お宿の看板娘でしたが、王妃様の毒見係はじめます。


「……無計画過ぎました」

言われてみればたしかにそうだ。平民が簡単に王城にはいれるわけがないし、そんなオープンなお城、セキュリティ的に心配だ。

でもせめて、元気かどうかだけでも知りたい。
ロザリーは、人々の視線が痛いと感じながらも、王城の門の前まで向かった。
馬車も通り抜けられる程の高さの門が今は閉まっている。両脇には門番が直立不動で立っていて、何度も行ったり来たりしていると、不審そうな視線が刺さってくる。門番のひとりが眉を寄せたまま声をかけてきた。

「お嬢ちゃん、お使いかい?」

「いえ、あの、えっと。……王城に入るにはどうすればいいですか?」

「許可証がないものは入れないよ。どこの屋敷の使用人なんだ? 忘れ物を届けに来るという話は今は聞いていないけど」

男爵令嬢とはいえ、今のロザリーの身なりは平民のそれだ。門番は完全にロザリーをどこかの貴族の使用人だと思い込んでいる。

「いえ、違うんです。その」

「ああ。下働きも今は募集していないよ。第一、王城に入る下働きは、推薦書がないとダメなんだ。君が働けるようなところじゃないよ。帰りな」

ロザリーはそれ以上何にも言えなかった。
悲しいような悔しいような気持ちが喉元まで沸き上がっているけれど、それを言葉にすることはできなかった。
だって、門番の言葉に間違いはない。今の自分は、王城に入る資格さえないのだ。


せめてザックの安否だけでも、とロザリーは平民市場に行き、王家の噂話を仕入れることにした。
じき夕方という時間だから、市場は閑散としていた。
ちらちらとまだ開いている店を覗いてみたが、パプリカの表面に軽く皺が寄っていたり、キャベツの色がくすんでいたりと、鮮度はあまりよくなさそうだ。

(午後ってことを差し引いても、傷んでいるような……。街だからかなぁ。アイビーヒルは生産者も近くにいるから、なにを見ても新鮮だったけど)

「お嬢ちゃん、このトマトはうまいよ。王都一だ」

真っ赤なトマトを手に持った売り子がそう言うけれど、どう見ても熟れすぎている。
ロザリーは「そうですね」とあいまいに答えつつ、「最近、王家の方々の噂ってありませんか?」と聞いてみた。

「うわさって? さあなぁ。第一王子バイロン様はまだご病気がすぐれないままだし。月に一度のご拝謁のときも全然姿を見せないね」

「ご拝謁とは?」

「ここからも見えるだろ? 王城の一番上のバルコニー。あそこで月に一度、王家の皆様が国民に姿を見せるんだ。といっても平民街からじゃ顔の判別も出来ないくらい小さいけどな。最近は国王様と第一王妃様しか見ないな」

平民街からは王城は遠い建物だ。だけど、月に一度のその日までここにいれば、ザックの姿くらい見れるかもしれない。
ロザリーの胸に、希望のともし火がつく。

「そうそう、最近、アイザック様が姿を見せるようになったな」

「本当ですか?」

「ああ、黒髪だから目立つしね。間違いようがない。一年くらい姿を見せなかったから、ご病気かなって噂だったんだ。第一王子に続いてだろ? 王家は呪われているんじゃないかって言われてた。でも、元気になったようでよかったよ」

「そ、それっていつの話ですか?」

「前回のご拝謁のときだから、十日前かな」

であれば、とりあえずザックが病気だというわけではなさそうだ。
ホッとした半面、今度はザワリと胸騒ぎがする。
ならばどうして手紙が届かなくなったのだろう。

(もしかして私のことなんて忘れちゃったのかな……)

王城に行けば、華やかな令嬢がたくさんいるだろうことは、想像に難くない。
ましてザックは王子様で、第一王子になにかあれば、王位を継ぐ立場だ。
結婚相手として、ふさわしい女性を勧められているかもしれない。

(……でも、いつか妻に迎えたいって言ってくれたもん)

辺境の男爵令嬢のロザリーにできることなんて限られている。信じるしかないのだ。彼の感情だけが、ロザリーを支えるすべてなのだから。

(なら、……待っていなきゃいけなかったのかな)

でもアイビーヒルで、来ない彼の便りも待ち続ける事なんてロザリーにはできなかっただろう。

「そろそろ店じまいしないとな。お嬢ちゃん、かわいいからこれやるよ」

十七時の鐘をきいた売り子は、「今日も売れ残っちまった」と言いながら、トマトをロザリーに渡す。
これ以降の時間帯は、土地勘のない土地を女一人でうろつくには危険だ。

「……レイモンドさんの成果を聞いてみるしかありませんかね」

ため息をついて、ロザリーは宿へと戻った。

 その夜、戻ってきたレイモンドはすっかり落ち込んでいた。
とりあえず一緒に併設の食堂で夕食を取っているが、目の前の皿があまり減っていかない。まあ、あまりおいしくないという理由もあるけれど。

「駄目だ。完全に門前払いだった。執事らしき男が出て、オードリーには別な縁談があるんだから会わせるわけにはいかないってな」

オードリーにもクリスにも、それどころかオルコット夫妻に会うことすら叶わなかったのだという。

「私も、王城にははいれませんでした。よく考えれば当たり前なんですけど、伝手がないと入城するだけでも無理そうなんです」

心配のあまり、細かな段取りなど考えなかった、とロザリーは自分の浅はかさを呪う。
行けばなんとかなるなんて、楽観的過ぎた。

ふたりはしばし沈黙し、考え込んだ。全く伝手がないわけではない。ただ迷惑をかけるのが心苦しいだけだ。しかし、せめて無事だけでも確かめたいので、最後の手段に頼ることにする。

「ケネス様に、手紙を書きます」

「えっ?」

「お手を煩わせるのは申し訳ないですが、頼れる人はケネス様しかいませんもの」

イートン伯爵のタウンハウスの住所は知っている。これまでも、ケネスのもとに手紙を届けてからザックに渡してもらっていたのだ。住所と街の地図を照らし合わせると、街の北側、貴族街の中央あたりに位置している。男爵令嬢として手紙を書けば、門前払いされることもなくケネスのもとまでは届くだろう。
そうなれば彼が手を差し伸べてくれるはずだ。

「まあ……そうだな。会えませんでした、で帰るわけにもいかないしな」

「オードリーさんの義理のご両親は子爵なんですよね。でしたらイートン伯爵のお力添えをいただくこともできるかもしれません」

図々しい願いなのは百も承知だがな、と付け加えて、レイモンドも頷いた。

食事を終えた後、ロザリーは宿の主人に頼んで、便箋と封筒を分けてもらった。
部屋に戻り、数少ない便箋を無駄遣いしないように、頭の中で何度も文章を考えてから書き出す。

【ケネス様。ザック様からの連絡が途絶えて心配しております。どうかお力をお貸しください。現在城下町のダンデライオンという宿にいます。
ロザリンド・ルイス】

たくさん文章を考えたはずなのに、書いてみればシンプルな内容になってしまった。
封蝋が無いので怪しまれるかもしれないと、封筒にしっかり名前を書く。

翌朝、手紙ができたことを伝えると、レイモンドがひょいと封筒を奪い取り、「届けに行く」と言った。

「え、でも」

「自分で手紙を届けに行く令嬢なんて聞いたことねぇよ。使いなら俺のほうが似合いだろう」

「それは……そうなんです?」

たしかに、この距離で郵便配達人を頼むのももったいない。ではお願いします、と頭を下げ、張り切って出ていくレイモンドを見送った。

残されたロザリーは手持無沙汰になってしまった。
宿だと思うと手伝いをしたくなってしまうが、この宿には潤沢に従業員がいる。
でもじっとしているとうずうずしてしまう自分を止められない。仕方なく、出かけることにした。
昨日は新しいにおいばかりで興奮してしまったので、もう少し落ち着いて王都の城下町を観察するためだ。

宿からまっすぐ市場へと向かう。
朝だからか、夕方近くに訪れた昨日よりも活気づいていた。商品を売り込む声があちこちから響いてくる。

「いらっしゃい、安いよ、安いよ!」

呼び込みに惹かれて覗いてみるも、見た目にも鮮度がいまいちそうな果物が並んでいる。なのに値段は高額だ。王都だからアイビーヒルに比べて物価が高いのはわかるけれど、鮮度まで落ちているのはいただけない。

「田舎町のほうがおいしいものが食べれるのかも。畑は直ぐ近くにあるから新鮮だもんね」

けれども王都の市場にはいろいろな種類の食材が集まってくるようだ。見たこともない野菜がいっぱい並んでいる。レイモンドならば、この食材をどう調理するのだろうと、ロザリーは想像しながら歩く。

ひと通り見終わったあたりで、ふいにクリスに似た香りを嗅ぎつけ、あたりをきょろきょろと見回した。けれど、あの長いまっすぐな金髪はどこにも見当たらなかった。

「気のせいかな」

レイモンドの話だと、オードリーの死んだ夫の家は裕福な子爵家らしい。家は貴族街にあるのだから、こんな平民街の市場に来るはずがない。
トボトボと歩き出したとき、目を奪われるような豪華な装飾が施された馬車が目の前を通った。どう見ても平民のものではない。貴族の中でもそれなりの経済力を持った家の持ち物だろう。
呆気に取られて見送っていると、馬車は急にスピードを落とし、十メートルほど先で止まった。

扉が勢いよく開き、転びそうな状態でレイモンドが飛び出してくる。

「レイモンドさん?」

「ロザリー、あのな……」

「やあ、ロザリー嬢。久しぶりだね。手紙をありがとう」

後ろから悠然と下りてくるのはケネスだ。フロックコートにシルクハットとアイビーヒルにいたときよりもおしゃれに決めている。

「ケネス様!」

届けたとしても、執事が受け取るのだから返事は早くても明日だと思っていたので、ロザリーは驚きを隠せない。
ロザリーが駆け寄っていくと、ケネスは二ヵ月前と変わらない笑顔で彼女を迎えた。

「気になってはいたんだ。ザックからの手紙が途絶えて、心配しているかなと」

「そ、そうなんです。それで私」

「もともと、君を迎えにやるつもりだったんだよ。ただ下準備に手間取っちゃってね。使者を送り出せたのが昨日だったんだ。今頃、アイビーヒルの伯爵邸で、使者が困っているのが目に浮かぶね」

ケネスは、にっこり笑うとウィンクする。

「加えて、レイモンドまで来てるなんて、俺はなんてラッキーなんだ。さあふたりとも、荷物をまとめて伯爵邸に向かうとしよう」

「え、あ、あの」

ケネスの話の内容が理解できる前に、ロザリーは馬車に乗せられ、そのまま宿屋まで強制送還された。
そして連泊予定だった部屋をキャンセルし、荷物を引き上げてイートン伯爵のタウンハウスへと向かうこととなった。


 突然のケネスの歓迎についていけていないロザリーは、馬車の中で事の経緯を聞いた。

「俺はイートン伯爵邸の門番に手紙を預けて、そのままオルコット子爵家に向かったんだ。相変わらずの門前払いで、オードリーの姿もクリスの姿も見ることはできなかった。諦めて帰ろうとしたとき、うしろからこの馬車がやって来たんだよ。何事かと思ったら、ケネス様が出てきて、開いた口が塞がらなかった」

「俺は手紙を受け取ってすぐ、門番に届けに来た人物の特徴を聞いたんだ。どう考えてもレイモンドっぽかったから、オルコット子爵家に行けば会えるかなって当りを付けたんだよ。大正解だった」

レイモンドの言にケネスが続ける。ケネスは足を組んで、姿勢を正した。

「だが、話を聞いてみたら、反対されているんだってな」

ははは、と笑われて、レイモンドは嫌そうな顔で頭を抱えた。

「笑い事じゃないんですって。迎えに来たつもりが、顔さえ見れないなんて」

「オルコット家とうちはあまり交流が無いんだけどね。一緒に出席する夜会はないわけじゃない。協力してやるからそう落ち込むなよ」

レイモンドは顔をしかめていたが、背に腹は代えられないのか、「お願いします」と殊勝に頭を下げた。
すると嬉しそうに身を乗り出し、「代わりに、君には滞在中、うちの料理人として働いてほしいんだ。今いるシェフにレシピの提供もすること。いいかい?」とケネスが笑う。

「はあ。でも、ぽっと出の俺と一緒に仕事をするなんて、嫌らがれるんじゃないですか? 伯爵家の料理人だったら、ものすごい修行していたり家柄が良かったりするんでしょう?」

「それを黙らせるのは実力だよ。まずは一度料理を作って、みんなに食べてもらうんだ。なあに、俺の舌が認めた味だ。みんなも気に入るに決まっている」

「そんな無茶を……。でも正直、仕事があるのは助かります。ただで伯爵家に厄介になるなんて、とてもじゃないが心臓が持たないんで」

レイモンドとしては、オードリーに会うまでも長期戦になりそうな気配だったので、とりあえず仕事を見つけなければと思っていたところだ。この申し出は渡りに船といえる。

「そういうわけで、レイモンドにはしばらく住み込みでうちで働いてもらおうと思うんだ。ロザリー嬢もうちにおいで。元々、君を連れてくるつもりだったから準備はできてる」

「私を?」

「ああ。君をうちで預かって社交界デビューさせようと思って」

それは思いがけない申し出だった。一瞬頭が真っ白になったロザリーは、そのあと、馬車内に響き渡る声で「ええええええええぇー!」と叫んだのだった。