危険な愛に侵されて。




けれど雪夜は私の呼びかけに反応せず、ぎゅっと抱きしめる力を強めてきて。

どうやら寝言のようだ。


───また、過去に関連する夢をみている?



もしそうだとしたらどれだけ辛く、怖い思いをしているのだろう。


「助け、て…」

悲痛な叫びにも聞こえ、ドクンと心臓が大きな音を立てる。

さらに彼は子供のように小さく震え出してしまう。



だから、だ。
だから雪夜は寝るのが怖いのだ。

悪夢にうなされ、目を覚ます。


そこに母親の姿はないけれど、ひとり脳内にははっきりと残っていて。



「……雪夜」

思わず雪夜から離れ、上体を起こす。
幸い彼は目を覚ましておらず、眠ったままだったけれど。


表情が苦しそうで、眉を歪めていた。


この先いつまでも雪夜は母親の存在に苦しめられるのだろうか。

解放されることはない?


例え大人びていても。
強くて権力があっても。

過去を乗り越えない限り、楽になることはない───


雪夜の手に指を絡ませ、ぎゅっと力強く握る。


「大丈夫だよ」


体を震わせ、苦しそうな表情。
もう過去に囚われる必要なんてないというのに。

空いているほうの手で雪夜の頬に手を添える。
まるで先ほどと逆だ。




「……ん」


するとその時、雪夜が瞼をピクッと動かしたかと思うと。

うっすらと目を開けた。



「ごめん、起こしちゃった?」

あまり刺激しないよう小さな声で話しかけたけれど、雪夜からの返答はなく。


ただぼーっと私を見つめるだけ。


「雪夜…?」
「……御園」


常夜灯の薄明るい光だけを頼りに視線を交じ合わせる。

雪夜が掠れた声で私を呼んだかと思うと、彼の頬に触れている私の手の甲に自分の手を重ね合わせてきた。


「何、寝ないと寝不足なるよ」
「御園」

「もー、何ってば」


弱々しい声に苛立つことはなかったけれど、いつもの調子で言葉を返す。

すると雪夜が目を細め、安心したように微笑んだ。


「……温かい」
「え?」

「ひとりじゃねぇなって」


聞いている私が苦しくなりそうだ。
それほどに彼の言葉は重い。


「……ひとりじゃないよ。
あんたが私を自分のものにしたんでしょ」

「した」
「それならひとりじゃないね」

「ああ、絶対俺のもの」


言葉は強引なくせに言い方はひどく優しく。
今度は嬉しそうな笑みを浮かべている。

もしかしたら寝ぼけているのかもしれない。




「わかったから寝なよ」
「…………」

やっぱり思った通りだ。

雪夜は寝ぼけていたようで、私が寝ろと言う前にゆっくり目を閉じてまた眠りについたのだ。


「……こんなやんちゃになって」

雪夜の手が自然と私から離れたため、今度は銀色の髪に触れてみる。


すずくんはやんちゃとは正反対に位置する人で。
いつもビクビクしていた。

逆に周りから『怖くないよ』と言われるほど。



それが今じゃ周りが恐れるような存在で、さらには背中いっぱいに和彫りまで入れて。

変わってしまった。
本当に。


けれどそれは肉体的な強さと見た目を手に入れただけ。

中身はまだまだ子供。
ひとりじゃどうにもできないらしい。


それじゃあ逆に私がいたら?
私が雪夜のそばにいたら、少しは救われる?


「……雪夜、仕方ないから私がそばにいてあげる」

少し重心を前にかけ、目を閉じて眠る雪夜の唇に、そっと自分の唇を重ね合わせる。


触れるだけのキスをした後は、自ら雪夜に抱きついた。


それから間もなくして、雪夜も私の背中に手をまわしてきて。

やはり抱き枕のような存在が必要らしい。


仕方なく今日は身を預けてやろうと思い、そのままの状態で私はゆっくり目を閉じた。




それから間もなくして、冬休みに突入したある日。


「ねぇ、いつになったら家に帰れるの」
「そのうち」

「そのうちって、はっきりした数字言ってくれないとわからないじゃない!」


けれど私は雪夜と一緒の部屋で冬休みを過ごすことになっていて。

不満を口にしていた。


もちろん雪夜が“すずくん”だということはわかっていたけれど、気づいていないフリをする。

その一番の理由は、雪夜自身が何も言わないからだ。


におわせはするけれど、何も言わない。
どちらかといえば隠そうとしていた。

そのため私も見て見ぬふりをして、いつもの調子で雪夜と関わっていた。



それにしても本当に、いつまで雪夜と一緒に住まわされるのだろうか。

正直雪夜と一緒にいてもいいと思っている自分もいる。


けれどそれ以上に私は───



「ねぇ、何か答えたらどう?
あと抱きつくのもやめて!」


先ほどからずっと後ろから私に抱きついてくる雪夜。


今日は冬休みの宿題をすることになっていて、一階にある和室に来ていた。

そこには大きなテーブルがあり、勉強するのに適しているのだ。




しかも今日は私と雪夜だけではないため、この広々とした和室にやってきたのだ。

もちろん相手は神田と未央ちゃんで。


まだふたりとも来ていないけれど、いつ来るかもわからないというのに。


「うるせぇ、じっとしてろ」
「はぁ!?本気で離れ……ひゃっ」


なんということだろうか。
私が暴れると雪夜は耳に噛み付いてきたのだ。

思わず変な声が出てしまい、慌てて自分の口元を手で覆う。


「や、め…」
「そんな風に大人しくしておけばいいんだよ」


満足そうな雪夜の声。
それからまた私にぎゅっと抱きついてきた。

ここ最近、さらに甘えたがりになった気がする。


その上私は雪夜に触れられるたび、胸がドキドキ高鳴ってしまうのだから私の気持ちも考えてほしい。


だから嫌なのだ。

雪夜と一緒にいたいと思う気持ち以上に、ドキドキしてしまうため。


自分が自分じゃなくなりそうで、おかしくなってしまいそうだから。




今だって、ドキドキして。
私じゃないみたいだ。

思わずぎゅっと、後ろからまわしてくる彼の手を握る。


「……いきなりどうした?」
「う、うるさい。今はこうしていたい気分なの」

「へぇ?」
「大人しくしろって言ったのはあんたじゃん!」


少し私が素直になれば、こんな風に意地の悪いことを言ってきて。

本当にかき乱すのが好きな人間だ。



「そう怒るなよ」
「……嫌い」

こんな性格の悪い男、大嫌いなはずなのに。
嫌いになれないのが悔しい。



「嫌いとは言ってほしくねぇな」
「……っ、じゃあ余計なことしないで」

「ん」


少し寂しそうな声に変わったから、つい優しくしてしまう私も私。

それからも仕方なくこの体勢に耐えていると───



「静音ちゃん…!」

勢いよく襖が開けられた。


見ると未央ちゃんがキラキラと目を輝かせながら私たちの姿を捉えて。

けれどこの状態を見るなり頬を赤らめ、俯いてしまった。




ああ、本当に純粋でかわいい。


「ご、ごめんね…空気読めなくて」

そう言って申し訳なさそうに襖を閉めようとしたため、慌てて呼び止めた。


「待って、未央ちゃん気にしないで…!
そろそろ来るかなって話してたところだから!」

「話してねぇよ、そんなこと一度も」
「あんたは黙ってて!」


空気が読めないのは雪夜のほうだ。


「……珍しいね。
涼雅がそんな姿なのって」


するとその時、未央ちゃんの後ろから神田が姿を現して。

思わず肩がビクッと跳ねてしまう。
ダメだ、やっぱりまだ慣れない。


あれから何度か家で見かけたけれど、その度に怯え、雪夜がいなかったら頭を下げてすぐ逃げ出していた私。

今回は雪夜と未央ちゃんがいるということで、こうして集まることを受け入れたけれど───


「今はこうしてたい気分」
「そっか。じゃあ俺も未央を…」

「や、やだもん!真面目に宿題する!」


神田が私たちと同じことをしようとすれば、未央ちゃんは頬を赤く染めながら首を横に振って拒否していた。




「もー、未央は意地悪だね」

「意地悪なのは神田くんだよ…私、静音ちゃんの隣に座る」

「ダーメ、未央は俺の隣」
「やだ、静音ちゃんがいい…!」


逃げるように私の隣に座った未央ちゃんは、ピタッと私にくっついてきた。

その姿に思わず抱きしめたくなったけれど、雪夜のせいで自由がきかないため諦める。



「白野、どけ」
「やだ」

「邪魔すんな」
「やーだ!」


それを不服に思った雪夜が未央ちゃんに文句を言うけれど、彼女は私から離れない様子。

なんだかふたりの子供を相手にしている気分だ。



「いつも涼雅くんは静音ちゃんと一緒にいる!
だから今日は私がいるの!」


負けじと言い返す未央ちゃんのかわいさに、女の私もやられてしまいそうだ。

この子は本当に危険。


「未央、俺のところには来てくれないの?」

ふたりのやりとりを聞いていた神田がテーブルを挟んで座り、未央ちゃんを寂しげに見つめる。


そのためこのまま未央ちゃんが私の隣にいると、私自身の命が危ない気がした。




「あとで行くの」
「今は離れ離れ?寂しいな」


そう言って神田が私のほうを向くものだから、また肩がビクッと跳ねた。



「み、未央ちゃん…」
「どうしたの?」

「ほら、雪夜がこの状態だからさ…未央ちゃんは神田の隣に行って?」


なるべく優しい声で言ったつもりだったけれど───



「ほら見ろ。お前は拓哉のとこ行けばいいんだよ」


雪夜が余計なことを言うから、未央ちゃんがそれに刺激され目を潤ませてしまう。


「うう……」

「あー、もう雪夜のバカ!
何余計なこと言ってんのよ」

「知るか。俺たちの邪魔するから悪い」
「考え方が幼稚すぎ!」


“俺たち”って、まるで私も邪魔されたくない言い方をして。

決してそんなことはないというのに。


「そもそもこんなことで泣こうとする白野もガキなんだよ」

「あ、またそんなこと言って…」
「涼雅くんなんて嫌い!大嫌い!」


結局ふたりはギャーギャー言い合いを始めてしまう。