一回目の照明は、正直言ってどうしようもない出来だった。彼女の動きにライトが追いつかない。
ここで言う追いつかないとは、スポットを外したりとかの意味では無い。
無難にはこなせた。
それだけで終わってしまった事に腹立ちを感じたのだ。
戦い……
僕が作り出そうとする光りに、彼女は舞台の上から無言のダメ出しをしていた。
後に姿月とそんな話しをした時、
「アタシは、そんなん意識した事ないで」
と笑っていたが、間違い無く彼女のステージは照明との戦いだと感じた。
二回目のステージが始まる前に、楽屋にインターホンを繋いだ。
「姿月さん、さっきはちゃんと出来なくてすみませんでした……」
(そうなん?アタシは平気やったよ。まあ、一回目だったから、アタシもグダグダやったし。気にしてへんから、次は頑張ってや)
「すみません。二回目は別な奴が照明やりますから、ポイントはきちんと伝えて置きます」
(なんや、次は違う投光さんなん。お兄さん、今日はもう照明せえへんの?)
「いえ、二回目は僕の休憩時間なんで、残りは全部自分が担当します」
(よかったぁ。ほな頼むね)
彼女の最後の言葉で、僕は漸く気持ちが明るくなった。
自分の部屋に戻り、一回目の舞台を思い返した。
冒頭の女郎蜘蛛で登場する場面。
伏せた顔を徐々に上げ、一点を見据える。
ゆったりとした動作で立ち上がり、そのまま中央でターンを繰り返す。
音楽が変わり、アップテンポなダンスシーンへと移る。
着ていた蜘蛛の衣装は脱ぎ棄てられ、肌を露出した姿で舞台上を踊り回る。
妖艶な表情を浮かべたまま、彼女は客席を挑発する。
姿月は一度も袖に引き込まず、そのまま盆へと来る。
盆……
デベソと言う人も居るが、踊り子や照明をする者は大概ベッドと称している。
舞台の真ん中から花道と呼ばれる細い渡しがあり、客席により近い位置に突き出た形で円形のそれはある。
俗に言うカブリツキ……
全裸になった踊り子が、様々なポーズを取り、男達の妄想と欲情を掻き立てようとする場所。
ある意味、ストリップの見せ場だ。
この見せ場に至る迄は、綺麗に着飾った衣装を着ている訳だが、脱ぎの見せ方も一つの芸になる筈なのに、多くの踊り子はそれを疎かにしている。
姿月のステージを思い返しながら気付いた。
いつの間に脱いだんだっけ……?
ストリップ……
裸を見世物にした世界だが、かといって最初から素っ裸で登場して来たのでは味も素っ気も無い。
ベテランの踊り子になると、脱ぎの場面で客席をシーンと黙らせる。
デビュー仕立ての若い踊り子ではそうは行かない。
又、脱ぎ方がまるで違う。
色っぽさ、妖艶さ、なまめかしさを表現してくれる踊り子と出会うと、照明自体が無意識のうちに変わる。
踊り子に乗せられるとでも言えばいいのか。
裸になった姿月をもう一度頭の中に思い浮かべる。
情欲……
彼女はそれを全身で表現しようとしていた。
と、僕は勝手にそう受け止め、次のステージへ想い馳せていた。
シアター アートのお盆興行は連日盛況だった。
AV紛い(男女の絡みがメイン)のハードな出し物目当ての客がかなり多く来た。
客席の空気が何時もとまるで違っていた。
暗く鬱屈した重々しさ……
訳も無くそんな事を思ったりした。
元々、僕自身はその企画には反対で、正直、劇場の雰囲気にそぐわないと考えていた。
だが、経営者サイドはそんな事より数字が問題だった。
乗り気のしない初日を迎えたのであったが、いざ蓋を開けてみれば、最終回迄立ち見が出る程の入りに不満を押し止めるしか無かった。
それと、僕の気持ちを上向きにさせてくれた要因の一つに、出演者達のステージがあった。
メインの姿月は勿論の事、他の出演者達の出来も、照明をやっていて飽きる事が無かった。
休憩無しでこのままぶっ続けで仕事をしてもいいとさえ思った位だ。
シアター アートの照明は、前にも書いたが、全て手動だ。
舞台で踊るストリッパー達のステージも、その時々で微妙に変化するように、僕の照明も変化して行く。
特に素晴らしいステージに出会うとその傾向が顕著になる。
踊り子達の動き、表情を一瞬たりとも見逃すまいとする。
時に、舞台上の踊り子本人と終始視線が合う事がある。
僕の方は当然踊り子そのものを見つめているが、踊り子自身は決して僕を見てるのでは無い。
光りを見ている。
光りの中に入り込む己自身の姿をそこに見つけ出そうとしている。
光りは、彼女達にとっての最も引き立たせる衣装であり、宝石なのかも知れない。
そう気付き、思えるようになったのは、更に暫く後の事になるのだが。
話しを戻す。
初日が終わり、舞台裏を掃除しに行くと、トリのステージを終えた姿月が自分の衣装を片付けていた。
「お疲れ様でした」
「お疲れ様!」
舞台の上で演じている姿月とは別人の彼女が居た。
「あのね、中日替えとかしたいんやけど、かまへん?」
「ええ、構いませんよ。是非お願いします」
彼女は僕の言葉に微笑んだ。
汗が眩しく見える。
中日替え。
週の前半と後半で出し物を替える事を言う。
劇場によっては積極的に奨励する所もあるが、面倒くさがる照明係だと、嫌がられたりもする。
お客さんの中には、十日間の間に何度か足を運ぶ人も少なく無い。
お目当ての踊り子ではないにしろ、違う出し物が十日間の間で観れるというのは、目に見えないファンサービスにもなる。
拒む照明係が居るとすれば、それは自分本来の仕事というものを判っていないのだと晒け出してるようなものだ。
中日替えの演目の打ち合わせを姿月としている間中、どう演出するかを夢中になって語り合っていた。
「先ずは、明日の一回目で実際の雰囲気を掴んで、後は少しずつ手直しして行きましょう」
「ありがとう。とにかく、めり張りだけきちんと付けてくれたらええから」
ボヘミアンバレエと名前を付けられた中日替えの演目と出会えた事は、自分の照明に対する感性の向上になった。
噴き上げるスモーク
無数に交差するライト
激しい動きから一転して、妖艶に、そしてなまめましく演じる姿月に、観客の誰もが見とれていた。
いや、客だけでは無かった。
照明室の中に居た僕自身が、実は一番彼女に夢中になっていた。
片時たりともステージから目を離す事が出来なかった。
自分の照らし出す照明の中に姿月が浮かび上がる度に、僕はこの時間が終わらないでくれと願った。
何日目であったろうか。
彼女から、小倉の劇場の照明が今までで一番良かったという話しを聞き、丁度その時のビデオがあると言われ、僕はそのビデオを彼女から借りる事にした。
仕事を終え、一人そのビデオを観た。
衝撃的であった。
光りを自由に操っている……
踊り子にどういう光りを当てれば一番美しくなるかを、そのライティングは熟知していた。
光りに命があった。
次の日から、僕の照明のライバルは前夜に観たビデオとなった。
姿月が語る小倉の劇場の照明マンに僕は嫉妬した。
この人を本気で演じさせる照明をしなきゃ……
毎回、もう少しという不満感を己の中で感じながら、気が付けば既に楽日を迎えていた。
楽日。
相撲の千秋楽と同じ最終日という意味なのだが、楽日には楽日の高揚感がある。
初日のそれとは違う感覚なのだが、それはやはり出会いと別れの差なのかも知れない。
楽日には、各踊り子達の追っ掛けやファンが多く来場する。
中には十日間、一日も欠かさず観に来た客も居た。
シアター アートのステージで初めて姿月を観たという客も少なくなかった。
それらの者達も、皆間違い無く姿月の魅力に惹かれ、虜になった。
楽日の最終回。
姿月は自分のステージをビデオに録るからと言って来た。
他の照明係はどう思うか知らないが、僕は、踊り子からステージのビデオを録ると言われる事に、ある種の優越感を抱く。
自分の照明を認められたような気分に浸るのだ。
殆ど自己満足だけなのだけれど。
彼女のファンの一人がビデオカメラで最終回のステージを録った。
ステージを終えた直後、まだ舞台衣装で半裸状態の姿月が僕を呼ぶ。
「佐伯くん、観て……」
「自分の照明をビデオで観るのって初めてなんですよね」
「ええやん!うん、かっこよく録れてる」
「このシーンで、思い切りスモーク出してましたけど、大丈夫でした?」
「大丈夫じゃなかったよ。あたし、思い切り吸い込んでたかも。来るで、来るでって身構えとったもん」
笑いながら彼女は言う。
「なんかなぁ、佐伯くんの照明って、あたしをずっと包んでくれてるんよね」
「そうなのかな……自分では意識してないんですけど」
「あったかい光りがふっと照らされる時があったり、とにかく一個一個のライトに言葉とか気持ちがこもってたよ……。ありがとう……」
大阪弁のイントネーションで言われたありがとうが、心に滲みて来た。
今日で終わりなんだな……
次に一緒に仕事が出来るのは何時になるのだろう……
横に立ち、流れる汗を拭おうともしない彼女との時間を、僕はこのままずっと共有していたいと思った。
新しい週が又始まった。
前日迄の熱っぽさは消え、新たな期待を抱きながら初日の照明を迎える。
が、姿月とのひと時みたいな感覚は沸き起こらなかった。
平凡な日々が続く。
たまたまテレビの深夜番組に姿月が出ていた。
楽屋風景を映し出した画面に、彼女の屈託のない笑顔が広がっていた。
翌日、僕は彼女が出演している劇場宛てに手紙を書いた。
半分は衝動的行動だった。
彼女と共有出来た十日間の余熱が、余りにも高かったのだろう。
便箋五枚程につらつらと書いた文面を、今となっては思い出す事も出来ないが、ある一文だけははっきりと今でも覚えている。
『……良き照明マンを育てるのは、良き舞台を演じてくれる踊り子さんです。
ありきたりな舞台の照明を何百回と経験するよりも、素晴らしい舞台を演じてくれる踊り子さんの照明を一回やる事の方が、どれだけ成長の糧となる事か……
本当にありがとうございました』
そぐわない程に青臭い言葉を書いた手紙を僕は出した。
それから一週間程経ったある日、小さな小包が届いた。
差出人の名前に覚えは無い。
住所を見ると大阪になっていた。
直ぐに包みを開けると、中から一本のビデオと手紙が入っていた。
姿月からだった。
手紙と共に入っていたのは、楽日の最終回に録ったビデオだった。
確か、半分冗談でダビングして貰えないかとは言った気がする。
彼女はその事を覚えていて、約束を守ってくれたのだ。
手紙には、十日間のお礼が書かれてあった。
僕にとっては面映ゆい言葉が書き並べられていた。
すっきりした端正な字で書かれた手紙を僕は何度も読み返した。
まるで、大切な恋人からのラブレターを手にするように……
僕は間違い無く彼女に恋をしていた。
ストリッパー姿月に……
だが、この感情は普通の恋愛感情とは違っていた。
尤も、そう自分で理解出来る迄はもう少し時間が掛かるのだが。
送って貰ったビデオを何度も観てみた。
客席の目線から観た姿と、それ迄照明室から観ていた姿とでは随分と違う雰囲気なのが判った。
はっきりと表情が判る。
背筋がゾクッと来た。
こんな目で客席を見つめていたのか……
僕は思った。
彼女はストリッパーではない。
ダンサーでもない。
女優だ……
そうはっきりと感じた。
無言でありながら、何かを語り掛けているのがはっきりと伝わる。
交錯する光り……
浮かび上がる肉体……
観る者総ての心を鷲掴みにしてしまう目……
手の指先から足の爪先に至る総てが、物語を演じていた。
美しさと妖艶さを一つのストーリーとして、観る者に様々な想像をさせる舞台。
何度ビデオを観返してみても、決して同じ感覚にはならない。
違う想いが必ず生まれる。
たかがストリップ。
たかが裸踊り。
特別にダンスが凄いとかではない。
ダンスの上手さ、凄さだけなら、姿月以上の踊り子は数多く居る。
表現力と一言だけで括ってしまうには、説明がつかない何かがあった。
その何かの一部分を彼女自身の口から、僕は暫くしてから聞いた。
彼女の原点。
舞台に賭ける重みと凄みが、彼女自身の生き様から来ている事を知ったのは、それから暫く後の事になる。
「お疲れ様です。電話、迷惑じゃなかったですか?」
(別にそんな事あらへんよ)
「送って頂いたビデオテープのお礼が言いたくて、つい電話しちゃって、本当に済みません」
(だから、別に礼なんてかまへんのに。それよか、あんな手紙貰えて、アタシの方がすごく嬉しかったんよ)
「本当っすか?」
(嘘いうてどうすんの)
姿月からの手紙から一ヶ月程して、僕は彼女の巡業先の劇場に電話をしていた。
(あんな手紙もろうたらこっちの方が嬉しくなってしまうわ)
ビデオの礼だけを言って切るつもりでいた電話が、気が付いたら30分以上の長電話になっていた。
その日を境に、僕は彼女に何度か電話を掛けるようになっていた。
話しの内容は、何時も舞台の事ばかりであったが、彼女は知らず知らずのうちに、自分の身の上話しやプライベートな事迄話すようになっていた。
姿月と出会ってから二ヶ月ばかりした頃、僕はとんでもない不始末を仕出かした。
魔がさした……
という言葉は、随分と都合のいい言い訳になってしまうが、本当に魔がさしたとしか言いようのない不始末を仕出かしてしまったのだ。
それは、他の劇場に所属している踊り子と、一夜を共にしてしまったのである。
その週に出演していた他の踊り子達にも知られるところとなり、僕はいたたまれない思いから、シアター アートを飛び出した。
飛んでしまったのだ。
行く当てなど無く、その日暮らしが続いた。
暫くして、シアター アートの社長から、
「佐伯、なんだったら戻って来ないか?」
と声を掛けて貰った。
「戻っても良いんですか?」
「ああ、全然大丈夫だよ。だいたいが、飛ぶ必要はなかったんだぜ。従業員と踊り子が出来ちまうなんてことは、結構よくある事なんだ」
「はあ……」
「現に、うちの黒田がそうじゃねえか」
黒田というのは、シアター アートでマネージャーをやっている男だ。
平成十一年四月、僕は再び劇場に戻った。
半年振りにシアター アートに戻った僕は、姿月に電話を掛けた。
半年前の出来事を話すと、
(噂は聞いてたで。相手の踊り子って、アタシ知ってるんよ。しかし、佐伯くんあんなんが良かったん?)
わだかまりの無い明るい声でからかわれた。
彼女にしてみれば、無意識のうちに出た優しさなのだろう。
変に意識されて、その話題に触れないような態度をされた方が、僕としては辛かったから、ありがたかった。
「お恥ずかしい話しです……」
(佐伯くんも男だって事が証明された訳やん。まあ、アタシも他人様にどうこう言える人間じゃないからね)
「え?」
(アタシの今の彼氏って、うちの劇場の元従業員なんよ)
彼女は笑いながら言った。
そして、姿月は少しずつ自分の過去を話し始めたのである。