視線を彼から外して正面に向けると、ぎょっとした。
十畳くらいの部屋には、男性が三人いる。ちょうど正面には、酒瓶をそのまま煽る白髪のガタイの良い男性。二十代後半くらいで、何故か目が赤い。かっこうも和服で、上半身は裸。鍛え上げられた腹筋が羽織っただけの派手な着物から覗く。立膝をついている袴からは、太い筋肉質な脚が覗いていた。
(こ、怖い……)
思わず視線を右に振ると、襖に寄りかかるようにして少年が立っていた。私より、一、二、歳年下かな。私が十六だから、十四、十五歳って感じ。
黒いパーカー、黒いサルエルパンツと地味なわりに、装飾品がやたらと派手だ。目深に被ってるフードについている小さな角もカラフルだし、ズボンについてるチェーンもショッキングピンクと金色のボーダー柄だったりする。
パーカーの奥の髪が金色だ。
(でも、ちょっとほっとする。あの人が怖かったから……)
ちらっと白髪の男性を見たけど、目が合いそうになってすぐに外した。その先には、青年がいた。さっきの少年とは反対で、私より、一、二歳年上って感じ。もしくは同い年か。
私と目が合うと、彼はすくっと立ち上がって、緊張したように体を強張らせた。恥ずかしそうに俯き加減になる。
(人見知り? この人は、黒髪だ。他の人はみんな髪染めてるみたいなのに)
だけど、よく見ると目がすごく青い。そして白髪の男性同様、ものすごい腹筋! レジャージャケットから覗く腹筋が細身な体からは信じられないくらいくっきりと六つに割れている。
ぴったりとしたレジャーパンツからは、すらりとしたカモシカのような長くて、しっかりとした脚がうかがえた。
(マジかぁ……)
爽やかな容姿からは、想像がつかないくらいしっかりとした筋肉をしてらっしゃるわぁ……。筋肉フェチでもない私ですら、ときめいちゃうくらい。
もじもじとしたしぐさをして、挙動不審なのは、置いておくとして。
(ん? もう一人いる)
黒髪の青年の向こう側で、腕を組んで立っている男性がいた。存在感が薄いのか、影になっているところにいるからか気づかなかったけど。
今時めずらしく和服姿で(白髪の男性と違って、きちんと着用してる。ちょっと立派なくらい。ひとつの寄れもない)栗色の髪は、肩口まで伸びている。
陶器のように美しい肌で、整った顔をしてるけど、なんだかマネキンみたい。表情がないからかな。彼は、私をじっと見ていた。
(そ、そんなに見なくても……。無表情で凝視されても、不気味だよ)
そう思って、ぎくっとした。
(あの人、瞳が金色だ)
でも、何故か違和感がない。赤い瞳の白髪男性も、青い目の二人も、明らかに日本人顔なのに、髪も目も不自然感がまるでない。
(しっかし、このコスプレ集団はなんなんだろう)
十畳くらいある部屋が、狭く感じるくらい圧を感じる。
なんか、嫌な雰囲気。
「どうぞお座りになってください」
執事風の彼に促されて、私はとりあえずその場に座った。
すると、マネキンのような彼が静かに口を開いた。
「単刀直入に訊こう、小娘」
こ、小娘? 今時小娘とか言うかな。でも、それより気になるのは、この人の声だ。全然抑揚がない。低く、良く通る声なのに声にまったく波がないから違和感と、変な威圧感がある。
戸惑っている私に、彼はおかしなことを訊いた。
「ありえないとは思うが、お前が魔王か?」
「……は?」
魔王?
「えっと……?」
「昨夜のことは覚えておいでですか?」
私が困ってると、執事風の男性が訊いてきた。
「昨夜……?」
ってことは、家を出てから丸一日くらい経ってるってこと? ヤバイ。これって無断外泊じゃん。お母さんとお父さんに怒られる。早く帰らなきゃ。
「空から落ちてきたことだよ。覚えてるの?」
フードの少年が若干イラついたように急かす。
「え? 空から? ……夢でなら見ましたけど」
途中で苦笑してしまった。
「いいえ。実際、落ちていらっしゃいましたよ」
「は?」
私は思わず目を丸くした。
「ですが、見事に着地しておいででした」
「着地?」
あの高さから落ちて? あんなところから落ちたら、脚の骨折るどころじゃすまないよ。確実に死んでる。冗談のつもりなのかな?
「そんなことよりさ、なんで落ちてきたのか聞かせてよ」
軽く混乱していると、フードの少年が身を乗り出してきた。
「えっと……」
夢の話なんてして良いのかな? まあ、しょせん夢なんだけど……。さっさと話して、ここがどこなのか聞いて帰ろう。
私は登校途中で闇に飲まれたこと、白い空間で変なおじさんに会ったこと、白い空間が煙になって襲ってきて、何故か空から落ちていたことを包み隠さず話した――遅刻のことは内緒にしたけど。
「……」
私が話し終わると、沈黙が出来てしまった。ううっ、なんか気まずい。でも何故かみんなが一瞬、執事風の彼に視線を向けた気がした。
「あの、こんな夢の話を聞いてどうするんですか? っていうか、ここってどこなんでしょうか? 私、帰りたいんですけど」
「そうか、分かった」
マネキンみたいな男性が静かに顎を引く。
良かった。帰してくれる――。
「もう部屋へ帰るがいい」
違う! 部屋じゃなくて、家に帰りたいのっ!
私が反論する前に、彼は手を上下に動かした。シッシ! という野良犬とか猫とかにするしぐさ。
(なにこの人。超失礼なんですけど!)
「失礼ですが、お名前をお聞かせ願えますか?」
口を尖らせた私に、執事風の男性が遠慮がちに微笑んだ。この人は、良い人そう。美形だし、イケメンだし、きれいだし。
「えっと、谷中ゆりです」
「谷中様ですね。私は風間(ふうま)と申します」
「風間さん……」
どこぞの忍者みたいですけど、ステキな名前ですね。風のように爽やかで、風間さんにお似合いです!
なんてことは言えず、ただ笑み返すと、黒髪の青年が元気良く手を上げた。
「俺! 俺、三条雪村!」
「三条さん」
「雪村って呼んで!」
フレンドリーな人だなぁ。この人も良い人そう。でも、やっぱり本当は人見知りなのかも。緊張からなのか、声が少し裏返ってた。
「ぼく、黒田ろく」
つまらなそうに呟いて、フードの少年はそっぽ向いた。
ふむ。やっぱりまだ声変わり途中な声音だし、年下そうだな……。ろく君か。ちょっと言い辛いから、黒田からとってクロちゃんって呼ぼうかな。もちろん心の中だけだけど。――っていうか、今後呼ぶ機会なんてあるのかな? 私すぐ帰りたいし。早く帰って、何て説明して良いかわかんないけど、ちゃんと言わないと親に大目玉くらうよ。
そんなことを考えていると、白髪のちょっと怖い男性が軽く手を上げた。
「花野井剣之助ってんだ。よろしくなぁ、お嬢ちゃん!」
「……よろしくお願いします」
意外な感じがして、少し驚いてしまった。
外見と違って、話し方はそんなに怖くなかった。むしろ、社交的な感じが好感をもてて、お兄ちゃんとか、アニキ! って感じ。よく見れば、タレ目がちょっと優しそうだし、ガタイが良くて、態度も大きいってだけなのかも。怖そうな印象を除けば、顔だって整ってるし。鼻高いし。
そう思っていると、最後にマネキンみたいな男性が無愛想に自己紹介した。
「毛利、毛利影也(もうりかげなり)だ」
やっぱり声の調子は抑揚がない。表情もないし、本当に顔がきれいなだけのただのマネキンみたい。なんだか、もったいないなぁ。もっと感情を出せばすごくモテそうなのに。いや、実際モテてるのかも知れないけど。私、毛利さんのこと何も知らないし。
「お引止めしてしまって、申し訳ございません。どうぞ、お戻りになられてください」
「いや、あの、私、家に帰りたいんです」
遠慮がちに言うと、風間さんは困ったように微笑(わら)った。
「申し訳ございません。現段階では、お帰しすることは出来ません」
「……は?」
どゆこと?
「あの、どういうことでしょう?」
私が尋ねると、風間さんは微苦笑する。
「実は、私共は封印されてしまった魔王という莫大なエネルギーを復活させようとしておりました」
「え?」
「昔話であるんだよ。魔王って物質がね。なんでそんな名前がつけられてるのかは知らないけど、その莫大なエネルギーを手にした者は世界を変えるほどの力を得るって言われてるわけ」
黒田くん――クロちゃんが、話しに入ってきた。
「魔王を受け入れるための器を用意して魔王の封印を解いたわけ。魔王をその器に入れるために。でも、何故かその器であるおっさんは消えて、キミが現れた」
「小娘、貴様の話によれば、白い空間とやらで出会った中年の男は、我々が用意した器である可能性が非常に高い。そいつが小娘の中へ入ったとなれば――」
「当然、魔王もキミの中ってわけだ」
「……は?」
何言ってるの、この人達。
「贄の男に魔王が宿っていたかは不明だが、魔王は確実に貴様の中だろう」
毛利さんは確信を持った口調で言って、風間さんに一瞬視線を向けた。風間さんは気づかなかったみたいで、私を申し訳なさそうに見た。
「我々は魔王を手にし、それぞれの願いを叶えようとしておりました。しかし、何故か貴女が我々のところへやってきてしまった。そして、おそらく、別の世界から……」
「別? の、世界?」
ますます何言ってるの。風間さんって、残念美人なんだ。それともみんなしてからかってるとか?
「あのう、私本当にそろそろ帰りたいので……。始発多分もうやってると思うんで、駅名教えていただければ、スマホで――あ、そっか」
ネットで調べれば現在地分かるじゃん。
「すみません、私の鞄ってどこですか? スマホ入ってるので、両親に連絡もしたいし。さっきの部屋にはなかったみたいなので……預かってたりしません?」
みんなは不思議そうな顔で互いの顔を見合わせた。毛利さんは無表情だったけど。
「申し訳ございません。鞄は見ておりません」
「あのさ、スマホってなに?」
好奇心が見え隠れしながら、雪村くんが訊く。
「スマホは、スマートフォンの略で……。いやいや、からかわないでくださいよ。スマホ知らない人なんていないじゃないですか」
苦笑すると、雪村くんはきょとんとして首を捻った。
(えっ、本気!? スマホ知らない人なんているんだ)
「いや、とにかく! 私帰りたいんです。鞄がないんなら、ここがどこなのか教えてください! 自力で近場の駅にでも行くので!」
幸いポケットに電子マネー入ってるし。――入ってるよね? 不安になって、スカートのポケットに手を突っ込むと薄くて四角い感覚がある。
(良かったぁ。入ってた!)
「ですから、申し訳ございませんがお帰しできないんです」
風間さんが申し訳なさそうに頭を下げる。
「貴女がやってきたのは、我々にしてみれば、想定外の事故のようなもので……正直申し上げて、帰し方がわからないのです」
「異世界のやつなんて、初めて見たしなぁ!」
豪快に笑って、花野井さんが酒瓶を煽る。
「可哀想だが、嬢ちゃん。もうしばらく、ここにいるしかねぇな」
「そういうことだな」
(……え、マジ?)
真面目そうな毛利さんや、年長者っぽい花野井さんまでそんな、異世界なんて変なこと言うなんて……。
私は五人を見回す。
(この人達、かっこうとか容姿も少し変だし……もしかして、新手の変な宗教なんじゃ!?)
もしかして私、昨日登校途中にこの人達に拉致られたんじゃない? それで、妙なことを吹き込んで変な宗教を信じ込ませようとしてるんじゃ?
(ヤバイ! 逃げなきゃ!)
とりあえず、ここは話をあわせて、油断させて逃げよう。幸い縁側から抜け出せそうだし。
「わ、わかりました。魔王ってやつが私に入っちゃったんですよね? で、帰り方はわからないと」
「はい。申し訳ございません」
風間さんは深々と頭を下げる。
「じゃあ……とりあえず、私、まだ混乱してるので、さっきの部屋に戻ってても良いでしょうか?」
「そうですよね。お戻りになられてください。あっ、部屋わかりますか?」
「わかります!」
ついてこようとする風間さんを止めて、私はそそくさと部屋を出た。
* * *
「ありゃぁ、信じてねえな」
「だね。見え見えだし。ぼく達のこと、頭おかしいやつらだと思ってるよ、絶対」
嫌味たっぷりに黒田が笑う。
「でもさぁ、あの女の話に出てきた白い空間とかってなんなわけ?」
軽口を叩くような声音とは反対に、心の中では周囲を試していた。特に、風間と毛利を注意深く見る。
黒田の質問に、一同は眉をひそめた。
「なんだろうな?」
首を捻ったのは雪村で、花野井も同様に顎に手を当てて眉を八の字に曲げる。
風間も微苦笑しながら腕を組んだが、黒田は胡乱気に彼を見た。そして、毛利に話を振る。
「ねえ、なんだと思う? 毛利さん」
あたりはついてるんだろ。と、内心で挑発する。それを感じ取った毛利は、不快さを感じながら口にした。
「おそらくは、その空間こそが魔王そのものだろう。あのとき、男の死体は消えた。肉体ごと魔王に吸収されたと考えられる。その男に会ったと小娘が言うならば、白い空間こそが魔王である可能性が高い。そして、風間」
突然話を振られたにも関わらず、風間は微動だにせずに微笑んでいた。
「なんでしょう、毛利様」
「我々が儀式のときに見たあの、小さな白銀の太陽のような光の塊こそが魔王なのではないか?」
「……そうなのかも知れません。なにぶん、私も見たことがないもので……」
申し訳なさそうに顔をゆがめて風間は頭を下げる。
(ふんっ! うさんくさいんだよなぁ。あいかわらず! それにしても、やっぱりあの光の塊が魔王だったんだね)
黒田は片方の眉を釣り上げた。そして、毛利を一瞥する。
(やっぱ、毛利は気づいてたか。ほ~んと、食えないんだから)
「しかし、風間よ。大した演技力だな」
「……は?」
風間は一瞬、笑みを崩す。ぴりっとした緊張を毛利含め、黒田と花野井も見逃さなかった。
「申し訳ございません。不肖故、意味が図りかねます」
「あの小娘を帰す方法はあるだろう」
「……一体、どうやって?」
風間は初めて笑むのを止めた。柔和な表情を真剣な顔つきに変える。
「俺達がまた儀式を行えばいい」
風間は強い瞳で毛利を見据える。
「それだけでは、帰せないと思います。彼女が来たのは事故ですから。この世界とは別の世界がいくつあるのかも分からないですし、もしもいくつか存在しているとしたら、一体どこの世界に帰せば良いのでしょう? 失敗すれば次元の狭間に彼女は取り残されてしまうかも知れません。確実な方法はないのです」
「本当にそうか?」
毛利の声音は、いつものように抑揚のないものではなかった。疑念に満ちた口調で、風間を見据える。
しかし、風間もまた毅然とした態度を崩さなかった。
「ええ。残念ながら」
「そうか……」
毛利は呟いたが、疑いの色は消さなかった。風間はにこりと愛想良く笑う。二人の間に漂った微妙な空気を消すように、黒田が声を上げた。
「ってゆうかさぁ、毛利さんはあの子帰しちゃって良いわけ?」
軽い口調だったが、どこか責めるように聞こえるのは、黒田が侮蔑しているからだろう。
「せっかくの魔王を手に入れなくていいの? 能面みたいな顔して、本当は優しいんだね」
「口を慎めよ」
無表情だと思えないほど、毛利からは怒気が溢れていた。口調も淡白であり、あいかわらず抑揚がなかったが、誰が見ても明らかに怒っているとわかるほどだ。だが、雪村だけは、ただの言い合いだと思ったらしく、のほほんとかまえている。
黒田はにやりと口の端を持ち上げた。
「残念ながら、慎む口は持ってないんだ。ぼく」
(噂に違わぬ男だな)
ふっと毛利は鼻で笑った。それが分かる者はいなかったが、怒りはあの一瞬で治まったらしい。
「でぇ、肝心な魔王の話なんだけどさぁ。どうする?」
飄々と黒田が話を続けたので、場の空気は和らいだ。
「魔王は彼女の中に入っちゃってるわけだろ。死体だったらぼくらが戦って、勝ったやつがその死体プラス魔王を手に入れるって話がついてたわけだけど、彼女生きてるもんねぇ……どうする?」
「ったってなぁ……」
花野井は、困ったようすで頭を描く。
「いっそ殺しちゃう? その方が手っ取り早いでしょ」
こともなげに言ってのける黒田に、雪村が勢い良く反論した。
「そんなのダメだ! 絶対ダメだ! そんなの、可哀想だろ!」
「俺もその提案には乗れねぇな」
花野井は軽く殺気を発したが、黒田はふっと薄く笑った。
「まあ、アンタ達が反対しようがぼくはどうでも良いけどね」
したいようにするからさ――と続く言葉を飲み込み、どいつもこいつも甘いんだよと、芽生えている怒りを隠した。そこに、
「当然、方法はあるんだろう。風間」
突然、確信的な声音がふってきた。言ったのは毛利で、話題をふられた風間は、にっこりとしていた笑みを解いた。真剣な眼差しで、一同を見やる。
「彼女のことは不可抗力ではありましたが、たしかに毛利様のおっしゃるように、我々のうち誰かが魔王を手に出来る可能性はあります」
「どうやって?」
怪訝に花野井が眉を顰める。
「彼女を、恋に落とすのです」
「はあ!?」
あからさまに驚いたのは黒田だ。