(…!?)


「…二度と、自分の事を気持ち悪いとか家出するなんて言うんじゃねぇよこのクズ野郎。お前の家はここだ、分かるな?そんな事は死んでも考えるんじゃねえ」


(…!)


自分の愛する人に肯定の言葉を投げかけられ、こんな自分に対してそれでも家族だと言ってくれるなんて、これは予想もしていなかった展開だ。


それと同時に、今まで必死に繋ぎ止めていた何かがプチンと音を立てて崩れ落ちた。


言葉に言い表せない程の驚きと、琥珀の身体が自分に触れた事による興奮を味わった次に俺を襲ったのは、俺の目から流れ出る滝のような大雨、いや洪水と、


「…、うっ……っ、…!」


本当に感じた事の無いくらい大きな感動と喜び、そして幸せだった。







━━━━━━━━━━━━━━……………


「うわあぁぁぁんっ……、俺、俺っ…まじで琥珀の事好きになって良かったあぁああっ!」


「…全くうるせぇな、少しは静かに泣けねぇのかお前は」


「愛してるよ琥珀ううぅううっ!…っ、何かもう、これからもずっと想い続けてていいっ…!?」


「勝手にしてろ」


琥珀の部屋の目の前で、中から聞こえる2つの声をずっと聞き続けていた私ー丸谷 紫苑ーは、安堵の涙が零れないように上を向いた。


その隣では、


「なんて素敵なんでしょうか。俺も早くこんな恋がしてみたいものです」
1ミリだけ開いたドアの隙間から中を覗き見し、しみじみと呟く航海と、


「最高だぞ大也、それでこそ男の鑑、僕と血を分けた弟!」


ズビーッと鼻をすすりながら、感慨深げに叫ぶ壱さん…ではなく、仁さんが居た。


「静かにしろナルシスト、あいつらに聞こえたらどうするんだ」


そこに、うねる髪の毛から水を滴らせながら銀ちゃんが現れて。


数秒で状況を把握したらしい彼はなるほどな、と頷き、自身が使っていた濡れたタオルを涙を拭く用に仁さんに貸していた。


(こんなに騒々しくて、皆やってる事が子供みたいだけど)


隣でぎゃあぎゃあ騒いでいる仁さんと、室内で琥珀の右腕にしがみついて大泣きしている大也を交互に見た私は、胸に独りごちる。


(人一倍、“家族”としての想いは強いんだよね…)



私は、大也の一世一代の大告白の様子を見守っている間、航海に大也の片思いの相手を元から知っていたのか尋ねた。


すると返ってきた答えは、


『はい。大也さん分かりやすすぎですからね。鈍感な琥珀さん以外は気付いていたんじゃないですか?仁さんなんて、大也さんの恋が実るかどうかをいつも伊織さんに聞いていましたからね』


だった。


大也の事、驚かなかったの?
続いて、私が控えめにそう問うと、


『僕は特に驚いてませんね。僕みたいな恋をする資格なんてない人間から見たら、男女関係なく誰かに恋をするのはとても素敵な事だと思うので。ただ、心底羨ましいです』


と、航海にしては珍しく、照れくさそうに頭を掻きながら答えてくれた。


仁さんも銀ちゃんも、


『この時代、恋愛なんて何でもありでしょ?大也が僕らに早く言ってくれればいいのにって思ってたよ。…あ、因みに僕の夢は一夫多妻を実現する事だからね』


『知らねぇけど、まあ良いんじゃねぇの?そもそも他人が人の恋愛話に口突っ込んじゃいけねーだろうが』


とまあ、普通に大也の事を認めて受け入れているようだった。



大也の告白が承諾される事は無かったが、彼の、


「失恋したのに尚琥珀の事想い続けられるなんて最高なんだけど!明日の戦い、琥珀がピンチになったら俺が必ず助けるからいつでも抱きついてきていいよ大好き!」


といういつもの明るい声と、


「お前の助けなんぞ死んでも要らねぇ、その上戦いの最中に人に抱きつくなんて反吐が出るわ」


それに対していつもの様に恐ろしい毒舌を飛ばす琥珀の低い声を聞く限り、彼らの仲は悪くなるどころか深まっている様だ。


「良かった、大也…!」


泣き喚きながら銀ちゃんに濡れたタオルを押し付けている仁さんを見ながら、私は安堵の微笑みを浮かべた。
そして、待ちに待った決行日が訪れた。


昨夜、部屋の主に何もしないことを条件に琥珀の部屋で寝たという大也は見るからにテンションが上がっていて、


「俺が全員まとめて殺すからね!紫苑ちゃん、楽しみに待ってて!」


と、朝一番で私の顔を見るなりそう宣言してきた。


しかし、朝食の時間から皆にまとわりつく雰囲気はいつもとはかけ離れていて。


全員の余裕感は明らかに分かるけれど、その中にやはり緊張だったり不安だったりが見え隠れしている気がする。



「おらゴミクズ共め、飲んだ飲んだァ!」


お昼になり、OASIS本部での決行まで3時間を切った頃。


早めの軽い昼食を食べた後、仁さんの弟の壱さんが私達にくれたのはガラスのコップに入ったタピオカミルクティーだった。


「え、ありがとうございます壱さん!まさか壱さんまで私の好みを分かってるなんて…」


笑顔で感謝の言葉を口にした私はそれを一気に吸い上げ。


(ん、…!?)


いつものタピオカミルクティーとは少し違う味に、微かに眉間にしわを寄せた。


苦味、だろうか。


「…なんか、独特の味がするね」


「るせぇな、これは俺の特製タピオカだ文句あんならぶっ飛ばすぞ」


皮肉を込めてそう言ったものの、そんなものは壱さんに全く堪えなかった様で。
「大丈夫だよ、飲めなくはないからね。ほら琥珀も飲んで、コーヒーなら明日作れるから」


「壱、お前は金輪際タピオカを作るな。タピオカ作りは伊織と仁だけでいい」


グチグチと文句を言う他の皆と同様、私も嫌々ながらもタピオカミルクティーを一気飲みした。



そして、1時10分前になった。


mirageは、お揃いの黒いハーレムパンツにシンプルな色違いの色のトップスを合わせ、そこに笑美さんが買ってくれたあのボアジャケットを羽織りながら、決行における最後の確認をしていた。


「え、ボアジャケット着ても寒いんだけど無理無理無理!カイロどこカイロ!」


傍から見たら誰かと遊びに行く直前と勘違いしてしまう程の明るさでカイロを探しに2階に駆け上がる、まるで後ろ姿が熊の様な色のボアジャケットを着た大也や、


「銃3丁とスマホも持ちました、大也さん用のバナナも持ちました、サングラスもかけてます。準備は完了です」


1つ1つ指差し確認をして、ぎこちなく自分に向かって親指を立てている航海、


「ご主人様…、」


「大丈夫だよ、笑美。大丈夫だから。伊織と紫苑の為に夕飯をちゃんと作っておくんだよ。明日はクリスマスだから、奮発してパーティーでもしようね」


瞳をうるうるさせている笑美さんの頭を優しく撫でながら、安心させる様に彼女に笑いかける湊さんらを見て、私は拳を握りしめた。
これから、彼らは私の復讐の為にOASISへ行く。


自宅待機とはいえ、私も皆に迷惑がかからないようにしなければ。


(帰ってきたmirageの事を、笑顔で迎えられるように)




そして。


「じゃあ、行ってくるね」


遂に、その時が訪れた。


混雑した玄関先で靴を履き、後ろを向いて家に残される私と伊織、そして笑美さんに手を振ってくれる皆。


「皆、私の為に本当に本当にありがとう…っ!絶対、全員で帰ってきてね!」


mirageという名のサンタさんに、私は頼んだ。


クリスマスは、家族全員で過ごしたいと。


「当たり前だろ、俺はmirageのユニバース、銀河様だ。お前の仇は俺が討ち、光の速さで帰還してやるよ」


「ごめんね紫苑ちゃん、この厨二病馬鹿は無視して。…俺らなら絶対大丈夫、この計画は成功するから。だから、安心して俺を信じて?」


銀ちゃんのいつものキャラ変に対しても、大也のいつものあの台詞にも、感謝の気持ちが止まらない。


「おい伊織、チビの事頼んだぞ」


右手をポケットに突っ込んだ琥珀のその台詞からも、家族としての信頼の感情が伝わってくる。


「もちろん」


「紫苑、君は今も狙われている身なんだ。警戒は怠らないようにね」


伊織の返答と重なる様に、湊さんが私の目を見ながらそう口を開いて。
「大丈夫です。伊織もいるし、私は平気です」


安心させる様に微笑むと、湊さんは笑って頷き。


「ほらmirage、もたもたしてないで行くよ!早く車に乗って」


リーダーらしい言葉を発し、寒空へと通じる玄関の扉を開けた。







━━━━━━━━━━━━━━━……………………



「皆、もう着いたかな…?」


「まだじゃない?だって今2時過ぎだよ?」


「そっかあ…」


mirageを見送ってから、早1時間近くが経過した。


暇を持て余した私は先程まで笑美さんと一緒にリビングの掃除をしていたけれど、伊織の、


『タピオカミルクティー作るけど飲む?』


という言葉にまんまと乗せられた今、掃除をほっぽり出してソファーに座っている。


「はい、完成!召し上がれー」


手際良くタピオカを作り終わった彼は、笑顔で私にストロー付きのそれを渡してきて。


「ありがとう!壱さんが作ったやつはなんか変な味がして、伊織のタピオカミルクティーの美味しさを改めて感じたんだよねー」


いただきまーす!、と、私は顔に笑みを浮かべたままタピオカをゆっくりと吸った。


「え、そんなに変な味だったっけ?…まあいいや、俺のこのタピオカは美味しい?」


うーん、と首を捻る彼を、私は横目で見やる。
もちもちの黒玉を噛んで飲み込んだ後、私は大きく頷いた。


「やばいこれめっちゃ美味しい!やっぱり壱さんには作らせない方がいいよ」


こらこら、そういう事言わないの!、と、私の座るソファーに近づきながら焦る伊織を見て、私は声を上げて笑った。


「明日クリスマスだからさ、またタピオカ作ってよ。皆で飲みたい」


彼は少し驚いた顔をしたけれど、すぐに笑顔で頷いた。


「もちろん。紫苑ちゃんの為なら喜んで」


へへっ、とお互いに笑い合い、私はまたタピオカミルクティーを口に含む。




そうしているうち。


(…ねっむ、)


緊張のせいで早起きして疲れたのか、何だか眠くなってきた。


「…ねえ伊織、私ちょっと眠くなってきたから寝るね。何かあったら起こして欲しい」


ふわあぁっ、と欠伸をしている間にも、私の瞼はどんどん下がってきて。


その異常な程の眠気に耐えきれず、手から力が抜ける。


タピオカが入ったプラスチックのコップが滑り落ち、真っ白なカーペットに黒玉とミルクティー色の液が染み込んでいくのがぼやけて見えた。


「紫苑ちゃん、疲れちゃったんだね。…大丈夫だよ、おやすみ」


いつの間にか私の真後ろに立っていたのか、情報屋の声がやけに大きく聞こえた。
おやすみと言われた直後、頭を優しく撫でられた気がして。


その感触が、どうも亡くなったお母さんに撫でられたあの感覚にそっくりで。


(…お母さん、)


そう思った瞬間、私の意識はプツリと切れた。







━━━━━━━━━━━━━━…………………


「会長、“ニュー”からお電話です」


「ありがとう、“アルファ”」


ここはOASISの本部、最上階。


決められた人しか立ち入れないその場所で、会長と呼ばれたその男は、高級な革張りの肘掛け椅子に深く腰かけたままスマホを耳に当てた。


「状況はどうだ、ニュー」


電話越しから、ニューと呼ばれた男の声が微かに漏れて聞こえてくる。


『ただ今、計画を進行中です。そちらに着き次第、一旦“ガンマ”に見張りをさせる予定です。殺害はもちろん、会長にお願いしたく思っております』


「…そうか、ガンマにな。良い考えだ」


ガンマ、という言葉が届いたのか、ドア付近で直立不動の姿勢を保っていた男が、


「マジ!?よっしゃあ大役じゃん神!」


と、ガッツポーズを決め込んだ。


「殺害は、もちろんこの私が行う。ずっと狙ってきた2兆円がようやく手に入るのだからな。2度も私達の殺害計画をおじゃんにさせられて、私のはらわたは既に煮えくり返っている」


6年前から狙い続け、幸か不幸かそれを回避し続けたあの忌々しい娘。