桜の花もすっかり落ち、青々と葉が生い茂るころ、響人は放課後に学校近くの駅前の喫茶店で本を読んでくつろいでいた。普段は家に直帰するのだが、今日は文具屋に入り用があり、買い物終わりにコーヒーを摂るつもりでふらっと立ち寄ったのだ。

平日の夕方はお年寄りや姦しい主婦でそこそこ賑わっており、新たな客の来店を告げる鐘のカララン、という音はすっとかき消された。

かつ、かつ、と革靴の音が自分の元へ近づいて来る。響人は嫌な予感がした。

「これはこれは。響人くんじゃないか。」

本から顔を上げると、予想通り、響人の想像した人物がそこにいた。グレーのワイシャツの上に紺のジャケットを羽織り、白いズボンのアクセントとしてワニ皮のベルトを巻き、黒い鞄を背負った短髪で顔立ちの整った青年である。

「なんか用すか、薫さん。」

「いやぁ、偶然だね。初めて立ち寄った店で会えるなんて。」

当然のように響人の前に座り、ジャケットを脱ぐ薫と呼ばれた男は、寄ってきた店員にカフェラテ1つ、と告げた。

「今日はホットミルクじゃないんですね。」

女性の店員はそう一言言い残し、微笑みながらその場を立ち去った。

「........偶然を装ってまで、何の用なんですか。」

響人は本を読み進めながら問う。薫は顔を掻きながらバツの悪そうな様子で答えた。

「いや、それがね。君の絵をまた僕の個展に友情出演として出品して欲しいんだ。君の絵のファンがついちゃってね、どうしてもってせがまれてるんだよ。」

薫は芸術大学に通う傍ら、その才能と財力を用いて毎年夏に個展を開催していた。薫の油絵は国内外問わず一定数のファンがおり、集客数はアマチュアの個展としては非常に優秀な成績を残し続けている。数年前、響人の描いた油絵に薫が惚れ込んだことを機に二人の関係はぽつぽつと続いていた。

「変な尾行しないで、携帯に連絡入れてくださいよ。」

「だって響人くんどうせ無視するじゃん。」

「...ああ、そうか。でもそれはアンタが...。」

薫のメッセージの内容はほとんどが女との惚気話だったので響人は通知が届かないように設定していた。はあ、と響人はため息を吐く。

「というか、どうせ女性から頼まれたんでしょう。ほんと女に目がないですね。」

あ、わかった?と薫が苦笑いをする。しかし突然ハッとした表情をし、両手でテーブルをダンっと叩いた。

「いや違う、女に目はある!」

「はあ?」

「2つのまん丸い瞳が!その瞳が僕を魅了するんだ!ああ、考えただけで興奮してきた!好きだ!欲しい!いっそ女の子になりたいッ!!」

薫は鼻息を荒げて叫ぶ。周囲の人間が一斉に注目した。
一瞬にして静かな空間ができあがった。響人は長いため息をつき、コーヒーを一気に飲み干した。荷物を持ち席を立って、薫の叫びに凍りついていた女性店員の横を通り過ぎ、そのまま会計を済ませる。

「あっ、まっ、待ってくれよ!響人くーん!」

薫は去りゆく響人の背中をおぼつかない足取りで追いかけた。