「シアター アート」に入ったその日から照明をやらされた。

 狭い照明室に入り、先輩の従業員にスイッチや照明器材の使い方を聞く。

 やたらスイッチが多いなと最初は感じたのだが、小一時間ばかり先輩の操作を横で眺めてみると、思った程ではないなと少しばかり胸を撫で下ろした。


 照明室から舞台を見る。


 かなり小さいな……

 客席も、三十人ばかりが座れる程。


 立ち見が出ても五、六十人が限界か……

 数ヶ月後、姿月の興行では、百人近くが入り、入口の扉が閉まらなくなったのだが、この時点でそれを想像出来る要素は皆無だった。

 その週の香盤は六香盤。


 自分の劇場からデビューさせた新人をトップにし、ラストのトリは前年にデビューした他の劇場の所属タレントだった。

 香盤とは、出演するタレント(ストリッパー)の出演順を言う。


 ストリップ劇場の一週は、基本的に十日間。


 三十一日ある月の最後の週は十一日興行となったり、劇場によっては休みにする所もある。


 話を戻す。


 初めての劇場での仕事。

 経験があるのだからと、一時間余りの説明だけで直ぐさま照明をやらされた。


 初めはスイッチの位置に戸惑いを感じたが、実際に何人かのステージに照明を当ててみると、直ぐに慣れた。



 びっくりする程のステージには出会わなかった。


 二年前、初めてストリップ業界に入り、カルチャーショックを受けた時に比べると物足りなさを感じてしまった。


 踊り子の動きに、自分のイメージするライティングが追いつかない……


 そんなもどかしさばかりを感じ、ストリップというものを何処か舐めていた自分にショックを憶えていた事を思えば、随分と余裕が出たものだ。



 数える程しかないライトの色と数。


 代わり映えしないステージ。


 演じる踊り子は別でも、内容は皆一緒だった。






 私が照明係として働くようになって三ヶ月ばかり過ぎた頃、あるベテランの踊り子が新宿の劇場で引退興行を行う事になった。

 その踊り子とは面識は無い。

 前の月にシアター アートに乗ったある踊り子さんから、


「その姐さんのステージを観る最後のチャンスだよ」


 と言われ、六月の中旬、休日を利用して私は新宿の劇場へ出掛けた。

 観に来なさいと言った踊り子本人が、その興行ではトップの出番で、シアター アートに出演した事のある踊り子も他に何人か居た。

 興味自体は正直な所、引退興行の主では無かった。

 自分が当てる照明とどう違うか……

 劇場によってライトの種類が大分違う。羨ましくなる位にいい器材を使っている。

 だが殆どが使いこなせていない。

 コンピュータでプログラミングされた大劇場の照明ならいざ知らず、手動の照明ならば感性でライティングというものはある程度変わるものだ。どの劇場の照明も、単に踊り子をライトで追っているだけだった。

 当てるライトの角度、色……何でも光を当てればいいというものでもない。

 ライティング一つで舞台は生きもし、死んだりもする。

 が、本物の舞台を演じてくれる踊り子は、そんなものを超越してしまう。

 しょぼい一本のピンスポットだけでも、客を虜にしてしまうものなのだ。


 話しが又逸れた。


 引退興行を行っていた踊り子は、下に何人もの妹分を枝葉のように作り、自分の名前を冠にした軍団なる一団を形成していた。

 狭い縦社会の一面……

 そう受け止めるだけでは理解出来ない繋がりが彼女達にはあった。

 劇場の待合室や廊下に沢山の花輪や花束が飾られていた。


『いずみリカ姐さんへ 〇〇より』


 そんな中に姿月の名前を見た。


 誤解の無いように言う。

 こののち二ヶ月後に出会う迄、僕は姿月という踊り子の事を何一つとして知らなかった。

 しかし、どうしてなのかこの時に見た花輪の中の名前をその後もずっと記憶していたのである。

 理由……

 今もって判らない。

 引退興行の主であるいずみリカのステージは、素晴らしかった。






 客席の片隅で私は涙さえ流していた。

 改めて自分がこの世界の奥深さに魅せられた事に気付かされた。

 ストリップ……

 単なる裸踊り

 全裸になり、大勢の男の前で猥褻なポーズを取り見世物になる……

 大概の人間はストリップをそういう認識で捕らえるだろう。その通りだ。

 だが、そうではない部分を見つけた時、人間は大きな感動を受ける。

 そこに理屈は存在しない。

 観たままのもの、生に伝わって来るものが、観る者の心を揺り動かし、感動をも与えてくれるのだ。

 若くて可愛いとか、綺麗なだけのストリッパーのステージからは、そういったものは生まれない。

 いずみリカのステージを観て涙を流す位に感動はしたが、後々考えてみると、それは消え行く者への惜別の情から生まれた涙だった。

 彼女のステージは確かに素晴らしかった。

 それはストリップというよりも、ダンスそのものであり、本来あるべきエロスはかけらも感じられないものであった。

 踊り子達は、その殆どがダンスが上手くなりたいと願い、単なる裸踊りにはしたく無いと思っている。

 それはそれで間違ってはいない。

 自分を向上させて行く為に日々、ダンスのレッスンに明け暮れる踊り子も少なく無い。

 デビューして日の浅い踊り子の深夜レッスンに朝まで付き合い、泣きながら振り付けを覚えようとする姿にカルチャーショックを受けたからこそ、自分は照明というものを疎かに出来ないと感じた訳である。

 だが、ストリップに於ける本物の感動は、それ以上の何かが無ければ生まれて来ない。

 お金を払う客の反応が全てを物語っている。

 酔っ払った勢いで劇場にやって来る客達がそういったステージを観て、自分の想像を超えたものを目にした時、間違い無く押し黙る。

 裸になる度に嬌声を上げ、時には非常識な態度を取ろうとする酔客がである。

 つまらないからではない。

 その姿を照明室から見れた時、共にその時間を共有出来た事に、劇場の照明マンは言葉に表せない喜びに浸り、踊り子との一体感を噛み締める。

 だが、なかなかそういうステージに出会う事は少ない。


 平成十年八月のお盆興行の出演者が決まったのは、その二週間前の事であった。

 時間は既に夜中の十二時を過ぎている。

 暦が替わり、日付は八月の一日。


 新たに始まる十日間の為に、僕はライトのゼラチン(色を変える為のフィルム)を新しいものに交換していた。

 それと、少ないライトの数をどうにか効果的にしようと、その角度を変えたりする作業に没頭していた。

 盆と正月は劇場にとっての掻き入れ時だ。

 どの劇場も普段以上に出演者を豪華にしようと、人気の踊り子の取り合いになる。

 AV(アダルトビデオ)というものが世に現れ、その世界からストリップへと流れて来る踊り子が増えて来てからというもの、どの劇場もAV出身の踊り子を客寄せのメインにしようとした。

 確かに集客力はある。

 だが、それも程度というものがあって、聞いた事も無いような名前のAV嬢なんかが出演しても、それ程の有り難みは無いものだ。



 姿月という踊り子も元AVという冠を被されていた。

 前日迄出演していた踊り子の中に、二人ばかり姿月の後輩が居た。

 彼女達から姿月の事をちらっと聞いていたが、話しから想像した姿月の印象は、

 気難しい踊り子……

 照明に厳しい踊り子……


 であった。


 まあ、それ位ならどうって事ないか……

 照明の注文がどう煩かろうが、うちの照明じゃ遣れる事が決まってる……


 開き直り……


 初日を迎える準備というものは、ちょっと不思議な高揚感に包まれる。

 まだ半年にも満たない劇場経験だから、初めて出会う踊り子の方が多い。

 心の何処かで何かを期待している自分が居る。

 楽屋の部屋割も決まり、数時間後には出演する踊り子達が乗り込んで来る。

 一足先に荷物だけ送られて来ていた。

 姿月のものだ。

「重いなぁ」

 若いマネージャーが呟く。

「そう言えば、カンナちゃんが言ってましたけど、姿月さんと百華さんは香盤も部屋も別の方がいいよって」

「面倒クセエなあ」

 初対面の前から、従業員の間に於ける姿月の印象はマイナスポイントばかりが累積されていた。




 八月一日の朝が来た。

 劇場の最上階に住み込んでいた僕は、何時もより一時間ばかり早く階下の事務所に降りた。

 クリーニングしたてのワイシャツに着替え、身支度をする。軽く腹拵えをして一階の劇場受付へ行くと、既に客が並んでいた。

 数を数えてみる。

 七、八、九……

 十四、五人は並んでいた。

 久し振りだな……

 開場迄まだ一時間近くある。

 この客達が、全部今日から始まるステージの踊り子達目当てとは思っていなかった。

 お盆特別興行として、昼の二回だけAV紛いの企画ステージを組んでいた。

 それ目当ての客なんだろうと思いながら、場内をチェックし、乗り込んで来る踊り子達の到着を待ち望んでいた。

 十時近くなると一人、又一人と出演する踊り子達がやって来た。

 楽屋に案内し、出し物の音を受け取る。

 一枚のMDに落としてくれている踊り子も居れば、何枚かのCDを渡し、

「このCDの何曲目と、こっちの何曲目で、最後はこれね」

 と、無造作に言い、舞台化粧に没頭する踊り子も居る。

 CDやMDを受け取りながら、簡単に照明のポイントを聞き、メモにして行く。

 この頃、僕が照明のメインだったから、初日の一回目は必ず担当した。

「あたし、ここで一旦袖に引っ込むから、暗転して欲しいの。ここ、ブラックライトあります?」

「すいません、ブラックライトは無いんです」

「あたしは板付けで、ダンスの時は適当にパキパキした照明にしてくれればいいわ。後は任す」

 劇場のキャパや照明設備に限界がある事を踊り子達は良く判っている。

 余り期待されてないな……

 そう感じる時もあれば、どうせ言った通りには出来ないでしょう的な諦めの空気を感ずる時もある。

 姿月が乗り込んで来た。

 楽屋に出向く。

 少しばかり緊張している自分が居た。

「はじめまして、照明を担当します佐伯と言います」

 我ながら随分と堅苦しい挨拶をしたものだと思った。

 こちらに向き直った姿月は、一瞬後退りしそうになる位に綺麗だった。




 彼女は僕に一枚の紙を差し出し、


「一応、この段取りで照明して欲しいねん。幕ありで、この部分の照明は、お兄さんのセンスに任すけど、暗転のタイミングだけは、ずらさんといて欲しいねん」

 姿月は衣装ケースの中からMDを取り出し、これが音と言って僕に手渡して来た。

 何時も以上に緊張している自分が居た。

「正直言って、うちの照明はたいして数もないし、フラットな照明ですから満足して貰える出来になるかどうか……」

「それはかまへん。取り敢えずダンスの所をそれなりに派手にしてくれて、頭の部分との差を付けてくれればええから」

 彼女の関西弁が何気に心地良かった。

 一回目の開演が近付く。

 この時の顔触れを十年経った今でもハッキリと覚えている。

 トップは新宿の有名劇場所属の『百華』

 二番目に同じ劇場所属で、まだデビューして間もない『小室亜美』

 三番目は姿月を慕う『小夏』

 四番目が、大阪は九条の劇場から来た『河仲美樹』

 五番目に千葉の劇場時代にもライトを当てた事のある『向井レイ』

 トリ前が東のロック、西の十三と呼ばれた有名劇場所属の人気娘『綾波ナナ』

 そしてトリが『姿月』だった。

 金の取れる顔触れだった。

 実際の話し、シアター アート程度の小屋にしてみれば、かなりの顔触れだった。

 一回目の開演時間になった。

 何時も以上に客の入りが良いように感じた。

 時間が来た。

 開演のアナウンスをする。

 新しい十日間の始まり。

 そして、それは新しい感動の出会いでもあった。




 昼過ぎ辺りから客の入りが一気に増え出した。

 何時もの常連は勿論の事、ストリップとは縁の無さそうなタイプの客も入って来ている。

 開演してから二時間も過ぎると、ついには場内入口の扉が閉まらなくなった。

 舞台袖辺りに陣取っていた踊り子達の追っ掛け達は、後から後からと入って来る客に押し寄せられ、身動きが取れなくなり、トイレにも行けない始末となった。

 一人ワンステージ約二十分から二十五分。

 無難にそれぞれのステージが進行して行く。

(あのな、今回の出し物は、女郎蜘蛛って言って、デカイ被りもんみたいな衣装やねん。見た目殆どコントやで)

 僕にそう告げた姿月の笑顔が浮かんで来た。

 トリ前のステージが終わる。

 客席は立ち見を含め、照明室から見下ろすと、人の頭しか見えない。

 暇な時は数人なんて時もあって、無意識のうちに仕事のやる気も低くなっているものだ。

 客の入りが良ければ照明をする自分のテンションも上がる。

 照明マンとしては、どんな状況下であっても、常に最高の仕事を目指すのが当たり前なのだが、この辺りの心持ちは正直言って偽ざるところだ。

 一呼吸置いて、姿月の名前をアナウンスする。

 音出し。

 閉められた緞帳の向こうで、舞台中央にスタンバイする姿月の気配を感じた。

 緞帳のスイッチに指を掛け、流れ出した音楽と同時に押した。

 幕が開く。

 舞台中央で黒い塊と化している姿月。

 真後ろから淡いブルーのライトを当て、逆光にする。

 舞台天井からは細いスポットを落とし、彼女の姿が逆光の中に浮かぶようにした。

 蜘蛛を形作った馬鹿でかい衣装を背負うかのように着、ゆったりとした動作で顔を上げ始めた。

 顔の動きに合わせ、照明室からピンスポットを開けて行く。

 絞りを徐々に開け、光りの輪の中に、女郎蜘蛛がいる。

 開演前に見た姿月の姿はそこにはなかった。

 僕の背中に軽い電気が走った。


 一回目の照明は、正直言ってどうしようもない出来だった。彼女の動きにライトが追いつかない。

 ここで言う追いつかないとは、スポットを外したりとかの意味では無い。

 無難にはこなせた。

 それだけで終わってしまった事に腹立ちを感じたのだ。

 戦い……

 僕が作り出そうとする光りに、彼女は舞台の上から無言のダメ出しをしていた。

 後に姿月とそんな話しをした時、

「アタシは、そんなん意識した事ないで」

 と笑っていたが、間違い無く彼女のステージは照明との戦いだと感じた。

 二回目のステージが始まる前に、楽屋にインターホンを繋いだ。

「姿月さん、さっきはちゃんと出来なくてすみませんでした……」


(そうなん?アタシは平気やったよ。まあ、一回目だったから、アタシもグダグダやったし。気にしてへんから、次は頑張ってや)

「すみません。二回目は別な奴が照明やりますから、ポイントはきちんと伝えて置きます」

(なんや、次は違う投光さんなん。お兄さん、今日はもう照明せえへんの?)

「いえ、二回目は僕の休憩時間なんで、残りは全部自分が担当します」

(よかったぁ。ほな頼むね)

 彼女の最後の言葉で、僕は漸く気持ちが明るくなった。

 自分の部屋に戻り、一回目の舞台を思い返した。

 冒頭の女郎蜘蛛で登場する場面。

 伏せた顔を徐々に上げ、一点を見据える。

 ゆったりとした動作で立ち上がり、そのまま中央でターンを繰り返す。

 音楽が変わり、アップテンポなダンスシーンへと移る。

 着ていた蜘蛛の衣装は脱ぎ棄てられ、肌を露出した姿で舞台上を踊り回る。

 妖艶な表情を浮かべたまま、彼女は客席を挑発する。

 姿月は一度も袖に引き込まず、そのまま盆へと来る。

 盆……

 デベソと言う人も居るが、踊り子や照明をする者は大概ベッドと称している。

 舞台の真ん中から花道と呼ばれる細い渡しがあり、客席により近い位置に突き出た形で円形のそれはある。






 俗に言うカブリツキ……

 全裸になった踊り子が、様々なポーズを取り、男達の妄想と欲情を掻き立てようとする場所。

 ある意味、ストリップの見せ場だ。

 この見せ場に至る迄は、綺麗に着飾った衣装を着ている訳だが、脱ぎの見せ方も一つの芸になる筈なのに、多くの踊り子はそれを疎かにしている。

 姿月のステージを思い返しながら気付いた。

 いつの間に脱いだんだっけ……?

 ストリップ……

 裸を見世物にした世界だが、かといって最初から素っ裸で登場して来たのでは味も素っ気も無い。

 ベテランの踊り子になると、脱ぎの場面で客席をシーンと黙らせる。

 デビュー仕立ての若い踊り子ではそうは行かない。

 又、脱ぎ方がまるで違う。

 色っぽさ、妖艶さ、なまめかしさを表現してくれる踊り子と出会うと、照明自体が無意識のうちに変わる。

 踊り子に乗せられるとでも言えばいいのか。

 裸になった姿月をもう一度頭の中に思い浮かべる。

 情欲……

 彼女はそれを全身で表現しようとしていた。

 と、僕は勝手にそう受け止め、次のステージへ想い馳せていた。