* * *
空間が歪んで、縁側が映った。足を出した先に、クロちゃんが立っていた。眉根を寄せて不機嫌そう。だけど、私に気づいた途端に和らいだ。
「どうしたの?」
「うん。待ってた」
「うん?」
小首を傾げる私に、クロちゃんは無邪気に笑いかけた。
「どこ行ってたの?」
「ドラゴンの収容小屋だよ」
「あそこか。あんなとこ楽しい?」
「楽しいよ。可愛かったし」
「そ」
「あっ、昼間クロちゃんのラングルも見たよ。シンディ」
「シンディは美人だろ」
ふと優しい顔で微笑んだ。
(へえ、クロちゃんってこんな顔もするんだ)
「うん。シンディって赤くてキレイだよね」
「まあね。それに気高いんだよ」
誇らしげに言ってクロちゃんは、にこっと笑った。
「これ、あげるよ」
ポケットから取り出したのは、黄色い小さな石がついたペンダントだった。余光の淡い光が僅かに反射して、きらりと光る。
「良いの?」
「うん。これ渡そうと思って。これね、ウチの国では有名な石で、福護石(ふくごせき)っていうんだ。これを持ってる人は、不幸から護られるんだって。代々大切な人に渡すならわしなんだ」
「へえ」
(ん? 大切な人?)
「キミがちゃんと帰れるように」
ふわっと笑ったクロちゃんの言葉に、心がわっと温かくなった。
嬉しい。自分が帰れることを願ってくれる人が、自分意外にもいることがたまらなく嬉しかった。
「……それでね、あの……言いにくいんだけどさ」
「うん?」
「もしかして、毛利さんがキミのこと好きだとかって思ってたりする?」
「え?」
図星を点かれて、胸が高鳴る。
「――あのね」
クロちゃんは突然声のトーンを落とした。窺うような目線からは、詫びるような感情が窺えた気がした。
「そういうことじゃ、ないんだよ」
「……え?」
クロちゃんはすがるような瞳で見て、私の両腕を抑えた。覗き込んで、眉根を寄せる。
「毛利さんは、キミの中の魔王が欲しいだけなんだ」
(は? どうして? どういうこと? えっ、あれって告白じゃないの?)
頭が追いつかない。
(私、また勘違いしたってこと?)
「あのね。冷静に聴いて欲しいんだ」
宥めるように言って、クロちゃんは真剣な表情で私を見据える。真っ直ぐな瞳に射抜かた気分になる。
「ぼくらは、はじめキミが白い空間の中で見たって言うおっさんの死体の中に魔王を入れようとしたんだ。でも、何故かキミの中に入っちゃって」
「それは知ってる」
口を挟んだ私に相槌を打って、クロちゃんはとんでもない話をした。
「それでね。じゃあ、キミを手に入れて思うように動かそうって。キミを恋に落とした者が魔王を手に入れるんだって――風間さんが」
まさか。あの温和でやさしい風間さんが、人を弄ぶような提案なんてするはずない。クロちゃんってば、何の冗談なの?
「だからね、毛利さんのことも、そういうことなんだよ」
クロちゃんは強い瞳で私を見据えた。
頭が真っ白だ。なんて言ったら良いのか分からない。冗談じゃない? 本当のことなの?でも、風間さんは――。
「風間さんは私に全然恋愛感情なんてないみたいだったよ? クロちゃんが嘘を言ってるとは思わないけど、でも、そんな話信じられない。それにみんな私を元の世界へ帰そうとしてくれてるじゃない」
クロちゃんから目をそらした。掴まれている腕に力が入って、無理矢理目線を合わせられる。真剣で、必死な目。私はまた、目を逸らす。
「風間さんはそうだよ。風間さんは三条雪村の執事だよ? 執事が主を差し置いて賭け事に興じたりする?」
「賭け事……?」
思わずクロちゃんを見た。
「そうだよ。キミを一番に落とした人が魔王を手にするってことは、そういうことでしょ?」
「ゲームってこと……?」
ぽつりと呟いた途端、改めてショックが襲う。
「それに、言い辛いんだけど」
クロちゃんは言葉を濁して、不意に目線を下げた。
(なに? なんなの? これ以上何があるって言うの?)
不安が渦を巻く。
「キミは、一度でも風間さんや他のみんながキミを元の世界へ戻すために何かをしてるところを見たことがある?」
「……それは」
たしかに、一度もない。
「風間さんは口で探してるっていうばっかりじゃなかった?」
「そう……そうだった」
「でしょう? 帰すつもりなんて、最初っからなかったからだよ」
「そんな……!」
声が悲痛に歪む。
「じゃあ、私は最初から騙されてたってこと?」
パニックになりそうな私の腕を、さらに強くクロちゃんは握りしめる。そして、残酷なほどはっきりと頷いた。
ショックが全身を駆け抜けて、空になった頭に血が上る。
「じゃあ、クロちゃんもそうなの!? 親切にしてくれたのも、このペンダントをくれたのも――そのため!?」
「違うよ! そんなわけないだろ! もしそうなら、こんなこと言ったりしない!」
握っていた腕を引き寄せられて、力強く抱きしめられた。回された背中が痛いくらいで、押し付けられた胸板が硬くて、まだ子供で、線が細くて、力なんて全然ないと思ってたクロちゃんは、しっかりと男性だった。
「そうだろ?」
耳元で、懇願するように囁く。
(そうだよね。私を騙して魔王の力を思うようにしたいなら、そんなことを告げるわけがない)
ほっとして、目を閉じる。
(クロちゃんだけは、信じても良いんだ)
「乗せられるな、馬鹿者」
突然響いた険のある声が背中を振るわせた。クロちゃんから離れて振向くと、そこには無表情の毛利さんがいた。
(なんなの、何しにきたのよ?)
騒いで押し帰したくなったけど、ぐっと堪える。
握り締めた手のひらが痛い。
「部屋で待っていたが、中々来ないので出てみたら……なに黒田の口車に乗ろうとしている。小娘、貴様は馬鹿か」
はあ!?
「馬鹿とはなんなのよ! じゃあ、今のクロちゃんの話は嘘だって言うの!? 私を騙して、魔王の力を思うようにしようとしてたって!」
「その通りだ」
「――そ……」
その通り――?
(開き直るつもり!?)
唖然とする私に向って、毛利さんは大げさにため息をついた。
めずらしく、能面のようには見えないけど、今はそんなことどうだって良い!
「貴様の中に魔王があって、それで貴様はどうするつもりだ? 何に使う? お遊戯か?」
「お遊――」
「そもそも、魔王を呼び出すはずだったと最初に告げてある。それぞれの願いのためにだとも、風間は言っていたな? 願いがあって、危険を承知で魔王を呼び出して、貴様に憑依した。事故で貴様の身体に入ったから、はい、諦めますなんてなるはずがなかろうが」
だからって、だからって――!
「少し考えれば、解ることだろう。何故、事故で呼んだとはいえ、貴様の面倒を献身的にみると思う。見返りが、何故ないと思う。もう一度言う、貴様は馬鹿か」
絶句した。口があんぐりと開いてしまう。
頭に血が上り過ぎて、二の句が告げない。
「ちょっと言い過ぎだろ! 大体、ぼくはそんなことに賛成なんてしてないよ!」
「……ほう」
クロちゃん……。
「大した嘘つきだな。ぼく、あんなん好みじゃないよ。せっかくの魔王帰しちゃって良いわけ? だったか」
ごく僅かに笑んだだけだったけど、それは明らかに嘲笑だとわかった。
「ぼくはそんなこと言ってないからね。信じて」
クロちゃんは強く私を見据えた。私はこくりと頷き、毛利さんを睨んだ。
「私は、クロちゃんを信じます!」
毛利さんは、ほとほと呆れたように深くため息をつく。
「小娘。黒田の戦場での呼び名を知っているか?」
「え?」
(なんなのいきなり)
戸惑う私に、毛利さんが早く答えろという目線を送った。
「たしか、知将とか、英雄って」
「それは美章での呼び名だ。列国では〝残虐非道の悪軍師〟だ」
「残……悪軍師?」
「ああ。嘘の情報をわざと流し、敵の混乱に乗ず。それは基本ではあるが、こやつはそれだけに止まらない。乗じ襲った敵の死体の耳や目や、鼻を切り落とし、袋に詰め敵方に送る。しかも送らせるのは、鼻をそげ落とした敵方の兵にだ。それが、やつの初陣だ。だがやつの非道はそれだけではない。敵方の商――」
「おい!」
突如響いたあまりの怒声に身がすくんだ。
(今の声……クロちゃん?)
恐る恐るクロちゃんを振り返って、思わず固まってしまった。
怒りに満ちた表情。ナイフのように、鋭い瞳。怖い、これがあの、クロちゃんなの?
「殺すぞ」
ぞっとした。
あまりに憎々しげな声音だったから。
(クロちゃん、どうしたの?)
「今のは問題発言だな。貴様が外交という名目でここに居る事を忘れるなよ。また戦争を起こす気か?」
毛利さんは極めて冷静だった。対照的に、荒れ荒んだ表情で、クロちゃんは叫んだ。
「ハッ! 戦争どころかこの世界全てをぶっ壊してやるよ!」
なんでそんなこと言うの? 意味わかんない。本当に、どうしたの?
「それが、貴様の願いか」
短く言って、毛利さんは私を見据えた。
「これが、こいつの本性だ。好戦的で、嘘つき。相手より有利に立つことだけが、こいつの欲を満たす」
「うっせえよ、おっさん! わかった口きいてんじゃねぇよ!」
まるで獣が吠えているように、クロちゃんは叫んだ。苦々しく毛利さんを睨む。
(もう、わけわかんない。これが本当のクロちゃんの姿なの? っていうことは、毛利さんが言うようにクロちゃんも私を騙してたってこと? 何が真実なの? 何を信じたら良いの?)
クロちゃんを窺い見たけど、毛利さんへの怒りしか読み取れない。全然こっちを見てくれない。
「我々は貴様の中の魔王を狙っている。それを知った以上、どうするか、どうなるかは、我々次第ではない。貴様次第だ」
毛利さんは踵を返し、歩きかけて振り返った。
「だが、言っておくぞ。俺は必ず貴様を手に入れる」
決意のような声だった。
毛利さんはそう言い残して姿を消した。
おそらく、南の区画に帰ったんだろう。
(あの時の、貴様を手に入れるってそういうこと)
私は妙な納得をしてしまった。
(貴様って、私の中の魔王って意味だったのね)
虚しいような、ほっとしたような、なんだかよくわかんない気持ちになって、私はふと苦笑をこぼした。
「なんか、ごめんね」
不意にクロちゃんが落ち着いた口調で言った。視線を向けると、クロちゃんにはさっきまでの殺気はなかった。
「怖かったでしょ?」
「えっ、ううん!」
「無理しないで良いよ。あははっ、変なとこ見られちゃったなぁ」
フード越しに頭を掻きながら困ったようにクロちゃんは笑った。
「……あのさ。さっきの話なんだけど」
「……うん」
「本当だよ」
「え?」
「ぼくも賛成してたって話」
頭が真っ白になる。
「どうせ他のやつに聞いたらばれちゃうんだろうし、先に言っておくよ。最初はたしかに賛成してたし乗り気だった。でも、今はそうじゃない。それだけは、信じて欲しい」
クロちゃんは強く私を見て、切なそうに笑った。
(信じて欲しい? 一体何を信じろって言うの?)
本当に、みんな私を騙そうとしてたの?
「……アニキも?」
「アニキ?」
「……なんでもない」
クロちゃんは怪訝そうに眉を寄せたけど、そっけなく返した。
もうなにも聞きたくなかった。
クロちゃんのこと、今は違うんだって信じたいけど、信じられない。信じて良いのか判らない。
私は、当てもなく駆け出した。
背後で、クロちゃんが何か言おうとしたのを感じたけど、振り返るつもりはなかった。
* * *
私はどこかの区画の廊下に転移した。
なにも考えてなかったから、どこかはわからない。でも、転移できたということは、無意識にどこかを思い浮かべてはいたんだろう。
辺りを見回す。
なんとなく見覚えがある。
記憶を頼りに移動すると、縁側があって、すぐにドラゴンの収容小屋が姿を現した。
西の区画だ。
「どうした?」
不意に声がして振り返るとアニキが不思議そうな表情で立っていた。
私は思わず顔を伏せる。
「もう夜だぞ」
子供を叱るような声でアニキが言った。
そこで、ふと気がついた。
日が沈み、辺りはもうすっかり暗闇に覆われていた。
「……本当に、どうしたんだ?」
一度もアニキを見ない私を心配したのか、声が不安そうに揺れる。
「……アニキ」
一言呟いた途端に、涙が溢れそうになった。
(アニキは違うよね?)
「なんだ、どうしたんだ?」
狼狽する声が背中から聞こえた。
「……本当なんですか?」
「え?」
「私を、恋に落として魔王を手に入れるんだって」
意を決して振り返った。せっかく堪えた涙が、一滴頬を伝った。
「アニキも?」
最後の言葉は、震えてしまった。
アニキは驚いた顔をして、一瞬だけ哀しげに口元を歪ませて、覚悟を決めたように私を見据えた。
「ああ」
聞きたくなかった。
(そんな肯定、いらない。こんな時にこそ、嘘をついて騙してくれれば良いのに。なんでバカ正直に答えちゃうの)
そんな風に思う私が、なんだか無性に嫌だった。
アニキはゆっくりと歩き出し、そして私の横を通り過ぎた。角を曲がって、姿が見えなくなる。
(謝罪も、弁明もしないつもり? それが、男だって、かっこいいって、思ってるわけ?)
信じらんない。
ごめんな、その一言があったら、きっとアニキのことは許した。尊敬みたいな感情もあったし、それに……。
不意に気づいた。
「私、あの人達がいなきゃ、この世界で生きていけないじゃん」
そうか。だから、謝ってくれたらアニキのことを許そうってどっかで思ってたんだ。
でも、あの人達は私を元の世界に帰すつもりはない。あの人達の目当ては私の中にある魔王なんだから。
だけど、このまま許すの? 生きられないから許すの? それで、いつか誰かに心ごと魔王をあげるの? そんなのバカみたい。
「……ふっ、ふっふっふ」
不意に口から笑い声が洩れる。
「そんなのイヤ! 帰れないなら、せめて魔王はやつらに渡さない! こんなところ出てってやる!」
呪符で東の区画へ移動し、私は一度潜り抜けたことのある門の前へ立った。ここを通り抜けたらゴンゴドーラのいる危険な森だ。
でも、ここにいたくない。
私は門を睨みつけた。右足に力を込めて、走り出す。門に張られた結界は僅かな抵抗を見せたけど、最初に潜った時のような小さな破裂音はしなかった。
シャボン玉を割れずに通り抜けたような感覚がして、私は門の外に勢いよく駆け出す。坂をあらん限りのスピードで走りながら、不意に笑えて来る。
「ふふっ、うふふ、あーはっはっはっは! 絶対、やつらに魔王はやんねーよぉ! なんならゴンゴドーラにでも食われてやるわよ!」
坂を走り下りながら、笑い転げる女……傍から見たら不気味そのものだろうけど、でもそれでも良い。
誰も見てやしないんだから。
* * *
坂を下り終わると、湖が広がっている。
最初にこの森に入った時は、ここに突き当たって獣道へ進んだけど、私は何故か湖のほとりにいた。
前に見たときは、大きな湖だなって思っただけだったけど、夜に見た湖は幻想的で美しかった。青白いと言っても良いくらいの輝く銀色の月が、湖面に反射してとてもきれい。湖を囲う森は真っ黒で不気味だけど、湖に映るとまるで絵のようだった。現実の世界にいる気がしないくらい。
しばらく見惚れていると移動する気が失せて、私はその場に座り込んだ。踏んだ草や土が冷たい。白い息に導かれるように空を見上げると、見たことのない景色が広がっている。
無数の星々の連なりが、夜景なんて目じゃないほど輝いている。そして、少し欠け始めているのか、数日で満月になるのか、そんな状態の大きな月。
(きっと、ブルームーンってこんな色の月のことをいうんだな)
見たことのない月の色。見たことのないミルキーウェイ。そういえば、月はいつ見ても大きい。
(空から落ちた日も大きかったっけ……)
もう随分昔のような気がする。この世界に来て、約一ヶ月。一ヶ月で、その人間の何がわかるって言うんだろう。私は、彼らの何をわかった気でいたんだろう。
一体何を信じたっていうんだろう。
きっと寄る辺がなかったから、彼らを良い人だと信じたかったんだ。
多分、ただ、それだけだ。
「……ふう」
大きく息を吐き出した途端、草陰からガサっと物音が響いてきた。びっくりして勢い良く立ち上がる。
「なに?」
(もしかして、ゴンゴドーラ?)
一気に血の気が引く。
(食われて死んでやる! なんて、ただのやっつけだよ!)
逃げよう。踵を返したとき、草陰から何が飛び出してきた。
「キャア!」
悲鳴を上げた。体が硬直して動けないかわりにそれを凝視した。飛び出してきたものは、人の形をしていた。
「ドラゴンじゃない?」
ぎゅっと目を凝らしていると、ザク、ザクと、草を踏みしめて、その影は近づいてくる。ドラゴンじゃなくても、これはこれで超怖い!
逃げようと後ずさると同時に、その人物は月明かりの届く地面へと足を踏み出した。
「女の子?」
呟いて、少女を凝視する。
モンゴルの民族衣装のような服を着た少女。あれ、見覚えがある。
「結さん?」
少女はこくりと頷いた。ああ、やっぱり服は違うけど、結さんだ。
「どうしてこんなところに?」
「偵察」
「偵察? って、どこの?」
「この部族、結構危ない。だから気づいてないか、偵察」
服の裾を引っ張って、何故か結さんは片言で答えた。
良くわかんないけど、風間さんが言ってた仕事かな?
「あの――」
声をかけようとした瞬間、結さんがピクリと跳びはねるように動いた。
「……主」
「え?」
呟いて、結さんはジャンプの姿勢をとると、そのまま上に向って跳ねる残像を残して消えてしまった。
それと同時に、坂の方から声が飛んできた。
「お~い!」
声の主は手を振りながら坂を駆けてくる。
悪びれもしない無邪気な顔で、私の前でスピードを落として止った。私は瞬間、ムッとした。おかげで、結さんがどこに消えたのか、どうやっていなくなったのか考える間もなかったくらい。
「雪村くん。なにか用?」
「え? えっと、東の門の結界が一瞬だけ緩んだからさ、なんかあったのかなって」
私の険まみれの声に、雪村くんは戸惑ったみたでしどろもどろだ。
「私を恋に落として、魔王を手に入れる算段だったんでしょ」
「ああ、そのことか」
思いっきり睨み付けた私に、あまりにもあっけらかんと雪村くんは返した。
(はあ!?)
二の句が告げない私にかまわず、雪村くんは続ける。
「風間は一族のためにって躍起になってるし、黒田くんは先の大戦の時に、功歩の岐附への侵略の道沿いに彼の村が入ってて、大分被害が出たんだって。考えてみたら、俺が八歳のときだから、彼が六歳の頃なのか。進軍があったのって」
(六歳?)
私は密かに絶句した。それと同時に、クロちゃんのあの怒りを思い出していた。
彼の過去に、どれほどのことがあったんだろう。でも、私を騙そうとしたことと、そのことは別の話よ。
「花野井さんも、なんか事情があるみたいだしね」
「え?」
「っていうか、あそこにいる人達はみんな事情がある人ばっかだよ。なんせ、魔王なんてもんにすがってまで、叶えたい願いがあるんだからさ」
(まるで他人事みたいな言いようね)
私は怪訝と同時に怒りを覚えた。
「雪村くんだって、願いがあってこんなことしたんじゃないの?」
「俺? 俺はなぁ……風間に押し切られた感じだからなぁ……」
「……それで、私を騙したわけ? 信念もなく、なんとなく押し切られたから?」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
そんなの、一番最低じゃない!
「冗談じゃない!」
「わっ!」
突然の怒声に、雪村くんは驚いて若干飛び跳ねた。
私は彼を鋭く睨み付ける。
「私はね、こんな世界に突然連れて来られて、おまけに身体に変な物まで入れられて、『なんだよ話が違うよ。だったら、こいつで良いから中身のもん手に入れようぜ。なんだったら恋に落として惚れさせて言う事きかそうぜ』って勝手に賭け事の対象にされたのよ!?」
「そ、そこまでは――」
「そうじゃない! どこが違うのよ、言って見なさいよ!」
詰め寄ると、雪村くんはあたふたしつつ、顔を赤らめた。
(こんな時まで演技なの!?)
「純情ぶってんじゃないわよ!」
「ごめんなさい!」
雪村くんが私を好き? 信じさせておいて、後でどうこうするつもりだったのよ! なにが、信じてくださいだ。信じた私がバカだった!
悔しくて、泣きそう。
「そうよ」
「え?」
「信じたの。信じたのよ。理由はなんであれ、あなた達のこと、信じてたのよ!」
裏があったのかも知れないけれど、親切にしてくれた。
こんな寄る辺もない世界で、居場所をくれた。
ゴンゴドーラから、助けてくれた。
「あなた達の優しさを、信じたのに」
呟いてた途端、堰を切って涙があふれ出した。
(よりにもよって、詐欺師の前で泣くなんて!)
悔しい思いが胸を突いて、それが更に涙を促してしまう。
「……はっははは……」
不意に笑いが漏れた。
噎び泣きながら、今の自分が、何かに似ていると思った。そして気づいた。気づいたら、なんだか笑ってしまっていた。
薄目を開けると、雪村くんが心配そうにあたふたしているようすが見えた。
そりゃそうだ。号泣していた人間が突然笑い出すんだから。私は、どこか暢気にそんな風に思っていた。
「……ラングル」
「へ?」
低声に、雪村くんは耳をそばだてた。
聞き取れたのか、聞き取れなかったのかはわからないけど、彼はそれ以上なにも言わなかった。
なにも言わず、ただ、狼狽していた。
* * *
どれくらい、泣き続けただろう。
目がじんじんと痛い。泣きすぎて頭がふらついた。星空を見上げると、満天の星が明日への希望のように輝いている。
(なんか、たくさん泣いたらすっきりした)
ふと、目線を戻すと雪村くんが、どうしたら良いかわからないのか、引きつった笑みで立っていた。
いまだに狼狽中みたい。
「ねえ、普通さ、女の子が泣いてたら肩を抱くくらいしない?」
「へ!?」
泣いたからか喉がやられてしまって、声は若干しわ枯れてる。
雪村くんは驚いた声を上げたっきり顔を真っ赤にしたまま硬直していた。私を好きかどうかは別として、彼が純情というのだけはどうやら本当みたい。ということは、下着を盗んだのは彼じゃないっていうのも、なんだか真実味を帯びる気もする。
そうなると、一番妖しいのはクロちゃんね。現場にいたし、服の場所見つけたのも彼だし。
「ごめんね」
「え!?」
「雪村くんじゃなかったんだね。下着ドロと、覗き」
「え、ああ、うん。えっ――でも」
どうして、と訊きたいんだろうけど、残念ながら私は答えないよ。そんなつもり毛頭ないもん。
「ごめんな」
不意に、雪村くんが頭を深く下げた。顔を上げたときの彼は今にも泣き出しそうな表情で、私はそれに見覚えがあった。
ゴンゴドーラから救出されて戻ったとき、気分が悪くなって(あと空腹もあって)アニキに運ばれる途中に、あんな顔をしていた。
『いや、俺達の方こそ、ごめんな』
そう言って、俯いてた。
あれは、こういうことも含んでいたのかな?
「なんだ、最初に謝ってたんじゃん」
「え?」
ぼそっと呟いた言葉を聞き取ろうとして、雪村くんは耳に手をやった。
「あの、なに?」
「教えない」
「えっ」
残念そうに小さく悲鳴が上がる。
そんな雪村くんが、なんだか可笑しくてくすくすと笑う。
「あの、さ。これからどうするの?」
気まずそうに訊いて、雪村くんは真っ直ぐに私を見た。そして、早口で捲くし立てる。
「屋敷には居づらいだろ? なんだったら、俺、面倒見るよ。一族とかも関係ないとこ行ってさ、帰る方法見つけるの手伝うよ。と、友達として!」
鼻息荒く言い終えると、真っ赤な茹蛸みたいな顔で私を凝視する。なんとなく笑えてくるけど、真剣なのはわかった。でも、私は首を振る。
「ううん、行かない」
「え……」
「私、決めたの。魔王をあの人達に渡さないって」
「だったらなおさら――」
「うん。でもさ、このまま逃げたら悔しいじゃない。私、もっとふてぶてしくなっても良いと思うの。だって、魔王を持ってるんだから。あの人達の欲しいもの持ってるんだから」
「えっと、それって?」
「うふふ」
答える代わりに私は笑った。今度も教えるつもりはない。
私は、散々泣いて、ふてぶてしくなる覚悟を決めていた。
出て行くことで魔王を渡さないっていうあてつけをしようと思ってたけど、そんな必要ない。そんな私が一方的に負けを認めるみたいな方法とることない。
利用すれば良いのよ。
あの人達が私を騙して利用しようとしたみたく。
魔王を餌に、屋敷と食事を提供し続けてもらって、私は自分で帰る方法を探すわ。もちろん、魔王をやつらにあげるつもりなんて微塵もない。
この森が危険だって関係ない。そんなの護衛についてもらうわよ。だって、私が死んだら魔王がどうなるかわからないはずだもん。
あるもの皆、利用する。ふてぶてしくならなければ、世の中生きてなんていけない。
ましてや、勝手の違う異世界だもの。
せいぜい、利用してやるから、楽しみにしとけよ!
心の中で盛大に毒づいて、満天の星空を見上げた。
――女なめんな!
(――黒田の思案――)
夕日が落ちて、空が暗闇への準備を始めている頃、黒田は密かにため息をついた。
彼女は消え去ってしまった。
どこに行ったのだろう。
……誰を、想い浮かべたのだろう。
毛利さえ来なければ、彼女の気持ちは確実に黒田のものだった。
そうすれば、魔王を手にする事ができたのに。
計画は、失敗してしまった。
彼女の黒田への不信感も、一気に高まってしまっただろう。
また一から練り直しだ。
もしかしたら、風呂場の一件も気づいてしまったかも知れない。
「はあ……」
黒田は今度は大げさにめ息をついた。
(ペンダント……捨てないでいてくれるかな?)
黒田は自分の胸に手をあてて、空を見つめた。
手放してしまった黄色い宝石に想いを馳せる。
どうして、あれを手放したりしたんだろう。
(翼にでも命令して、適当なものを買ってくるか、持ってくるかさせれば良かったんだ。でも、毛利が彼女の名を呼んでいるのを聞いて、その気だったなんて聞かされて、ムカついて……気を張り過ぎないで、と言われた言葉が、妙に耳に残って――)
「くだらない」
黒田はため息混じりに自嘲した。
珍しく、人間(たにん)なんて生き物に、少しだけ想いを寄せてしまった自分に腹が立つ。
自分以外に、自分を守るやつはいないし。
自分以外に、自分を理解するやつもいない。
今までだってそうだったし、これからだってそうだと、黒田は自分に言い聞かせる。何より彼にとってはそれが真実であった。
とにかく、魔王を手に入れるために、過ぎた事は受け入れて、対策を立てなければと、黒田は思案を始めた。
まず、ペンダントは、おそらく彼女は捨てないだろう。
性格的に見て、腹いせに捨てるような確立は低い。
つき返しにくる可能性のほうが高いだろう。
もしも捨ててしまったんだとしても、それはしょうがない。
いったん手放した以上は、与り知らぬことだ。
あれは、彼女がどうとでもすればいい――と、結論つけたものの、心の内でざわめくものを感じた。
だが、黒田は見ないふりをする。
それよりも、これからのことだと黒田は思考を切り替えた。
自分の一面を見られたのはまずかった。
彼女は、確実に怖がっていたようだし。
(なんとかそれを、利用できる手があれば良いんだけど……)
黒田は、ぐるぐると思案しながら呪符をかざした。
(――いったん、北区画へ帰ろう)
(――毛利の目論見――)
上々だ、と薄暗い部屋の中で杯に注いだ酒を手に薄く笑う毛利にいつもの能面はない。
あそこで黒田の行動を止められたのは大きかった。
あのままでは、彼女は確実に黒田へ心を許していただろう。
結果的に計画は露見してしまったが、黒田の評も落とせた。
恋愛なぞに興味はない毛利が戦うには、少々分が悪かったところだ。
これで、彼女もやつらを信用しなくなっただろう。
とくに、黒田と風間への不信感は他の者の比ではあるまいと、毛利はさらに口元のシワを深くする。
風間に対して、ゆりは憧れを強く抱いていたようだったが風間自身にその気はなさそうだったし、ことが露見したことで憧れも砕け散っただろう。
黒田に関しては、ミイラ取りがミイラになったようだったが、自覚はなさそうだったなと、不意に縁側での対峙を思い出す。黒田の自覚のない恋が実ることはないだろうと毛利はどこか哀れに思った。
ゆりは、花野井には近親の念を感じていたようだから、他の者よりも若干許容する可能性があるな、と毛利は少しだけ危惧した。
だが、三条雪村にいたっては、門外漢だろうと安心する。彼女の好感度があったようにはとても思なかったからだ。
自身への好感度も急降下しただろうが、問題はないだろう。何せ、皆ゼロに等しい位置に立ったのだからと僅かに頬を緩ませたとき、スッと障子の開く音がして、柳が顔を出した。途端に毛利の表情は能面になる。
「毛利さん。やっぱりダメでした。もう自分達じゃもたないそうです。滞在期間中で恐縮ですが一時も早く帰還を願うそうです」
「……そうか」
抑揚なく言って、杯の酒を飲み干す。
(やはり大臣達では、あの愚鈍な王の相手は務まらんか)
毛利は僅かに片方の眉を吊り上げた。
「伝書に泣き言た~くさん書いてありますよ。あっ、読みます? これ元々毛利さん当てだし」
柳は愉しそうに言って、懐から小さな巻物を取り出した。
「いや。良い」
短く断って、心中で深くため息をついた。
「暢気なものだ。泣きつくだけで良いやつは、気楽で良い。そういう輩に限って、政務を果たせぬくせに、給金だけは貰いたがるものよ」
毒を吐いた毛利に、柳は殊更愉快そうに口の端を上げた。
「仕方がない。時間がないのでは、あの方法で行くしかあるまい」
しょうがなし、というように言って、毛利は酒を呷り、柳はまた愉快そうに大きな目を細めた。
(――月鵬の憂鬱――)
花野井が浮かない顔をして戻ってきた。
厠へ行ったはずなのに、すっきりした表情には見えない。
お腹でも下したのだろうかと考えていると、花野井は遠い目をした。目の前に酒があるというのに、一滴も飲んでいない。
これは、明らかにおかしいと月鵬は焦った。
「頭、どうかしたんですか?」
「ん? ああ……」
花野井は言いよどんで、気まずそうに口にした。
「なんか、バレたみてえ」
「――バレた?」
月鵬は一瞬何のことか見当がつかなかったが、頭に少女の顔が過ぎった。
「ゆりさんに、ですか?」
「ああ」
「あなた方の、あのくだらない計画を?」
「くだらねえって、おい」
「くだらないじゃないですか。いたいけな少女を恋に落として、その上傷つけるって作戦でしょ? くだらない以外になんて言いますか。卑怯、卑劣、外道、下劣、ですか?」
「ああ、もうわかったって!」
花野井はバツが悪くなったのか、面倒そうに手をブン! と振って顔を背ける。
月鵬は、不快そうに眉間にシワを寄せた。
彼はいつもそうだ。
そうやって意地を張って、突っ張って、心情を吐露しない。
本当はこんな事をしたかったはずがない。口では今までの女がどうとか言っていたが、彼は女性を無下に扱った事はない。
彼は、本当は心から優しい人なのだからと月鵬は切ない瞳を向ける。
しかし、そんなことはゆりにはどうでもいいことだろうと、今度は咎める瞳で花野井を見た。
(こんなやつらのこと、恨んだって良いんだよ? ゆりちゃん)
「それで、どうするんですか?」
「……どうするったってなぁ」
「まだ、魔王を手に入れるつもりなんですか?」
「……」
花野井は黙り込んだ。
仕方ねえだろ――そういう風な顔して、酒を飲み干した。
月鵬は不満たらたらに腕を組んだ。
(何をそんなに、あの人に恩義に感じる事があるのかしらね)
イラつきながら、月鵬は勢い良く花野井の持っていた酒瓶を奪い取った。
「今日のお酒はそれまでですからね!」
「はあ!?」
後ろで花野井が抗議の声を上げたが、月鵬は断固として無視した。
(――風間の内情――)
ランプの光が、暗い部屋を照らす。
神妙な顔つきで、風間は座っていた。
なにやら心配事があるのか、眉間にシワが寄っている。
そこへ、陽炎が降ちた。
障子に人の姿が浮かび上がる。
「結か」
「はい」
結は跪いたまま、僅かに障子を開けた。
そのまま中へは入らずに、障子の隙間から風間の姿を見つける。
「気づかれました」
「……そうか」
短く出された硬い声音に、風間は予期していたのだろうか、驚きもせずに頷く。
「どれくらいだ?」
「装備をしようという話になっていたので、二日、三日……それくらい」
「わかった――どうした?」
了承した風間だったが、すぐに結のようすがおかしいことに気づいた。
いつもならば結はすぐに引き上げるが、今はまだそこに留まっていたからだ。
「主」
「雪村様がなんだ?」
結の言葉は断片的に出される。風間はそれに若干の苛立ちを覚えた。
「女といると思います。あの、例の魔王」
「――やはり、また逃げたか」
言って、風間は手で結をはらった。
結はぺこりと頭を下げてその場を去る。
先程東の門の結界が歪んだ。
シャボン玉を何かが通り抜け、割れずに輪を波紋が伝う。そんなような感覚が雪村に伝わった。結界を破らずにすり抜ける。この場でそんなことが出来る人間は雪村かゆりしかいない。雪村は屋敷にいた。ともすれば、ゆりが魔王の力で結界をすり抜けたのだろうと、風間は考えた。
雪村がその報告をしたさい、風間は自分が様子を見てくると告げたが、雪村は俺に任せてくれと言って風間が止める間もなく走り去っていった。
彼の先程の憂いはその事だった。
ゆりが今抜け出す理由は風間にはわからないが、あの主に女性の扱いがきちんとできるのだろうか。
できるにせよ、できないにせよ、自分の主はどこか抜けている。
ゴンゴドーラくらいの生物ならばまだしも〝やつら〟に遭遇してしまったら、あっさり捕まりかねない。それどころか彼にとってまずいのは、主とゆりの仲が進展する事だった。
風間はぐるぐると思考を巡らせた。
存外、風間は心配性なのである。
自分も行って様子を見るべきだろうか。しばらく考えていると、スッと静かに障子が開いた。
「雪村様」
風間はあからさまに安堵の表情を浮かべたが、雪村はどこか浮かない表情だった。
「どうかなさいましたか?」
また風呂場事件のようなことが起きたのではないかと、一瞬頭を過ぎったが、どうやらそういうことでもないらしい。
「……気づいたよ。彼女」
「え?」
「風間達が企んでたこと。恋に落とすってやつ」
「……そうですか」
浮かない顔のまま、雪村は部屋を出て行った。
かわいそうな主。
彼は誰よりも優しいから……。
欺こうとした少女よりも、嫌々ながら加担した主を不憫に思う。
風間にとっては、ゆりはその程度の存在なのだ。むろん、魔王としてみるならば話は別だったが。
こうして、各々の夜は更けて行く。
ピチ、ピーチ。
「……うぎゅ」
可笑しな鳴き声にぼんやりと意識が覚醒する。寝返りを打った。眩しい光に目を細めながら、瞬きする。
鳴き声のする方にもう一度寝返りをうつと、鳥の影が障子に映っていた。
確か、この鳥は雀に似ているのに、青色の体毛の鳥だ。名前は知らないけど、その辺でよく見る鳥だった。
「う~ん……!」
伸びをして、布団から起き上がる。気分はすっきりしていた。
無意識にあった不安感を何とか誤魔化そうとする空元気もない。
気分は上々だ。
泣いて不安や不満を吐き出したせいなのか、それとも、決意を定めたからなのか、心は晴々としていた。
昨夜の雪村くんにも、感謝しなきゃね。
あのうろたえっぷりのおかげで、私は笑えたし、それに救われたような気がしたから。
あの後、雪村くんは屋敷に戻るまで、「あの人達と一緒で辛くないか」とか「やっていけるか」などと色々と心配してくれていた。
思い出して、くすっと笑いが洩れる。
みなぎるパワーを感じながら、私は起き上がり、勢いよく障子を開けた。
「相変わらず目覚めが遅いな」
びっくりして思わずそのまま固まってしまった。
目の前には、何故か魔女っ子帽子みたいな鎧兜をつけた毛利さんが立っていたからだ。
何故に魔女っ子!? 何故にトンガリ帽!?――いや。なんでそんな鎧兜をつけているのかは問題じゃない。ものすごく気になるけど、気にしちゃダメ。
私は毅然とした態度で毛利さんを見た。
「おはようございます」
「朝ではない。もう昼だ」
すまし顔をしたところに、間髪入れずに突っ込まれた。
頬が若干引きつる。
「では、おそようございます」
「造語をするな。腹立たしい」
(腹立たしいのは、コッチ!)
私は言い返したい気持ちになった。でも、こういうのは熱くなった方が負けよね。私はおもむろに咳払いをして気持ちを落ち着かせると、毛利さんを見据えた。
よく見てみると、毛利さんは兜だけではなく、鎧もつけていた。厳つく、野暮ったい鎧ではなく、なんとなくスタイリッシュだ。
漆黒で統一された鎧に、白銀の飾りがついている。厳つく見えないのは、その上から着物を羽織ってるからかも知れない。
黒い生地に、襟の部分が赤い着物だ。
だけどそのせいで、魔女っ子みたいに見えてるんだ。まるで兜と相まって、和版ハリー○ッターみたい。
脳にむくむくとイメージが沸き立って来た。
――いくでござるよ、○クスペリ○ームス!
「――ぶはっ!」
思わず毛利さんが杖を振り翳しているところを想像して、噴出してしまった。にやつく頬を手で押さえる。
「おい!」
「はい!」
毛利さんの怒声交じりの呼びかけに、私は反射的に応じていた。
「貴様今、馬鹿にしていたか?」
「いいえ! 滅相もございません!」
表情は相変わらずの能面だけど、声音から苛つきが感じられて、思わず下手に出る。ブンブンと手を横に振る私を疑心に満ちた目で見て、毛利さんは短く息を吐いた。
「柳!」
「ん? ――きゃあ!」
突然、背後に何かが落ちてきた気配を感じて、驚きながら振り返ろうとすると同時に誰かに羽交い絞めにされた。
背中から腕を押さえ込むように、抱きつかれてる。
「誰!?」
肩越しに確認すると、黒髪が覗く。柳くんだった。
「ちょ、なんなの!?」
「すいません、これも仕事なんで。役得ですけど! お姉さん好い匂いしますね!」
真面目な顔して、快活に言うことか。特に最後の。
「ちょ、柳くん離して! 毛利さんもこれなんとかして下さい!」
「連れて来い」
「はい。――動かないで下さいね」
少しだけトーンを落として言った柳くんは、クナイのような刃物を私の首筋に押し当ててきた。
「ひっ」
皮膚が切れるか切れないか、ギリギリの距離で止めた。
背筋にひやりと悪寒が走る。
「さ、歩いて下さい。抵抗したら遠慮なく顔、切りつけますよ」
キビキビとした声音で発せられる無慈悲な命令。柳くんは真面目で明るい少年っていう印象だったのに。ヤバイ人なの!?
部屋から押し出されるように、一歩前へ足を踏み出したときだ。
「良いですか、ちゃんと説明をするんですよ。丁寧に、礼節をもって! これには行き違いがあると」
「わかってるよ!」
左方向の縁側から、ガミガミと何やら言い聞かせている様子の風間さんと、それを鬱陶しそうにあしらおうとする雪村くんが歩いてきた。
「えっと……それで……よし、そう言って……それで……」
右方向の縁側からは、独りでブツブツとシュミレーションをするように歩いてくるクロちゃんが見えた。
「!」
同時に顔をこっちに向けて、私の姿を捉える。私の眼球は視野を広げようと、左右に別れるよう努力した。攣りそうです。
眼球が、呆然としたようすで凝視している三人を捕らえた。
「なにやってんの!?」
二秒位して、クロちゃんがそう叫んだ。
それを合図にしたかのように、私ももちろん、みんなが我に帰り口々に叫び始めた。
「助けて!」
「毛利様、これはいったいどういうつもりですか!?」
「そうだよ、違反行為じゃないの!?」
「え、なに、なに、どうなってんの? あっ余興?」
雪村く~ん! この天然ちゃんっ! 空気読め! 余興のわけないでしょーがっ!
「どうしますか? 殺しますか?」
快活な声音に似つかわしくない物騒な発言が上がった。
柳くんの一言で、場にピリピリとした緊張感が漂う。
「……いや。それはまずい」
毛利さんが一言そう告げて、空気はほんの少し弛んだ。毛利さんは、クロちゃんを振り返ると、
「黒田、違反行為だと言ったが、魔王を攫ってはいけないという取り決めはしていないはずだ」
「――取り決めはしてないけど、普通そうだろ!?」
唖然としたようすで、クロちゃんは叫んだ。
「普通とはなんだ」
「え!? ……えっと、だから――」
一瞬、空間が歪んだ。ぐるっと景色が回る感覚がして、私達は誰もいない廊下に転移していた。
「さ、歩いて下さい」
明朗に柳くんが言って、押し出されるように歩き出す。
どうやら、毛利さんが転移し、半径一メートル以内にいた私達も転移してきたみたい。
今頃きっと、クロちゃんはブチ切れてるだろうな……。