嬉しくて課長にもう一度確かめた。
するとそれが不味かったのか眉をさらに寄せた。
あれ?機嫌悪くなった……。
「本当ですかって……お前は、俺が女だと
見境のないただの軽い男だと思っていたのか?」
「えっ……?」
「好きでもない女を抱いたりしない。
それぐらい分かっているとは思ったが……そうか。
俺は、お前の評価を見余ったのか」
ギロリと思いっきり睨んでくるではないか。
ゲッ!!確認のために言ったのに私にとったら
それは、地雷以外何でもなかった。
楽しいはずの朝食がいつの間にか説教タイムに
なってしまった。酷い……あんまりです。課長。
やっと説教と朝食が終わる頃には、
時間が過ぎていた。
「おっと、そろそろ行かないと遅刻してしまう。
おい、二階堂。ではなかった結衣。
行くから支度しろ」
「は、はい。」
えっ?今……名前を呼んだ?
聞き間違いじゃない。確かに呼んでくれた。
私は、嬉しい気持ちを必死に抑えて返事した。
そして一緒にマンションを出ると駅に向かった。
電車で待っている時にまた課長は、
自分のことを名前で呼ぶようにと言ってきた。
もちろんプライベートの時だけだけど
「なんて呼びましょう?日向さん?」
「いや、下の名前で呼べ。
俺も下の名前で呼ぶから」
すでに名前を呼んでいるが……って言うより
急に下の名前なんて恥ずかしいわ。
そういえば課長の下の名前って何だったかしら?
「課長の下の名前って……何でしたっけ?」
「亮平だ。日向亮平」
「随分と可愛らしい名前……」
そう言おうとしたらギロッと物凄く怖い表情で
睨まれた。ビクッと肩が震えた。
えっ?これも……地雷なの!?
あまりにも怖い表情をするのでビクついた。
なら下の名前ならどうかしら?
「じ、じゃあ……亮平さんで」
慌てて課長の下の名前を呼んでみた。
すると課長は、少し照れたのか恥ずかしそうにしながらも
黙ったまま私の手を握ってきた。
照れているのかしら?
何だが、こちらまで照れてしまう。
だが握られた手は、とても優しくてあたたかった。
一緒に会社に出勤すると同じ部署の皆に驚かれてしまった。
あ、私……昨日の服のままだわ!?
自分の格好に今、気づいた。これだと
課長と何かあったと言っているようなものだ。
どうしよう……恥ずかしい。
恥ずかしくて慌てて自分の席に座った。
すると紺野さんが私に
「ねぇ、もしかして昨日合コンを抜け出てから
課長とずっと朝まで一緒に居たの?」と
興味津々と尋ねてきた。
「あの……それは……」
朝まで一緒に居たと聞かれドキッとした。
あぁ、どうしよう。
この格好だと言い訳をしたとしても
かなり無理があるし……。
「えっ?黙っているってことは、マジなの?
嘘っ~やっぱり二階堂さんって課長みたいな人が
タイプなの?」
「マジかよ?二階堂さんって物好きだったんだな」
他の女性の先輩達だけではなく男性達まで言われる。
しかも笑いながら……。酷い。
別におかしなことをしている訳ではないのに。
だけど、そんな風に笑われたり
物珍しそうに言われると余計に恥ずかしなってきた。
どうしよう……涙が出てくる。
下を向き涙が溢れそうになるのを必死に我慢していた。
しかし、その時だった。課長は、
バンッとデスクを叩きつけてきた。
一同シーンと静まり返った。
「お前ら……朝っぱらからベラベラと
無駄口を叩いているなんて随分と余裕があるじゃねーか?
それなら、いつもより早く
仕事を片付けてくれるのだよな?
なら、さっさと働け!!」
朝一番の雷が落ちた。
それは……もう大きな雷だった。
周りは、慌てて仕事に戻って行った。
ふぅっ……助かったわ。
ホッと胸を撫で下ろした。
すると課長が席を立ち上がり私のところに来た。
えっ?私は、驚いて課長を見た。
「結衣。カバンを持ってちょっと来い」
えぇっ?今!?
しかも会社なのに下の名前を呼んでくるし。
意味が分からなかったが課長に言われた以上
私は、課長の跡をついて行くことにした。
オフィスから出て行く時、周りの視線が痛かった。
オフィスから出ると課長は、自分の財布から
2万円を取り出して私に渡してきた。
「昨日の服のままだったな。
気づいてやれなくて悪かったな。
今からでいいからこれで新しい服を買って来い。
嫌なら下着もだ。
足りない分は、後で請求しろ」
えぇっ!?そんな……お金なんて
課長の思わない厚意に驚いてしまった。
新しい服って……。
そんな気を遣わなくてもいいのに。
「えっ……でも。仕事がありますし……」
また来たばかりなのに途中で抜け出すなんて
出来る訳がない。
頼まれた仕事だってあるのに。
「あぁ、その心配はするな。お前の仕事は全部。
お前を笑い者した奴らにやらせるから。
なんせ人を笑うだけの余裕のある奴らばかりだ。
大いにやってくれるだろう」
課長は、さらりと凄いことを言い放った。
お、鬼だ……!?
課長は、自分を笑い者にした部下達には容赦ない。
ちょっと可哀想になってきた。
すると課長は、私の頭をポンッと撫でてくれた。
「これは、俺のミスだ。
女性であるお前に恥をかかせて悪かったな。
アイツらを許してやれ」
そう言うとクスッと微笑んでくれた。
課長の何気ない優しさが伝わってくる。
撫でられた頭が温かい。嬉しい……。
それなら私は、その厚意に甘えることにした。
頭を下げて行こうとしたら
「さて、アイツらを二度と笑い者に出来ないように
たっぷりと可愛がってやるか」とニヤリと笑いながら
ボソッと呟くとオフィスに入って行った。か、課長!?
なるべく早く帰ってきますので。
部署の皆さん。すみません……。
私は、慌てて廊下を走った。
急いで帰らないときっと課長のことだ。
たっぷりと私の仕事を押し付けているだろう。
その後。私は、急いで服を買って着替えると
会社に戻った。下着は、実費で買った。
お昼近くになってしまっていたが……。
「結衣。帰ったか?
なら一緒に昼飯でも食べないか」
課長が私に気づくとそう言って誘ってくれた。
私は、慌てて返事する。
嬉しい……一緒に食べられる。
一緒に昼食を食べることになった。
食堂に行くとそれぞれメニューを頼み座った。
課長は、和食にしていた。
やっぱり和食料理が好きなんだ。
ジッと食べている課長を見る。
顔は、相変わらず怖いけど……凄く姿勢がいい。
それに食べ方が綺麗だ。
「何だ?さっきから俺ばかり見て」
「あ、すみません。あの……いいのですか?
私と付き合ってるの会社の皆に
バレてしまいますよ?」
皆に注目をされたり騒がれるのが嫌いだと思っていた。
平気なのかしら?
変な噂とか言われたりしても……。
「何だ……不服か?」
「あ、いえ。とんでもありません。
ただ嫌ではないのかなぁ……と思いまして」
いい思いをしないのにわざわざ私を庇ってくれたし。
申し訳ない気持ちになる。しかし課長は、
「嫌も何も付き合ってるのは事実だし。
それに社内恋愛禁止でもないなら、わざわざ
隠すこともないだろ?」
「それもそうですが……」
課長は、平然としていた。
あくまでも隠す気はないようだ。
「噂にしたい奴は、させておけばいい。
こちらは、悪いことをしている訳ではないのだ。
堂々としていればいい」
相変わらずストイックで堂々とした態度だった。
凄いなぁ……カッコいい。
そんな課長を私は、素敵だと思った。
「まぁ、笑い者にした奴らは、倍返しだけどな」
課長は、フッと不敵に笑ってきた。
いや、やっぱり鬼だ……。
課長にしたら周りの噂は、敵ではないようだ。
誰で在ろうと容赦はしない。
しかし、そんな私達に危機が迫っていたことは、
その時は気づきもしなかった。
課長との恋愛は、その後も続いた。
休日に一緒に過ごしたり、スポーツクラブで
一緒にトレーニングしたり
まだまだ走るのに慣れないが一生懸命やっていた。
そんな数ヵ月後のことだった。
私は、課長と一緒に食材を買い込んで歩いていた。
今日は、課長宅で夕食を作る予定だった。
「ちょっと買い過ぎちゃいましたね」
「なに。また作ればいい」
そう言いながら雨の中を傘を差して歩いていたら
交差点で赤信号になったので待った。
しばらくして青になったので渡ると
目の前に綺麗な女性が歩いて来るのが見えた。
うわぁ~綺麗な人。
その時は、そんな風に思っていた。
するとその女性は、こちらを見て驚いた表情をしてきた。
「亮平……!?」
綺麗な女性は、確かにそう言っていた。
亮平って……課長の下の名前だわ。
私は、驚いて課長を見た。
すると課長も驚いた表情して立ち止まった。
だが一瞬で眉を寄せる。
「亮平さん……?」
私が課長の名前を呼ぶとハッとした表情する。
そして気にしないように前に歩き出した。
私も慌てて追いかけた。いいのだろうか?
もしかして知り合い?
するとその綺麗な女性は、傘を投げ捨てて
課長の腕を掴んだ。
「ま、待って亮平!?私は、あなたに……」
何かを言いかけたとき
課長は、バシッと手を払い除けた。
「触るな!!」
そう言いながら……。
まるで拒絶しているようだった。
か、課長……!?
課長は、女性でも関係なく叱り飛ばすが
あんな風に拒絶したことはない。
だから、私も驚いてしまった。綺麗な女性は、
右手を抑えながら悲しそうな表情をしていた。
「ごめんなさい。そうよね……あなたを酷く
フッてしまった女なんて今でも許さなくて当然よね」
えっ……?この人が課長をフッた?
どういうことなの!?
何だかどうしようもない不安が襲ってきた。
この人と一体何があったのだろうか?
「お前と話すことはない。結衣。行くぞ!」
しかし課長は、そう言うと
ろくに話そうともせずに行こうとした。
か、課長……!?
「私、またこっちで住むことになったの。
だから、あなたとちゃんと話がしたい」
「………。」
綺麗な女性は、そう言うが課長は、
無言のまま何も言わずに歩き出した。
私は、その女性を気にしながらも慌てて
課長を追いかけた。それからマンションに着いて
課長と夕食の準備をするがずっと
考え込んでいて何も話そうとしない。
もしかして……さっきの女性のことを
考えているのだろうか?
綺麗な人だったし、課長のことを下の名前で呼んでいた。
フッたと言っていたし何かありそうな雰囲気だった。
「あの……さっきの女性。
亮平さんの知り合いだったんですか?」
私は、どうしても気になって尋ねてみた。
するとおたまで味噌汁を混ぜていた
課長の手が一瞬止まった。
だが、しばらくするとまた動き出した。
「あの人は、ただの知り合いだ。
お前が気にするような人ではない」
課長は、表情に出さないようにしていたが
ただの知り合いではないのは、表情で
すぐに分かった。もしかしたら……元カノ?
そう考えたら私は、ズキッと胸が痛んだ。
課長の年なら、何人かの女性と付き合っていても
別におかしくはない。
それは、分かっているのだが
目の前にすると余計に不安になって仕方がない。
綺麗な女性だったから、なおさら
そう思えたのかもしれない。
もし……お互いに未練があったら?
やり直したいと言われたら課長は、
どうする気だろうか?ちゃんと断ってくれるかしら?
気持ちは、モヤモヤしたまま包丁で玉ねぎを
みじん切りにしていた。
しかしその不安は、より現実になった。
ある日曜日に私は、課長に頼まれて押し入れの
中を片付けていた。するとアルバムを見つける。
始めは、興味本位で写真を見ていた。
だがあるページをめくったとき
若い課長の隣で仲良さそうに写っている
あの綺麗な女性とのツーショット写真があった。
次のページもまた次のページも一緒に写っていた。
ラブラブな感じで写っている写真もいくつかある。
あぁ、やっぱり恋人同士だったんだと思った。
微笑むように寄り添う姿は、とてもお似合いだった。
課長……大学生ぐらいだろうか?
ズキッと胸が張り裂けそうだった。
悲しい気持ちになっているとドア越しから
課長の声が聞こえてきた。
「おい、結衣。片付け終ったか?」
ビクッと肩が震えた。
私は、慌ててそのアルバムをしまい込んだ。
聞きたいけど、深く聞くのが怖い。
元カノなのは、間違いないのだろうけど
真実を聞くことが出来なかった。
私は、不安のまま過ごしていた。
言おうか言わないか悩み綾音に相談すると
やはり同じ意見だった。
課長……あの人に未練があるのかしら?
アルバムの写真を残しているぐらいだし
大切にしていたはず。スポーツクラブでも
モジモジと考え込んでいると篠原さんが声をかけてくれた。
「どうしたんだい?元気なさそうだけど」
「あ、すみません。そんなことないですよ」
「そんな風には、見えないけどね。
もし悩みがあるなら私が相談に乗るよ」
篠原さん……。
私は、戸惑いながらも悩みを打ち明けてみた。
すると篠原さんは、なるほどと納得する。
何が、なるほどなのだろうか?
私は、首を傾げていると篠原さんがニコッと笑った。
「それは、本人にきちんと確かめた方がいいよ」
えっ?どうしてそう思うのだろうか?
不思議に思っていると近くで聞いていた
夏美さんが
「そんなの未練があるに決まってるじゃない。
元カノなら、なおさらよ」
面白くなさそうに言ってきた。
夏美さんの言葉にショックを受ける。
そ、そんな……。
「こら、夏美。
そんな嘘をついたらダメだろ!?」
「だって……見てるとイライラするんだもん。
こういう人って」
篠原さんが夏美さんに注意するとムスッとしていた。
「まったく。二階堂さん。
夏美のは、嘘だから。真実を知るのもそうだが
辛いことは、辛いと言った方がいいよ!
それに日向君は、真面目で優しい子だ。
君を傷つけることはしないと思うよ」
篠原さんは、優しい口調で私にそう言ってくれた。
確かに課長は、真面目で私を大切にしてくれる。
このまま真実を知らない状態でいて
本当にいいのだろうか?
課長の言葉を思い出した。諦めたらダメだと……。
「私、課長……じゃない。亮平さんに
真実を聞いてみます」
モヤモヤしたままで過ごしていたら
きっと、またダメになっちゃう。
私も変わりたい……。
いつまでもこのままで居たくない。
「いい心掛けだ」
そんな私を篠原さんは、クスッて微笑んでくれた。
そうだ。このままだとダメなんだ。
私は、決意を固める。しかし、どう切り出すかが
問題だった。どうしたら、課長に上手く伝えることが
出来るのだろうか。うーん。
下手なことを言ったら怒られるし……。
「篠原コーチ。ウォーミングアップが終わりました」
課長がウォーミングアップを終わらせて
こちらに向かって来た。
ドキッと心臓が高鳴りだした。
しかしその時だった。受付の人がこちらに来た。
「日向さん。お客様がお見えです」
「お客……?」
課長が不思議そうに言った。一体誰かしら?
課長が受付の人に案内されて行ってしまう。
私は、気になってお手洗いに行くふりをして
ついて行った。すると課長があの綺麗な女性と
会っているところを目に映った。
な、何で?あの人が……!?
まさか……やり直したいと言いに来たの?
だとしたら私は、どうしたらいいの……。
胸がギュッと締め付けられそうになった。
見てるのが辛くて慌ててその場から
逃げ出すように立ち去った。
その後。私は、体調が悪いと嘘をついて早退した。
自宅に帰るとベッドで泣いてしまう。
あんな綺麗な人にやり直そうと言われたら
誰だって受け入れてしまうだろう。
課長だって……きっと。
それに比べたら私は、地味で何も取り柄がない。
こんな女に……勝てる自信なんてない。
それが悔しくて情けなくて涙が溢れて止まらない。
私は、別れたくない……。
変わりたいと決意したばかりなのに
やっぱり私は、ダメな人間なんだ……。
ネガティブな事ばかり考えて沈んでいると
インターホンが鳴った。こんな時に誰だろうか?
出る気力もないので居留守を使おうとしたら
今度は、ドンドンと思いっきりドアを叩かれた。
「結衣。居るんだろ?開けろ!!」
その声は、課長だった。
明らかに怒った声で怒鳴っていた。
私は、思わずビクッと震え上がった。
なっ!?何で……怒っているの?
具合が悪いとなれば普通は、心配をするだろうし
むしろ怒りたいのは、私の方だ!
なのに……どうして?
「さっさと開けないとドアをぶち壊すぞ!!」
えぇっー!?
すると思いっきりガンッとドアを蹴り飛ばす
音が聞こえてきた。有言実行の課長のことだ。
本当に破壊しかねないので私は、慌てて
玄関に行きドアを開けた。
すると明らかに不機嫌な課長の姿があった。
その姿に思わずビクッと震え上がった。