【完】一生分の好きを、君に捧ぐ。

「時間は戻らないし……命は返ってこない。だから……、今あるものだけは、無駄にしちゃいけないんだよ……」



だって、そうでしょ?何のために事故が起きたの?


ただ運が悪かった?


そんなわけないじゃん。
命を懸けて、蓮が教えてくれたんだ。


蓮の家族、周りにいる人、学校の人、事故のニュースを見た人……たくさんの人に命がけで教えたんだ。


“生きている”っていう今が存る、当たり前すぎて忘れていること。


二度と戻らない時間を、無駄にしちゃいけないこと。


本当は生きているだけで、十分だってこと。


命をかけて立ち止まらせて、蓮は私に、“生きること”を強くのこした。



「……ほんとだね」


大賀君はそう言って、泣きじゃくる私を抱きしめた。


「ごめんね……こんなに泣かせて」


溜息と共に出た、大賀君の震える声。


「葉由は……すごい。強いね。乗り越えた……?」


小さくなっていく語尾の涙声が、私の胸を抉る。



乗り越えたよ、と言ってあげられたら、大賀君に希望を見せてあげられる?



だけど、ごめんね。


「乗り越えてない……」


きっと、そんな日なんか来ない。



「だけど、大賀君がいたから……ここまで、やっとたどり着いた」


大賀君の歌声に出会って、蓮のことで停滞した心が、また動き出せたから。


だから、向き合えるところまで、来られた。


蓮が亡くなった意味。生きた意味。


私にはもう、生きることしかないんだってこと。


「……葉由」


その声が、私は好き。



だけど……よくないね……?


「大賀君……」


大賀君の胸が、私の涙でびしょびしょだ。


彼の方から鼻をすする音がしてすぐ、震える溜息が聞こえた。


「俺……葉由と付き合ってたら……、どんどん頭の中、優ちゃんのことばっかになっていく」


掠れかけた涙声だった。


体を離した大賀君を見れば、両目を赤くして、涙がたまっている。



大賀君の手を、私はそっとつかんだ。


……だってもう、折れてしまいそう。


大賀君。


「もう……彼女じゃなくていいよ」


大賀君がこんなに悲しくなるなら。
彼女にしてなんて、もう言わないから。


「……ごめん」


謝らないで。
……誰も責めてなんかいない。


私は首を横に振る。
手を離し、涙を拭う。



「大賀君と付き合えて夢みたいだった……」


また、涙……。

大賀君の顔が全然見えない。



唇の端と端。
私は一生懸命上げる。


これ以上泣かないように。


「……一カ月間、ありがとう。大賀君」


大好きになって、ごめんなさい。



朝、目を開ける。


……嘘みたいに楽しい夢から、覚めてしまった


沈み込みそうな気持ちを必死で押し殺す。


だってそうなってしまえば、昨日まで確かにあった鮮やかな世界がどんどん濁ってしまう気がするから。


自室の学習机に手を伸ばし、伏せられたままの写真立てを起き上がらせた。


あの頃、蓮と過ごした私は、こんなに楽しそうに笑っていたんだっけ……?


まるで他人事みたいに感じてしまったことが無性に悲しい。


大賀君と別れた傷心の中に、ほんの少しある気持ち。


……ほっとしたような、あきらめに似た、安堵。


この一カ月は、幸せすぎたんだ。


蓮を裏切っていいわけないのに。


私の罪は、そんなに軽いものじゃないのに……。


これでよかったって思うには、十分な理由だ。



だけど、こんなにはっきり心の中に残る大賀君との時間。

ふわふわと浮き立つ気持ちをめいっぱい感じた1か月。

ここまで膨らんだ想いを、どうやったらなかったことにできるんだろう。



まだ人が少ない静かな教室に入った。

宿題のプリントを意味もなく広げて、やり過ごしている私の前に人影がさしこむ。


「おはよー!あれ?葉由目ぇ腫れてない?」


私の顔を凝視するのは、今日もアイメイクをばっちりきめた西田さん。
昨晩の涙で充血している私とは真逆の仕上がりに、苦笑しつつ視線を下げた。


「どうしたのそれ?」


「……大賀君と別れた」


もう語尾は泣きそうだ。


「え!?嘘……」


西田さんの黒く伸びたまつげが大きく上がった。


「なんで!?」



身を乗り出して訊ねる西田さんには申し訳ないけど、伝えられない。


今にも決壊しそうな涙が、きっと溢れてしまう。



笑えているか笑えていないか、自分でもわからないような、へたくそな笑みを張り付けて首を横に振る私を見ると、西田さんはその場にへなへなと崩れ落ちた。


私の机に両肘と顎をついて「……なにそれ。葉由と大賀、あんなにいい感じだったのに……」とうなだれる。


落胆している西田さんを見ていたら、じぃんときた。


「ありがとう」


思わず伝えた言葉に、西田さんは「何がよ……」と、力のない声を出す。


HRの始まる数分前。教室内が一瞬、変にざわっとした。


すぐ傍で、椅子を引く音。

視界に入った……大賀君。


シャーペンを握りしめながら、どう接しようか、水面下で大パニックな私に、大賀君は何も言わず席についた。


……初めて、挨拶されなかった。


「おはよう」とこっちから言わなかったら、もうこれで終わる気がした。


心臓がドクドク鳴っている。


目をぎゅっと閉じて、深呼吸。


ここまで覚悟してする挨拶っていうのは、そうない経験だ。


「……、おはよう」

小さすぎて聞こえたか不安になる。

「……はよ」

だけど、小さく返ってきた。


「大賀君」


彼の方へ顔を上げたら、大賀君は席を立って背を向けて、そのまま歩きだしてしまった。


私も急いで立ち上がった。


でも、追いかける一歩なんて出せなくて、離れていく後ろ姿をただ見つめる。



……そっか。もう終わりなんだ。


ぺたんと椅子に腰を下ろす。


じわっと涙が浮かんで、プリントに落ちた涙染みが丸く広がった。


「……葉由?どうした?」


指先で涙を拭いて、見上げると栞ちゃんが目の前にいた。


「大賀君と何かあった?」


頷いて答える私の視界の端っこに、西田さんがいた。


視線をずらすと、仲良しグループと輪を作っている彼女がこっちを見ている。


心配そうに眉間に皺を寄せて。


目が合った私に「大丈夫?」と唇を動かした彼女に、「大丈夫」と頷く。



すると「あのさ」と栞ちゃんが声を出した。


「わたしは見てないんだけど、大賀君の目、泣いた後みたいに腫れてたって……クラスの子が言ってたけど……」

「うん」


「まさか……別れた?」



頷く私に、「え……」と栞ちゃんの絶句はしばらく続いて、「そっか」と呟いた。



「でも……なんで?大賀君も葉由も泣くくらいなら……なんで別れるの?」


「大賀君が泣いたのは……私のことでじゃないから」


目が腫れるほど泣いたなら、それは、優ちゃんを想ってのことだから……。


「なにそれ?」


首を傾げる栞ちゃんに、なんて答えればいいのかわからなかった。こんな時、うまく答えられるほど、人間関係のあり方を学んでいない。



「……それは言えない」


栞ちゃんは何か言いたそうにしていたけど。「そっか」と言って、チャイムが鳴ると同時に、席を離れていった。




一限の数学が始まってすぐ、すとんと隣の席に大賀君が座った。


「こら大賀―、遅刻だぞ」


「すいません」


こんな時はいつも、何やってたんだよ大賀、なんてクラスメイトが冗談げにつつくのに、今日はない。


あるのは、気まずいほどに重ったるい空気だけ。


「おいおいどうした?七組暗いぞ?」


大賀君がクラスに与える影響っていうのは、本当に大きいんだ……。

……とりあえず、板書を書き写す。



「iは虚数と言って、虚数には実体がないんです。“大きさ”というものがiにはないわけです。愛は大きさでははかれないっていうことですねぇー」


ツッコんでほしそうに、先生は大賀君や、その友達を見て言っているのに、誰一人何も言わない。


「せんせぇー、さむすぎー」と西田さんが空気を読んだくらい。


彼女のおかげで幾分か教室の緊張感が和らいだ気がする。


すると、大賀君の方から、ピンと何かが飛ばされてきた。


……なに?


小さく折りたたまれた紙が、私の手元に落ちている。


大賀君をみても、板書を書き写しているだけ……。


紙を拾って、指先でそっと開く。


流れるように書かれた綺麗な文字。


字まで好きだなって思ってしまうんだから、本当にばかみたい。



“朝はごめん。無視したわけじゃなくて、顔見られたくなかった”


……無視じゃなかった……。
ほっと溜息が出た。


そういえば、栞ちゃんが“大賀君も目が腫れていた”って言ってたっけ。


手元のノートをちぎる。


“大丈夫?”って言われても、大丈夫って答えるに決まってるよね。


そう思ったから消しゴムで強く消した。


“私にできることがあったら言ってね”


優ちゃんのこと、もう一人ぼっちで抱えてほしくないって。


そう思うのは図々しいって思ったけど、小さく折った。



先生は黒板を向いている。
今のうちに。そっと手渡した。



「……ありがと」


今度は声が聞こえて、私は小さく頷いた。