到着した。
 江戸時代のような家々が並んでいたけど、私達が案内された建物は、石造りに瓦屋根と変わった外装だった。
 大きなお屋敷って感じの家だ。

 その屋敷から、一人の男が出てきた。小太りで背の低い中年の男は、嬉しそうにアニキに駆け寄って行った。
 たしか岐附では、こういう家に住んでいるのは貴族か金持ちかってアニキが言ってたっけ。たしかに、あの小太りの男は小奇麗な格好をしている。

「ここは?」

 喰鳥竜から降りたばかりの兵士に尋ねると、彼は私に手を差し出しながら答えてくれた。

「村長宅です」
「てっきり軍事施設かなんかに行くのかと思ってました」
「滅相もない。花野井将軍をそんなところでお待たせするわけにはいきません。王都・附都(ふと)からの迎えはまだ掛かるでしょうから」

 彼は私を喰鳥竜から降ろすと、アニキを見る。なんだかキラキラしているような目だ。憧れの存在を見る目という感じ。

「迎えってどれくらい掛かるんすか?」

 喰鳥竜から降りた翼さんが、彼に尋ねた。

「そうですね。かなり速くて五日、遅くても十日と言ったところでしょうか」
「結構掛かるんすねぇ」
「ええ。何せここは、国境沿いの村ですから」

 兵士は苦笑して、「ではこれで」と告げて、喰鳥竜の手綱を引いて仲間の元へと歩いて行った。
 引き上げて行く小隊に、深くお辞儀をする。
 顔を上げると、翼さんも小隊を見送っていた。

「王都ってどの辺にあるんでしょう?」
「俺は岐附の地理に明るくはないですが、確か国の中腹らへんでしたよ」
「へえ。美章は?」
「美章もそんくらいっすね」
「へえ」

 私が頷いていると、さっきまで小太りの男と話していたアニキがやってきた。

「屋敷の中、自由に使って良いってさ」

 にかっと笑いながら、アニキは親指を屋敷に向けた。




 屋敷で過ごす五日間はそれなりに充実していた。
 この屋敷は、外観は石壁に瓦屋根だけど、内装は中国ぽい。

 アニキいわく、こういう造りの家は殆どがそうなのだそうだ。
 一方で村民の家は、昔の日本のような家だった。かといって、爛のように茅葺屋根の家ではない。いわゆる、江戸時代の都心のような建物だった。
 そういう、日本式の家では履物を脱ぐけど、こういう石壁の家では寝る時以外は脱がないのだそう。

 寝具も、日本式の家(一般宅)と、こういう家(金持ち)は違うらしい。一般宅は畳の上に布団を敷くけど、ここはベッドだった。
 壁に埋め込まれたような造りの、やっぱり中国風なベッドだ。

 食事は美味しいし、村を散策するのも楽しかった。と言っても、村は商店のようなものは殆どなく、畑や田園ばかりだったけど、あまり田舎に行ったことがない私には新鮮だった。

 村の人達も良い人達で、行き会えば挨拶を交わした。
 農家の人はもんぺのような物を履いていたけど、それ以外の村人の女性の格好は、私が知っている着物の着方とはちょっと違っていた。

 襟の部分がフリルで、裾を肌蹴させて、その下にロングスカートが覗いている。月鵬さんと同じかっこうだ。
 男性は着物がわりと派手目な物が多く、内側は地味で、羽織を派手にして着ているようだった。

 今は秋なのでいないけど、夏はアニキのように素肌に一枚派手な着物を羽織るのが岐附流らしい。
 そういえば、アニキは寒くないのかな?
 もしかしたら身体強化能力があるから、普通の人より寒くないのかも知れない。

 この五日は、岐附の空気になれるのにも最適だったみたい。
 だけど、この五日間で残念なことも起きた。
 翼さんが一日だけ村で過ごして、すぐに美章に旅立って行ってしまったのだ。翼さんが旅立つ日、村の騎乗翼竜をアニキの権限で翼さんにあげて、旅の資金も渡していた。

 アニキが王都に戻ったら返済するって言ってたから、資金は軍から借りたみたい。
 岐附で爛のような事をしてくれるなよと、アニキが念を押すように言っていたので、やっぱり、アニキ達はかつあげモドキをした模様。
 旅の資金は、岐附の民に被害者を出さないためのものなんだろうな。

 アニキは護衛につけた三人の兵士にも頼んでいた。
 その中には、私をダチョウドラゴンに乗せてくれた兵士もいた。

「お前には要らないだろうが、道案内で連れて行け」ってアニキが言ってたから、護衛というよりは、本当に案内係なのかも知れない。
 去り際に、アニキが「これで貸し借りなしだな」って言ったら、翼さんが困ったように笑って、

「なしどころか、俺の方が貸しできちゃいましたよ。これじゃあ、ゆりちゃんを無理に連れて行くことは出来ないっすね。もちろんゆりちゃんが一緒に美章にきたいなら話は別っすけど」

 と言っていたので、アニキの賄賂がなかったら、もしかしたら美章に連れ去られていたかも知れない。なんてね。

 私は美章に興味はあったけど、丁重にお断りした。
 私の中で、クロちゃんの裏切りというか、本性というか、騙されていたことがやっぱりちょっと、尾を引いているんだ。

 なんだかんだで、一番酷いのはクロちゃんだもん。
 風間さんのことも、大分ショックではあるけれど……。
 そうして、翼さんはシンディを連れて村を後にした。

 それにしても、貸し借りってなんのことだろ?
 

 * * *


 そして、六日目の朝、王都・附都から迎えがやってきた。
 知らせを聞いて、私達は応接間に向った。

 応接間には、皮のソファが置いてあって、そこに二人の人物が座っていた。
 一人は、かっちりとした和装の男性で、二十代後半から三十代中頃といった年齢で、真面目そうな印象だった。髪型は軽くウェーブのかかった紺色の髪で、オールバック。眼鏡をかけていた。
 この世界にも眼鏡はあるんだぁと感動していたら、男性に睨まれてしまった。

 もう一人は、ウェーブのかかった長い髪の男性で、クリーム色の髪に、赤茶色のメッシュが入っていた。
 中世的な顔立ちの男性で、彼は私と目が合うと、にこりと笑んでくれた。

「よう。迎えご苦労」

 アニキが手を挙げながら二人に言うと、眼鏡の人が不快そうな顔をした。

「ご苦労じゃないですよ。何故こんな端も端の村に居られるのですか」

 ちょっと早口に言って、何故か私をキッと睨む。
(な、何なんだろう……私、今度はじろじろ見てないのに)

「あの、この人達は?」
「ん? ああ、こいつらは――」

 アニキは向って右、眼鏡の人から順に紹介してくれた。

「亮(りょう)と、鉄次(てつじ)だ」
「どうも」
「もう、鉄次って呼ばないでって言ってるでしょ! あたしの事は、てんちゃんって呼んでってば!」

 髪の長い人――鉄次さんは、ぷんすか怒りながら、「もう!」と頬にグーにした拳を当てた。
(もしかして、もしかしなくても、鉄次さんって、おねえ?)

「よろしくね!」

 呆然とする私に、鉄次さんはウィンクしてみせた。
 うん、おねえだな。確実におねえだな……おねえって初めて見たけど、鉄次さんは美形だし、良い人そうだなぁ。
 暢気に思っていると、突如険のある声が飛んだ。

「おい鉄次、お前は喋るな」
「ひっど~い! 亮ちゃんったら、いっつもむっつりしちゃってぇ!」
「うぜえ」
「まあ、こんな感じの奴らだが、俺の仲間だ。ちなみに二人は兄弟だぞ」
「え!?」
「鉄次が兄――いや、姉で、亮が弟だ」
「ふんっ、こんなのが兄だなんて嘆かわしい」
「兄じゃないわよ。姉でしょー!」

 眼の前でわいわいと盛り上がられると、なんだかちょっと寂しくなる。
 翼さんがいれば、まだ違ったのかな。
 一抹の疎外感が過ぎった。

「話を本題に戻しますよ!」

 咳払いをして、言い合いに終止符を打ったのは、亮さんだ。
 亮さんは、眼鏡をくいっと上げながら、私を睨むように一瞥した。そして、視線をアニキに移す。

「何でこんな所に居るんです? 例の話はどうなりました? 月鵬はどうしたんです?」
「なんでここに居るかってーと。よく分かんねぇんだが、俺達は気づいたら倭和から、爛の規凱にいたんだよ」
「そこを詳しく聞きたいと言っているんですが。自分達は状況を知らないもので」

 亮さんは早口で言って、イラついたように腕を組む。眼鏡の中心を押し込んだ。
(この人、短気だなぁ)

「倭和に居た時に、襲撃されたんだ。おそらくあれはニジョウだろう」
「ニジョウ。やっぱり動いてきたのねぇ」
「すみません。ニジョウって?」

 私がおずおずと質問すると、三人は一斉に私を振り返った。なんとなく居た堪れなくて、ちょっと、苦笑が漏れてしまう。
 アニキはにこりと笑んだ。
 笑顔を向けられて、私は少しだけほっとする。

「ニジョウってのはな、襲撃してきた奴らのことだ」
「あの民族衣装の?」
「ああ。ニジョウは倭和の奥地に住んでる部族でな。独自の価値観を持っていて、領地に足を踏み入れた者は誰であろうと始末するっつー危険思想の部族らしい。ほら、前に嬢ちゃんに言った事あったろ? 倭和国の部族について」
「あっ! 政府のいうことをきかない問題児の?」

 アニキは黙って頷く。

「ただ、領地に入らない限りは無害らしいが、今回の事で、やつらの思想が判明したわけだ」
「え?」
「――というと?」

 私が小さく驚くのと同時に、亮さんが割って入った。

「奴等の目的は、魔王を殺す事にあるらしい」

 ドキッと胸が高鳴る。
 たしかに、民族衣装の彼はそう告げていた。でも〝そうだ〟とアニキの口から告げられると、また一層真実味が増す気がした。

(また、命を狙われるのかな?)

 不安がとぐろを巻いて絡み付いてくる。
 暖かい感触が私の頭部を包んだ。見上げると、アニキが私の頭に手を置いている。私と目が合うと、アニキは柔らかく笑んだ。
 その笑顔を見た瞬間、心が急に軽くなった。

(ああ。私は、何度この人に救われたんだろう……)

 アニキは私を騙していたけど、でもアニキが私を見る目はいつも優しくて、大丈夫だと語ってくれる。
 私に居場所をくれる。そんな気になる。

「ということは、成功したって事なのね?」
「ああ」
「ですが、魔王とはエネルギーの塊と謂われているものでしょう。どうやって殺すって言うんです? そもそも器は死体なんですよね?」

 亮さんは若干責めるように言って、眼鏡を上げた。そしてやっぱり、早口だ。この人は早口になるのが癖みたいだ。
 もしかしたら、せっかちなのかも。

「それがな……」

 アニキは言い辛そうして、私を見た。
 私は、大丈夫と頷いてみせた。
 不安はまだあるけど、アニキがいてくれることで、なんだか安心できた。アニキは、小さく頷いた。どこか申し訳なさそうでもある。

「魔王は、こいつだ」
「え?」
「は?」

 アニキが私に手を向けて、魔王は私だと示したけど、鉄次さんは唖然として、亮さんは拒絶の色をあらわにした。
 到底信じられない。冗談だろ? と、顔が語っている。案外素直な人だ。

「冗談も大概にして下さいよ。将軍」
「冗談じゃないって」
「また、どうせこの村でひっかけた女なんでしょ。離婚が成立したばっかだからって、遠慮しなくて良いですから」
「違うって!」
「そうよぉ。けんちゃんの女癖の悪さは、み~んなが知ってることじゃないのぉ! 今更そんな嘘良いわよ!」
「だから違うって!」

――え? 離婚って……?

「ちょ、ちょっと、待って下さい。離婚って……アニキって結婚してたんですか!?」
「そうよぉ。六人の奥さん全員に、いっぺんに愛想尽かされちゃったのよねぇ?」
「……まぁな」
「ろく……六人もいたんですか!?」
「あらやだ。ここをどこだと思ってるの? 一夫多妻、一妻多夫が認められてる国よ。ちなみに同性愛者にもすっごく寛容なの。良かったわ。あたし、永や千葉に生まれなくてぇ!」
「あそこは同性愛者には厳しいからな」
「そうよぉ。ま、私の話はともかく。それで財産殆どなくしちゃったのよねぇ、将軍は。あははっホント可愛そう!」
「面白がってるだろ。まあ、別に職がありゃ、また稼げるしな。金は良いよ」
「あらやだ、かっこい~ん!」

「あはは」と、私は引きつりながら笑うことしか出来なかった。
 うまく事情を呑み込めない。
 アニキが結婚してただけでも驚きなのに、それも六人もいて、財産もなくすほど離婚にお金かかって……。
アニキってもしかして、女たらしなのかなぁ……? もしかして、私、騙されてる?

「失礼ですが」

 突然険のある声が飛んできた。亮さんだ。
 また私を睨んでる。
(私この人になんかした?)

「さっきそこの女が、アニキと将軍を呼んでおりましたが、花野井様と別にご兄妹が?」
「……いや」
「では、ご親族ですか?」
「いや」

 花野井様と別? なんだか言い方が変な気がする。
 まるで、もう一人、花野井がいるみたい。
(あっ。そっか。妹がいるって、村の兵士さんが言ってたっけ)
 じゃあ、その人とは別に妹がいるのかって意味か。なんだかややこしいなぁ。

「では、他人という事になりますね? おい、お前!」
「え?」

 亮さんは突然声を荒げて、私を指差した。

「将軍をアニキなどと呼ぶとは! アニキと呼んで良いのはあの方のみだ!」
「えっ!? あの――」

 なんで怒られているのか意味が分からない。

「良いんだ」
「は?」
「俺が許可した」
「しかし――」
「俺が、許可した」

 納得がいかない様子の亮さんに、アニキが噛み砕くように強く言うと、亮さんはぐっと黙り込んだ。

(なんだかよく分からないけど、アニキって呼ぶのって失礼なのかな? それで怒られたのかも……やっぱ、花野井さんとかのが良いのかな。考えてみれば、アニキって将軍なんだし)
 
 反省していると、頭に優しい重みを感じた。
 仰ぎ見ると、アニキの手が乗っていた。アニキは、優しく笑んでくれる。そしてそのまま、わしゃわしゃと私の頭を撫でた。
(なんか、大丈夫みたい)
 私の胸が安心感に満たされると同時に、

「じゃあ結局、その女はなんなんですか?」

 むすっとした表情で、亮さんが投げるように言った。その途端、スパン! と響きの良い音を立てて、鉄次さんが亮さんの頭を叩いた。

「もう! いい加減にしなさい! さっきから失礼な態度をとるんじゃないの! 本当にこの子はぁ!」
「うるせえなぁ。カマは黙ってろよ!」
「お姉さまでしょ!」
「だから、魔王だって」

 ぎゃいぎゃいと言い合いになりそうだったので、アニキが割って入ったけど、次の瞬間二人に、

「だからそれは良いって!」

 と、一蹴されていた。
 しばらく信じてくれそうにないな、こりゃ。


 あの後、私達はすぐに旅立った。
 最終的に鉄次さんは私の中に魔王がいるって信じてくれたけど、亮さんは信じてくれたかどうか分からない。

 ただ、確実に、私は亮さんに嫌われていると言うことだけは、はっきりした。旅立って六日。亮さんは、ずっと私を睨んだり、険のある目で見たりする。

 騎乗翼竜に乗ってる時も、食事の時も。目が合うたびに、「なんだコラ! やんのかワレ!」という目つきで見てくる。
 気まずくっても、何とか仲良くなろうと、休憩の時に話しかけようとしたら、舌打ちされたし!

 ひどい。ひどすぎる! 私、なんかした!? と、泣き叫びだしそうになる度に、アニキと鉄次さんがフォローしてくれたけど、その度に、亮さんは舌打ちをしてきた。

 ホント、なんなんだろう。この人!

 憤慨する気持ちと、傷心が私の中で爆発する前に、私達は目的の地、附都へと辿り着いた。


 * * *


 附都は、華やかだった。
 時代劇で見るような江戸の町並みの中に、そこかしこに石造りの家が並んでいる。人通りも多く、全体的に活気がある。

 町の入り口に関所があったけど、ほぼ素通りだった。
 長蛇の列が出来ているのにも拘らず、三人はすたすたと歩いて行き、先頭の関所の前にいた番兵に何かを見せると、すぐに通してくれた。
 割り込んだみたいで並んでいた人達には申し訳なかったけど、私も三人に続いて関所を通った。

 街を見渡していると、ふとあることに気がついた。
 ドラゴンを連れて歩いている人が、私達以外にいない。
(なんでだろう?)
 でも、そういうものなのかな。
 私は街を見回しながら、前を歩くアニキに声をかけた。

「どこに向かってるんですか?」
「とりあえす城だ。報告しなくちゃいけねぇからな」

 振り返って、アニキは笑む。
 私はお城の方向に目を向けた。
 お城は街の中心にあって、地面を高くしてあるので、街の外れからでもよく見える。どうやら日本風の形のお城だけど、石壁と木材で造られているみたいだ。

「お城って、私も行って良いんですか?」
「お前が行かないでどうするんだよ。魔王なんだろ。見えないけどな」
「こーら! 亮!」
「……ふん!」

 素朴な疑問をぶつけただけなのに、亮さんは攻め立てるように早口で、しかもぼそぼそと小声で文句を呟いた。
 鉄次さんが叱ってくれたけど、亮さんは鼻を鳴らしてそっぽ向く。
 本当に、何が気に入らないんだろう。
 アニキって呼ぶことだったとしても、それはアニキが許可してくれたわけだし、私とアニキの間のことなんだから、亮さんに関係ないじゃない。っていうか、この人はそれ以前に私のことが気に食わないように思える。
 だって、初対面から睨まれてたしね!
 私がムッとしていると、アニキがそっと隣に来て顔を近づけて小声で耳打ちした。

「すまねぇな。あいつもあいつで、色々あんだよ。少しの間勘弁してやってくれ」

 アニキが謝ってくれることじゃないと思うんだけど。
 でも、心遣いが嬉しいから、ま、大目に見てやろう。
 きっとこの先、そんなに顔を合わせることないだろうし。っていうか、そうあってくれなきゃ、私が困る!