呪から解放され、身体の傷も随分回復した。
龍王のおかげで、長い暗闇からやっと抜け出す事が出来た。
私を抱き枕のようにして眠る龍王。
ゆっくりとした寝息と鼓動。
龍王のおかげで私はここに生きている。
親からも周りの人からも受け入れられずにいた私を、救い上げてくれた。
安らぎをくれた。
居場所をくれた。
この心地よい感覚。
いつまでも、この幸せの中にいたい。
あい?
愛するという事。
愛おしいという感情。
龍王が初めて教えてくれた。
この切なくて胸がきゅうっとなる気持ち。
激しくなる鼓動。
泣きたくなるほどの幸せ。
全部龍王が教えてくれたこと。
暖かな腕の中、綺麗な顔。
私はそっと頬に触れる。
いつも怒った様な表情だけど、私を見つめる時には瞳の奥は優しくなる。
不器用な笑顔になる。
そんな不器用な笑顔がたまらなく好き。
すき。
好き。
愛おしい。
大好き。
止まらない想い。
いつしかまた幸せに包まれながら、夢の中に落ちていく。
数日後。
宮殿の中が慌ただしさを感じた。
いつもとどこかが違う。
宮殿で働く人たちがいつもより、早く動いている様に感じられた。
何かが今までとは違う予感。
優しくてどこまでの甘い時間は夢となって色褪せる。
夕食時、いつものように食卓には翡翠の他に蒼龍と紅龍の姿があった。
そこで龍王が、明日来客がくる事を告げた。
空気が怒りを含んでピリピリと痛い。
いつもより機嫌が悪いような気がする。
ここまで龍王を苛立たせる客とは誰だ?
「誰が来るんだ?」
紅龍はすぐに聞いた。
「白龍だ。」
「白龍ってたしか龍王の随分前の婚約者だろ?
同族で唯一の女。
病気でずっと寝たきりだと聞いたが。」
婚約者?
龍族の中で唯一の女性?。
「龍族にはなかなか女性が産まれないんだ。
今龍族の中で女性は白龍だけなんだ。
だから白龍は龍族にとっては貴重な存在なんだよ。
スーと会う前。
龍王との結婚話があったんだけど、かなり重い病気にかかったらしくてね。
その話も無くなったんだ。」
蒼龍が説明してくれた。
始めて聞く話し。
大きな不安が押し寄せる。
でも今さらなぜ?
今になって何故ここへ?
その不安は次の日に現実のものとなる。
次の日。
白龍はたくさんのお付きの者を連れて宮殿に現れた。
圧倒的な生まれ持つ威圧感。
その気品に満ちた表情。
余裕の表情で笑う笑顔は、大人の魅力を感じさせた。
色白で人形のように整った顔。
それはそれは、とても綺麗な女性だった。
美貌、容姿、上品な雰囲気。
どれもかなう所が見つからない。
自信に満ちたオーラが、一瞬でその場を占領する。
出迎えた龍王。
並んだ姿は本当にお似合いの二人だった。
「白龍さまこそ、龍王さまに相応しい。」
取り巻きの貴族たちはこぞって噂する。
龍王の隣を歩く白龍。
まさに絵になるニ人だった。
私はというと出迎えの人たちの一番後ろ。
人の波に押され、いつしかその場所に追いやられていた。
ここからはかなり離れた場所。
そこからニ人の様子をじっと見ていた。
歓迎ムード一式に包まれる場所。
誰からも祝福されたニ人。
自分だけが、違う世界にいるようだった。
周りは龍たちばかり、人間は自分だけという現実。
それを嫌でも突きつけられた。
いつもは龍王が側にいる事で感じる事はなかった事。
改めて守られていた事を実感する。
強い疎外感。
孤独という闇が、私の心を蝕んでいく。
もう私は必要ない?
白龍の存在が自分の存在を消し去っていく。
私の居場所が無くなっていく。
自分自身が消えて失くなる感覚。
周りの龍たちから興奮した話し声が聞こえる。
それは誰もが嬉しそう。
そして口々に。
「2人が結ばれることこそ、龍族の繁栄の象徴。」
あ!
そうか。
そうなんだ。
反する言葉が見当たらない。
龍王の相手は私なんかよりも、同じ龍族の女性の方が正しいんだ。
その人々の言葉はまるで麻薬のよう。
身体に心に静かに、そして深く沈み込んでいく。
人間の私よりも・・・。
弱く短命な私よりも。
ずっとずっとお似合いなんだ。
傷付いて心の痛みは時間を追う毎に強く激しくなっていく。
そして深い闇へと落ちていく。
龍王に相応しい相手の存在は白龍。
それほどまでにニ人の並んだ姿は輝いて見えた。
しかしその感情とは反対の気持ちを抱いていた。
安心する気持ちも同時に大きくしていた。
・・・私はもうすぐこの世界から消える!!!・・・
私はもうすぐこの世からいなくなるのだから。
消えてしまうのだから。
跡形もなく消滅してしまうのだから。
これは誰にも言えない事実。
そして哀しい現実。
連れ去れた時、父は私にもう一つの術をかけた。
呪が解かれたと同時に発動する術。
命の消滅。
魂の消失。
そこまで私の存在を疎ましく感じていた父。
最後まで父から否定されてしまった。
子どもとして見てはくれなかった。
欲しかった親としての愛と温もりはくれなかった。
諦めきった心。
それでもなぜだか涙は流れ落ちた。
諦めた筈のなのに何故?
溢れ出る涙は止めるすべを知らなかった。
親さえ見捨てたこんな私を、受け入れてくれた龍王。
今まで、本当にありがとう。
感謝してもしきれないものを沢山くれた。
幸せという感覚を感じさせてくれた。
龍王には幸せになってほしいから。
龍王はこれで大丈夫。
私がいなくなっても。
龍王の側には白龍がいる。
みんなが認める存在。
一人ではない。
もう孤独になる事はない。
もう孤独を感じる事はない。
孤独を感じる中、孤独から抜け出した龍王を見つめた。
そこに歩み続ける二人の明るい未来を見た気がした。
それは眩しすぎる光。
私には望めない光。
龍王は辺りを見回す仕草を見せた。
もしかして私を捜してくれているの?
急にいなくなったから心配してくれているの?
でも・・・。
この状況で私が出て行く勇気はない。
どう考えても私の場所はここにはない。
今すぐ消えて無くなりたい気持ちになった。
私はなぜか、とっさに建物の影に隠れた。
その場の人々に押されるようにして移動し始める。
遠ざかっていくニ人。
そして大勢の人たちと、共に大広間に入って行った。
白龍は龍王の住まう本殿のすぐ隣。
いつもは来賓用に使う、その建物に住むようになった。
龍王が公務から終わる頃に現れ、何かと世話を焼く白龍。
何か理由をつけては、龍王の部屋に入り込み時間を過ごす。
そんな日々がしばらく続いた。
そして囁き始める言葉。
周りの貴族たちは白龍との結婚を進めてくるようになっていった。
龍族にとってはこの上ない、申し分のない結びつき。
誰も反対する者などいる筈はなかった。
龍王は白龍の性格を良く知っていた。
自分が無視すれば、矛先は翡翠に向けられるだろう。
どんな手段で翡翠の身が危険にさらされるか分からない。
蒼龍と紅龍が側についてはいるが、それも安心できない。
それほど白龍の性格は危険な龍だった。
白龍が来て以来、翡翠に会えない日々が続く日々。
苛立ちは積もるばかりだ。
もう少し白龍の方が落ち着くまで待つしかない。
普段は何も無関心な龍族。
だが、一旦気に入り執着するとそれを覆す事は難しい。
白龍の私に対する私への執着は激しいものだった。
今はその攻撃が翡翠に向かない為に、それなりの態度を取り続けるしかない。
いつも不器用で、言葉の少ない龍王のこの行動。
それがこの後、深刻な誤解を招くとは知らずに。
宮殿の大広間から明るい音楽が流れてきた。
あれから白龍を迎えての歓迎パーティーが毎日のように行われた。
翡翠は部屋のバルコニーからそれを見つめていた。
白龍が来てからパタリと姿を見せなくなった龍王。
翡翠は少し遠い場所、高い場所から見下ろす。
そこは、気付かれる事なく大広間が見渡せる場所。
ここから龍王の姿を捜す。
たくさんの貴族たちが音楽に合わせてダンスをしていた。
大広間の中央、2人が踊る姿が見えた。
龍王・・・。
白龍の腰を抱き踊る龍王は、まるで別人に思えた。
龍王は龍族を統べる存在。
私は・・・・。
私はただの人間。
私はか弱き人間の巫女でしかない。
龍王との遠い距離。
この数日でこんなにも遠くなってしまった。
今まで感じていた、近くでずっと側にいて感じていた温もり。
今は寒く、凍える心は、身体は震えていた。
暖かさを知ってしまった私の身体は龍王を恋しがった。
抱きしめてほしいと震えていた。
しかし今はその温もりはない。
ただ自分の身体を小さく丸める事しかできなかった。
「こんな所で何をしている?
人使いの荒い龍王が様子を見てこいと・・ん?」
様子がおかしい事に気付いた紅龍。
ぐいっと肩を両手で掴み、自分の方に身体を向かせる。
しばらく私を見ていた紅龍が眉をしかめて言った。
「お前から死の匂いがする。」
驚いた表情のスー。
なぜ、分かったの?
私は誰にも言ってないのに。
「何かを隠しているだろう?」
「何もありません。」
明らかに動揺した様子。
「俺の国の龍たちは好戦的な種族だ。
いつも死と隣合わせに生きてきた。
死の匂いを嗅ぎ分けられる。
だから隠しても分かる。
本能的に身についた俺の感が教えている。
何か隠してる事があるだろう。」
確信に触れられ言葉を失う。
俯く翡翠。
すると優しい声が聞こえてきた。
「これでも俺はお前を気に入っている。
俺はお前の中の強さに憧れている。
好意をもってる。
お前の事が気になって仕方がない。」
告白にも似た言葉。
真剣な声。
今の紅龍には嘘は通用しない。
「お願いだ。
話してくれ。」
柔らかな口調から、翡翠を本当に心配している事が理解できた。
紅龍の真っ直ぐ気持ち。
それが翡翠が隠していた事実を、言葉にする勇気をくれた。
私は観念したように、ぽつりぽつりと話し始めた。
もうすぐ迎える死について。
それに対する経緯。
最後まで子どもとして愛してくれなかった父の事。
そして、龍王と白龍の未来。
龍族にとっての未来。
最後に、龍王に対する溢れんばかりの気持ち。
紅龍は静かに佇み、話しを聞いていた。
「私の願いはただ一つ。
龍王の幸せ。
それだけです。
それだけなんです。」
不意に包まれる温もり。
これは紅龍の温かい体温。
翡翠は紅龍に抱きしめられていた。
龍王ではない匂い、温もり。
温もりを欲する身体と心。
紅龍の腕の中で戸惑う翡翠。
「俺と来るか?」
頭の上から先程よりも、もっと優しい声。
真剣な目が私を捕らえる。
「ここにいたら辛いんだろう?
俺が連れ出してやろうか?」
ここから離れる?
龍王から離れる?
その方がいいの?
揺れ動く気持ち。
さっきまではニ人が幸せになってほしいと思ってた。
でも本当に龍王から離れる事になったら・・・?
紅龍なら私をここから連れ出す事が出来るかもしれない。
紅龍に付いていけば龍王は幸せになる?
色々な想いが交ざり合い混乱する心。
何も言えずに立ち尽くす。
涙だけが溢れでる。
別れを決断する事がこんなにも苦しいなんて。
身体が心が全ての感情が、痛いという感覚に集約されていく。
「泣くな。
そんなに泣くくらい辛いなら、なぜ龍王に話さない。」
「白龍がここに来てから、龍王はここに姿を現してくれなくなりました。
私はもう必要ない存在なんだと思います。
あれからニ人の並んだ姿を見てずっと思っていました。
龍王には白龍の方が相応しい相手だと。
ニ人が結ばれる事が龍族にとっては喜ばしい事。」
そして翡翠の思いは悲しいまでに真っ直ぐに。
いつでも龍王だけに向いている。
心変わりとも取れる龍王の態度。
それをそのまま受け入れても、なお。思い続ける。
「私はもうすぐいなくなる。
いらない心配はかけたくないのです。
龍王の幸せが私の幸せなの。」
温かいものが唇に感じた。
紅龍からの口づけ。
翡翠の健気さに思わず理性を失った。
生まれて初めての執着心。
紅龍にとっての初めての感情。
翡翠に会ってからずっと持っていた、名前のない感情。
それは知らぬ間に少しずつ膨らみ続け、そして爆発した。
・・・スーを自分の者にしたい・・・
・・・自分だけの巫女にしたい・・・
翡翠の中にある強さへの憧れ。
それが日増しに大きくなる。
それはやがて翡翠そのものへの好奇心に変わった。
翡翠が自分以外の異性に対して涙する姿。
それを見た時、抑えきれなくなくなった感情。
俺の剥き出し独占欲。
それが身体を無意識に動かした。
気が付いた時には自分の唇を押し当てていた。
俺を見てほしい。
俺だけを見てほしい。
他の男の事でそんな悲しむな。
そんな辛い顔をするな。
俺なら、そんな思いはさせない。
ずっと腕の中に閉じ込めておくのに。
悲しい涙は流させない。
そして誰も触れさせはしない。
少し乱暴な口付け。
だが、その時の翡翠の不安定な心はそれを受け入れていた。
目の前の優しさに甘えたかった。
何かにすがりたかった。
この底知れぬ恐怖を少しでも忘れたかった。
迫りくる死への恐怖。
迫りくる未来のない現実。
その後も流れる涙に何度も口づけをする紅龍。
少しでも不安を取り除く為に。
紅龍の優しさが素直に嬉しかった。
!!!!!
その時木陰から突然現れた龍王。
ニ人の様子を見ていたのか、凄い形相で翡翠に近づく。
「スーは紅龍の方がいいのか!!?」
いつもと違い乱暴に肩を掴む。
「私よりも紅龍を選ぶのか?」
怒りを含んだ態度。
口調。
何もかもが遠い昔に、父親や周りの人たちから受けていた恐怖が蘇る。
怖い。怖い。怖い。
龍王から初めて恐怖を感じた。
怖くて何も言えない私。
身体が固まって動く事も声を発する事も出来ない。
しかしその沈黙が、また龍王の誤解を生む。
しびれを切らした龍王。
「もうわかった!
これからはもう勝手にするがいい。
私はもうお前を解放してやる、どこへでもいくがいい。
もうニ度と私の前に顔を見せるな!!」
少し離れた所に白龍の姿があった。
「白龍いくぞ!!
夜は長い。
たくさん愛してやる。」
朱く染まる顔で俯く白龍。
白龍と共に視界から消える龍王。
もう二度と振り向く事はなかった。
「待て!!」
追いかけようとする紅龍の服を掴み止める翡翠。
涙に潤んだ目。
しかしその目の奥には強い意志があった。
それは紅龍の翡翠が惹かれた心の強さだった。
翡翠は首を横に振る姿。
それは何も言わないでという意味での仕草。
紅龍はそれ以上何も言えなくなってしまった。
・・・これでいいんだ・・・
・・・私よりも同族である白龍と結ばれた方がいい・・・
・・・その方が龍王は幸せになれる・・・
・・・こんなか弱い人間なんかよりも・・・
・・・同じ時間を過ごして行ける白龍・・・
・・・私を暗い闇から救い出してくれた龍王・・・
・・・龍王の幸せが明るい未来が、私の幸せ・・・
・・・たとえ龍王の隣が私でなくても・・・。
・・・これで大丈夫・・・
・・・もう私でなくても大丈夫・・・
完全に二人の姿の見えなくなった。
途端、翡翠の身体は力を失いゆっくりと後ろに倒れていく。
それを支える影。
気を失いそうな翡翠を、後ろから支えてくれる人影が現れた。
「なぜ言わないんだスー。
こんなになるまで我慢して。
ずっと泣いていたんだね。
気が付いてやれなくてごめんね。」
「蒼龍?」
「紅龍のすぐ後から来ていたんだけどね。
なんか出ていくタイミングを逃してね。
話しは後ろの方で全部聞いてた。」
そうか。
蒼龍にも知られてしまったんだね。
「心配ぐらいさせてくれないか。
何も知らない方がもっと辛い。」
「ごめんね。
私ね、もうすぐ消えちゃうの。」
無理して笑う顔が痛々しかった。
今度は蒼龍が抱き寄せた。
翡翠の幸せは透明な涙と共に、こぼれ落ちていくようだった。
いくつもいくつもそれは地面に落ちては吸い込まれては消えた。
まるでこの先の姿を予見するかように。
それは跡形もなく、静かに消えていった。
紅龍の腕で泣いていた翡翠。
泣きながら口づけを受け入れていた姿。
それを見た時の驚き。
狂おしいばかりの嫉妬。
激しい怒りが私の全身を駆け抜けた。
私がこんな愛しているのに。
私がこんなに大事にしているのに。
白龍から危害がないように監視する目的。
その為に私が我慢してまで白龍についていたのに。
これは全部翡翠の為だ。
私が自ら動くのはいつでも翡翠に繋がっている。
なのに、どうして!!
どうしてだ!!!
お前は私よりも他のやつを選ぶのか。
嫉妬。
報われない愛。
もどかしさ。
憎悪。
それが今の龍王の心を激しく占めるもの。
白龍を抱きしめながら、何も言わず立ち尽くしていた翡翠の事を思い出していた。
泣いているでも、笑っているでもない表情。
あれは初めて会った頃、時々見せていた諦めた表情だった。
じっと自分の気持ちを押し殺した無表情な顔。
しかしその時冷静さを失っていた龍王には全く見えていなかった。
ただ翡翠が側いるだけで全てが満たされた。
男の欲望などはどこかに飛んでいた。
触れるだけで、口づけだけで、心から癒された。
やっと手に入れた翡翠。
大事にしたかった。
自分の汚れた欲求だけで、翡翠を抱きたくはなかった。
身体は一度も繋がってはいないが、心は繋がっていると安心していた。
翡翠も自分と同じ思いでいると信じていた。
それなのに!!!!
龍王は嫉妬という熱すぎる感情から冷静さを失わせた。
そしていつもの判断力を完全に失くしていた。
白龍。
白龍は婚約者として、龍王の横に立つべき龍だった。
たった一人の女性の龍。
強い子孫を残す為、強い男に惹かれるのも自然の摂理。
白龍は一目見て、龍王の中に潜在的な強さに気付いた。
それ故に執着し、婚約者と言う立場に固執した。
しかしその後、かなり重い病気になったと聞く。
そして同時に婚約者の話も無くなった。
それは白龍という種族からの一方的な申し入れ。
詳しい事は分からない。
子供の産めなくなった白龍は、永い闘病生活を送る事になる。
白龍は龍王と言う地位と強さに惹かれたのだ。
龍王はすぐに忘れてしまったが、白龍は忘れる事は出来なかった。
もう一度、龍王の横に立ちたい。
身体の全てで龍王を感じたい。
誰にも譲りたくない。
歪んだ愛が時間をかけて加速していった。
そしてやっと、ある事を引き換えにして完治する事となる。
そしてその頃には、人間の巫女の存在がある事を知った。
・・・龍王は私の物よ・・・
・・・人間の分際で横に立とうとは・・・
・・・許さない!!!・・・
そして白龍は龍王の下にやってきた。
自分の居場所を取り返す為に。
白龍は嬉しそうに龍王にすり寄る。
白龍とは肌を重ねる今の行為。
身体の欲求は満たされていく。
白龍の甘い声。
動くたびに声は高くなっていく。
しかし何度果てても、心は満たされる事は決してなかった。
心だけは置き去りのまま。
私の心をも満たしてくれるのは、やはり翡翠だけだ。
分かっていながら身体は、また次の欲望を生み出す。
狂おしい嫉妬が龍王の未来を曇らせた。
それが、この先さらに哀しい事実が待っていようとは思ってもいなかった。
暗い闇の中。
一つに溶けあった影。
龍王と白龍の熱い吐息が溶けていく。
あれから一ヶ月ほどの時間が流れた。
紅龍と蒼龍はあの時、そのまま翡翠を連れ出した。
そして宮殿から一番離れた別宅に移り住んだ。
本当は宮殿から外へと連れ出そうと思っていた。
しかし数日後、翡翠が倒れたのだ。
その為やむなく、ここに移動してきた。
ここは本殿からかなり離れている。
龍王や貴族たちと極力会わない場所。
翡翠の体調を考えると、あまり動かせたくはない。
翡翠の身体と心は限界にきていた。
死んだように眠り続ける翡翠。
それを心配そうに見守り続けるニ人。
毎日毎日、ずっと側で回復を願った。
ただただ眠り続けるスー。
眠る事で現実から避けているのかもしれない。
龍族からしたら白龍との繋がりの方が望まれる事だろう。
起きていたら、嫌な噂も嫌な思いをする事になるだろう。
そして見る事になるだろう。
龍王の隣にいる白龍の姿を。
「・・ぉう・・」
時折苦しそうに紡ぐ言葉は名前だった。
無意識に心から望む温もりは、心から求める存在は龍王。
自分から龍王の、龍族の幸せを願い離れた翡翠。
人の幸せばかりを願う翡翠。
・・・一体スー自身の幸せはなんだろう?・・・
優し過ぎる心。
相手を想いやる心。
そしてそれを貫き通す強さ。
龍王の幸せだけを願う。
自分の犠牲さえもいとわない強さ。
どれだけ我慢をしてきた事だろう。
自分の本当の気持ちに蓋をして。
不安で心細くて仕方がない筈だ。
今一番に側にいてほしいだろうに。
肝心なその龍王は白龍と共にいた。
ただ眠り続けるしかないのだろうか。
それは龍王の幸せの為。
龍族の未来の為。
このまま消えてしまうつもりなのかもしれない。
このまま消滅するつもりなのかもしれない。
「これでいいのか!!!
スーのこの思いを無いものとしていいのか?
いや、そんな事は駄目だ。」
と紅龍が叫ぶ。
「そんな思いを抱いたまま哀しく、寂しい思いをさせたまま。
消えさせてはいけない。
消えさせたくはない!!!」
と蒼龍も言葉にだす。
「もうすぐ消えてしまうのなら。
最後ぐらいはスーの我儘を叶えてもいいだろう。」
「そうだ。
このままなんてあんまりだ。」
素直の心のままに、変わらない思いのままに。
ニ人は龍王に話に行く決意をする。
スーの思いを無視する事になるが、これ以上は耐えられない。
スーには笑っていてほしいから。
スーの笑顔の為。
かけがえのないスーの本当の気持ちを龍王に伝えたい。
ふと自分の人間らしい考えに驚くニ人。
俺たちはスーから沢山の新しい感情を教えてもらった。
それはとても心地よいものばかりだった。
これまでの冷え切った心に暖かさを教えてくれた。
温もりを教えてくれた。
ニ人とも同じ考えだったようだ。
言葉を交わさずして頷く。
眠っているスーを確認すると龍王のいる、本殿へと足を進めた。
本殿の龍王の部屋。
白龍は自分の部屋のようにくつろいでいた。
龍王は無関心に瞳を闇を移したまま窓の外を見ていた。
見つめる先は、翡翠が移り住んだ別宅の方だった。
私は日に日に何をするにも、やる気を失くしていった。
龍王としてこの力。
地位を維持する為に嫌な王としての責務を果たしてきた。
力を見せつける事で、翡翠を守ってきた。
私を動かすものは、全て翡翠に関係する事だった。
私の原動力は全て翡翠の繋がっていた。
翡翠の事以外で自分が自ら動いた事はなかった。
距離と時間が経過した今。
嫉妬で熱くなっていた気持ちは静寂を取り戻していた。
そして思い出すのはやはり翡翠の事だった。
怒りにまかせて詰め寄った時の翡翠。
恐怖で固まっていた表情。
何の感情もなく接する他の者たちが自分に見せる、恐怖心からくる震え。
脅えた身体。
あの時私から初めて、恐怖心を感じていたようだった。
あんな顔で私を見てほしくない。
他の物からならともかく、翡翠からはあの瞳で見られたくはなかった。
そして嫉妬心から翡翠に酷い事を言ってしまった。
深い後悔の念が気持ちを沈ませる。
ただ怒りに任せて出た言葉。
深く傷つけてしまった。
そして何よりも私自身が恐怖を与えてしまった。
あれから何も言ってこない翡翠。
龍王はあの自分への恐怖心から、避けられていると思っていた。
だから自分から近づく事を躊躇した。
また怖い思いをさせたくない。
そしてそれ以上に紅龍との関係。
自分ではない者を受け入れていた翡翠にショックを受けていた。
そして今でも、紅龍と口付けを交わす場面が頭に焼き付いている。
しかしそれを見た今でも、翡翠への気持ちは変わる事はなかった。
私の気持ちはぶれる事なく翡翠に向いている。
この想いだけは、この先変わる事はない。
翡翠が側にいなくなって、触れる事が出来ない時間。
この時間がなんて色のない空しい、意味のない時間なのか。
私がどんなに翡翠を必要としているか。
私がどんなに翡翠に執着しているか。
どんなに愛しているか。
離れている時間が、私の中の翡翠の存在の大きさを思い知らされた。
だからこそ、またそんな場面を見てしまったら。
次はどうなるかわからない。
自分自身を保っていられるかどうかさえ分からない。
「龍王さま?
いつ私を皆さまに花嫁として公表していただけますの?」
私が座っているソファの横に擦りより甘い声で話かける白龍。
当たり前のようにそんな事を言いだす。
聞こえている筈なのにその問いの答えは聞こえない。
その時、ドアを叩く音がした。
「誰だ?」
ドアの向こうで声がする。
「紅龍だ。」
「蒼龍だ。スーの事で話がある。」
了解も得ずに開けられたドア。
ニ人の龍が勢いよく入ってきた。
ニ人は同様に龍王にすり寄る白龍を見て、怒りの表情を見せる。
「昼間からお盛んなようだな。」
紅龍は初めから交戦的な態度だった。
「お前こそ、スーと毎日している事だろう?」
龍王も一歩も引く気はない。
「何か誤解しているようだから、スーの名誉の為に言っておく。
スーの気持ちに迷いはない。
今もお前だけを思って眠っている。」
ねむる?
「どういう事だ?。
スーはお前を選んだのではないのか?」
紅龍を受け入れていた涙の口づけ。
ではあれは何だと言うんだ。
「俺はスーに好意を持っている。
俺がスーの隙をついただけだ。
弱くなったスーに付け入っただけだ。」
何を言っている?
「スーって人間は紅龍さまを選んだのでしょ?
だったら私と龍王様の仲を邪魔しないでいただけます?」
少し怒った様な顔をする白龍。
綺麗な顔が少し険しくなった。
いつもいるお付きの者なら、すぐにでもご機嫌をとっていただろう。
顔色を伺い、謝り続けていただろう。
産まれた時から欲しいは全て与えられてきた。
周りの者から大切に育てられてきた。
病気をしていた事も踏まえても白龍の言う事。
行動を止める者などいなかった。
だれもがまるで腫れ物でも扱うように、大事にされてきた。
自分を否定する者などこの世には存在しないとさえ思える程に。
どこまでも傲慢な白龍。
急に会話に入ってきた白龍に、そこにいた三人。
黙れと言わんばかりに、一様に睨みつける。
「なぜそんな顔を私に見せるの?
私は白龍なのよ。
龍族で唯一の女性。
貴重な存在。
大切な存在なのよ。
なのに、なに、なんなのよ!!
みんなして私にそんな顔して、のけ者あつかいして!
もう知らないから、どうなっても知らないから!!!!」
泣きながら部屋を飛びだす白龍。
我慢して付き合って来たが、今は白龍に気にかけている暇はない。
龍王は白龍を目で追う事もなく俺たちの言葉を待つ。
そして蒼龍も何事もなかったかのように話しを始める。
「スーの命が消えようとしている。」
そして衝撃的な事実を知る。
消える?
「どういうことだ?」
「スーの父親に連れ去られた時にかけられたらしい。
呪が解けた瞬間から発動する術。
少しずつ、命が、魂が消滅していく術。」
翡翠がいなくなる?
消滅?
翡翠が死ぬ!!!!?
いなくなる?
嘘だ!
そんなのは嘘だ!!
「スーは龍王の為に、龍族の為に身を引いたんだよ。」
「考えてみろよ。
誰から見ても、同族である白龍と結ばれる事が望ましいと考えるだろう?。
スーはこれは龍王の未来の為だと。
同じ時間を過ごす事の出来る白龍の方が、相応しいと思ったそうだ。」
明かされる真実。
なんだ、それは。
私は龍族だとか、龍王だとか周りの意見なんて関係ない。
龍王という立場や地位など、翡翠の存在に比べたらないも等しい事。
翡翠だけの為に私はここにいるだけだ。
翡翠は私の物だと誰もに知らしめる為にここにいるだけだ。
翡翠がいなければ、何も意味を持たない。
なおも蒼龍が翡翠の気持ちを話す。
「スーは怖かったんだそうだよ。
消えていく自分の未来がね。
怖くて、寂しくて、不安だったって。
龍王からせっかく助けてもらった命。
それが消えていくのが辛いって。
そしてそんな姿は見せたくないって。」
攻撃的な口調で今度は紅龍が言葉を続ける。
「俺がスーにした行為を謝るつもりはない。
そしてスーに対する気持ちを隠すつもりもない。
俺は俺がしたいようにしたまでだ。
スーがお前の事で弱くなった心につけいった。
本気でお前から奪うつもりで。」
「なに!!!」
「スーの心は不安でいっぱいだった。
それなのに、お前の薄汚れた嫉妬心でスーの本当の気持ちを疑った。
信じる事をしなかった。
突き放した。
スーがどんなに傷ついたか!
お前にはわかるか?
それでもお前の幸せだけを願い。
龍族の事を思い。
何も言わず身を引いたんだ。」
興奮した赤い顔。
紅龍の元々赤い顔は一段と赤みを増していた。
今度は蒼龍が静かに話す。
「スーはあの後すぐに倒れたんだ。
それからずっと眠っている。
時々苦しそうに龍王の名前を呼んでいるよ。
私たちでは駄目なんだ。
悔しいけど私たちの力ではどうする事も出来ない。
スーが心から望んでいるのは龍王なのだから。
会いに来てあげて。
嫉妬とか周りの龍族の事とか全部、取り払って・・・。」
蒼龍にとっても自分の巫女にとまで想った人だ。
スーの事を想えばこそ、大事だと思えばこそ。
今はスーの気持ちを一番に考えてあげたいのだろう。
今は自分の幸せよりもスーの笑顔を取り戻したい。
蒼龍の悲痛な叫びにも似た言葉が胸に響いた。
私は蒼龍の言葉を全て聞き終わる前に部屋から飛び出した。
翡翠。
ひすい。
ひ・す・い!!
頭の中は翡翠の事でいっぱいだった。
龍王として地位だの、龍族が、紅龍との事、嫉妬。
そんな事は全部関係ない。
翡翠を手に入れて側に置いて、安心し過ぎていた。
もうすべて自分の物だと過信していた。
絶対に私から離れる事はないと勝手に思っていた。
人のことばかり考える。
いつも周りの事、私の事ばかりに気を使い行動する翡翠。
酷い言葉を言った、あの時。
翡翠が私を諦めたように見ていた瞳。
あの瞳に全て答えがあったのに、私はずっと一緒にいて何をしていたんだ。
何も感じないような表情をさせてしまったのは私だ。
不安にさせ、あんな酷い言葉まで浴びせてしまった。
なんて事をしてしまったんだ。
私が嫉妬に怒り狂っている間、翡翠は深い恐怖と不安と闘っていたんだ。
翡翠はまた私を受け入れてくれるだろうか?
こんなに酷いことをした私を。
走るその間、ずっと翡翠の無表情な顔を思い浮かべていた。
バン!!!
私は勢いこんで翡翠の眠っている部屋に飛びこんだ。
そこで見た物は、衝撃的な状況。
それは白龍が眠ったままの翡翠の首を、締め上げようとしている姿だった。
「この女さえいなければ、龍王さまは私の物になる。
お前なんか、消えて無くなればいい!!!!!」
叫びなのか、悲鳴なのか分からない甲高い声が部屋に響きわたる。
綺麗だった白龍の顔は醜く歪んでいた。
嫉妬で壊れた白龍のおぞましき姿。
白龍は翡翠の命の灯を消そうとしていた。
あの気品に満ちた、余裕に満ち溢れた笑顔は何処にもない。
あるのは気持ちの悪い笑みを浮かべ、髪をふり乱した女の姿だった。
「どけ!!!」
私はすぐに白龍を翡翠から払い退ける。
後ろの壁に白龍の身体が激突する大きな音が響く。
それに続いて沢山の足音が聞こえてきた。
私はそんな事はには気にも止めず翡翠に近づく。
すぐさま胸に耳を当てる。
すると小さな鼓動が聞こえてきた。
「良かった。」
そしてそのまま抱え上げ腕の中に包み込む。
安心という暖かさ。
そうだ、この感触。
翡翠の匂い。
久しぶりの翡翠の感触に身体が震えるほど喜びが走る。
翡翠の存在を肌で感じて安心する。
もう絶対に離しはしない。
このまま閉じ込めてしまいたい。
そうだ、そうすればよかった。
ずっと私の中に置いておけばよかったんだ。
そうすれば不安にさせる事もなく、私も白龍の事で我慢する事もなかった。
愛おし気に熱い眼差しで、翡翠の髪をすく。
満たされていく心。
やはり翡翠だけが私の全てを満たしてくれる。
存在そのものが私の生きる意味。
「白龍、何か勘違いしているようだから最後に言っておく。
私がお前を側に置いたのは、お前を監視していただけだ。
嫉妬深いお前が、翡翠に危害を与えさせない為にな。」
「私を愛してはいなかったの?」
「ふっ。
よくもぬけぬけと、そんな事を言えたものだ。
お前は私の龍王としての地位と権力が欲しいだけなんだろ?」
「そんな事はないわ!!!」
髪を振り乱し強く否定する白龍。
「お前は余程好きものとみえる。
お前が連れてきたお付きの者を、毎日のように部屋に連れこんでいる事。
知らないとでも思っていたのか。」
「それは・・・!」
事実を突きつけられて押し黙る。
「私も見くびられたものだ。」
「でも、でも・・・私を抱いてくださった。
それは私が好きなのではないの?」
龍王の目が冷ややか光る。
冷酷なまでに辺りを凍らせる気迫。
反する気持ちさえも一瞬にして消滅させる。
これが本当の龍王の力。
辺りの時間さえ静止したかのようだ。
重い静けさの中、龍王が白龍に最後の言葉を告げる。
「お前を抱いたのは、スーへの嫉妬心からだ。
身体が本能のまま動いただけだ。
しかし心までお前に渡したつもりはない。
私の心が動くのはスーの事だけだ。」
そう言うと、すぐに翡翠に視線を戻す。
「さっさとこいつを私の視界から消せ!
目障りだ!!
連れて行け!!」
白龍と話す気がそれた龍王は、近くの警備兵に命令する。
「なぜ!!
私ではないの?
こんな人間を選ぶの!!!!」
白龍が狂った様に叫ぶ始める。
近くで事の成り行きを見守っていた、貴族と警備兵に拘束された白龍。
「私は白龍なのよ。
私がなぜこんな目に合わなければならないの!!
連れていくなら、あの人間を連れて行きなさいよ!!
私は・・・!!!!」
激しく抵抗する白龍の断末魔の様な声。
そのまま部屋の外へ連れ出されて行った。
静まり返った部屋。
冷たい凍える気迫は翡翠の存在によって溶かされた。
そしてうって変わって、優しい雰囲気が辺りを包む。
私の腕の中で弱弱しく眠る翡翠。
小さな胸が微かに上下する。
それは翡翠が生きている証。
「目を覚まして翡翠。
お前を信じきれなかった私に謝らせてくれないのか?
もう私の事が嫌いになったのか?
お願いだ。
目を開けてくれ。」
泣いている様な擦れた声で話かける龍王。
今まで見たこともないほどに、それは小さく見えた。
するとそれに反応したように、翡翠の手が微かに動いた。
そしてしばらくすると、ゆっくりと瞳が開いた。
翡翠の瞳に私が映し出される。
「翡翠!」
思わず抱きしめる私。
しかし戸惑う表情の翡翠。
「龍王?
なぜここに?
私といると白龍が悲しむよ。」
「そんな事は言わないで!
今その名前を出さないでくれないか。
今は翡翠の事だけで私をいっぱいにしたい。
翡翠の事だけで満たされたい。」
強く抱きしめられた身体。
正直な身体は欲していた龍王に触れて、我慢していた想いが爆発した。
抱きしめ返す翡翠。
この上なく優しいこの匂い。
絶対なる安心感。
欲しかった龍王の温もり。
心より望んだもの全てが龍王へと繋がる。
たまらなく心地よい場所。
やっぱりここが一番好き。
「すまなかった。
翡翠に酷い事を言った。
恐怖を与えてしまった。
不安にさせてしまった。」
私を抱きしめたまま謝る龍王。
龍王の心が離れてしまった訳ではなかったんだ。
でも何故?
「寂しかったの、怖かったの。」
思わず私も素直な気持ちが言葉が溢れだす。
「白龍の私への執着心から、翡翠に危害が及ばないように監視してたんだ。
その結果翡翠には誤解と寂しい思いをさせてしまった。
こんな事ならずっと翡翠を側に置いとけばよかった。
最初にここに来た時みたいに、膝の上置いて全てから隠しておけばよかったんだ。」
龍王は翡翠の自由を奪う事をしなかった。
それは窮屈な想いを押し付けたくなかったから。
独りよがりの気持ちだけで、屈託ない笑顔を消したくなかったから。
龍王は翡翠の純粋な優しさを壊したくなかった。
流れ出る涙に今度は私が口づける。
「酷い事をした私をもう嫌いになった?」
すぐに首を横に振る翡翠。
「何があっても嫌いになる筈ないよ。」
「よかった。
これから先も翡翠だけだから。
もともと龍王と言う地位はお前を取り戻す為に手に入れたかった物だ。
今あるこの力はお前を私だけの者だと、他の者に知らしめる為の物だ。
私は今までにお前の事以外で自ら動いた事はない。
そしてこれから先も翡翠しか望まない。」
最大級の愛の告白。
顔を赤らめながらも笑った翡翠の笑顔。
それは心からの笑顔をだった。
私が魅了して止まない笑顔。
とっておきの笑顔がそこにあった。
しかしその笑顔もすぐに曇り、雨に変わる。
「私ね。
もうすぐ消えてしまうの。」
そう言った途端流れだす涙。
不安で仕方なかっただろう。
ずっと一人で耐えていたんだ。
迫りくる死への恐怖。
そして白龍の事で寂しい思いをさせてしまった。
眠る事で自分を守っていたんだ。
さぞかし辛い夢を見ていただろう。
そこまで私が追い詰めてしまった。
なぜ私はもっと早く来てあげられなかったんだろう。
私の狭き心が醜い嫉妬が、翡翠をこんなに孤独にしていたなんて。
悔やんでも悔やみきれない。
そしてもうすぐ、翡翠と別れの日がやってくる。
離れていた時間が悔やまれる。
何か方法はないのか?
この身が引きちぎられる思いだ。
翡翠がいなくなるなんて、自分が消えて無くなるのと同じだ。
「この術は父の血を使ってかけられたものだから、解くのも父の血が必要なの。
それに父はもうこの世にはいないかもしれない。
龍王を足止めした時に使った術。
あれは寿命を引き換えに使う術。
そして私のこの術もそれと同じにかけられた。
どちらにしろ、もう長くはないかもしれない。
もう一度父に優しくしてほしかった。
母がいた時みたいに、笑いかけてほしかった。」
そう言うとまた涙が溢れだす。
そこまでされてもまだ父親の事を気にかける翡翠。
なんて心優しき魂の持ち主だろう。
私にはない、感情の豊かさ。
温かいと感じるこの感触。
心地よい感触。
だからこそ、私は翡翠を大切に想う。
愛おしく想う。
その想いの全てを自分だけに向けてほしい。
龍王の底知れぬ欲望と本能。
それからの龍王は、ここに来た当初のように片時も翡翠を離そうとはしなかった。
王としての責務で仕事をしている時さえも、膝の上に大事そうに抱いていた。
その龍王の翡翠に向ける、どこまでも優しい笑顔。
そしてそれに応える龍王に向ける笑顔。
次第にニ人を批判をする者がいなくなっていった。
貴族や周りの人たちにみせる優しい気遣いと言動、仕草。
誰もがなぜか、それを見ているだけで心が温かくなる気がした。
自分たちにない感情という代物。
今までに感じたことも、考えた事もなかったこのなんとも言い難い思い?
この心地よきものは人の持っている感情という物なのか?
感情豊かな翡翠の表情、声や仕草。
翡翠の存在そのものが、そこにいる事だけで受け入れられていった。
最初に変化があったのは足。
足が動かなくなった。
自分で歩く事が出来なくなってしまった。
「これで、私から一生逃げられなくなったな。」
と嬉しそうに言ってこれまで以上に私を束縛した。
そして次は手。腕。
物を持つ事さえも、そして自分から抱きしめる事さえ出来なくなってしまった。
「これで、私の好きな時に好きなだけ思いのまま翡翠を抱き締められる。」
と嬉しそうにいつも以上に力強く抱きしめてくれた。
どれも自分を安心させる為の言葉。
それが私にとってどれだけ救われただろうか。
私の死へと向かう足音を龍王は、強い束縛で払い退けてくれた。
次々に身体の機能を失っていく翡翠。
それでも龍王はいつも翡翠を気遣い、優しく世話をしていく。
紅龍と蒼龍はそんな仲睦まじい2人を見守りながら、この先の終わりのある未来を思う。
スーのあの笑顔が、もうすぐ見れなくなってしまう現実。
その時の悲しみははかりしれない。
それぞれのスーへと向かう熱い気持ち。
とどまる事のないこの思い。
いつもの夕食。
たくさんの人と一緒に楽しく食事をしたいと言う翡翠。
その願いを龍王は聞き入れた。
紅龍と蒼龍も同じ食卓についていた。
何気ない会話。
翡翠の笑う声と笑顔が雰囲気を和ませる。
「蒼龍も紅龍も私の我儘を聞き入れてくれてありがとう。」
スーは俺たちを気遣って優しい言葉をくれた。
「いや、こっちこそ楽しい思いをさせてもらっているのはこっちの方だから。」
と蒼龍は嬉しそうに答えた。
「そうそう、俺はスーといられる時間が増えて嬉しいばかりだ。」
紅龍も少し不器用な笑顔で返してくれた。
ニ人の答えに急に不機嫌になる龍王。
手の動かなくなったスーの口許に、少し強引に食べ物を持っていく。
嫉妬心剥き出しの態度に蒼龍と紅龍は顔を見合わせて笑った。
スーの周りのは優しさと笑顔が満ちていた。
「おいしいね。」
と微笑むスーはとても幸せそうに笑っていた。
スーの笑顔一つで嫉妬で、機嫌の悪くなった筈の気分が吹き飛んでいく。
いつまでもただこうやって過ごしていきたい。
翡翠のこの小さな願いさえも敵わない未来。
その数日後。
今度は視力を失った。
目の見えなくなったスーは今までになく怖がり震えていた。
その不安を取り除こうと龍王は、いつもスーを膝の上に乗せ抱きしめる。
スーは龍王の身体に甘えるように身を委ねた。
そんなニ人を哀しい顔で見つめる。
「どうにかならないのか?!!」
日に日に力を失っていくスーを見てられない。」
紅龍の悲痛な叫びが響く。
その声を聞いて蒼龍が決心をしたように話す。
「私は黒龍に会いに行こうと思う。」
落ちついた口調。
深い思いを乗せた蒼龍の重い言葉。
その言葉と雰囲気に紅龍の熱くなった心も次第に落ち着いていく。
「黒龍?
そうか黒龍か。
確かに黒龍なら何かいい方法がみつかるかも知れないが・・・」
「何が起こるか予想出来ない。
もしかしたら、もうここに帰って来れないかも知れない。
もしかしたら、もうスーに会えなくなるかも知れない。」
自分に問いかけているのか?
俺に問いかけているの分からない蒼龍の言葉。
しかしその言葉一つ一つに強い意志が感じられた。
「それでも行くんだろう?」
蒼龍の瞳が光を放ち、これから先の行動を指し示す。
スーの笑顔の為、スーの未来の為。
自分を差し置いてでも、自分と引き換えにしても救いたい者。
スーはそれほどの存在。
ふと随分と人間らしくなったものだと思う。
人の事でこんなに気持ちを揺らした事など、今までなかった。
戦いこそが戦いの中こそが俺の強さを求める場所だった。
力の強さだけが俺の心を揺さぶる物。
追い求める理想の強さ。
純粋なる究極の強さへの憧れ。
しかしスーの会ってからそれは根底から覆された。
考えたこともなかった世界観。
認識の相違。
産まれて初めての感動。
産まれて初めての感情。
全く違う強さという形。
今まで人間という生き物さえ、見た事のなかった俺。
ひ弱で貧弱な身体の人間。
しかしその小さき中に宿る強い感情。
それを見た時、今までの自分の考えが間違っている事に気付かされた。
スーを助けたい。
俺に本当の強さを教えてくれた。
俺に感情を色々な思いを思う事の意味を教えてくれた。
どうしても失いたくない。
黒龍。
今の龍の中で一番高齢な龍。
闇の中に存在するらしい。
生と死を司ざるもの冥王とも言われている。
ただ今だかつて本当の姿を見た者はいない。
定かではないが黒龍は最果ての島に住んでいるらしい。
最果ての島。
太陽の光が届かない場所。
生き物が住む事の出来ないその地に黒龍はいるらしい。
俺たちは最後になるかもしれないという思いから、スーの姿を追い求めた。
スーは庭の椅子に龍王に抱えられたまま眠っていた。
安心した様に龍王にすっぽりと包まれていた。
まるでニ人が同化しているようにも見えた。
それほど溶け合い、触れ合い身を寄せ合っていた。
蒼龍と紅龍の姿を見つけた龍王。
無言で近くの椅子に座らせた。
いつもとは違う気配にじっとニ人からの言葉を待っていた。
「私たちは今から黒龍の住むという、最果ての島に向かおうと思っている。」
「黒龍に会ってくる事にした。」
意志のこもった言葉と眼差し。
ニ人の想いはやはり翡翠だった。
「私も行く!!」
龍王にはニ人が黒龍に会いに行く理由が分かっていた。
それは勿論翡翠を助ける手掛かりを掴む為。
何が起こるか分からない最果ての地に行くつもりなのだ。
「だめだ、龍王はここでスーといてあげて」
「そうだ、スーを今この状態で一人する事は出来ない。
俺たちが行く。」
自分の腕の中で眠る翡翠に目をやる。
じっと見開かれた瞳。
瞳の奥に燃えるような闘志と信念。
意志の強さが翡翠への熱い思いがニ人の瞳から伝わってくる。
このニ人の翡翠に対する真っ直ぐな気持ちに嘘はない。
それだけは信じるに値する事。
これまでの翡翠に対する態度をみれば、それは紛れもない事実だ。
このニ人に任せて待つ。
龍王は他の者を信じるという人間の感情をまた一つ知る事になる。
確かに今ここを離れれば、きっと寂しい思いをするだろう。
恐怖と不安で押しつぶされてしまうかもしれない。
龍王はニ人を見返した。
「スーの命運をお前たちに任せる。
きっとここへ帰ってこい。
スーを悲しませたら、ただではおかない。」
本当は自分自身で黒龍に会いに行きたいだろう。
自分自身でスーの命を救う手がかりを捜したいだろう。
しかし、今スーから離れるわけにはいかない。
死の淵に引きずり込まれようとしているスー。
それを止まらせる事のできるのは龍王の存在。
龍王は自分のやるべき事はここでニ人の帰りを待つ事だと悟った。
「必ず帰るから。」
「行って来る。」
ニ人はもう一度、最後に翡翠の寝顔を目に焼き付ける。
最果ての島。
そして黒龍が住まうその島へと飛び立った。
目の前には広がる黄色い大地。
広大な砂漠が辺り一面を埋め尽くす。
飛び立ってから、どれくらい時間が経過しただろう?
真上にあった太陽が地平に沈み、もう一度顔を出す。
そしてそれがまた地平に隠れる。
休みなく飛び続けている二匹。
人ではなくニ匹の龍。
一匹は蒼い身体、白い長い髭が長くたなびく。
真実を見抜くような、どこまでも細い小さな目。
もう一匹は紅い身体、焼け付くような赤を思わせる身体。
幾つもの戦火をくぐり抜け赤龍の長になった龍。
数え切れない傷、そしてそれに見合う強さが感じられた。
二匹はそれぞれ、本来の姿になって飛び続ける。
龍王の腕の中で眠っていたスー。
もう一度あの笑顔を取り戻したい。
揺るがない強い意志がそこにはあった。
もう少しな筈だ。
やがて黄色い大地の終わりが見えてきた。
それと同時に前方から、黒い闇の大地が近づいてくる。
巨大な恐れや不安を象徴する黒という色彩。
それが襲いかかるかのように、二匹の前に姿を現し始める。
やがて黄色い砂漠の大地は消え、一気に暗い闇の大地に変わった。
吸い込まれそう暗い闇。
光の届かない深いその場所。
下を見下ろせば、飲み込まれそうな真っ暗な闇が広がる。
大きな口がじっと自ら飲み込まれにくるのを待っていた。
その下、底の底に目をやる。
しかし深い闇が見えるだけで、その下に何があるのかは全くわからない。
ここが最果ての地。
島と言われる大地は、この暗い闇の底にあるらしい。
この底に到達して帰って来たものはごく僅かだった。
みな目的は、黒龍の持つと言われる冥王としての力を奪う為。
自分の力試しの為。
とどまる事のない探求心の為。
様々な目的でここにやってきていた。
ごく僅かに帰還した者たちは確かにいた。
しかしいずれもまともな姿で生還する者はいなかった。
普通なら恐怖を感じ、死を感じ、一旦はみな動きを止める。
しかしその闇にニ匹は、躊躇なく飛び込んだ。
底から湧き上がる闇にすぐに包まれるニ匹。
降下するにつれて互いがどこにいるのかさえ確認できなくなっていた。
辺りは全く明かりの見えない空間。
時間の経過さえ忘れてしまいそうな静寂。
自分が動かす翼の空気を切る音だけが辺りに響く。
島と呼ばれる底は、まだまだ見えない。
下の方、白い揺らめきが見えてきた。
ほんの僅かな光。
煙のように辺り一面に広がり、空気に漂う光。
キラキラと何も光のない空間に輝く得体の知れない何か。
白い揺らめきは霧のような何かを含んだ空気だった。
その空間を飛行し初めてすぐに変化が起きた。
それらを酸素と一緒に吸い始めたニ匹の顔は苦痛に歪み始める。
と同時に頭の中に声が聞こえてきた。
・・・毒の霧に包まれし者よ・・・
・・・命が惜しければここから引き返すがよい・・・
毒の霧。
このキラキラ光る霧の様な物にはどうやら毒が含まれているようだ。
ニ匹はそれでも降下を続ける。
「黒龍なのか?」
青龍が問う。
・・・そうだ・・・
・・・我に近づくな・・・
「どうしても聞きたい事があるんだ。」
赤龍が言う。
毒のせいでニ匹の声は苦痛で震えていた。
・・・これ以上降下すれば・・・
・・・命の保証はないぞ・・・
・・・自らの命、惜しくはないのか・・・
「もとより、そのつもりでここまできた。」
「話を聞くまでは死ぬつもりはない。」
しばらくの沈黙。
・・・お前たちの覚悟がどれほどの物か・・・
・・・見届けるとしよう・・・
・・・底まで降りきり、まだ生きていたら話を聞こう・・・
霧は一層濃いさを増してきた。
燐と固い皮膚の中でさえも浸食してくる程の猛毒の霧。
声を上げる事さえできない苦痛は、なぜか反対に頭の中をすっきりさせた。
思い描くのは、スーの笑顔。
優しさと強さ。
宮殿で過ごした心穏やかな時間。
自分自身が傷つけ悲しませた事も。
術によって身体の機能を失われていく姿。
色々な記憶が蘇る。
そして一番に思う気持ち。
強い決意。
ここに来た目的。
それは。
スーを助けたい。
自らを犠牲にしてもスーを失いたくない。
底が薄っすらと見えてきた。
安堵するニ匹は次なる試練に襲われる。
突然翼が動かなくなったのだ。
身体の自由が効かなく、動けなくなったニ匹。
勢いそのままに、見えてきた底へ激突した。
地面全体がニ匹の激突した衝撃で大きく揺れた。
瓦礫が落ち、大きな岩盤と大量の土砂の中に埋まる。
「うううううぅううううぅう!!!!」
猛毒と落ちた時の激突による衝撃。
かなりの重症を負ったニ匹。
それでもゆっくり這い出る。
身体がかなり重さを感じる。
いたる所からの出血しているのだろう。
頭がくらくらし目までくらみそうだ。
視界も悪い。
身体はどこもかしこも悲鳴をあげていた。
少し動いただけでも激痛がはしる。
かなり深刻な最悪の状態。
だが、どうやら命だけは助かった。
そしてやっとたどり着いた!!。
ここが最果ての島。
舞い上がった粉塵が収まってきた。
周りの景色が次第に明らかになってくる。
そこはかなり広い空間。
あるのは大小様々な岩ばかり。
その岩がニ人を周りを監視するかのように囲んで見える。
ん?
そしてそこは全くの闇ではない事に気付く。
ひかり?
辺りの岩がチラチラと輝いている。
よく見ると、小さな石が自ら光を発していたのだ。
まるで天にある星の欠片のように。
上を見上げると今まで気付かなかった偽りの星空が降って来た。
なんと幻想的な風景。
自ら光を放つ物質を含む岩が、無数な星の真似をしているようだった。
急に頭の中で声がした。
・・・私と話したければ・・・
・・・扉を開けて中に入ってくるがいい・・・
前方遥か先に大きな黒い扉見えた。
あの扉の向こうに黒龍がいる。
ニ匹はゆっくりと立ちあがった。
そして歩みを始める。
しかし歩いても歩いても近づかない扉。
それでもニ匹の目は扉から離れない。
じっとその目標を見失わないように見つめ続ける。
今度は急に足が動かなくなった。
翼の次は足。
黒龍はどうあっても、私たちに会う事を邪魔したいらしい。
ニ匹は地面に這いつくばり、腕の力だけで移動する。
長い長い扉への道。
時間をかけてだがゆっくりと確実に前へと進む。
扉が近づいてきた。
前へ前へ。
ただひたすら前に進む事を続ける。
動きを止めないニ匹。
その姿をじっと見つめる影。
ニ匹の遥か上空。
浮遊したまま一匹の龍が佇んでいた。
扉まで後一歩。
そしてついに。
身体ごとニ匹は扉にぶつかりながら開けた。
開けられた扉。
ニ匹は荒い息を整える。
目の前には大きな石で出来た椅子。
しかしそこには誰も座ってはいなかった。
黒龍は何処に?
辺りを見回すニ匹に黒龍の声が聞こえてきた。
頭の中ではない、生の声。
その声の行方。
自分たちの遥か上空。
見上げる先に黒龍の姿はあった。
自分たちよりも黒い翼。
所々、草や石がこびりつく身体。
心の中まで見透かされてしまいそうな、まっすぐな小さな目。
右眉の上に大きな傷跡が見える。
黒龍はニ匹の前に降り立った。
「よく私の罠をくぐり抜けてここまできたものだ。
約束だ。
命を懸けてまで、私に会いに来た理由を聞こう。」
落ち着いた、そして心まで染み込んでしまいそうな低い声。
その問いに答えて、ここに来た目的を話し始める。
「あなたにお願いがあって来ました。」
「どうしても救ってほしい人がいるんだ。」
ニ匹の決意のこもった言葉。
黒龍は次の言葉を言う前に話し始める。
「あの人間の女がそんなに大事か?」
まだ何も話していないのに、何故それを知っている?
黒龍の問いに疑問の顔を浮かべる。
「ここに来る間、毒で弱った隙に少し心の中を見せてもらった。
ここに来ればなんでも願いが叶う。
などと馬鹿げた妄想にとりつかれた者たちが時折やってくる。
身の程知らずは底を見る前に消えてもらう。
しかし、お前たちは面白いと感じた。
だからここに通した。
お前たちの心にある、あの人間の女。
龍王までも心を揺らすあの女。
ただの人間なのに、そこまでして助ける価値があるのか?」
「価値などと・・・。
私はただ笑顔でいてほしいだけなんだ。」
「俺も純粋にただ、笑ってそこにいてほしいだけだ。」
龍王、青龍である蒼龍、赤龍である紅龍。
これだけの強い三匹の龍が望むたった一人の人間の命。
どれだけの者を惹きつける存在なのか。
か弱き人間の為、たかが一人の人間の女の為。
この二匹は、この何が起こるか分からない最果ての地までやって来た。
そこまでして欲しい者。
そこまでしてまで救いたい者。
「俺にその人間の命を救えと言うのだな?」
その問いに力強く頷くニ匹。
黒龍は目閉じると少しの間考えているようだった。
そして意を決した様に言いだした。
「人々は私を冥王と呼ぶ。
生も死を操れると思われているようだが。
残念ながら、それは迷信だ。
俺にも生死をどうこうする事は出来ない。」
出来ない?
黒龍でもそれは困難な事?
やっぱり無理な事なのか?
スーを助ける事は出来ないのか?
ここまできたのに。
スーを助けられない!!
身体の力が抜けていく。
二匹はその場に膝をつく。
衝撃的な事実が二匹に告げられた。
しかし、少しの光。
希望の道もまた黒龍から告げられる。
「ただ次への道しるべを示す事は出来る。
人間の命は龍に比べて儚いもの。
次に転生するとき、同じ魂を捜す為の道統べを刻みつける。
魂への刻印。
魂に印を刻みつける儀式。
そうすれば、確実に探し出す事が出来る。
しかし何年先になるかは分からないがな。」
それを聞いたニ匹は、複雑な顔を見合わせた。
死はどうしても避けては通れない未来なのか。
どうしても、今助ける事は無理なのか。
別れは逃れられない事実へとなる。
そして現実となる。
「その方法しかないんだね?」
「それが一番いい方法なんだな。」
一旦は別れる事になっても、いつかは会う事が出来る。
未来に続く別れ。
苦渋の選択。
それがたった一つ希望への道。
「やってくれるのか?」
「三匹の龍をも惹きつける、その人間。
俺も会って見たくなった。
俺はお前たちより長く生きてきた。
人も龍も暗い闇の心で満ち満ちている。
俺はそんな者を見たくなくて、もう永い間ここで暮らしてきた。
久しぶりだ。
こんな気持ちになったのは、自分で何かしたいと思ったのは。」
黒龍の表情が少しだけ和らいだ気がした。
「それに龍王にも久しぶりに会って見たくなった。
あいつの今の不抜けた姿でも見に行くとしよう。」
「龍王を知っているのか?」
黒龍は一瞬遠い眼をした。
「昔の事だ。」
何かを思いだしたのか。
その後、沈黙が辺りを包んだ。
黒龍からもらった治癒薬で驚くべき回復をしたニ匹。
次の日黒龍と共に出発した。
その頃、翡翠は龍王の部屋で微かな命を繋いでいた。
小さく浅い息をする翡翠の側で龍王はずっと手を握っていた。
もうまさに翡翠の命は尽きようとしていた。
「こう・・キスして・」
龍王の眼が一段と優しくなる。
翡翠がこんなに私に甘えてくるなんて。
翡翠が自分からそんな事を言うとは。
今まで無かったことだ。
そこまで翡翠は弱ってきているのだろう。
「こんな・わたし・・じゃ・・いや?
ほんとは・・ね。
あのとき・・はくりゅうとして・の・いやだった。
ほかの・・ひとを・・とても・・・いやだった・の。」
翡翠の素直な気持ちが溢れてくる。
龍王はあの時の自分の行動に、後悔した。
こんなにも翡翠が悲しい思いをしていたとは。
「もうあんな事はしない。
翡翠だけだから、これから先もずっと。
愛している。」
自然に零れ出る愛の言葉。
心からの嘘偽りない気持ち。
私は翡翠に優しく、この上なく本当に優しい口づけをした。
とろける様に、溶け合い様に、一つに交わる口づけ。
心の芯まで熱くなる行為。
何度も何度も。
身体の全てで翡翠を感じ、喜びを感じる。
しかし幸福な時間はすぐに終わりを告げる。
「こう・・こ・・う。」
微かな声が私を呼ぶ。
私は胸が張り裂けそうな痛みに苛まれながら、顔を近づける。
「あり・・が・とう。
わたしのぶんまで・・しあわせ・に・・なって」
「いくな・ひすい。
お願いだ、置いていかないくれ。
翡翠のいない世界なんて。
翡翠がいないのに幸せになんかなれるわけないだろう。
私を一人にしないでくれ。」
龍王の力のない声。
翡翠の手が私の頬に触れる。
「泣かないで・・・笑ってて・・・。
私、こうの笑顔が好きだから、ね。」
泣く?
私は泣いているのか?
自分の頬に触れている翡翠の手が濡れていた。
悲しい時に涙は出るものなんだな。
感情の一つ、人間の持つ哀しい時の表現の仕方。
また新しい感情を知る。
その時、蒼龍と紅龍が部屋に勢い込んで入ってきた。
そしてその後ろからもう1人。
懐かしい顔が姿を現す。
「久しぶりだな龍王。
すっかり柔らくなったな。」
黒龍は昔、私が翡翠の為強い力だけを求め荒れていた時代。
私を強くしてくれた龍だった。
その頃から誰もよせつけなかった黒龍だったが、戦いに傷ついた私を他の龍から助けてくれた。
そして何も理由を聞く事もなく、毎日私を鍛えてくれた。
しかし私が龍王として認められた日。
いつの間にか姿を消した。
「黒龍!!」
驚いたように立ち上がる龍王。
「あの時大きな力を欲したのは、その人間の為だったと後で噂で聞いた。
そして今度はその人間の為に涙するか。
やっぱりお前は面白いやつだ。
また面白いものが見れた。
龍がこれほどまでに人間に執着するとはな。」
黒龍は昔の様にニ人の様子を見て頷く。
「あの時はいつの間にかいなくなって、礼も言えなかった。
今ここで新ためて感謝の言葉を言わせてもらいたい。」
「あの時は気まぐれで助けた。
そして強くなりたいと言う願いを叶えてやってみただけだ。
感謝される事は何もない。
面白そうだから、興味があったからやっただけの事。」
龍王はそれでも気持ちを伝えようと頭を下げた。
それを驚いた表情で見た後、優しい目で見守った。
「つもる話は後だ。
それより今はする事があるだろう?」
黒龍は龍王の肩をポンポンと叩くとこれからの事を話し始めた。
「さて着いてすぐだが本題に入ろう。
私がここに来た理由と目的を。」
黒龍は自分の所に命を顧みず来た蒼龍と紅龍の事。
その理由と目的。
今のままの翡翠の命を救う事は出来ない事。
しかし次への道しるべを示す事ならできる事。
魂への刻印。道しるべ。
次に転生するとき、同じ魂を捜す為の道しるべを刻みつける事。
そうすれば、何年先になるかは分からないが確実に探し出す事ができる事。
黒龍は淡々と話し続けた。
ただ事実だけを、真実だけを。
ただじっと聞いていた龍王。
もうほとんど動かなくなった翡翠の身体を抱きかかえる。
その場に二人だけしかいない。
だれも今の二人のは近づく事は出来ない空気。
完全に隔離された世界がそこにあった。
髪を優しく梳く。
そして愛おしげに見つめる。
これが、あの全ての者が恐れる龍王の姿なのか?
なんて優しい表情をするんだ。
人間のように感情豊かに表情を変える龍王の姿。
ここまで変えた翡翠の力の大きさ。
そして二人の絆の強さ。
信じ合う心の強さ。
他の者は、ただただ見守るだけしかできなかった。
しばらくの静寂が辺りを包む。
そして空気が変わった。
龍王が決心したように語り始める。
「何年かかってもお前を待っている。
何処にいても必ず探し出してみせる。
お前でしか私は何も満たされない。
何も望まない、お前だけでいい。
心から欲するのは、今も未来も永遠にお前だけだ。」
深い愛情。
切ない思い。
切れない絆。
繋がれる愛。
変わらない想い。
揺らがない愛。
魂への刻印。
「この人間の魂に印を刻みつけるには、それ相当の代償が必要となる。
ここにいる誰かに何かしらの変化がある筈だ。
それがどんな事なのか、それはやってみないと分からない。
再度聞く。
それでもこの儀式を進めてもいいか?」
黒龍はそこにいるみんなの顔を見回して確認する。
みんなは了承する意味で頷く。
黒龍はそれを受けてまた頷く。
黒龍は翡翠の胸の上に手をかざす。
・・・この者に魂の刻印を刻む。
・・・この者の魂に道しるべを刻む。
・・・この者の魂が迷わずここに戻れるようにここに刻む。
・・・この者の魂の平穏を刻む。
・・・この者の魂の為、ここに揃いし者の合意、代償の下。
・・・刻まれよ刻印よ。
凛とした声がこの部屋に響き渡る。
黒龍はそれを受けてまた頷く。
黒龍は翡翠の胸の上に手をかざす。
凛とした声がこの部屋に響き渡る。
しばらくして蒼龍が左腕を抑えてうずくまる。
光の灯が一つ身体から生み出される。
しばらくして紅龍が右足を抑えて座り込む。
ニつ目の光の灯が生み出される。
そして最後に龍王が左目を両手で覆い唸り始める。
三つ目の光の灯が生み出される。
それぞれから生み出された三つの光の灯。
黒龍の手の中で一つに集まり、大きな光の球になる。
黒龍はそれを見届けると手の平に乗せた。
そしてそのまま、翡翠の額の上に近づけた。
翡翠の身体が一瞬ピクリと動いた。
次の瞬間光の球は、翡翠の身体の中に入り込んでいく。
それは音もなく沈み込んでいった。
途端の輝きだす模様。
翡翠の額に十字に似た紋様が浮かび上がった。
魂の刻印。
儀式の成功した証拠。
翡翠の魂に道標が刻まれた。
薄っすらと開いた翡翠の目。
みんなを見て弱々しく笑った笑顔。
今の精一杯の気持ちの形。
「あり・・が・とう。」
そう言ったと同時に力なく落ちていく腕。
翡翠はそのまま深い眠りに落ちていく。
それは二度と目覚める事のない眠り。
安らかに眠りが翡翠に訪れた。
いつか逢う事を約束して。
龍王は翡翠の身体を抱きしめて、人目もはばからず泣いた。
それは始めて感情のまま、哀しいという想いのまま泣いた。
とめどなく流れる涙はどこに流れゆくのか。
これほどまでに痛く苦しい感情。
翡翠という生きる希望、目的を失くした龍王。
蒼龍と紅龍も自分の眼から流れる雫を見た。
これが悲しいという感情。
辺りは悲しい思いに深く深く包まれていった。
「転生したスーを見つけられるまでは、龍王の時は止まったままだな。
時が動きだす頃、また会いに来るとしよう。
その時はまた面白い物が見れる事を期待しているよ。」
そう言って黒龍はまたどこかに行ってしまった。
それからの龍王は翡翠に会う前に戻ったようだった。
一切の感情が無くなったかのように、静かに過ごす時間。
龍王にとっては、翡翠の会えない今の時間は無意味だった。
そして前よりも誰も寄せつかせなくなった。
言葉さえかける事をみんなは怖がり、より一層孤独になっていった。
少しばかり心を開いたと思っていた蒼龍と紅龍さえも、態度は同じだった。
龍王にとってどんなに大切な存在だったかを、改めて感じさせた。
時折見えなくなった目に触れる。
自分の光を失くした目と翡翠はどこかで繋がっている。
その事だけが今の龍王の支えでもあった。
いつかいつの日か会える。
しかしそれはとてつもなく永く、冷たく暗い時間。
龍王の時間は完全に静止する。
蒼龍と紅龍も動かなくなった足と腕に触れ、翡翠を想う。
そして少しでも早く、再会が早く訪れる事を懇願する。
再び少女の笑顔を見ること、それだけがみんなの願い。
龍王の逆鱗に触れた筈の白龍。
本来ならその命はないものと思われた。
しかし龍族の中で唯一の女性というだけで、命までは奪われる事はなかった。
そして衝撃的な出来事。
龍族にとっては、喜ばしい出来事が起こった。
白龍のお腹の中に生命が宿っている事の事実と奇跡。
龍と龍の純粋なる命が白龍のお腹にいる。
その事が白龍の横暴さ我儘ぶりに拍車をかけた。
周りの者たちはみんな白龍を腫れ物を扱うように大切にした。
「これで、私と龍王様の仲は不動のものになったのね。」
嬉しそうに慢心の笑みを浮かべる白龍。
奇跡といっていい程の事実。
龍と龍の間に宿った純粋なる龍の子。
龍族全ての希望。
望まれた命。
翡翠が亡くなった事を知った白龍は、狂ったように笑い始めた。
邪魔者はいなくなった。
これで自分だけの龍王になる。
だってこのお腹には赤ちゃんがいるのだから。
自分勝手な思い。
歪んだ心。
自分だけが自分こそが龍王に相応しい。
誰もこの場所は譲らない。
この場所は私だけのもの。
龍王は私の物。
日に日に大きくなっていくお腹。
望まれて産まれくる命。
それなのに、翡翠の命は親さえも疎まれていた。
命はみんな同じに産まれてくる筈なのに
なんの違いがあるというのだろう。
物のように扱われた翡翠の命。
白龍の中の命と翡翠の命とどこが違うと言うのか?
翡翠が生前使っていた部屋。
その部屋に鍵をかけ、誰も入る事を許さなかった。
あれから何1つ変える事なく、大切に保存していた。
数少ない、翡翠の匂いが残る場所。
思い出のその場所を、その空間を大事に大事にしていた。
「ひすい・・・。」
私はその部屋に入り、翡翠が眠っていたベッドに座る。
そして見えなくなった目に触れて少しでも、翡翠の存在を捜し求める。
今はいない、今は触れる事のできないもどかしさ。
翡翠を想い出す時だけは、私がここに生きている事を実感できた。
死んだように、ただ息をしているだけの日々。
早く会いたい。
おまえに触れたい。
おまえの声が聞きたい。
おまえに口付けたい。
そうしないと私は気が狂いそうだ
お前が側にいない私はこんなにも弱い存在なのだな。
触れた目が少し濡れていた。
それをぬぐい、また目に触れる。
翡翠の亡骸は、龍王が自ら創り出した炎で燃やし尽くした。
誰にもほんの一欠片でも、他のものには触れさせない。
それは龍王の凄まじいまでの愛欲。
翡翠の居なくなった宮殿。
龍王は毎日、意志のない抜け殻の身体で公務をこなしていた。
今は翡翠が帰ってきた時の居場所を守る為に。
力だけは周りに見せつけていた。
周りの貴族たちが望む私と白龍の子供。
喜びに包まれる龍族。
私は疎ましそうにそれを見た。
私の欲しいのは、翡翠だけだ。
我が子とて、何の感情も感じない。
産まれたとしても、自分の側に置く事もない。
まして白龍の事など考えるまでもない。
龍は産まれ落ちた時から個々で生きる。
その中に親・兄弟など血縁に対する情は薄い。
認識の対象は性別。
自分自身の感と本能。
そして興味を惹く存在のみ。
あの事件から、もうすぐ一年。
私はあれから一度として白龍に会いに行く事もない。
そして会う事もしなかった。
興味のないものには、冷酷で冷淡な龍の性格。
龍王にとって白龍の存在は、すでにないものとされていた。
その間白龍の我儘さは酷さを増していった。
そして取り巻きたちさえも、疎んじられる様になっていた。
孤立していく白龍。
ちやほやされる事が少なくなったのが気にくわない。
その不機嫌な顔がいつもの表情に定着されていく。
今ではかつての綺麗な人々を魅了していた面影はない。
傲慢で上から人を見る視線と態度。
白龍の表情は、その性格そのものが映し出されていた。
醜い欲を孕んだ目。
出産をまじかな白龍。
イライラ感が積もる日々。
身体が重くて自由の効かない日常。
思い通りにならない召使いと取り巻きたち。
それに何よりも龍王の態度。
完全に拒絶を続ける態度への怒りが爆発した。
白龍は龍王が大切にしている部屋の前まで来ていた。
手に大きな鈍器。
それを思いきり、何度も振り上げる。
女の白龍にこれ程の力が、あるとは思えない驚愕の行動。
白龍はその大きな鈍器で、翡翠の部屋のドアをぶち破った。
と、すぐに中に入り込んだ。
騒ぎを聞きつけて駆けつけた警備兵。
白龍を止めようと中に入っていく。
そこには狂乱した白龍が部屋の物を次々と破壊していく姿だった
その余りにも異様な雰囲気にたじろぐ。
龍王が着いた頃には、ほとんどの物がズタズタに壊された後だった。
それを見た龍王は、表情一つ変えず自分の剣に手をかける。
そして無表情のまま背中から切り裂いた。
「ぎぁー!!!」
龍王の怒りは逆鱗を通り越して、驚くほど冷静で冷酷だった。
自分に何が起きたのさえ分からない白龍。
切られた痛みに顔を歪ませながら振り向く。
そして龍王に手を出して助けを求める。
自分を切った者が龍王である事も知らずに。
しかしそれに応じる事もなく、冷たい視線を向ける。
力なく体勢を崩す白龍。
「捨て置け!!」
警備兵たちが近づこうとするのを静止する。
大量の血だまりが大きくなっていく。
こうなればもう命も尽きているだろう。
それでも終わらない怒りの暴走。
倒れてピクリと動かなくない。
今度は非道にも前から切り裂こうとした。
何の躊躇もなく感情もなく、ただ切り裂くだけの行為。
しかし剣を振り上げた腕がなぜだか止まる。
ドクン、ドクン。ドクン。
心臓が飛び跳ねる感覚。
全身が逆立つ。
全身が反応する。
そして、私の感覚の失った筈の目に熱い何かを感じた。
翡翠を失って以来のこの感触。
その時白龍のお腹から微かに翡翠の気配がした。
絶命した白龍大きなお腹から、声が聞こえたような気がした。
・・・ひすい??・・・
一段と強くなる翡翠の気配。
確かにこれは翡翠だ。
間違う筈がない。
・・・私を見つけて。
・・・私はここよ、煌!!
目の前には絶命して、血みどろの中に倒れている白龍の亡骸。
気配はその白龍から感じた。
大きく膨らんだままのお腹。
ここには龍と龍の純粋なる命が、産まれくる筈だった命があった。
・・・私を助けて。
・・・ここから取り出して、煌!!
翡翠の声だ。
お腹の中にいるのか?
私の本当の名前を知っているのは翡翠だけだ。
このお腹にいるのが本当に翡翠なのか?
・・・そうよ、私はここよ!!!
私は躊躇する事なく、血に染まった白龍のお腹に手を当てた。
途端にあの会いたくてたまらなかった、翡翠の温かさが手に伝わってきた。
・・・ひすい!!
龍王は一気に白龍の腹の皮膚を乱暴に破る。
大量に流れ出る血液。
それでもさらに、奥へと手を入れまさぐる。
どんどん翡翠の気配が強くなってきた。
温もりが柔らかな感覚が感じる。
この温もりは確かに、翡翠のものだ。
捕まえた、これだ、この温もり。
私は勢いよくそれを掴むと外へと引っ張りだした。
掴んで出したものは、それは小さな命。
あまりのも小さすぎる、女の龍の赤ちゃんだった。
そして額には、十字に似たあの紋章がしっかりと浮かび上がっていた。
まさにこれは魂の刻印。
まさしくこの小さな赤ちゃんが翡翠の生まれ変わりだった。
龍王がその命を大事そうに両手に包みこみ、頬ずりをした。
翡翠と再び会えた喜び。
生きる意味をまた見つける事の出来た喜び。
止まっていた私の時間が動き出した。
幸せへと続く時間。
もう誰も邪魔する者はいない。
その姿を見守る2つの影。
蒼龍と紅龍だった。
龍王の暖かな気持ちが離れたこの場所からでも伝わってくる。
「よかった。」
「無事に見つけたんだな。」
ニ人とも本当に嬉しそうに笑った。
「これからのスーの成長が楽しみだね。」
「ああ、龍王だけにいい思いはさせないさ。」
スーの未来に自分たちも一緒に時間を重ねていく覚悟のニ人。
全く諦めるつもりはないようだ。
「まあ、今だけは見守るよ。」
「そうだな。」
じっと翡翠に目を離す事なく、話し続ける2人。
同じく回り始めた、時間の流れ。
龍族となった翡翠にも、ゆっくりとした刻を刻んでいく。
龍王の無意味な時間が価値ある大事な時間へと変わる。
龍として転生した翡翠。
これで同じ刻を生きる事が出来る。
孤独だった時間が暖かな優しい時間へと変わる。
翡翠の存在がそうさせてくれる。
かけがえない存在。
変わらない想い。
刻をも超えた強い想い。
大事に慈しむように抱きしめる小さな龍の赤ちゃん。
その上に水滴が落ちる。
涙?
涙は嬉しいときにも流れるものなのだな。
また新たな感情を知る。
翡翠からもらう色々な心豊かな感情。
心地よさが身体全てに満たされていく。
これから先もたくさんの感情を翡翠と共に。
変わらない想いと共に。
命尽きるまで。
私の腕の中でスヤスヤと眠る子供。
早く起きて、その可愛い笑顔を見せてほしい。
翡翠の髪を飽きる事なくすいている龍王。
時折額に頬に瞳に唇に口づける。
今まで、散々哀しい目に合ってきた翡翠。
これから先は、心静かに、ゆっくりと2人で刻を過ごしていこう。
龍として転生した翡翠と私の間にはもう何も隔たる物はない。
命尽きるまで側にいよう。
ここに私の全てがある。
ここに永遠の愛を誓おう。
そしてきっと来る未来。
大人になった時私の全てを受け入れてほしい。
その時は溶けあう程に翡翠の身体に愛を刻もう。
私がいないと息ができないぐらいに。
私しか見えない程いっぱいに満たしてあげよう。
幸せな未来へと続く確かな時間。
龍王の笑顔。
極上の笑顔を翡翠に。
極上の愛を翡翠に。