「なるほどね…、急に、か……」

事情を話すと、清水先生は神妙な面持ちになった。

「何も前兆はなかったんだよね……、んー何だろう。」

さすがの清水先生にも、わからないか…

そう思っていると

「…でも、瀬川のせいでは無さそうだね。」

「え?」

「だって、瀬川心当たりないんでしょ?そんなに急に態度変えてしまうくらい酷いことを言ったとしたら、さすがに少しは心当たりがあるはずだよ。…詳しいことは分からないけど、穂海ちゃんの気持ちの方で何かが起こったのかも。」

そう言うと、清水先生はキーボードを打って何かを書いているようだ。

「明日、園田に診てもらえるようアポ取っておくよ。今日のうちはとりあえず、刺激しないようにいつも通り接してあげて。」

「…はい、わかりました。」
「穂海、回診だよー」

そう言ってカーテンを開けて中に入る。

穂海は俺が来たのに気付くと、フッと目を逸らしてしまう。

「今日の体調はどう?痛いところない?」

そう聞くと、穂海は無言で小さく頷く。

「…大丈夫って捉えていいのかな?……とりあえず、診察してもいい?」

そう言うと、また穂海は小さく頷く。

「じゃあ布団めくるね。少し寒いかもしれないけど、ちょっと我慢ねー」

ドレナージの傷口や他に異常が無いか目視で確認した後に、事前に手で温めておいた聴診器を使い聴診もする。

「うん。大丈夫そうだね。胃の穴が塞がって炎症が収まり次第、この管抜けて退院も出来るからね。」

カルテに情報を入れつつ、そういうも、やはり穂海は頷くだけ。

しっかり聞こえてはいるのだろう、でも意図的に無視しているのか、何なのか…

それがひたすらに不安だった。
翌日、朝の回診の時に園田先生に時間を合わせてもらい穂海が現在入っているICUで待ち合わせをした。

少し早めに着いてしまい、ICU内のナースステーションでカルテの確認と打ち込みをしていると、数分して園田先生がやってきた。

「おはよ~、今日はよろしくね」

相変わらずふわふわとした園田先生の雰囲気に少し気持ちが和む。

「はい、よろしくお願いします。今日なんですけど…」

清水先生に話したことに加え、昨日の様子も付け加えて事情を話す。

園田先生はふむふむと頷きながら、手帳にメモを取っていく。

「…りょーかい!とりあえず、瀬川くんが行くと顔を背けちゃう感じなのかな?もし、瀬川くんの方に何か理由があるなら穂海ちゃん、警戒しちゃうかもしれないし、まずは僕がひとりで行ってみるね。瀬川くんはここで少し待ってて。」

「……はい。」

いつにも増して緊張していた。

今から判決を下される罪人のような…自分の罪を暴かれてしまうような気持ち。

何もしてないとは思うんだけど…

それでもどうしても緊張した。

穂海に嫌われてたらどうしよう…

待っている間に片付けようと思った仕事は、全く集中出来なかった。
「失礼します。」

少し間延びした久しぶりの声がする。

布団から少し顔を出して覗くと、カーテンから園田先生が入って来るところだった。

「あ、穂海ちゃん、お久しぶり~」

……コクン

なんで、園田先生?

「穂海ちゃん、居るって聞いて久しぶりにお話したくて来ちゃった。」

…そう笑う園田先生は、いつものマイペースな様子でベッドサイドの椅子に座る。

「急に来ちゃってごめんね。…お布団潜ってたみたいだけど、寝てた?」

フルフルと首を振ると、園田先生は「なら良かった」と笑う。

「本当はお菓子とか持ってきてお喋りしたかったんだけど…生憎絶食中みたいだし、それはまたの機会にね。」

そう言うと、園田先生はいつものように他愛のない日常話をしてくる。

些細な発見や面白かったことなど、先生から聞く話はいつもおもしろかった。

「最近穂海ちゃんはどう?施設、どんな感じ?」

「…………」

言葉が詰まる。

うまく誤魔化して、良く言おうと思ったけど、ニコニコと笑う先生の前ではうまく嘘が付けなかった。

「……あまり、うまくいかなくて…」

「…どういう所が?」

先生が些細な出来事を教えてくれたように、私も施設であったことを細かく話す。

周りと比べてしまい劣等感を感じてしまうこと。

嫌な夢をよく見るようになってしまったこと。

職員さんとも、上手くいかないことがあったこと。

ひとつひとつを話しているうちに、何だか涙が出てきて、止まらなくなってしまった。

止まって欲しいのに抑えたいのに、感情の制御が上手く出来なくて涙が溢れてしまう。

先生は、その全てに頷いてゆっくり聞いてくれる。

自分の胸のうちを話すのは苦しいけど、少しだけ楽になれる気がした。
「そっか。そっか。それで悩んでたのか。比べたくなくても、自然と目に入っちゃうと辛いよね。それに、夢もか…」

……コクン

「……夢は、ストレスに起因するものかもしれないね。昼間に感じた引け目とか劣等感とかが、夢の中でも悪い夢を引っ張ってきちゃうのかも。」

そうだったんだ…

じゃあ、昼間のストレスが無くなったら嫌な夢も見なくなるのかな…

「…最近辛いのは夢のせい?」

その問いかけに少しドキリとする。

「……たぶん」

曖昧に誤魔化した返事をすると、園田先生は「そっかあ」とまた少し間延びした返事をする。

「…………瀬川くんのこと避けちゃうのも?」

今度こそ核心を突いた質問に、息を呑む。

「……なんのこと…」

自分でも声が震えていることがわかる、嘘つくの下手くそかよ……

「穂海ちゃん、意図的に瀬川くんのこと避けてるのかなって。……それ、夢に関係する?」

ああ、もうそこまで読まれているのか…

もう、ここまで気付かれているのに嘘をつく必要はないか……

私は小さく頷いた。

「……何があったか、教えてくれる?」

「…………うん」
碧琉くんが居なくなってしまう夢を見た事

そんな事ないって思いたいけど、まだ完全に信じきれないこと

信じたら、裏切られてしまった時が怖いこと

もし裏切られてしまったら辛くなるから、少し碧琉くんと距離を置きたいこと

あの日夢を見て思ったことを全て言葉にした。

ずっとそばにいて欲しいのに、距離を取りたいなんて矛盾していて、わがままな願望を、園田先生はゆっくり聞いてくれた。

「…なるほどね。そっか、それで今日は来た時から辛そうな表情してたんだね。」

「え?」

辛そうな表情なんか、してたっけ…

まったく記憶にないし、意識もしていなかった。

「無意識のうちに、心の声が表情に漏れていたのかもね。」

ふふっと笑った園田先生は、カルテに何かを書くと、また優しい顔で笑った。

「……穂海ちゃんはさ、どうしたい?今、そのことで悩んで辛いならできるだけ悩みは無くした方がいいけど、自分で解決してみる?それとも、僕の手を貸す?」

「…………」

私は答えに悩んだ。

…確かに、碧琉くんのことで悩んで辛い思いをしているのは事実だ。

心では、碧琉くんにずっとそばにいて欲しいのに、理性でわざと跳ね除ける。

その行為、言葉ひとつひとつが私の心を蝕んだ。

言葉を受け流す度、顔を背ける度、胸が締め付けられる思いがしていた。

同時に、お腹もキリキリと痛くて苦しかった。

でも将来自分が悲しい思いをしないために、と言い聞かせて我慢してきた。
正直、もうこんなのはいやだった。

こんなに辛いなら、最初から碧琉くんを好きにならなきゃ良かったって思うけど、もう手遅れで、どうしてもどうしても好きになってしまう。

もういっそ碧琉くんが私ことを嫌いになってくれたら楽なのに、なんて酷いことも思ったりして。

この辛さから抜け出したいけど、抜け出し方がわからなかった。

というか、また抜け出して逃げてしまったら、今度こそ依存しちゃう気がして。

どうしたらいいかわからない

好きなのにこれ以上好きになりたくない

辛い思いはもうしたくない

でも、でもっっ

色んな感情がごちゃ混ぜになって、また涙が出た。

わかんない、わかんないよ…

どうしたらいいの?
「穂海ちゃんはさ、本当に瀬川くんと距離を置きたい?」

少し迷ってから小さく頷く。

「……本当に?何も考えずに、率直な気持ちはどうかな。」

……そんなの…

「…一緒に………居たい…」

そうだよ

なにも考えなくていいなら一緒に居たいに決まってるじゃん…

だって、だって…

碧琉くんの傍はいつも暖かくて、気が緩んじゃって、碧琉くんと一緒に居る時だけはどこにも注意を払わずに、安心できるんだもん。

何も出来ないのに、ひとつも責めないで私を認めてくれた。

そんな碧琉くんの隣は、とても心地よくてずっとここに居たいって願ってしまう。

「じゃあさ、今はそれでいいじゃん。」

「でもっ…」

ダメなの

それじゃダメ

怖いんだもん

いつか置いていかれることが怖いから、それなら自分から距離を置きたくて…

「…人を信じることが怖い?」

………コクン

「……そっか。…そうだよね。人を信じるのは怖い。……だって、相手の気持ちも未来もわからないからさ、わからないことは怖いよね。」

……コクン

「………穂海ちゃんにとって、瀬川くんは信用できる人?できない人?」

「……わからない…」

「今の段階でいいよ。今の穂海ちゃんにとって、瀬川くんは信用できる?」

私は少し迷ってから、コクリと頷いた。

「うん。なら良かった。…じゃあさ、とりあえず瀬川くんを信じてみたらどうかな。怖いのはわかる。…でも、とりあえず。瀬川くんが信用出来ないと思ったら距離を取ればいいし、違ったらずっと傍に居るままでいいんじゃない?」

そんなので、いいの?

だって、信じてきても急に裏切られたりしない?

「……ごめんね、ここからは少し僕の主観がはいるね。…少なくとも、瀬川くんは突然裏切って穂海ちゃんを置いていくようなことはしないと思うよ。……何言ってんだって思ったらごめん。でもね、瀬川くん、本気で穂海ちゃんを心配してたからさ。…入院中も、退院してからも、今回も穂海ちゃんが眠っている間ずっと傍に居たのは知ってる?」

ううん

首を横に振る。

そんなの知らない。

「…穂海ちゃんが知らない間も、瀬川くんはずっと隣にいたよ。だからって言ったら変だけどさ……、1回信じてみてくれないかな。…瀬川くんの本気、1度信じてみてほしい。」
…………コクン

頷くと同時にまた涙が溢れた。

碧琉くんが、そんなにずっと隣に居てくれたなんて知らなかった。

なのに、私……

私の都合で、信じられないとか言っちゃって…

「……穂海ちゃん」

見ると、少し困った表情の園田先生。

「…自分のこと、責めちゃダメだよ。」

……また心の内を見透かされたような発言にドキリとする。

「人を信じることが難しいのは、しょうがないんだよ。穂海ちゃんのせいじゃない。だから、自分のことを責めないでね。」

……コクン




「…穂海」

急に声がして、バッと顔を上げるとカーテンから心配そうに顔を出す碧琉くん。

その顔に、また感情と共に涙が溢れる。

「……穂海、そんなこと思ってたの?」

何故か泣きそうな顔の碧琉くんの問に、小さく頷く。

「…ごめん。穂海にそんな不安与えてるなんて思ってなかった。本当にごめん。」

震える声で、碧琉くんはそう言う。

ううん、と首を振るも、また色んな気持ちが込み上げてきて嗚咽と共に涙が出た。

「……穂海は、俺と離れたい?正直に言って。絶対、穂海が言ったことで怒ったりとかしないから。」

私は必死に首を横に振った。

「…やだ…………はなれちゃ、いや……」

手を伸ばして、碧琉くんの白衣の裾をキュッと握りしめた。