私はまた目を瞑る。
お腹の管のせいで動けないから、最近は眠るか考えるかばっかりだ。
考えてると疲れるし、自分の出来なさが悲しくなってくる。
"大丈夫だよ"って言ってもらえても、これまで否定され続けたからか、簡単にはこのマイナス思考は消えそうにはなかった。
嫌な夢、見ませんように。
昔から、心地よく眠れることだけが唯一の安心と楽しみだった。
「穂海」
ここ、どこだろう
すごく暖かい
「これから2人で頑張っていこうね。あんな男なんていない方がきっと幸せよ。大丈夫。私たちならやれるよね。」
心地いい声
優しくて穏やかな春の空気みたいな温かさ
こんなに心地いいところあったんだって思うのに、どこか懐かしい
なんでだろう
「穂海は小さくて可愛いね。ふにふにでやわらかくて壊れちゃいそう。お母さん、穂海のこと頑張って守るからね。2人で一緒に生きていこうね。」
そっか、お母さんの声
これは、ずっと昔の夢?
お母さんまだ優しいな
いいな
この頃に戻りたいな
なんで、こんなことになっちゃったんだろう
幸せはなんの前触れもなく崩れるんだ
目を開けると、なんだかんだ見慣れてしまった病室。
目からスーッと涙が流れたのがわかった。
大きく心を悩ませるストレスは少しなくなった。
でも、またこういう夢を見るとぼんやりと"しんどいな"って気持ちになる。
私は何も出来なくて、他の人よりも劣ってて……
嫌になっちゃうな
碧琉くんはあんなに優しい言葉を掛けてくれるのに、それに応えられない
もし、過去が違ったら普通の人になれたのかなって幸せな時間のままだったのかなって考えるだけで胸が痛い。
なんだかものすごく嫌な気持ち
私、一生このままなのかな
一生、この嫌な気持ちを背負ったまま生きないといけないのかな
というか……こんな無能で独り立ちできる?
あー、嫌だ。
何もしたくない。
ずっとここで布団にくるまっていたいな。
怖いことから目を瞑って嫌なことから顔を逸らして逃げ続けたいな。
でも、逃げるのは疲れるかな
もう、疲れてるからな
逃げられないかもな
でも、逃げられないのは嫌だな
もっと嫌だな
あーあ、疲れたな
しんどい毎日に疲れた
逃げたいけど自力じゃ逃げれない
じゃあ?
思いついたのは最悪の選択肢だった。
コンコンッ
ドアをノックするも返事はない。
寝ているのかな…と思いながらそっとドアを開ける。
飛び込んできた光景に、俺は思わず目を見張った。
飛び散ったガラス片とそこに蹲るように倒れているのは血に塗れた穂海の姿。
「ほの、み……?」
頭の中が真っ白になる。
状況の理解が出来なかった。
なんで?なんで??
違う、今はそうじゃない、バイタルを確認しなくちゃ……
穂海に駆け寄り、血まみれの手をそっと取る。
「っ……」
生暖かいぬるりとした感触に、思わず悲鳴をあげそうになる
手の震えが止まらない。
は、はやくバイタルを確認して、ナースコール
幸い脈はある
でも、弱くて、呼吸も弱い、
荒くなる息を、必死で抑えながらナースコールを押した。
「はい、どうされましたか」
「っ……、しょ、小児科瀬川、あ、あの………」
「はい?」
落ち着いて、状況を説明して応援を呼ばなくちゃ
「ス、スタットコールお願いします。…っ、悠木さんが、手を切って倒れててっ」
今の状況を言葉にしたおかげで、少しだけ冷静になる。
一刻を争う危ない状態。
今救命措置を行えば助かる可能性も十分にある。
「っ、わかりました。スタットコール、かけます。」
そう、看護師さんが言うと直後に館内放送が流れる。
"スタットコール スタットコール 医療スタッフは506号室まで集まってください"
一気に緊張感が高まる。
ゴクリと唾を飲んで、再び穂海の傍へ駆け寄った。
「瀬川っ、どうした」
スタットコールをかけてすぐ、病室に佐伯先生が来てくださった。
「…自傷行為による出血性ショックを起こしています。応急的に止血はしましたがかなり傷が深いです。」
「わかった。じゃあ、俺は傷口の処置するから、お前はスタッフに指示出せ。」
「はい」
次々と来てくれる看護師さんに、輸液の指示を出し、ルートを確保するために傷口とは反対の腕をとる。
血が足りないために冷たくて、血管も細くなっている、それでもなんとか血管を見つけてルートを確保。
「先生、モニター用意出来ました。」
「ありがとう。体温、だいぶ下がってきてるから電気毛布ください。」
「わかりました。」
モニターを体に繋げながら、またさらに指示を出す。
その所で、扉が開いて清水先生が飛び込んできた。
「どうした」
「……自傷行為による出血性ショックです。」
そう言うと、先生が息を呑んだのがわかった。
「…そうか。わかった。とにかく、今はバイタルを安定させることが先決だ。何があったかは、落ち着いたら話そう。」
「はい」
清水先生は俺の肩をポンと叩いた。
「穂海ちゃんを守れるのはお前だけだからな。気張れよ。」
「……はいっ」
……ピッ…ピッ…ピッ…
規則正しい心音
……なんとか持ち直した
安心したと同時に体の力が抜け床に膝をついた。
「……おつかれ。とりあえず、命は助かって良かった。」
「うん。本当にお疲れ様。瀬川くんが気付いてくれたのが早い段階で良かった。…思うところは沢山あるけど、でも命には変えられないから……」
俺は、そっと穂海の手を握った。
まだ冷たくて、それはさっきまで穂海が生死の境をさまよったことを示していた。
「……先生、俺…………何も出来なかったです……、ずっと穂海を近くで見てきたと思っていたのに…、絶対守るって言ったのに……、こんなことになるまで気付いてあげられなかった……」
「…………わかる…俺も同じこと経験したことあるから。」
控えめな声で清水先生がそう言ったことに驚き振り向く。
「……朱鳥もさ、知ってると思うけどしばらく精神的に追い詰められてた時期があって、その時あったんだ。」
先生は言葉を濁したけれど、何が"あった"のかは明白だった。
「……唐突、だよな。数時間前までは普通に話してたはずなのに、気付いたら自分で死のうとしてるんだよな。本当に唐突に、なんの前触れもなく…、前触れがあったのかもしれないけど本当に些細すぎて気付けないんだよ……」
ほんとその通りだ…
なんで?朝は普通に話してたのに……
「とりあえず、穂海ちゃんが目を覚ましたら精神科も交えて話してみよう。」
「はい……」
俺は力なく頷くしか無かった。
それから一週間経っても穂海は目を覚まさなかった。
まるで目を覚ますのを拒否するようにずっと眠り続けていた。
この一週間、ずっと考え続けてた。
なんで急にこんなことになってしまったのか…
この前、ICUで話した時は最後には笑ってくれたじゃん……
ストレスで空いてしまった胃の穴も治りが早かったから少しストレス減らせたのかなって思ってた……
逆だったの?
穂海はあまり自分の胸の内を明かしてくれないから、穂海がどれだけの苦しみを背負っているかを理解しきれなくて、それがとても悔しかった。
穂海は何をそんなに悩んでいるの?
なんで死んでしまおうとまで考えてしまうの?
どんな選択をしたかわからないけど死ぬことが最善策だったなんて、どれだけのことを背負っていたの?
なんも、死のうとすることないじゃん……
自らの手で自分を殺そうとなんてしないでよ……
病室に来る度頭の中を沢山の想いが駆け巡って涙が零れそうになった。
ずっと先生たちの声が聞こえ続けている。
ここは真っ暗で何も無い空間。
最初気付いた時は死んだのかと思ったけど、それも違うみたい。
時計がないからどれだけの時間が過ぎているかはわからないけど、定期的に話し声だけが聞こえてきた。
碧琉くんがずっと私に話しかけてくれているのも、話す度に泣いているのも聞こえていた。
でも、目を覚ます勇気がなかった。
一度、自分で死のうとした身だ、きっと起きたら怒られるしめんどくさい事になる。
それに、またあの辛い現実に戻るのも足が進まなかった。
ここは不思議と嫌なことを考えないで済む。
死んでいなくても、ここならずっと居てもいいかなってくらい心地がいい。
泣いて私の目覚めを願う碧琉くんには申し訳ない気持ちもあるが、今の私はここに居たかった。
つくづく悪い子でごめんね
私少し疲れすぎちゃったみたい
碧琉くんの声が日に日に弱くなっていく。
碧琉くんが来てくれている時に、他の先生が来て碧琉くんを気遣うような声も聞こえる。
なんだか少し申し訳なくなってきた。
私のせいで碧琉くんの元気が無くなってしまうのは嫌だ……
碧琉くんには私だけじゃなくて他にも沢山患者さんや待っている人達がいるから、碧琉くんにはいつも元気で笑っていて貰わなくちゃダメなんだ。
碧琉くんの笑顔はみんなを笑顔にさせる。
だから、碧琉くんにはずっと笑顔でいて欲しいけど……
やっぱり現実世界に戻るのはどうしても気が進まなかった。