私の中におっさん(魔王)がいる。

 功歩と陸続きなのが、瞑(べい)という国だ。
 地図で見る限りは、功附よりも少しだけ大きそうだった。

 瞑と離れて、海を渡ると永(えい)という国がある。
 龍の尻尾のような形だけど、国自体は岐附や爛と変わりない大きさに見える。大きさは違うけど、位置関係的に日本に置き換えるなら、沖縄の位置って感じ。

「あの、この世界の名前はなんて言うんですか?」
「……世界に名などあるのか?」

 気軽に聞いたら、毛利さんに怪訝に返されてしまった。(もちろん毛利さんは無表情だったけど、そんな感じがしたのよね)
 たしかに、私も自分の世界の名前聞かれても答えられないもんな。日本ですって国名答えちゃうと思うもん。

 本当に違う世界に来ちゃったんだなぁ……。瞑とか、永とか、倭和国とか、全然知らない国名ばっかり。だけど、意外だな。オーストラリアとか、アメリカとかカタカナの国名はないんだ。
(ん? カタカナ?)
 ちょっと待って。私、なんで文字読めてるの? 言葉だって通じてるし……変じゃない?

「あの、私、本当に違う世界からやってきたんでしょうか?」
「何故ですか?」

 風間さんが怪訝に訊きかえす。

「私、文字が読めるんです。それに言葉だって通じてるし」

 国が違えば言葉だって当然違う。違う世界ならなおのことだ。
「それは、おそらく魔王のせいかと思われます」
「魔王?」
「白い空間で会ったという鎧姿の男性が、貴女とぶつかり消えたんですよね?」
「はい」
「おそらくその男性を魔王が吸収し、男性の知識を魔王を取り込んだ貴女が無意識に使っているのでしょう」

 その言葉を聞いて、私の脳裏にさっきのことが浮かんだ。門の前で聞こえた低い男の人の声。気のせいだと思ったけどあれが、あの人の……魔王の声なんだ。
 なんか、気味が悪い。
 自分の中に得体の知れないものがあると思うと、無性に気持ちが悪かった。
 しかも、鎧のおじさんを吸収したというってことは、私の中にあの人がいるってことだ。
 あの、死体のおじさんが……。

「うっ!」

 急にめまいが襲ってきて、私は咄嗟に畳に両手をつく。

「大丈夫ですか!?」
「……大丈夫です」

 声を上げた風間さんに私は短く返した。
 顔を上げると、すぐそばに心配そうな顔つきの雪村くんとアニキの顔があった。

「一気に色んなことがあって、疲れたんだろ」

 優しい声音で言って、アニキは肩に手を回し、そのまま私を抱き上げた。大きなてのひらにちょっとだけどきどきする。

「もう寝ろ。あとで飯持って行く」

 アニキは少しぶっきらぼうに言って、優しい眼差しを向けてくれた。
 本当にお兄ちゃんみたいな人だなぁ……。

「ありが――」

 お礼を言おうとしたとき――ぐぎゅるるる。私のお腹の虫が、これでもかと高らかに鳴った。
(うわああ! なんで鳴っちゃうの! 恥ずかしい!)
 熱い頬を両手で覆う。

「ハッハッハッハ! 飯が先だな!」
「……お願いします」
「おう!」

 快活に返事をしたアニキは、廊下をダッカダッカと豪快に歩いた。私もそのリズムに合わせて微振動する。
 私はアニキを見上げた。豪快で、がさつで、見た感じ少し怖いけど、でも、アニキがいてくれて本当によかった。なんだかこの人がいると、すごく安心する。
 密かにほっと息をついて、ふと足先を見ると、雪村くんが隣を歩いていた。
 心配そうな顔つきで、私を見てる。心配してついてきてくれたんだ。

「ありがとう」

 私がお礼を言うと、雪村くんは意外そうに驚いて、次の瞬間何故か泣き出しそうになった。

「いや、俺達の方こそ、ごめんな」

 そう一言告げて、俯いてしまった。
 聞けば私がこの世界へ来たのは事故のようなものだったらしいし、責任を感じているのかも知れない。

「気にしないで」

 私が笑うと、雪村くんは顔を上げて申し訳なさそうに眉尻を下げた。
 そんなに、気にしなくて良いのに。故意じゃないんだから。


 私は六畳間の和室に運ばれた。
 多分、私が最初に起きた時にいた部屋だと思う。襖の柄や、縁側から見える景色が同じだったから。
 アニキと雪村くんは、飯作るように言ってくるわと告げてどこかへ行ってしまった。
 障子は閉められてしまったし、わざわざ開けて景色を眺めるにも、風が少し冷たいので、そんな気になれず、ぼんやりと座って部屋を眺めていると、突然障子が開いた。

「失礼いたします」

 私は慌てて崩していた足を正す。
 お膳を前に正座していたのは、美しい髪の女性だった。年は三十歳くらい。彼女は立ち上がると、私を一瞥して微笑む。心がほわんとした。
 草原のように鮮やかな緑色の瞳と、透き通るような白い肌。整っていて高い鼻の下には、薔薇の蕾のような小さくて、血色の良い唇。
 そしてなにより、金糸のように美しく、長い髪の毛。――美人だ。

 私はぽかんと口を開けながら、女性を眺める。失礼だとは思ったけど、でも、こんな美人は風間さんと沢辺さん以来だよ。っていうか、毛利さん達以外に人いたんだ。
 彼女は、フレアスカートを揺らして入室した。

「初めまして、谷中様ですね?」
「あ、はい。そうです」
「私(わたくし)は花野井様に仕えております。月鵬(げっぽう)と申します。皆様のお食事は、私共で作っております。ご紹介のほど宜しいでしょうか?」
「え? あ、はい」

 何気なく返事を返すと、月鵬さんはどうぞと、短く言って人を招き入れた。

「失礼します」

 丁寧に挨拶をして入ってきたのは、くりっとした大きな瞳をした、黒髪の少年だった。瞳の色は濃い茶色。馴染みのある容姿に少しほっとする。日本人ってこういう目の色と紙の色の人多いから。
 彼は水色の着物を着ていたけど、肩部分と二の腕を繋ぐ布が少し開いていて、中に着ている長襦袢が見えていた。その部分は赤い太い糸で結ばれている。
 袴は、半ズボンのように膝上までしかなかった。
 十二歳かそこらに見える少年は、丁寧に頭を下げた。

「柳(りゅう)と申します。毛利様のところで働かせていただいております」

 柳くんは、ハキハキとした口調で言って、真面目そうな瞳を向けると、キビキビとした動きで部屋の奥へと詰めた。

 見ていたようなタイミングで、次に部屋へと入ってきたのは、私と同じくらいの年齢の少女だった。
 彼女はベージュのマントをはおっていた。首周りの布が多くて、口元が隠れているけど、多分可愛い子だと思う。マントの裾からふんわりとした形のキャロットスカートが覗いていた。
 髪はふんわりとしたボブで、薄い桃色だった。

 彼女は部屋に入るや否や、赤紫の瞳で私をギロリと睨んだ。
(えっ、何か悪いことした?)
 戸惑っていると彼女は私から目線を離した。
 
「三条家に仕えてます。結(ゆい)です」

 ぶっきらぼうに言って、勢い良く頭を下げた。そしてまた勢い良く顔を上げる。なんだか照れたような顔をしていた。
 結さんってただ単に、感情を表現するのが苦手なだけなのかも知れない。

 一番最後に入ってきたのは、中年の厳つい感じの男性だった。
 スキンヘッドで、恐持ての顔だ。彼は、ビシッとしたスーツを着ていた。

(怖い。ヤクザみたい)

 びびった私を一瞥して、彼は丁寧に頭を下げた。

「黒田様の部下で、翼(よく)ともうします」

 翼さんは挨拶を終えると、「では、失礼します」と告げて、愛想なく部屋を出て行った。それを合図にしたように、結さんも柳くんも部屋をあとにした。

 私は若干ぽかんとしてしまった。
 従者とか、部下とか、そんな人達がいるって毛利さん達ってそれなりの立場がある人達なの? 少年にしか見えない黒ちゃんにさえ、部下がいるって……。しかも、大人で、こわもてな。
 私は、ゆっくりと部屋に残っていた月鵬さんを見た。

「あの、月鵬さんはアニ――花野井さんの部下の方なんですよね?」
「部下と申しますか……。参謀をやらせていただいておりますが、まあ、部下という位置づけでしょうか」

 月鵬さんは独り言のような口調で言った。

「参謀?」
「ええ。花野井は元は山賊の頭領で、私はその補佐についていたもので」
「山賊!?」

 この世界には、そんな物騒な集団までいるの!? っていうか、こんなモデルさんみたいにキレイな人が山賊で、そのカシラがアニキだなんて……。たしかに、はじめて会ったときは怖いと思ったけど、すごく良い人なのに……。とても信じられない。
「ですが現在は山賊を解散し、花野井は岐附の将軍をしております」
「あっ、そうなんですね」

 良かった。昔の話なんだ。

「私も彼率いる軍の参謀をさせていただいております」
「将軍……というと?」
「将軍は一万を越える兵を動かせる人物のことです。次いで、三関(さんせき)、小関(しょうせき)、乎関(こせき)、関(せき)、百兵長(ひゃくへいちょう)と続きます」
「じゃあ、軍では将軍が一番偉いんですね」
「いいえ。軍での最高位は、烈将軍(れつしょうぐん)ですね。十万を超える兵の指揮を任された者で、大抵は将軍から選ばれます。ですが、世界史の中では優秀な軍師や参謀から選ばれたこともあるようですよ。まあ、稀なことでしょうけど」
「へえ。すごいですね」

 でも、十万って言われても想像つかないなぁ。

「今、岐腑は誰が烈将軍なんですか?」

 何気なく聞いたら、月鵬さんは困った顔をした。

「おりませんね」
「え?」
「烈将軍は、戦争が激化してから、もしくはそう予測立てた時に任命されるものなんです。だから、今はおりません。三年前まではカシラ――花野井が就いておりましたが、何分ご自身で戦われることを好まれる方なので、実質は別の将軍が務めておりました。まあ、言っては何ですが、お飾りでしたが」

 思わず、といった感じで、月鵬さんは苦笑を漏らした。

「すごいですね!」
「いえ、うちは将軍の数が少ないので、消去法です。しかもかなり特殊だったと思います」

 月鵬さんは柔らかく笑う。でも、どこか悲しそう。
 不思議に思うと同時に、聞き逃してた言葉が頭を巡った。〝三年前までは烈将軍がいた〝――ってことは、
「あの、岐腑国って戦争中だったんですか?」
 しかも、烈将軍が立つほどの。
「ええ。三年前まで、岐腑を含め、世界中が戦っていました。なにせ、世界大戦だったのものですから」
「世界中の国が?」
 緊張が体を走った。
「ええ。九ヵ国すべての国が戦いました」
「い、今は?」
「安心してください。現在はどこの国も休戦中です」

 月鵬さんが、にこりとやさしく笑んだので、私は心底ほっとした。
 ただでさえ心細いのに、戦争になんか巻き込まれたくないもん。
 ほっと胸をなでおろした私を見て、月鵬さんがお膳を手のひらで指した。

「お食事が冷めてしまいます。どうぞお食べになって下さい」
「あ、はい。ありがとうございます」

 お膳に目を通すと、黒いお椀には、薄い黄色のお米。一匹まんまの焼き魚。菜っ葉の入ったお吸い物と沢庵のようなお漬物が並んでいた。
 普通の日本食みたいだけど……。味はどうなんだろう?
 
「いただきます」

 手を合わせてから、それぞれに手を付けてみる。
 まずはお米みたいなもの。これは玄米のような味がした。やわらかいというよりは、少しシャキシャキしてる。焼き魚は、火加減が抜群なのか、身がふわふわしてる。お吸い物は、味噌の味はしなかった。でも、出汁の味はした。まあまあ美味しい。
 漬物は、そのまんま沢庵だった。
 ポリポリした歯ごたえが、食欲を誘う。
(なんだ、日本食じゃん)
 安心したのと同時に、ちょっと残念だった。見た事もない、異世界って感じの料理をどっかで期待してのかも。

「――ふう!」

 満足、満腹だ! お腹をぽんぽんと叩くと、月鵬さんがくすっと微笑んだ。
 私は気恥ずかしくて、口をもにょっと動かした。照れ隠しに、何気なく訊く。

「アニ――花野井さんって、将軍なんですよね? 他の、毛利さんとかも将軍だったりするんですか? ゴンゴドーラを一刀両断にしてたし」
「それは……」

 月鵬さんは何故か言葉を濁した。そして、申し訳なさそうに微苦笑する。

「すみません。それは、私の口からは申し上げられないことだと思います。ご本人様か、従者の方にお訪ねになってください」
「え?」

 月鵬さんは深々と頭を下げて部屋をあとにした。
(教えてくれても良いのに)
 私は口を窄めて、月鵬さんが出て行った障子を見ていた。


 私が食事を終え、障子を開けると日が陰ってきていた。もうすぐ夕方だ。この部屋に居ても暇だし、ふらふらと屋敷でも見て回ろうかな。ちょっと誰かと話もしたいし。
 障子を閉めて、適当な襖を開けると廊下が真っ直ぐに伸びていた。煌々と燃えるランプの光がなんとなく幻想的で、廊下を緋色に彩っている。

 そっと廊下に踏み出した。
 歩いてれば誰かに会えると軽く思ってたのに、数十分しても誰とも行き会わない。部屋の中からは、なんとなく気配を感じる気がするのに……。室内の景色も、まるで変わらない。

(なんかおかしい)

 不意に不安が過ぎったとき、突き当りの廊下を雪村くんと風間さんが横切った。

(良かった!)

 二人は、廊下の先の縁側から庭先に出て行く。私は後を追った。
 縁側に置いてある最後の下駄を履いて、そのまま庭を突っ切る。二人に声をかけようとしたとき、見覚えのある門が現れた。

 私が屋敷を抜け出すときに通った門だ。たしか、青龍の門とかいう。その門の前に二人は立っていた。

 なんとなく様子を見てると、雪村くんが不意に両手の人差し指と中指を合わせた。そして、眼を閉じると、真剣な顔つきになる。

「ふう……ふう……」

 深く深呼吸をする音が聞こえる。
 四回も聴こえないうちに、その音が別の音へと変わった。

「ヒュー、ヒュー」

 隙間風が耳を鳴らすような音が聞こえる。雪村くんの喉の奥からみたい。不思議に思っていると、突然、門の中心が歪んだ。
(目の調子悪いのかな?)
 目を擦るけど、歪みは直らない。首を傾げた瞬間、甲高く、鋭い音が鳴って、空気が引っ張られたようにピンと張ったのを感じた。
 それと同時に門の歪みが消えた。
「お疲れ様です。これで、結界も正常に戻りましたね」
(ああ、結界を直してたんだ)
 風間さんが雪村くんを労ったけど、雪村くんは真剣な表情を崩さなかった。

「中心は平気か?」
「……ええ。大丈夫です」

 雪村くんに訊かれた風間さんは目を閉じて、何かを探るような顔をしてから、安心したように答えた。
 雪村くんって、照れたりとかぼーっとしたりとか頼りない印象だったけど、あんな風に真剣な顔もするんだ。

「谷中様、何か御用ですか?」

飛んできた声に思わず身を竦める。

「なんでバレたんだろ?」

 呟いてから、私は隠れていた茂みから出た。
 風間さんはにこやかに笑っていたけど、雪村くんは私に気づかなかったみたいで驚いていた。

「すいません。覗くつもりはなかったんですけど、屋敷を探検しようと思ってたら、お二人を見かけて……」
「ああ」

 風間さんは納得したように頷いて、ジャケットの内ポケットから水色の紙を取り出した。色は違うけど、門の前で見た長方形の呪符のような紙だ。

「これをどうぞ」
「えっ、あ、ありがとうございます」

 とりあえずお礼を言って、渡された紙を受け取る。

「同じ廊下をぐるぐると回っているような気がしませんでしたか?」
「しました!」

 私はびっくりして顎を引く。

「この屋敷には呪術が施されていて、この呪符を持ってない者は自分がいる区画内をぐるぐるとさ迷うことになるんですよ」
「そうなんですか!」

(っていうか、やっぱりこれ呪符なんだ)
 私は渡された呪符をまじまじと見た。水色の紙に、赤い墨で文字なのか、絵なのか、良く分からないものが描いてある。