* * *
頭がぼうっとする。
まるで、眠ってる途中で起こされたみたい。
「う、ん」
まだ寝てたいんだってば。
私は、寝返りをうとうとして、ハッとした。私、立ってる。寝転んでるわけじゃない。
ばっと目を開けると、そこは真っ白な空間だった。
あたり一面、真っ白な世界。どこまでもどこまでも、白が続いている。
「まるで、果てがないみたい……」
ぽつりと口にして、ぞっとした。
「ここ、どこ? どういうこと?」
混乱して、辺りを見回す。振向いた瞬間、思わず悲鳴を上げた。目の前に、顔があったから。
「キャアア!」
目を強く閉じて、後退した途端、腰が抜けた。尻餅をつく。バクバクと音をたてる心臓。騒ぎ出したい唇を両手で押さえつけて、パニックなまま、目を開けた。
恐る恐る見上げた目の前の誰かは、男だった。
銀色の鎧、中世のフランスだかイギリスだかの人が着ていたような鎧に、真っ赤なマントを羽織った中年の男性。
少し細めの鎧兜からは、口髭を蓄えた、どこにでもいそうなおじさんの顔。西洋の鎧だからといって、外国人なわけではなさそうだった。
(コスプレ?)
心の中で呟いて、私は震える足で立ち上がった。まだ、心臓がバクバクしてる……。
「あ、あの……こんにちは」
「……」
おじさんから反応はない。虚ろな瞳で遠くを見ている。
あいさつくらい返してよ。内心、ちょっと拗ねながら、私はもう一度話しかけた。
「あの、ここってどこかご存知ですか? 私、いつの間にかここにいて」
「……」
「あの……? すいません……?」
「……」
やっぱり返事はない。
(なんなの……)
おじさんをじろじろと見た。
「あれ?」
妙な違和感が芽生えた。
おじさん、さっきから瞬きを一度もしない。それに、息を吸ったり吐いたりしてる様子が微塵もない。
「え……もしかして、死んでる?」
そんなわけない! 否定しながらも、不安が胸を過ぎる。そういえば、血色も物凄く悪い。まるで、血が一滴も血管を巡ってない見たい。
「いやいや、そんな! 気のせい気のせい!」
(でも、普通、これだけ目の前で騒いでたら何か反応するよね?)
私は唾を飲み込んで、改めておじさんをちゃんと見る。そして、意を決して話しかけた。
「こんにちは!」
お願い! 反応して!
だけど、おじさんは微動だにしなかった。虚ろな目は、何も映してないみたい。
「どうしよう……やっぱ死んでる。――そうだ! 救急車! 警察!」
慌ててガサゴソと鞄を探る。その時だった。ゆらりと、おじさんの体が動いた。
「へ?」
顔を上げると同時におじさんが私に向って倒れこんでくる。髭が目の前に迫る。
「わわわっ! ちょっと!」
いやぁ! ――ぶつかる!
「死体のおっさんとぶつかるなんてヤダァ!」
思わず叫んで、強く目を瞑った。でも、いつまで経っても体に衝撃が来ない。
「……あれ?」
目を開けると、白い空間が現れた。おじさんが、いない。
「え? なに、どういうこと?」
白い空間には誰もいない。目が眩む白だけが広がる。そこに、私ひとりだけ……。急に、不安がどっと押し寄せてきた。
こんなとこで、私、たった一人で、どうしたら良いの?
「誰か、誰か、いませんか!」
叫び声は白い空間に吸い込まれ、反響すらしない。反響しないってことは、跳ね返るものがないってことで……。
ぞっと背筋が凍る。
ここ、どこまで続いてるの? 本当に、果てがないの?
泣き出しそうになって、私は叫んだ。
「助けて! 助けてください!」
さっきのおじさんでも良いから、出てきてよ! いや、でも、死体は嫌だけどっ!
「誰かい――」
――ませんか。
口にしたつもりの言葉は、胸が痞えて出なかった。ずるりと足元を何かが這ったから。ぎゅっとした緊張が走る。
ただ白いだけだった空間、地面は確かにアスファルトみたいに硬かった。なのに、今は煙が立ち昇り、どこかに向って動いている。足元が波打ち際の砂の上みたいに揺れる。
まるで、生きてるみたい。
あっという間に煙は渦を巻き始めた。そして、白い渦は私の目の前でぴたっと止まる。嫌な予感がして、私はやっと、足を後退させる。振り返って、呼吸が止まった。後ろの空間もすでに白い渦となって、私のほうを向いていた。
気がつくと、左右も同じだ。
「なに、なに、なに、なに――」
パニックった瞬間、白い渦が私に向って突進してきた。
「キャアア!」
悲鳴と同時に四方の白い渦は、私に体当たりした。
あっという間だった。瞬く間もなかった。全ての渦は私の身体に〝侵入〟した。次ぎの瞬間、目の前が急に真っ暗になった。
(え? 気絶した?)
一瞬、混乱が頭を支配した。
(……違う)
きらっと何かが光ったと思うと、のっぺりとした巨大な月が私の真横に現れた。
(月? 夜? だって、朝じゃ……)
月は、どんどん遠ざかっていく。それでやっと、叩きつける強風が意識の中に入ってきた。猛烈な風が頬を引き上げて行く。髪が月に向かって昇ってる。
どういうこと?
(――え、私、落ちてる!?)
私は自分が空から落下していることに、やっと気がついた。
「キャアアアアア!」
発狂した途端、ぐるりと世界が回った。見上げていた月がいなくなり、代わりに真っ暗な景色が目に飛び込む。目を凝らしてよく見ると、それは広大な森だ。
叫ぼうとして、息が詰まる。風が喉に侵入してくる。苦しい。叫べない。
(どうしよう、どうしよう、どうしたら良い!? このままじゃ、死んじゃう!)
涙が、零れるそばから天に舞う。
(誰か、神様、助けて!)
祈ったとき、何かが地面できらきらと光った。
(なんだろう)
私はぐんぐんそれに近づいていく。
(あれ、あれは……)
気づいたときには、絶望が胸を占めていた。
それは、月明かりに照らされた瓦屋根だった。
神社かお寺か、日本風の広い屋敷。広大な庭。それらを囲む石垣。暗闇の中で、はっきりと見える。私は、そこに向かって落ちている。
もう、地面は目前だ。
(いや、死にたくない! 神様でも、悪魔でも、魔王でも、何でもいい、助けて!)
助けて!
ぼんやりする目に、見慣れない天井が映る。自室の白い壁紙じゃない。格天井だ。おばあちゃん家の和室みたい……。
(でも、なんで照明器具がないんだろう)
何気なくそんな風に考えて、急にハッとした。
飛び起きて布団をはがすと、動悸がしてくる。
「私、空から……」
跳ねるように周囲を見回す。
そこは、十畳くらいの和室だった。左右と後ろに襖。絵柄が少し変わってる。龍やドラゴンのような生物が墨で描かれていて、かっこいい感じ。
正面には、雪見障子っていうのかな。上半分が木枠に和紙、下半分がガラスのような素材で出来ている戸があった。
そこから光が漏れている。
「朝? 昼?」
もしかして……。
「私、夢見てた?」
明らかに空の上じゃないし、病院っぽくないし、布団の中だし……。でも、どこからが夢?
「それとも、もう死んじゃって、ここは天国とか?」
冗談ぽく口にしたけど、次の瞬間、本当にそうじゃないかって思って血の気が引いた。
パニックになりそうな気持ちを抑えて、
「いやいや、落ち着いてゆり! そんなはずないから! ……多分。いや、絶対!」
思い切り頬をつねってみる。
「痛い! 痛い!」
ってことは、これはまぎれもなく現実で、私は生きてる。
「よかった!」
ほっと一息ついて、ふと気づく。
「でも、ここどこ?」
私はゆっくりと起き上がると、とりあえず障子に手をかけた。ちょっとドキドキする。
「まぶしい」
障子を開けると、庭があった。小さな日本庭園といった感じで、庭石が敷き詰められ、松にしてはみどりの色が鮮明な低木と、丸く葉をカットされた木がそこかしこにある。
足元には縁側。
私、初めて見た。
たしか、小さい頃に曾おばあちゃんの家に縁側があったけど、そこにはガラス戸があった。けど、ここにはない。縁側の上には屋根が伸びてるけど、この部屋から一歩出たら外って感じ。
(こういうのって、大きなお寺とかにはありそうだけど……。ここって、お寺なのかな?)
でも、どうして私がお寺に?
首を捻ると同時に、
「起きたんですね」
柔和な声が聞こえて、私は身を乗り出して振り返る。右側から、男性が歩いてきていた。私は、一瞬にして体温が上昇した気がした。
彼は灰色の髪に、澄み渡る空のような水色の瞳で微笑んだ。
(うっわぁ! こんな美形、見たことない!)
え? 男の人だよね? 女の人じゃないよね? 思わずじろじろと見てしまう。
多分、おそらく、男の人だと思われる彼は、二十代中頃で、執事が着るようなジャケットをはおり、白い手袋をはめている。声と、かっこうがそうだから、男の人だと思うけど、中性的な顔立ちをしていて、黙っていれば女の人みたいだ。
(女の人だったら、大人になった沢辺さんがこんな風にキレイになるんだろうな)
ほえ~と、見惚れていたら、苦笑されてしまった。
やっべ。
「皆様がお待ちです。こちらへ来ていただけますか?」
「皆様?」
訊き返したけど、彼がすっと手のひらを返して縁側の先へ促すので、私はついつい足を踏み出してしまった。
* * *
縁側を歩いていると、この家はすごく広い建物なんだとわかった。だって、縁側を五十メートルは歩かされたんだもん。
空の上で見た大きな屋敷が頭に浮かぶ。いやいや、あれは夢だって。じゃなかったら、空から落ちて生きてるはずないんだから。
私が頭を振ったとき、彼が足を止めた。縁側の折り返し地点から、三つ目の部屋の障子を開ける。
「失礼します」
ぺこりと頭を下げると、振り返って私に笑みかける。
(笑顔フェチには殺人級だよっ!)
心臓がバクバクする。
入室を促すしぐさをした彼は、少しかがんだ。
(あれ? この人、頬に薄っすら傷跡がある)
せっかくの美形なのに、もったいない。紙か何かで切ったのかな?
私はちょっと残念に思いながら部屋へ入った。
視線を彼から外して正面に向けると、ぎょっとした。
十畳くらいの部屋には、男性が三人いる。ちょうど正面には、酒瓶をそのまま煽る白髪のガタイの良い男性。二十代後半くらいで、何故か目が赤い。かっこうも和服で、上半身は裸。鍛え上げられた腹筋が羽織っただけの派手な着物から覗く。立膝をついている袴からは、太い筋肉質な脚が覗いていた。
(こ、怖い……)
思わず視線を右に振ると、襖に寄りかかるようにして少年が立っていた。私より、一、二、歳年下かな。私が十六だから、十四、十五歳って感じ。
黒いパーカー、黒いサルエルパンツと地味なわりに、装飾品がやたらと派手だ。目深に被ってるフードについている小さな角もカラフルだし、ズボンについてるチェーンもショッキングピンクと金色のボーダー柄だったりする。
パーカーの奥の髪が金色だ。
(でも、ちょっとほっとする。あの人が怖かったから……)
ちらっと白髪の男性を見たけど、目が合いそうになってすぐに外した。その先には、青年がいた。さっきの少年とは反対で、私より、一、二歳年上って感じ。もしくは同い年か。
私と目が合うと、彼はすくっと立ち上がって、緊張したように体を強張らせた。恥ずかしそうに俯き加減になる。
(人見知り? この人は、黒髪だ。他の人はみんな髪染めてるみたいなのに)
だけど、よく見ると目がすごく青い。そして白髪の男性同様、ものすごい腹筋! レジャージャケットから覗く腹筋が細身な体からは信じられないくらいくっきりと六つに割れている。
ぴったりとしたレジャーパンツからは、すらりとしたカモシカのような長くて、しっかりとした脚がうかがえた。
(マジかぁ……)
爽やかな容姿からは、想像がつかないくらいしっかりとした筋肉をしてらっしゃるわぁ……。筋肉フェチでもない私ですら、ときめいちゃうくらい。
もじもじとしたしぐさをして、挙動不審なのは、置いておくとして。
(ん? もう一人いる)
黒髪の青年の向こう側で、腕を組んで立っている男性がいた。存在感が薄いのか、影になっているところにいるからか気づかなかったけど。
今時めずらしく和服姿で(白髪の男性と違って、きちんと着用してる。ちょっと立派なくらい。ひとつの寄れもない)栗色の髪は、肩口まで伸びている。
陶器のように美しい肌で、整った顔をしてるけど、なんだかマネキンみたい。表情がないからかな。彼は、私をじっと見ていた。
(そ、そんなに見なくても……。無表情で凝視されても、不気味だよ)
そう思って、ぎくっとした。
(あの人、瞳が金色だ)
でも、何故か違和感がない。赤い瞳の白髪男性も、青い目の二人も、明らかに日本人顔なのに、髪も目も不自然感がまるでない。
(しっかし、このコスプレ集団はなんなんだろう)
十畳くらいある部屋が、狭く感じるくらい圧を感じる。
なんか、嫌な雰囲気。
「どうぞお座りになってください」
執事風の彼に促されて、私はとりあえずその場に座った。
すると、マネキンのような彼が静かに口を開いた。
「単刀直入に訊こう、小娘」
こ、小娘? 今時小娘とか言うかな。でも、それより気になるのは、この人の声だ。全然抑揚がない。低く、良く通る声なのに声にまったく波がないから違和感と、変な威圧感がある。
戸惑っている私に、彼はおかしなことを訊いた。
「ありえないとは思うが、お前が魔王か?」
「……は?」
魔王?
「えっと……?」
「昨夜のことは覚えておいでですか?」
私が困ってると、執事風の男性が訊いてきた。
「昨夜……?」
ってことは、家を出てから丸一日くらい経ってるってこと? ヤバイ。これって無断外泊じゃん。お母さんとお父さんに怒られる。早く帰らなきゃ。
「空から落ちてきたことだよ。覚えてるの?」
フードの少年が若干イラついたように急かす。
「え? 空から? ……夢でなら見ましたけど」
途中で苦笑してしまった。
「いいえ。実際、落ちていらっしゃいましたよ」
「は?」
私は思わず目を丸くした。
「ですが、見事に着地しておいででした」
「着地?」
あの高さから落ちて? あんなところから落ちたら、脚の骨折るどころじゃすまないよ。確実に死んでる。冗談のつもりなのかな?
「そんなことよりさ、なんで落ちてきたのか聞かせてよ」
軽く混乱していると、フードの少年が身を乗り出してきた。
「えっと……」
夢の話なんてして良いのかな? まあ、しょせん夢なんだけど……。さっさと話して、ここがどこなのか聞いて帰ろう。
私は登校途中で闇に飲まれたこと、白い空間で変なおじさんに会ったこと、白い空間が煙になって襲ってきて、何故か空から落ちていたことを包み隠さず話した――遅刻のことは内緒にしたけど。
「……」
私が話し終わると、沈黙が出来てしまった。ううっ、なんか気まずい。でも何故かみんなが一瞬、執事風の彼に視線を向けた気がした。
「あの、こんな夢の話を聞いてどうするんですか? っていうか、ここってどこなんでしょうか? 私、帰りたいんですけど」
「そうか、分かった」
マネキンみたいな男性が静かに顎を引く。
良かった。帰してくれる――。
「もう部屋へ帰るがいい」
違う! 部屋じゃなくて、家に帰りたいのっ!
私が反論する前に、彼は手を上下に動かした。シッシ! という野良犬とか猫とかにするしぐさ。
(なにこの人。超失礼なんですけど!)
「失礼ですが、お名前をお聞かせ願えますか?」
口を尖らせた私に、執事風の男性が遠慮がちに微笑んだ。この人は、良い人そう。美形だし、イケメンだし、きれいだし。
「えっと、谷中ゆりです」
「谷中様ですね。私は風間(ふうま)と申します」
「風間さん……」
どこぞの忍者みたいですけど、ステキな名前ですね。風のように爽やかで、風間さんにお似合いです!
なんてことは言えず、ただ笑み返すと、黒髪の青年が元気良く手を上げた。
「俺! 俺、三条雪村!」
「三条さん」
「雪村って呼んで!」
フレンドリーな人だなぁ。この人も良い人そう。でも、やっぱり本当は人見知りなのかも。緊張からなのか、声が少し裏返ってた。
「ぼく、黒田ろく」
つまらなそうに呟いて、フードの少年はそっぽ向いた。
ふむ。やっぱりまだ声変わり途中な声音だし、年下そうだな……。ろく君か。ちょっと言い辛いから、黒田からとってクロちゃんって呼ぼうかな。もちろん心の中だけだけど。――っていうか、今後呼ぶ機会なんてあるのかな? 私すぐ帰りたいし。早く帰って、何て説明して良いかわかんないけど、ちゃんと言わないと親に大目玉くらうよ。
そんなことを考えていると、白髪のちょっと怖い男性が軽く手を上げた。
「花野井剣之助ってんだ。よろしくなぁ、お嬢ちゃん!」
「……よろしくお願いします」
意外な感じがして、少し驚いてしまった。
外見と違って、話し方はそんなに怖くなかった。むしろ、社交的な感じが好感をもてて、お兄ちゃんとか、アニキ! って感じ。よく見れば、タレ目がちょっと優しそうだし、ガタイが良くて、態度も大きいってだけなのかも。怖そうな印象を除けば、顔だって整ってるし。鼻高いし。
そう思っていると、最後にマネキンみたいな男性が無愛想に自己紹介した。
「毛利、毛利影也(もうりかげなり)だ」
やっぱり声の調子は抑揚がない。表情もないし、本当に顔がきれいなだけのただのマネキンみたい。なんだか、もったいないなぁ。もっと感情を出せばすごくモテそうなのに。いや、実際モテてるのかも知れないけど。私、毛利さんのこと何も知らないし。
「お引止めしてしまって、申し訳ございません。どうぞ、お戻りになられてください」
「いや、あの、私、家に帰りたいんです」
遠慮がちに言うと、風間さんは困ったように微笑(わら)った。
「申し訳ございません。現段階では、お帰しすることは出来ません」
「……は?」
どゆこと?