「何見てんだ?」
雪夜の声が耳に届き、またぼーっと過去を思い出していたことに気づいた。
慌てて写真を隠し、キャリーケースを閉じる。
「……何隠した?」
「な、何も!準備できたから行く!」
明らかに不自然だったけれど、なんとなく雪夜に話すのは気が引けるため、このまま貫くことにした。
「おい、歩くの速い」
「早く出てよ、鍵閉めるから」
雪夜は怪しそうな視線を向けて来るけれど、それ以上追求してくることはなく。
彼はキャリーケースを車のトランクに入れてくれた後、降りる前と同じように後部座席に座った。
私も迷わず彼の隣に乗り込んだけれど、頭の中は“祐樹”と“すずくん”のことで占められる。
お互い口を開くこともなく、車が走り出す中。
窓の外をぼーっと眺め、しばらく経ったところで突然肩に重みを感じた。
「……雪夜?」
それを確かめようとしたら、なんと雪夜が先ほどと同じように肩に頭を置いてきて。
さらに今度は目を閉じて眠り出したではないか。
本当に自由な人間だ。
「……かわいい顔して」
寝顔がかわいいため憎めない。
今の彼は高校生以上に幼くて。
「雪夜様は眠られているのですか?」
じっと飽きずに見つめていたら、運転席から宮木さんが穏やかな口調で質問してきた。
「はい、寝てしまったようです」
なんだか幼い雪夜がかわいいと思ってしまい、つい頭を撫でながら質問に答えた。
「そうですか。とても珍しいですね」
「珍しい…ですか?」
「はい。我々組では、雪夜様は普段から眠らない人で通っています」
「不眠症、ですか?」
そうとしか考えられない。
けれどそれなら普通、不眠症と言うだろうと思ったため聞いてみることにした。
「……おそらく夢に出てくるのでしょう」
「え……」
「雪夜様は過去に縛られております」
声音、トーンは相変わらず同じままだったけれど。
何やら引っかかる回答をする宮木さん。
「過去、ですか…?」
「はい。そのため、こうして少しの合間に眠ることすら珍しいことです」
信号が赤になり、車がとまる。
容易に触れてはいけない過去な気がして、私は口を閉じた。
ちらっと雪夜に視線を向ければ、相変わらず気持ち良さそうに眠っていて。
指を絡めるようにして手を重ねると、彼はぎゅっと握ってきた。
「……かわいい」
本当に子供。
見た目はこんなにも大人びているくせに。
考え方も大人のくせに。
彼はまだまだ子供なのだ。
高校生よりもずっと幼い子供。
「幼い子供のようですね」
バックミラーに視線をやる宮木さんは、おそらく雪夜の寝顔を見たのだろう。
優しい顔をして笑っているように思えた。
「普段は生意気な強引野郎ですが…いつもこんなかわいかったらいいのに」
頬を突っついてやると、ピクッとまぶたが動く。
起こしたかもしれないと少し不安に思ったけれど、またすぐ小さな寝息を立てて眠る雪夜。
起きる気配はなさそうで。
思わずこぼれる笑み。
なんだか雪夜の“弱さ”を見ているようにすら思う。
『おとちゃんっ…』
ふと脳裏に浮かんだのは、私に走り寄るすずくんの姿。
何かに怯えることが多い彼は、私とふたりの時だけに見せるかわいい表情があって。
「……似て、る」
そんな彼と雪夜はどこか重なる部分があったけれど、“名前が違う”と思い込み、その考えは急いでかき消した。
神田組の人たちが住む家に、これからしばらくの間居座ることになり。
組長である“神田”の父と対面した。
もちろん隣には雪夜がいたけれど緊張して。
やっぱり雰囲気は神田に似ており、どこか怖さもあった。
それから夜は何事もなく、ぐっすり眠れたのは確かだったけれど。
なぜか雪夜と同じベッドで寝かされた。
ダブルベッド並みに広かったし、窮屈ではなかったため文句は言わない。
ただ、どうして雪夜と同じベッドで寝ないといけないんだという疑問はあった。
ここの家は本当に広く、和をモチーフにしたある意味豪邸で。
部屋など絶対余っているだろうに。
雪夜に聞いたら『文句は言うな』で終わらされるし、私は言うことを聞くしかなさそうだった。
そして次の日。
朝から私は格闘していた。
その相手とは、今もまだベッドから起き上がろうとしない雪夜と───
「雪夜、起きてってば」
「ん…」
「さっきからそんな返事ばっか」
肩を揺すって何度も起こすけれど、雪夜はまったく起きる気配がない。
適当な返事だけして、また目を閉じ眠ってしまう。
「もー、あんた起こしてる場合じゃないのに」
朝起きたら、昨日のことが思い出されて。
なによりも祐樹とのことが不安だった。
もし会ったらどんな顔をすればいいのか。
避けられるかもしれないと。
それなのに───
「じゃあまだ起きねぇ…」
「わっ、ちょ…制服がシワになる……!」
準備を終えた私の腕を引っ張ってきたため、自然と雪夜のほうへ倒れ込んでしまう。
「雪夜、離して」
寝起きなのに力は相変わらず強い。
そのため背中にまわされた手を引き剥がすことはできなかった。
「……不安?」
寝起きなのだろう、雪夜の掠れた声が耳に届いた。
「不安って何が?」
「祐樹とのこと」
ぎゅっと、腕に力を込められた気がした。
「……うん、不安」
とっても不安だし、緊張する。
雪夜は大丈夫だと言ったけれど、無視されてしまう恐れだってあるのだ。
“もう私とは関わらない”という意味を込められていたらどうしようって。
「俺も不安」
「……は?」
「お前が祐樹のところ行きそうで」
いきなり何を言いだすんだ、こいつ。
祐樹との関係がどうなってしまうのかと、不安の私に向けた言葉ではない。
まるでこの後のことがわかっているかのような、そんな言い方だった。
「祐樹とどうなるか、まだわからないし…」
「決まってるだろ。お前は絶対揺れる」
目が覚めたのか、私の腰に手を添えて支えながら起き上がる雪夜。
自然と私の上体も起こされる。
揺れるって、いったい何のことを指しているのだ。
主語が足りていないからわからない。
「……ひゃ」
完全に油断していた。
雪夜が昨日つけてきたキスマークの部分に触れてきたのだ。
くすぐったいため、思わず肩がビクッと跳ねる。
「ん、ちゃんと赤くなってる」
「こんなことしてバカじゃないの」
「俺のものって証。結構重要」
「独占欲の塊ね」
「認める」
「認めるなバカ」
クスクスと笑い、寝起きの彼があどけない表情を見せる。
そんなかわいい表情もできるんだって、朝から心臓に悪い。
「……色、抜けてきたね」
高鳴る胸を隠すように銀色の髪に手を伸ばす。
銀の色はだんだんと抜けており、そろそろ染め直さないといけないところまできていた。
「そうだな」
彼も自分の髪に触れ、また幼く笑った。
「だいぶ傷んでる。
銀髪やめようかな」
だからその表情がいちいち心臓に悪く、キュンとしてしまうからやめてほしい。
それに幼い表情はその銀髪に似合わない。
「へぇ、銀髪以外のあんたって想像できないかも」
「こう見えて最近黒髪にしてたんだぜ」
「黒髪?そうなの?」
確かに雪夜の顔なら黒髪でもかっこよく、似合うことだろう。
ただ今よりも大人しめの、幼い感じに見えるかもしれない。
「ああ。案外大変だったんだからな。
なかなか黒に染まらねぇし」
「色抜いてるからね、仕方ないんじゃない?
大人しく銀髪にしとけば?」
本人が黒髪にしたいと言うのなら止めはしないけれど、無理して黒にする必要もない。
「お前は銀髪の俺がいい?」
「……は?」
どうしてそんなこと私に聞くのだ。
雪夜の髪なのだから、自分で決めればいい話。
「どうして私基準なの?」
「お前が好きな髪色にする」
「何バカなこと言って…好みなんて別にない。
好きな色にすれば?紫でも緑でも、なんでもどうぞ」
自分のしたいようにすればいいのだ。
「……俺、お前のそういうところ嫌いじゃない」
「え…」
その時雪夜が目を細め、どこか嬉しそうに笑った。
「……っ」
柔らかな雰囲気を纏う彼に、ドキッと胸が高鳴って。
やっぱり雪夜の幼い表情にはしばらく慣れそうにない。
「そんな笑って、寝ぼけてるの?」
今の気持ちを隠すように、雪夜の片頬をつまんでやる。
「……多分、まだ寝れそう」
「何言ってんの。早く準備しないと遅れるよ」
「お前と一緒に遅刻する」
「バカなの?ほら、起きて」
最後に頭をわしゃわしゃ撫でて、雪夜から離れてやる。
少し不服そうな顔をしながらも、ようやくベッドからおりてくれた彼。
「ねぇ、堂々と脱ぐ?」
「あ?」
すると雪夜は、女の私がいる前でも平気で服を脱ぎだした。
そのため上半身裸の姿が視界に映る。
筋肉質な体つきは相変わらずで。
見惚れるような和彫りがまた、私の視線を奪う。
「別にいいだろ、お互い初めてじゃねぇし……って、お前こそジロジロ見んなよ」
怪訝そうに眉をひそめながら私を見る雪夜。
けれど仕方がない。
彼の和彫りはやはり美しいと思うから。