死者の愛〜最期のメッセージ〜

「そうよ。別れたのはもう二年になるかしら。お互いすれ違うことが多くなったから」

現場に出かける支度をしながら、藍は言う。その時、藍の手を大河が掴んだ。

「お、俺は……あなたを絶対に幸せにしますから!」

朝子と聖が「きゃ〜!」と言いたげな顔になり、正人は固まった。部屋が少し甘い空気になる。

「何バカなことを言ってるの?早く行くわよ」

藍の一言で、その空気は壊された。



研究所から四十分ほどの場所にある空き家には、黄色いテープが張られ、多くの警察官が行き来している。

「あっ、来た来た!霧島さ〜ん、こっちです!」

如月刑事の部下の原光矢(はらこうや)が手を振る。藍は頭を下げて、テープをくぐった。

「遺体はどちらに?」

「一階の和室です」

空き家は長い間放置されていたのか、あちこちに埃が積もっている。藍は大河に、「家の中も撮影しておいて」と頼んだ。

「霧島さん到着しました〜!!」

原刑事がそう言い、和室の扉を開ける。ふわりと舞い上がった埃に、藍は激しく咳き込んだ。藍だけでなく、部屋の中にいる刑事たちも咳き込んでいる、

「この馬鹿!もっとゆっくり開けろ!!」
そう原刑事に怒鳴ったのは、スラリとした長身の男性。彼が藍に依頼してきた人物であり、元恋人だ。

「遺体、見させてもらいます」

如月刑事が原刑事を叱っている間に、藍は和室に転がっている遺体を観察し始めた。

王冠をモチーフにしたネックレスをかけ、淡い色のワンピースを着た二十代ほどの女性だ。顔には化粧がされ、爪もきれいに手入れがしてある。そして、腕や手首に多数の古傷があった。

「これは……リストカットの跡ね……」

藍がそう言うと、原刑事が「ここに遺書も見つかっています。自殺でしょう」と言った。

「もう死ぬしかない。消えたい。さよなら」

原刑事が遺書の中身を読んだ。なぜ死にたいのかは書かれていない。

「彼女の身元は?」

藍が訊ねると、如月刑事が言った。

「持っていた持ち物等から、山本咲(やまもとさき)さんだと判明した。美容学校に通っていた」

藍が咲の遺体をよく見ると、遺体の周りに紫の花と緑の葉のかけらが落ちている。それを見て藍は言った。
「彼女はもしかしてトリカブトを……?」

トリカブトは有毒植物として知られている。毒をわずか0.2グラムから1グラム摂取しただけで死に至る恐ろしい植物だ。経口からわずか数十秒で死亡する即効性があり、解毒剤は存在しない。

「この家の庭に生えている」

窓の外を如月刑事が指差す。外にはたしかに紫の花がたくさん咲いていた。

「霧島先生、山本咲の死は不審死でしょうか?」

如月刑事に訊かれ、藍は考える。その横顔に大河が見とれ、その様子を見ていた如月刑事が不機嫌な顔をし、「自殺じゃないんですか?」と言う原刑事は怒られた。

トリカブト、遺書、手入れされた爪、化粧した顔ーーー……。

「山本咲さんは、恐らく自殺ではありません」

如月刑事以外は、みんな驚いた顔で藍を見つめた。
「どうして、自殺じゃないって思ったんですか?」

山本咲の解剖の準備をする藍に大河が訊ねる。その横には如月刑事と原刑事もいた。

「遺体の爪は、全く汚れていなかった。トリカブトの毒は葉や花にもあるけど、最も強力なのは根っこ。確実に死ぬつもりなら、山本さんはトリカブトを掘るはず。そうすれば爪の中に土が残る。でも、あの遺体は爪がきれいだった。それに、花や葉のかけらが落ちていたのも何となく気になる」

淡々と言う藍に、如月刑事は「さすがだ」と微笑む。大河がそれを睨みつけた。

「午後二時三十分、解剖を始めます」

藍がそう言い、朝子たちはメスを手に取る。大河はカメラを手に、真剣な表情になった。

トリカブトによる死因は、心室細動や心停止。血液を調べなければトリカブトの毒は検出されない。

「心臓の血液量、右が……」

「血液採取します」

黙々と解剖が進む中、如月刑事と原刑事はその様子を見守っている。

「霧島、ちょっといいか?」

聖が山本咲の手を持ち上げ、言った。
「手首に、リストカットとは違う縛られたような跡と、手の甲に引っ掻かれたような傷がある」

「え?じゃあこの子、ただ殺されただけじゃなくてどこかに監禁されてたってこと?」

赤い線のような傷跡を見ながら朝子が言う。その時、「あれ?」と言った。

「このご遺体、何か握ってる」

強く拳を握った右手から、何か白いものがはみ出している。慎重に拳を開き、藍が山本咲が握っていたものを取り出す。それは、一枚のメモ用紙だった。

「O.K?」

アルファベットでそう書かれていた。他には何も書かれていない。

「わかった!これは犯人の名前ですよ!!」

原刑事が興奮しながら言う。如月刑事が「落ち着け」と言った。

「取り敢えず、殺人の疑いで捜査を進める」

解剖が終わった後、如月刑事がそう言った。



数日後、大河が慌てた様子で藍たちのもとへ走って来た。

「薬毒物検査の結果、出ました!!」

藍たちは立ち上がり、検査結果を見る。トリカブトに含まれるアコニチンが検出された。

「もう一度、現場に行ってきます!」

藍はそう言い、部屋を飛び出した。
研究所にあるホワイトボードに、如月刑事が山本咲の行動を書いていった。事件の捜査を報告するためだ。

「山本咲は、十日の夕方から行方がわからなくなっていたそうだ。学校も無断欠席していた」

「死亡推定時刻は、十七日の午後十時から十二時頃ですね」

藍がホワイトボードに、「十七日、午後十時から十二時頃死亡」と書き加える。

「じゃあ、十日に誰かに拉致されてあの家に監禁されて殺されたってこと?」

朝子の言葉に、藍が「それが変なのよ」と言った。みんなの視線が藍に集まる。藍は大河が撮影してくれたあの空き家の写真を取り出し、言った。

「あの家は、長い間誰も立ち入ることなく放置されていました。そのせいでこのように埃がたまっています。しかし、あの家には生活していた跡が残っていません。七日もあの家で監禁されていたなら不自然です」

「つまり犯行現場はあの空き家で、被害者は別の場所で監禁されていたってことですか?」

大河がそう言い、藍は頷く。
「では、あの家の周辺で怪しい人物がいなかったか、聞き込みをしてみよう」

如月刑事が言い、原刑事が頷く。その時大河が言った。

「あの、山本さんが手に持っていた紙に書いてあったことって一体何だったんですか?」

「それがまだわからないんですよ〜。被害者の周りの人間を調べたんですけど、OやKで始まる名前って誰もいなかったんです」

原刑事が悔しそうに言った。

その夜、研究所から出た藍は「待ってください!」と大河に話しかけられた。

「河野くん、どうしたの?」

藍が訊ねると、大河は顔を赤くしながら言う。

「あの!よかったら、ご飯一緒に食べませんか?霧島さんが好きそうなお店、見つけたんで……」

藍は予定を確認する。今日の夜は何もない。

「予定もないし、行こうかしら」

藍がそう言うと、大河はパアッと花が咲くように笑う。藍は不思議に思いながらも、ご飯を食べに行くことにした。

「どんなお店なの?」

「パスタがすっごくおいしいんですよ!デザートのティラミスも絶品です!」
藍のお腹が音を立てる。おいしい料理に期待をしていた刹那、「あの、すみません」と二人は突然声をかけられた。

「この研究所の方ですか?」

藍と大河が振り向くと、ラフな格好をした男性が立っている。

「そうです。失礼ですが、あなたは……」

藍が訊ねると、男性は「山本咲の恋人です……」と静かに言った。



男性は、上山英二(うえやまえいじ)と名乗った。山本咲と同い年で、高校生の頃から付き合っていたらしい。今は医大生だそうだ。

「咲の解剖をした人ですか?」

「はい、そうです」

藍がそう言うと、「ちょっと俺のマンションに来てほしいんです!どうしても話したいことがあって……」と上山英二は藍の手を掴む。慌てて大河が二人を引き離した。

「突然だし、失礼だってわかっています!でも、咲が殺されたかもしれないって聞いて……」

上山英二はその場で泣き始めた。藍と大河は顔を見合わせる。

「霧島さん、男の部屋に行くなんて危険ですよ!何をされるかわかりません!」
泣き崩れる上山英二を見ながら大河が言う。しかし、藍は「何か困っているみたいだし……」と上山英二の部屋に行くことにした。

「ありがとうございます!」

頭を下げる上山英二を見つめる藍に、「何があっても守りますから!」と大河が言った。

そして、泣き続ける上山英二とともにマンションへと向かった。

上山英二のマンションは、電車で十五分ほどのところにあった。五階建ての新しいとは言えないものだ。上山英二は四階に住んでいる。

「ちょっと散らかっていますが、どうぞ」

上山英二はそう言い、部屋へと案内する。本棚には医学に関する本がたくさん置かれていた。

「毒物に関する本、お持ちなんですね」

本棚を見ていた大河が言う。本棚には一冊だけでなく、何冊も毒草や毒物に関する本が並べられていた。

「毒に興味があるんですよ。そのせいで、警察には疑われていますけどね……」

上山英二と山本咲は、事件の数日前にしたデートで口論になったらしい。そう上山英二が語った。