「えっ、と……」
ひどく眩しいその姿。
純粋なものに触れると、自分がどれほど汚れているのかがわかる。
私にも純粋な気持ちでいられた時があったな、なんて思ったり思わなかったり。
「……っ」
気づけばまた目から涙がこぼれ落ちてしまう。
自分が惨めに思えて。
「どうして、泣いているの…?」
女の子が不安そうな声をあげ、私に話しかけてくるけれど。
何も言葉を返せないほど私は泣いてしまった。
「苦しいの…?」
明らかに女の子のほうが小さくて、かわいくて。
眩しいほどに純粋で、誰かに守られていないとすぐやられてしまいそうだと思ったのに。
彼女は強かった。
私のほうがずっと弱い。
弱くて泣く私を彼女はぎゅっと抱きしめ返してくれ、そう優しく聞いてきたのだ。
優しいけれど、揺らぎのない真っ直ぐな言葉。
私の苦しさを吐き出せるように誘導してくれる。
「…………」
ただ無理に聞き出そうとしない。
それが逆に私の心を大きく揺るがせた。
話してしまえば楽になるだろうか。
このままここで、全部弱さを吐き出してしまえば───
「彼女じゃないよ」
「……え」
「私、雪夜の彼女じゃない。
ただのクラスメイト」
ダメだ、敵に弱さを見せたら。
ここまで必死に耐えてきたことが一瞬のうちにして無駄になってしまう。
「今日はたまたま男に襲われそうになってるところを助けてくれただけ。
なんだか安心しちゃって泣けてきたの。ごめんね」
笑みを浮かべ、平気だということをアピールする。
大丈夫、“表の自分”を作れているはずだ。
「……ほんと?」
でも彼女は今もまだ不安げに私を見つめてきて。
「本当だよ」
「……じゃあ良かった。誰かに話すだけでも、楽になれることがあるからね」
そこでようやくふわりと天使のような笑みを浮かべる彼女だったけれど。
おそらく私の本心を見抜いているのだとわかった。
私が今、“本音を言うことをやめた”という事実に───
「白野、こいつと話があるからどけ」
「あっ、ごめんね…」
その時、タイミングよく雪夜が口を挟んでくれたおかげで彼女の純粋な心から逃れることができた。
「あ、あの……私、白野未央って言います…!」
けれど彼女……白野未央ちゃんは、私から離れるなり少し緊張気味に自己紹介をしてきた。
その姿は見惚れるほどに純粋で、綺麗だと素直に思った。
「……私は御園静音です」
満面の笑みを浮かべ、その緊張をほぐすように私からも自己紹介をして。
すると未央ちゃんは嬉しそうに目を輝かせてた。
「静音ちゃん…!あの、またお話できたら嬉しい、な……」
「そうだね。また会えたら今度はゆっくり話しよう」
人は平気で嘘をつく。
もうこの場から去れば、二度とこの子に会うことはないだろうと思った。
申し訳ないけれど、こんな純粋な子に私は釣り合わないだろうから。
また会いたいとも、話したいとも思わない。
「雪夜、どこに行くの?」
「とりあえず部屋戻るぞ」
最後にもう一度彼女に笑いかけ、雪夜の後ろをついていく。
あの男とは目を合わせることも怖かったため、視界に映すことを避けながら───
私が目を覚ました部屋が、どうやら雪夜の部屋だったらしく。
また同じ場所へと戻ってきた。
扉が閉められ、完全にふたりきりになったところでよくやく恐怖心が消えたのか、力が抜けて雪夜にもたれかかる。
「おい、大丈夫か?」
「……ごめん」
謝るけれど起き上がる気力はない。
どうやら私は、それほどに怯えていたようだ。
“神田くん”と呼ばれていた男に───
「あの男…何者なの」
たったひとりの人間に、これほど怯える日が来るとは思わなかった。
静かで真面目そうな見た目とは違い、圧を感じる危険な姿。
「拓哉(たくや)は若頭」
「……え」
「さっきの男の話。
神田組の若頭、神田拓哉」
「その人、何歳なの?」
「俺らと同い年」
ありえないと素直に思った。
その若さでヤクザの二番目を引き継いでいるというの?
「考えられねぇだろ」
「……まだ高校生でしょ?」
「お前と一緒で高校生には見えねぇからな」
「老け顔で悪かったわね」
神田拓也という人物の話をしているというのに、私をバカにするような言葉も交えてくる彼。
「別にバカにしたつもりはない」
「あっそ」
冷たい態度をとってしまう私だったけれど、今もまだ雪夜に体重をかけてしまっているからあまりきついことは言えない。
「じゃあ女の子は?あの子も同い年?」
「ああ、白野は逆にガキだな。実際より」
本当にデリカシーのない男だ。
今この場にあの子がいないだけが唯一の救いである。
「そんな子があの男の女なの?
大丈夫なの?」
見た感じからふわふわしている純粋な女の子だ。
若頭の女だなんて不安で仕方がない。
すぐ狙われそうだし、あのかわいさなら襲われてしまいそうだ。
「拓哉がいるから大丈夫だ。それに白野も白野で芯が強いし、拓哉は唯一あいつにだけ敵わねぇからな」
「……そうなの?」
「あんな純粋野郎だけど意外と言うし。
それに拓哉、すっげぇ柔らかくなったんだぜ」
あれで?と思わず言いそうになった。
それほどに冷たく、全身が震え上がるほど怖かったのだ。
でも確かに、あの女の子は芯が強いと思った。
まだ全然彼女のことをわかっていないというのに。
「素敵なふたりなんだね」
少し素っ気ない言い方になってしまったけれど、別にふたりが妬ましいと思ったわけではない。
けれどそんな風に想い合えるふたりに対して、素直に羨ましいと思った。
「まあ、あそこは特殊だな。白野守るためにあいつ、刺されるわ拳銃で二発撃たれるわで、まじ命懸けだったから」
「……え」
驚きのあまり、うまく言葉が出なかった。
あの女の子を守るためにそこまでするの?
刺されたり拳銃で二発撃たれると、さすがに軽傷では済まないはずだ。
「その分今はあんなうざいくらい幸せそうでイチャイチャラブラブしてるけど」
見てるこっちが暑苦しいと突っ込む彼。
「……へぇ」
「俺たちには考えられねぇな?」
「何、私だっていつかそういう相手見つけてやるから」
ムキになって言い返してしまったけれど、そんなの絶対に不可能だ。
こんな私を受け入れてくれる男などいないだろうし、私自身男という人物を好きになったことはない。
だってここ数年間はずっと、復讐したいという気持ちでいっぱいだったから。
「無理だな」
「は?」
無理なのはわかっていたけれど、雪夜に言われると腹が立つ。
そのため言い返そうと思い、口を開こうとしたその時───
「だってお前には俺がいるから」
わけのわからないことを耳元で甘く囁いてきた。
誘うような言い方に、肩がビクッと跳ねる。
「なに、言って…」
少し危機感を覚えた私は雪夜から離れた。
視界に映ったのは、神田という人物と同じ格好をしている雪夜の姿。
さっきは心に余裕がなかったから気づかなかったけれど、和服姿の雪夜はどこか新鮮に思えて、少し……いや、かなり色っぽく感じてかっこいいと思ってしまった。
「ほら、怪我人は大人しくしてろ」
「別にこれくらい平気、だし…」
「早く治さないと俺を殺れないぞ」
そう言って雪夜は私の腰に手をまわし、優しく抱き寄せてくる。
ただそれだけなのに、おかしい。
ふたりの距離がゼロになり、なんだか胸が熱くなる。
別に体を重ね合わせてるわけではないというのに、どうしてだろう。
普段見慣れない格好をしているからだと頭で言い訳するけれど。
今日雪夜が助けてくれた時に、抱きしめられたことを思い出す。
謎の安心感に気づけば泣いている自分がいて。
本当にダサいと思う反面、胸が温かいと思ってしまう自分もいた。
「……御園?」
名前を呼ばれてハッとする。
無意識に雪夜の和服を掴み、胸元に顔を寄せていたからだ。
「……っ、な、い、今のは誤解だか……いたっ」
そんな自分が恥ずかしく、顔が熱くなりながら雪夜から離れたけれど。
勢いのせいで殴られた部分が痛み、思わず顔を歪めてしまった。
ああ、本当にダサい。
本当に恥ずかしい。
狂わされる。
目の前の男に、こんなにも狂わされるだなんて。
助けられ、優しくされるだけで復讐心が湧かなくなる自分も自分だ。
命を奪ってやろうと思う気持ちは、確かに強かったはずなのに───
「痛むだろ、大丈夫か?」
「……っ、お願い見ないでっ…」
今の私を見られたくない。
本当に恥ずかしくて顔が熱くなり、思わず手で顔を覆う。
無理だこんな状況、私に逃げ場なんてない。
だから相手に乞うしかないのだ。
「……なんだよその反応」
「え…」
そんな私を見た雪夜は、意地悪く笑うわけでもなく。
ただ投げやりに言葉を吐き捨て、また私を少し乱暴に抱きしめてきた。
「雪夜…?」
戸惑いもあったけれど、抱きしめられたことに少し安心した自分もいて。
だってこの顔を見られずに済む。
「そんな顔すんな、バカ。
仮にも恨んでる相手に」
「……っ、わかってる、けど…」
彼は少し責めるようにバカと罵ってきた。
確かに私はバカだ。
自分でもわかっている。
けれど自分だって意識的にやっているわけじゃないのだから、止めようがない。
「じゃあ何、今は俺を殺したいとか思わねぇの?」
「……っ」
今一番、聞かれたくない質問。
毎日雪夜のことを考えるたび、視界に映るたび。
絶対この手で消すんだと思っていたのに。
「おかしな女だな。
意志の弱い」
「……話ってそれだけ?」
これ以上追求されてしまうと、図星のため何も言い返せなくなる。
それだと不都合だから、話を強制終了させて帰ろうと思ったけれど。