「組の抗争なんざどうでもいい。とにかく宮瀬を殺れ」
「そのことだけど」
今日はこれを言いに来た。
もし言えば今後仕事を貰えなくなるかもしれない。
そう思うと、後に続く言葉が上手く出てこない。
貫田さんの妖しい視線に絡めとられ、ふいっと視線を反らしてしまう。
「あたし─」
「玲香」
そうあたしを呼ぶ貫田さんの眼は氷のようだった。
その氷の中心には赤い炎が灯っている。
そんなゾワリとするような瞳のまま、貫田さんはクイッとあたしの顎を持ち上げた。
嫌でも貫田さんと目が合い、心臓がバクバク暴れだす。
「やめようなんて愚かなこと、思ってねぇよなぁ?」
有無を言わさぬ威圧的な口調。
この世界の闇を見た気がした。
普段は優しくても、小さなきっかけ1つで豹変する。
「答えろ玲香」
手元にナイフや拳銃があれば殺されてるんじゃないかと思うほどの冷たさに、口が動かなくなる。
「やめねぇよなぁ?」
やっぱり貫田さんは闇の世界の住人なんだ。
そう思わせるような真っ黒い瞳をしていた。
「…やめない…けど…」
「〝けど〟?」
弱気な語尾に反応した貫田さんは、その手をあたしの顎から髪の毛へ動かす。
前髪をガッと引っ張られ、プチプチっと何本か抜ける感覚がした。
「…あたし…その…」
恐怖のあまり、上手く喋れない。
〝きっとあたしは宮瀬聖に勝てない〟
そう伝えたいだけなのに。
「ヤツを殺れ。これは依頼じゃない。命令だ」
命令として与えられた仕事も過去に何度かある。
けど、今回は相手が相手─。
あの男を殺るなんてあたしにはできない。
「…や…殺る前…にあたしが殺られる…と思う…から。だから…できない…です…」
…貫田さんが怖い。
豹変してしまった貫田さんが…怖い。
穏やかそうな印象を持たせるものは一欠片も残ってない。
野生の猛獣を彷彿とさせる目付きとオーラ。
本当に殺されてもおかしくないほど…。
「できない…ねぇ…。ならお前はもう用済みだ。このまま俺の前から消えろ」
「……っ」
やっぱりこうなるんだ…。
もう仕事を与えてもらえない。
あたしのこれからの人生、どうやって生計立てていけばいいんだろう…。
「…と言いたいところだけど」
貫田さんの言葉は優しかった。
ただし、優しかったのは言葉だけ。
瞳、オーラ、前髪を掴む手、すべてがキツい。
そのアンバランスがより恐怖を増幅させる。
「お前は俺のことを知りすぎた。このまま大人しく死んでもらうしかないな」
─!?
死…
「…嫌…」
まだ死ねない…。
ナオを守りきるまでは死ねない…っ。
だけど、殺しの師匠である貫田さんに勝てるだろうか。
きっと勝てない。
もう、死ぬ運命なんだ。
「ヤツを殺るか、今俺に殺られるか選べ。今すぐに」
…あぁ…。
貫田さんは恐ろしい人だ…。
人間の心理を理解し、操ろうとする。
「…宮瀬聖を殺り…ます。殺るから殺さないで…」
あたしは…こんなに汚い人間なのに、死ぬのが怖いんだ。
数え切れない数の人間を殺してきたクセに、自分が死ぬのは怖い。
自己チューな人間だと思う。
けど…今は死ねない…。
ナオを残しては死ねない…。
「最初からそう言えばいいんだよ」
貫田さんは乱暴に前髪から手を離し、指に絡まったあたしの毛を払い落とす。
「…貫田…さ…ん…」
「何?」
そう振り向く貫田さんは、もういつもの貫田さんに戻っていた。
その変わり様が怖い。
「…質問したら怒りますか…」
ダメだ。
以前のように貫田さんに接することができなくなってしまったかもしれない。
怖い。
貫田さんに対してビクビクしてしまう。
「玲香、俺が怖い?」
嘘がつける状態ではなく、素直に首を縦に振る。
「こんなの序の口だから。組のことに首を突っ込み始めたら、こんなヤツざらにいる。気を付けろ」
「…わかった」
そう思うと、始めから危険なオーラしか漂ってない宮瀬聖は案外楽なのかもしれない。
だからといって殺れる自信なんて全くないけど…。
「で?何?」
「あ…えっと…」
聞いていいのかな。
貫田さんの闇の部分が見えたんだから、もう気を張らなくていいかな…。
「…宮瀬聖と何があったんですか。なんで、そこまで憎んで、消したがるんですか…?」
訪れる沈黙。
何の音もしない、閉ざされた空間。
やっぱり聞いちゃいけなかった。
聞かなければよかった。
今日はヤラカしてばかりだ…。
「…やっぱり何でも─」
「俺の娘を殺されたからだよ」
……え…?
突然発せられた言葉。
理解が追い付かない。
「…娘さん…を…?」
まず、娘さんがいたことも知らなかったし、その娘さんが殺された…?
宮瀬聖に…?
「現役時代、俺が唯一失敗したターゲットが当時中1だった宮瀬だ」
「中1…」
中1に天才的な殺し屋の貫田さんが負けた…。
「なんで失敗したか分かるか?俺がたかだか中1のガキに負けた理由が…分かるか…?」
微かに震えた貫田さんの声。
視線を合わせにいっても、貫田さんは合わせてくれなかった。
「…ヤツは…俺の娘を人質にとってた。俺が殺しを決行する日時を知ってたんだ。どうやって知ったのかは分からない。けど…ヤツは知ってた」
貫田さんの周りに裏切り者がいたのかもしれないし、宮瀬が盗聴するなりして知ったのかもしれない。
あの男なら盗聴も人質にとることも、簡単にやってのけるだろう。
「まだ幼い5歳だ。5歳の娘だった」
遠くを見つめる貫田さん。
その目は濡れて光っていた。
「〝武器をすべて捨てろ。捨てなければこのガキを殺す〟ヤツはそう言って娘のこめかみに銃口を当てた」
「俺はすぐに持っていたナイフ、拳銃、すべて地面に置いた。俺は完全に丸腰だった。だけどアイツは…っ」
「貫田さん……」
無理に話さなくてもいい…。
やっぱり聞かなければよかった。
こんなの…聞くだけで心が痛い…。
「〝残念だけど、このガキは返せない〟〝将来俺の脅威になるから〟って意味の分からない論理組み立てて、引き金をひいた…」
「……っ」
そんな…。
「許せない…っ…」
何の罪もないのに…。
娘さんは何も悪くないのに…。
「〝邪魔者は徹底的に消す主義なんでね〟ヤツはそう言って娘の亡骸を無惨に捨て、去っていった」
あの残酷で冷たい眼光を思いだし、身震いしてしまう。
宮瀬は中1の頃からすでに人を殺していた。
あの異様な佇まいはそういう経験のせいだろ。