何の取り柄もない田舎の村娘に、その国の神と呼ばれる男は1秒で恋に落ちる【前編】




「ただいま!」

村長さんに言われた事を考えながら、天音は家路に着いた。
手には、いつものヤンおばさんの牛乳を抱え、天音は家の扉を開けた。

「おかえり。」

そして、いつものように、じいちゃんが優しく笑いかけて迎えてくれた。じいちゃんは、やっぱりベッドにはいなくて、起き上がってお昼ご飯を作っていたようだ。

「…。」

そんなじいちゃんを見つめ、天音はまた考え込んだ。
さっきの事をじいちゃんに言うべきか、それとも言わずに何もなかった事にしてしまおうか…。
天音の頭の中では、そんな考えが行ったり来たりを繰り返している。

「どうかしたか?」

そんな深刻な天音の様子に、じいちゃんはすぐに気がつき、天音に問いかけた。
そして、天音は意を決して、じいちゃんに尋ねてみる事にした。

「じいちゃんは、この畑いつまで続けるの?そろそろ楽したくないの?」

天音はじいちゃんから、これからの事について本音を聞き出そうとした。
じいちゃんが望んでいる事は一体何なのか…。

そんな改まった話をした事など、今まで一度もない。天音は、今まで当たり前のように、じいちゃんに育ててもらってきていただけだ。
しかし、天音ももう17歳。これからは、ただ何かしてもらうだけでなく、じいちゃんのために、何かをしたいと考え始めていた。

「わしが死んだら、この土地は売っとくれ。」
「え…?」

じいちゃんからは、思いがけない言葉が返ってきて、天音は大きく目を見開いた。
それは天音の予期したものとは、全く違った答えだった…。

「すまんの。本当は村の外に出て、もっとお前にも遊んでもらいたいんだが…。」

じいちゃんが申し訳なさそうに目を伏せた。

…どうして……?




じいちゃんから、そんな謝罪の言葉が出てくるなんて、天音は思いもよらなかった。
そして、初めて見たじいちゃんの表情に、天音は戸惑いを隠せない。

「何言ってるの?そうじゃないよ。じいちゃんの体の事が心配でね。」

何だか話が噛み合わない。
ただ、これからの事を話したかっただけなのに。
じいちゃんに、こんな言葉を言わせたかったわけじゃないのに…。
天音は、やはり戸惑いの眼差しで、じいちゃんを見つめた。

「いいんじゃ。お前ももう17じゃ。いつでもこの村を出て…。」

いつから、じいちゃんはそんな事考えていたの?こんなんじゃダメだ。このままじゃ、ダメなんだ。

その時、天音の中から、戸惑い、不安その他の悶々とする気持ちがスルッと抜け落ちた。

「もう怒った !!」

そして、天音が突然机を叩いて、大声を上げた。

「は?」

突然そんな大声を出した天音に、じいちゃんは目を丸くして、ポカンと天音を見つめた。

「わかった!私出てくよ!!」
「そうか…。」

そんな天音の気迫に押されたのか、じいちゃんは、天音の決断になんともあっさり頷いてみせた。

「ちょっと来て!!」

そう言うと天音は、昨日じいちゃんが転倒した事も忘れ、強引にじいちゃんの腕を引っ張り、外へと連れ出した。



「一体どうしたんじゃ?」

天音は、じいちゃんをさっきの御触書の前へと連れて来ていた。

「これ見て!」

そう言って天音は御触書を指さした。
じいちゃんは天音と違って、スラスラと御触書を読み始めた。
じいちゃんは、ちゃんと難しい文字も読めるのを天音は知っていた。なぜなら、いつも家でも難しい本を読んでいたからだ。

「天師教様の妃候補??」

じいちゃんは、その御触書を読み終えて、その内容に眉をひそめた。
なぜ、天音がこんなお触書の前に連れてきたのか…。
じいちゃん、まだ真意を理解していない。

「私この妃になる!!」
「ハ??」

そして、まさかの思いがけない一言に、じいちゃんは言葉が出ず、口をあんぐり開けたまま、固まった。



「私、妃になるーーー!!」


天音は気がついた時には、その決意を大声で叫んでいた。
まるで自分を奮い立たせるように…。




そう、この決断は必然…。
どうしてこんなに、急に決めてしまったのだろう…。
半ば強引に…。


でも、これが私の… 運命だったのかな…?






そして、それは村を挙げての大騒ぎになった。
そう。これはこの村始まって以来の大事件。




それから数日後

「やった!!新しい服作ってもらえるの??」
「もちろんよ。」

天音の決心から数日後、服の仕立て屋のおばさんが、「せっかく城に行くのだから。」と無料で天音に、新しい服を作ってくれると、申し出てくれた。
本当にこの村の人達は、みんな優しくて、まるで家族のようだ。
天音はつくづくその事を感じていた。

始めは、まさか天音が…と思っていた村人達だったが、今では天音が妃候補となる事を、村のみんなが応援してくれている。

「どんなのがいいかね?なんたってお城に行くんだからね。」

仕立て屋のおばさんも、どんな服にしようかと、ワクワクしながら考えてくれていた。

「あのね…おばさん。」

しかし、天音の心の中では、どんな服にするのかは、もう決まっていた。
「ただいまー!」

天音は元気よく、いつもと変わらない自分の家に帰って来た。

「おかえり。」

そして、じいちゃんは、今日もいつものように天音に笑いかけ、迎えてくれた。
じいちゃんの腰もだいぶよくなって、前と同じように動けるまでに回復していた。

「明日までに、急いで服作ってくれるって!!」

天音はうれしそうに、じいちゃんにその事を報告をした。

「そうかい。」

じいちゃんは、やっぱり優しく微笑んで、天音の話に耳を傾ける。

「ま、妃になったら、いっくらでもお返しするけどね!」

天音はどこからやってくるのやら、自信満々にそう言った。

「で、いつ発つんだい?」
「明日。」
「そうかい。」

思い立ったら吉日。天音は、この村を発つ日を明日と決めていた。そして、それをあっさりとじいちゃんに告げた。
妃候補募集には、期限がある。この村から城に行くには、下手すると数日かかってしまうため、一刻も早く発たなければならない。
しかし、明日とはまた、唐突すぎる。普通ならそう考えるが、じいちゃんもまた、驚く事もなく、表情ひとつ変えずに頷いた。



そして天音がこの村を発つ日を迎えた


「ヤンおばさん!」
「おや、天音ちゃんかい?」

その日の午前、突然現れた天音に、ヤンおばさんは少し驚いた表情を見せた。

「今日もおばさん自慢の牛乳お願い!」

天音は出発の日の今日も、いつもと同じように、ヤンおばさんのお店に牛乳を買いに来た。
おばさんの驚いた顔を見たところ、そんな大事な日に天音が現れるなんて、微塵も思ってもいなかったようだ。

「…いつもありがとうね。」

そして、ヤンおばさんはしんみりした声でそう言って、少し寂しそうに笑った。

「明日からは、じいちゃんの分の牛乳は、リュウが買いに来るから。」

天音はいつもの笑顔で、その事をヤンおばさんに伝えた。
天音はリュウに、じいちゃんの所へ牛乳を届けるようにお願いしていた。
最初はブーブー文句を言っていたリュウだったが、天音のお願いを断る理由はどこにもなかった。
そう、天音は明日からはここにはいない…。

「寂しくなるねー。」

いつもは元気いっぱいのおばさんも、やはり天音がいなくなるのは寂しく、シュンとしてしまっている。

「何言ってるの!!すぐ帰ってくるって。」

しかし天音は、そんなしんみりとした空気を吹き飛ばすかのように、元気に答えてみせた。
ここを離れるのは、ほんの少しの間だけ。
修行が終ってここへ帰ってきて、またみんなと暮らせばいい。天音はこの時は本気でそう思っていた。
ただ、おばさんの元気のない姿を見ていしまうと、やはり胸が熱くなる。

「…そうだね。」


そう言って、ヤンおばさんは、やっぱり寂しげに笑った。






その頃、村長とじいちゃんは、この村が見渡せる丘の上にいた。

「今日だって?」

天音が今日発つ事は、もちろん村長の耳にも入っていた。

「ああ。まったく急だ」

今までは気丈に振る舞って、弱音も寂し気な顔も誰にも見せなかった。
そんなじいちゃんも、この時ばかりは、寂し気な瞳を村長に見せた。

「ホッホッホ。天音らしい」

しかし、村長はいつもと同じように柔らかく笑った。まるでじいちゃんを慰めるように。

「もう17歳か…。」
「早いもんだ」

そして、じいちゃんはその寂しげな瞳で、この小さな村を見つめた。

「いいのか?」
「何がじゃ??」

村長が最後にじいちゃんに問う。
それは親友への最後の警告だ。
しかし、じいちゃんは何の事やらと、とぼけたように首を傾げながら村長を見た。

そう、それが彼の答えだった。

「そうか…」

じいちゃんとは長い付き合いの村長は、じいちゃんの気持ちを察して、静かに頷いた。

「あの子が選んだ道じゃ…。」

じいちゃんは遠くを見つめ、ポツリとつぶやいた。


そして、その丘に漂う優しい風が、二人の頬をなでた。





———それが何かの糸によって、たぐり寄せられた道でも…?







ついに天音が旅立つ時、時刻は夕刻。

天音は、この日もいつものように、何だかんだ家の仕事をこなしているうちに、いつの間にかこんな時間になってしまった。
村の入り口には、村人達全員が、天音の見送りに集まっていた。

「さ、主役の登場だー!!」

満を持して、リュウのお父さんが、みんなの前に天音を招き入れた。

「おっまたせー!!」

そこへ天音がいつものように、元気よく登場した。

「なんだよ。いつもと同じ服じゃん。」

しかし、そこに現れた天音はいつもとなんら変わりのない姿。その姿を見て、リュウがいつものようにチャチャを入れるが、明らかに寂しげでトーンの下がった声までは、隠せなかった。

「うん!」

天音が新しく作ってもらった服は、まったく飾り気のない、いつもと同じただの白い布で作ったワンピースだった。
天音は贅沢という言葉を知らない。持っているのは、白のワンピースと、畑仕事をするつなぎだけ。
天音は、このワンピースが、一番自分らしくいられる事をわかっていた。 だから、いつもと同じこの服を、仕立て屋のおばさんにお願いをしていたのだ。

「ホッホッホ。天音らしいの。」
「その服が一番似合っておる。」

天音の意図をちゃんとわかっている、じいちゃんと村長がそう言って、褒めてくれた。
天音はその二人の言葉を聞き、満足気に笑って見せた。

「もう夕暮れだよ。」
「本当に大丈夫か?一人で?」

村のみんなが天音を心配をして、声をかけてくれる。
無理もない。始めて一人で村から出る女の子が、こんな時間から出発するなんて、誰だって心配する。

「大丈夫だって!!」

しかし、天音は、みんなの心配をよそに、いつもと変わらず、元気いっぱいの笑顔でそう答えた。
この国の主な移動手段は馬車か馬。そのため、村の人が長距離用の馬車を手配をしてくれたため、近くの大きな町までは、夜通しそれに乗って行けばよいだけ。




「天音」

そんな時、じいちゃんが、落ち着いた声で天音を呼んだ。

「何?」
「あれは持っているか??」
「え…?」

天音は、じいちゃんが何の事を言っているのかわからず、キョトンとした顔を見せている。

「十字架…。」

じいちゃんは、たった一言、そう伝えた。
その言葉だけで、天音が全てを理解すると知っていたから。

「じいちゃん…。」

もちろん天音は、じいちゃんの言いたい事を、その言葉だけで瞬時に理解していた。
その十字架とは、天音がこの村の入り口に捨てられていた時、手に握っていたという、片方しかない十字架のピアスの事だ。
天音が幼い頃、じいちゃんから、お守りとして持っておくように渡されたものだった。
もちろんこの日も、お守りとしてそれをポケットに忍ばせていた。

「お前のお守りじゃろ?」

じいちゃんは、じっと天音の目を見て、訴えかける。
そして天音は、そのじいちゃんの眼差しに何かを感じ、ポケットからピアスを取り出した。

ブスッ

「いったーーー!」

リュウがその光景を目にして、思わず大声で叫んだ。
天音は、そのピアスを穴の開いていない耳にぶっ刺したのだ。
それはまるで今の決意を、みんなに示すかのように…。

「へへ。」

天音の耳は次第にジンジンと痛み始める。しかし、天音は痛みを表情に出す事はなく、満足気な笑みを浮かべた。
むしろこの痛みは、今の心の痛みを消し去るには、丁度いい位…。

「がんばってくるんだよ。」

最後に村長が、天音に優しく声をかけてくれた。

「うん…。」

そして天音は、村の入り口の方を向き、歩き出した。

みんなに背をむけて…。

しかし…