そして片付けを終えた後、部屋に戻ったのだけれど───
「……は?あんた何待ってんの」
「どうせならふたりで食べたほうがいいだろ?」
なんと雪夜は先に食べておらず、私を待っている様子だった。
お腹が空きすぎて死にそうじゃなかったのかと思いながらも、彼なりの優しさなのかと思い腰をおろす。
「律儀なんだね」
「作ってもらったのに、先食べるのはどうかと普通は思うけどな」
いちいち“普通は”などの余計なことを言ってくる彼。
だから余計にイラッとしてしまうのだ。
とりあえず今日は我慢だと思い、オムライスを口に運ぶけれど。
睡眠薬でも入れておけばよかったかなと今更後悔する自分もいた。
だって目の前の男は仮にも殺人犯。
それなのに、こうして悠々と生きている。
神様はどうしてそんな彼を生かしているのだろうと。
一度そのことを考えてしまえば、今日このまま逃していいのだろうかと考えてしまい。
ふつふつと湧き上がってくるのは憎しみの心。
きっとどれだけ相手が優しくて、律儀な人間だったとしても。
欲に負けて流されたとしても。
“両親を殺めた”という事実がある限り、私は何度でも彼に殺意を抱くだろう。
「……うめぇな、お前の作ったやつ」
「それは良かった」
そんな私の気も知らず、彼は美味しそうに食べていて。
少しだけ幼く見えるけれど、それが少し怖いとも思ってしまう。
いったいどんな神経で今を生きているのだろう。
「ねぇ」
「……何」
「今、生きていて楽しい?」
私の質問に、彼は食べる手を止めた。
彼はいったい何と答えるのだろう───
「まだ最近は楽しいほうだな」
「…………」
「昔より今のほうがずっと良い。それにお前とまた会ったから、これからもっと楽しくなりそうだしな」
ニヤリと楽しそうに口角を上げる彼。
「……この死にたがり」
「お前が殺したがりなだけ」
「それは、あんたがっ……」
思わず怒鳴るように叫んでしまいそうになったけれど、感情的になるなと自分に言い聞かせる。
「俺が、何?」
「……っ、なんでもない」
彼から顔を背け、またオムライスを口へと運ぶ。
感情的になってしまえば周りが見えなくなる。
冷静さを欠いてはならない。
心を落ち着かせるため、静かにオムライスを食べ進め。
「食べ終わったなら帰って」
雪夜が先に食べ終えたのを見て、帰るように促す。
早く帰ってほしい。
そうでないと本気で手をかけたくなるから。
「……じゃ、また明日な」
それを読み取ったのか、雪夜は簡単に立ち上がり鞄を持つ動作をして。
「あ…これ、置いとくな。
あんま危険なもんは持つなよ?」
家に来てすぐに奪われた拳銃を返してくれるようで、ベッドの上に放り投げられる。
「あんたに言われたくない」
復讐するため、闇の世界に飛び込み。
子供である自分の心を捨てた。
体を捨てた。
「いつかそれが必要なくなるようにしてやるよ」
「……は?」
つまり私の命を奪うとでも言いたいのだろうか。
そんなこと屈辱でしかない。
親を殺された相手に私も殺されるだなんて───
「早く裁きを受ければいいのに」
別に命を奪うという復讐は敵わなくとも、刑務所に行くのならそれでも構わない。
とりあえず目の前の男が苦しむ姿を───
「さあ、どうなるだろうな」
彼は私に怯むこともなく、相変わらず余裕な笑みを浮かべていた。
それから一週間が経ったある日のこと。
「静!」
「……あ、祐樹。今日は珍しく早いんだ」
朝の電車で通学していると、途中で祐樹と鉢合わせたため一緒に学校へ行くことになった。
両親が生きてきた頃は家が近くて頻繁に会っていたけれど、今は別の土地でひとり暮らしをしているため、祐樹との関わりが極端に減った。
けれどここ一年は同じクラスになったのもあり、何かと仲良くやっている。
もちろん私はもう子供の頃みたいな純粋な気持ちで彼と接することはできないのだけれど。
いつも祐樹との間に壁を設けているつもりだ。
だって私と祐樹は住んでいる世界が違う───
「最近ちゃんと食べてるのか?」
「え?」
「なんかコンビニ弁当ばっか食ってそう」
「し、失礼ね!ちゃんと自炊してますよーだ」
私の心配をしてくれているのはわかるけれど、なるべく心配をかけさせたくないためいつもの調子で返す。
「ひとり暮らしって寂しくならねぇのか?
もしあれなら、たまには俺の家に飯食いにでも…」
「や、大丈夫。迷惑だろうし」
正直に言えば嫌なのだ。
キラキラしている家族の中にひとり、ぽつんと浮くのが目に見えているから。
「別に無理にとは言わないけど、苦しいなら……」
本当は苦しいよ。
これまでだって、今だって。
けれどそれを隠さないといけないから。
押し殺さないといけないから───
今すぐにも話を変えたくてどうしようかと黙って考えていると、祐樹も口を閉じた。
そして学校の最寄駅に着くまでの間、ふたりには重い空気が流れていて。
やっぱり自分は弱い人間だとか祐樹に心配ばかりかけさせているなと考えながら階段をおり、改札が見えたその時。
「……あ」
沈黙を破ったのは祐樹のほうだった。
それも驚いたような声。
少し俯き加減だった私も顔を上げてみれば───
「……雪夜」
最悪なタイミングとでも言うべきだろうか。
なんと視界には雪夜の姿があった。
「…はよ」
少し眠くてだるそうな顔をしながらも、挨拶をされる。
「涼雅も同じ電車で来たのか?」
「いや、反対側から」
「へぇ、地元には帰ってこなかったんだな」
何やら親しそうに話すふたりは最近出会ったようには見えなくて。
「祐樹、雪夜とやけに仲良いね」
気になったから聞いてみた。
もしかしたら昔から繋がりがあったのかなって。
「……は?」
「え…?」
すると祐樹は私のほうを見るなり、驚いたように目を見開いた。
「静、本気で言ってるのか?」
「えっと、何のこと…?」
「確かに苗字呼びしてるから本気なんだろうけど…覚えてない?」
「覚えてないって、だから何が?」
答えを焦らされているようで、思わず迫ってしまう。
だって今の言い方はまるで私も雪夜と昔、関わりがあったかのような───
「何がって、涼雅は俺たちの…」
「昨日話してみたら意気投合しただけだから」
祐樹の言葉を遮るようにして口を開いたのは雪夜で。
すこし微笑みながら『な?』と祐樹に同意を求める。
明らかに戸惑った様子を見せる祐樹だったけれど、曖昧に頷き同意した。
いったい祐樹は何を言おうとしたのか。
私には想像できなかったけれど、もしかして私は何か大事なことを忘れているのだろうか───
「お前らこそ幼なじみなだけあって仲が良いんだな」
「……まあな、静とはずっと関わりあるし」
「夫婦って言われてたくらいだからな?」
「なっ…だからこいつの夫は死んでもなりたくねぇよ!」
「……え、こいつって誰のこと?」
「静は黙ってろ!」
やっぱり今日も鈍感なフリをして、顔を真っ赤にする祐樹の気持ちに気付かないフリをする。
「……性悪女」
その様子を見た雪夜が、私に対して余計なことを言ってきた。
「雪夜、なんか言った?」
「別になんでも」
私がにっこり笑みを浮かべて聞くと、彼も同じように満面の笑みを浮かべてきて。
ああ、むかつく。
腹が立って仕方がない。
「……お前ら、なんか変な関係になったな」
「昨日は俺のことかっこいいって騒いでたのにな」
「いや、そうじゃなくて…」
やっぱり戸惑った様子で、何か言いたげな祐樹。
けれど最終的に黙り込み、3人で学校へと向かう。
変な組み合わせ。
祐樹とは結構ふたりで行くけれど、そこに雪夜が入るだなんて。
「今日の宿題やってない、静見せて」
「あっ!待って、私も忘れてた!」
「静もかよ、珍しい。涼雅は?」
「やってるけど簡単だからそれぐらい自分でやれ」
宿題をやっていない私たちを呆れた様子で見つめてくる雪夜。
何気ない日常会話。
右側には祐樹、左側には雪夜。
そんなふたりに挟まれて歩く、“女子高生”の私。
初めての並びだというのに気のせいだろうか。
懐かしい気持ちが湧いてくるのは───
*
あの懐かしい気持ちは、学校に着いてからも忘れられなくて。
その正体を見つけ出すかのように何度も頭の中で考える。
あの懐かしさは何だったのだろう。
ちらっと横目で雪夜の姿を捉える。
見た目と違って彼は真面目らしく、先生の話を真面目に聞いていた。
その横顔はいくら嫌っていたとしても、素直にかっこいいと思うほど整っていて。
ピアスを開けたらより一層かっこよくなる気がするな、なんてらしくないことを考えてしまう。
案外痛いのが無理、という理由でピアスの穴を開けないのだとしたらそれはそれで面白いのだけれど。
「……はぁ」
結局考えても答えは出るはずなく、もやもやとした気持ちが心に残る。
けれど考えても思い出せないため、諦めて机に顔を伏せた。
もちろん寝るつもりなんてサラサラなかったのだが、雪夜が転校してきてからあまり眠れていない日が続いていたのが正直なところで。
案外眠気はすぐにやってきた。
それに逆らおうとしなかった私は、授業中にもかかわらず目を閉じて眠りについてしまう。
けれど授業中でゆっくり眠れるはずもなく、浅い眠りだった私は夢をみていた。
それも昔の記憶に近い夢。
誰と一緒にいたのか、どんな状況だったのかは曖昧でよく憶えていなかったけれど。
私と同じくらいの身長の子が左側に立ち、私の服をぎゅっと掴んでいた。
これは誰なのだろうか。
祐樹なのだろうか。
昔のことなんかほとんど思い出せなくて、そもそも思い出したくなくて。
忘れたかった私はそれ以上夢をみることを拒否するかのようにして、ゆっくりと目を開けた。
「……ん」
顔を上げ、まだ少し頭がぼーっとする中時計に目をやる。
するとまだ数分しか経っておらず、実質ほんのわずかの時間しか眠っていなかったようだ。
それにしても何か大事な記憶を忘れているような気がする。
いや、別に忘れたままでいいのだけれど。
だって私は過去の自分を殺したことにしたのだから。
子供の頃の記憶も全部忘れようと、頭の中は常に両親を殺した相手のことばかり考えていたから。
そうすることで“表の自分”を作り、“裏の自分”と完璧に切り離すことができたのだ。
けれど───
ここまで思い出してしまうと、逆にもやもやする。
思い出したほうがいいのかもしれないとすら考えてしまうほど。
結局解き明かすことができないまま、心の中の靄が晴れることはなかった。